ジョン コンウェイ。 ジョン・ホートン・コンウェイ生い立ち、研究実績、死去詳細

【悲報】ライフゲームの創始者、天才数学者ジョン・コンウェイ博士が武漢コロナで死去。享年82歳。ご冥福をお祈りいたします : Kazumoto Iguchi's blog 3

ジョン コンウェイ

コンウェイは小学校時代、先生から「メアリー」というあだ名をつけられた。 繊細で女性的なところが多い子供だったのだ。 このあだ名のせいで、彼の学校生活は地獄同然となったらしい。 しかし、リバプールのホルト男子中等学校に進学すると、状況は変わった。 入学直後、校長先生が新入生を1人ずつ校長室に呼び出し、将来の希望を尋ねた。 コンウェイは「ケンブリッジ大学で数学を学びたい」と答えた。 それ以降、彼のあだ名は「メアリー」から「教授」に変わった。 こうしたことからもわかるように、思春期のコンウェイは非常に内向的な少年だった。 しかも、その内向性を常に自覚させられていた。 中等学校では、勉強嫌いの生徒たちとつるんで教室の後方に陣取っていた時期もあった。 だが、大学受験の頃には学業成績も良くなり、ちょっとした奨学金を給付され、地元紙「リバプール・デイリー・ポスト」に名前が載ることもあった。 ケンブリッジ大学には、今までの自分を知る人は誰もいない。 ケンブリッジ行きの汽車に揺られている18歳の彼の頭に、そんな考えが浮かんだ。 この計画がうまく行くかどうかはわからなかった。 自分の内向性が想定以上に根深いものである可能性も充分にあった。 だが、とにかく試してみることにした。 ケンブリッジでは陽気に振る舞い、ウィットに富んだ発言をし、パーティーで面白い話を披露しよう。 彼はこう決心した。 自分を笑うのが鍵だとも考えた。 コンウェイは当時を振り返る。 「大まかに言えば、あのときの私は、今あなたの目の前にいる人間になろうとしたわけです。 あれは自分の意志で決めた自由な決断でした」 現在77歳のジョン・ホートン・コンウェイは、世界一愛すべき自惚れ屋だといっていいのかもしれない。 アルキメデスとミック・ジャガーとサルバドール・ダリとリチャード・ファインマンを混ぜ合わせて一つにしたような人物と言えばいいだろうか。 存命している数学者の中では世界最高の一人とされており、いたずら好きのユーモアの持ち主でもある。 また、ありとあらゆることに知的好奇心を抱く博学な人間でもあり、世界に関するすべての事柄について、世界で暮らすすべての人々に説明したいという強い欲求も持つ。 数学界の権威として知られる英王立協会元会長マイケル・アティヤは言う。 「魔法のような数学を展開するという意味では、コンウェイは世界一の数学者です」 自分を笑うことのできる天才数学者 コンウェイは25年間、米国のプリンストン大学でジョン・フォン・ノイマン応用数学・計算数学職を務め、現在は名誉教授となっている。 プリンストンに来る前は、ケンブリッジで30年を過ごした。 まだケンブリッジにいた1970年代のコンウェイは、「対称性」という数学の大海に飛び込み、その海の深くまで潜った業績で知られる。 24次元空間で、後に「コンウェイ群」と呼ばれることになる対称性の群を発見したのである。 また、ケンブリッジ大学の同僚のサイモン・ノートンとの共著論文「モンストラス・ムーンシャイン」では、19万6883次元空間に潜む「モンスター群」にも光を当ててみせた。 コンウェイは新種の数も発見した。 無限に大きく、無限に小さい「超現実数」と呼ばれる数だ。 これらの功績が讃えられ、現存する科学学会では世界最古の「王立協会」の会員にも選ばれた。 1981年、王立協会会員になったときの式典で、コンウェイは、自分が署名した特大の会員名簿のページをめくってみた。 すると、そこにはアイザック・ニュートンやアルベルト・アインシュタイン、アラン・チューリングやバートランド・ラッセルらの名があって、嬉しく思ったという。 コンウェイは遊び心にあふれた快活な自惚れ屋だ。 自分を笑うことができるので、接していて愉快でもある。 彼は何度もこう言う。 「私はエゴが強い人間です。 自分の唯一の欠点は謙虚なところだ、とよく言っています。 謙虚なところがなくなれば、完璧な人間になれるんですけどね」 彼はまた、ゲームの誘惑に屈して一日の時間を無駄にする常習犯でもある。 しかも、子供向けの他愛ないゲームを特に好む。 世間の数学者の多くは、休暇になると、とにかく自分の時間を確保して研究に没頭しようとする。 だがコンウェイは、夏休みに入ると、学生向けの数学キャンプを回って時間を過ごす。 2014年7月には、ドイツのブレーメンで10代の学生向けの数学キャンプに行き、そこでゲームをして遊んでいた。 その後、米国オレゴン州のポートランドで行われた中学生向けの数学キャンプにも足を運んだ。 知的好奇心の赴くままに研究 一見、些末に見えるこうした事柄にコンウェイが費やす時間とエネルギーは膨大なものだ。 ゲームのほかに、大きな数を頭の中で素因数分解することに熱中して時間を過ごすことも多い。 また、無作為に選んだ年月日を言ってもらい、その日付の曜日をほぼ瞬時に言ってみせるのも彼の特技の一つだ。 「ドゥームズデイ」(最後の審判の日)と自ら名づけたアルゴリズムを使って計算しているのだという。 コンウェイは、ほかにも風変わりなアルゴリズムを考案している。 たとえば「階段の段数を一段ずつ数えなくても、上りながら段数を割り出せる」アルゴリズム。 「両面に文章が書き込まれたルーズリーフの束に目を通す最善の方法」も編み出した。 コンウェイが常時携帯しているものは、トランプが数セット、サイコロ、縄が数本、1ペニー硬貨を数枚、コートハンガーが数本だ。 ときにはバネ状の玩具「レインボースプリング」やおもちゃの三輪車を手に持っていることもある。 すべて、自分のアイディアを人に説明するときに使う道具だ。 ただし、単にこれらの道具で遊んでいるだけのときも少なくない。 それだけでは、コンウェイは何の方法論も持たない研究者のように思えるかもしれない。 だが最近は、彼のように知的好奇心の赴くままに研究を進めるやり方が注目されるようになっている。 コンウェイ流の研究方法のほうが、基礎科学の分野でも応用科学の分野でも成果が出やすく、社会全体にも経済面でプラスになるという説が広まっているのだ。 2014年4月、ワシントンDCで開催された第1回全米数学フェスティバルで、欧州中央銀行総裁を務めるイタリア人エコノミストのマリオ・ドラギがスピーチをした。 このときドラギは「基礎研究の価値を信じてそこに投資することは、未来の価値を信じてそこに投資することと同じだ」と語った。 これからの世界には、人口構造の変化や天然資源の枯渇といった制約要因のため、「長期停滞」の時代が訪れると指摘する者もいる。 しかしドラギは、仮にそんな時代になったとしても、数学と自然科学の基礎研究への投資を最優先する国が経済的に最も繁栄するだろうと主張している。 ちなみにコンウェイ本人は、金銭にはほとんど無関心で、むしろ金銭を蔑視している気配さえある。 ただし、シンプルな知的好奇心を持つことの大切さを説くとなれば、コンウェイは適任である。 彼に言わせれば、どんな発見でも、その普遍的な原動力となるのはシンプルな好奇心なのだから。 就職活動が苦手 1964年、コンウェイは予定より数年遅れて博士論文を書き終えた。 内容は、集合論に関して、ちょっとした脇道を探るものだった。 そして就職口を探さなければならなくなったが、これはコンウェイにとって難題だった。 就職口がないわけでもなければ、彼の資格が不充分なわけでもなかった。 コンウェイにとって最大の障壁は、書類を用意して応募するという行為だった。 博士課程の研究助成金が終わろうとしていたのに、彼は何もしていなかった。 道で偶然、イアン・カースルズと出会ったのは、そんなときだった。 カースルズは気配りができるスコットランド出身の数学者で、当時、ケンブリッジ大学数学科のサドラー教授職にあり、数学科の学科長も務めていた。 カースルズはコンウェイに尋ねた。 「就職活動はどんな感じかい? 」 コンウェイは答える。 「何もしていません」 「この大学でも今、公募している職があるから、応募してみたらどうかな? 」 「それには、どうすればいいのでしょうか」 「私宛てに手紙を書いてくれればいいんだよ」 「何を書けばいいのでしょうか」 カースルズはよほど気の毒に思ったらしく、コンウェイに代わって手紙の文面を書くことを申し出た。 カースルズは、ケンブリッジ大学キングスカレッジの正面の道路脇にある石の壁に座ると、ブリーフケースの中を引っ掻き回し、紙とペンを探し出して書き始めた。 「親愛なるカースルズ教授、私は公募中の職に応募いたしたく……」 カースルズは手紙を書き終えるとコンウェイに手渡し、サインするように言った。 そしてコンウェイがサインし終えると、すぐにその手紙を自分のブリーフケースにしまった。 そのときコンウェイは勝利を確信したが、しばらくしてカースルズからの手紙が届いた。 文面にはこうあった。 「大変申し訳ありませんが、先日の応募の件はご希望に沿えませんでした」 ただし、手紙はこう続いていた。 「来年、別の職の公募があります。 ご異存がなければ、先日の手紙をそのまま、来年公募される職への応募書類として使わせていただきます」 結局、コンウェイはこの2番目の職を獲得して、助講師となった。 抜群のカリスマ性の持ち主 学生たちは、この新任の助講師の頭脳と遊び心にあふれた講義法に惚れ込んだ。 抽象的な概念も、列車や自動車、ネコやイヌなどを例に出して、素朴に説明できるのがコンウェイの魅力だった。 対称性や正多面体についての講義では、大きなカブと包丁を教室に持ち込んだ。 講義の最中にカブをスライスして、その破片を口に放り込みながら正二十面体を作ったりしたのである。 現在、オスロでソフトウェア・エンジニアをしているエドワード・ウェルボーンは、当時、学生としてコンウェイの講義を受けたことがある。 ウェルボーンの記憶に一番強い印象を残したのは、線形代数学の授業、特に2つの対称な二次形式を同時に対角化できることを示したときの講義だった(これは簡単にできることではない)。 ウェルボーンは振り返る。 「1つだけでもそれなりに計算は複雑で、それを2つ同時にするのですから、複雑さも2倍です。 ちょうどお手玉をしながら、顎の上でホウキを立たせてバランスを取るようなものです」 コンウェイは、それくらい難しい説明を授業でしてみせたのだという。 もっとも、この話をコンウェイにすると、彼はそれをあべこべに混ぜ返してきた。 自分がやったのは、顎の上でホウキを立たせてバランスを取りながら、コートハンガーの上に1ペニー硬貨を乗せてヘリコプターのように回転させたようなものだ、と言うのである。 講演するコンウェイ PHOTO: KONRAD JACOBS こうした出来事がきっかけで「ジョン・コンウェイ評価会」なるものも作られた。 「数学科の講師陣の中では抜群のカリスマ性の持ち主でした。 カリスマ性というものがどうやって生まれるのかは私には謎ですが、カリスマ性のある人とない人の差は一目瞭然です。 言うまでもなく数学者は、きわめてカリスマ性に乏しい人がほとんどです」 「フィクション」を語る才能 コンウェイの魅力の一つは話術が巧みなところだ。 数学の深い真理を発見するのと同じくらい、物語を語るのが上手だといっても過言ではない。 彼の十八番の話は、イングランド共和国初代護国卿オリバー・クロムウェルに関するものだ。 コンウェイは、ケンブリッジ大学のシドニーサセックス・カレッジのフェローになったが、かのクロムウェルも1616年頃、このカレッジのフェローだったのである。 私は次の話をコンウェイ本人から何度も聞き、ケンブリッジに取材をしに行ったときには、コンウェイの最初の妻のアイリーンからも同じ話を聞かされた。 1960年代前半のある日の晩のことだ。 コンウェイは家に帰ると、当時の妻のアイリーンに、今しがた奇妙なパーティーに出席してきたと語った。 シドニーサセックス・カレッジの学長が内輪で催した晩餐会に呼ばれたので行ってみたら、そこには選ばれたフェロー数名のほかに、カレッジの礼拝堂の牧師、そしてカレッジの卒業生である麻酔医ホレス・ウィルキンソン博士がいたという。 ウィルキンソン家は約150年間、クロムウェルの頭部をビロード張りの箱に入れて保管してきた一族だ。 クロムウェルの頭部は長い間、所有者を代々変えてきたが、前述のホレス・ウィルキンソン博士は、この頭蓋骨をシドニーサセックス・カレッジに寄贈して、埋葬してもらう決断を下したと語った。 コンウェイの話によると、晩餐会はにぎやかなものになったという。 料理が贅沢に並び、酒も大量にふるまわれた。 晩餐会が終わると、学長を先頭に列を作り、各自がロウソクを手にして礼拝堂の入口のホールに向かった。 私は事実の裏付けを取るために、シドニーサセックス・カレッジを訪ね、クロムウェルについて尋ねてみた。 すると守衛が礼拝堂の入口のホールに案内してくれ、壁のプレートを指差した。 「1960年3月25日、この近くにオリバー・クロムウェルの頭部が埋葬された」 こう書かれたプレートを見たことがきっかけで、私はコンウェイにかなりの数の質問をすることになった。 晩餐会の具体的な日付を覚えているか。 どんな食事が出たのか。 テーブルではどんな会話が交わされたのか。 実際にクロムウェルの頭部を見たのか……。 するとコンウェイから、いつもの「自分はすべてを知っているという口調」が消えた。 「あの話のことですがね、いい話だと思いませんか。 あの話をするとき、つい自分も脇役で登場させたくなるんです。 あたかも自分がそこにいたかのようにね」 すべては作り話だったのだ。 彼がシドニーサセックスのフェローになったのも1964年のことである。 きっと、フェローになってから噂話を耳にしたのだろう。 そして、面白いと思ったコンウェイは、人の耳目を引く話が必要になったとき、この噂話を自分が体験した実話として語ったのである。 この出来事からもわかるように、コンウェイには、熟練したフィクション作家と言える側面がある。 だから、彼に自分の人生を語らせると、どうも信頼できない事柄がいろいろ出てくる。 「自分は何もしていない」という不安 コンウェイの人物像とその戯画について、プリンストン高等研究所の美術史家アーヴィング・レイヴィンに話を聞いてみた。 レイヴィンによると、コンウェイに似たタイプの人間は芸術家に多いとのこと。 たとえばピカソだ。 クリエイティビティがあるだけでなく、知的な面でも、対人関係の面でも自由奔放なのである。 もしかすると、事実とフィクションを区別しないコンウェイの特徴は、数学を別の角度から捉え直す彼の不思議な能力と関係があるのかもしれない。 どんなに些末に見えることでも、彼は純粋な知的好奇心に駆られるとその研究に没頭し、型破りの独創的な結果に到達することができる。 とはいえ、1960年代半ばの時点では、コンウェイに数学者としての業績と言えるものは何もなかった。 ほとんどの時間を、ゲームをして過ごしていたからだ。 ゲームで遊ぶほか、自分でゲームを作ったり(有名なのは大学院生マイケル・ペイターソンと合作した「スプラウト」)、自分には退屈に思えるゲーム(チェスなど)のルールを変えて新しいゲームに仕立て直したりしていた。 バックギャモンでも四六時中遊んでいたが、結局、このゲームの腕前は上達しなかったという。 傍目には楽しく遊んでいるように見えたかもしれない。 だが、この頃のコンウェイは、自分が何も成し遂げていないどころか、何も始めてもいないという事実に悩んでいた。 自分は数学者の仕事をする価値がないのではないか。 自分は解雇される寸前なのではないか……。 そんな不安も脳裏をよぎっていたという。 しかし、ゲームをしながら時間を無駄に過ごしていたコンウェイを敬慕する学生の数は増えるばかりだった。 楽しい時間と、罪悪感に苛まれて落ち込む時間が交互に訪れた。 コンウェイは、自分の人生のこの時期を「黒い空白時代」と呼んでいる。 そんな不安が彼の内面に頭をもたげていた。 週に2日、自らを軟禁状態に 1966年8月、モスクワ大学で国際数学者会議が開かれた。 コンウェイに転換点が訪れたのは、このときモスクワ大学の構内で、直径1. 5m以上はあろうかと思われる大きな円柱に寄りかかっていたときのことだった。 一人の男性が近寄ってきて、「コンウェイさんですか」と尋ねてきたのだ。 その男性の名前はジョン・マッカイ。 エジンバラ大学の博士課程に在籍している学生だった(マッカイは現在、モントリオールにあるコンコルディア大学の教授である)。

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【悲報】ライフゲームの創始者、天才数学者ジョン・コンウェイ博士が武漢コロナで死去。享年82歳。ご冥福をお祈りいたします : Kazumoto Iguchi's blog 3

ジョン コンウェイ

数学者のジョン・コンウェイ氏が、新型コロナウイルス感染症が原因となり4月11日に死去していることが明らかとなった。 コンウェイ氏が所属しているプリンストン大学が4月14日に発表した。 82歳だった。 コンウェイ氏は「ライフゲーム」の考案者として広く知られている。 ジョン・コンウェイ氏はイギリス生まれ。 ケンブリッジ大学で数学を学んだあとに、博士号を取得。 「コンウェイ群」、「超現実数」など数々の業績があり、特にもっとも有名なのが「ライフゲーム」を1970年に考案したことで知られている。 この「ライフゲーム」はプレイヤーが操作するものではないので、厳密にはビデオゲームかどうかの定義はあやふやなのだが、ビデオゲームとして挙げられることもあり、いわゆる「ゼロプレイヤーゲーム」の代表的なゲームとされている。 北海道に日本が制圧された 日本国内でライフゲームといえば、ニコニコ動画の『北海道に日本が制圧された』、『某国に世界を征服された』を当時目にした読者も多いだろう。 いわゆる「侵略シリーズ」とも呼ばれており、この動画に触発されて『日本No. 1地方決定戦』、『某国が東アジアを征服した』、『世界大戦』などが登場した。 たとえば生きたマスは1ターンが経過すると、死んだ状態になってしまうルールを組み込んでみるとしよう。 このままでは最初に色をつけたマス目をいくつ用意したとしても、1ターン経過すればすべてが死んでしまうだけだ。 しかしここで、「2個、あるいは3個の生存しているマスが周囲にあると、1ターン経っても、生きたマス目は生存し続ける」、さらに「生きたマス目の周囲に3個生きたマス目があると、1ターン後に新しい生きたマス目が誕生する」という簡単なルールを追加するとする。 某国に世界を征服された ここから隣接した生きたマス目などを複数用意して、何ターンも時間を経過させてみる。 するとマス目は増殖と死ぬこと、動的に変化を繰り返して、幾何学的な模様を描くことになる。 こういったマス目の動的に変化を予想して設計したり、あるいは単に模様を眺めたり、マス目がどういった振る舞いをするのか眺めて楽しむのが、ライフゲームとなる。 前提として、最初に設定したマス目だけでどのように動くかシミュレートするものであり、途中で無理やり生きたマス目を増やしたり、こちらからの介入をすることはない。 これらのマス目の性質を変えたり、マス目そのものの種類を増やすことによって、より複雑なものをシミュレートすることができる。 コンウェイ氏がこのライフゲームを考案したあと、数学者でパズル作家として有名なマーティン・ガードナー氏がこのゲームを紹介したことにより、大ブームとなった。 以後、さまざまな数学者やエンジニアがどのようなパターンをあるのか研究し、さまざまな発見はLifeWikiにまとめられ、現代でも更新が続いている。 また実際に自分で設計できるWebサイトもいくつかある。 ライフゲームの世界8【複雑系】 ニコニコ動画では「ライフゲームの世界」というシリーズがあり、このライフゲームを極めていくと、どれほど複雑で広大な模様を描くことができるのか、実践している。 基本的なルールしかないのに、最初に設定するマス目によってここまで大きな振る舞いを見せるのは、圧巻だ。 ライフゲームはその挙動から生命の本質に迫ったと見る向きすらあった。 DNAは4つの塩基からなるライフゲームのようなシンプルな構造を持っているからだ。 ライフゲームのように自己増殖と変化を続ける新型コロナウイルスによってコンウェイ氏は犠牲になってしまったのは、なんとも悲劇的な結末になったといえる。 コンウェイ氏は亡くなってしまったが、彼が遺したライフゲームや数々の業績は、数学や科学などさまざまな知の分野でヒントを与え続けるだろう。 この機会に深遠なるライフゲームの世界に飛び込んでみてはいかがだろうか。 ライター/福山幸司 電ファミニコゲーマー:.

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ジョン・ホートン・コンウェイ生い立ち、研究実績、死去詳細

ジョン コンウェイ

桐一葉ではないが、コロナで著名な方々が鬼籍に入るのを知って、時間の経過を改めて知る。 ジョン・コンウェイ氏コロナで死去の報道詳細 【ニューヨーク共同】世界的数学者で初期のテレビゲームの制作でも知られたジョン・コンウェイ氏が11日、新型コロナウイルス感染による合併症のため米ニュージャージー州の施設で死去したことが14日分かった。 82歳だった。 出典:東京新聞 ジョン・コンウェイ氏の亡くなった場所と生誕地はどこ? ジョン・コンウェイ氏が亡くなったのは アメリカのニュージャージー州の施設だそうです。 また、生まれたのは イギリスのリバプールです。 ジョン・コンウェイ氏開発のライフゲームの動画 ジョン・コンウェイ氏の 代表的な作品がライフゲーム。 生命の生と死を扱ったゲームです。 その動画がありましたので こちらに記載しておきます。 明らかにコロナウイルスの原因を作ったのは中国であるのは確かな事。 中国はきちんと反省して欲しい。 コロナウイルスで 多くの著名な方も亡くなっていく現状に みなさん心を痛めているようですね。 中国やWHOへの批判も 目立ちました。 志村けんさんの時もそうでしたが このようにたくさん亡くなっていくと よりコロナウイルスの恐怖が伝わってきます。 ジョン・コンウェイ氏コロナで死去。 数学者で初期のテレビゲーム開発に携わる。 まとめ ジョン・コンウェイ氏死去のニュースをまとめました。 すでに82歳とご高齢だったとはいえ コロナウイルスがなければ まだ生きていたかもしれない。 そう考えると より悲しい気持ちになりますね。 コロナウイルスの一刻も早い終焉を 願ってやみません。

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