ジャーニー セパレイト ウェイズ 歌詞。 ディスコグラフィ

戸松遥 セパレイト・ウェイズ 歌詞

ジャーニー セパレイト ウェイズ 歌詞

ムービーって奥が深いですね。 時々、お仕事で撮影のための絵コンテを書いたりする機会があるのですが、テンポとか表現とか、想像してたのと実際はイメージが少し違ってしまい苦戦します。 面白いもの、カッコイイもの、斬新なもの。 計算して作れる才能って本当すごいと思います。 たとえば、これは数々のカッコイイPVを監督している有名なゴドレイ&クレームの手によるもの。 80年代にミュージックビデオをアホみたいに見まくっていた私から見ると「えっ!これも彼らー!?」と思うぐらい本当にたくさんカッコイイものを作っています。 Asia - "Heat Of The Moment" 今見るとアタック25か?と思うPVも1982年当時は超斬新だったのです。 たぶん。 でもカッコイイもの、素敵なものが、人々の印象に残って人気があるかっていうとそうでもないのかもしれません。 皆様、アメリカのロックバンド、の 「セパレイト・ウェイズ」(1983年リリース)という曲をご存じでしょうか。 ご存知でない方も、今年のワールドベースボールクラシックのTV中継でしつこいぐらい流れていたので聞いたことがあるかもです。 ジャケットからいきなり「スーパー・エナジーが勝負を決めた」。 こういう世界観好きすぎる。 で、なぜこの曲かっていいますと… 本人たちはすごく真面目なんですけど… 歌詞もまあ普通のラブ・ソングなんですけど… ビッグなバンドなのにPVが変なんです。 お時間のあるとき、心が落ち込んだときにぜひご覧ください。 出だし5秒で、もう何かが違う気がしてならない… 最初に見た時、笑いすぎて最後まで見られませんでした。 アングルがいちいち可笑しいんです。 これは絶対笑わそうとしているに違いない。 でもプロのお仕事なんだからこれはきっとステキなんだ!かっこいいんだ!芸術を理解しない私がバカなんだと言い聞かせていたんですが… どうもこのPVが気になる人は、世界にいっぱいいらっしゃるようでして。 「恋するフォーチュンクッキー」よろしく、オリジナルパロディPVがYoutubeにたくさん上がっているのでちょっと勝手にご紹介してみようと思います。 まずは右下にオリジナルが表示されている分かりやすい初心者向けバージョン。 編集の芸が細かい! Journey Separate Ways Remake with Original Journey - Separate Ways Worlds Apart Remake Sex Hair - Separate Ways Journey Parody 服といい楽器といい、皆さん頑張って再現してます!パチパチパチパチ。 スティーブ・ペリー(Vo)の市松模様のTシャツはマストアイテムだとわかりますね!どこに売ってるんでしょう。 ちょっぴり欲しくなってきたじゃないかー!(笑) もちろん、中には、ちょっとクオリティ微妙なのもありました。 Separate Ways by Journey HD いきなり丸~いスティーブ・ペリー(Vo)役。 もう少し…なんとかしてほしい。 このバンドはスティーブ・ペリー氏が辞めた後、次のボーカルさんをYoutubeで発掘して決めたんですよ!絶対見てますよ!怒られますよ!w Journey - Separate Ways parody なんかキーボード違うし。 女の人がなんかおかしいし。 たくさん見て書いているうちに「ああ、みんなもうちょっと違うことに時間使ったらいいのに…」と思えてきました。 でもバカなことって大事ですよね。 さて、ではお仕事がんばろうと思います。。

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心に残る名曲 No.11 『セパレイト・ウェイズ』 ジャーニー : 坂の上のサインボード

ジャーニー セパレイト ウェイズ 歌詞

2013年のグループショット 基本情報 出身地 ジャンル 活動期間 - 現在 レーベル メンバー (ギター) (キーボード) (ベース) (ボーカル) (ドラム) 旧メンバー プレイリー・プリンス(ドラム) ジョージ・ティックナー(2ndギター) (ドラム) ロバート・フライシュマン(ボーカル) (キーボード) (ボーカル) (ボーカル) (ボーカル) (ドラム) ( 以下サポートメンバー) ボブ・グラウブ(ベース) (ベース) ラリー・ロンディン(ドラム) (ドラム) ジャーニー Journey は、の・。 にで結成され、メンバー交代や解散、再結成などを経て、音楽性を変えながら活動。 また、中期から隆盛した「」の代表的なバンドとしても知られる。 概要 [ ] ・バンドに参加していたとを中心として、にで結成。 数々のプラチナ・ディスクやゴールド・ディスクを獲得した。 特に1980年代初頭、や、らと並び人気を得た。 2005年01月21日に に手形と名前を刻んだ。 来歴 [ ] デビュー以前 [ ] 1972年の『』発表後のサンタナが音楽性の変革やの宗教問題からメンバー離散を起こし、ギタリストのニール・ショーンを当時のサンタナのロード・マネージャーだったハービー・ハーバートがサポートしようと画策。 若手のグレッグ・エリコ(ドラム)、ピート・シアーズ(ベース)とのトリオ「ハッピー・バースデー」を結成するも、実質的活動がほぼないまま空中分解。 ほかのメンバーは、ジョージ・ティックナー(ギター)、ロス・ヴァロリー(ベース)、プレイリー・プリンス(ドラム)である。 デビューにあたっては、コンサートのフリーパスを懸賞としたバンド名公募が地元のラジオ局によって行われたが、ここではまともなアイディアが得られず、結果的にはスタッフの提案によって「ジャーニー」をバンド名とした。 翌にデビュー作『』を発表。 セカンド・アルバム『』のリリース前にティックナーが脱退し、このアルバムと次作『』ではショーン、ローリー、ヴァロリー、そしてダンバーの4人編成となる。 この当時のジャーニーは「主体の」という位置付けにあったが、商業的には振るわず、補強のためロバート・フライシュマンがバンド初の専任ボーカリストとして6月から加入。 ニュー・アルバムのための曲作りに参加しつつツアーに臨むも約3か月後のツアー中に解雇され、ほどなく二代目専任ヴォーカリストとしてが加入。 フライシュマンの解雇とペリーの加入は、当時のマネージャーであったハービー・ハーバート(かつてにロードクルーとして参加していた彼が「ショーンを中心としたバンドを作ろう」と思い立ったことがジャーニー結成のそもそもの発端であった)の戦略的判断によるものであったと言われている。 スティーヴ・ペリーの加入により、バンドの方向性はそれまでにない劇的な変化を遂げることとなる。 ペリーの加入とヒット量産 [ ] スティーヴ・ペリーはジャーニーに加入する直前まではというバンドに参加していたが、メジャー・デビューのための契約を間近に控えた1977年の夏にベーシストを交通事故で失い、エイリアン・プロジェクトとしてのメジャー・デビューの話は白紙となった(ペリー曰く「バンドは急いで彼の代わりを捜したんだけど、僕にとっては彼無しではもう以前と同じようなバンド活動は続けられなくなってしまった」)。 エイリアン・プロジェクトとしての活動が停止した後、ペリーは故郷に戻ってしばらく農場で働いていたが、実はその間にエイリアン・プロジェクトのデモ・テープが業界関係者を通じてハービー・ハーバートのもとに届いていた。 それを聴いたハーバートは、その可能性を高く評価しペリーをジャーニーへ加入させた(加入当初のペリーはハーバートの計らいからか、「ツアースタッフの親戚」という触れ込みでツアースタッフも兼務していたとされる)。 、4作目のアルバム『』では前作までのプログレッシヴ系ロックバンドとしての作風も維持しつつ、それと伸びの良いヴォーカル・パートを生かした躍動感ある楽曲との和合が特色となり、その後のバンドの方向性を明確に示す。 このアルバムは全米21位のヒットとなり、初のシングル・ヒット曲を獲得(「ホィール・イン・ザ・スカイ」)すると共にを初めて獲得した。 ジャズの流れを汲む彼の演奏はハードロック的でポップな作風へとシフトしつつあったバンドの志向と合致し、作の『』アルバムでは全米チャート20位、続く作の『』では8位と更に勢いを増し、その中で歴代の代表曲となる「ラヴィン・タッチン・スクィーズィン」や「」などのシングル・ヒットも記録。 バンドはそれまで通りライヴ・ツアー主体の活動を続けつつ、より広範な聴衆と人気を獲得してゆくこととなる。 また、前述『ディパーチャー』アルバムと同年にが監督を務めた映画「」のも手がけた。 その後、結成メンバーの一人であったグレッグ・ローリーが心労などの理由から脱退し、オリジナルメンバーはショーンとヴァロリーの2人だけとなる。 ローリーは後任のキーボーディストとして当時ジャーニーの前座を務めていたのジョナサン・ケインを推薦した。 ケイン自身はこの時すでにベイビーズの主要メンバーであった自らの責任とジャーニーでの可能性との狭間で苦悩したが、最終的にジャーニーを選んだ。 世代であるケインはメロディックな曲を書くソングライターとしての素質も持っており、ジャーニーの楽曲に幅広いレパートリーを与えた。 また演奏面でもブルージーで官能的なグレッグとは全く異なる爽快なサウンドをジャーニーの楽曲に加味した。 ギターも演奏できたケインはショーンの手ほどきでギタリストとしても才能を現し、ライヴにおいては時としてショーンをサポートする「もうひとりのギタリスト」として演奏するなど斬新な印象をバンドの作風に盛り込んだ。 人気バンド [ ] ニール・ショーン(ギター)、スティーヴ・ペリー(ボーカル)、ロス・ヴァロリー(ベース)、スティーヴ・スミス(ドラム)、ジョナサン・ケイン(キーボード)の5人体制となった。 ヒット作となるアルバムがリリースされたのもこの時期である。 に発表されたアルバム『』は、全米1位を獲得。 からに昇格したケヴィン・エルソン(このアルバムの前作である『(原題:Caputured)』ではプロデュースを担当)とコンビを組んだ後に名プロデューサーと讚されるようになる(のプロデュースで一躍名を馳せたの愛弟子で、自らもクイーンの多くのアルバムでレコーディング・エンジニアを担当していた)、この2人の「生で演奏している音の雰囲気を殺さず音盤にする」力量が、レコード(当時)にはなかなか収め切れなかったライブ・バンドだったジャーニーの魅力を遺漏無く封じ込めることに成功したのも、彼らの出世を大きく後押ししたことは特記しておく必要があると思われる。 なお、後にマイク・ストーンは、ジャーニーとの仕事で培ったレコーディングのノウハウをより洗練させの成功に大きく貢献した。 金銭的に余裕が出来たからか、ニール・ショーンがとのものを皮切りに独自のプロジェクトを立ち上げる。 ちなみに、バンドの作品中日本で最も有名なバラードの一つである「オープン・アームズ」もこのアルバムに収録されているが、この曲はジョナサンが時代に書き起こしたものの、当時のバンドのボーカリストであるの反対に遭い陽の目を見ることのなかったものだ。 シングルでジャーニー最高位ので全米2位、、、では全米1位、そしてのちにの手になるのリバイバル・ヒットと、記録的な一曲になった。 続くの『』も全米9週連続2位のメガヒットに輝く。 『フロンティアーズ』は『エスケイプ』の幻想的な作風からバラードのヒット曲路線を継承しつつも、よりハードロック志向の強い曲も収録し、バンドの強い個性が出ている1枚となった。 ちなみに当時の1位は前後37週にわたって居座ったの『』である。 ペリーのソロ [ ] この後、スティーヴ・ペリーは自身初のソロアルバム『ストリート・トーク』を発表し、さらににソロ・ミュージシャンとして参加。 そしてニール・ショーンもまたソロ・プロジェクトの一環としてとの合作によるアルバムを発表。 メンバー同士の不仲説が囁かれる中、再びジャーニーとしての活動に戻って次のアルバム『』の制作が始まった時、ロス・ヴァロリーは参加せず、スティーヴ・スミスも一部の楽曲のみの参加であった。 スミスは『エスケイプ』発表当時から自身の・プロジェクト "Vital Information" を開始しており、ジャーニーでの成功によって金銭面の心配が無くなったのも手伝い、いわく「本腰を入れて取り組みたかった」というジャズに没頭すべくジャーニーを脱退したと言われている(この当時子供が出来たためツアーに出たくなくなったのも脱退の理由だとスミスが後年語っている)。 そしてにリリースされたニュー・アルバム『Raised On Radio〜時を駆けて』ではスティーヴ・ペリー、ニール・ショーン、そしてジョナサン・ケインの3人だけが正式メンバーとしてクレジットされており、アルバム制作およびライヴ・ツアーにおいてはオーディション等を経て起用された臨時メンバー(詳細は後述「サポート・メンバー」の項を参照)が参加していた。 このアルバムは過去最多となる5曲のヒット・シングルを生んだ。 後年のライヴでも代表曲のひとつとして演奏されることが多い「トゥ・ユアセルフ Be good to yourself 」はこのアルバムが初出である。 その他、ラジオによって育まれたというメンバーそれぞれの音楽心をアルバムのテーマとしていたことから、従来にない試みとしてを導入した楽曲(2曲目の『ポジティヴ・タッチ』) なども含まれていた。 『Raised On Radio』アルバムは最終的には全米チャートの4位まで浮上するが、この年のライヴ・ツアーはスティーヴ・ペリーが心労を理由にリタイアを申し出たことにより約4か月で終了し、バンドとしての活動もまた休止状態に陥ってしまう。 また、日本でも洋楽アルバムチャートで1986年6月9日付から4週連続1位を獲得した。 復活とペリー脱退 [ ] 前作『Raised On Radio〜時を駆けて』のリリースから10年後の、スティーヴ・ペリー、ニール・ショーン、ジョナサン・ケインの3人にロス・ヴァロリーとスティーヴ・スミスの2人を再び迎えた1983年当時のバンド・ラインナップによって、ジャーニーは新たなアルバム『』を発表。 オリジナル・アルバム10作目にあたるこの作品は、最高3位の実績を残した。 『トライアル・バイ・ファイアー』は全米アルバムチャートで3位に達するヒット作となったが、スティーヴ・ペリーの体調の不備を理由に再結成メンバーによるツアーは行われなかった。 にはライヴ盤『』を出すも、同時にスティーヴ・ペリーの正式脱退が伝えられた(経緯については後述「過去在籍したメンバー」の項を参照)。 その後、再びジャズ・ミュージックに専念したいという理由によってスティーヴ・スミスもまたバンドを離れることとなり、ジャーニーは新メンバーとして(ボーカル)と(ドラム)を加え再スタートを切る。 再始動後 [ ] 再始動後のグループショット 2002年5月 新たなるメンバーを擁したジャーニーは秋にアルバム『』を発表。 1980年代初頭におけるいわゆる「黄金時代」を彷彿させる幾多の楽曲が収められたこのアルバムは当初日本で先行リリースされ、次いで本国アメリカでも翌春に発売されたが、ビルボード・アルバムチャートでは56位と伸び悩んだ。 売り上げが伸びなかった原因の一つとしてファイル共有ソフトによる楽曲流出がある。 春、ジャーニーはデビュー以来その関係を保っていたとの契約を解消し、80年代風ロックアーティスト専門のであるの【フロンティアーズ・レコード】に移籍してオンライン・マーケットでの作品流通を開始した(これに伴い、日本におけるジャーニーのアルバムの発売元はとなっている)。 同年8月、移行後初のアルバム『』を発表。 、日本映画『』の主題歌として「オープン・アームズ」が採用されたことを受け、ソニー・ミュージックは既出のアルバム「」をリニューアルした。 そして同年秋、ジャーニーは3年ぶりに日本でのライヴ・ツアーを行った。 この年の来日ツアーにおいて、ジャーニーは往年のヒット曲のみならず長年ライヴ向けにプレイし続けてきたナンバーもステージ・セットに多数取り入れ、かつメンバー全員がそれぞれリード・ボーカルを受け持ちつつ演奏を繰り広げるという、従来の慣習にとらわれないライヴ・パフォーマンスを披露した。 1月にはへの殿堂入りを果たした。 その際に開かれたイベントには歴代メンバーのほとんどが出席した。 同年8月、前作『レッド13』から5年ぶりにニュー・アルバム『』を発表。 このアルバムには2004年の日本公演さながらにメンバー全員がそれぞれリード・ヴォーカルを担当する「持ち曲」が設けられていた。 特定のフロントマンに依存せずメンバー全員で楽曲そのものをアピールしてゆくという、これまでバンドが培ってきた特性と人気を継承しつつも「往年の人気バンド」という位置に留まるまいとする姿勢が見受けられる。 しかしながら、セールス的にも全米170位と振るわなかった。 一方、日本では「ADLIBアウォード」や「ミュージックアワード」など各賞の洋楽ロック部門を受賞した。 のツアー中に、喉の感染症を治療するためにスティーヴ・オージェリーがバンドを離れることとなり、代理のリード・ボーカリストとしてが参加。 同年末、ジェフは脱退したオージェリーに代わって正式メンバーへ昇格したことが発表されるも、翌2007年6月に脱退。 ジャーニーは、公式ウェブサイトを通じて年内の活動休止をアナウンスする。 再出発 [ ] アーネル・ピネダ加入後のグループショット 2008年9月 12月5日、ジャーニーは人シンガーの Arnel Pineda をリード・ボーカリストに迎えたことを公式ウェブサイトで発表し、このラインナップですぐさまアルバム『』のレコーディングを行った。 プロデュースとエンジニアリング、ミキシングを再結成後2枚のアルバム(『Trial By Fire』と『Arrival』)を手がけたが再び担当したこの新アルバムは、新曲10曲に加えて前作『Generations』に収録されていた「フェイス・イン・ザ・ハートランド」をピネダを迎えて再演したテイクを含むディスク1と、スティーヴ・ペリー在籍時代のヒット曲・人気曲11曲の現メンバーによる再録で構成されたディスク2との2枚組となった(US盤にはさらに最新ライヴDVD1枚が付属する3枚組構成)。 2008年6月3日にネット予約先行、同4日に米店舗、同9日に欧州および全米で発売された。 セールス的には発売1週間で世界計10万4000枚(バンド発表)を売り上げる久々のヒットとなり、Billboard Top 200でも初登場5位、同Top Internet Album2位、同Top Independent Album1位 などを獲得した。 日本でも6月にオリコン週間洋楽チャートにて輸入盤のみながら28位を記録したのを皮切りに、日本盤の正式発表以前から一部外資系レコード店にて輸入盤が好調な売れ行きを示した。 また、10月8日に発売された日本盤ではUS版ボーナストラック"Let it take you back"に代わって「ザ・プレイス・イン・ユア・ハート」(『Generations』収録曲)の再演版が収録されている。 バンドは、とともに全米各都市を精力的にツアーを終え( (英語)、2009年3月9日から東京、名古屋 11日 、大阪 12日 を回る日本ツアーを開始。 3月9日の・ホールAをソールドアウトさせた。 2011年5月24日スタジオアルバムとしては14作目にあたる『 ECL1P53 』をリリースしBillboard Top 200において初登場13位を記録した。 2015年6月14日、ドラマーのディーン・カストロノヴォがの容疑で逮捕される。 その後保釈されたが、禁止されていた相手との接触を繰り返し暴行に及んだとして保釈が取り消され、収監されたことにより、ディーンの解雇が正式に決定した。 これにより、同年8月3日までのツアーの残りのアメリカ国内及びカナダでの公演分では、が代役を務めた。 その後、2015年11月26日、5月から始める北米ツアーでは、1998年に脱退したスティーヴ・スミスがゲストで参加。 引き続きのツアーも帯同し、同年来日公演を開催。 その他 [ ]• での戦では、8回の時点でサンフランシスコ・ジャイアンツがリードしているときには、負けているときにはが流れる。 ジャーニーをフィーチャーしたが2本作られている。 にデータ・エイジが用に製作した『 ()』、およびにがとして製作した『 ()』で、後述の方はジャーニーのメンバーの顔写真を取り込んだキャラを操作する。 メンバー [ ] 結成当時のメンバーには横にUを、『エスケイプ』発表当時のメンバーにはEをつけた。 また、数字は在籍した期間を表す。 2017年時点での現メンバー [ ]• Neal Joseph Schon - 、、() 1973年- :(U、E) 近郊の生まれ。 バンド創設以来の中心的メンバー。 やの楽曲との出会いから、5歳で楽器を弾き始める。 彼自身の談によると、最も影響を受けたアーティストはやはり少年時代に知った 、 、そして である。 10代でのメンバーに抜擢、バンドが分裂するまでの1年間ギターをプレーした。 ソロやセッションでの活動は多岐に渡り、加入以前のらと"H. (ヘイガー、ショーン、アローソン、シュリーブ)"というプロジェクトを組む(1984年)、 Bad English; 、ハードライン Hardline; の結成、ジェフ・スコット・ソート Vo. 、 B 、ディーン・カストロノヴォ Ds. ソロでも『Late Night』『Beyond The Thunder』などを発表。 様々なジャンルの人気曲をギターによるインストゥルメンタル曲としてカヴァーしたアルバム『』(2001年)はグラミー賞にノミネートされた。 また、元ののソロ・アルバムに元のらと参加している。 この2人とは近年公私を越えて仲が良く(ショウとブレイズの2人は90年代にもやとして活躍)、のジャーニーのアルバム『ジェネレーションズ』では逆にブレイズが曲作りに参加してアルバム中最も80年代ロック的なハイテンションの楽曲となった。 ロス・ヴァロリー Ross Lamont Valory - 、バッキングボーカル 1973年-1984年、1996年- :(U、E) サンフランシスコ生まれ。 ショーンの旧友で、ショーンと共に結成時のメンバー。 16歳でのちのサイケデリック・バンド"フラミアス・バンダースナッチ"の前身、"ミスティークス(Mystiques)"を立ち上げ、ほかに・バンドにも在籍した。 彼はとして知られ、歌、ピアノ、ギター、ドラム、そしてが演奏できる。 結成以来ベーシストとしてのプレイおよびリズムギター、バックボーカルに専念していたが、2005年発表のアルバム『ジェネレーションズ』では初のリード・ヴォーカル曲「ゴーン・クレイジー」を披露した。 のアルバム『』のレコーディングにも参加している。 彼は変顔が大好きで、ライヴ中いつもおどけた表情をする。 (英語)• ジョナサン・ケイン Jonathan Leonard Cain - 、、バッキング・ボーカル 1980年- :(E) 、生まれ。 8歳からアコーディオンのレッスンを始め、やパーティーでやを演奏していた。 ジャーニー以前にはイギリスのベイビーズというバンドに参加していたが、バンドがジャーニーの全米ツアーの前座を務めたのをきっかけにメンバーに一目置かれ抜擢。 このバンドはケインの脱退後、解散してしまうが、元ヴォーカルのジョン・ウェイトとはバッド・イングリッシュで再共演(これにはニールも当初参加。 また後にジャーニーのメンバーになるディーン・カストロノヴォも参加しており、現ジャーニーに繋がる伏線として重要)。 「オープン・アームズ」をアダルト・コンテンポラリー風にアレンジしたセルフ・カバーなどソロでも活動。 また"エスケイプ・メンバー"ではショーンと共にジャーニー加入以来一度も脱退せずに今日まで至る。 作曲活動にも積極的に参加し、アルバム『ジェネレーションズ』ではタイトル曲「エブリー・ジェネレーション」と日本盤ボーナストラック「プライド・オブ・ザ・ファミリー」の2曲を歌唱。 他にもジャーニー参加当時からニールに習い始めこの当時にはかなりの腕前になっていたギター、ハーモニカを演奏している。 ちなみにギターは1981年のエスケイプツアーでも一部の曲で披露していて、ジョナサンがリズムギターを弾く間スティーヴ・ペリーがピアノを叩くなどのパフォーマンスもみられた。 サミー・ヘイガーとも共演している。 (英語)• フィリピンでプロミュージシャンとして活動。 15歳からバンド活動をはじめ、1999年にソロ・アルバム『Arnel Pineda』、2007年にはロックバンド『The Zoo』名義で『Zoology』をリリースしている。 に投稿されたThe Zooによるジャーニーのカヴァーをニール・ショーンが偶然視聴したことがきっかけとなり加入に至る。 1988年に「WORLD BAND EXPLOSION世界大会」出場のため来日している。 Steve Smith - 、パーカッション 1979年—1984年、1996年—1999年、2015年- :(E) 「鉄壁の職人ドラマー」(当時「Steve Machine-gun Smith」とライブではよく紹介されていた)と呼ばれ、『エヴォリューション』以降のバンドの絶頂期に活躍。 再結成時『トライアル・バイ・ファイアー』のジャケット裏面写真でメンバー中唯一スキンヘッドにしていたことでも話題を浴びた(黄金期のジャーニーで活動していた頃はロング・ヘアであった)。 他のバンドでの活動履歴も多い。 ジャーニー脱退前から活動を始めていたヴァイタル・インフォメーションの活動、のバンド、のバンドなどにも参加。 他に多くのジャズ・セッションにもクレジットされている。 やなど、ポップス・シンガーの曲にもセッション・ミュージシャンとして数多く参加している。 に、バンド及びニール・ショーン、そしてスミス本人の及びで、2016年からジャーニーのツアーに参加することが公式に発表された。 これがディーン・カストロノヴォの解雇を受けての正式な復帰か、一時的なツアーへの参加に留まるかは発表時点では明らかになっていない。 過去在籍したメンバー [ ]• Steve Perry - リードボーカル 1977年—1986年、1996年—1998年 歴代ボーカル担当の中でも、ひときわ存在感あふれるボーカリストであったことは、バンドメンバーの誰もが認めている。 その常に安定した音程と極めて幅の広い声域は、スタジアム・ロック・バンドが大勢の観衆に歌声を伝えるのに、ぴったりだった。 在籍中は作詞・作曲のほとんどに参加し、ジャーニーをヒット連発の黄金時代へと導いた。 在籍約10年の後、1986年に発表したアルバム『レイズド・オン・レイディオ』のライヴツアーの途中で、ペリーは心労を理由に突然ジャーニーを脱退する。 に育ったペリーは母と深い絆で結ばれており、その母を失ったことが非常に大きなショックだったという。 それからまた10年、1996年にリリースした再結成アルバム『トライアル・バイ・ファイアー』でペリーは一時ジャーニーに復帰する。 このアルバムは大成功となり、カムバックツアーも組まれて、再結成ジャーニーの前途は洋々に見えたが、ペリーはほどなく健康上の理由からツアーの中断と延期を申し出る。 ペリーはオフ中でをしていた際にを負傷、これが歩くこともままならないほどに悪化しており、検査の結果彼は退行性骨関節疾患を患っていることが判明。 ペリーは人工股関節置換手術 の必要に迫られたが、なかなかその決断ができず、かといってその体ではツアーを再開してもステージに立つことすらおぼつかないというジレンマのなかで時間だけが浪費されていった。 一方ジャーニーの他のメンバーたちは、カムバックツアーがいよいよ調子に乗り始めていた矢先にバンドの「顔」が引き籠ってしまうという事態に業を煮やしていた。 ツアーの度重なる延期を1年半にもわたって訴え続けたペリーに対し、結局他のメンバーたちは、早急に手術を受けて体を直すか、さもなければ代替ボーカルを探すことに同意するか、という同然の二者択一を迫った。 「俺は今後の人生を左右しかねない重大な健康問題に直面して苦悩しているというのに、他のメンバーたちにとってはそんなことよりもバンドの興行収入を確保することを優先するのか」というペリーの怒りと落胆が、彼にジャーニーとの決別を決意させる決定的な理由になった。 そして、脱退後は実に7年間の長きにわたって公の場には一切姿を見せず、ほとんど失踪に近い状態にあったことからも、当時の彼の失望と挫折がいかに深い心の傷となったのかが窺える。 なおペリーはジャーニーを脱退した後になってやっと人工股関節置換手術に臨んだ。 手術は成功し、こちらの傷の方は順調に癒え、ほどなく何の障害もなく歩行やジョギングができるまでに回復している。 現在、表立った音楽活動はほとんど行っておらず、時折近郊で小さなライブを行っている程度で、自身のアルバムのリリースの予定もまったく無い状況にあったが、に約25年振りとなるソロアルバム『トレイシズ』をリリースした。 ジャーニー脱退とほぼ同時にに移籍し、同グループを一時ハードロック化する戦略に貢献。 自身でもエインズレー・ダンバーズ・リテリエーションやエインズレー・ダンバーズ・ブルー・ホエールといったバンドを組織している。 余談だが、ブルー・ホエール時代に存続の危機にあったのを勧誘したら逆に「君がクリムゾンに入ってくれよ」と返されてしまったという逸話もある。 また元のの最大のヒットアルバムとなる『』では、レコーディングのみとは言え往年のパワフルなドラムを披露している。 近年ではのに参加したり、2000年からは復活したに参加。 2枚のアルバムでドラムを担当した。 ジェファーソン時代のヴォーカリストの次期アルバムにらと参加している。 グレッグ・ローリー Greg Rolie - キーボード、ハーモニカ、ボーカル 1973年—1981年 ショーンと同じくサンタナ出身のメンバー。 サンタナからはショーンの一足先に脱退してレストランを経営していたが、ジャーニー結成にあたって再度合流した第1期メンバーの中核。 サンタナ在籍時のパートとほぼ同様、ジャーニーでもキーボードに加えてと、そして一部の曲ではリード・ヴォーカルも担当していた。 スティーヴ・ペリー加入後は、各アルバムで1〜2曲ずつペリーとのデュエット形式でヴォーカルを担当していた。 なお、ジャーニー脱退後にロス・ヴァロリーとスティーヴ・スミスと組み、ザ・ストームというバンドを結成したこともある。 ロバート・フライシュマン Robert Fleischman - リードボーカル 1977年 今日知られるヒット曲のひとつ「ホイール・イン・ザ・スカイ」で作曲に参加。 上述の通り初代専任ボーカリストとして約3か月ほど公演したが、実質的にはゲスト・ボーカリストという見方もある。 86年には元のギタリストのバンドVinnie Vincent Invasion に参加。 ハイトーンボーカルを聴かせている。 ジョージ・ティックナー George Tickner - リズムギター 1973年—1975年 ファーストアルバムとそのツアーに参加後、セカンドアルバム制作前に脱退(疲労、そして進学のためとの説がある)。 なお、サード・アルバム『ネクスト』では作曲者として参加。 プレイリー・プリンス Prarie Prince - ドラム、パーカッション 1973年—1974年 結成時のメンバーだが、レコード・デビュー以前に脱退している『レイズド・オン・レイディオ』にジャケット画(カバー・イラスト)担当として参加。 の再結成にも参加、トッド・ラングレンのレコーディング、ツアーにも参加している。 Steve Augeri - リードボーカル 1998年—2006年 1959年1月30日、生まれ。 元タイケット、元トール・ストーリーズ。 メンバーによるオーディションで選ばれた。 ジャーニー参加直前は一時音楽活動を停止し、ニューヨークのの店員として働いていたという。 前任のスティーヴ・ペリーに似ているという評判の声質で黄金時代のファンも取り込みバンドの長寿化を促す一翼を担ったが、上述の通り2006年のツアー中に喉の感染症を患ったため離脱し、そのまま脱退した。 その後はしばらく療養に専念し、トール・ストーリーズを再結成する等音楽活動を再開している。 Jeff Scot Soto - リードボーカル 2006年—2007年 ジャーニーの2006年のとの合同ツアー途中に、喉の感染症を治療するため一時バンドを離れたスティーヴ・オージェリーの代理として参加。 同年12月より正式にバンド加入。 やで活躍。 ニール・ショーンともソウル・サーカスで共演歴があり、長年のジャーニー・ファンであると公言しているほか、ソロアルバムでジャーニーのヒット曲「Send Her My Love」をカヴァーしたこともある。 しかし、他のメンバーとの確執が原因で、レコーディングには参加しないまま事実上の解雇となった。 ディーン・カストロノヴォ Deen Castronovo - ドラム、バッキング・ボーカル 2000年-2015年 生まれ。 正規メンバーとしては4代目のドラマー。 元々バンドからプロのキャリアをスタートさせていることもあり攻撃的な演奏が特徴。 5歳の頃からドラムの探求を始め、13歳でジャーニーの『』の全曲をコピーした。 ディーンは最も影響を受けたアーティストとしてスティーブ・スミス、ニール・パート、およびテリー・ボジオの名を挙げる。 「ハイ・パフォーマンス・ドラム」というドラムの教則ビデオもリリースしている。 ニール・ショーンとジョナサン・ケインらがに結成した"バッド・イングリッシュ"と、その後ショーンが結成した"ハードライン"の両バンドに参加しており、バンドの主要メンバーとは加入前から既知の間柄であった。 また、彼のボーカリストとしての才能はドラムの技能と同様に印象的で(声質もスティーヴ・ペリーと非常に似ている)、過去のヒット曲の一部を自らリード・ボーカルとしてドラムを叩きながらライヴで披露している他、アルバム『ジェネレーションズ』では2曲でメインのヴォーカルを担当していた(3曲目の「ベター・ライフ」とラスト・トラックの「ネヴァー・トゥー・レイト」)。 ジャーニー以外のバンドでは、やとも組んだことがある(ポール・ロジャースとの演奏においてはニール・ショーンも参加し、来日公演を行ったこともある)。 ちなみに、バッド・イングリッシュやオジー・オズボーン在籍当時は名前のカナ表記が「ディーン・カストロノヴ ァ」となっていた。 2015年6月にの容疑での逮捕により、保護観察処分の判決を受けた、開催中のツアー参加が不可能とされたため、バンド側はをディーンの代役に迎えてツアーを敢行した。 その処遇については公表されていないものの付で事実上の解雇状態となっている。 サポート・メンバー [ ] スティーヴ・ペリー(リード・ボーカル)、ニール・ショーン(ギター、ボーカル)、そしてジョナサン・ケイン(キーボード、ボーカル)という3人編成で発表した『Raised On Radio〜時を駆けて』(1986年)ではベースに2人、ドラムに1人、さらに同アルバムに伴うツアーでドラムが1人サポート・メンバーとなっている。 またメンバーの体調などの問題で参加するケースもある。 ボブ・グラウブ Bob Glaub - ベース 同アルバム中4曲を担当した。 やほかののアーティストの多数のアルバムやのサード・アルバムなどにも参加しているセッションのベテラン。 Randy Jackson - ベース 同アルバム中8曲とツアーでプレイした。 プロデューサーとしても活躍するサンフランシスコ・ベイエリアの音楽シーンの重鎮。 後にUSAレコードのとなり、現在 [ ]は米フォックス・チャンネルの人気番組で、ミュージシャン発掘を目的とした番組である『』の審査員としても有名である。 元のサム・ムーアの2006年のアルバムのプロデュースも務めた。 ラリー・ロンディン Larry Londin - ドラム アルバムのレコーディングでプレイしたが、ツアーには参加せず。 基本的にはカントリー畑のドラマーで、やなどとのセッションでも活躍したベテラン。 1992年に死去(48歳)。 Mike Baird - ドラム オーディションを経て、臨時メンバーとしてツアーに参加。 アルバム制作には参加していない。 元々はアメリカ西海岸の人気セッションドラマーとして知られ、、、、などのレコーディングに参加している。 Omar Hakim - ドラム ツアー中の2015年6月に逮捕されたディーン・カストロノヴォの代理として、同年8月3日までのツアーにピンチヒッターとして参加。 同年リリースされたニール・ショーンのソロアルバム「Vortex」に参加していたことから急遽サポートメンバーとして白羽の矢が立った。 トラヴィス・ティボドー(Travis Thibodaux)- キーボード 2015年頃からサポートメンバーとしてツアーに参加。 キーボードのみならず、一部の楽曲ではボーカルも担当している。 メンバーの変遷 [ ] 来日公演 [ ]• 1979年 4月12日 ・14日 ・15日 ・16日 ・18日 渋谷公会堂• 1980年 10月8日 渋谷公会堂・10日 (昼夜2公演)・11日 ・13日 東京厚生年金会館• 1981年 7月27日 ・28日 名古屋市公会堂・29, 31日 東京厚生年金会館・8月1日 中野サンプラザ• 1982年 4月9日 ホール・11日 ・12日 大阪フェスティバルホール・13日 ・14日 名古屋市公会堂・16日 ・17日• 1983年 2月22日 ・24, 25日 大阪府立体育会館・26日 ・28日 ・3月1, 2日 日本武道館・4日 横浜文化体育館• 1998年 6月20, 21日 ホールA・22日 ・25日• 2001年 1月30, 31日 東京国際フォーラム ホールA・2月1日 大阪フェスティバルホール・3日 ・4日 ・5日 ・7日 大ホール• 2004年 10月13日 ・14日 ・16,17日 東京国際フォーラム ホールA・18日 広島アステールプラザ 大ホール・20日 メインホール• 2009年 3月9日 ホールA・10日 オーロラホール・11日 大ホール• 2013年 3月11日 日本武道館・12日 グランキューブ大阪 メインホール・14日 ・15日 名古屋市公会堂・17日• 2017年 2月1日 ・2日 愛知県体育館・4日 ・6,7日 日本武道館(7日 特別公演) ディスコグラフィ [ ] 詳細は「」を参照 2018年7月現在までに発表されたオリジナル・アルバムは14作。 代表曲に「オープン・アームズ」、「ドント・ストップ・ビリーヴィン」(いずれも『エスケイプ』に収録されており、またのCMで起用された)、「セパレイト・ウェイズ」(フロンティアーズ)、「ホイール・イン・ザ・スカイ」「ライツ」(インフィニティ)などがある。 これらを含む『グレイテスト・ヒッツ〜永遠の旅〜 - JOURNEY GREATEST HITS』(1989年発売)は、今も全世界で売れ続け、2008年4月にRIAAダイヤモンドディスク1600万枚に認定され全世界では2500万枚以上売り上げた。 08年6月現在ビルボードのトップポップカタログチャート(発売後2年経ったアルバムのチャート)で761週在位して、何度目かの1位に返り咲くという超ロングセラーになっている。 オリジナル・アルバム [ ]• 『インフィニティ』から『ディパーチャー』までのアルバムに収録された楽曲を中心に構成されている。 『エスケイプ』リリース後のライブで演奏された楽曲が中心。 『ライヴ・イン・ヒューストン〜1981年エスケイプ・ツアー』 - Live in Houston 1981: The Escape Tour 2005年• 全世界2500万枚、全米1500万枚以上• 『ザ・ジャーニー・コンティニューズ〜コンプリート・ベスト』 - The Journey Continues 2001年• 『』 - 2003年• 『グレイテスト・ヒッツvol. 1はシングル中心の選曲だったのに対し、本作はアルバム、ライブでの人気曲中心。 サウンドトラック・アルバム [ ]• EP [ ]• Classics 1988年• 『レッド13』 - Red 13 2002年 シングル [ ] 1975年• "To Play Some Music" 1976年• "On a Saturday Night"• "She Makes Me Feel Alright " 1977年• "Spaceman" 1978年• 「銀河の翼」 - "Wheel In The Sky" 全米57位 (CBS・ソニー/06SP 233)• "Anytime" 全米83位• 「ライツ」 - "Lights" 全米68位 (CBS・ソニー/06SP 266) 1979年• "Just The Same Way" 全米58位• 「ラヴィン・タッチン・スクイージン」 - "Lovin' Touchin' Squeezin'" 全米16位• "Lovin' You Is Easy" 1980年• 「運命の翼 トゥー・レイト」 - "Too Late" 全米70位• 「」 - "Any Way You Want It" 全米23位 (CBS・ソニー/06SP 466)• "Walks Like A Lady" 全米32位• 「ブルースカイ・パーティ」 - "The Party's Over Hopelessly In Love " 全米32位 (CBS・ソニー/07SP 529)• 「クライング・ナウ」 - "Who's Crying Now" 全米4位 (CBS・ソニー/07SP 548)• 「ドント・ストップ・ビリーヴィン」 - "Don't Stop Believin'" 全米9位 1982年• 「オープン・アームズ」 - "Open Arms" 全米2位 (CBS・ソニー/07SP 597)• 「時の流れに」 - "Still They Ride" 全米19位• 「アスク・ザ・ロンリー」 - "Ask The Lonely"(CBS・ソニー/07SP 783)• 「セパレイト・ウェイズ」 - "Separate Ways Worlds Apart " 全米8位 (CBS・ソニー/07SP 678)• 「時への誓い〜フェイスフリィ」 - "Faithfully" 全米12位 (CBS・ソニー/07SP 700)• "Send Her My Love" 全米23位• 「愛の終りに」 - "After The Fall" 全米23位 1984年• "Chain Reaction" 1985年• 「オンリー・ザ・ヤング」 - "Only The Young" 全米9位 (CBS・ソニー/07SP 876) 1986年• 「トゥ・ユアセルフ」 - "Be Good To Yourself" 全米9位 (CBS・ソニー/07SP 950)• 「スザンヌ」 - "Suzanne" 全米17位• 「ガール・キャント・ヘルプ・イット」 - "Girl Can't Help It" 全米17位 (CBS・ソニー/07SP 979) 1987年• 「アイル・ビー・オールライト」 - "I'll Be Alright Without You" 全米14位 (CBS・ソニー/07SP 999)• "Why Can't This Night Go On Forever" 全米60位 1993年• "Lights [Live]" 全米74位 1996年• "When You Love A Woman" 全米12位• "Message Of Love"• "Can't Tame The Lion"• "If He Should Break Your Heart" 2001年• "Higher Place"• "All The Way"• "With Your Love" 2005年• "The Place In The Your Heart" 2008年• "After All These Years" USAC 9位• "Never Walk Away"• "Where Did I Lose Your Love" USAC 19位 脚注 [ ] []• sputnikmusic. Sputnikmusic. com. 2017年2月7日閲覧。 Hollywood Walk of Fame. Hollywood Chamber of Commerce. 2018年7月15日閲覧。 ボックスセット「Time3」解説書より。 「Time3」の解説書によると、グレッグ・ローリーはジョナサン・ケインを後任に推薦した理由として、彼がギターを弾けること、そしてニール・ショーンがギターも弾けるキーボーディストを欲しがっていたことを挙げている。 サキソフォンの演奏はダン・ハルによるもの。 、ソニーミュージック、2017年8月8日。 Billboard誌の分類基準となる米国での配給元は Nomota という独立(インディペンデント)レーベルである。 - BARKS• ニール・ショーン曰く、 「スティーヴの才能は認めるが、必ずしも彼である必要はない」との事。 関連項目 [ ]• - 1984年にデビューした日本のヘヴィ・メタルバンド。 デビューアルバム「暗黒の聖書」で「Only The Young」「LIBERTY」の2曲を提供される。 外部リンク [ ]• 公式サイト (英語)• ソニーミュージックによる公式ページ (日本語)• 発売元キングレコードによるアーティスト紹介ページ.

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【歌詞和訳】ジャーニー「セパレイトウェイズ」意味を知ると180度違う印象に!?(WBC2017テーマ曲)

ジャーニー セパレイト ウェイズ 歌詞

今回、 歌詞を 和訳するのは ジャーニーの「 セパレイトウェイズ」。 2017年の WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のTBSのテーマ曲ですね。 WBCのテーマ曲に選ばれるだけあって、勇ましい音楽とヴォーカルに、戦いに向けて奮い立つような感じがします。 タイトルの「セパレイトウェイズ」は和訳すると 「別々の道」。 歌詞全体のイメージは、 「僕と君は別々の道を行くけど 僕はずっと君を愛している それを忘れないで」という感じ。 そうなんです。 勇ましい音楽のイメージと裏腹に、実は フラれた男性の女々しい嘆きなんですよね。 しかも、歌詞の和訳をよく見てみると、 ちょっと怖い感じすらしてきます・・・ 詳しくは下記で紹介してます。 そんな ジャーニーの 「セパレイトウェイズ」の歌詞の和訳です。 【歌詞和訳】Journey「Separate Ways」 以下、英語歌詞は引用 日本語歌詞はオリジナル Journey『Separate Ways』 Here we stand 僕らは ここに立っているけど World's apart, hearts broken in two 僕らの世界は二つに分かれて 心も二つに割れてしまった Sleepless nights 眠れない夜が続き Losing ground 地に足がつかない I'm reaching for you 今でも 僕は君を求めているんだ Feelin' that it's gone 終わりの予感が Can change your mind 君の心を変えてしまう If we can't go on もし 僕らが続けられなければ To survive the tide love divides 愛を引き裂く この流れに抗うことを Someday love will find you いつか 愛が君を見つけて Break those chains that bind you 君を縛っている鎖を壊してくれるさ One night will remind you ある夜 君は思い出すだろう How we touched and went our separate ways 僕たちが どうやって出会って 別れていったのか If he ever hurts you もし 彼が君を傷つけても True love won't desert you 本当の愛は 君を見捨てやしないよ You know I still love you 分かってるだろ 僕がまだ君を愛してるって Though we touched and went our separate ways 僕らは 出会って 別れてしまったけど・・・ Troubled times うまくいかない時 Caught between confusion and pain 戸惑いと苦しみに身動きが取れない Distant eyes 遠くを見る眼差し Promises we made were in vain 二人が交わした約束は むなしく消えた If you must go, I wish you love 君がどうしても行くなら 君の「愛」を願うよ You'll never walk alone 君はこれらかも 決してひとりではないよ Take care my love 俺の愛を忘れないで Miss you love 君の愛が愛しい・・・ Someday love will find you いつか 愛が君を見つけて Break those chains that bind you 君を縛っている鎖を壊してくれるさ One night will remind you ある夜 君は思い出すだろう How we touched and went our separate ways 僕たちが どうやって出会って 別れていったのか If he ever hurts you もし 彼が君を傷つけても True love won't desert you 本当の愛は 君を見捨てやしないよ You know I still love you 分かってるだろ 僕がまだ君を愛してるって Though we touched and went our separate ways 僕らは 出会って 別れてしまったけど・・・ Someday love will find you いつか 愛が君を見つけて Break those chains that bind you 君を縛っている鎖を壊してくれるさ One night will remind you ある夜 君は思い出すだろう If he ever hurts you もし 彼が君を傷つけても True love won't desert you 本当の愛は 君を見捨てやしないよ You know I still love you 分かってるだろ 僕がまだ君を愛してるって No.... Journey「Separate Ways」 ジャーニーの「セパレイトウェイズ」の歌詞を和訳してみると、最初に聴いた時とは180度違うイメージに・・・ 音楽は、勇ましい感じで武者震いしてくる感じですが、実際は フラれた男性の心の嘆きなんですね。 しかも、歌詞の和訳をよく見てみると、ちょっと怖い感じすらしてきます・・・ 特にサビの部分。 「いつか この愛が君を見つける」 はい。 なんかもの凄い執着心を感じます・・・ 「この愛が 君を縛っている鎖を壊す」 元カノが何かに縛られているという妄想。 「分かってるだろ 僕がまだ君を愛してるって」 もう、普通に怖いです。 こうやって、歌詞の和訳を見ていくと、ちょっと ストーカー的な怖さが見えてきません? 私の考え過ぎですかね?(笑) しかも、この歌詞の内容を、あんなに勇ましく歌っているのが、また怖いんですよね。 この曲を歌っているのが元カレだとして、自分がこの曲を送られている元カノだと思って聴いてみてください。 どうですか?少しストーカー的な要素が見てきません?? 何か、 将来的にまた二人が結ばれるのを確信しているかのようなヴォーカルが個人的にはストーカー的だなぁって。 WBCのTBSのテーマ曲になっていて、日本代表の勇姿と共に流れると、とてもかっこいい音楽なんですけどね(笑) ジャーニーの「セパレイトウェイズ」のMVを見てみると、やっぱりもの凄く勇ましい感じで歌ってます。 後これは余談ですが、このジャーニーの「セパレイトウェイズ」のMV、時代が違うからでしょうが、 もの凄くダサく感じるのは私だけでしょうか・・・ そんなジャーニーの「セパレイトウェイズ」の歌詞の和訳でした。

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