木瀬 部屋。 木村瀬平

木瀬錦 聖 力士情報

木瀬 部屋

木瀬(きせ)部屋の現役力士の番付と成績、そして基礎情報をまとめてご紹介します。 この番付表では 最新場所である 令和2年7月場所の番付だけではなく、 先場所からどれだけ番付が上がったのかを成績と共に比べて確認できます。 表の内容はボタンによって切り替えることが出来ます。 力士の詳細なデータが盛りだくさんですよ!さらに表の下には所属力士の勝敗数をまとめて集計していますので 「部屋としての全体の力」も確認できます。 場所中には日々更新していきますので、 観戦のお供にどうぞご活用ください。 また、 日々の対戦相手と勝敗が一目で分かる星取表もあわせてご覧ください。 他の部屋の番付と成績も見てみたい方は部屋目次より選んでください。 出身地毎の番付・成績もご用意しています。 この記事の目次• 木瀬部屋の番付と成績・力士一覧 番付 (令2. 7) 四股名 よみ 令2. 7 場所成績 令2. 5 令2. 5 場所成績 令2. 3) 令2. 1) 令2. 11) 令元. 9月) 令元. 7) 令元. また、表示件数を切り替えることで上下のスクロールも可能です。 項目をクリックすることで表を並べ替えることが出来ます。 入門は10代・三保ヶ関(元大関・増位山)の三保ヶ関部屋だったが、平成25年(2013)9月場所を最後に部屋が閉鎖となり木瀬部屋所属となった。 平成21年(2009)7月場所と平成27年(2015)9月場所の2度、8人による幕下優勝決定巴戦に進出したが惜しくも初戦で敗れた経験が。 右膝の手術のため平成31年(2019)1月場所から4場所連続休場となり一時は番付を序ノ口にまで落とした。 捻りや足技も得意な業師。 野球観戦と競馬が好き。 小学生から高校中退までは柔道一筋で入門まで相撲経験がなかった。 平成26年(2014)1月場所と11月場所の2度、幕下全勝優勝を達成。 小学4年の頃から橿原市けはや道場で相撲を始め、中学からは大阪岸和田市の右門道場で稽古を重ねた。 高校は高知県の明徳義塾高校へ「相撲留学」、高校2年次にはインターハイ団体優勝に貢献した。 この頃のチームメイトには影山(栃煌山)が。 大学は近畿大学へと進学、杉山(宝富士)とは大学での同級生。 大学時代には西日本学生相撲選手権大会優勝、全国大学選抜相撲高知大会優勝など5つのタイトルを獲得した。 平成21(2009)年1月場所で初土俵を踏むと序ノ口、三段目優勝と6場所連続勝ち越しなどで1年後には幕下上位にまで番付をあげた。 しばらくは幕下上位で足踏みをしたが平成23年11月場所で新十両昇進、平成25年7月場所で新入幕を果たした。 愛称は本名の「誠」ちなんだ「マコ」 西前頭17枚目と幕尻で迎えた令和2年初場所、千秋楽で大関・貴景勝を破り自身初の幕内最高優勝を果たした。 これは木瀬部屋初の優勝力士。 また奈良出身力士としては大正11(1922)年初場所での鶴ヶ濱以来98年ぶりの幕内優勝力士となった。 稽古場での力が発揮できれば…と期待されている。 八戸水産高校時代には数々の大会で優秀な成績をおさめた。 同部屋だった元幕下・笹山は実の兄。 ヘルニアで伸び悩んだ時期もあったが座禅に取り組み心身ともに磨きをかけて平成29年9月場所で新十両昇進。 この時は兄が付け人をしてくれた。 葛飾白鳥相撲教室の1年先輩は千代大龍、日大の1年先輩は常幸龍。 埼玉栄高校では1年次から団体戦レギュラーでインターハイ優勝、2年次には高校相撲金沢大会で個人優勝も。 弟は追手風部屋の翔猿。 カレーパンマンに似ているともっぱらの噂。 四股名の由来は、日本体育大学相撲部監督の田中英壽さんから「英」、母親の名前から「乃」、師匠である木瀬親方の現役時の四股名・肥後ノ海から「海」というように3人から1字ずつ頂いた。 近畿大学3年次に全国学生相撲選手権大会で団体優勝。 初土俵から14連勝を記録するも序ノ口、序二段とも同部屋の岩崎(現:英乃海)との優勝決定戦で敗れた。 その後、幕下上位から左膝前十字靭帯断裂の大怪我で序ノ口までの転落を経験。 その序ノ口からの再スタートを全勝優勝で飾ると翌場所も序二段で全勝優勝、こうして番付を上げていき平成28年7月場所での新十両昇進を果たして四股名を志摩ノ海へと改めた。 しかしこの場所は4勝11敗と跳ね返されてしまい1場所で十両陥落。 武雄小学4年の頃から武雄相撲クラブで相撲を始めて、中3で全国中学校相撲選手権大会個人32強、都道府県大会個人ベスト16。 佐賀県立多久高校を経て九州情報大学へと進学、数々の大会で活躍した。 芝 匠(しば たくみ) 出身地 :東京都町田市 本 名 :芝 匠 生年月日:平成3年(1991)12月24日(28歳) 出身大学:日本大学 所属部屋:木瀬部屋 初土俵 :平成26年(2014)3月(22歳3ヵ月) 優勝等 : 幕下優勝1回,序二段優勝1回 髙立 直哉 石川県金沢市出身、木瀬部屋。 小1の頃から押野道場に通い始めて、平成13年(2001)の全日本小学生相撲優勝大会で優勝。 西南部中時代にも団体戦などで活躍し、進学した金沢学院東高校3年次には十和田大会個人優勝など順調に実績を積んだ。 ちなみに同校では遠藤の1年後輩にあたる。 高校卒業時には相撲界の不祥事もあったため拓殖大学への進学を選んだが、大学卒業とともに木瀬部屋へと入門。 初土俵から所要8場所で新十両昇進を決め、四股名を高立と改めた。 この四股名は入門前に亡くなった父親が生前に考えてくれていたもの。 4歳の頃から相撲を始め、寝屋川相撲連盟の厳しい稽古で徹底的に押し相撲を叩きこまれた。 これが強靭な下半身の礎となる。 しかし身体が小さいために思うように勝てなかった宇良は、階級制があるレスリングならば勝てるのでは?と興味を持ち、小学3年の頃からレスリングにも取り組み始めて小4で見事全国2位に輝く。 中学時代はレスリングをメインに取り組んでいたが、鳥羽高校に進学すると再び相撲に専念して稽古に励んだ。 進学した関西学院大学1年次には65キロ未満級でタイトルを手にしたが、「無差別」である大相撲にむけて徹底した肉体改造に取り組み3年次に世界選手権軽量級で優勝、これを機に「プロ」への想いはさらに強まる。 木瀬部屋に入門してからも細かな目標と地道な努力により着実に番付を上げていき、所要7場所で新十両昇進を決めた。 さらにそこから所要5場所で新入幕を果たす。 平成29年名古屋場所では横綱・日馬富士をとったりで破り、涙の金星を手に入れた。 小学生の頃に、細身の身体で大きな力士に立ち向かっていく安馬(のちの日馬富士)の相撲を食い入るように観ていた宇良にとって、これは記念すべき金星。 しかし翌場所2日目、以前から痛めていた足をさらに痛めてしまったことがきっかけで、6場所連続で休場となってしまった。 平成30年9月場所、約1年ぶりに東三段目91枚目で復帰すると翌場所を三段目優勝、波に乗るかと思われたが平成31年初場所の豊昇龍戦に敗れた際に右膝をまた痛めて再びの長期休場となった。 2度の長期離脱にも腐ることなく地道なトレーニングと稽古で以前以上の肉体を造りあげて、5場所ぶりとなる令和元年11月場所を西序二段106枚目で復帰、令和2年初場所では全勝同士での優勝決定戦を制して序二段優勝をあげ復活への弾みをつけた。 宇良 和輝(うら かずき) 最高位 :前頭4枚目 出身地 :大阪府寝屋川市 本 名 :宇良 和輝 生年月日:平成4年(1992)6月22日(28歳) 出身大学:関西学院大学 所属部屋:木瀬部屋 初土俵 : 平成27年(2015)3月(22歳9ヵ月) 新十両 :平成28年(2016)5月(23歳11ヵ月) 新入幕 :平成29年(2017)3月(24歳9ヵ月) 優勝等 : 三段目優勝1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回 成 績 :金星1個 井上 熊本県熊本市東区出身、木瀬部屋。 父親は時津風部屋の元力士だった井上(元幕下46枚目)。 大津南小学2年の頃から柔道を始め、九州学院中学3年次に全国大会に出場し95㎏級で5位に。 相撲経験は無かったが、父と木瀬親方(元前頭筆頭・肥後ノ海)が知り合いだったことから誘われて木瀬部屋に入門。 井上 知洋(いのうえ ともひろ) 出身地 :熊本県熊本市東区 本 名 :井上 知洋 生年月日:平成11年(1999)8月17日(20歳) 所属部屋:木瀬部屋 初土俵 :平成27年(2015)3月(15歳7ヵ月) 美ノ海 義久 沖縄県うるま市出身、木瀬部屋。 4人兄弟の三男で弟は同じ木瀬部屋の木崎海。 沖縄の具志川中学時代に参加した鳥取城北高校の合宿の厳しさを肌で感じて鳥取城北高への進学を決意。 高校の同期には逸ノ城が。 鳥取城北高3年次に国体で団体優勝、個人戦も決勝での逸ノ城との対戦を制して優勝。 日本大学に進学し4年次には主将として全国学生相撲選手権大会で団体優勝を飾った。 付出資格は得られなかったが木瀬部屋の門を叩いて前相撲からスタートし、初土俵から15場所目となる平成30年7月場所で新十両昇進となった。 紅陵高では関東総合相撲で団体優勝と個人戦3位に。 拓殖大学を経て木瀬部屋へと入門。 同部屋の高立は拓大の2年先輩。 幕下まで番付を順調に上げていたが常幸龍との稽古で左膝の膝蓋腱断裂という大怪我を負い、4場所連続休場に。 序ノ口にまで番付を下げてしまった。 本格復帰となった平成30年(2018)11月場所を序ノ口全勝優勝、続く平成31年(2019)初場所も全勝同士の決定戦を制して序二段優勝をあげて復活を大いにアピール。 幕下21枚目と過去最高位で迎えた令和2年(2020)1月場所も4連勝と好調だったが、5番相撲の琴太豪戦で右膝に大怪我を負い4勝1敗2休、場所後に手術を受けた。 翌場所の番付は過去最高である幕下16枚目だったが全休となった。 大垣市立小野小4年の頃から大垣ジュニアクラブ花木道場で相撲を始めて、小5でわんぱく相撲全国大会に出場。 大垣市立東中3年のときに全国中学校相撲選手権大会に出場した。 高校は石川の金沢学院東高校へと相撲留学、その後金沢学院大学へと進学した。 大学4年次での西日本学生選手権団体優勝をはじめ数々の大会で優秀な成績をおさめた田邉は、木瀬親方(元幕内・肥後ノ海)に誘われたことで角界入りを決めた。 宮城野部屋の炎鵬とはこの高校と大学時代のチームメイト。 序ノ口、序二段、三段目での「ライバル対決」はいずれも炎鵬に破れて全勝を逃し悔しい思いを。 田邉 大宜(たなべ まさたか) 出身地 :岐阜県大垣市 本 名 :田邉 大宜 生年月日:平成6年(1994)5月12日(26歳) 出身大学:金沢学院大学 所属部屋:木瀬部屋 初土俵 :平成29年(2017)3月(22歳10ヵ月) 木崎海 伸之助 沖縄県うるま市出身、木瀬部屋。 うるま市の智心館に小1から通い始めて小5でわんぱく相撲全国大会に出場。 鳥取市立西中学へと相撲留学、さらに鳥取城北高校へと進学した。 高校3年次に高校総体優勝、これにより高校横綱に。 日本大学進学後も数々の大会で活躍し三段目付け出し資格を獲得。 兄とおなじ木瀬部屋への入門を決めた。 令和元年7月場所にて新十両昇進。 4% 優勝等 : 幕下同点1回 成 績 :敢闘賞1回,技能賞1回 幕内戦歴:231勝260敗4休(33場所)勝率:47. 0% 小結:5勝10敗(1場所)勝率:33. 3% 前頭:226勝250敗4休(32場所)勝率:47. 5% 十両戦歴:72勝75敗3休(10場所)勝率:49. 0% 木瀬親方の経歴 熊本県の旧河内芳野村白浜地区(現在は熊本市)出身、三保ヶ関部屋の元力士で最高位は前頭筆頭。 小学生の頃から相撲を始め、熊本工大高等学校(現・文徳高校)では全国大会に出場するなど実績を積んだ。 大学は日本大学に進学し4年次には主将を務める。 全国学生相撲選手権では尾曽(のちの武双山)を破って優勝、学生横綱の栄冠を手にした。 幕下最下位格付出の資格を得た坂本は三保ヶ関部屋へと入門すると、幕下3場所目で全勝優勝をあげて平成4年7月場所での新十両昇進を決めた。 十両でも勝ち越しを積み上げて平成5(1993)年3月場所で新入幕、左四つの相撲で期待されたが攻めの遅さもあって三役への昇進は叶わなかった。 新入幕から平成13(2001)年11月場所までの約9年間、実に53場所連続平幕在位という記録を持つ。 平成14(2002)年11月場所を最後に現役を引退、11代木村瀬平を襲名して三保ヶ関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、平成15(2003)年12月に分家独立して木瀬部屋を興した。 1% 優勝等 : 幕下優勝1回 成 績 :金星2個 幕内戦歴:335勝417敗43休(53場所)勝率:44. 5% 十両戦歴:53勝57敗37休(10場所)勝率:48. 2% 過去から現在までの木瀬部屋力士はこちら ここまでは木瀬部屋の現役力士と親方などをご紹介してきましたが、この木瀬部屋の 過去から現在までの所属力士をまとめた記事もご用意しています。 興味を持たれた方はどうぞ。

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この記事の目次• 木瀬部屋部屋の概略 平成14年(2002)11月場所を最後に現役を引退して三保ヶ関部屋の部屋付親方になっていた11代・木村瀬平(元・前頭筆頭 肥後ノ海)は、平成15年(2003)12月1日に7人の内弟子を連れて分家独立、木瀬部屋を創設しました。 北の湖部屋への一時預かり ところが、相撲界では平成21年(2009)7月場所と平成22年(2010)5月場所で、一般では入手できない維持員席で暴力団幹部らが観戦していたことが問題になります。 これに対して相撲協会は、この整理券確保に木瀬親方が関与していたとして親方の役職を2階級降格したうえで木瀬部屋に所属する力士すべてを出羽海一門預かりとする、事実上の部屋閉鎖処分を下しました。 これによって平成22年(2010)5月31日から閉鎖処分が解除される平成24年(2012)3月31日まで、出羽海一門である 北の湖部屋への「預かり移籍」があったのでした。 初土俵からの27連勝は史上1位の記録。 四股名の「幸」は亡くなられた父親の名から1字を授かった。 初土俵から所要20場所での新三役昇進を果たす。 これは木瀬部屋初の三役力士でもあった リンク 木瀬部屋の前頭 徳勝龍 誠 奈良県奈良市出身、木瀬部屋。 小学4年の頃から橿原市けはや道場で相撲を始め、中学からは大阪岸和田市の右門道場で稽古を重ねた。 高校は高知県の明徳義塾高校へ「相撲留学」、高校2年次にはインターハイ団体優勝に貢献した。 この頃のチームメイトには影山(栃煌山)が。 大学は近畿大学へと進学、杉山(宝富士)とは大学での同級生。 大学時代には西日本学生相撲選手権大会優勝、全国大学選抜相撲高知大会優勝など5つのタイトルを獲得した。 平成21(2009)年1月場所で初土俵を踏むと序ノ口、三段目優勝と6場所連続勝ち越しなどで1年後には幕下上位にまで番付をあげた。 しばらくは幕下上位で足踏みをしたが平成23年11月場所で新十両昇進、平成25年7月場所で新入幕を果たした。 愛称は本名の「誠」ちなんだ「マコ」 西前頭17枚目と幕尻で迎えた令和2年初場所、千秋楽で大関・貴景勝を破り自身初の幕内最高優勝を果たした。 これは木瀬部屋初の優勝力士。 また奈良出身力士としては大正11(1922)年初場所での鶴ヶ濱以来98年ぶりの幕内優勝力士となった。 4歳の頃から相撲を始め、寝屋川相撲連盟の厳しい稽古で徹底的に押し相撲を叩きこまれた。 これが強靭な下半身の礎となる。 しかし身体が小さいために思うように勝てなかった宇良は、階級制があるレスリングならば勝てるのでは?と興味を持ち、小学3年の頃からレスリングにも取り組み始めて小4で見事全国2位に輝く。 中学時代はレスリングをメインに取り組んでいたが、鳥羽高校に進学すると再び相撲に専念して稽古に励んだ。 進学した関西学院大学1年次には65キロ未満級でタイトルを手にしたが、「無差別」である大相撲にむけて徹底した肉体改造に取り組み3年次に世界選手権軽量級で優勝、これを機に「プロ」への想いはさらに強まる。 木瀬部屋に入門してからも細かな目標と地道な努力により着実に番付を上げていき、所要7場所で新十両昇進を決めた。 さらにそこから所要5場所で新入幕を果たす。 平成29年名古屋場所では横綱・日馬富士をとったりで破り、涙の金星を手に入れた。 小学生の頃に、細身の身体で大きな力士に立ち向かっていく安馬(のちの日馬富士)の相撲を食い入るように観ていた宇良にとって、これは記念すべき金星。 しかし翌場所2日目、以前から痛めていた足をさらに痛めてしまったことがきっかけで、6場所連続で休場となってしまった。 平成30年9月場所、約1年ぶりに東三段目91枚目で復帰すると翌場所を三段目優勝、波に乗るかと思われたが平成31年初場所の豊昇龍戦に敗れた際に右膝をまた痛めて再びの長期休場となった。 2度の長期離脱にも腐ることなく地道なトレーニングと稽古で以前以上の肉体を造りあげて、5場所ぶりとなる令和元年11月場所を西序二段106枚目で復帰、令和2年初場所では全勝同士での優勝決定戦を制して序二段優勝をあげ復活への弾みをつけた。 宇良 和輝(うら かずき) 最高位 :前頭4枚目 出身地 :大阪府寝屋川市 本 名 :宇良 和輝 生年月日:平成4年(1992)6月22日(28歳) 出身大学:関西学院大学 所属部屋:木瀬部屋 初土俵 : 平成27年(2015)3月(22歳9ヵ月) 新十両 :平成28年(2016)5月(23歳11ヵ月) 新入幕 :平成29年(2017)3月(24歳9ヵ月) 優勝等 : 三段目優勝1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回 成 績 :金星1個 志摩ノ海 航洋 三重県志摩市出身、木瀬部屋。 近畿大学3年次に全国学生相撲選手権大会で団体優勝。 初土俵から14連勝を記録するも序ノ口、序二段とも同部屋の岩崎(現:英乃海)との優勝決定戦で敗れた。 その後、幕下上位から左膝前十字靭帯断裂の大怪我で序ノ口までの転落を経験。 その序ノ口からの再スタートを全勝優勝で飾ると翌場所も序二段で全勝優勝、こうして番付を上げていき平成28年7月場所での新十両昇進を果たして四股名を志摩ノ海へと改めた。 しかしこの場所は4勝11敗と跳ね返されてしまい1場所で十両陥落。 葛飾白鳥相撲教室の1年先輩は千代大龍、日大の1年先輩は常幸龍。 埼玉栄高校では1年次から団体戦レギュラーでインターハイ優勝、2年次には高校相撲金沢大会で個人優勝も。 弟は追手風部屋の翔猿。 カレーパンマンに似ているともっぱらの噂。 四股名の由来は、日本体育大学相撲部監督の田中英壽さんから「英」、母親の名前から「乃」、師匠である木瀬親方の現役時の四股名・肥後ノ海から「海」というように3人から1字ずつ頂いた。 新十両からわずか一場所で新入幕を果たした。 この頃の四股名は本名の市原。 八百長問題で引退勧告も本人は「やっていない」と語る。 9% 優勝等 : 十両同点1回 幕内戦歴:8勝9敗13休(2場所)勝率:47. 1% 十両戦歴:117勝103敗20休(16場所)勝率:53. 2% 明瀬山 光彦 愛知県春日井市出身、木瀬部屋。 小学4年と5年次にわんぱく横綱を獲得。 たびたび「ゆるふん」を指摘される「パンの山」。 うるま市の智心館に小1から通い始めて小5でわんぱく相撲全国大会に出場。 鳥取市立西中学へと相撲留学、さらに鳥取城北高校へと進学した。 高校3年次に高校総体優勝、これにより高校横綱に。 日本大学進学後も数々の大会で活躍し三段目付け出し資格を獲得。 兄とおなじ木瀬部屋への入門を決めた。 令和元年7月場所にて新十両昇進。 八戸水産高校時代には数々の大会で優秀な成績をおさめた。 同部屋だった元幕下・笹山は実の兄。 ヘルニアで伸び悩んだ時期もあったが座禅に取り組み心身ともに磨きをかけて平成29年9月場所で新十両昇進。 この時は兄が付け人をしてくれた。 4人兄弟の三男で弟は同じ木瀬部屋の木崎海。 沖縄の具志川中学時代に参加した鳥取城北高校の合宿の厳しさを肌で感じて鳥取城北高への進学を決意。 高校の同期には逸ノ城が。 鳥取城北高3年次に国体で団体優勝、個人戦も決勝での逸ノ城との対戦を制して優勝。 日本大学に進学し4年次には主将として全国学生相撲選手権大会で団体優勝を飾った。 付出資格は得られなかったが木瀬部屋の門を叩いて前相撲からスタートし、初土俵から15場所目となる平成30年7月場所で新十両昇進となった。 小1の頃から押野道場に通い始めて、平成13年(2001)の全日本小学生相撲優勝大会で優勝。 西南部中時代にも団体戦などで活躍し、進学した金沢学院東高校3年次には十和田大会個人優勝など順調に実績を積んだ。 ちなみに同校では遠藤の1年後輩にあたる。 高校卒業時には相撲界の不祥事もあったため拓殖大学への進学を選んだが、大学卒業とともに木瀬部屋へと入門。 初土俵から所要8場所で新十両昇進を決め、四股名を高立と改めた。 この四股名は入門前に亡くなった父親が生前に考えてくれていたもの。 小学生の頃から相撲を始め、熊本工大高等学校(現・文徳高校)では全国大会に出場するなど実績を積んだ。 大学は日本大学に進学し4年次には主将を務める。 全国学生相撲選手権では尾曽(のちの武双山)を破って優勝、学生横綱の栄冠を手にした。 幕下最下位格付出の資格を得た坂本は三保ヶ関部屋へと入門すると、幕下3場所目で全勝優勝をあげて平成4年7月場所での新十両昇進を決めた。 十両でも勝ち越しを積み上げて平成5(1993)年3月場所で新入幕、左四つの相撲で期待されたが攻めの遅さもあって三役への昇進は叶わなかった。 新入幕から平成13(2001)年11月場所までの約9年間、実に53場所連続平幕在位という記録を持つ。 平成14(2002)年11月場所を最後に現役を引退、11代木村瀬平を襲名して三保ヶ関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、平成15(2003)年12月に分家独立して木瀬部屋を興した。 1% 優勝等 : 幕下優勝1回 成 績 :金星2個 幕内戦歴:335勝417敗43休(53場所)勝率:44. 5% 十両戦歴:53勝57敗37休(10場所)勝率:48. 2% 現役の木瀬部屋力士の最新情報はこちら ここまでは過去から現在までの木瀬部屋の主な力士たちをご紹介してきましたが、 木瀬部屋の現役力士の最新番付や成績を知りたい方の為に最適な記事もご用意しています。 相撲観戦と予習におススメです! カテゴリー• 119• 103• 108•

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木瀬(きせ)部屋の現役力士の番付と成績、そして基礎情報をまとめてご紹介します。 この番付表では 最新場所である 令和2年7月場所の番付だけではなく、 先場所からどれだけ番付が上がったのかを成績と共に比べて確認できます。 表の内容はボタンによって切り替えることが出来ます。 力士の詳細なデータが盛りだくさんですよ!さらに表の下には所属力士の勝敗数をまとめて集計していますので 「部屋としての全体の力」も確認できます。 場所中には日々更新していきますので、 観戦のお供にどうぞご活用ください。 また、 日々の対戦相手と勝敗が一目で分かる星取表もあわせてご覧ください。 他の部屋の番付と成績も見てみたい方は部屋目次より選んでください。 出身地毎の番付・成績もご用意しています。 この記事の目次• 木瀬部屋の番付と成績・力士一覧 番付 (令2. 7) 四股名 よみ 令2. 7 場所成績 令2. 5 令2. 5 場所成績 令2. 3) 令2. 1) 令2. 11) 令元. 9月) 令元. 7) 令元. また、表示件数を切り替えることで上下のスクロールも可能です。 項目をクリックすることで表を並べ替えることが出来ます。 入門は10代・三保ヶ関(元大関・増位山)の三保ヶ関部屋だったが、平成25年(2013)9月場所を最後に部屋が閉鎖となり木瀬部屋所属となった。 平成21年(2009)7月場所と平成27年(2015)9月場所の2度、8人による幕下優勝決定巴戦に進出したが惜しくも初戦で敗れた経験が。 右膝の手術のため平成31年(2019)1月場所から4場所連続休場となり一時は番付を序ノ口にまで落とした。 捻りや足技も得意な業師。 野球観戦と競馬が好き。 小学生から高校中退までは柔道一筋で入門まで相撲経験がなかった。 平成26年(2014)1月場所と11月場所の2度、幕下全勝優勝を達成。 小学4年の頃から橿原市けはや道場で相撲を始め、中学からは大阪岸和田市の右門道場で稽古を重ねた。 高校は高知県の明徳義塾高校へ「相撲留学」、高校2年次にはインターハイ団体優勝に貢献した。 この頃のチームメイトには影山(栃煌山)が。 大学は近畿大学へと進学、杉山(宝富士)とは大学での同級生。 大学時代には西日本学生相撲選手権大会優勝、全国大学選抜相撲高知大会優勝など5つのタイトルを獲得した。 平成21(2009)年1月場所で初土俵を踏むと序ノ口、三段目優勝と6場所連続勝ち越しなどで1年後には幕下上位にまで番付をあげた。 しばらくは幕下上位で足踏みをしたが平成23年11月場所で新十両昇進、平成25年7月場所で新入幕を果たした。 愛称は本名の「誠」ちなんだ「マコ」 西前頭17枚目と幕尻で迎えた令和2年初場所、千秋楽で大関・貴景勝を破り自身初の幕内最高優勝を果たした。 これは木瀬部屋初の優勝力士。 また奈良出身力士としては大正11(1922)年初場所での鶴ヶ濱以来98年ぶりの幕内優勝力士となった。 稽古場での力が発揮できれば…と期待されている。 八戸水産高校時代には数々の大会で優秀な成績をおさめた。 同部屋だった元幕下・笹山は実の兄。 ヘルニアで伸び悩んだ時期もあったが座禅に取り組み心身ともに磨きをかけて平成29年9月場所で新十両昇進。 この時は兄が付け人をしてくれた。 葛飾白鳥相撲教室の1年先輩は千代大龍、日大の1年先輩は常幸龍。 埼玉栄高校では1年次から団体戦レギュラーでインターハイ優勝、2年次には高校相撲金沢大会で個人優勝も。 弟は追手風部屋の翔猿。 カレーパンマンに似ているともっぱらの噂。 四股名の由来は、日本体育大学相撲部監督の田中英壽さんから「英」、母親の名前から「乃」、師匠である木瀬親方の現役時の四股名・肥後ノ海から「海」というように3人から1字ずつ頂いた。 近畿大学3年次に全国学生相撲選手権大会で団体優勝。 初土俵から14連勝を記録するも序ノ口、序二段とも同部屋の岩崎(現:英乃海)との優勝決定戦で敗れた。 その後、幕下上位から左膝前十字靭帯断裂の大怪我で序ノ口までの転落を経験。 その序ノ口からの再スタートを全勝優勝で飾ると翌場所も序二段で全勝優勝、こうして番付を上げていき平成28年7月場所での新十両昇進を果たして四股名を志摩ノ海へと改めた。 しかしこの場所は4勝11敗と跳ね返されてしまい1場所で十両陥落。 武雄小学4年の頃から武雄相撲クラブで相撲を始めて、中3で全国中学校相撲選手権大会個人32強、都道府県大会個人ベスト16。 佐賀県立多久高校を経て九州情報大学へと進学、数々の大会で活躍した。 芝 匠(しば たくみ) 出身地 :東京都町田市 本 名 :芝 匠 生年月日:平成3年(1991)12月24日(28歳) 出身大学:日本大学 所属部屋:木瀬部屋 初土俵 :平成26年(2014)3月(22歳3ヵ月) 優勝等 : 幕下優勝1回,序二段優勝1回 髙立 直哉 石川県金沢市出身、木瀬部屋。 小1の頃から押野道場に通い始めて、平成13年(2001)の全日本小学生相撲優勝大会で優勝。 西南部中時代にも団体戦などで活躍し、進学した金沢学院東高校3年次には十和田大会個人優勝など順調に実績を積んだ。 ちなみに同校では遠藤の1年後輩にあたる。 高校卒業時には相撲界の不祥事もあったため拓殖大学への進学を選んだが、大学卒業とともに木瀬部屋へと入門。 初土俵から所要8場所で新十両昇進を決め、四股名を高立と改めた。 この四股名は入門前に亡くなった父親が生前に考えてくれていたもの。 4歳の頃から相撲を始め、寝屋川相撲連盟の厳しい稽古で徹底的に押し相撲を叩きこまれた。 これが強靭な下半身の礎となる。 しかし身体が小さいために思うように勝てなかった宇良は、階級制があるレスリングならば勝てるのでは?と興味を持ち、小学3年の頃からレスリングにも取り組み始めて小4で見事全国2位に輝く。 中学時代はレスリングをメインに取り組んでいたが、鳥羽高校に進学すると再び相撲に専念して稽古に励んだ。 進学した関西学院大学1年次には65キロ未満級でタイトルを手にしたが、「無差別」である大相撲にむけて徹底した肉体改造に取り組み3年次に世界選手権軽量級で優勝、これを機に「プロ」への想いはさらに強まる。 木瀬部屋に入門してからも細かな目標と地道な努力により着実に番付を上げていき、所要7場所で新十両昇進を決めた。 さらにそこから所要5場所で新入幕を果たす。 平成29年名古屋場所では横綱・日馬富士をとったりで破り、涙の金星を手に入れた。 小学生の頃に、細身の身体で大きな力士に立ち向かっていく安馬(のちの日馬富士)の相撲を食い入るように観ていた宇良にとって、これは記念すべき金星。 しかし翌場所2日目、以前から痛めていた足をさらに痛めてしまったことがきっかけで、6場所連続で休場となってしまった。 平成30年9月場所、約1年ぶりに東三段目91枚目で復帰すると翌場所を三段目優勝、波に乗るかと思われたが平成31年初場所の豊昇龍戦に敗れた際に右膝をまた痛めて再びの長期休場となった。 2度の長期離脱にも腐ることなく地道なトレーニングと稽古で以前以上の肉体を造りあげて、5場所ぶりとなる令和元年11月場所を西序二段106枚目で復帰、令和2年初場所では全勝同士での優勝決定戦を制して序二段優勝をあげ復活への弾みをつけた。 宇良 和輝(うら かずき) 最高位 :前頭4枚目 出身地 :大阪府寝屋川市 本 名 :宇良 和輝 生年月日:平成4年(1992)6月22日(28歳) 出身大学:関西学院大学 所属部屋:木瀬部屋 初土俵 : 平成27年(2015)3月(22歳9ヵ月) 新十両 :平成28年(2016)5月(23歳11ヵ月) 新入幕 :平成29年(2017)3月(24歳9ヵ月) 優勝等 : 三段目優勝1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回 成 績 :金星1個 井上 熊本県熊本市東区出身、木瀬部屋。 父親は時津風部屋の元力士だった井上(元幕下46枚目)。 大津南小学2年の頃から柔道を始め、九州学院中学3年次に全国大会に出場し95㎏級で5位に。 相撲経験は無かったが、父と木瀬親方(元前頭筆頭・肥後ノ海)が知り合いだったことから誘われて木瀬部屋に入門。 井上 知洋(いのうえ ともひろ) 出身地 :熊本県熊本市東区 本 名 :井上 知洋 生年月日:平成11年(1999)8月17日(20歳) 所属部屋:木瀬部屋 初土俵 :平成27年(2015)3月(15歳7ヵ月) 美ノ海 義久 沖縄県うるま市出身、木瀬部屋。 4人兄弟の三男で弟は同じ木瀬部屋の木崎海。 沖縄の具志川中学時代に参加した鳥取城北高校の合宿の厳しさを肌で感じて鳥取城北高への進学を決意。 高校の同期には逸ノ城が。 鳥取城北高3年次に国体で団体優勝、個人戦も決勝での逸ノ城との対戦を制して優勝。 日本大学に進学し4年次には主将として全国学生相撲選手権大会で団体優勝を飾った。 付出資格は得られなかったが木瀬部屋の門を叩いて前相撲からスタートし、初土俵から15場所目となる平成30年7月場所で新十両昇進となった。 紅陵高では関東総合相撲で団体優勝と個人戦3位に。 拓殖大学を経て木瀬部屋へと入門。 同部屋の高立は拓大の2年先輩。 幕下まで番付を順調に上げていたが常幸龍との稽古で左膝の膝蓋腱断裂という大怪我を負い、4場所連続休場に。 序ノ口にまで番付を下げてしまった。 本格復帰となった平成30年(2018)11月場所を序ノ口全勝優勝、続く平成31年(2019)初場所も全勝同士の決定戦を制して序二段優勝をあげて復活を大いにアピール。 幕下21枚目と過去最高位で迎えた令和2年(2020)1月場所も4連勝と好調だったが、5番相撲の琴太豪戦で右膝に大怪我を負い4勝1敗2休、場所後に手術を受けた。 翌場所の番付は過去最高である幕下16枚目だったが全休となった。 大垣市立小野小4年の頃から大垣ジュニアクラブ花木道場で相撲を始めて、小5でわんぱく相撲全国大会に出場。 大垣市立東中3年のときに全国中学校相撲選手権大会に出場した。 高校は石川の金沢学院東高校へと相撲留学、その後金沢学院大学へと進学した。 大学4年次での西日本学生選手権団体優勝をはじめ数々の大会で優秀な成績をおさめた田邉は、木瀬親方(元幕内・肥後ノ海)に誘われたことで角界入りを決めた。 宮城野部屋の炎鵬とはこの高校と大学時代のチームメイト。 序ノ口、序二段、三段目での「ライバル対決」はいずれも炎鵬に破れて全勝を逃し悔しい思いを。 田邉 大宜(たなべ まさたか) 出身地 :岐阜県大垣市 本 名 :田邉 大宜 生年月日:平成6年(1994)5月12日(26歳) 出身大学:金沢学院大学 所属部屋:木瀬部屋 初土俵 :平成29年(2017)3月(22歳10ヵ月) 木崎海 伸之助 沖縄県うるま市出身、木瀬部屋。 うるま市の智心館に小1から通い始めて小5でわんぱく相撲全国大会に出場。 鳥取市立西中学へと相撲留学、さらに鳥取城北高校へと進学した。 高校3年次に高校総体優勝、これにより高校横綱に。 日本大学進学後も数々の大会で活躍し三段目付け出し資格を獲得。 兄とおなじ木瀬部屋への入門を決めた。 令和元年7月場所にて新十両昇進。 4% 優勝等 : 幕下同点1回 成 績 :敢闘賞1回,技能賞1回 幕内戦歴:231勝260敗4休(33場所)勝率:47. 0% 小結:5勝10敗(1場所)勝率:33. 3% 前頭:226勝250敗4休(32場所)勝率:47. 5% 十両戦歴:72勝75敗3休(10場所)勝率:49. 0% 木瀬親方の経歴 熊本県の旧河内芳野村白浜地区(現在は熊本市)出身、三保ヶ関部屋の元力士で最高位は前頭筆頭。 小学生の頃から相撲を始め、熊本工大高等学校(現・文徳高校)では全国大会に出場するなど実績を積んだ。 大学は日本大学に進学し4年次には主将を務める。 全国学生相撲選手権では尾曽(のちの武双山)を破って優勝、学生横綱の栄冠を手にした。 幕下最下位格付出の資格を得た坂本は三保ヶ関部屋へと入門すると、幕下3場所目で全勝優勝をあげて平成4年7月場所での新十両昇進を決めた。 十両でも勝ち越しを積み上げて平成5(1993)年3月場所で新入幕、左四つの相撲で期待されたが攻めの遅さもあって三役への昇進は叶わなかった。 新入幕から平成13(2001)年11月場所までの約9年間、実に53場所連続平幕在位という記録を持つ。 平成14(2002)年11月場所を最後に現役を引退、11代木村瀬平を襲名して三保ヶ関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、平成15(2003)年12月に分家独立して木瀬部屋を興した。 1% 優勝等 : 幕下優勝1回 成 績 :金星2個 幕内戦歴:335勝417敗43休(53場所)勝率:44. 5% 十両戦歴:53勝57敗37休(10場所)勝率:48. 2% 過去から現在までの木瀬部屋力士はこちら ここまでは木瀬部屋の現役力士と親方などをご紹介してきましたが、この木瀬部屋の 過去から現在までの所属力士をまとめた記事もご用意しています。 興味を持たれた方はどうぞ。

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