死にたい 対処。 消えたいあなたへ、死にたいではない複雑な感情の対処法|専業主婦卒業宣言!

「死にたい」口癖を考察。死にたいの対処法は天国言葉

死にたい 対処

いつもご覧いただきましてありがとうございます。 突然ですが、質問です。 毎日を過ごしていく中であなたは楽しくて楽しくてたまりませんか? もしそうなら相当あなたは幸せ者でしょう。 それは非常に喜ばしいことです。 一方で、毎日を過ごしていく中で「死にたい」「消えたい」と思うことがありますか? もしそうならそれは辛いですね。 ちなみに惜しみもなくいうと、私は後者です。 そんなことを思ってるのは私だけか?というそうではないかもしれません。 そこで、私は長らく「死にたい」「消えたい」と思ってしまった時にどうすべきかを考えてきました。 そして、何かしら同じ考えを持つ人の力になれればと考えてきました。 考える中でいろいろとわかってくることがあるもので世の中一般に正しいとされている対処法こそおかしいのです。 今日は、「死にたい」「消えたい」で苦しんでいる人にぜひとも聞いて欲しいお話を書かせていただきました。 Contents• 友達に話す• 旅行をする• 好きなものを食べる などなど。 まあこういったもので解消されれば問題ないですよね。 ただ、「死にたい」「消えたい」と思い詰める人は上に書いたような段階で解消できる人はそう多くありません。 そこで、 どのように対処するのかなのですが、最近はやりの方法があるのです。 それは 「心理学」に助けを求めるというものです。 これは心理学の本を読むというパターンもありますが、他にもカウンセリングを受けたり、自己啓発書を読んだりといった少し姿を変えた形でも現れます。 共通点は自らの内面を見つめ直し、自らを世界に合うように変更するというものです。 このような形で生きていく方法を支援する本というのは世の中にたくさん出回っています。 本屋に行くと心理学や自己啓発と呼ばれるジャンルがバカ売れしているようで、出版不況でありながら何万部何十万と売れる本も少なくありません。 例えば、アドラー心理学でおなじみ『嫌われる勇気』だったり、コーヴィーの『7つの習慣』だったりが有名でしょうか。 日本人でいうと本田健さんや千田拓哉さん、堀江貴文さんなどが有名です。 さて、これらは大人気であるということを承知の上で申し上げるのはなんとも勇気がいるものですが、読むべきではありません。 特に「死にたい」「消えたい」とまではいかなくても精神的に弱っている人ほど心理学の本は読むべきではありません。 その理由については私がハンナ・アレント『政治約束』という名著の中でも下記の有名な一節を紹介させてください。 現代心理学は砂漠の心理学である。 私たちから判断能力・・・が失われた時、私たちは、もし砂漠の生活という状況下で生きて行けないとしたら、それは私たち自身に何か問題があるからなのではないかと考え始める。 心理学は私たちを「救済」しようとするのだろうが、それは心理学が、私たちがそうした情況に「順応」する手助けをして、私たちの唯一の希望を、つまり砂漠に生きてはいるが砂漠の民ではない私たちが砂漠を人間的な世界に変えることができるという希望を、奪い去ってしまうということを意味しているのだ。 心理学は全てをあべこべにしてしまう。 私たちは未だに人間であり、未だに損なわれていないのである。 危険なのは砂漠の本当の住人になることであり、その中で居心地よく感じることである。 『政治の約束』ハンナ・アレント(2008)筑摩書房 p233 ここでは何が書かれているのか?ということを少し補足します。 アーレントによれば、現代社会とは見渡す限り一面、道標のない砂漠のような世界であるとのことです。 彼女の言う砂漠とは何を意味しているのか? これは彼女の代表作である『全体主義の起源』と私の推測も踏まえた解釈ですが、宗教、ギルド、農村といった既存の中間組織の崩壊の結果、人々は何も寄る辺とすることができない孤立した世界に放り込まれたということを意味しています。 そんな何も信じられない状況に追い込まれた個人が何をするのかというと心理学に助けを求めると彼女は述べているんですね。 確かに、心理学は苦しむ我々に手を差し伸べてくれるかのように見えます。 しかしながら、これを手に取ることが、我々をその砂漠で安住することに導いてしまうということを彼女は嘆いているのです。 つまり、決してその砂漠を緑豊かな世界に変えようという発想は生まれてこなくなるのです。 実は、私は心理学や自己啓発の類が数年前まではとても好きで一週間に一冊は読んでいたくらいのハマりようでした。 これを読めば自分が強くなるとかこれを読めば自分は変われるとか根拠なきオプティミズムに浸っていたのです。 しかしながら、アーレントの『政治の約束』という本の中にある先の一節は私の考えを180度変えました。 この本を貫徹する考えというのは「我々がおかしいのではないか」という哲学が時として我々自体を滅ぼしかねないという主張です。 確かに『嫌われる勇気』は「死にたい」と思うあなたに勇気をもたらすかもしれません。 確かにホリエモンの本は「消えたい」と思うあなたに勇気をもたらすかもしれません。 しかしながら、その行為自体が「自分自体がおかしい」という認識を決定的にしてしまい自己破壊に繋がってしまう可能性が極めて高いのです。 すなわち、私たちの目下の不安の真ん中に人間を据えて、不安の種が取り除かれる前に人間は変えられねばならないいと持ちかけるいかなる回答も、深い意味で非政治的であるということだ。 なぜなら政治の中心にあるのは、人間ではなく、世界に対する気遣いだからである。 『政治の約束』ハンナ・アレント(2008)筑摩書房 p137 アーレントは哲学ではなく「政治」を取り戻せと述べています。 この「政治」という言葉はどういう意味でしょうか? アーレントの述べる「政治」は一般にイメージされる国会の風景などとは少し異なります。 アーレントにとってはもっと「政治」というのは我々にとって身近なものです。 これをあまり単純化するのがいいとは思いませんが、 「他者との利害調整」「他者との交わり」という意味で理解いただくのが良いかもしれません。 自らの内面を見つめて勝手に自らを改変するのではなく、「他者との利害調整」を通して、自らを修正したり、自らを尊重したりせよということですね。 アーレントが面白いのは彼女が「哲学」という時、その言葉は一人で考えにふける人間像を決して描かないことが特徴的です。 彼女は、哲学を「ポリス」(集会)に求めました。 だから彼女はソクラテスにこだわったとも言えるのですが、アーレントがもし「死にたい」「消えたい」と思っている人に一言言うとしたらおそらく「他者との欺瞞なき対話の場に繰り出してはどうか」というものだと個人的には思います。 自らの困難の克服というのは自分の内面の分析や自ら自体の変更によってなし得ることは不可能であるということは彼女の師範であるカール・ヤスパースも述べたところです。 心理学的・論理学的・形而上学的な言表は常に同時に逸脱の可能性を示している。 そこに使用される普遍性はかかるものとして分離してしまっていることがあるーこの場合には実存解明は成功しない。 「死にたい」「消えたい」と考えてしまう時、今感じている苦痛の克服を我々はともすれば自らの内面分析や自ら自体の変更によって成し得ようとしがちです。 しかしながら、それは極めて安易であるだけでなく時として砂漠の中で生きるという宣言となってしまう可能性があるのです。 結果的にあなた自身を滅ぼす引き金となる。 心理学はあなたを救うどころかあなたにとどめを差しかねない、、、そのことをぜひ知っておいてもらえればと思います。 では「死にたい」「消えたい」と感じる人はどうすればいいのか? それは「政治」の世界へ行くかもしくはないならば自分でその「政治」の世界を作り出すということがアーレントの助言です。 アーレントのいう「政治」とは「他者との利害調整」「他者との交わり」を意味するということを書かせていただきました。 補足するとこの考えの根底には「自己」は「自己」に依ってのみ作られるのではなく、「他者」の存在があって初めて作られるという近代哲学を乗り越えたものが存在します。 心理学は「自己」を「自己」に依って変えるという世界観から逃れられなかった。。。 そのことを心理学を知る上で知っておくべきことかもしれません。 そして安易な解決策として選びがちであるということを心に留めていただけると幸いです。 軽いな。 この世で最も重要、命より大事なものは金。 金がなければ死ぬしかない。 母親の介護で無尽蔵に減る金。 借金も100万に達した。 年収600万、何も抱えていなければそこそこ普通の暮らしができるばずの収入。 でも、母親は年金を払ってた期間と未払いの期間があり障害者年金を受け取れない為、無収入。 全て自分の稼ぎから出さねばならない。 いや、介護費用と生活費では収入では全く足りない。 自分の稼ぎでは生活保護を受けることも不可能。 仕事を続けるには母親をデイサービスに預託する必要があるが、そのデイサービス代だけで家賃とほぼ同額の出費。 光熱費、食費を含めたらもう完全に借金しか生きる道はない。 同世代、余計な介護を抱えていない者は幸せに暮らしている。 結婚している者もいる。 独身でも趣味を謳歌している者もいる。 自分は趣味の釣りすらろくに出来ない。 父親は不倫して消えた。 両親は財産どころか介護と言う負債だけを自分に与えてくれた。 何とか母親を看取ってから自殺しようと思っていたが、金銭的な問題でそれもままならなくなってきた。 金がなければ死ぬしかない。 心中するか、自分だけ死ぬか。 死後の世界だとか、仏様だとかそういう下らないモノは一切信用していない。 母がクモ膜下出血で倒れた時、一命を取り留めてしまったが重度の障害。 親戚からは母親が助かったのは、亡くなったおじいちゃんが助けてくれた云々言われたが、助けてくれるなら最初からクモ膜下出血なんて起こさせるなと言う話。 つまり、仏様もクソも無い。 あるのは自分がこの家に生まれてしまった不運のみ。 もう死ぬしかない。 初めまして、福島直人と申します。 全く同感です。 どうしてこうも同じ人間なのに、境遇に差があるのか、特にアベノミクスか何か知りませんが、様々なこの身に降りかかってくる災難のために、本人には何の落ち度もないのに、「自死」(僕は「自殺」とは言いません。 自ら死を選択するのも、憲法で定められている「生存権」の裏返しで、自ら「死」を選択するのも人権の一つだと考えています。 ですから「自殺」は自分という人を殺すのではなく、「死」を選択することです。 )に追い込まれる。 そんな人が後を絶たない。 その一方で、その人の努力ではないのに、例えば「棚から牡丹餅」のように、たまたま持っていた、株が価格が急上昇し、使い道に困って、よくわかりもせず「ポルシェ」を乗り回す輩が自宅の近くの青梅街道をほぼ毎日1度は、見かけます。 運転手を見ていると、何の変哲もない我々と同じ人間です。 ちなみにポルシェというのは、ドイツ人の自動車エンジンのデザイナーで、第2次世界大戦中、ナチス・ドイツが世界に誇った重戦車ティガーのエンジンを設計した、札付きの人物です。 たぶんそんなことも知らず「ポルシェ」の価値も知らず、乗り回しているのでしょう。 これで日本の景気が良くなるとは思えません。 お金は、それをたくさん持っている人のところに集まります。 持ってない人のところからはどんどん離れていく気がします。 これが現代の「ギャンブル資本主義」の特徴です。 自分の生き方は、自分で決めて全く構わないと思います。 僕は、「自死」を考えますが、一方で「失踪」も考えています。 すべての人間関係を一度断ち切り、生まれ変わったつもりで、与えられた家族とかではなくもう一度、新しい人間関係から始めたい。 また、お話ししましょう。 生きていたら。 憲法第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 金無くて苦しくて死にそうなのは明らかに健康じゃないし、自分の時間も持てないなら文化的じゃないし、最低限の生活も維持できてない。 生活保護通らないなんて、憲法違反の可能性ありだよ。 国は国民の生活の向上増進を怠ってるよ。 自分も家族問題で精神的に振り回されてきたから思うけど、人間て平等じゃないよね。 平等は大事な理念だが、現実は人種や性別がある時点で幻想。 日本て変な自己責任論がまかり通って特に冷たいよね。 弱者や不運な人への共感力、想像力がないというか。 オリンピックとかにおもてなししてる間に助け合いはないがしろ。 変にみんな同じ教育受けたせいか、逆に他者への共感性、同情というものがない。 紛争戦争なくて平和が当たり前。 人間関係みんな辛いのは同じ、それが普通。 普通なのが当たり前。 少数派はあくまで変わってて特殊なのであって、理解はできないし、認めようともしない。 辛いのは何となくわかるけど、どうにもできないし、暇ないし。 精神科行けば?みたいな あと関係ないし、どうでもいいだろうけど、仏様の概念は後世の人物が釈迦の説いたものを曲解した言わば捏造みたいなもんです。 新興宗教に惑わされないように。 釈迦はあくまで現実主義者です。 煩悩を否定してません。 仏様とか言って崇めてる人はその時点でもはや釈迦の教えから逸脱してる。 釈迦は神格とか何かにすがるとか念仏お経も逆にやめなさいと言ってる。 釈迦は瞑想により煩悩をコントロールしようと言ってるのだと思う。 『私の指してる指を見るな。 指してる先を見よ』 お経を唱えるだけで救われるなんてもはやビジネス。 お布施、葬式代、法事費用、墓石代などのための墓場利権です。 釈迦は弟子たちに方便を使えと言ってる。 その時代、地域、年令、男女など、一人一人に合わせて口語で説けと。 だから何千年も前の、ある一つの言語を、そこからまた漢語にした言葉が書いてあるお経を唱えることには意味がない。 と、いいながらも全く否定もしずらい。 それを信じることで、それで救われているのなら全くもって悪いことじゃないとも思う。 信じれるものがあることは羨ましいくらいだ。 ただ言っておきたいのは、本当の仏教は宗教ではなく、どちらかというと哲学に近いもの。 いずれにしろ徹底的に考えまくること、自己研鑽、そして実践、失敗試行錯誤の繰り返ししかないのかな。 金があれば幸せだと、コメントで書かれている方がいますが、金があっても、精神が安定した生活を送れるとは限らないと思います。 私の実家は、裕福な家庭でしたが家庭は荒んでおり、恐怖と不安渦巻く、収容所の様な場所で子供ながらに死にたいと思ったことがありました。 さながら、スターリン時代のソ連でした。 一体全体母は、どうしてこんなに心に余裕がないのだろう。 高い外車や、高い家を維持する為にストレスを溜め込み、子供を虐待し、何が幸せなんだろうと思ってました。 そして今、思うことはこの記事にもある通り、母は正に孤独だったのかもしれないということです。 政治に参加していなかったのです。 この記事にもありますが、他者とどうやって関わっていくか?他者との関わりで、どのように自我を保っていくか?がなかった。 他者 特に同性 は、蹴落としてでも勝ちにいき勝ち続ける、競争の対象でしかないと言った感じです。 疑い深く、嫉妬深く、闘争的、そんな母でした。 食っていけるだけの金は、勿論いります。 しかし、沢山のお金よりも、他者との関わりによって得られる、ありがとう の言葉の方が遥かに重みがあると私は感じます。

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「死にたい」口癖を考察。死にたいの対処法は天国言葉

死にたい 対処

死にたい思っている人の意味には、すぐにこの場から消えてしまいたいと自分自身の存在を全否定しるタイプの人と、死にたいという言葉が言わば日常になっている場合の人と、大きく言えば二つのカテゴリーに属しているいると思います。 しかし、普段から、「死にたい」を口々にしている人の意味としては、そこに深い意味はない事が多く、人生を終わりしたい、消えてなくなりたいと言う深刻なケースではない事が多い傾向にあります。 死にたいという言葉は自分にとっては習慣的な言葉なのかも知れませんが、聞く人や受け取る人にとったら、どんな風に受け止めてあげたら良いのかと、真剣に悩んでしまうほど、重大なことにもなるのです。 また死にたいと習慣的に言われることに慣れていない人にとっては、ことさら、対応に困っているケースもあるかも知れません。 反対に、身近に普段から、死にたいという言葉を使う人がいる場合は、またいつもの事か〜と、受けながすことができますが、死にたいという言葉は決して肯定的ではない為、聞いている側としたら、不快な言葉に捉えられることもあるのです。 今回は、「死にたい」と言う言葉が口癖な人の心理や特徴、デメットについてレポしたいと思います。 「死にたい」が口癖の人の心理とは。 深刻なケースは少なく、口癖は習慣や人からの伝染で生まれる心理。 死にたいという言葉を気が付くと自分も使っている事がありますし、自分の周りにも、死にたいと言う言葉をまさに連呼している人を見ることもあります。 「死にたい」、一見、おぞましい簡単には使わない言葉を口癖や習慣にしている人の心の中にはどんな感情や特徴があるのでしょうか? 自分がしている事や精神的に上手くいっていない事の現れ• 連鎖や伝染によって起きる心理• 誰にかにかまって欲しいと思う心理状態• 死にたいが口癖に人の特徴とは• 死にたいが口癖の対処法• 死にたいという言葉を口にしている実はデメット• まとめ 1. 自分がしている事や精神的に上手くいっていない事の現れ 死にたいという言葉は実は死ぬことや死んでしまいたいという深い意味ではなく、自分がしている事が上手くいかなったり、スムーズに事が進まなかったことに対して、死にたいという言葉を使っているだけのケースの人が大変に多いのです。 人生を終わりにしたいわけでは勿論なく、今している事が上手くいかないから、辞めたい、休憩したい、無理があるなど、死とは直結しない事を内心では思っている事が多い心理状態なのです。 はじめからさらさら死ぬつもりなどはありません。 今している事から少しだけ距離を置きたいと言う心理の表れとも言えるのです。 連鎖や伝染によって起きる心理 思考が連鎖したり、伝染するケースが多いのですが、死にたいというフレーズをよく使う人の周りには、同じく何でもない事に対しても、死にたいとか、闇とか、マイナスな言葉を使いたがる傾向をもっています。 普段から一緒にいる人の仕草や口癖は非常に似てくると言われていますが、それが特に短いフレーズの言葉だったりすると余計に伝染しがちです。 また人間はプラス思考な事や、肯定的な考えや言葉を人の前で発したりする事を恥ずかしがる特長を持っているので。 良い意味での言葉は伝染しにくいのです。 しかし、死にたいという否定的な言葉は短くて、いい易く、言ったとしても、何を格好つけている? などとは言われない言葉なので、ついつい口癖として、死にたいという言葉を使ってしまうという心理があるのです。 誰にかにかまって欲しいと思う心理状態 死にたいという言葉を使う人の中には、決して口癖にはしていない人もいるのです。 重要なポイントや絶妙なタイミングで死にたいと言う言葉を使う人は、人にまかって欲しいと言う想いが多い特徴があります。 死にたいという言葉は、簡単ではない言葉だと知りながら、自分は死にたいくらいに困っていたり、弱っていたりしている事を人に知って欲しいと言う想いが強すぎて、人の前であえて、死にたいという言葉を使ってしまうのは、かまってほしい人の大きな心理や特徴だと言えるでしょう。 勿論、死ぬつもりなどはありません。 誰かがかまってくれないと、死にたくなってしまうと言う人に対してのアピール行動と言えるでしょう。 4-1. 自分にも他人にも厳しく、自己評価が高い人 自分自身の自己評価が低くて、自分の自身がない、死にたいという言葉を習慣的に使う人は、自分に対しての自己評価が引くかったり、自分自身に対して自身がないと思っている人が非常に多いのです。 自身に満ち溢れている人ならば、すぐに死にたいという否定的な言葉を口にはしない筈ですし、日常の中で、そう死にたいというフレーズを使う場面もありませんが、自己評価が低い人は、常に自分の勉強、仕事、趣味、遊びといった、どんな場面でも完璧だと終えたり、心からその事を喜んだり、楽しんだりする事が苦手なので、常に自分に対しては辛い評価を下すので、毎日、自分がやっている事に納得がいっていないので、死にたいという否定的な言葉を発すことになるのです。 4-3. 子供の頃からの擦りこみによるもの 死にたいという言葉を口癖にしている人の特徴には、幼い頃に両親や目上の人から、こんな風にしたら、死んじゃうよと、日常的に使われていたケースも少なくありません。 当然、親御さんや目の上の方も、死んじゃうという言葉は、その子が憎くて使っているのはなくて、ちゃんとしないと、死んでしまうよ、気をつけないと、死んじゃうんだよ・・と、危険を回避させたり、一生懸命しないとダメになるんだよと、言うことを、死んじゃうという言葉を言われて育てられている子は、自分が大人になるに連れて、同じ言葉を使う特徴があるのです。 幼い頃から言われていた言葉を自分なりにアレンジして、少し大変だと思うや、面倒だと感じることに直面すると、死にたいという言葉が出てしまうようです。 5-3. 言い方に工夫をしてみることで口癖や習慣は変えられる 自分自身が死にたい、死にたいとすぐに使ってしまう場合は、とりあえず、気が済むまで言う事をお勧めしますが、人がいる場面ではあまり相応しくない言葉だと思うので、死にたいとはっきりとした発音ではなく、「すぬたい」「さぬたい」など、一文字ずらして、「しにたい」の改造版の意味不明な言葉を作って、習慣にする事も大変お勧めです。 意味不明の言葉だと、周りのいる人の耳にはいっても、何だか面白い言葉を言っているくらいで済みますし、自分自身の気持ちの中でも否定的になりにくいと言われています。 一文字変えたり、死にたいという言葉をまるで違う表現として口に出すことも効果的です。

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「死にたい」は「もっと楽に生きたい」|鯨井啓子|note

死にたい 対処

「死にたい」状況から抜け出す方法 「死にたい」と思って、死んでしまったら、あなたの人生は、不幸な人生で終わります。 せっかく生まれてきたのなら、少しでも、人生を楽しみませんか? 幸せを味わいませんか? 人生は、いつでも、やり直しができます。 「死にたい」と思った時が、変わり時です。 「死にたい」「嫌だ」と思いながら、同じことの繰り返しでは、状況は変わりません。 「死にたい」という気持ち、苦しみは、あなたの心からのSOSです。 今までの人生を見直し、今までと違う自分になりましょう。 そうすれば、違う未来が訪れます。 「死にたい」状況から抜け出す5つの方法をご紹介します。 1.言葉を見直す 「死にたい」状況から抜け出すには、まず、『 言葉を見直す』ことから始めましょう。 心の中で使っている言葉、口に出している言葉など、すべての言葉に意識を向けましょう。 『言霊(ことだま)』という言葉があるように、言葉には霊が宿ります。 「死にたい」、「辛い」、「嫌だ」など、ネガティブな言葉ばかりを思っていたり、発していると、その言葉通りの未来を引き寄せます。 「死にたい」と思っていたり、言ったりすると、「死にたい」と思えるような未来が続きます。 それは、誰も嫌ですよね。 そうであれば、もっとポジティブな言葉を思ったり、言ったりしましょう。 「嬉しい」、「楽しい」、「幸せ」など、状況を肯定する言葉を使いましょう。 中でも、「ありがとう」という言葉は、最強です。 「ありがとう」と思える状況を引き寄せてくれます。 何も、特別、嬉しいことや楽しいことがなくても構いません。 幸せになる呪文と覆って、ポジティブな言葉を言うだけでいいのです。 ついつい、ネガティブな言葉を使ったら、その3倍、ポジティブな言葉を使いましょう。 固定観念を取り除く 「死にたい」状況から抜け出すには、『 固定観念を取り除く』ことも重要です。 「どうせ無理に決まっている」、「そんなことできない」、「そんなの非常識だ」、「周りに変に思われる」など、自分で自分を小さな世界に閉じ込めていませんか? 自分の固定観念、決めつけが、物事を歪んでみせたり、大切なことを見えなくしていませんか? 自分で自分を死にたい状況に追いやってはいませんか? あなたの思い込み、思い癖に気づきましょう。 そのためには、自分を振り返りましょう。 また、一人でも多くの人と語らい、一つでも多くの経験をしてみましょう。 小さな幸せ・幸せの種を見逃さない 「死にたい」状況から抜け出すには、『 小さな幸せ・幸せの種を見逃さない』ことも大切です。 「死にたい」と思う人は、不幸なことばかりに目が行きがちです。 自分にないもの、足りないものに意識が行き、悲劇のヒロインやヒーローになりがちです。 世の中には、様々な人がいます。 あなたが、当たり前に思っているコトやモノがない人もいます。 モノが見える、自分の足で歩ける、雨露をしのげる家がある、食事ができる、家族がいるなど…。 今、自分が持っているコトやモノに感謝しましょう。 また、何気ない暮らしの中に、幸せになる種があります。 普段、何気なく歩いている道に、綺麗な花が咲いていることに気づいていませんか? 偶然、目にした新聞や広告、テレビ、居合わせた人の会話の中に、あなたの悩みを解決するヒントがありませんか?あなたを応援するようなメッセージはありませんか? 何事も偶然はありません。 普段、何気なく見逃しているものに、意識を向けてみましょう。 今まで気づかなかったことに、気づくことで、あなたの世界が変わり始めます。 新しいことにチャレンジする 『 新しいことにチャレンジする』ことも、「死にたい」状況から抜け出すには必要です。 同じことの繰り返しでは、「死にたい」状況から、変わりようがありません。 何も、大きなことに挑戦する必要はありません。 普段、食べないようなものを食べてみる。 普段、読まないような本を読む。 イメチェンする。 …それでも構いません。 まずは、新しいことに取り組むことに慣れましょう。 そして、慣れたら、少しずつ難易度を上げましょう。 自分がしたいこと・やりたいことに、積極的にチャレンジしましょう。 新しいことをすることで、新しい自分に出会えます。 気づきを得ることもあるでしょう。 生きる喜びや生き甲斐も、見つかるかもしれません。 世のため人のために尽くす 「死にたい」状況から抜け出すには、『 世のため人のために尽くす』ことも大切です。 何不自由のない暮らしをしていても、人間、独りぼっちでは、幸せを感じません。 また、誰かがいても、自分に存在価値を感じないと、満足はしないでしょう。 自分は誰かの役に立っている。 そう思えることが、生きる喜びになります。 どんなに小さなことでも構いません。 世のため人のために貢献しましょう。 何もできない赤ちゃんでも、屈託のない笑顔で、大人を癒します。 話すことも、歩くこともできない植物も、花や実をつけることで、人々に貢献します。 自分にできることでいいのです。 誰かを安心させたり、笑顔にしましょう。 それが、回りまわって、自分に幸せをもたらします。

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