現在 の 山口 百恵。 山口百恵の現在!生い立ちと父親など家族・引退理由など総まとめ

山口百恵 39年ぶりがヤバい!現在の顔画像は?キルト作品画像は?

現在 の 山口 百恵

山口百恵のプロフィール 生年月日:1959年1月17日 出生地 :東京都渋谷区恵比寿 出身地 :神奈川県横浜市瀬谷区 身長 :158cm 血液型 :A型 山口百恵さんは1970年代に国民的人気を集めた歌手です。 芸能活動をされた期間はわずか7年半ほどでしたが、その間に2000万枚を超えるレコードを売り上げる(1970年代の最多記録)など、数々の伝説を残し、現在も人々の記憶に深く刻まれています。 「スター誕生! 」から芸能界入り、国民的歌手へ 山口百恵さんの芸能界デビューは1972年12月、現在も伝説的なオーディション番組として知られる「スター誕生! 」に出場し、見事準優勝を獲得した事がきっかけでした。 清純さと色気が表裏一体となったような独特な雰囲気はすぐに話題を呼び、そのミステリアスなイメージをより引き立たせるようなどこか性的なイメージを連想させる際どい楽曲の数々は次々と大ヒットを記録。 山口百恵さんは、瞬く間に絶大な人気を確立し国民的歌手の座を獲得しました。 三浦友和との婚約を発表し突如芸能界引退 山口百恵さんが人気の絶頂を迎えていた1980年、かねてから交際を宣言していた当時大人気の若手俳優だった三浦友和さんとの婚約を発表し、これと同時に電撃的に芸能界から引退。 その後は一切芸能界の表舞台に顔を見せる事なく伝説的存在となりました。 そんな山口百恵さんが、引退の直前に出版した自叙伝「蒼い時」には、その複雑な生い立ちについても詳しく触れられており、話題を集めました。 次の見出しからは、山口百恵さんの複雑な生い立ちに焦点を当ててまとめていきます。 山口百恵さんは、自叙伝「蒼い時」の中で、自身の母はいわゆる愛人で、別に妻子がいた父親の不倫相手だった事を明かしています。 山口百恵さんによれば、父親は山口百恵さんの母親を愛し始めた時、母の父に「責任を持ってきちんとする」と宣言したそうなのですが、結局認知しただけで金銭的な援助は無く、会いに来る事もほとんど無かったと言います。 そのため、山口百恵さんは貧しい母子家庭で育ち、芸能界入りするまでは相当な苦労をされたのだそうです。 また、所属芸能事務所の「ホリプロ」は、山口百恵さんのこうした複雑な生い立ちを隠す方針をとっており、山口百恵さんは、両親に関する質問に対しては幼い頃に両親は離婚しているという嘘を答えさせられていたそうです。 そのため、山口百恵さんが芸能活動を行っていた頃には、公式には母子家庭で苦労して育ったという事実のみが公表されていました。 自叙伝「蒼い時」で、山口百恵さんは「私には父はいない。 」と言い放ち、「私はあの人の存在そのものを否定する」と、強い拒絶の意思を示しています。 というのも、この父親は山口百恵さんが芸能界入りして国民的人気を獲得するやいなや、それまでは何も父親らしい事をしていなかったのにも関わらず、突然「山口百恵の父親」という肩書きを振りかざすようになり、山口百恵さんの所属事務所に多額の金銭を要求するといったあまりに身勝手な行動を取り始めたというのです。 さらにこの父親は、山口百恵さんの親権を得ようと画策し、実際に裁判を起こすなどもしています。 山口百恵さんとその母は、こうした父親の身勝手な行動に散々振り回されたといい、こうした心労がたたってか、母は1989年、51歳の若さでこの世を去っています。 山口百恵さんがこの身勝手な父親に深い憎しみを抱いたのも十分に理解できます。 山口百恵さんの自叙伝「蒼い時」によれば、山口百恵さんが芸能界入りを目指した本当の理由は、「母子家庭で苦労して自分を育ててくれた母親に金銭的な面で楽をさせてあげたい」という想いからだったようです。 そんな山口百恵さんは、いまだに母親に身勝手な要求を続ける身勝手な父親に対して、多額の手切れ金を渡し、完全に縁を切らせています。 この事についても、「蒼い時」の中で触れられており、山口百恵さんは「あの人(父親)の存在は消えたのではなく、自ら私の手で切った」「その事に対して私はいささかの後悔もしていない」と書いています。 若い頃の山口百恵さんは、クズのような父親から愛する母親を守るために必死に戦っていたのでしょう。 そのために詳しい生い立ちは公開されていませんでしたが、その結果、山口百恵さんの生い立ちに関してある噂が囁かれるようになりました。 その噂とは、山口百恵の父親は実は韓国系・朝鮮系の人物で、山口百恵さんはその生い立ちを隠すために、事務所の方針で日本人名を名乗っているというものでした。 これは複数の週刊誌で特集された事があったため、多くの人々が信じる噂となりました。 しかし後に、この噂は完全なデマ情報だった事が判明しています。 また、母親についても同様、純粋な日本人である事が丁寧な取材によって突き止められています。 ルーツが韓国であるから悪いというわけでは決してありませんが、山口百恵さんの生い立ちに韓国が関係しているという噂は完全なデマ情報である事をここでも明示しておきたいと思います。 まずは、その生い立ちでも登場した山口百恵さんの父についてです。 山口百恵さんの父については、久保茂という名前が判明しています。 元々は山本茂だったそうですが久保家に養子に入り久保茂を名乗っていたそうです。 山口百恵さんの父・久保茂は一説には医者だったとされていますが、真偽不明です。 また、一部ゴシップ誌の報道によれば、既にこの父親はこの世を去っており、その最期は東京郊外の施設に入れられての孤独なものだったともされますが、こちらについても真偽不明の情報です。 三浦友和さんは当時、若手の大人気俳優の1人で、山口百恵さんとも数々の作品で共演しています。 当時、2人が共演した映画やドラマが次々とメガヒットを飛ばした事から「ゴールデンコンビ」とも称されました。 1979年10月、山口百恵さんは、コンサートの最中に「私が好きな人は、三浦友和さんです」と三浦友和と交際関係にある事を突然発表し、ファンや芸能関係者を騒然とさせました。 これに合わせる形で、三浦友和さんも記者会見の場で「結婚を前提にして付き合っています」と交際を宣言。 2人は公認のカップルとなったのでした。 そして、1980年3月7日、山口百恵さんは三浦友和さんとの婚約を発表します。 この時の「我儘な…生き方を私は選びました。 」から始まる山口百恵さんのコメントは、現在もよく話題に上っています。 これと同時に山口百恵さんは芸能界を引退。 三浦友和さんとの仲の良い夫婦関係はよく知られ、その後、2人の男子に恵まれています。 三浦友和と山口百恵の馴れ初め 山口百恵さんと、旦那の三浦友和さんの最初の出会いは、1974年5月、世田谷の砧公園での「グリコプリッツ」のCM撮影の現場でした。 山口百恵さんは三浦友和さんの第一印象について、 「青い運動着を着ていて、まるで公園で練習している選手みたいだった」 と、後に語っています。 この初対面を皮切りにして、山口百恵さんと三浦友和さんは、映画「伊豆の踊り子」をはじめ、12作もの映画作品で共演、TBSテレビドラマ「赤いシリーズ」も三浦友和さんと山口百恵さんの共演の大人気シリーズとなります。 そんな共演中のある日、移動中の車の中でうたた寝しようとしている山口百恵さんの耳元に、三浦友和さんがそっと「眠りなさい、かわいそうに。 疲れてるんでしょう」と優しく囁いたというエピソードはよく知られています。 10代でデビューし、瞬く間に国民的なスターとなってからの忙しい日々の中、隣に寄り添い優しく支えてくれた三浦友和さんに、山口百恵さんは次第に惹かれていったのかも知れません。 三浦祐太朗さんは、中学生の頃から音楽活動に打ち込み、同級生らとロックバンド「Peaky SALT」を結成、大学時代まで活動を続け、2008年11月に見事メジャーデビューを果たしています。 このデビュー時まで、三浦祐太朗さんは、山口百恵さんと三浦友和さんの子供である事を伏せていましたが、デビューから1ヶ月後に、芸能リポーターの梨元勝さんがこの事実を突き止め、大々的に知れ渡ってしまいました。 2010年「Peaky SALT」は活動休止となり、三浦祐太朗さんは、ソロでの音楽活動を開始、音楽活動を続けました。 2012年、舞台「旅立ち〜足寄より〜」のオーディションを受けて見事主演に選ばれ、これをきっかけにしてソロシンガーとしてのメジャーデビューも果たしています。 2019年10月には、3rdアルバム「Blooming Hearts」を発表、無料でのインストアライブやツアーコンサートなど、現在もシンガーソングライターとして活動を精力的に続けられています。 2010年公開の映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」で俳優デビューするとすぐに売れっ子俳優となり、現在までに数々の映画やテレビドラマに出演しています。 最近では、2019年のNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」や、2018年に放送され話題になったドラマ「高嶺の花」などに出演されています。 2021年公開予定の映画「大綱引の恋」では主演が決まっており、現在最も注目を集める若手俳優の1人です。 兄の三浦祐太朗さんとはとても仲が良く、プライベートで飲みに行ったり、プレゼントを贈りあったりもしているそうです。 山口百恵の引退理由とは 三浦友和さんとの婚約を機に芸能界を引退し、現在は2人の息子にも恵まれて幸せな家族を築いている山口百恵さんですが、その引退理由についても注目が集まっています。 山口百恵さんは、引退発表で「結婚」を理由に挙げていましたが、人気が絶頂の中での突然の引退だったため、何か他に本当の理由があったのではないか?との勘ぐりも生まれませたが、現在幸せな家族を築いている様子を見ると、芸能界に区切りをつけ、幸せな結婚生活を送りたいというシンプルな理由で引退を決断したと見て間違いなさそうです。 ここまででも触れたように、山口百恵さんは父親に恵まれず、幸せな子供時代を送ったとは言い難かったと思われます。 そうした生い立ちの反動もあって、自分自身の手で幸せな家族を築き上げようと考えたのが引退の理由だと言えるかも知れません。 山口百恵の若い頃の画像集 続いては、山口百恵さんの若い頃の画像を紹介します。 「ささやかな欲望」がリリースされた1975年頃の山口百恵さんです。 16歳の頃ですが、とてもその年齢とは思えないほど色気があって大人っぽい雰囲気があります。 それでいて、透き通るような汚れのなさが同居していて、デビューしてすぐに爆発的人気を獲得したのも頷ける絶大な魅力を放っていますね。 こちらは、山口百恵さんの引退記念作品として1980年12月に公開された映画「古都」のワンシーンです。 婚約発表した三浦友和さんが共演した事でも話題を集めました。 こちらは、山口百恵さんが「スター誕生! 」に出演した際の貴重な画像です。 既にこの頃から独特な存在感を放っています。 このオーディションで山口百恵さんは20もの芸能事務所からスカウトを受けました。 こちらは、1975年公開の映画「潮騒」での山口百恵さんです。 将来の夫・三浦友和さんと裸で抱き合うシーンが注目を浴びました。 そんな山口百恵さんの画像を、2019年に週刊誌「女性セブン」が掲載し話題になりました。 さすがに年を重ねたという印象を受け、「山口百恵さんがおばさんになってしまった」といった声も見られますが、無理に若作りせず、堂々と自然体でいるところが山口百恵さんらしいと感じます。 山口百恵さんは引退後、主婦業の傍らキルト作家として活動されていたそうで、今回出版した本もキルト作品集の形がとられていますが、それぞれのキルト作品にまつわる家族や友人とのエピソードや、引退後の山口百恵さんの暮らしが垣間見れるような解説文が添えられています。 また、山口百恵さん撮り下ろし近影写真も掲載されており、往年のファンにはたまらない内容になっています。 引退してから40年もの間、沈黙を守ってきた山口百恵さんが、なぜ突然本を出版したのかという事にも興味が集まっていますが、週刊誌の取材によれば、これは長男の三浦祐太朗さんの歌手活動の後押しするためだったのでは?との見方も出ているようです。 「一方、シンガーソングライターの祐太朗さんはヒット曲に恵まれず、伸び悩んでいる。 百恵さんが本を出版したのは、祐太朗さんを後押しするためではないかといわれているんです」 三浦祐太朗さんは、シンガーソングライターとして活躍を続けていますが、俳優として人気を上昇させている次男の三浦貴大さんに比べると芸能界で売れているとは言い難く、これを案じた母・山口百恵さんがさりげない形でバックアップしたのではないかと言われているようです。 親の七光りと言われてしまいそうですが、三浦祐太朗さんは非常に魅力的な歌声と高い歌唱力を持った才能溢れるアーティストなので、山口百恵さんも母親として何とかして売れさせてあげたいという気持ちが強いのでしょう。 まとめ 1970年代を代表する伝説的な歌手・山口百恵さんについてまとめてみました。 山口百恵さんは、1973年にデビューし、瞬く間に国民的スターの座に駆け上がりましたが、人気絶頂の1980年に、俳優・三浦友和さんとの婚約発表と同時に芸能界を電撃引退してしまいました。 山口百恵さんは、引退直前に発表した自叙伝「蒼い時」の中で、自分が別に妻子を持つ父親と、その愛人だった母親との間に生まれた子供であるなどの複雑な生い立ちを明かし、父親を深く憎悪していた事や、多額の手切れ金を支払って父親との縁を断ち切った事などを綴り、ファンに衝撃を与えました。 そんな山口百恵さんでしたが、引退後は三浦友和さんと幸せな夫婦生活を送り、2人の息子にも恵まれました。 その2人の息子は共に芸能界デビューしており、長男の三浦祐太朗さんはシンガーソングライター、次男の三浦貴大さんは俳優としてそれぞれ活躍されています。 現在も山口百恵さんは家族の母親として幸せな日々を送っているようです。 2019年には、引退後初となる著書「時間の花束 Bouquet du temps[幸せな出逢いに包まれて]」を発表され、ファンに向けて約40年ぶりとなる肉声と届けてくれました。 今後とも山口百恵さんが幸せな暮らしを送れるよう応援していきましょう。

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山口百恵の2020年現在の姿は肝っ玉母さんでキルト作家(画像)自宅写真公開で話題!

現在 の 山口 百恵

山口百恵の現在2020!画像や自宅写真とは? 絶大なる人気を誇りながらも21歳の若さで結婚し、引退された山口百恵さん。 結婚後はほぼメディアに登場していないだけあって、山口百恵さんの現在の姿について気になる方が多いようです。 確かに気になる・・・。 ということで、調べてみました! 山口百恵の現在2020年画像は?劣化しておばさんみたい? 山口百恵さんの現在の姿について、劣化したとの声がありました。 画像を探してみましたが、残念ながら2020年に入ってからの画像はありませんでした。 しかし、 劣化したと言われる現在の画像はコチラです! ちなみに 人気絶頂期だった若かりし頃の山口百恵さんの画像がコチラです! まるで別人のようですね! まあ、この画像の時で60歳手前くらいの還暦間近だったわけですから、そう考えると逆に若い気がします。 どことなく、若い頃の面影がありますよね~。 2019年頃の画像がありました! あのアイドルが・・・!? と驚くほどに違和感なく世間に溶け込んでいますね~。 確かにおばさんっぽいですが、芸能界から退いて一般人なわけですから当然です! 還暦の専業主婦として考えたら、とても美しいです。 どのページをめくっても幸せを感じる色とりどりのキルト作品が掲載されています。 この書籍の利益は東日本大震災や各地の被災地のために役立てるそう。 百恵ちゃん ちゃん、て言っちゃう の素敵な笑顔も見られて嬉しいです。 昔のイメージとは違いますが、現在の山口百恵さんもすごく魅力的ですね! 夫の三浦友和さんが以前、「還暦迎えても、僕は一生守りぬく!」と題したインタビュー記事の中で、妻である百恵さんの現在について 「妻はいま、ドラマと映画とキルトで生きています」 と語っています。 一般人の奥様と言った印象ですね。 妻を思いやる旦那様の思いやりが伝わる一言だな~と思いました。 山口百恵の現在の自宅写真が流出した? 山口百恵さんと三浦友和さんご夫婦が国立市に居を構えたという情報は、当時ちょっとした話題になった覚えがあります。 まだ小さかった息子さんたちの子育てを優先してのことでしょう。 芸能人にありがちな、都心の生活を離れて緑の多い学園都市である国立を選んだのはその後のロハスブームにも一役買った気がしますね。 報道陣が自宅を突き止め、自宅写真どころかゴミ出し姿まで追われて山口百恵さんが足を捻挫するなどという事件もあり、警察沙汰になるなど・・・ マスコミとのトラブルも記憶に残るところです。 人気者のツライ運命でもあるのでしょうか・・・。 山口百恵さんの現在の自宅画像はコチラです! 住宅というより、美術館のような施設っぽいですね~。 息子さんたちも30歳を過ぎた今、独立している為この豪邸には、三浦友和さんのご両親と三浦友和さん、そして百恵さんの4人暮らしのようです。 10年程前に内装工事をし、高齢者でも暮らしやすいバリアフリーに改装したそうですよ。 実の娘のようにかわいがってくれる義理の両親の介護を、懸命に施しているとのことです。 この自宅付近は、地元では桜の名所としても知られているようです。 もしかしたら、自宅から家族みんなでひっそりとお花見できるような場所を選んだのかも・・・と勝手に想像し、ほっこりしてしまいました 笑 山口百恵と息子達との親子関係は?どんな母親? 1970年代、昭和後半でのスーパースターであった山口百恵さん。 森昌子さん、桜田淳子さんと共に「花 の中三トリオ」としてアイドルデビューしましたが、大人びた雰囲気の山口百恵さんが10代なのに際どい歌詞を歌う衝撃が一躍大ヒット! そして演技力も認められ女優としても活躍していました。 夫である三浦友和さんとは「伊豆の踊子」で共演し、ゴールデンコンビとまで言われていました。 映画はもちろん、CMやバラエティのような番組でも共演が続き、お2人が婚約した時には世間から大いに祝福されましたね! 引退コンサートの大舞台、日本武道館で「幸せになります」と舞台上にマイクを置いて去った姿は、昭和アイドルの語り草となりました。 当時の山口百恵さん、21歳ですよ! その若さで、何と潔い行動でしょうか! なかなか真似できない、本当に素晴らしい方ですね~。 さて、そんな素敵な山口百恵さんと三浦友和さんご夫婦の息子さん達も有名ですよね。 山口百恵の長男・三浦祐太朗 お2人の 長男・三浦祐太朗さんは、歌手として活躍しています。 母親である山口百恵さんは、孫の顔が見たいと言っているそうですが、なかな実現せず・・・といったところでしょうか 笑 祐太朗さんが幼い頃は、山口百恵さんを狙うマスコミの標的にされてかなり怖い思いをして過ごしたそうです。 そのことが影響したのか極度の人見知りとのことですが、小学校から大学まで進んだ成城学園ではスポーツと並行してバンドを結成! 2008年には「ユウ」という名前で参加した「イトシセツナナミダ」でメジャーデビューを果たしました。 バンド解散後は、松山千春の役で舞台に立ったり、母親の作曲も手掛けていた宇崎竜童、阿木曜子夫妻のプロデュースする舞台に出演したりと、頭角を現します。 両親ともに有名過ぎると、子供としての葛藤もあるでしょうね・・・。 親の七光りということも乗り越えようと頑張っている様子です。 ただ、正直なところ・・・ 一時期は話題になったものの、今は歌手として売れているかどうかは微妙なところですね。 山口百恵さんのヒット曲のカバーや、自身の曲もリリースしているようですが、あまりメディアへの出演はないですね。 ちなみに、兄と同じく独身です・・・。 順天堂大学出身で、福祉系の進路を考えていた頃に俳優への道へ転身を決めたそうですがその時、父親の三浦友和さんの反対はなかったみたいです。 どんなことでも受け入れてくれそうなお父さん、って感じがしますよね~。 その後は、映画「シン・ゴジラ」でも話題を集め、ドラマ「高嶺の花」にも出演していました。 2020年3月現在公開中の三池崇史監督の映画「初恋」にも出演していますよ! また、CMにも出演するなど、デビュー以来俳優として活躍し続けています。 比較するのもなんですが・・・ 兄の祐太朗さんより、弟の貴大さんの方が芸能界では優位に立っているような気がします。 孫が生まれたら、キルトで作ったかわいい物とかプレゼントしてあげるのでしょうね! Sponsored Link スポンサードリンク 山口百恵・まとめ 結婚を機に引退してしまった山口百恵さんですが、現在は息子さん達の活躍を見守りながら、自身もキルト作家として趣味を生かした生活をしている様子が伺えました。 また、夫・三浦友和さんの両親にも実の娘のようにかわいがられ、介護を請け負っているようです。 芸能界への復帰も期待したいところですが、それはそれでなんか違うような感じもしてきました 笑 静かに、幸せな生活を送ってほしいものですね!.

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山口百恵 衝撃の現在! かつてのスターも おばちゃんに!?

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スポンサーリンク また、百恵さんの父親が在日韓国人あるいは在日朝鮮人であるという噂がネット上で広がっているようですが、これはガセだそうです。 父親がそういうふうに噂されてしまった原因として、百恵さんが幼少期に横須賀に住んでいたことがあるようです。 横須賀の鶴が丘の近くに不入斗という町がコリアンタウンと呼ばれ、県営住宅の住民に朝鮮系の方が多く鶴が丘団地にも朝鮮出身の方が多くいたためにそのような書き込みが増えた。 父親が朝鮮に仕事で頻繁にいっていたのでどこかの雑誌が山口百恵の父親は朝鮮系の人間のような報道がされた。 実際には、母にも父にも朝鮮系、韓国系の血筋はないので、百恵さんは「純日本人」ということになります。 また、父が在日の方の施設(老人ホーム)にいる、という噂もありましたが、こちらも「ガセ」ですね。 父親との確執 百恵さんは自叙伝「蒼い時」の中で、「私に父親はいない」と語っています。 山口百恵さんの両親は籍が入っておらず、母親はいわゆる愛人・妾でした。 父親 医者 は他に本妻なる女性がいて、そちらの方にも子供がいたそうです。 父親はたまに百恵さんの家にきていたといいますが、経済的には貧しく、母親は内職で家計を支えながらも生活保護という生活を送っていました。 医者であれば収入は悪くないはずですが、自分で不倫して子どもを作っておきながら、経済的援助はしなかった、ということですよね。 百恵さんの自叙伝によると、父親は毎週日曜日しか顔を出さなかったとか。 さらに、百恵さんが歌手デビューして有名になり、稼ぎも出てきたとたん、掌を返すように親権を母親から奪おうとして裁判沙汰になったり、百恵さんのギャラをむしり取ったりしたようです。 最終的には、百恵さんは手切れ金を渡して父親と縁を切ったそうです。 久保茂さんという方だったんですね。 歌手を志したのは家のため 結果として、百恵さんは「昭和の歌姫」と称されるほどの存在になったわけですが、もともと歌手を志したきっかけも、「家のため」だったそう。 生活が苦しかったので、歌手になればたくさんお金が入って家計を助けられる、だから歌手になろうと思ったそうです。 スポンサーリンク 苦労人だった百恵さんの母・正子さんは、1989年に51歳の若さで死去しました。 葬儀は、学会葬で行われたそうです(創価学会員だったため)。 死因はよく分かっていませんが…。 家族 百恵さんは、1980年、三浦友和さんと結婚しました。 現在もその結婚生活は続いており、「おしどり夫婦」として知られています。 2人の交際は、思いがけないところで世間に知れ渡りました。 1979年10月、大阪でのリサイタルにて、山口百恵さんは「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、交際していることを突然宣言したそうです。 その後、三浦友和さん自身も記者会見にて、結婚を前提に交際していることを発表しました。 そして、1980年3月には、婚約発表と同時に芸能界引退を宣言し、引退後は、表舞台に姿を現すことは一切なくなりました。 歌手デビューしたのも、もともとは「家のため」という目的があったので、それを達成した百恵さんは、今度は自分が幸せな家庭を築くために潔く身を引いたのでしょう。 きっと、芸能界での栄光とか、そういうものには興味がなかったのだと思われます。 とても幸せそうですね。 三浦さんと百恵さんの間には、2人の息子さんがいます。 2人の息子について 長男・三浦祐太朗 長男の三浦祐太朗さんは、シンガーソングライターとして活躍しています。 しかし、デビューするも泣かず飛ばず。 祐太朗は中学時代の同級生を中心に結成したバンド『Peaky SALT』のボーカル・ユウとしてメジャーデビュー。 しかしCDは思うように売れず、2010年には音楽会社・バップとの契約が切れて、一部メンバーが脱退。 同年9月には残ったメンバーとも方向性の違いを理由に、活動休止を発表した。 活動休止後は俳優の道に進んだりもしたようですが、それもあまりうまくいかなかったようです。 また、バンドを組んでいた時、百恵さんの名前にすがろうとして失敗したこともあったとか。 バンドメンバーと仲違いした原因は、他のメンバーが『もっと売れるために祐太朗のお母さんに協力してもらおう』と、CDの推薦文やライブの告知を、百恵さんにお願いしたそうです。 当の祐太朗も『それいいかも』と適当にOKを出してしまい、百恵さんにお願いしたところ『あなた達ががんばることでしょう!』とピシャリ。 安易に三浦家の威光にすがろうとしたことで、ケンカになってしまったんです。 確かに、そこは「それいいかも」ではなく、「俺たちだけで頑張ろうよ」と言うべきところでしたね。 そして、それをきちんと叱れる百恵さんはやはり良いお母さんだなと思います。 次男・三浦貴大 次男の三浦貴大さんは、俳優です。 大学時代は精神保健福祉士を目指していたが、社会には様々なタイプの人間が存在することを知って、俳優になることを決める。 大学卒業間際、父・三浦友和にそのことを報告すると、反対は一切なく、知り合いの『ALWAYS 三丁目の夕日』の阿部プロデューサーに相談してくれ、デビュー作が決まった(映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』) 同作での演技が評価され、第34回日本アカデミー賞新人俳優賞および第35回報知映画賞新人賞を受賞する。 兄の祐太郎さんとは違い、両親の名前にすがることもなく、テレビや映画への出演も増え、俳優として地道に成長を続けています。 ですが、兄弟は仲が良いようで、一緒に飲みに行ったり、誕生日にはプレゼントをあげたりしているようです。 百恵さんは、自分の生い立ちには恵まれなかった分、幸せな家庭を築くのに成功したんですね。

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