飯島 愛 生い立ち。 飯島愛さんの韓国批判や遺体の状況から推察される死の真相!!

飯島愛への厳しすぎた両親のしつけ…悲しい中学時代と人生を変えたリンチ事件

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坂口杏里のデビューの影響は大きく、ネット上はおろか芸能界でも波紋が広がっている。 7日、『バイキング』(フジテレビ系)では、この話題が取り上げられ、多くの出演者は困惑した表情を浮かべていたが、その中にいた 美川憲一は、業界から転身し、芸能界で活躍した飯島愛さんを例にあげ、「(出演を)思い浮かばせないくらいの活躍があったから。 そういう風に彼女(坂口)も頑張ればいい」とコメント。 だが、坂上忍は 「愛ちゃんですら言ってたじゃない、出身っていうのは。 彼女の中で消えてなかったから」と過去を払拭する難しさを指摘していた。 週刊誌等では、「借金返済」が目的として報じられているため、坂口も金策に窮して、やむなく、その道を選んだということなのだろう。 芸能界で成功した飯島愛さんですらも、自身の過去を払拭できなかったと坂上が語っているが、過去を消せない重さは間違いなくある。 「飯島さんの活躍に言及されましたが、彼女はバラエティなどで歯に衣着せぬ物言いで人気を集め、また自らのつらい過去や抱えていた心の闇をあけすけに自伝『プラトニック』(小学館)で綴り、それを乗り越え生きた姿勢が、多くの女性たちの共感を呼んでいました。 飯島さんは惜しまれつつ、亡くなりましたが、死後も多くの信奉者を集めており、それは彼女のブログに寄せられたコメントの数からもわかります。 乗り越えることができれば、彼女にとって強みとなるのは間違いないのですが…」(芸能ライター) 芸能人たちにとって、業界は近くて非なるもので、デリケートで反応しづらい領域であることは間違いない。 また世間でもよく『堕ちた』という言葉が使われるようにネガティブな印象が強いことも確かだ。 仮に 話題になるも、今までのようなバラエティなどに出演できるのは非常に難しいといえる。 今後、制作側も彼女を使いづらくなることは間違いないだろう。 そういう意味では、彼女の芸能活動はこれで終わったのでは、と考えられる。

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この記事の目次• 古田順子とは女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者 古田順子さんとは、戦後最悪の少年犯罪とも言われている「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者です。 古田順子さんが被害者となった「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は、1988年11月、当時15歳から18歳までの不良少年グループが、当時17歳だった古田順子さんを脅迫して拉致し犯人の1人の自宅自室に監禁した上、そこで約1ヶ月半にわたって暴行、虐待を加えて死に至らしめ、遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにして遺棄したという極めて凄惨な事件です。 10代の不良少年グループが同世代の10代の女子高生を凄惨な方法で殺害・遺棄した事件として当時の社会は震撼し戦後最悪の少年犯罪として現在まで語り継がれています。 今回は、この「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者・古田順子さんに焦点を当ててまとめていきます。 古田順子が被害者となった女子高生コンクリート詰め殺人事件の概要 古田順子さんについて見て行く前に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の概要を簡単に振り返っておきたいと思います。 1988年11月25日の夜、犯人の当時18歳の宮野裕史と当時15歳の湊伸治は、通行人を狙ってのひったくりや、若い女性を狙っての強姦を企み、埼玉県三郷市の路上を原付バイクに乗って徘徊していました。 そこへ偶然、アルバイト帰りの古田順子さんが自転車で通りかかります。 それを見つけた宮野裕史は、湊伸治に命じて古田順子さんの乗る自転車をバイクで接近して蹴り倒させ、自身は湊とは無関係を装い、助ける振りをして転倒した古田さんに接近「またあいつに襲われたら危ないから送る」などと騙して近場の倉庫へと連れ出します。 そこで、宮野裕史は古田順子さんを脅迫してホテルへと連れ込み強姦。 その後、宮野裕史は古田順子さんを連れたまま、先に自宅へと帰宅していた湊伸治と不良仲間の小倉譲と渡邊恭史を加えた3人と別の場所で合流し、相談してこのまま古田順子さんを返さずに湊伸治の自宅自室へと監禁する事を決めます。 その日から古田順子さんは、少年たちに代わる代わる強姦されるようになります。 この4人だけではなく、その他にも大勢の不良少年や少女(一説には100名以上とも)がこの暴行・虐待に加わったとされますが、事件発覚後に逮捕されているのは上記の4名だけです。 その後、古田順子さんは性的暴行を受けるだけにとどまらず、拷問的な暴力も受けるようになります。 顔面を拳で繰り返し殴打される、ライターのオイルをかけられ繰り返し火をつけられる、淫部に異物を挿入される、酒を無理に飲まされシンナーを吸引させられる、真冬のベランダに全裸で放置される、顔面に回し蹴りを受ける、鉄のダンベルを腹に落とされるなど、彼女に向けられる暴力は際限なくエスカレートしていきました。 こうした暴力を古田順子さんは連日にわたって受け、また、食事や水も満足に与えられずに次第に衰弱していき、1989年1月4日〜5日頃についに亡くなります。 宮野裕史ら4人は、古田順子さんの遺体をどのように捨てるかを相談し、宮野が以前読んだ劇画に死体をコンクリート詰めにして遺棄する話があったのを思い出し、その方法で遺体を捨てる事に決めます。 ドラム缶は近所にあったごみ捨て用のものを盗み、セメントと遺体を運ぶためのトラックは宮野裕史が以前の勤め先から借り受けて用意しています。 犯人達4人は、古田順子さんの遺体を膝を両手で抱え込むような格好にしてドラム缶に入れてセメントを流し込み、頭までコンクリート詰めにした上で、トラックで東京都江東区若洲の埋め立て地へと運びそこへ遺棄しています。 その後、4人は別の強姦事件で捕まって警察で取り調べを受けた際に、刑事の1人が「人を殺してはダメじゃないか」とカマをかけたところ、少年の1人が古田順子さん殺害が既にバレていると勘違いして犯行を自供、この凄惨な事件が明るみに出ます。 事件に凄惨さに社会は騒然となりますが、犯人たちは当時未成年だった事から実名を伏せられ(一部メディアは実名報道を強行)、裁判での判決も主犯の宮野裕史が懲役20年が最長という、事件の残虐性に比してあまりにも軽い印象を受けるものでした。 その後、現在までに犯人4人のうち実に3人が再犯してまたもや逮捕されており、当時の判決の甘さを批判する声が強まっています。 このように、あまりに残虐な事件の内容と犯人達の再犯率の高さから「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は現在も人々の心に深くわだかまっている事件なのです。 「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者・古田順子さんは、1971年1月18日に生まれました。 埼玉県三郷市高州町で両親と兄と弟の5人家族に育ち、兄弟仲の良い快活で明るい少女だったそうです。 古田順子さんは、地元の埼玉県三郷市立高洲小学校から埼玉県三郷市立南中学校を経て、県立八潮南高校に進学しています。 高校の教師や友人達からの評判はとても良く、当時のアイドルタレント・倉田まり子さんによく似た可愛らしい顔立ちと、165センチのスラリとしたモデルみたいだったと言われるほどのスタイルの良さに加え、性格も明るく快活で、男女問わず同級生達からの人気を集めていたそうです。 友人達の話によれば、古田順子さんはアイドルに憧れており、将来の夢としてアイドルを語った事もあったそうです。 また、高校の教頭の話によれば、学校の成績はトップクラスで、ほとんど問題は起こさず、欠席したのも3年間通じて1日か2日ほど、アルバイト先の店長は「派手な服装はせずいたって真面目な子だった」とコメントするなど、極めて周囲からの評判の良い少女でした。 また、1989年3月の高校卒業後の進路もすでに決めており、家電量販店への就職を内定させ、将来にも希望を持っていたと言います。 1989年4月2日に営まれた古田順子さんの葬儀はテレビで中継され、学校の友人達をはじめ多くの関係者が訪れ、人目もはばからずに号泣する女子生徒達の姿が映し出されていました。 このような品行方正で周囲の誰からも愛されていた少女が、凶悪な不良少年達におもちゃのように嬲られて殺害され、遺体をコンクリート詰めにされるというあまりにも理不尽で凄惨な事件に、当時の社会は震撼し、同時に人々の中には犯人の少年達への憎悪と怒りが渦巻く事になりました。 古田順子は「非行少女だった」というデマ情報を流したマスコミも 上で紹介したように、古田順子さんは極めて品行方正であり、性格も良い誰からも好かれる少女でした。 それにも関わらず、当時の一部のメディアは、古田順子さんを「非行少女だった」とのデマ情報を捏造して報道し、古田順子さんは元々加害者少年達と面識があり、あたかも不良グループの中で起こった内輪揉めかのように匂わせ、いたずらに興味を煽るように報じました。 また、古田順子さんが犯人の少年らに誘われて自らの意思でついていったと決めつけ、被害者である古田順子さんにも責任があるなどと報じたメディアもあり、さらには、少年達は家庭環境に問題があったため非行に走ってしまったなどと、まるで犯人の少年らをかばうかのような報道までもが見られました。 ここまで見てきたように、古田順子さんには一切なんの落ち度もなく、100パーセント完全なる一方的な被害者です。 ましてや古田順子さんが元から非行少女で、加害者少年達と関わりがあったなどというのは、極めて悪質なデマ情報だと言わざるを得ません。 こうした人々の興味を煽るためだけになされた当時のデマ報道は、現在でも強く批判されています。 古田順子の両親や兄弟など家族のその後は? 最愛の家族をあまりにも理不尽な形で突然に奪われた古田順子さんの家族はその後どうされているのでしょうか? 古田順子さんの母親は、娘の変わり果てた遺体を見て精神を病んでしまったといった噂が流れていますが、この情報には明確なソースがあるわけではありません。 さらに酷い噂として、両親共に事件後に絶望して精神を病み、既に自殺しているという噂までもが流れていますが、こちらもなんの根拠もないデマ情報です。 しかし、古田順子さんの両親のその後については、全くといっていいほど情報がありません。 また、古田順子さんの兄と弟のその後についてもなんの情報も出ていないようです。 「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は当時あまりにも世間から注目され、古田順子さんの家族達もマスコミに執拗に追いかけ回され世間からの好奇の目に晒されました。 しかし、古田順子さんの家族らは事件に関してほとんど何のコメントも出さず、ただひたすらにそうした状況を耐え続けていました。 こうした経緯を考えれば、両親や兄弟、家族らが悲しみとストレスで精神を病んでしまったとしても全く不思議ではありませんが、おそらく現在はどこかで静かに暮らしているはずです。 古田順子さんの家族のその後について興味本位でつつき回すのは止めておいた方が良いでしょう。 古田順子の暴行・殺害に飯島愛が関わっていたというデマも流れる 2008年12月に自宅で不審な死を遂げた元タレントの飯島愛さん。 飯島愛さんは死の2年半前、2007年3月に芸能界から引退していましたが、この突然の引退と不審な死には「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が関わっているのでは?という噂が流れています。 飯島愛さんは2006年10月、自身のブログで「女子高生コンクリート詰め殺人事件」に関与しているという噂で中傷され悩んでいるという心境を明かしてます。 これは、飯島愛さんが銀座でホステスをしていた頃の友人でノンフィクション作家としても活躍する倉地明美さんが、飯島愛さんが過去にコンクリート事件に関わっていた事を知っていて脅迫しているといった噂へとつながっていきます。 そして、飯島愛さんが人気絶頂の頃に芸能界を引退しそのわずか2年半後に不審な死を遂げたのは、このコンクリート事件の事で何者かに脅迫され、ついにその何者かに殺害されたのだという都市伝説めいた噂話が囁かれるようになります。 しかし、倉地明美さんが飯島愛さんを脅迫しているという噂については、全く別の人間が倉地明美さんの名前を語って根も葉もない中傷を行なっていたというのが真相だったようです。 したがって、飯島愛さんが「女子高生コンクリート詰め殺人事件」に関与していたという噂の証拠となる情報は一切存在しません。 この噂は、飯島愛さんが古田順子さんの遺体が遺棄された江東区の出身である事と、1972年生まれで犯人達や古田順子さんと同世代である事だけを理由に生まれた単なる妄想に過ぎないのです。 飯島愛さんの引退理由については、飯島愛さんの両親がその真相を明かしています。 「自分のようにお化粧で化けている人間は、この先テレビが進化すると素顔がバレるから、やっていけなくなる。 それより、事業をやりたい」 飯島愛さんはどうやら、自分は化粧で化けている人間だから、テレビの映像技術が進化すると素顔がバレて売れなくなってしまうと考え、それならば引退して事業をしようと考えて引退を決断されたようです。 このように飯島愛さんが古田順子さんが被害者となった「女子高生コンクリート詰め殺人事件」に関係して引退したというのは根も葉もない噂に過ぎません。 まとめ 「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者・古田順子さんについてまとめてみました。 古田順子さんは事件当時、17歳の高校3年生でした。 当時15歳から18歳までの不良少年らに拉致監禁され、そのまま1ヶ月半にわたって性的暴行や凄惨な虐待を受けた挙句殺害されました。 その後、古田順子さんの遺体は、少年らによってドラム缶に入れられコンクリート詰めにされて遺棄されます。 事件発覚当初、古田順子さんについて「非行少女だった」「少年らにノコノコ付いていった挙句殺害された」などのデマ情報が一部マスコミから報じられますが。 実際には古田順子さんは極めて品行方正で、周囲からの評判もとても良い少女で、こうしたマスコミの下劣極まりない報道姿勢に対しては現在も批判が集まっています。 さらにその後、飯島愛さんが古田順子さんの暴行や殺害に関与しているといった噂話も流されましたが、こちらに関しても根も葉もないデマ情報に過ぎませんでした。 古田順子さんが殺害された「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は、そのあまりにも陰惨な事件の内容から、こうした根も葉もない噂話が次々と浮上し、多くの人を理不尽に傷つけています。 事件の被害者である古田順子さんをはじめ、多くの人々を傷つけたこの事件を風化させないためにも、多くの人に正しくこの事件について知って欲しいと願います。

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没後9年、飯島愛さんの母親が語った「娘は外面がよかったから」

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プロフィール 本名:大久保 松恵(おおくぼ まつえ) 愛称:愛珍(あいちん) 生年月日:1972年10月31日 没年月日:2008年12月17日 没年齢:36歳 出身地 東京都江東区 死没地: 東京都渋谷区 血液型 A型 身長: 163 cm 体重: 43 kg ジャンル:タレント・セクシー女優 飯島愛さんと言えば、TBSの人気バラエティ「金曜日のスマたちへ」や情報番組「サンデージャポン」、テレビ東京系の「ギルガメッシュないと」など、様々なバラエティ番組に引っ張りだこの人気タレントでした。 セクシー女優出身ということあって、男性から絶大な人気を得ていたことはもちろんですが、その独特の可愛らしさや頭の回転の速さ、そして、誰に対しても本音で勝負する姿から、女性からも広く人気を集めていた存在でしたね。 hatena. 飯島愛さんが突然芸能界を引退した理由や、彼女の 死の真相に関しては、今なお不可解な点も多く、当時、様々な憶測がネットを中心に飛び交うことに・・・ そこで、飯島愛さんが非業の死を遂げて約10年経った今、彼女の生い立ちから芸能界デビュー、引退、そして謎の死に至る流れについて、今一度じっくりとまとめてみました。 last. それでもご両親は、せめて高校からでも東洋英和女学院へ進学して欲しいと、地元の中学ではなく、自宅からは遠い亀戸の中学校へ越境入学させたのだとか。 友達がほとんどいない中学校への越境入学という寂しい中学生生活は、当時は大人しかった飯島愛さんにとっては、想像以上に辛かったのかも知れませんね。 いつしか両親に対する不満は静かにたまっていったようです・・・ 精神的な支えだった祖父の死去で非行に・・・ そんな中、家族の中では唯一心を開いていた存在であり、 精神的な支えだった祖父が亡くなってしまうんですよね。 それは、飯島愛さんが中学1年生の秋頃のことでした。 pakutaso. 不良仲間とつるんで毎晩のようにクラブやディスコに入り浸るようになり、そのためのお金を工面するために、万引きや恐喝を繰り返していたのだとか。 中学卒業後は、一応都内の私立高校に進学した飯島愛さんですが、ほとんど通学することなく、約1ヶ月で退学してしまいます。 ホステスの源氏名「愛」でセクシー女優デビューへ その後は、ディスコで知り合った男性と同棲生活をしていた飯島愛さん。 スナックやクラブなどでホステスとして働き始めた頃に付けられたのが・・・「 愛」という源氏名だったそうです。 photo-ac. もしかすると、「松恵」と名付けた厳しい両親との決別の意味があったのかも知れませんね。 そして1992年、六本木のクラブでホステスとして働いていた頃、とある男性向けビデオ制作会社の関係者の目に留まり、スカウトされたのがきっかけで、 飯島愛さんはセクシー女優としてデビューすることになります。 そんな中、とんねるずの木梨憲武さんが、飯島愛さんの大ファンだったことから、 「とんねるずのみなさんのおかげです」に、ハプニングゲストとしてテレビに初出演を果たします。 その後は、「タモリのSUPERボキャブラ天国」や「紳助のサルでもわかるニュース」などの様々なバラエティ番組にレギュラー出演するようになります。 特に、現在も続いている「中居正広の金曜日のスマたちへ」や「サンデージャポン」などは、彼女が存分に存在感を示した番組と言えますね。 twimg. 」で歌手デビューまで果たしていたりします。 自叙伝小説で半生を赤裸々に告白!流行語大賞にも 飯島愛さんは、2000年には自身の自叙伝的小説を出版し、それまでに経験した壮絶な半生を赤裸々に綴り、ベストセラーとなります。 この小説は、後に映画化やテレビドラマ化もされ、飯島愛さんはそれ以来、「週刊朝日」にコラム『飯島愛の錦糸町風印税生活』を執筆するなど、作家活動も行っていました。 yahoo. 飯島愛さんが芸能界を引退した理由は? 本人が発表する前にリークされた形の引退報道 そんな飯島愛さんですが、2007年3月3日、まさに 突然に3月末をもって芸能界を引退するとの報道が流れ、当時大騒ぎになります。 しかし、その翌週である3月11日に同番組に出演した際には、 報道の通り3月末で芸能界を引退する旨を、飯島愛さん自ら発表することになるんですよね。 最後のサンジャポでの飯島愛さん 少し疲れたようなけだるい表情が見られるも、重病説が囁かれていただけに、いつもと変わらぬ笑顔にホッとしたものです。 いつも通り和気あいあいと番組冒頭の出演者紹介コーナーが終わり、「後ほど、(飯島愛さんの引退の)真相を含めて、色々と質問も用意しております」とのナレーションの後、CMに入るのですが・・・ その後のCMが異常に長く続くんですよね。 ようやくCMが終わったと思ったら・・・サンジャポのスタジオではなく、報道局からの放送に切り替わり、 直前に発生した北陸地方での震度6強の地震に関する報道が延々と続きました。 そして、結局そのままサンジャポの放送時間は過ぎ去り、飯島愛さんが再び画面に出てくることはありませんでした。 4月1日に放送された「飯島愛 引退ファイナルカウントダウン」 飯島愛さんの最後のテレビ生出演は、ほんの数分程度のものになってしまいました。 しかも、きちんと引退について語ったものではなく、MCである爆笑問題や他の出演者たちとの冗談半分の雑談みたいな感じで終始しちゃったんですよね。 その中で語られた引退の本当の理由と今後 これまでバラエティ番組への出演のみならず、ドラマや映画に出演したりCDデビューも果たすなど芸能界でマルチに活躍してきた飯島愛さんですが、やはり本職である芸人や女優、歌手に比べると自分には限界があると感じていたのだとか。 そして、病気で休養している間に自分の代わりはいくらでもいることを悟り、「 このまま芸能界で生き残っていくことは無理!」なんて結論に至ったようなんですよね。 その上で、自身の経験を活かして医療関係の仕事に就きたいものの、今から勉強しても手遅れなので、 カウンセリングの仕事をしたいなどと語られていました。 実際、飯島愛さんは芸能界引退後も、運営していたブログ「飯島愛のポルノ・ホスピタル」は、亡くなる直前まで更新し続けられていたようです。 飯島愛さんは渋谷区にある自宅マンション・渋谷インフォスタワーで死亡しているところを、親戚の女性により発見されました。 室内には暖房が入っており、すでに腐乱が進んでいたそうです。 ltn. com. さらに、2009年3月1日には、東京プリンスホテルで飯島愛さんの告別式が行われました。 生前に親交のあった芸能人ら約1500人が参列した中で、島田紳助さんと中山秀征さんがそれぞれ弔辞を読み上げたシーンが印象的ですね。 yahoo. その後、詳しい死因を調べるために、臓器や細胞などを調べる病理検査を行った結果、遺体発見から1ヶ月以上が経過した2009年2月初旬、警視庁渋谷署により 飯島愛さんの直接の 死因が肺炎だったことが発表されます。 ちなみに、飯島愛さんの遺体が発見された室内には、風邪薬や睡眠導入剤などの複数の薬品があったそうです。 mercari. もっとも、この「女性自身」の記事は、飯島愛さんの死を取り上げたものではなく、「母と娘で語るエイズ」という特集記事だったのですが、その中で赤枝恒雄医師は次のように述べられています。 「愛ちゃんは死後、エイズを疑われたが私自身が3回も検査したため、エイズでは絶対にない。 j-cast. エイズ予防啓発イベントでトークショーを行う赤枝恒雄氏と飯島愛さん 3回の検査結果はいずれも陰性だったことから、エイズ(HIV)への感染は無かったと結論づけていますが、逆の見方をすれば、 念のために3回も検査を重ねなければならないほど、当時の飯島愛さんの病状が深刻だったことを物語っています。 ただ、その時の飯島愛さんの様子について、赤枝恒雄医師は次のようにも語っています。 「精神的に相当追い詰められて疲弊はしていたものの、生きることに対しての熱意は失っていなかった。 「愛ちゃんは『てめぇバカャロウ!』という脅しのような耳鳴りが24時間ずっと聞こえることにも怯えていました。 私は心療内科を探して紹介したのですが、治してあげられませんでしたね・・・」 そんな幻聴のような耳鳴りに悩まされ、精神的に追い詰められていた飯島愛さんは、 普段から睡眠薬を常用していたそうです。 これによって浮上したのが、睡眠薬の過剰摂取説なんですよね。 その時は、それから3~4時間ほど放心したようにベッドの上で座ったまま過ごし、明け方の5時頃に「うん、もう大丈夫。 大丈夫だから・・・」と自分に言い聞かせるように帰って言ったそうです。 その後、飯島愛さんが変わり果てた姿で発見されたのが、それから9日後のことで、行政解剖の結果、その時には死後1週間が経過していたことがわかっています。 全身の血液を集めて 血液中にある老廃物や尿毒症物質を除去し、余分な水分とともに尿を作る働きをしています。 腎臓で作られた尿を集め、尿管へ送る部分を腎盂と呼びます。 その腎臓でバイ菌が増殖し、炎症が起こることが腎盂腎炎です。 saiseikai. 実際、報道の初期段階で、飯島愛さんの遺体を検査キットで調べた結果、違法薬物の陽性反応が出たという誤報が流れたようですが、実際には、 血液や毛髪のDNA鑑定では、違法薬物の反応は一切でなかったようです。 具体的には次の通りです。 infoseek. minnanokaigo. 飯島のような36歳の女性が肺炎で死亡するのは非常に珍しいケースだ。 だが、 ストレス過剰で精神的に追い詰められ、規則的な食事をせず、低栄養の状態に陥り、免疫力が著しく低下すれば、間質性肺炎(肺胞と毛細血管を取り囲む間質に発症する肺炎)が悪化し、死に至る場合がある。 また、うつが免疫力の低下を招くリスクが強いことから、飯島は免疫力の衰退、ホメオスタシス(生体恒常性)の崩壊の事態に陥っていた可能性はあるとしている。 infoseek. 今回はそんな飯島愛さんの突然の引退の理由と、早すぎる死の真相、そして様々な憶測が飛び交った死因についてまとめてみました。 yahoo. しかし、しっかりと調べてみたところ、あまりに根拠が薄かったことから、今回は彼女の名誉のために一切触れないことにしました。 飯島愛さんが亡くなって約10年。 今はただただご冥福をお祈りするばかりです。

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