江別事件。 北海道・東京連続少女監禁事件

【北海道】「無理やりではなかった」酩酊20代女性に性的暴行 名門中高一貫校教員の男(43)を逮捕 江別市

江別事件

暗くなってから江別のホーマックで買い物をして車に乗って帰ろうとした時に、 ものすごく急いだ感じのおばさんが「高砂駅まで乗せて行ってくれませんか?」と言ってきた。 図々しい人だなと思いつつも、断る理由がなかったので乗せてやった。 急いでる理由を聞こうかと思ってるうちに到着し「着いたよ~」とバックミラーを見ながら声をかけるとおばさんが消えていた。 こんな不思議な体験をしました。 夕方に同じホーマックでババァがドア越しに高砂駅まで乗せろって言ってきた。 正直、見た目が気持ち悪いから断った。 周囲を確認して発進しようと周りを見た時には姿がなかったな。 同じババァかな? Part21 野幌駅近辺に詳しいかたいますか? 実は、最近付き合うようになった人が野幌駅の近くに住んでいて マンションにはじめて遊びに行った時に、造りがよくないなと思いました。 玄関入るといきなり廊下の壁で、左に寝室、右に居間で、風通しが悪いから寝室を整理して、そこを玄関のように意識するように伝えました。 何度目か遊びに行った時に、踏み切りを渡って野幌駅の前の繁華街で飲んで 帰り道、なんとなく線路をみながら、ここに横たわったらひとたまりもないな、なんてチラッと考えてました。 そして、数日後変な夢を見ました。 彼の家の近くと思われる道を車で走っていて、T字路が見えてきたので減速をしたら 朝もやの中から、下半身だけのデニムのショートパンツを履いた女性が歩いてました。 うわっ!見ちゃった!と思った私は、とっさにハンドルの下に顔を隠しましたが、横目でチラッと見ると、内蔵を見え隠れさせながら、その女性は通り過ぎました。 夢にしてはリアルすぎて、実際に見ちゃった感覚が抜けません。 あれだけまっぷたつになるのは、やっぱり踏み切り事故だと思うし 自殺なら、あんなにスタスタ歩くかな?って疑問に思います。 野幌の踏み切りで、私はお持ち帰りしちゃったんでしょうか…マンションを買ってから、家庭不和などよくないこと続きの彼と、何か関係あるんでしょうか… 何か知ってる人いましたら教えてください。 どっちかってぇと、隣の高砂駅近くのT字路じゃない? そこならお地蔵さんが立っている、とか、出る、とかいう噂を聞いたことはあ るが・・・。 野幌の地理がよくわからないのですが 彼の家は駅の裏にあって 彼の家から歩いて踏み切りを渡るときに、右手に駅がありました。 夢の中のT字路は、左手に小さな工場のような建物がありました。 下半身の女の子は、スタスタ歩いていたので、歩いてる時に事故に遭い、自分が亡くなったことに気付いてないのかもしれません。 19歳~20代前半くらいだと思います。 とても健康的でスタイルのいい足でした。 お地蔵さんあるんですね。 この場所で死のうかと思いつめた念が残ってましたよ。 相談受けた中に50年前の 女の自殺者の霊が なんでかその家にいて、 家族に影響してて、みなのど、呼吸器の病気になる。 首吊りの影響で。 透視したら正気に返って、何でもいいから供養してくれ、そしたら出てゆくといいました。 その後供養したら皆さん元気です。 ここは 華、線香、茶と般若心経数回、知ってる真言あったら適当回。 多分十分です。 彼に話したら、思い当たる場所があるというので連れてってもらったら、まったく同じ光景にでくわしました。 工場に見えたのは、民家のガレージでした。 事故状況も鮮明に見えてきて 彼がいうには、ここには地下歩道があるから、線路をわざわざ歩くなんて考えられないと言ってましたが 夢の中の女の子は 地下歩道の入り口で若い男の子たちが騒いでいるので、恐くて線路を渡り、事故に遭ったようです。 高校なら江別にある某高校の旧校舎凄かったな。 (某と書いてもバレバレか) 卒業生だけど変な現象ありまくりだった。 高校の前歩いていたら夜中なのにスーツ姿の中年男性校舎中歩いてましたよ。 その数年後夜九時頃グランド横歩いていたら走る音とボール蹴る音聞こえました。 なんだろうとグランド覗いたけどなにも見えませんでした。 再び歩き始めたらズザザザッと垣根から私の後ろを凄い勢いでなにかが通りすぎました。 びっくりして振り替えったら自転車に乗った女性が何かが飛んで行った方を見て固まってました。 私もその方向見たけど何もありませんでした。 彼女は何を見たんだろうか。 グランドの話有名なんですか。 私だけでなくてよかった。 昔、夢の中でその高校から鬼婆が出てきて街行く人が「アイツが出てきてしまった。 封印が解けた。 」 という夢見て怖かったです。 移転して安心したんですよ。 私新札幌で働き始めたばかりで新札幌から連れてきてしまったと焦ってしまったんですよね。 卒業後に学際に行ったら後輩が学校の怪談話を聞きたいと言ったので、体育館を窓から全部施錠して暗幕をかけ話を始めたんだけど…。 643のグラウンドの話(有名だよね)や、校舎内で出るとか色々話をしていて盛り上がってたんだよね。 そこでふと私はここに今何かいるなと思って「この体育館も出るよ」といったとたんに電気が切れた。 (スイッチは体育館内にある) 女の子はパニクって泣き出した。 がたっと音がしたからだと思うんだけど、 その方向をみんなで見たら暗幕の裏側から人間らしいのが明らかにこちらに向かって走ってきた。 全く暗い状態ではなかったので全員見たはず。 とりあえず泣いている女の子と一緒に体育館を出てから、数人で窓が開いていないか確認をしたんだけどしっかり施錠されていた。 こういうのいっぱいあるよ。 その暗室で4人で現像をしていたときの事。 嫌な感じがしたので後ろを振り返ると、顔がはっきりしないのだが1人でぽつんと立っている奴がいる。 明らかに一緒に入った他の3人ではないことがわかった。 横にいたもう1人も「おいあれなんだよ」といった感じで目配せをしていた。 ちなみに暗室はたしかに暗いが、色つきのランプで照明があるから何も見えない状態ではない。 他の2人は霊感はないと普段から言っているのだが、なぜか無口になって作業をしていた。 暗室から4人が出た後、何も言わないようにしていたのだが、霊感のない2人が突然「誰かもう1人いなかったか?」と言い出した。 結局3人とも同じそいつが見えていた。 もう1人は見えははしないが今まで体験したことのない気持ち悪さを感じたと言った。 それから1人で暗室に入ることはなくなった。 詳細ギボンヌ。 期待に応えられなくてごめん。 実話なんだけどね。 あと、部室を男子高校生らしい足が(膝くらいまで)壁の方に歩いてそのまま消えたのもあったな。 教室もあるよ。 本当に多いんだあの学校。 北海道立図書館(江別市文京台)の近辺に、昔、古いくたびれたサイロがあったらしいんだけど知ってる 人いますか? 何でも、学生運動の渦中でそのサイロで首吊り自殺した学生がいて、そのサイロのそばを夜通りかかると 上部の窓からその学生の上半身が覗いていると聞いたことがあったのですが。 (本にも載りました) 自分、三愛高の出身ですが、怖くて通れなくなりました。 昔からあの場所にありますね。 移動すると怪我人が出たとか出ないとかで。 自殺者はいるかは不明ですが。 しかしなぜ取り壊ししないかは、道立図書館の場所は元々酪農大学の所有地でサイロ取り壊さない条件で譲ったそうです。 12号線へ出る手前の電話ボックスに男の子 18才くらい の幽霊が出るそうですよ。 しかもイケメンらしいです。 Part7 みずほの池、詳しく。 以前、自殺があったのは知ってるが…。 池そのものより、周りが・・・。 防火水槽も・・・。 携帯動画撮影で2,3点とらさってるだけれsども。 幽霊全く信じてないけど夜中行ったらそこから金属打ちつけるような音聞こえて慌てて帰った。 Part4 誰か病院で幽霊と遭遇した人いない?入院する病院てたいてい綺麗で夜中も 明るいし、看護婦さんはいっつもいるし、患者さんもビッチりだし、廊下は狭いし、常夏だし。 霊安室に隣接した職員出入り口で 時々患者服の幽霊が立っているのを見かける。 名前ド忘れしたが…院長が病院内で自殺して 夜になると必ず出て、看護婦がみんな辞めてっちまうって言う…。 たまに通るんだが、常に求む看護婦さんって書いたる。 当時は旧西4階が小児科病棟で夜中に西ホールのエレベーターに乗るとたまに4階で止まる。 止まってドアは開くが誰も入ってこない。 実際自分でも経験して、エレベーターのドアが開いてすーっと流れ込んでくる冷気にたまらなくなった。 時は流れて自分が勤務しているのだが、最近ローテ中に謎が解けた。 夜中に眠れない子供をホールに連れてきているお母さん方がエレベーター止めて遊んだりしてる。 まあ病棟新しくなったんで、真偽の程は不明だけどね。 でもたまに感じる事があるよ、やっぱり。 最近聞いた話だけどしばらく来てなかったクラのカルテが廻ってきたんで呼んだら来ない。 帰ったんだろうと思ってほっといたらしいけど一ヵ月後だかにそのクラが他病院で死んでた事がわかったらしい。 じゃあなぜカルテが廻ってきたんだろうーという話。 うちの病院の場合診察カードで受付しないとカルテ廻ってこないシステムになってるし。 事務方に聞いたけどシステムが確立してるのでそんなことが起こるはずないし・・・と結局よくわからんということだったみたい。 Part2.

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江別市の心霊スポット

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事件の概要 [ ] 男はのの家庭に生まれ、裕福な家庭環境でに熱中していたが、母親を亡くしたことで大きな精神的ショックを受け、家出同然に実家を離れ一人暮らしを始めた。 周囲には「を作る」と呟いていたという。 その後、入門した道場の道場主に無断でを借用してを届け出、名字を変えている。 第一事件(北海道) [ ] 2001年当時、男はに居住していたが9月に内で知り合った無職の女性(当時20歳)を自宅に連れ込んで2週間にわたり監禁し、ペット用の首輪を付けたり、「ご主人様」と呼ぶよう命令していた。 女性は解放された後に警察へ被害届を提出し、翌には監禁致傷容疑で男を逮捕。 また、別の少女(当時19歳)を監禁し、包丁で足を傷付けたり、熱湯を浴びせるなどの暴行を繰り返していた等。 弁護人は被告人が中学時代から不登校になり精神病院に通院し、高校時代には自殺を図ったこともあると主張したが、被告人は心神喪失状態にあらず責任能力はあるとされた。 8月、で男に対して3年・5年の判決が言い渡されたが被害者とのは判決前に成立しており、男が控訴しなかったため刑が確定した。 第二事件(東京) [ ] 執行猶予期間中にへ転居した男はに出入りし、そこで知り合った出身の少女(当時18歳)と交際を始めるが、2月、少女を脅迫して上京させたうえで都内のマンションやホテルで3ヶ月強にわたり北海道での第一事件の際と同様にペット用の首輪を付けて監禁。 女性に「オレは病気だから捕まらないんだ」と主張。 少女は6月初旬に監禁されていたマンションの一室から自力で脱出して保護されたが、(PTSD)による衰弱が激しい状態であった。 男は、その後自分はであると主張し札幌市内の病院に通院。 2004年12月と2005年4月、幻聴が聞こえるとして東京都内の病院で統合失調症の診断を受ける。 は2005年に男を監禁致傷容疑で逮捕。 なお、男が東京へ転居した際は青森へ転居先の住所を届け出ていたが、同観察所から東京保護観察所への転居事実確認を求めるの送信が 東京の市外局番の03を3と入力したため)失敗していたことが後に判明。 この情報伝達ミスが結果的に東京での第二事件を防げなかった原因の一つとされている。 後に、他にも2003年12月から2004年12月にかけ、少女(当時17歳)を青森県五所川原市内などのホテルで約3日間監禁、女性(当時22歳)を東京都内のマンションに約4か月間監禁、女性(当時23歳)を東京都内のマンションに約10日間監禁したとして再逮捕。 計4人への事案で起訴された。 男は拘置中に結婚と離婚を繰り返している関係で名字が逮捕時及び実家の名字と異なっており、チャットで使用していた女性名義のハンドルネームも存在するために裁判では様々な名前で呼ばれている。 なお、男の精神鑑定は却下された。 法廷には白いスーツで出廷する事もあった。 、で男に対し「若い女性を脅迫して脱出困難な心理に陥れ『お仕置き』と称した暴力や性的行為を繰り返した。 被害者に絶望的な恐怖感と甚大な苦痛を与え、反省の姿勢も全くうかがえない」として懲役14年(求刑懲役15年)の実刑判決が言い渡された。 男は控訴したが、にに棄却され 、更にへ上告した。 被告側は「PTSDのような精神的な傷害は、刑法の傷害には当たらない」と無罪を主張した。 、最高裁第2小法廷の裁判長は、「PTSDなどの精神的機能の障害を引き起こした場合も、刑法の傷害に当たると解釈するのが相当」と最高裁として初の判断を示した上で、被告の上告を退けた 読売新聞2012年7月25日。 これにより、男の懲役14年の刑が確定した。 実際には前の執行猶予が取り消され懲役3年が追加される。 雑記 [ ]• 事件の報道の際に、犯人の男がことも相まって、当初よりインターネット上で「 監禁王子」という呼び名がつけられ、後に大手メディアでも「監禁王子」という名称が使われるようになった。 男の祖父(元警察署長)が『』の取材に対し、「本人のせいじゃなくて、最近は女性の肌の露出が多い。 着物の国で裸の女がいたら、誘っていると思われても仕方ない」と発言して顰蹙を買った。 男の叔父(元衆議院議員・県知事)は事件の数年前にセクハラ問題を起こしてローカルニュースで取り上げられており、地元では本事件の発生後「やっぱり」といった反応が多く聞かれた。 [ ] 脚注 [ ] [] 出典 [ ].

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江別事件

2004年4月に起きたイラク日本人人質事件を覚えていますか?もう15年近く前になるんですね。 被害にあったのは次の3人。 ・高遠菜穂子さん ・郡山総一郎さん ・今井紀明さん イラク武装勢力が、イラクに入国した3人の日本人を誘拐し、自衛隊の撤退などを求めました。 日本の自衛隊が撤退しなければ「人質を生きたまま焼き殺す」とまで言いました。 結局自衛隊は撤退せず、9日後に人質は解放されたのですが、退避勧告にも関わらず危険な国に行き、3人の軽率な行為が国に迷惑をかけたとして、日本中で「自己責任」バッシングにおそわれました。 平成の終わりになっても 相変わらず安田純平さんが誘拐された中東情勢ですが、あの時拘束された日本人3人は、いまどうしているのでしょう? 調べてみました。 スポンサーリンク 高遠菜穂子:イラクでボランティア中 生年月日 1970年1月14日 2018年で48歳 北海道千歳市出身 大 学 麗澤大学外国語学部英語学科 高遠さんの実家は千歳市内の資産家で、数年前までは大手電機メーカーの下請け工場を経営していました。 大学卒業後、会社員を経て地元で実家が経営するカラオケボックスの経営に携わっていましたが、30歳になったのを機に仕事を辞め、ボランティア生活に入ります。 2000年インドの「マザーテレサの家」、2001年からタイ、カンボジアのエイズホスピスでボランティア活動に専念。 イラクでの活動は2003年5月からでした。 イラクで拘束された日本人の中でもただひとりの女性で、事件当時は34歳。 高遠さんは事件後、PTSD 心的外傷後ストレス障害 を乗り越え、再びイラク支援を続けています。 現在はイラク北部のアルビールという町で、外科ミッション、教育プロジェクトなどを実施、エイドワーカー(人道支援者)として活動中。 高遠さんへのバッシングは家族にまで及んだといい、「自分が生きて帰ってきたから、ここまで家族が責められるんだ」とまで言う娘に対して、母親は頬を平手打ちしたそう。 「二度とそういうこと言うんじゃないよ!早くイラク人に会ってこい!イラク支援をやめたらわたしが許さないよ!」との叱咤激励に背中を押された形とのことです。 お母さんの気持ちはわからないでもないですが、せめてイラクの情勢が落ち着くまで待たせないものなのですかね……。 人質となった2人のその後を追ったドキュメンタリー映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』にも出演しています。 今回、安田純平さんが解放されたにあたり、当時のことを以下のように思い出しています。 私個人の経験ですが、9日間の拘束のあと、そのまま日本でのバッシングにあってしまい、それが数年間続いたので、イラクでの事件と日本でのバッシングはセットになってしまい、やはり思い出すと苦しいです。 14年が経ちますが、いまだに悪夢にうなされることもあります。 すでに海外ボランティアを始めて18年、そのうち15年をイラクでやっていることになります。 現在も時々日本に帰国し、イラク情勢やまた、ISのような国際テロ組織がなぜ生まれるに至ったのかなどについて、自らの経験に基づく講演を行っています。 確かに志は立派なのですが、この方、別に専門知識や技術があるわけでもなく、活動資金はほぼ寄付に頼っているようです。 他人の善意やカンパ、DVDの売上で集めたお金で、 個人でその代行をしているようで、NPOすら設立しておらず、収支どうなってるの?という疑問が残ります。 郡山総一郎:孤独死カメラマン 生年月日 1971年11月16日(2018年で47歳) 宮崎県宮崎市 学 歴 日章学園高等学校自動車科 職 業 フリーランスのドキュメンタリーフォトグラファー 陸上自衛隊勤務の後、大型トラック運転手として就職し、地元の宮崎県で雪印の牛乳を運んでいました。 雪印集団食中毒事件をきっかけに29歳からカメラを始め、パレスチナ、イラク、アフガニスタン、タイ深南部など、世界の紛争地を駆け巡ること11年。 「写真と生活、どっちが大切なの?」と問う妻に「写真」と即答して離婚されています^^;。 人質となった今井紀明さんの名前で、高遠菜穂子さんのサイトの掲示板に、『朝日の記者の郡山さんと知り合った!とんでもない大計画!』と書き込みがあったようです。 これは自作自演の誘拐計画を暗示するものでは?とも一部で言われていましたが、この場合、提案者は郡山さんだったということでしょうか。 事件当時、郡山さんは左派的な週刊朝日の記者でした。 今井さんは高遠さんと同じくPTSDに5年間も悩まされ、対人恐怖症に苦しみましたが、写真の楽しさが忘れられず、その後も海外を精力的に回っています。 2007年、『ナショナル・ジオグラフィック』日本版の年間優秀賞を受賞。 3.11の東日本大地震が転換期となり、それまで日本など見向きもしなかった郡山さんは、人が変わったように日本を撮り始めます。 被災地となった東北地方はもちろん、いま郡山さんが夢中で追っているのは「孤独死」で、孤独死の現場や孤独死された方の自宅を撮影した写真集も出版しています。 スポンサーリンク 今井紀明:NPO法人理事長 生年月日 1985年(2018年で33歳) 北海道札幌市 学 歴 立命館アジア太平洋大学 職 業 理事長 立命館アジア太平洋大学を卒業後、大阪の専門商社に勤務。 誘拐時は18歳でした。 高校生の時に、劣化ウラン弾による被害状況の写真を展示した写真展を見て衝撃を受けたのがきっかけで、様々な年代のの有志を集めて市民団体を作り、劣化ウラン弾の危険性を訴える活動を始めました。 授業を放り出して国会議員や市議会議員を訪ねて回り、NPOや企業のインターンなどに精を出すなど、非常に意識の高い若者であったことが話題になっていました。 イラク人質事件後に多くの人にバッシングされたことで、4~5年ほど、対人的に不安を抱えるようになりました。 この事件がきっかけで、今井さんのお兄さんは職を失っています。 高校生が一夜にして、日本中で顔と名前を知られた存在になったのです。 外に出ればいきなり怒鳴られ、後ろから殴られさえしたそうです。 一時期引きこもりになりますが、「誰も知らない所へ行こう」とイギリスに1年ほど滞在するものの、そこでも日本人には顔と名前は知られています。 人目を避けるためか、あまり知名度の低い大学に進学しています。 大学2年生の終わりに、バックパックを背負って東南アジアに1ヶ月旅行をしたことで、自信を取り戻し、人質だった経験から若者支援の起業を考えます。 大学卒業後は専門商社に就職(2012年退社)。 かつて「働きながら学ぶ」生徒の受け皿だった定時制・通信制の高校は、引きこもりや経済的困窮、いじめ、親や先生との葛藤、家庭の貧困など、様々な事情を抱えた生徒が進学してくるようになり、10代で挫折する原因は様々。 そんな状況に置かれた若者たちを、今井さんは、かつての自分が置かれた境遇に重ね合わせ、高校生を親や教師以外の大人と関わらせることで、「社会とのつながり」や「自分を肯定する気持ち」を与えることを目的として活動しています。 現在は、NPOの共同代表を務めながら、講演で全国を飛び回る毎日。 2018年はアタカマ砂漠マラソンにチャレンジしています。 中東の日本人人質事件 イラクとシリアを合わせると、日本人が関係した事件は、これだけの件数にのぼります。 2003年11月、2名射殺 奥克彦参事官、井ノ上正盛書記官 2004年 4月、3名解放 高遠菜穂子、郡山総一郎、今井紀明 2004年 4月、2名解放 渡辺修孝、安田純平 2004年10月、1名殺害 香田証生 2005年 5月、1名殺害 2015年 1月、2名殺害 湯川春菜、後藤健二(シリア) 2018年10月、1名解放 安田純平(シリア) 2004年のこの3人は、当時とても物価の高かったバグダッドで、たまたま移動の車をシェアしていて、その移動の途中で拉致されました。 彼らにとって幸いだったのは、誘拐犯が学校の先生や建設会社で働いている人など、普通のイラク人たちの寄せ集めだったこと。 どうも、彼らのメンバーうち誰かがはやまって捕まえてしまったらしく、どう扱うかで困ってしまい、扱いはすごく良かったそうです。 要は家族が殺されていて、米軍は憎いけれども日本人に恨みはない、ということで戦闘に巻き込まれないよう、かえって気を遣ってくれさえしました。 解放される前日は、3人で寝っ転がってジャッキー・チェンの映画を観ていたとか^^;。 まとめ:昭和は終わったし平成ももう終わりますよー 当時はアメリカが圧倒的物量作戦で、イラク全土を木っ端微塵に踏み潰した直後という情勢でした。 でさえ、この時のイラク軍からのオファーを蹴っているくらい、誰の目から見てもイラクに勝ち目はない戦争でした。 3人それぞれの動機は立派ですし、当時のバッシングは過剰すぎたと私も思います。 家族も心配のあまりか、救い出してほしいとテレビその他を通じて国民に訴え、高圧的な態度で政府にプレッシャーをかけたことも、国民の神経を逆なでしてしまいましたね。 そしてこの事件、「狂言誘拐では?」という説も根強いです。 よど号ハイジャック事件、 ダッカ日航機ハイジャック事件のように、人命を高く掲げて政府に詰め寄れば、政府はいうことを聞くというという左巻きな昭和思考はすでに終了していたことが如実に顕れた事件でした。 ……やっぱりみんな心配していたのですよ、それなのに「自分たちはいいことをしにイラクに行ったし、誘拐犯たちは親切だった。 何が悪いの?」というあの姿勢は、いくらなんでも火に油でした。 日本政府が「退避勧告」を出している時に、何の訓練も受けず、自分を守ってくれるどの組織にも属していない身分で戦争直後の地域に出向いたのです。 言いたいことがあるのなら「確かに軽率な行動だった。 けれども……」と、枕詞をひとつつけるだけでだいぶ周囲の印象は違います。 それくらいは計算して欲しかった。 3人の現在のブログなどを見ても、 ・当時のバッシングがひどすぎてPTSDになった ・当時の誹謗中傷の経験を踏まえて、今…… というコメントが目立ちます。 いや、「経験を踏まえる」はいいけれど、ポイントそこなの?と思いました。 21世紀の平成の価値観と、3人の先カンブリア時代の認識の、あまりに埋めがたいズレの隙間を、巨大ハリケーンの暴風が吹き荒れた事件でした。 そもそも論に戻りますが、どんなトラブルに遭遇しても、誰に何を言われても仕方ないというくらいの覚悟は、やはりなかったということなのでしょうね。 スポンサーリンク.

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