おしん 佐賀 編。 連続テレビ小説「おしん」

「おしん」 〜145話 地獄の佐賀編、思ってたのと違う地獄だったよ……

おしん 佐賀 編

久しぶりにおしんネタ。 関東大震災で、縫製工場を失い、失意の龍三に従って実家の佐賀に帰省したおしん。 ここから約1年の佐賀での生活が佐賀編です。 姑のあまりの言動に耐えかね、半年たった頃、おしんは内緒で佐賀を出る決意をします。 しかしこれは龍三に知られることになり、龍三との諍いで怪我を追ってしまい、断念します。 第二子を妊娠してしいたことも一要因です。 で、その後もおしんは姑につらい言動をあびせられます。 そしてついに、第二子を死産させるという結末を見てしまいます。 おしんは、今度こそ佐賀を出る決意をし、長男を連れて佐賀を出ることになりました。 これが佐賀編の大まかなストーリーです。 私がおしんを見るのは、4度目ぐらいです。 2度目のときは、あまりの辛さに、この佐賀編だけは見なかった記憶があります・・・・・。 しかし、今回見てみてまた新たな見解が生まれました。 おしんは、酒田の加賀屋でも、東京の髪結いのおっしょさんにも、髪結いの顧客にも、今後の伊勢志摩編の漁師の網元にも大変かわいがられます。 そのおしんが、なぜこんなに佐賀では姑に冷たくされたのでしょうか?そういえばおしんは、兄夫婦にも冷たく扱われます。 さらに二男の嫁にも煙たく思われます。 こう見るとおしんは、外ではかわいがられるが、家族には煙たがられる存在だったようです。 これがおしんの新見解です。 話は変わりますが、おしんが初回放送されたころ、この佐賀編の朝からの嫁いびりの展開に、「朝からなんでこんなむなくそ悪い思いをしなくてはならないのか?」 という投書が新聞等にあったことを記憶しています。 それほど、この佐賀編のおしんは辛かったのです。 とばっちりを受けたのが、姑役の「高森和子」さん。 さらに小姑役の、長谷直美さん。 なお、高森和子さんについては、ちょうじり合わせのためか、翌年の大河ドラマ「山河燃ゆ」で優しい下宿屋のおばちゃん役で登場した記憶があります。 記事がよったらクリック M山形ブログランキング おしんウオッチャー弟子 じぇじぇー!(すみません。 癖がついてしまった。 ) かなり久しぶりのおしんのアップ、おめでとうございます。 佐賀編、これでもかこれでもかの高森さんのいじめ。 本当に高森さんが憎たらしくなっております。 ますますサガン鳥栖を負かしたくなってきています。 さて、おしんの新見解が表明されていますが、私の見解はこうです。 監督の迷采配ならぬ竜三の迷采配です。 おしんを守るべきこの男が常にあっちへふらふら、こっちへふらふらとおしんについてみたり、母親についてみたりと、誰かのように方向が定まらないことをいつまでもやっているから、高森さんにいじめられる原因にもなっているのです。 チームプレーが重要なのに、守備も放棄して勝手に攻め込んでばかりいったり、ロングボールばっかり蹴りこんでいるのと同じで建設的じゃありません。 私の見解は、竜三がいまいち!です。 もうひとつ、佐賀に行きたくないというおしんの気持ちを変えさせた決定的な人物は泉ピン子の母親です。 おしんもあそこで頑張ればこんなことにならなかったのに。 でも朝ドラとしてはつまらなくなるか。 でもつくづく面白いです。 映画のおしんはたいしたことないと予言しておきます。 145• 384• 372• 351• 338• 361• 378• 374• 382•

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【ネタバレ】「おしん」流浪編の意義とは

おしん 佐賀 編

『おしん』は、1年間の平均視聴率52. 6%、最高視聴率62. 9%(11月12日)という驚異的な数字を記録。 一大ブームを巻き起こした。 そして、1975年の『水色の時』以来半年で定着していた連続テレビ小説を、『鳩子の海』(1974年)以来の1年間で描くこと。 80年以上にわたるヒロインおしんの人生を3人の女優が演じ分けることを発表。 7歳から10歳までを演じたのは、100人の応募者の中から「シンの強いところがおしんにぴったり」と選ばれた小林綾子さん。 16歳から45歳を演じたのは、『マー姉ちゃん』(1979年)でデビュー以後、テレビ、映画で一作ごとにきわだった個性とシャープな感性で若手No. 1の成長株として注目を浴びていた田中裕子さん。 そして、50歳から83歳は乙羽信子さん。 乙羽さんは、自分の生きてきた道筋をふりかえりながら「おしんと私は辛抱強いところが似ている」と話していたそうだ。 おしんの少女時代を演じた小林綾子さん• 16歳からを演じた田中裕子さん• 50歳からを演じた乙羽信子さん このドラマに、原作・脚本の橋田壽賀子と制作者たちは「高度経済成長の中で現代人が見失ってしまったものを提示し、問いかけよう」と意図したという。 橋田自身はだいぶ前から「私たちの暮らしは豊かになったけれど、本当に幸福なのかしら。 豊かになるために、何か大事なものを切り落としてきたのではないかしら」という思いを抱いていたという。 また、明治から昭和にいたる激動の時代を歩んできた人たちの生き方を、いましっかり書きとめておかなければ永遠に埋もれてしまうという危機感も抱いていた。 そんな気持ちから週刊誌の投書欄を利用して明治女性の人生体験記とも言うべき手記を集め出した。 2,3通でも貴重な体験にふれられればと思っていたのだが、いざ始めて見たらなんと段ボール1箱の手紙の山が届き、驚きとうれしさに思わず興奮したそうだ。 それらの手紙をきっかけに丹念な取材を繰り返し、明治女性の生きてきた道のりを、おしんというヒロインに託して日本近代女性史ともいえるドラマを書き始めた。 書き上げた原稿は延べ6000枚、単行本ざっと20冊分の分量に匹敵する。 幼少期のおしん(小林綾子)を徹底的にしごいた材木問屋の女中頭・つね役の丸山裕子さんは、「いじめるというより教育していたんでしょうね」と言いつつも、演じていても辛いなと思ったことがあったという。 「おしめを投げつけるシーンは、自分でもなんてことやってるんだろうと思ってしまいました。 冬でおしめが濡れていて冷たいんです。 小林綾子ちゃんの、あの大きな目でじーっと見られると、もうダメって感じで」。 それでも演出からは容赦なく「鬼になれ」と言われ続けたそうだ。 佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。 きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。 だから憎まれ役のつもりはなかった」という。 ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。 「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。 とはいえ、高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わず涙したこともあったようだ。 つね役 丸山裕子さん• 姑・清役 高森和子さん• 世界も泣いた 『おしん』は放送中から海外でも評判となり、各国から引き合いが相次いだ。 1984(昭和59)年秋のシンガポールに始まり、これまで世界60以上の国と地域で放送され、「日本といえばおしん」と連想されるほどの反響を巻き起こした。 シンガポールが『おしん』を、海外で初めて放送したきっかけは、駐日シンガポール大使の黄金輝(ウイ・キムウイ)氏が、おしんの大ファンだったことによる。 大使の任期を終えたウイ氏は、シンガポール放送協会の経営委員長に就任することになり、NHKに「私は『おしん』の大ファンである。 是非シンガポールで放送したいので提供してほしい」と申し入れた。 シンガポールで放送が始まると、視聴率は80%に達する大ヒット。 これが呼び水となって、タイ、オーストラリア、アメリカ、中国などでも放送された。 海外での放送は、日本語版や英語版に自国語の字幕スーパーを入れたり、自国語で吹き替えたりした。 各国での反響は、日本国内に勝るとも劣らないものだった。 中国では、日本で放送された翌年、1985年3月から中国語の吹き替えで放送され、北京での視聴率は75. 9%を記録した。 中国語で『おしん』は、『阿信』(アーシン)と表記された(中国語の「阿」が日本語の「お」に相当し、「信」の方は当て字)。 主な反響は、「登場する日本人たちが現在の経済大国の底力であったことがわかり納得できた」「中国と日本に共通した伝統的な倫理観が根ざしている。 だから我々は何の抵抗もなくこのドラマを受け入れることができた」というものだった。 ベルギーでは、修道院の尼僧が『おしん』を見るために、お祈りの時間を変更した。 タイでは、当時、日本の経済進出に対する批判記事が毎日のように新聞に掲載されていたが、『おしん』の放送が始まってしばらくすると少なくなった。 エジプトでは、生まれた子どもに『おしん』と名付けるひとたちがいた。 カナダでは、『おしん』のために現金や米が放送局に届いた。 モンゴルでは、放送時間に道路から人の姿が消えた。 イランでは最高視聴率90%超を記録した。 『おしん』は、日本にも貧困の時代があったことを知らせ、発展途上国の人々を勇気付ける効果も示したのだった。 『おしん』の物語に世界中が涙した• 日本での放送終了から7年たった1991年2月、東京経団連国際会議場で、おしんを放送した世界各国の関係者が集まり、国際シンポジウム「世界はおしんをどう見たか」(主催:NHKインターナショナル)が開催された。 パネリストとして参加した原作・脚本の橋田寿賀子さんは「日本を支えた人たちを書きたかったという気持ちが皆さんに伝わったことは、非常にうれしゅうございます」と発言。 それに対し、中国社会科学院の李徳純氏は「あなたたち日本人だけの『おしん』ではない。 私たち、中国人、タイ人、インドネシア人、ヨーロッパ人、全世界の『おしん』です。 日本のみなさんは独占してはいけません。 おしんという人物のイメージ、特にその民族精神、これを私は、全世界の共有する尊い財産だと思います」と語った。 日本のある1人の女性の生涯を丹念に描くことで、逆に、『おしん』は世界共通語となったことを、李徳純氏の言葉は雄弁に語っている。 『おしん』を放送したおもな国と地域• 1980年代:シンガポール、アメリカ、オーストラリア、タイ、中国、ポーランド、香港、マカオ、ブラジル、ベルギー、カナダ、マレーシア、インドネシア、イラン、スリランカ、サウジアラビア、ブルネイ、メキシコ、カタール、バーレーン• 1990年代:シリア、フィリピン、ドミニカ共和国、バングラデシュ、ペルー、パキスタン、ボリビア、パナマ、ネパール、グアテマラ、ニカラグア、エジプト、インド、ルーマニア、チリ、ウルグアイ、ジャマイカ、ガーナ、ホンジュラス、キューバ、ベトナム、台湾、ミャンマー、コスタリカ、パラグアイ、カンボジア、ラオス、モンゴル、スーダン、トルコ、ブルガリア、マケドニア、エチオピア、ベネズエラ、アルゼンチン• 2000年代:コロンビア、タンザニア、ウズベキスタン、エリトリア、イラク、アフガニスタン、ブータン、ガボン、タジキスタンなど 大ヒットの裏には、ホンモノよりホンモノらしいリアリティをめざした、制作スタッフたちの強いこだわりがあった。 今も名場面として語り継がれているのが、おしんが奉公に出るためにいかだで最上川を下るシーン(第7回放送)。 1月中旬、一面の雪の中で行われた山形ロケでは、最上川を見下ろす山の上から俯瞰で撮影することになった。 しかし、いざ山の上からいかだをカメラに収めようとすると、その直前にいかだを川に押し出すスタッフの姿がまるで雪の中の黒い点のように映ってしまう。 そこで登場したのが大きな白い布で、頭からすっぽりとかぶり雪になりすますというもの。 白い布作戦は見事に功を奏し、いかだ以外は人っ子ひとりいない雪景色が完成した。 ちなみに、このいかだはロケ地となった山形県西村山郡大江町役場の全面的な協力で出来上がったものだ。 撮影当時には、ほとんど見られなくなっていたいかだだが、若いころ地元でいかだ流しをしていたという斎藤欣次郎さん(72歳)の指導で、当時とまったく同じ藤づるを使って組み上げた。 万が一にも崩れることがあってはならないので、見えないところはワイヤーで補強したが、その上からつるをまきつけてカムフラージュ。 船頭役には指導にあたった斎藤さんがそのままあたり、昔取ったきねづかで巧みにいかだを操ってもらった。 おしんの母・ふじ役は泉ピン子さん• ヒットを確信した米一俵の贈り物 『おしん』の視聴率は、1年間の平均52. 6%、最高62. 9%という驚異的なものだったが、第1回の視聴率は32. 当時の朝ドラとしては特別に高かったというわけではない。 しかし、わずか1か月後には50%を突破する。 江口がそのころ、「このドラマはヒットする」と確信したエピソードが2つあったという。 (江口) 「ひとつは、隣のスタジオで『御宿かわせみ』(続編=1982~1983年放送)というドラマを収録していたんですが、その主役の真野響子さんが『おしん』を収録していた106スタジオのモニターに映った収録映像を見て、泣いていたのを目撃したときです。 そうしたら、新潟から米一俵がNHKに送られてきたんです。 『これでおしんを取り返してくれ』ってね。 新潟の視聴者の方からです。 それから他にも、お金が送られてくることもありましたね。 『ドラマで食べている大根めしはあなたに送っていただいたお米で作っています』って連絡して(笑)。 そんなことがあって、多分、ヒットするだろうって。 ドラマとして見るんじゃなくてね、現実として視聴者のみなさんは見ていたんですね。 最初に見たくないと思っていたテレビドラマであっても、制作者や役者が情熱をもって作っていれば、その熱気で自然と見ているんですよね。 最近、そういう熱気のあるドラマが昔に比べて少なくなってきていませんかね。 1962(昭和37)年NHK入局。 大阪局芸能部をへて、東京・ドラマ部へ。 手がけた作品に、『ゼンマイじかけの柱時計』、大河ドラマ『花神』『草燃える』、連続テレビ小説『水色の時』『本日は晴天なり』『おしん』などがある。 山形の貧しい小作農の子おしん 小林綾子 は、父 伊東四朗 に奉公に出ろと言われる。 学校に行きたいおしんだが、母 泉ピン子 が凍てつく川に自ら入り流産しようとするのを目撃。 「おれ、奉公さ行ぐ」と決意する。 貧困、いじめ、修業、大切な人との別れ。 やがて、おしん 田中裕子 は結婚、しかし関東大震災ですべてを失う。 さらに日本は戦争の渦の中へ……。 最高視聴率は日本のドラマ史上最高の62・9㌫を記録。 世界各国でも放送された。 その魅力の第一は、きれいごとで済まさず、時代の現実を一年通して描いたことだろう。 大根めしも満足に食べられなかったおしんが、麦飯のうまさに感動しただけで、ほっとしてしまう。 そして織り込まれる反戦の心。 与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を朗々と詠みきった、おしんの恩人俊作あんちゃん 中村雅俊 は脱走兵として射殺されるのだ。 完結編 第262回~最終回 ではスーパー経営で成功したおしん 乙羽信子 と家族が描かれる。 嫁姑、世代格差、橋田壽賀子得意のホームドラマも展開。 どこを切り取っても生きるための教えが詰め込まれた力強いドラマである。 文/ペリー荻野• 放送期間1983(昭和58)年4月4日~1984(昭和59)年3月31日• 主な出演者• おしん:小林綾子(7~10歳)• 田中裕子(16~45歳)• 乙羽信子(50~83歳)• 父・作造:伊東四朗• 母・ふじ:泉ピン子• 祖母・なか:大路三千緒• 少女期のおしんと出会う逃亡兵・俊作:中村雅俊 (加賀屋)• 祖母・くに:長岡輝子• 父・清太郎:石田太郎• 母・みの:小林千登勢• 娘(おしんのライバル)加代:東てる美• おしんの永遠の恋人・高倉浩太:渡瀬恒彦• 髪結いの師匠・長谷川たか:渡辺美佐子 (田倉家)• おしんの夫・田倉竜三:並木史朗• 夫の父・田倉大五郎:北村和夫• 夫の母・田倉清:高森和子• 夫の家の執事・源右衛門:今福将雄 (おしん夫妻の家族)• 次男・田倉仁:高橋悦史• 次男の妻・道子:浅茅陽子• 次女・田倉(崎田)禎:吉野佳子• 次女の夫・崎田辰則:桐原史雄• 加代の子ども・八代希望(加代の死後、おしん夫妻が養育):野村万之丞• 希望の子ども・八代圭:大橋吾郎• おしんの養女・田倉初子:佐々木愛• ナレーター奈良岡朋子• 作橋田壽賀子• 音楽坂田晃一• 考証小木新造• 制作岡本由紀子• 演出江口浩之、小林平八郎、竹本稔ほか• デスク山岸康則• 美術田坂光善、宮井市太郎、増田哲• 技術設楽国雄、白石健二• 照明渡邊恒一、増田栄治• カメラ後藤忠、沖中正悦• 音声金光正一、近藤直光、若林政人• VE福井功一•

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おしんのあらすじ 全話|子守奉公から始まる感動の一代記・結末まで分かりやすく

おしん 佐賀 編

本記事の内容• おしんの性格が変わった? わがままで姑と対立? 佐賀編では、おしんは姑・清に嫌味を言われ冷遇される日々が続き、嫌味の酷さとその結末はむごくて、おしんがかわいそうでした。 (そして長い) その一方「おしんももっとこういう言い方したらいいのに」と違和感を覚える箇所がありました。 というか、 これまでのおしんの育った境遇をからすると「おしんならもう少し上手く立ち回れるのでは?」と感じたのです。 そしてそう思わせる原因は、 幼少期と佐賀編でモチーフの元が違うからなのかもしれない、と思いました。 原作者の橋田先生は著書で、おしんの幼少期のストーリーの一部は、人に聞いた、極貧のため奉公に出た子供の話を取り入れていて、姑のセリフの方は、自身がお姑さんから言われたことを一部参考にしていると書いています。 (後半で詳しく書きます。 「行く先が怪しい家かもしれない」と思って断るにしても、もう少しだけでも姑の意見を尊重するような断り方があるのでは~と。 「家は移動しない」とおしんが言い張る時、姑なりの感じ方があることに理解を示さず、自分の価値観を通そうとしていて、強情な感じに見えました。 (疲れていて余裕がないのかもしれませんが、「自分の方が正しいわ、迷信を信じるなんて・・」と思っているように見えました。 おしんは小さい時から使用人として働いていて、また元々が貧しい大家族の中で育ったという生育環境を考えると、周りとの衝突をうまく避けることを自然にするような人に育つのでは、と思うのです。 (そうでないと大家族暮らしや奉公は難しい気がしますし、幼少期のおしんにはそういう要素があるように見えた) なのになぜ佐賀では姑に対して自分の意見を押し通そうとする頑なさ、不器用さが表れたのか? についてですが、 それは、冒頭でも書いたように、姑との同居のパートのストーリーでは原作者が自分の経験を取り込んだからではないかと思います。 おしんが幼少期に筏で下って奉公に出るシーンは、橋田さんが終戦直後に食べ物を求め親戚を頼って山形に滞在した際に地元の人に聞いた極貧の子供の話から着想を得ているそうです。 また、ストーリー全体については、後に明治生まれの女性からこれまでの人生の苦労を綴った手紙を貰ったことと、それを受けて明治時代の女性に取材したことがネタ元となっているそうです。 一方、橋田先生はエッセイの中で、自身の嫁姑問題の苦労を書いていて、 おしんの姑のセリフを書く上ではご自身のお姑さんとのやりとりを生かしているとありました。 (「 」にもこのことについて記載しています。 ) また、橋田さんご自身は、金銭的に困ってはいない家で一人娘として母の過干渉の下に過保護に育ち、一人の時間を過ごす方が好きだったそうです。 (ご自身が本でそう書いています) 当時女性では珍しい大学まで進学した後、これまた当時女性では珍しい脚本家として成功されています。 41歳で結婚した後、お姑さんの家を訪ねた際に何か指摘や注意を受けると、橋田さんは「対話をしたいから」と思ったことをはっきりお姑さんに伝えて、義妹たちに「お母さんの意見に反抗するなんて」と驚かれたり、陰で色々嫌味を言われていたりと、お姑さんとの関係でかなり苦労したそうです。 また、映画会社に就職した際も、師匠の元での作業手伝いの際に、女の自分だけお茶くみや雑用を指示されるのが不本意で、それを態度に出していたので生意気と思われ仕事を貰えなくなったとエッセイにありました。 そのようなエピソードからすると、橋田さんご自身が、かわいがってもらうため周囲に合わせるというより、アーティスティックで自分を貫きとおすタイプで(だからこ大ヒットドラマを世に出せた)、 おしんが姑に何か言わた時、大人しく「分かりました」「すみません」と言って適当に合わせたりしないのは、橋田さんご自身が取った態度のイメージが反映されていているからでは、と思いました。 以上のことから、佐賀編のおしんには違和感を感じたのかなと思います。 上手く書けてなく良く分からない文章だったらすみません・・。 もちろんドラマですし、昔の時代を描いた物語なので、まさか現代に嫁をおしんのように扱う姑はいないでしょうが、 日本広しなので地方性はあるのかなと思います。 自分は東京在住ですが、父方の祖先が山形、母は九州(佐賀の近隣県)の農家出身で、どちらもおしんの登場エリアに近いです。 九州の親戚方には数度しか行ったことがないですが「台所は男性は立ち入らない」という雰囲気は近年でも目にしました。 それは半世紀以上前のことですが、今も長男の権限が強いのですかね。 現在の九州地方はどんな感じなのか聞いてみたいものです。

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