郷 ひろみ ジャニーズ。 ジャニー喜多川は性犯罪者?郷ひろみ嵐smap裁判の真実は?

郷ひろみの自宅は葉山?住所は?豪邸すぎだが年収いくら?|今日ネタ

郷 ひろみ ジャニーズ

郷ひろみがジャニーズを退社理由は? スカウトという形でジャニーズに入った郷ひろみでしたが、当時ジャニーズ事務所はできたばかりで大きいとは言い難い事務所でした。 まだ小さいジャニーズ事務所は郷ひろみはメディアに登場した当初から人気が出ていたため、ここぞとばかりに売り出し、レッスンは二の次という状態でした。 あまりレッスンをしないままデビューし、歌だけではなく大河ドラマに出演し俳優業もこなしました。 それに対して郷ひろみは「これから芸能界でやっていくなら基本的なレッスンをきちんと受けておきたい」という考えがありました。 仕事をする中でこれから基礎がしっかりしていないと売れていけないと考えていたのです。 流行り廃りが早い芸能界のため人気が落ち着いてからレッスンをさせたい事務所と、基礎を構築してからパフォーマンスをしたい郷ひろみで方向性の違いができてしまいました。 そんなお互いの考えの相違から、郷ひろみは自分の身を置くべき事務所はジャニーズ事務所ではないと感じ、移籍という形でジャニーズ事務所を退所しました。 以上が表向きの理由ですが、実はジャニー喜多川が郷ひろみに恋愛感情を抱き、その気持ちにこたえられない郷ひろみが事務所を退所したという噂もあります。 ジャニー喜多川が男色家であるという噂もあるのでこうした理由ももしかしたらあるのかもしれませんね。 郷ひろみがバーニングに移籍した理由 ジャニーズを退所した郷ひろみはそのままバーニングに移籍しました。 ジャニーズの態勢と自分の考えが合わなかった郷ひろみについて、ジャニーズ事務所の副社長であるメリー喜多川とバーニングの社長である周防郁夫が話し合いを行いました。 郷ひろみの考えを尊重するから引き取らせてほしいと周防郁夫がメリー喜多川に頼み込んだのです。 当時、バーニングはとても大きい事務所でジャニーズでは対抗できない規模であったこともあり、その申し出にメリー喜多川が承諾するという形で郷ひろみの移籍が決まりました。 その結果ジャニー喜多川は郷ひろみの退所をうけて寝込むほどのショックを受けたそうですが、円満退社という形でジャニーズ事務所を退所しています。 退所後も様々なジャニーズタレントと共演をしています。 郷ひろみのジャニーズ時代の活動はバックダンサー? そもそも、郷ひろみが世間に注目されるようになったきっかけは、フォーリーブスのバックダンサーとして踊っていたことからでした。 バックダンサーをしているころに「ひろみです!」と自己紹介をして話題になり、そこから人気が出て行ったのです。 1972年にはNHK大河ドラマ「新・平家物語」で俳優デビューを果たし、同年に「男の子女の子」でソロ歌手デビューも果たしています。 「男の子女の子」は今でもジャニーズカウントダウンで歌われていることもあるので知っている方も多いのではないでしょうか? 人気がでたら、様々なことに挑戦させていくジャニーズの文化はこのころから変わりませんね。 郷ひろみはジャニーズ時代も様々なことに挑戦しマルチに活躍していたということですね。

次の

郷ひろみ、そして「新御三家」のアイドル史的意味

郷 ひろみ ジャニーズ

オリコンのベスト10入りし好調な滑り出しだった。 その勢いでジャニー氏から「フォーリーブスのバックで踊ってるいい子がいるんだけど、オーディションしてもらえないか」と言われた。 ジャニー氏とスタジオにきた少年は、濃い眉毛と大きな瞳が印象的な申し分のないルックス。 加えて彼がドアを開けた瞬間、雑然としたスタジオで、彼にだけスポットライトが当たっているようにきらめいた。 歌声はその美形から想像がつかないアンバランスな浪曲声で、まさに彼こそアイドルだと直感。 その場で採用を決めるとジャニー氏は満面の笑みを浮かべていた。 ジャニー氏が彼を見つけたのは映画『潮騒』のオーディション会場。 またもや新人探し中のジャニー氏の眼鏡にかなったのだ。 岩谷時子・筒美京平というゴールデンコンビにデビュー曲を依頼。 『男の子女の子』と『夢を追いかけて』の2曲が上がってきた。 ジャニー氏は歌謡曲調の後者を押したが、どこか洋楽的で当時としてはまったく新しい、今でいうJ-POPの前者に決定。 『夢を~』はB面になった。 ジャニー氏とはよく意見が対立した。 互いに同じ頂点を目指して闘う同志のような関係で切磋琢磨した。

次の

【カリスマ逝く 激動!!ジャニーズ】ジャニー氏が中居正広に託した郷ひろみへの「伝言」 (1/2ページ)

郷 ひろみ ジャニーズ

前回、「新御三家」のうちのまず2人、野口五郎と西城秀樹について見た。 今回は、残る郷ひろみについてふれたうえで、男性アイドル史において「新御三家」が果たした役割について考えてみたい。 「王子様」の系譜を継ぐジャニーズ、郷ひろみ 西城秀樹が男性アイドルにおける「不良」の継承者であったとすれば、もうひとつの系譜である「王子様」のポジションにいたのが郷ひろみだった。 それは、郷ひろみが「王子様」的アイドルの原点であるジャニーズのタレントであったという意味では自然な流れでもあった。 1955年生まれの郷は、ジャニー喜多川が自らスカウトした数少ないタレントのひとりである 郷ひろみ『20才の微熱』レオ出版、49-50頁。 1971年のことだった。 その後NHK大河ドラマ『新・平家物語』への出演を経て、1972年に「男の子女の子」でデビュー。 早速オリコン週間シングルチャートでベストテン入りとなった。 「新御三家」のなかでは最後のデビューだが、人気が出るのはその意味で最も早かった。 そこには、現在にも通じるジャニーズ事務所独特の育成システムの効用もあっただろう。 「郷ひろみ」という芸名の由来は、それを物語る。 知られるように、ジャニーズ事務所には「ジャニーズJr. 」と呼ばれるデビュー前のタレントが存在する。 彼らは、すでにデビューした先輩グループのバックダンサーなどでステージに立つ。 それは、単に経験を積ませるというだけでなく、デビューする以前の段階から熱心なファンを生むことにもなる。 すでにそのような仕組みは、ジャニーズ事務所の草創期から存在していた。 で取り上げたフォーリーブスは、デビュー前から初代ジャニーズのステージに出演していた。 そして同じく郷ひろみもフォーリーブスに同行し、そのステージに登場していた。 そんなある日のこと。 デビュー前の郷ひろみは本名の原武裕美としてフォーリーブスのテレビ番組のステージに立った。 それは、歌手としての初舞台であった。 するとそのとき、会場の女性たちから一斉に「ゴーゴーゴーゴー レッツゴーヒロミ」というコールを「お祝い花火のように浴びせられた」。 これに驚きと感激を味わった彼は、この「ゴー」にちなんで芸名を「郷ひろみ」に決める 同書、67-68頁。 ファンは、実在でありながら一種の虚構性を生きるアイドルという独特の存在の誕生に深く関与する。 この場合、原武裕美というひとりの少年は、ファンのコールを通過儀礼的に体験することを通じて「郷ひろみ」というアイドルに生まれ変わったのである。 そしてなかでもこうしたファン主導の度合いの高いアイドルは、やはり「王子様」的なものになるだろう。 郷ひろみも、最初から「王子様」として完成されていたわけではない。 ファンがそのようなものとして発見し応援することによって、彼自身も「王子様」的ポジションを徐々に自覚していくのである。 社会学者 1960年、富山県生まれ。 東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。 テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。

次の