メアリー ウィックス。 天使にラブソングを|シスター達のキャスト一覧!現在の活動状況や経歴がやばすぎる?

メアリー・ウィックスの出演作品一覧

メアリー ウィックス

映画「天使にラブソングを…」は「ダーティー・ダンシング」のエミール・アルドリーノ監督の作品で、修道院を舞台に繰り広げられるコメディー映画。 アメリカで大ヒットしロングラン上映もされ、世界中でゴスペルブームを引き起こし、日本でも大ヒットし何度も地上波のテレビで放送され、定番の映画となっている。 今でもその人気は高く、映画をあまり見ない人でも名前ぐらいは知っているのでは…? 主役は「ゴースト~ニューヨークの幻」のウーピー・ゴールドバーグ、そして、修道院長役は「ハリーポッター」シリーズでおなじみのマクゴナガル先生のマギー・スミスが演じている。 それでは、映画「天使にラブソングを…」のネタバレあらすじや感想考察と評価など、総合的な情報をお届けします。 スポンサーリンク <公開日> 1993年 4月17日 <上映時間> 100分 <監督> エミール・アルドリーノ <脚本> ジョセフ・ハワード <出演> デロリス(シスター・メアリー・クラレンス):ウーピー・ゴールドバーグ 修道院長:マギー・スミス シスター・メアリー・パトリック:キャシー・ナジミー ヴィンス:ハーヴェイ・カイテル シスター・メアリー・ロバート:ウェンディ・マッケナ シスター・メアリー・ラザラス:メアリー・ウィックス シスター・メアリー・アルマ:ローズ・パーレンティ サウザー警部補:ビル・ナン 映画「天使にラブソングを…」のネタバレとあらすじ クラブのオーナーでマフィアのボスのヴィンスと愛人関係にある、クラブの歌手デロリスは、ヴィンスが男を殺しているのを目撃し、警察に駆け込み、重要証人として保護される。 命を狙われる可能性がある為、キャサリン修道院へ修道女として身を隠す事に…。 デロリスはそこで聖歌隊の指揮者を任される、聖歌隊を一から指導し、聖歌をゴスペル風にアレンジするなど革新的な改革をして立派な聖歌隊に育て上げる。 パフォーマンスとゴスペルが人気を博し、修道院には多くの街の人たちが聖歌隊の歌を聞きに集まり、その人気はローマ法王の耳にも入り、法王が見学に来る程に…。 ナイトクラブの歌手デロリス ネバダ州リノのカジノ内にあるナイトクラブの歌手として活動しているデロリスは、クラブのオーナーのヴィンスと恋仲であったが、ヴィンスには妻がおり、妻とは別れると口だけで中々別れないヴィンスに痺れを切らし別れを決意する。 別れを伝えにヴィンスのオフィスに行くと、デロリスはヴィンスが仲間たちと一人の男性を殺している場面をちょうど目撃してしまう。 デロリスは口封じの為、追ってきたヴィンスの手下たちから逃げ切り、警察署へ駆け込む、そこでヴィンスはマフィアのボスだった事を担当のサウザー警部補から聞かせられたデロリスは裁判で証人として証言する事に。 シスター・メアリー・クラレンス デロリスはヴィンスに命を狙われている為、裁判まで二週間の間、安全な場所に身を隠さなければならなくなった。 そこで、サウザー警部補に連れて来られたのは、街の一角の聖キャサリン修道院だった。 そこでシスター 修道女 として身を隠す様に言われるが、デロリスは反対、ここが一番安全だと説得され、しぶしぶ修道院に身を置くことに…嫌々ながら修道着を着せられ、質素で簡素な修道院の生活はデロリスにとっては刑務所レベル、しかも厳格な修道院長とは反りが合わない。 院長以外のシスターたちには素性を隠し、シスター・メアリー・クラレンスとして以前はリノの修道院にいたという事になったデロリス。 しかし、シスターたちはそんなデロリスに興味津々、特に陽気なメアリー・パトリックや、優しいけど内気なメアリー・ロバートなどは温かく迎えてくれる。 そして、ミサでは聖歌隊の歌を披露されるが、皆音程がバラバラで、下手くそさに驚くデロリス。 ある日の夜、修道院を向け出し、向いのBARにお酒を飲みに行ったデロリス、お酒を頼もうとすると、デロリスの後をこっそり付けて来たメアリー・パトリックとメアリー・ロバートがBARに入って来た。 驚くデロリス、帰らせようとするが初めて入ったBARにシスターたちは興味津々で、特にメアリー・ロバートは興奮し、ジュークボックスで音楽を掛け踊り出す、そんなシスターたちが少し気に入ったデロリス。 しかし、夜に出掛けたのが院長に見つかり叱られる、罰としてデロリスは聖歌隊の指揮をやらされる事に。 シスターたちのゴスペル さっそく、聖歌隊の歌を聞くが、やはり酷いもの…現指揮者のラザラスはデロリスを良く思わなかったが、デロリスの「歌には心が必要、魂で歌うのよ」という歌への情熱と適格な指導を目の当たりにし、デロリスに協力する。 練習量を増やし猛特訓する聖歌隊、そして、ミサの日練習の成果を披露する…。 前とは比べものにならない程、美しい歌を披露する、そして歌はノリの良いゴスペル風の聖歌に変身、ミサの人たちや、歌声を聞いた外の人々も大聖堂の中に集まって歌を聞いていく様に。 院長は慎みに欠けるとゴスペルに反対するが司祭様は気に入り、次のミサが楽しみだと大絶賛、しかも修道院の外に出て街の奉仕活動をする事になったシスターたち、デロリスは、すっかりシスターたちと仲良くなっていった。 街の清掃や街人たちと交流し始めるシスターたちは街の人気者に、その噂を聞きつけテレビが取材に来る、たまたまテレビを見たサウザー警部補はデロリスに目立つ事はするなと怒り注意する、これからは気を付けるからと言うデロリス。 聖歌隊のゴスペルの人気はさらに上がり、ミサは大盛況、ゴスペルを聞きに来た街の人々で満員になる大聖堂、さらに、その人気はローマ法王の元まで届き、アメリカ訪問の際、聖歌隊たちの歌を聞きにミサに来てくれる事になり大喜びするシスターたち。 院長はローマ法王が聞きに来る時は、厳かで伝統的な聖歌を歌いましょうと言うが、シスターたちはゴスペルの聖歌を歌いたいと訴え、シスターたちの熱に負けゴスペルを披露する事になる。 メアリー・クラレス危機一髪 法王の来訪のミサに向け猛特訓するシスターたち、デロリスもシスターたちの事を一番に考える様になり絆が深まる。 しかし、警察署ではサウザー警部補の部下がヴィンスと繋がっており、デロリスの居場所をヴィンスに流してしまう。 サウザー警部補は内通者に気付きデロリスを避難させに行くが、ヴィンスの部下たちに連れ去られ、その際一緒にいたメアリー・ロバートも一緒に捕まってしまう。 車に乗せられた2人だが、デロリスはメアリー・ロバートを何とか逃がす事に成功、サウザー警部補に保護されたメアリー・ロバートは修道院に戻り、デロリスの危機を皆に知らせ、助けに行かなければと訴え、院長とシスターたちは一丸となって皆で、デロリスを救いにリノに向かう。 デロリスが捕まっているリノのカジノに乗り込んだシスターたち皆でデロリスを探す、カジノはシスターだらけの異様な光景。 その頃デロリスはヴィンスの手下たちの隙をついて逃げ出す。 カジノ内でシスターたちとデロリスは合流し、逃げるがヴィンスたちに見つかってしまう、万事休すのデロリスだが、サウザー警部補が駆けつけヴィンスの足を撃ち危機を救う。 デロリスは迷惑をかけた事を謝罪しますが、院長は「ありがとう」と言い、みんなで修道院へ戻る…。 心を震わすシスターたちの歌声 いよいよ当日ローマ法王が見守る中、大聖堂はミサに来た人々で満員。 そして、シスターたちの集大成の「I will follow him」、歌い出しは伝統的な美しい厳かな聖歌で始まり、そして途中からはリズミカルなピアノに乗ったゴスペルに大変身。 パワフルな歌声が響き渡り、メアリー・パトリック、メアリー・ロバートの力強いソロパートで魅せる、ローマ法王も観客たちは拍手喝采。 みんなで素晴らしい歌を見せ、満面の笑みを浮かべるデロリス、大成功に終わり幕を閉じる。 スポンサーリンク 映画「天使にラブソングを…」の感想と考察 何度も見たくなる映画!!見る度に胸が熱くなり、何度も笑わされた。 ゴスペルを歌うシーンは圧巻で皆が楽しそうで、あんな風に歌えたら気持ち良いだろうなぁと思ってしまう。 もちろんゴスペルシーンは素晴らしく見どころであるが、その他にもシスターたちが外に出て街の人たちと触れ合ったり、街で奉仕活動をする場面はとても面白くてシスターたちが大騒ぎしたり、楽しそうにはっちゃけたりする所はお茶目で可愛らしい。 またシスターたちの一人一人のキャラクターが個性的でとても魅力的なのである。 みんなで見れて、幸せな気分にしてくれる素晴らしい永遠に不滅の名作。 個性的なシスターたち この映画の魅力に一つの可愛らしい個性的なシスターたちを紹介していきたい。 メアリー・パトリック:ぽっちゃり体型、陽気な性格に加え、パワフルな歌声と機敏なダンスが得意、街に出て若者からダンスを教えて貰いノリノリのダンスを披露したりと、面白可愛いムードメーカー的なシスター。 メアリー・ロバート:一番若く、唯一前髪を出しているシスター、引っ込み思案で内気、おどおどしていて歌う時も声がとても小さかったが、デロリスと出会ってから明るくなり、積極的になり、自ら行動する様になった。 歌声も大きくなり、パワフルなハスキーボイスでソロパートを歌う様になる、聖歌隊の中でも一番成長を見せた。 メアリー・ラナザス:年長のシスターで、デロリスが来る前まで聖歌隊の指揮者だった、気難しさが目立つが、だんだんと性格が柔らかくなり、冗談を言ったりもする面白いお婆ちゃんシスター、メアリー・パトリックやメアリー・ロバートと共にデロリスと仲良しになっていく。 メアリー・アルマ:ラナザスと同じく年長のシスターで補聴器を付けているが、聖歌隊ではピアノ伴奏を担当、でもピアノを弾く時にいつも補聴器をつけ忘れていてデロリスに注意される、可愛らしいおばあちゃん。 圧巻!素晴らしいゴスペル 作中で歌われる美しい讃美歌や楽しいゴスペルの歌を紹介していきたい。 デロリスが一番初めに指導した曲、ミサで披露した際、下手くそだった聖歌隊の歌声が大変身し皆を驚かせ、街の若者たちも聞こえて来る歌声に惹かれ聖堂に集まって来る。 映画「天使にラブソングを…」の評価とまとめ 公開された1990年代は「プリティ・ウーマン」「ジュラシック・パーク」「ターミネーター2」「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」など錚々たる映画が公開された、その中においても「天使にラブソングを…」は人気の高い作品で、映画黄金期をけん引する名作の一つではないだろうか。 ひたすら楽しくコメディーであるが、聖歌隊の歌声、特に最後の「I will Follow him」を聞くと胸が熱くなって感動してしまう!ハッピーがたくさん詰まった素敵な映画。 そして、1994年には続編の「天使にラブソングを…2」も公開され、こちらも大ヒットし、有名な作品として名を残している。 ちなみに原題は「sister act」、「天使にラブソングを…」というセンスの高いカッコ良い邦題も素晴らしい。

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天使にラブ・ソングを2

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世界中が笑った。 神サマも笑った。 '92年、全米で爆発的な大ヒット、6ヶ月を超えるロングランを記録した話題作。 『ゴースト』でアカデミー賞 R のウーピー・ゴールドバーグが、コメディで本領発揮!歌あり笑いあり涙あり、こんな救世主を待っていた!!しがないクラブ歌手のデロリスは、殺人現場を目撃したためにギャングに命を狙われている。 身を隠すための意外な場所は、なんと、お堅い修道院!命惜しさにじっと我慢のデロリスだったが、やっぱりとってもミスマッチ。 ところが一転、聖歌隊のリーダーに任命されてからは実力発揮。 神サマも笑った。 '92年、全米で爆発的な大ヒット、6ヶ月を超えるロングランを記録した話題作。 『ゴースト』でアカデミー賞 R のウーピー・ゴールドバーグが、コメディで本領発揮! 歌あり笑いあり涙あり、こんな救世主を待っていた!! しがないクラブ歌手のデロリスは、殺人現場を目撃したためにギャングに命を狙われている。 身を隠すための意外な場所は、なんと、お堅い修道院!命惜しさにじっと我慢のデロリスだったが、やっぱりとってもミスマッチ。 ところが一転、聖歌隊のリーダーに任命されてからは実力発揮。 監督:エミール・アルドリーノ• 製作:テリ・シュワルツ• 脚本:ジョセフ・ハワード• 製作総指揮:スコット・ルーディン• 撮影:アダム・グリーンバーグ(A. プロダクション・デザイナー:ジャクソン・デゴヴィア.

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在位 - 戴冠式 フランス王妃 在位 - 出生 、 死去 1587-02-08 (44歳没) 、 埋葬 、 配偶者 子女 王家 王朝 父親 母親 宗教 メアリー・ステュアート( Mary Stuart, - )は、女王( メアリー1世、在位: - )。 スコットランド王と貴族家出身の王妃の長女。 ヘンリー・スチュワート ダーンリー(1545-1567)は、2度目の夫。 メアリーは王家の綴りを Stewart から Stuart に替えたが、これは自身のフランス好みからであったという。 同時代の女王と比較されることも多く、また数多くの芸術作品の題材となっている。 親しみを込め、しばしば「クイーン・オブ・スコッツ」と呼ばれる。 メアリー自身は廃位ののち国を追われ、エリザベス1世の命によりで刑死したが、その子はスコットランド王として即位し、またエリザベス1世の死後は、イングランド王位をあわせ継いだ。 以後スコットランドとイングランドはを形づくり、18世紀の誕生の端緒となった。 終生未婚で、子孫を残さなかったエリザベス1世に対し、メアリーの血は連綿として続き、以後のイングランド・スコットランド王、グレートブリテン王、の王は、すべてメアリーの直系子孫である。 、フランソワとメアリー 、メアリーはアンリ2世の王太子と結婚式を挙げた。 同年にジェームズ5世の従妹に当たるがイングランド女王に即位すると、アンリ2世は「であるエリザベスの王位継承権には疑義があり、メアリーこそ正当なイングランド王位継承権者である」と抗議した。 さらに、9月にはフランスとイングランドの講和条約締結の後に、駐仏イングランド大使を招いた祝宴の席で、イングランド王位継承権者であることを示すを発表し、エリザベスを激怒させた。 にアンリ2世が亡くなると、王太子がとして即位し、メアリーはフランス王妃となった。 この年から翌年にかけてスコットランドではの反乱が起こり、これにイングランドが介入して、フランス海軍は大打撃を受けた。 、エディンバラ条約が結ばれ、フランスのスコットランドへの軍事介入の禁止と、先の紋章の使用禁止が謳われたが、メアリーは実際にはその後もこの紋章を使用し続けた。 イングランド国内においても、エリザベスの王位継承に不当性を唱える大貴族がおり、女王の政権は不安定なものであり、メアリーがエリザベスを「庶子」と主張して自らの王位継承権を言い立てることは、エリザベス個人の不興にとどまらず、政権を揺るがす政治的問題であった。 またを含む多くのカトリックは、実際にメアリーがイングランド女王であると考えていた。 帰国と親政、再婚問題 [ ] フランスを去るメアリー(19世紀、画) 、フランソワ2世が16歳で病死した。 子供ができなかったメアリーは、翌にスコットランドに帰国した。 メアリーは父の庶子で異母兄のマリ伯とウィリアム・メイトランドを政治顧問とした。 当時のスコットランドは宗教改革が進み、多くの貴族がプロテスタントに改宗していたが、の貴族も相当数残っていた。 マリ伯とメイトランドはともにプロテスタントであったが、メアリーは宗教の選択には寛容で臨むと宣言し、両派の融和を図った。 1562年の夏には、カトリック貴族では最有力のゴードン家がメアリーに反乱を起こした。 これはマリ伯により鎮圧された。 メアリーは再婚相手について検討を始めた。 候補として名前が挙がったのは、オーストリアの、の、の、フランスのなどだった。 中でも特にメアリーが関心を示した相手は、有力なカトリック国の国王の息子であった。 しかし、やエリザベス1世に政治的な動機で妨害されるなど、様々な理由から、いずれの相手とも結婚に至ることはなかった。 やがてメアリーは、1565年2月18日に出会ったステュアート家傍系の従弟ダーンリー卿との結婚を考えるようになる。 ダーンリー卿ヘンリーとの再婚 [ ] ダーンリー卿ヘンリーは、メアリー女王と同じくイングランド王の王女の孫であり、テューダー家の血を引いている。 加えて、教徒であった点も、メアリーにとっては都合が良かった。 しかし、この結婚にもマリ伯やエリザベス1世が強硬に反対した。 特にエリザベス1世は、イングランドの有力な王位継承権を持つダーンリー卿との結婚によって、メアリーの王位継承権が強化されることを恐れた。 そこでダーンリーにすぐさまイングランドに戻るよう命令し、従わないと反逆罪と見なすとして、ダーンリー卿の母(マーガレット・テューダーの娘でジェームズ5世の異父妹、エリザベス1世の従姉)をに幽閉したが、ダーンリー卿は従わなかった。 しかし、エリザベス1世と首相のは、性格的に弱いダーンリー卿をスコットランドに送り込むことにより、スコットランドの国力低下を計ろうとしたという説もある。 、メアリーはダーンリー卿ヘンリーと再婚した。 メアリーはヘンリーに対し、王族にしか与えられなかったロス伯、公の位を与え、また王位継承もあらためて与えるなどして、多くの貴族の反感を買った。 しかし、両親から甘やかされてきたヘンリーの傲慢な性格がわかるにつれて、メアリーの愛情も冷めていった。 やがて人の音楽家で、有能で細やかな気づかいをする秘書の ()を寵愛し、重用するようになった。 王子誕生とリッチオ殺害事件 [ ] リッチオ殺害事件(19世紀、画) 1565年8月1日、マリ伯がエリザベス1世からの援助を取り付け、1200人の兵力を集めてメアリーに反乱を起こした。 メアリーはこの反乱を鎮圧するため、ゴードン家にも恩赦を与えて地位を回復させた。 マリ伯の期待していたイングランドからの援軍は現われず、スコットランド南部で率いるスコットランド軍に敗北し、彼はイングランドに亡命した。 、で食事をとっているとき、武器を手にしたルースベン・モートンなどの数人の貴族達がリッチオを拉致し、ダーンリー卿の部屋に近い謁見室、しかもメアリーの目前で殺害するという事件が起きた。 メアリーは流産の危機を迎えたが、無事に息子ジェームズ(後のイングランド王兼スコットランド王)を出産した。 リッチオの子だと噂する者がいたため、メアリーは床についたまま、ダーンリーの子であることを誓い、ダーンリーにも認めるよう迫った。 しかし、ジェームズが大きくなっても、ダヴィデ(デイヴィッド)の子を意味する「」と呼ぶ者がいた。 子どもは生まれたが、しかしダーンリー卿との仲は冷え切ったままだった。 当時のスペイン大使によれば、メアリーにダーンリー卿暗殺を提案した者さえもいたが、メアリーは受け入れなかったという。 ダーンリー卿の死、ボスウェル伯との再婚と廃位 [ ] その後、メアリーはボスウェル伯に心を寄せるようになった。 、エディンバラのカーク・オ・フィールド教会(現在の構内)でダーンリー卿が殺害されているのが発見された。 ボスウェル伯はメアリーに結婚を申し込み、その数日後 ()にメアリーを連行し、結婚に踏み切らせ、に2人は結婚式を挙げた。 当時、ダーンリー卿殺害の首謀者はボスウェル伯、共謀者はメアリーであると見られており(実際の証拠はなかったが)、カトリック・プロテスタント双方がこの結婚に反対した。 間もなく、第4代ら反ボスウェル派の貴族たちが軍を起こした。 にメアリーはの東のカーバリー・ヒルで反乱軍に投降した。 メアリーは ()に移され、に廃位された。 歴史小説家のJean Plaidyはこのペンネームで書いた伝記の中で、メアリーがよく行っていたエクスチェッカー・ハウスという小さく、一人でこもれる家の隣の住人がボスウェルの元召使いであり、ボスウェルがよく逢い引きに使っていたことから、ダーンリー卿殺害以前からメアリーとボスウェルが恋人であったと断じている。 また、メアリーの連行は、合意の上での拉致の演技だという。 また、メアリーがジェームズの王位継承権を損なわない形でダーンリーを排除したいという言葉が、事実上の殺人命令だったとしている。 カトリックのメアリーには、継承権を損なわない離婚ができないからである。 イングランドへの亡命、陰謀と処刑 [ ] 、メアリーの墓 5月、ロッホ・リーヴン城を脱走したメアリーは6千人の兵を集めて軍を起こすが、マリ伯の軍に敗れ、イングランドのの元に逃れた。 メアリーはイングランド各地を転々としたが、軟禁状態とは思えないほど自由に近い、引退した老婦人のような静かな生活を送ることを許された。 しかし、たびたびイングランド王位継承権者であることを主張し、またエリザベス廃位の陰謀に関係した。 には ()( ()がたくらんだ事件)、の ()(カトリックの ()がエリザベスの暗殺を狙った事件)などである。 バビントン事件の裁判ではメアリーが関与した証拠が提示され、有罪・死刑を言い渡された。 エリザベス1世は死刑執行書への署名を渋る様子を見せたが、結局、 ()のグレートホールでメアリーは処刑された。 この事態を受けて、スペイン王フェリペ2世は無敵艦隊をイングランドへ派遣し、()に繋がった。 補足 [ ] リッチオ殺害事件について [ ] このように目立つ方法でリッチオが殺害されたことから、ダーンリー一派はメアリーの暗殺まで狙っていたという説がある。 すでにこの事件の前の1566年2月13日に、イングランド大使のランドルフ卿は本国にこんな報告をしている。 国王(ヘンリー)と父親のは、スコットランド女王に背いて王位を手に入れようとする計画を進めている。 もし計画が実行されればあのリッチオは、国王の了解を得て数日中に殺されるであろう。 さらに由々しきことに、私の耳には女王まで暗殺されるという噂まで飛び込んできた。 また、この事件の首謀者はマリ伯だという見方もある。 しかし、前年に起こした反乱について心から自分の過ちを後悔しているとして、メアリーは赦免したため、マリ伯はスコットランド帰国が叶い、以前同様メアリーに重用されることになった。 ダーンリー卿暗殺事件について [ ] カーク・オ・フィールド教会でのダーンリー卿暗殺事件に関しては、ボスウェル伯が首謀者とするならなぜ、彼ほどの経験豊富で優秀な軍人が、ダーンリー卿1人を殺害するのにわざわざこんな目立つ方法を選んだのかという疑問が生じる。 また、ダーンリー卿が自らの即位を目論んで、メアリーをここで暗殺しようと計画していたとする説もある。 メアリーがボスウェル伯のダーンリー卿暗殺計画に賛成した手紙も含まれているとされている「小箱の手紙」に関しても、メアリー・ステュアート研究者達の間では、この数枚の手紙をメアリーの直筆とする説には近年では否定的になってきており、偽造されたとする説が優勢になってきている。 ブキャナン文書 [ ] メアリーに関しては、同時代の人文学者で歴史家である(1506 - 1582)が書いた文書が知られる。 彼は、ダーンリー卿の生前からのメアリーとボスウェル伯との不倫を自分の文書の中で主張している。 その一例としてこんな文書がある。 1566年の10月16日、メアリーはイングランド国境に近い、南東部のジェドバラという町の付近を荒らし回っている盗賊団について、国境警備指揮官のボスウェル伯と話し合うため、マリ伯他数人の臣下達と共にボスウェル伯のいるハーミテージ城に向かい、そこに2時間足らずの間滞在している。 ブキャナンはこの日のこの出来事について、「この時すでに、メアリー女王はボスウェルの愛人で、女王はハーミテージ城ではその名誉と身分にあるまじき恥ずべき行為をおこなった」と文書に書き残している。 しかし、ボスウェル伯はこの8日前にジェドバラの盗賊団と戦い、盗賊団の首領は倒したものの、頭と右肩と左腕に重傷を負っていた。 この時、すでに彼は出血多量により意識不明になっていて、助かるかどうか微妙な容態であったという。 そのため、もうボスウェル伯は死んでしまったのではないかと考える人々も多かったという。 ボスウェル伯は担架で近くのハーミテージ城に運ばれた。 この知らせは瞬く間に広がり、スペイン大使はメアリーに深い同情を寄せてこう言っている。 「もはやスコットランド女王は頼みの綱を失ってしまった。 あれほどの人物はめったにいるものではないというのに」しかしこのボスウェル伯の死は誤報だとわかり、周囲の人々は安心したという。 ブキャナンは後にメアリーの敵対者側に寝返っている人物で、メアリーの敵対者達の依頼を受けて、このようなメアリーに関する事実と異なると思われる誹謗文書を多く作成しているため、現在のメアリーに関する悪評は差し引いて考える必要があると思われる。 スペインへの手紙 [ ] メアリーは1567年11月、フェリペ2世に宛てて、 自分はエリザベス1世とあまりにも親しい関係のように思われていて、カトリックの司祭を頼む事もできないような有様だが、そんな話を聞いて、メアリー女王はもうカトリックの信仰を守らなくなったのだなどと考えてもらっては困ります。 という内容の手紙を書いている。 また、どこまで本気で書いたのかは不明とはいえ、1577年には 実子のジェームズはカトリック教会に復帰する見込みがないので、イングランド王位継承権をフェリペ2世に譲渡する。 という遺言状や、1586年5月末にも、当時パリにいたフェリペ2世の臣下のメンドーサに宛てて 息子のジェームズが自分の死ぬ日までにカトリックにならない場合、自分はイングランドの王位継承権をフェリペ2世に委託する。 という手紙を書いている。 この他にもフェリペ2世が、異母弟に軍勢を率いさせ、スペイン領からイングランドに侵攻し、メアリーを救出してドン・フアンと結婚させるという計画を、1576年頃に立てていたという説もある。 このように、最後までフェリペ2世は、同じカトリックの君主として、メアリーに対して協力的な態度が見られる。 フェリペ2世のこのような態度には、フェリペ2世の3人目の妻で、メアリーがフランス王太子妃時代に義妹かつ幼なじみとして大変に親しかったの長女の存在があったと考えられる。 フェリペ2世は彼女のために舞踏会を催したり、朗読家に朗読をさせたり、共に遊んだりするなど、仲の良い夫婦だった。 メアリーは1567年9月末に彼女に宛てて、 フランスで共に育った2人の揺るぎない友情にかけて、スペインの援助を要請する。 自分が改宗するかのような話が流れているのはあくまで見せかけだけの事で、自分は決してカトリックの信仰を捨てるつもりはない。 などという内容の手紙を書き送っている。 2人の友情はお互いに嫁いでからもずっと続いていたらしく、エリザベートはダーンリー暗殺に関して、メアリーは無実であると夫に訴えていた可能性があると考えられる。 なお、エリザベートは1568年10月3日に死去している。 系譜 [ ] メアリー1世 父: 祖父: 曽祖父: 曽祖母: (デンマーク王女) 祖母: 曽祖父: 曽祖母: 母: 祖父: 曽祖父: 曽祖母: (ゲルデルン公女) 祖母: 曽祖父: 曽祖母: 参考文献 [ ]• Plaidy, Jean The Fair Devil of Scotland, Robert Hale Ltd, 1975. Weir, Alison. Mary, Queen of scots, and the Murder of Lord Darnley, UK, Pimlico, 2004, p. 640. 704. 小西章子『華麗なる二人の女王の戦い』 朝日文庫、1988年• テア・ライトナー『陰の男たち』(庄司幸恵訳、1999年、花風舎)• 『スコットランド女王メアリ』(訳、、1988年/(上下)、1995年) メアリー・ステュアートを題材とした作品 [ ] 戯曲 [ ]• 『メアリー・ステュアート』(Maria Stuarda 初演1975年)- シラー作品の自由な翻案 (訳、劇書房、1990年)• 『ウルリーケ・マリア・スチュアート』(Ulrike Maria Stuart、2006年)- メアリー・スチュアートとエリザベス1世の関係をのとになぞらえながら描いた戯曲。 小説 [ ]• 『時の旅人』(1939年)(訳、、1980年)(訳、、2000年)• 『メリー・スチュアート』(訳、新版〈ツヴァイク伝記文学コレクション5〉 、1998年)• 『わが終わりにわが始めあり 不滅の女王メリー・スチュアート』(訳、上下巻、出版会、2006年)• 『メアリー・スチュアート』(田房直子訳、、2008年) ドラマ [ ]• 『』():2004年のイギリスのドラマ。 監督、主演。 『』():2013年から放映のアメリカのドラマ。 、製作、主演。 映画 [ ]• 『』( The Execution of Mary Stuart):1895年のアメリカ映画。 の製作したサイレント映画。 『』( Mary of Scotlands):1936年のアメリカ映画。 監督、主演。 日本未公開。 『』( Mary, Queen of Scots):1971年のイギリス映画。 監督、主演。 (邦題未定):2013年のスイス・フランス映画。 監督、主演。 『』( Mary Queen of Scots):2018年のアメリカ・イギリス映画。 ジョージー・ルーク監督、メアリー役は。 音楽 [ ]• 『』():シラーの戯曲を原作とするオペラ。 「マリア・ストゥアルダ」は「メアリー・ステュアート」のイタリア語形。 初演1835年。 『』作品135:メアリー自身が書いたフランス語の詩を独訳したものに作曲された、シューマン最晩年の歌曲集。 『フォザリンゲイ』( Fotheringay):処刑まで幽閉されていたフォザリンゲイ城でのメアリー女王を題材にした曲。 漫画 [ ]• 『女王陛下の憂鬱』:「バビントン事件」を元にした陰謀劇。 たちと共にメアリー・スチュアートを合法的に処刑しようと職業スパイの主人公ギルバート・ギフォードが暗躍する。 ドキュメンタリー [ ]• 『城 王たちの物語』 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス 関連項目 [ ]• ウィキメディア・コモンズには、 に関するカテゴリがあります。

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