荒野行動メインストリートミッド登り方。 2007 10月 試乗インプレ・レビュー

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荒野行動メインストリートミッド登り方

70年代にスタートしたヤマハ クルーザーの代表モデル 今回紹介するドラッグスタークラシック400(DSC4)を初めて見たのはヤマハの試乗会。 中型のクラスを超えたボリューム感には正直面食らった。 直前にドラッグスター250乗っていて、その後DSC4に乗り換えたときに、そのボリューム感から最初は同じドラッグスターシリーズの1100ccと勘違いしたほど。 ヤマハのクルーザーシリーズの歴史は長く、30年近くさかのぼる。 そのルーツは1978年に発売した「XS650スペシャル」だ。 その後、XS750スペシャルをはじめ、シングル、並列2気筒、並列3気筒、Vツインなど、続々とバリエーションが誕生することになる。 そして、国内では1984年に「ビラーゴ」として本格的にシリーズ化をスタート。 日本人が持つアメリカンというイメージを、より具体的にしていった。 1996年にヤマハのクルーザーシリーズの第3世代として「ドラッグスター400(DS4)」が登場する。 ドラッグレースを走るマシンのロー&ロングなイメージを持ち込み、そのスタイルと400ccというクラスを超えたボリュームが人気を呼び、発売から4年間に渡って小型二輪市場で首位を獲得する。 DSC4はそんなDS4の派生モデルとして1998年に登場。 ファットなフロントタイヤに深い鉄製フェンダー、サドルタイプのシートやフットボードなど、DS4にクラシック・アメリカンテイストを塗したモデルだ。 以前、自分がお世話になっているお店に行った時、知人が愛車をキック仕様にカスタムしていました。 それを見て私も「いいな」と思ったのですが…。 しかし、よくよく考えると不思議。 セルに比べて明らかに不便なキックを数十万円も掛けてカスタムするんですから。 でも私も「いいな」と思ったわけで…、これってライダーはちょっと特殊な証拠でもあるように思うんですが、どうでしょう? 山梨県/黄金のかかとさん (YAMAHA DS1100所有) セルスタートは大変便利な機能である。 キックオンリーのライダーが、汗だくでキックしているのを尻目に"ポチッ"で終了。 まさにテクノロジー様々ではないか。 しかし! これほど明確に便利なのにも関わらず、ライダーたちはキックに憧れるのだ。 なぜか…これは「キックの方がカッコいいからじゃん!」という理由付けでは済まされない問題と言えるだろう。 実はキック志向には、男独特の思考方法に答えがあった。 以前にもこちらで紹介した「カッコいい」思考がそれだ。 当然だがライダーの考えるカッコよさとは、便利さの中には存在しない。 不便…いや一手間加えることがカッコいい。 極端な話「便利=軟弱」、「不便=剛直=本物の男」という方程式が存在しているわけだ。 男性が不便さを選択する時にしばしばある「まったく、手がかかるヤンチャな相棒だぜ」というセリフ…これこそがキック志向につながっていると言えよう。 事実、アウトドア派ならば懐中電灯よりランタン、車好きならオートマチック車よりミッション車などなど…こういう例には枚挙に暇がないほどだ。 しかし、オトナのライダーとして注意してほしいことがある。 それは、それを得々と周囲に語らないことだ。 男なら「黙ってこだわる」。 これが大切である。 こういったこだわりは、周囲が気づいたときにこそ初めて「カッコいい」ということを忘れないようにしたい。 スーパーバイクレースとともに 進化した水冷Lツインの最新型 996SPSでサーキットランを楽しむ僕にとって、1098への試乗は心躍るものだった。 そこに僕は特に惹かれているのである。 ドゥカティのデスモドロミックL型二気筒エンジンには大きく分けて水冷と空冷があり、1098は水冷エンジンを搭載するスーパーバイクシリーズの最新作。 スーパーバイク選手権では2007年シーズンまで2気筒は1000ccまでという規則があったのだが、2008年シーズンからは1200ccまで認められるため、それを見越して排気量を1099ccにアップしたのが1098なのである。 1098ではオーソドックスな横2灯のレイアウトになり、サイドパネルにあったスポイラーもなくなった。 箱形だったサイレンサーも楕円断面の2本出しとなり、全体としてとてもコンベンショナルなのが1098のデザインだ。 右側面からは細身のY字型5本スポークのホイールが丸々見える。 イメージとしては998まで先祖がえりしたレイアウトを、現代風にアレンジしたのが1098と思えてならない。 1099ccにスープアップされたエンジンは「テスタストレッタエボリューション」と呼ばれ、サイズアップにも関わらずヘッド周りはさらにコンパクトに進化。 エンジン全体で5kg近い軽量化を実現している。 エンジンは各部の見直しで999から20HP近い出力向上を実現し157HPをたたき出す。 このパワーを受け止めるのがドゥカティ伝統の鋼管トレリスフレーム。 日本製のスーパーバイククラスのバイクが、すべてアルミフレームなのに対して、ドゥカティはmotoGPマシンも含めて頑なに鉄パイプフレームを使い続けている。 1098ではさらにこれが太くなり、カウルの隙間から覗く赤い骨格が存在感をアピールしてくるのだ。 また、このIT化が進んだ時代に登場したドゥカティならではの装備にも注目したい。 「DDA=ドゥカティ・データ・アナライザ」と呼ばれ、motoGPなどレースマシンに搭載されるデータロガー(記録)機能を1098Sでは標準装備(1098はオプション設定)する。 これは水温、速度、エンジン回転数、ギアポジション、スロットル開度、ラップタイムといったデータを、専用のUSBメモリに記録し、パソコンの専用ソフト上でグラフ化して見ることができるというもの。 1098ではバイクを移動するための道具から、スポーツライディングで楽しむ道具と捉え、オモチャ的な機能を付加した新しい試みだといえる。 ワインディングを走った後、仲間とこのグラフを見ながら「アクセルの開けが足りないよ」と「回転数が高すぎるんじゃない」とワイワイやる話題の中心になりそうだ。 排気量アップを凌ぐパワー感 でもスロットルを開けるのが楽しい 「ツナギを着てスポーツライディングを楽しむ」。 シートにまたがってみて「うーん、やっぱりコレコレ」と唸ってしまった僕。 前作999では、シート高が780mmと乗りやすい高さになり、安定傾向のポジションになってしまったことをちょっと寂しく感じていた。 やっぱりドゥカティはとても高いところに座り、そこからパタンと倒れるようにバンクする乗り物という感覚があった。 その高いところから倒れる感じがこの1098で復活したように感じたのである。 走り出してみてすぐに感じたのは、排気量アップがもたらす力強さ。 996に乗り始めた頃、その加速感にシビれたものだが、1098は間違いなくそれを圧倒的に上回るパワーフィールを与える。 試しに高速道路の本線料金所から低いギアを引っ張ってダッシュしてみたところ、猛烈な加速感に圧倒された。 ただ、それは扱いきれないものではない。 コーナーの立ち上がりでスロットルを開けるときに4気筒のような神経質さがなく、躊躇なくしっかり開けていける2気筒ならではのキャラクターが楽しい。 一方、タウンスピードで低い回転数を使うときには、ストールしないかと神経を使うが、少し回してあげればダダダダというスナッチも少なく走ることができる。 スーパーバイク選手権でLツインのトラクションの良さと、スリムなエンジンが生み出すコーナリング性能で幾度となくチャンピオンを取ってきたドゥカティ・スーパーバイク。 このコーナリングマシンのポテンシャルを引き出すには、実は相当な修行が必要だといろいろなドカ乗りの先輩から聞いてきた僕。 996ですら未だ満足なコーナリングができたのは数えるほどしかない。 1098は乗りやすいという評判もあるが、少なくとも今回の試乗ではまったく満足なコーナリングを得ることができなかった。 しかしそれは、逆に言うと取り組みがいがあるというもの。 これが趣味ってモノじゃないかと思う。 ドゥカティ スーパーバイク1098 こんな方にオススメ ワインディングで対話できる スポーツライディングマシン 低いハンドルに高いシート、そして高い回転数を回して走るエンジンキャラクターなど、1098は紛れもなくスーパースポーツ。 そのため、なかなか日常の足として、本格的なツーリングには向かないのは明白だ。 ムルチストラーダやモンスターに乗っていたオーナーが、同じドゥカティだからといって、同じ感覚で乗るのは無理があるかもしれない。 逆に国産スーパースポーツにちょっと食傷気味なライダーにとっては、2気筒という全然違うキャラクターに対するチャレンジとしてオススメだ。 DDAに象徴されるように、1098は移動する手段としての乗り物ではなく、あくまでもスポーツライディングを楽しむためのバイクなのだ。 日常から開放された週末に、ワインディングで1098と対話する。 まさに週末にだけ会うことができるイタリア人の恋人のような存在なのである。 ドゥカティ スーパーバイク1098 総合評価 motoGPでチャンピオンに輝く その勢いがオーラに表れている 今回、黄色い1098を目の前にして、バイクから放たれるオーラは何か違っていた。 パッと見は最近の日本製スーパースポーツモデルに比べて強い主張がないものの、そこはドゥカティの最高峰モデルの最新作。 試乗の約2週前にmotoGPでケーシー・ストーナーがチャンピオンを決め、2日前にはオーストラリアGPでドゥカティがワンツーフィニッシュを決めたのもあってか、さらにオーラが輝いて見えたのである。 最近のドゥカティはmotoGPをはじめとしてとても勢いづいている。 そんな勢いを受けて生まれたのが1098だと思う。 実は前作999が出たときに、996のオーナーとして気にはなったが、結局買い換えるほど心が動かされなかった。 今回の1098は大好きな996シリーズに回帰したようなスタイルやディテールだけでなく、全体から何かワクワクするようなものがビシビシと伝わってくる。 試乗で立ち寄ったパーキングでも、何人かのライダーに声をかけられた。 おそらく、これはドゥカティオーナーだけでなく、スポーツバイクが好きなら誰しもが感じる1098の最大の魅力なのかもしれない。 ラスベガスを抜け 灼熱のデスバレーへ こんにちは、編集部のターミーです。 今回は、いよいよアメリカツーリングの最終章。 5日目、6日目、7日目をご紹介したいと思います。 5日目は、スプリングテールという街ラスベガスを抜けてデスバレーという場所へ向かいます。 スプリングテールからラスベガスまではフリーウェイに乗ればすぐに着く距離。 それではつまらないので「バレーオブファイヤー州立公園」に寄り道していくことにします。 ここはラスベガスから近い場所にあるため、そこそこの人気の観光コース。 グランドキャニオンやモニュメントバレーほど壮大な景色が広がっているわけではありませんが、赤茶けた地面がむき出しになったアメリカらしい荒野を楽しむことができます。 "いかにもアメリカ!"といった赤茶けた地面は、鉄分を多く含んだ土壌が原因。 地表で空気に触れ、鉄分が酸化して赤茶けてくるのだとか。 初めてこの赤い地面を見たときには、アメリカに来たんだなぁと妙に感慨深かったのを覚えています。 アメリカは日本にない迫力のある景色に溢れているのですが、長距離を走りますし、同じような景色が続くので慣れてしまうんですが。 「バレーオブファイヤー州立公園」内にはネイティブアメリカンの壁画が楽しめる場所もあるようですが、私たちはちょっと寄り道しただけ。 先に進むことにしましょう。 バレーオブファイヤーを出てからは、レイクミードという巨大な人造湖沿いを走ります。 荒野に突然広がる青い水は非常に綺麗なものに写りました。 このレイクミードを抜けるとすぐにラスベガス。 山を越えていきなり現れる巨大なビル群は、蜃気楼かと思うほどの驚きがあります。 ラスベガスの紹介はTVや雑誌でも語りつくされていますから、そちらに譲りましょう。 私たちは昼食を取り、すぐにデスバレーへと向かいます。 先日(2007年10月)カリフォルニア州各地に広がった大規模な山火事は、デスバレーから吹く乾燥した熱風が原因の1つと言われているほどですから。 実際、デスバレーに近づくにつれ、気温はぐんぐんと上昇していきます。 バイクに乗っていても、湿気のないムワッっとした熱風に打たれ頭がボーっとしてくるほど。 カリフォルニア州のバイクや車のレンタル店では、契約時に「夏はデスバレーに行ってはいけない」と言われるところもあるみたいですねこれほど暑いと車もバイクも、いつオーバーヒートしてもおかしくありません。 私たちは夕焼けには間に合いませんでしたが、日が落ちて次第に青から黒へと変わっていく空を眺めることはできました。 デスバレーは早朝のうちに脱出 ドライレイクで最高速チャレンジ これまでの5日間、早朝は少し肌寒いほどでしたが、デスバレーは日の出間もなくから暑い…。 バイクで出発した私たちに容赦ない暑さが襲い掛かってきます。 尋常ではない暑さに加えて湿気がほとんどないため、まさに焼けるよう。 Tシャツが汗でベタベタになるようなこともなく、かいた汗が空気に吸い取られていくような感じです。 おまけに辺りには、ひたすら死の砂漠が広がっているだけな状態。 日本と同じ地球上の大地とは思えない景色です。 しばらくバイクを走らせると視界の先に真っ白な大地、塩湖が見えてきます。 冬の間は浅い湖になるところが、夏が近づくにつれ熱気で干上がってしまうのだとか。 ここに向かうには未舗装の短いダートを走らなければ行けないのですが、今回のツアーではところどころでダートに出くわしていましたから、もうダートには慣れてきました。 恐れずにスロットルを開けてしまえば、意外に怖くないものです。 アメリカを走るといろんな道に出くわすでしょうから、帰る頃には運転がうまくなっている気がします。 デビルズゴルフコース以外にも、ミドコロをいくつか回りました。 どのスポットもなかなか面白い名前をつけられています。 陽が高くなってくると、気温がグングン上昇してきました。 オーバーヒートも気になりますし、そろそろデスバレーを離れることに。 デスバレーから離れて、山を越えるうちに次第に気温が下がり、少しだけですが植物の姿が増えてきます。 気温が下がったとはいえ充分に暑いのですが、デスバレーを経験すると少々の暑さは気にならなくなるんですね(笑)。 もう旅も終盤で、まっすぐ南下すればロサンゼルスに着いてしまうところまで戻ってきました。 ここは映画「世界最速のインディアン」に出てきたボンネビルと同じく、車やバイクで最高速チャレンジが行われている場所です。 私が訪れたのは平日で、ほぼ貸切状態で走り回れましたが、週末は車やバイクが大挙して訪れ賑わうのだとか。 ドライレイクは小さな街の外れにあり、そこに入るにはダートを抜けて行かなければいけないのですが、地面が柔らかいため慣れていない人はちょっと怖いかもしれません。 ドライレイクの中に入ってしまえば、干上がった地面はアスファルトのように固く(ところどころに柔らかい土肌もありますが…)スピードを上げるのに怖さは感じないでしょう。 ただ、ここはアスファルトではないのでブレーキには注意です。 急ブレーキをかければスリップするでしょうから、緩いブレーキと惰性で停まる必要があります。 周りには障害物は何もありませんから、急ブレーキにさえ気をつければどれだけスピードを出しても大丈夫。 生まれて初めて100kmの壁を経験したときの感動を、好きなだけ飛ばして体験できる場所です。 このツーリングで生涯記憶に残る場所をいくつも体験しましたが、ここも間違いなくその1つですね。 ついにロスへ帰還! 3,200kmの旅の終わり エルミラージュを楽しんだ後は近くの街で1泊。 翌日はロサンゼルスへ戻ってレンタルバイクの返却手続きなどがある日です。 そのため最終日は走行距離が200kmと短いツーリングになりました。 日本だと200kmのツーリングはそこそこの距離ですが、こちらでは本当にすぐの距離なんです。 7日間アメリカを走ることで、だんだんと距離感覚がおかしくなってきますね。 こんな経験ができるのもアメリカツーリングの醍醐味でしょう。 さて、宿泊先の街を出てフリーウェイでまっすぐにロスまで向かいます。 途中で寄り道をせず、郊外のサンタモニカという街で少しだけ観光をするために道を急ぐのです。 サンタモニカはたぶん有名な観光地。 世界各地の観光客が溢れるビーチがあり、レンタルセグウェイでビーチを散策する観光客もいました。 おいしい海の幸を出してくれるレストランがあちこちにあるらしく、ここまで来たらシーフードを食べちゃいましょう。 以前、この街に来たときに私は牡蠣を食べたのですが、それまで牡蠣が大嫌いだった私が牡蠣好きになってしまったほど、おいしいシーフードを味わうことができました。 日中のサンタモニカは交通量が多く、バイクで走るには都会過ぎますが、ずっと人も車も少ない田舎を走ってくると新鮮なものです。 ただ、ノロノロと日中走るのは暑くてかなわないので、できれば夜のサンタモニカビーチを流してみたいですね。 気持ちよさそう…。 7日間のツーリングはサンタモニカを最終スポットとして終わりました。 全行程3,200kmを7日で走りぬく強行軍でしたが、走り終えた感想としては「まだ走れる。 ちょっと物足りない」でした。 年配の人だと疲労感でいっぱいかもしれませんが「もう少し走りたかった…」くらいがちょうどいいのかもしれません。 走りたいところすべてを走ることができたわけじゃありませんから、また来る理由ができたと思うことにしましょう。 昔から「いつか走ってみたかった」アメリカをとうとうツーリングすることができました。 時間もお金もかかるアメリカツーリング、知人に誘われなかったら現実的に考えなかったかもしれません。 働いている人は休みも取らなければいけませんしね。 でも、どんな立場の人も本気で一歩踏み出せば、走れてしまうツアーです。 1週間だけ日本を留守にできればいいんですから。 このツーリングに参加したメンバーは普通に勤めている人が半数以上です。 日本とは違ういろいろな景色、空気、文化を味わえるのが海外ツーリングです。 感性が敏感な若いうちに体験することをオススメします。 「本気で走りたい」そう思ったなら適わない夢ではありませんよ。 秋吉台までは名道多し 走る喜びが実感できます こんにちは。 暑さにかなり弱いアタシは、この夏通勤くらいでしかバイクに乗っていませんでした。 なのに見事な見事な日焼けっぷり。 肌メンテをしない横着者は色白バイカーには絶対なれそーにないですねー(汗)。 では早速レポートに。 今回、目指すは山口県の秋吉台です。 朝日を見ながら、星空を見ながら走り込んだコースをご紹介します。 広島市内から国道2号、岩国方面へ向かいます。 玖珂を過ぎたあたりで、国道376号に右折、突き当たる国道315号を右折し、津和野・須佐方面に向かいましょう。 この道がかなりいい! アタシの中では見事名道入りの素晴らしい道でした(笑)。 信号もほとんどなく、行き交う車も少ない。 黄金色の田園風景が広がる中を颯爽と駆け抜けることができます。 ココはほんとに爽快の一言。 名所らしいところはほとんどないルートですが、バイク乗りにはきっと気に入ってもらえるはず。 …こういう道はつい停まらずに駆け抜けたくなるのですが、編集部T氏に「気持ちいい道でこそ我慢して停まり、撮影してください」と言われていました。 が、この道では一度も停まることなく、止まる気なく走り抜けてしまいました(笑)。 でも、走りながらの撮影を行ったので雰囲気は伝わるでしょう? 次に道の駅「うり坊の郷」が見えてきたら、手前を左折、県道13号から11号へ続く道を萩市へと向かいます。 国道191号にでて島根方面に少し走り左手、日本海に突き出た笠山に入ります。 笠島は世界最小の火山なんですが、ここにはおもしろい池があるんです。 魚のえさが売ってたので、てっきり鯉でもいるのかと思いきやよーく見ると、タイ?フグ?エイがおる!? 地元の人に聞いてみたら、この明神池は山が溶岩でできているため、溶岩の隙間から池に海水が入り魚が出入りしているそうです。 天然の釣り堀状態、思わず釣りに耽りたくなりましたが、今日はレポーターとして訪れているので我慢っ! 気を取り直して、池の目の前にある「いそ萬」で昼食を。 2階が食事スペースで明神池を見下ろしながら頂きます。 選んだメニューは「イカイカうに丼」。 そそられるネーミングです。 「今まで食べてきたイカは何じゃったん!?」ってくらいやわらかくって激旨でした。 1階がお土産物屋、お店の前ではサザエやイカなど焼いていて手軽に食べることができますよ。 地上に広がる緑の大地 地下には無数の鍾乳洞 国道191号に戻り、萩方面へ向かうとすぐに萩の城下町が見えてきます。 一応ここにも寄ってはみたものの、9月中頃のツーリングはまだまだ猛暑で、あまりの暑さに歩いてまわることは不可能でした。 江戸時代に栄えた城下町、落ち着いた雰囲気の白壁の街並みです。 涼きにぜひ立ち寄ってみてください。 萩市を抜けて宗頭を左折、県道28号へ。 山の中に入ります。 ここもかなりいい爽快ルート! 黙々と走り込みたくなってきます。 県道32号に入ると、秋吉台はもうすぐ近く。 そして現れたのは、緑の大地と青い空! 「うわーーーっ」って今回も叫んでしまいました(笑)。 なだらかな草原の中に白い石灰岩がのぞいてる壮大な景色の中、存分に走り抜けましょう。 ここね、たまんないです! さすがにここでは(ちゃんと)バイクを止めて撮影。 ただ風の音だけが聞こえる場所…そんな中言葉を忘れしばらく景色を眺めていました。 10月下旬あたりからは一面ススキの大地に秋めいていくそうで、また違った景色を楽しむことができるのだとか。 秋吉台は石灰岩でできた日本一広いカルスト台地ですが、このカルストロードはほんの数キロなので あっという間に走りきってしまいます。 きっと、物足りなくって何往復もしたくなると思いますよ。 さて、お土産物屋が立ち並ぶあたりにでたら、ちょっとバイクを止めて、秋芳洞へ入ってみることにしましょう。 この秋吉台の地下には何億年という歳月の中でつくられた鍾乳洞が数多くあります。 さっき爽快に走った草原の地下に鍾乳洞が広がっているらしい…。 ここには一般にまだ入れない洞窟も含めて、450近い鍾乳洞があるそうです。 穴だらけですねー。 そんな数多くある鍾乳洞の中でも、東洋一とも言われているのがここ秋芳洞。 洞窟の広さと幻想的な様子に驚かされました。 ただですね、いくら幻想的とは言え、見学は結構キツかった…。 秋芳洞の見学コースは約1キロなんですが、洞窟内の高低差が約40メートル。 見学後はバス、タクシーで入り口まで戻るか、コースを歩いて引き返すか、を選ばなければなりません。 エンジニアブーツは重いんですっ。 必要以上に歩きたくないんですっ。 平日はバスは運休らしく、あいのりでタクシーに乗り込みました。。 不便さを(かなり怒!)感じましたが、元気よく往復歩ける方は平日でもぜひどーぞー! 吸い込まれるような青さ 別府弁天池は外せません 夕方ちかくなり、そろそろ帰ろうかと思ったんですが、ものスゴク青い池が近くにあることを知り、行ってみることにしました。 秋芳洞から30分もかからない距離でした。 県道31号を走っていると、ちょっと見落としそうな看板なんですが「別府弁天池」とあります。 狭い路地を走り抜けると広い駐車場があり、ここから歩いてすぐの「別府厳島神社」の境内にその池はありました。 日が暮れそうで、まわりは薄暗かったのに、それでも鮮やかな青さに映る池。 …ありえん青さ。 カルスト台地から湧き出るこの水は、日本名水百選にも選ばれているそう。 ここはきてよかったなぁ。 帰りのルートは、国道376号、山道をのんびりと走る予定でしたが、秋吉台を満喫しすぎたため、あたりはすでに薄暗い。 山道は苦手なアタシです。 暗闇の中の峠越えは危険と判断(笑)、安全ルートに変更します。 秋芳洞から県道490号にでて山口市内に向かいましょう。 すぐに道の駅「みとう」が見えてきます。 ここは行く前からチェックしていたんですが、栗とか柿と、変わりどこのソフトクリームがあるんですよ。 ものすごく楽しみにしていたんですけどね。 アタシとしたことが、その時食欲がなくって食べられませんでした(栗ぃ…)。 国道435号に入り、小郡方面国道9号を南下。 アタシの大キライな渋滞が多い国道2号で戻ります。 このあたりの国道2号は「小郡バイパス」、「防府バイパス」が通っていて、信号がほとんどなくかなり爆走できました。 あ、もちろん制限速度は守ったはずですよ(笑)。 今回の走行距離は450キロ程。 猛暑の中のツーリングは少々キツかったです。 でも、やっと涼しくなってきてツーリングには絶好の季節がきましたね。 寒い中走るのが大好きなアタシには、これからの時期が楽しみです。 Crazy Tigerです。 日に日に風が冷たさを増し、バイク乗りの真価が問われる季節になってきましたね。 厳しい自然に真っ向勝負を挑み、走りながら「俺(アタシ)って戦ってる」と悦に入りましょう。 そんな皆さんに送る今回のレポート「姫路1日漫遊」は、これまでの「ガッツリ走る」系ではなく、姫路周辺の名所・珍所をじっくり楽しむ形になっております。 別に時間に追われているわけじゃないので、この日の僕は、中国自動車道に入って滝野社ICまで走り、山間部から国道372号線を下って姫路入りするというルートを選びました。 滝野社ICを降りたところで、すぐ近くにある「闘龍灘」へ立ち寄ります。 なかなか勇ましい名前のこのポイントは、ゴツゴツした岩場が小さく荒々しい滝壷となっている西脇市の観光スポットでして、ここの川でとられるアユがこれまたうまいんです。 近くの食堂で食べられる「アユの塩焼き定食」はかなりオススメですね。 機会があればぜひお試しください。 川辺に行くとアユ釣りをしている人を見かけますが、こないだ訪れたときには角切りにしたサツマイモをエサにアユ釣りをしていたのには驚かされました。 闘龍灘を後にし、姫路に向かって国道372号線を南下します。 この道は姫路から篠山までをつないでいる「デカンショ街道」と呼ばれる快走ルートで、今回初めて走ったのですが、車の交通量は少なく、牧歌的な田舎の風景も楽しめてなかなかいい道でした。 僕が通ったのと逆方向に向かえば、丹波を抜け京都府亀岡市の方まで続いているそうで、このルートも気持ちいいと聞いています。 途中、何組ものツーリングチームとすれ違ったので、兵庫県西部の人には知られた道なのでしょうか。 山を覆っている森や林も少しずつ赤茶けてきて、秋らしい景色のなかを気持ちよく走れました。 また、JR社町駅のすぐ近くで、コスモスが一面に咲き誇る花畑を発見。 特に花に対して興味を抱くことのない僕がつい寄り道してしまうほど、一帯が鮮やかなピンク色で敷き詰められていました。 ココは一見の価値アリです。 観光の定番・姫路城天守閣 秋の名所・書写山圓教寺を登る 国道372号線を走り抜けて姫路市内に到着した僕がまず向かったのは、姫路観光の定番・姫路城です。 小学生以来、約20年ぶりに天守閣まで登ったのですが、改めて見つめなおしてみると「ホンマに美しい城やなー」と思わされました。 僕がここ以外に訪れた城の数などたかが知れていますが、さすが世界遺産に登録されるだけあって、趣深い情緒が漂っています。 昔の姿そのままに保存されている城内には長い歴史を感じさせる雰囲気があり、感慨のようなものを抱いてしまいました。 うーむ、俺も歳をとったな…。 それにしても、欧米系からチャイニーズと外国人観光客の多いこと多いこと…。 さすがは世界遺産。 姫路城で1時間ほど過ごし、次の目的地に向かう前に少し腹ごしらえを。 駐車場付近にはお土産屋から食堂といろいろ揃っていますが、僕が軽食にオススメしたいのが「たこ棒」(1本200円也)。 タコを練りこんで揚げただけのシンプルなものですが、同じ兵庫県は明石の名産、タコをぜひ食べておきましょう。 ちなみにお店のおねーちゃんに「これ、明石のタコですよね」と聞いたら、曖昧な返事しかいただけませんでした。 ま、そこはご愛嬌で。 次の目的地「書写山圓教寺」は、姫路城から10分ほど北上したところにあります。 ロープウェイで山頂まであがるこの寺院群は、ハリウッド映画『ラストサムライ』の舞台にもなったことで有名ですが、紅葉の名所としても知られています。 僕が訪れた11月初旬で少し赤く色づいていた程度なので、レポートがアップされる11月半ばには最盛期を迎えているんじゃないでしょうか。 ちなみにこの書写山、かなり険しい山道が続いており、一周するだけでも1時間以上かかります。 覚悟して訪れてください。 そのかわり、静寂と荘厳さに包まれた独特の雰囲気は、身も心も穏やかにしてくれる有り難さがあります…やっぱ歳とったな、俺。 『ラストサムライ』ネタをもう少し紹介しておきましょうか。 渡辺謙扮する侍の居城として使われた、ここにある大講堂はわりと知られているかと思いますが、そのすぐそばにあるお茶屋さんは、トム・クルーズの楽屋として使われたそうです。 「だからどうした」といわれると返す言葉もありませんが、ヒマな人は立ち寄ってみてください。 最大のメインスポットでとことん笑い 龍野で秋の夕暮れをめでる 書写山をあとにし、次に向かうは姫路イチの珍所と言っても過言ではない「太陽公園」です。 書写山から中国自動車道沿いに15分ほど走ったところにあるこの公園には、中国の万里の長城に天安門広場、兵馬俑のほか、巨大ハニワや自由の女神、エジプトのピラミッドなど、石で作られた世界各国の遺跡の贋作が所狭しと並べられているのです。 最初、ここを訪れるのはあまり気乗りがしませんでした。 中途半端な贋作が寂しく並んでいるだけの場所だろうなぁと思って、期待していなかったからです。 しかし…いざ訪れてみると…これが抱腹絶倒モノといっていいほど面白い。 僕は以前、中国にある本物の兵馬俑博物館や万里の長城を訪れたことがありまして、それらとは比べるべくもないのですが、潔いまでのニセモノっぷりです。 まずは万里の長城。 レプリカを作るとしても、普通2キロも作りますか? そして、あきらかに作りすぎたであろう兵馬俑が、あるはずのない場所に陳列されているのです。 万里の長城で兵馬俑が雑談を交わしているように並べられているのには笑わせていただきましたね。 また、公園内にごく普通に並べられているモアイ像、よーく見るとなぜか目がパッチリ。 ちゃんと白目がありますよ。 今回のツーリングでもっとも面白かったところはどこかと聞かれれば、迷わず太陽公園を挙げます。 姫路城で見かけた中国人の団体ツアーの皆様にもぜひお越しいただきたい名所です。 ひとつだけ注意点を挙げるならば、2キロある万里の長城を登りきっても、死ぬほど疲れるだけで大した収穫はないということです。 太陽公園でとことん笑ったあとは、いよいよシメです。 ここからさらに西へ進み、たつの市へと向かいます。 ちょうど小腹が空いてくるアナタにオススメなのが、「揖保乃糸資料館 そうめんの里」内のレストラン「庵」でしか食べられない珍品「明太シラス」です。 からっと揚げたそうめんのかたまりの上にシラスをまぶし、さらに明太子をトッピングした意味不明の一品ですが、これがうまい。 さて、たつのといえば、「そうめん」、「醤油」と「赤とんぼ」。 童謡「赤とんぼ」の作詞者三木露風の生まれ故郷ということで、町のあちこちに赤とんぼゆかりの名所があります。 訪れたのはちょうど夕暮れ時だったので、僕は昔の城下町風景が残るたつの市街を走り抜け、国民宿舎「赤とんぼ荘」が建つ丘へ行きました。 ここには「童謡の小径」という場所がありまして、丘の上からたつの市街が一望できるのです。 赤とんぼゆかりの地で夕暮れを見る…なんて演出を試みたわけですが、そんなにうまくいくわけもなく、夕日は曇り空の向こうに沈みました。 ちょうどこのとき17時になり、この丘に設置されたスピーカーから「赤とんぼ」が…。 小学校時代を思い出しながら、「さて、帰るか」と、姫路バイパスに入り帰路につきました。 久しぶりに姫路を訪れたのですが、これほど面白くて見どころ満載の街だったとは今まで気づきませんでした。 バイクに乗っていると、つい通り過ぎてしまう姫路ですが、あらためて足を運んでみると、また違った発見があることを教えてくれました。 たまにはこんなツーリングもいいもんですね。 皆さんも姫路に限らず、大阪の通天閣など、近すぎて行っていないところに足を運んでみると、結構面白体験できるかもしれませんよ。 今回は、愛知県の山間部から岐阜県に抜けて秋を満喫できるコースを紹介したいと思います。 行楽シーズンで山間部は渋滞していますので、あまり距離を走らずにたくさん寄り道をして秋を満喫してきました。 スタート地点は、皆さんが分かりやすいように東名高速道路「名古屋IC」からスタートをします。 名古屋ICを出ましたら、名古屋の郊外の長久手方面に向かい、万博記念公園を右手に見ながら猿投グリーンロードに入りましょう。 この猿投グリーンロードは、ガードレールがグリーンなんです。 距離は短いですが、通行料金は安く楽しめる道。 この道路を途中の「中山IC」で出て、国道419号を岐阜県側(山間部)に向かって走ります。 15kmほど走ると小原町に入ります。 秋と言えば紅葉というのは当たり前。 ここ小原は、なんと紅葉の中に桜が咲いてしまうんですね~。 この風景は見た者しかわからないと思いますが、結構感動します。 一見の価値があると思いますよ。 小原の四季桜は、その昔ひとりの医師が苗を植えたのが最初で、それが親木となり広まったと言われています。 四季桜は全国的にも珍しい桜で、昭和53年に地区の木に制定され、繁殖に力を入れられてきました。 そのため、今では地区のいたるところで四季桜を見ることができ、現在約8000本の四季桜があるそうです。 時期としては年によって多少の違いがありますが、10月初めからポツポツと咲き始め、見頃なのは、11月中旬~12月上旬頃までです。 ちょうど皆さんがこのツーレポを読まれるころには一番見頃なのではないでしょうか。 ぜひ見に行っていただければと思います。 特に北部生活改善センターの近くには、樹齢百有余年の県天然記念物指定の名木(個人所有)があり、その見事さには目を奪われます。 また、川見の薬師寺付近には1200本の四季桜が並んでおり、その見事さも一見の価値アリ、です。 近くには「和紙のふるさと」と言うだれでも気軽に和紙のすばらしさに触れることのできる和紙の総合施設があり、和紙の展示を含め、和紙づくりの体験もできますので、興味のある方はぜひお寄りください。 紅葉の中の桜を堪能したら、また山に向かいましょう。 国道419号を右折して県道19号に入り、足助方面に向かいます。 県道19号は道幅が狭いので対向車には注意した方がいいでしょう。 山の中を抜けて5kmも走ると小渡の町に入ります。 ちょっと寄り道をして奥矢作湖の方へ。 湖周を走る県道356号に入ってまもなく、矢作第二ダムの近くで右手に曲がってください。 ここから頂上に上る道は結構楽しめますが、対向車には注意が必要です。 そのまま1本道を登って行くと「旭高原少年自然の家」という公共施設が見えてきますが、さらに登って行きますと目的地である「旭高原元気村」に到着します。 ここ元気村には、きらめき館という施設があります。 星と雪をテーマにしたきらめき館は、宇宙の神秘を体験できるハーモニーホールや一年中粉雪が舞うホワイトホール、120インチの液晶ビジョンがあるイメージホール、口径40cmの望遠鏡を備えた天文台ミラッセ、ギャラリー、喫茶、特産品販売コーナーがあります。 ここは入場無料で、夏に来ると雪に触れることができ、不思議な気分が味わえます。 秋は秋で周囲の景色を見渡すことができ、素晴らしい景色が堪能できますよ。 他にもふれあい動物園、テニスコート、釣り堀などもあり、なかでもアウトドア設備は充実しています。 バーベキュー場やデイキャンプ広場、滞在派にはロッジ・バンガロー・テントなどの宿泊施設もあり、キャンプ備品の貸出やキャンプ用品の売店もあるので身軽に訪れることができる便利な施設です。 ボクも来年の夏にはここまでキャンプに来たいと思っています。 大正の時代を感じつつ 日本一の田園風景を楽しむ 旭高原を満喫したら、登ってきた道を下り分岐点まで戻り、今度は県道11号線を岐阜県の明智に向けて走りましょう。 山の中を紅葉が始まったばかりの樹木の間を路面に砂が浮いているのでエンジンの鼓動を楽しみながらゆっくり流します。 10kmも走らないうちに明智に着いてしまいました。 「また、休憩か?」と言われそうですが、今度はここの大正村に寄って行きましょう。 まずは、日本大正村の役場です。 この役場は、明治39年に庁舎として建てられた瓦葺きの寄せ棟造り2階建ての木造洋館で、当時としては目をみはるほどのモダンな建物でした。 昭和32年9月まで明智町役場として使用され、現在は大正村役場として活用されています。 ちなみに平成19年を大正で計算すると今年は大正96年だそうです。 それでは、大正村のみどころをピックアップしてご紹介します。 ここ、大正村の村長は、以前は高峰三枝子さんだったそうですが、今は司葉子さんが村長だそうな。 じっくり時間をかけて見学するのなら5館共通入場券がお値打ちです。 5館についてはをご覧ください。 そろそろお腹がすいてきましたので、ここで食事をとることにしましょう! 大正村にある浪漫亭です。 メニューは大正時代に縁があるメニューが並んでいました。 明治の文明開化をきっかけに日本で生まれた定番洋食のハヤシライス、大正時代の三大洋食とも言われたコロッケやカツレツ、カレーライスなど。 ボクはおすすめの味噌デミかつ丼(みそ汁・フルーツ付き)1,050円をいただきましたが、結構美味しかったです。 お腹も満足したので、少し走りましょうか! 大正村を後にして次は国道363号を中津川に向かいます。 この道は集落の中を通るため一部狭いところがありますが、快走路でオススメ。 山村風景が広がる、心地よいドライブロードです。 農村風景があって、登って下って、また農村風景があって…その繰り返し。 なんとこの途中の岩村町は、農村景観日本一(そんなのあったんかい?)だそう。 古代からの農村地帯のイメージを残す景観としては日本一であろうと言われているそうです。 展望台がありますので、ちょっと寄って見てみました。 これが、恵那郡岩村町の展望台からの景観です。 何の変哲もない極めて日常的な生活風景だと思いますが、キレイですね~。 ありきたりの風景も見る人が見ればありきたりでも無く、貴重な文化なのです。 一般的に田舎のイメージとして頭の中に描く、美しい田んぼ(田園風景)、うねった畦、荷車しか通れない道、神社の森、お寺…そういったものが全て揃った場所でした。 観光客目当てに造られた風景ではなく、実際に人が暮らしている人間の匂いがする町なのです。 一度、農村景観日本一の展望台からあたりを見渡してください。 何か懐かしい香りを感じる事が出来ると思います。 こうした景観は次の世代に確実に残しておきたい豊かな風景ですね。 中津川でお土産を買い 日本一のピラミッドへ向かう ちょっとカッコをつけて偉そうなことを言ってしまいましたが、岩村町を抜けて山の中を走って行くと、どんどん山が深くなっていきます。 そのままずっと道なりに走り続けると、中央自動車道の下をくぐり国道19号線に突き当たります。 中津川です。 「すや」と「川上屋」という2軒のお店がどちらも中津川の駅の近くにありますので、お好きな方に寄ってみてください。 国道19号を木曽方面に行くと大きな駐車場も備えた「すや」の大きい店舗があるのですがバイクで行くのですから、どうせなら本店に行ってみましょう! まず、「すや」の本店ですが、JR中津川駅のそばアピタの近くですのですぐに分かるかと思います。 また、「川上屋」の本店の方も「すや」の本店から西に500mぐらい行ったところにありますので、ここも迷うことなく辿り着くことができるでしょう。 「で、どっちが美味しいの?」と言われそうですが、「すや」は栗の粒を残し、栗本来の食感を感じます。 「川上屋」の方はきめが細かくまろやかで上品な和菓子って感じで甲乙付けがたいんです。 お土産も買いましたら、あと1箇所だけ立ち寄りましょう。 遠くから来ている方は、中央道の「中津川IC」から帰路に向かうのかもしれませんが、まだ時間はあるはず。 国道19号線を多治見方面に5キロほど行きますと恵那の町に入りますので、恵那の町から県道72号で恵那峡の方に向かいます。 この県道72号線に入る道はちょっと分かりにくいかもしれませんが、恵那峡に行きたいって言えば地元の人が教えてくれるので大丈夫! 道路から見下ろす恵那峡の景色も絶景ですが、今日は良い景色の中をさんざん走ってきましたので、ここでは日本一のピラミッドがある博石館に行くことにします。 ここ、博石館は地元で四代続く石材業者が、私財を投じてつくった石の展示博物館。 石の博物館には、「電気石」、「光る石」、「エベレストの山頂の石」、「砂漠の薔薇」など、珍石が多数展示されていました。 地ビールレストランもありますので、タンデムで乗せてきてもらった人は地ビールを楽しむのも良いかもしれません。 結構好評だそうですよ。 制限時間30分で、人工のせせらぎの中から約50種類の宝石・貴石を見つけるんです。 パワーストーンが好きな人なんか夢中になっていましたよ。 この場所(蛭川村)では、花崗岩(御影石)が取れるらしいですが、駐車場脇のトイレも全部御影石で出来ています。 近くには、ねころびの磊(もり)という施設もあって、ここでは良いエネルギーを放射する石に囲まれ、ゆっくりねころんで心と体を思いっきり解放することができます。 心のイライラ、ストレスもすっきり解消し、きっと明日への何かが見えて来るという宣伝文句でした。 マッサージ・エステ・サウナ・岩盤浴などもあるようですが、そこまで時間の余裕はないでしょう。 と言うことで、今回は距離こそは走っていませんが、秋を満喫できるコース&施設&お土産を紹介させていただきました。 欲張って何箇所も行きましたが、それぞれ重点的に行っても素晴らしい所ばかりですので、お好みの場所を選んで走ってみてください。 山の稜線・湖畔を 駆け抜ける樹海の道 みなさんこんにちは。 関東エリア担当のコーイチです。 猛暑の夏も過ぎ去り、秋らしい涼やかな風が吹き渡るこの頃。 走ってますか? 私は走ってますよ(笑)。 このツーリングレポートを絡めて、あちらこちらへ足を延ばしています。 関東圏の方でも、頑張れば日帰り可能。 関越トンネルを抜けた先にある秘境を訪れてみてください。 「道の駅ゆのたに」を出発し、まずは一路東へ。 最初は2車線の道も、湯之谷温泉を過ぎると、1. 5車線の林道チックな雰囲気へと変貌。 尾瀬の御池まで、この1. 5車線がずっと続きます。 見通しのきかないブラインドカーブばかりですので、スピードの出し過ぎには気をつけてください。 緑豊かな広葉樹の森はこれからが紅葉シーズン。 山深く人の手もあまり入っていない森の紅葉は、ライダーの目を楽しませてくれること間違いありません。 樹海ラインは、その名の通り木々に覆われた山腹の森を切り開いてできているのが分かるでしょう。 革ジャンを着込んでいたのですが、日が差さず秋の風がかなり寒かったです。 紅葉の時期の午前中は冷え込みますので、防寒用に1枚インナーを持って行かれるとよいと思います。 いくつもの渓谷を飲み込むように水を貯めている巨大な奥只見ダムへは、バイクで行くことができません。 残念ながら奥只見ダムの写真は今回無しです。 時間があれば、遊覧船を利用して奥只見ダムへ行ってみるのもよいでしょう。 ここからしばらくは、奥只見湖の湖面を左手に眺めながら数十kmの山道です。 右手に緑、左手に湖という風景を満喫しつつ、山腹を縫うようにブラインドカーブ続きの道をひたすら走ります。 バイクも車も沢水を横断しつつ走ります。 奥只見湖半の樹海ラインには、10数カ所このように路上を沢水が流れる場所があります。 樹海ラインは、例年7月にならないと通行止めが解除になりません。 豪雪地帯であることはもちろん、その雪解け水で増水した沢水に足をすくわれる可能性があるからなのでしょう、きっと。 皆でツーリングへ行く前には、洗車してバイクをキレイにしてから…という人もいるかと思います。 でも行き先が、ここの時は止めておきましょう。 せっかくキレイにしたバイクも、沢水と砂埃であっという間に汚れてしまいますので。 尾瀬の袂・檜枝岐村で 初秋の紅葉と裁ちそばを楽しむ 奥只見湖を後にして樹海ラインを先に進むと、尾瀬ヶ原を源流とする、水量豊かな只見川に達します。 この川にかかる紅の橋「金泉橋」を越えると福島県です。 新潟県側に比べて起伏もゆるやかになり、高原ムードいっぱいの森の中を走っていきましょう。 標高1500m超の尾瀬の袂では紅葉が始まりつつあって、緑の森のそこかしこに赤や黄色に染まった葉が見え隠れしています。 ここには私が思わずバイクのエンジンを切って立ち止まった美しい風景がありました。 半ば立ち枯れた白樺の巨木と、そこに巻き付いた宿り木。 葉を持たない白樺の代わりに鮮やかな紅色に葉を染めた宿り木の様子が、なんとも言えない情緒的な美しさを醸し出しています。 ちなみに、ここを訪れたのは10月の3連休でした。 このツーレポが掲載された週の週末、きっとこの辺りは紅葉の見頃のピークだと思います。 尾瀬・御池を通り過ぎると、道はやがて走りやすい2車線路の区間が増えてきます。 タイトな山道のため抑え気味だったアクセルも、少しワイドオープンしてみていいかもしれません。 快走路を会津方面へ下っていくと、尾瀬檜枝岐温泉の集落へとたどり着きます。 ちょうどお昼時でしたので、ここで昼食にすることにしました。 つなぎを一切使わないという蕎麦は、いわゆる十割蕎麦と言ってよいかと思います。 朝早くから数十kmのワインディングを走り通しだったのでお腹もぺこぺこです。 蕎麦一枚…じゃあ全く足りないよな~。 と思い、キノコの炊き込みご飯と天ぷらの盛り合わせも追加(汗)大奮発ですが、今日の予定はまだ道半ば。 この先に備えて腹ごしらえです。 出汁の効いたつゆは濃厚で新鮮な蕎麦との相性も抜群でした。 野菜と山菜の天ぷらも味わい豊か。 家庭的な味付けのキノコご飯も絶品。 写真を見返していると、また生唾が…お腹まで鳴り出しそうです。 機会が有れば食べ比べしてみたいものです。 冬の除雪対策のために道幅も路肩も広く設けられた2車線路が田子倉湖まで続きます。 収穫期を迎えた稲穂が、陽の光で輝かしく黄金色にきらめく田園地帯を、ペースを上げてぐんぐん走れます。 周辺に観光地が少なく、行楽渋滞とも無縁なのがライダーには嬉しいところ。 都心からのアクセスも容易でない奥地なのですが(だからこそ観光渋滞が無いとも言う)オススメのツーリングロードです。 走りを楽しめる 爽快フォトジェニック山岳ロード 国道289と国道252がぶつかる交差点を西へ進みましょう。 やがて気持ちのいいストレートが見えてきたと思うと、行く手に巨大なコンクリートの建造物が見えてきます、田子倉ダムです。 奥只見湖と並ぶスケールの大きさには、間近で見られる分、圧倒されるモノがあります。 こちらは幸いにもバイクでダムのすぐ側まで行けるので、休憩したり観光したりしてみるのもよいでしょう。 国道252の福島県側はいくつものスノーシェードがあり、シェードの隙間から格子状に射し込む光と影の中を駆け抜けるような、ドラマティックなシチュエーションに何回も出会えると思います。 思わずバイクのスピードを上げて、疾走するスピード感を楽しみたくなる道です。 峠を越えると新潟県に。 峠から少し下った先のこちら側は、フォトジェニックなビューポイントが点在する道になります。 国道と併走するように只見線が走り、末沢川が流れている様子は、豊かな自然と人工物の共生をイメージさせる、のどかで豊かな風景と言えると思います。 この魅力的な景観は、自然や鉄道を撮るカメラマンにも人気があるようで、線路脇や橋梁の上でカメラを構える人を何人も見かけることがあるかもしれません。 道を更に進み、民家が増え、山並みが低くなだらかになってきた頃、スタート地点だった小出の地名が道路標識に見えてきました。 お疲れ様でした。 また国道352も国道252も山間部は数十km以上ガソリンスタンドがありません。 しっかり満タンにしてから山道へ入るようにしてください。 次回の12月ツーレポは、水上~日光~那須という紅葉満喫ルートの予定です。 ツーレポが掲載される頃には・・・シーズンが終わってしまっているんでは? というツッコミは無しでお願いします(笑)。 それではまた、お目にかかりましょう。 小物使いも非常にうまいですし。 ウェアから小物までバイクメーカーが造ってる物は一切無く、バイクを降りても違和感無く街へ溶け込めます。 街やツーリング先で見掛けるブラックカラー中心のハーレー乗りとは、また違った個性があって好感が持てますね。 バイク乗り=キャップが多い中、ハンチングをチョイスするところがニクイ。 インナーはジャケットとのバランスを考え、ベージュ系のプリントTシャツがコーディネイトのポイントに。 独特な球面ドームガラスを採用したかわいらしい文字盤が印象的です。 カジュアルファッションとも相性抜群。 バックポケットの刺繍がアクセントになってインパクトあります。 デニムのポケットのダメージや生地の伸びも防げますよ。 汚し加工やレースアップ等、拘りが感じられます。 街中でもまったく違和感ない着こなしがいいですね。 バックとブーツのカラーを合わせると、全体の統一感が出てオシャレ度が上がります。 ブーツインすることで風の浸入を防ぎ、バイク乗りに重宝しますね。 毎年、秋冬になると街ではダークカラーが目立つ分、新鮮さがあります。 バイクに乗る時にホワイトだと汚れが気になるところ、カワイさ重視の選択は脱帽。 タイトなローライズデニムにショート丈のジャケットはバランスもしっかり取れています。 サイズ感もバッチリ。 ここが汚れていると全身のオシャレ度が下がります。 しっかり手入れされているブーツに好感が持てますね。 もっと小物を取り入れて見ては如何でしょうか? キャップやビーニ、ネックレスなどを身に着けるだけで印象は変わります。 FUKUDAさんはスタイルがいいですから、服のセレクトも思いのままハズ。 もう少し冒険してみると、ガラッと印象が変わりますよ。 インナーTシャツをプリント(柄)物にするか、ヴィヴィットカラーを差すかで印象は変わります。 ブラックカラーが主張しすぎず、今回のコーディネイトには合っています。 シルバーカラーではウォレットチェーンだけが目立ちすぎちゃいますから。 ブーツとの相性はバッチリですね。 インディゴカラーのGジャンにカーキのカラーが合っていますが、カモフラージュ柄の方がコーディネイトしては、もっと合っていたと思います。 ボトムのレングスも完璧。 光沢のあるシャンブレーボーダー素材が艶っぽさを演出。 残念なのはジャケットが少し小さいことでしょうか。 ワンサイズ上の方が、自然なシルエットに見えるでしょう。 ミリタリージャケットはビーニ帽と相性が良く、取り入れるとオシャレ度がグッとアップするはず。 ローライズのデニムを履いてますが、T-シャツの丈が長すぎてベルトのバックルが隠れてしまい残念です。 着丈の短いT-シャツをセレクトするか、着丈をカットすることをオススメします。 あくまでもデザインとして考えたいですね。 ですからバッグは必需品です。 ジャケット、ウエストバッグがブラウン系ですからブーツも合わせると全身のカラーバランスが纏まりますよ。 ハーレーの場合、例年この時期にニューモデルが登場し話題になるが、2008年モデルは従来のニューモデルと気色が違う。 斬新なモデルが登場しているのだ。 1つは「XL1200N ナイトスター」。 従来のスポーツスターのスタイルを踏襲しつつ、鮮やかな色使いが美しい。 2つ目が今回ご紹介する「FXDF ダイナ・ファットボブ」だ。 このモデル、ローライダーに代表されるハーレーのダイナファミリーのスタイルとは一線を画すモデルとなっている。 特徴的なヘッドライトと前後16インチのホイールは、どれもこれまでのダイナファミリーにはなかったモノ。 ダイナファミリーにも変革の波が訪れたのか。 100年以上の長きに渡り、伝統を守りつつ進化をすすめてきたのがハーレー。 しかしながら、停滞することも許されないのだろう。 FXDFをはじめとする2008年のニューモデルからは、新たなハーレー像を作ろうとするハーレーのチャレンジ精神が垣間見える。 FXDFというモデルを知ることで、ひょっとすると将来のハーレー像が見えてくるかもしれない。 ハーレーダビッドソン FXDF ダイナ・ファットボブ 特徴 今までにはない個性とインパクト ハーレーの枠にとどまらない新しさ FXDFの目をひく個性的なポイントは、やはり横2灯タイプのヘッドライト。 今までのハーレーの歴史はもちろん、その他クルーザータイプのバイクでもあまり見られないスタイルだ。 好みは分かれるかもしれないが、一目で他と違うことを主張した表情は好印象。 また、これまでのダイナシリーズと違う大きな点としては、前後タイヤサイズの変更が上げられる。 この変更の効果は大きく、ダイナファミリーの中に位置しながらもFXDFはそれに納まらない存在感だ。 もちろん、個性はハンドルとヘッドライトだけではない。 フルカバードのリアサスペンションにディッシュタイプのホイールとくれば、これはもうファクトリーメイドのカスタムマシンと言っても差し支えないだろう。 もう一つ忘れてはならないのは、新型のエアクリーナーカバーを装備したツインカム96エンジン。 独特の鼓動を奏でるこのエンジンはダイナシリーズ共通のものだが、シリンダーの下でうごめくようなエキゾーストパイプのラインとあいまって、他モデルでは感じられない逞しさを感じさせてくれる。 ファットボブは従来のファンから見れば、トラディショナルな部分の少なさで不満を感じるかもしれない。 しかし、これからハーレーを楽しみたいライダーから見れば、これほど個性的なモデルもないだろう。 ハーレーというスペシャルなカテゴリーの中でも、やはりFXDFのアピアランスは格別だ。 どこまでも力強く心地よい 走るほど感じる奥深さ セルを回すと、身震いするような鼓動とともにFXDFのツインカム96エンジンは始動する。 かけた瞬間こそぐっと身構えてしまうものの、アイドリング時のサウンドやフィーリングはジェントルなもの。 音量こそ最近の音量基準のため控えめなものの、鼓動感は健在で、体に伝わってくるバイブレーションが心地良い。 車体自体はさすがに重量があるが、一度走り出してしまえば1,584ccという大排気量が生み出す圧倒的なトルクで軽ささえ感じさせてくれる。 特に前後16インチタイヤからくるライディングフィールは格別で、フロントタイヤが大きいモデルにありがちな切れ込んでいく感覚はない。 スロットルと体重移動で意のままに楽しめる。 街中から速度の乗る高速コーナーまで見事なフットワークで駆け抜けてくれるだろう。 先入観で「ハーレーは曲がりにくい」と思っている人が乗ったならきっと驚くはず。 また、太いタイヤによる安定感も抜群で、高速道路でも余裕あるクルージングが味わえる。 ダイナファミリーは優れた運動性能が魅力の一つだが、FXDFは全体的にポテンシャルが1ステージ上がったかのような印象だ。 ハーレーファンはもちろん、国産のビッグバイクから乗換えでも楽しめる走りの良さは大きな美点と言えるだろう。 「のんびりと鼓動を感じながら」もいいけれど、力強いツインカム96のトルクを感じて走り抜けたい、という向きなら特におすすめできる。 鼓動が生み出す心地よさだけでは終わらない、この奥深い楽しさはFXDFならではではないだろうか。 個性的なのはルックスだけではない、走りの面においても独自の哲学をファットボブは感じさせてくる。 ハーレーダビッドソン FXDF ダイナ・ファットボブ こんな方にオススメ ルックスが好みなら間違いなし 走りにも個性にもこだわる人へ FXDFはルックス、ライディングフィールともに今までのハーレーには無いモデル。 従来のダイナシリーズならではのルックスやテイストを求める人にはあまりオススメできない。 だが、新しいハーレーを体感したい人や、この個性的なルックスにやられてしまった人ならFXDFは間違いのない選択肢だろう。 また、国産ビッグバイクからの乗り換えとしても、ハーレーの鼓動を感じつつもスポーティに走れるFXDFをプッシュしたいところ。 鼓動を感じながら駆け抜ける悦びはこのモデルならではのモノだろう。 自分のスタイルにコダワリを持ってバイクライフを楽しむ、そんなライダーにこそファットボブにまたがってもらいたい。 ハーレーダビッドソン FXDF ダイナ・ファットボブ 総合評価 ネガティブだった印象が一変 テイスト以外でも満足度が高いモデル 数年前に初めてハーレーに乗った時に感じたのは「トラディショナル過ぎてちょっと物足りない」ということだった。 それ以来なんとなくハーレーを避けてきたが、今回のFXDFで大きく印象が大きく変わった。 どのメーカーのモデルにもない刺激的なルックスに、インジェクション化されドライバビリティの向上した車体とエンジン。 ツインカム96の鼓動と太いトルクの快感はもちろん、一番感心したのは操作系の軽さや使いやすさ。 ハーレーといえばルックスやエンジンに目を奪われがちだが、ライディングの快感をライダーに伝達する部分の作り込みはもっと注目されるべきではないだろうか。 2008年モデルで新たに登場したFXDFの個性は賛否両論あるだろうが、伝統だけにとらわれないハーレーの挑戦は高く評価したい。 各部のこだわった仕上がりに、その気にさせてくれるライディングフィール、ハーレーならではのあのテイスト、すべてが凝縮されてこのFXDFは作り出されている。 実際に乗ってみれば、変化したからこその凄さは一目瞭然。 ハーレーが繰り出した次の一手を、是非一度体感してみて欲しい。 ホンダ伝統の90度Vツインを搭載 時代時代にエポックな入門バイク 「VT」と聞くと懐かしさがこみ上げてくる人は、まさにバイクブーム華やかかりし時代に青春を過ごした世代ではないだろうか。 今回紹介する「VTR」はまさしくそのVTの末裔ともいえるモデルである。 VTシリーズは250ccというベーシックなクラスながら、時代時代の新しいチャレンジを盛り込んだホンダスピリッツのひとつの流れだった。 250ccながら本格的なフルカウルを纏った「VT250F」、アルミダイキャスト製の「CASTEC」フレームが特徴的な「VT250スパーダ」、Vツインを生かしたアメリカン「V-ツインマグナ」、400ccをも思わせる大柄な車体がひとクラス上の車格を漂わせる「ゼルビスVT250F」など、ビギナーでもこの中からひとつくらいは車名に思い当たることができるだろう。 国産ネイキッド最大排気量 油冷のモンスターネイキッド 「最大排気量」という言葉に憧れを抱いたことはないだろうか? どのバイクよりも大きなエンジンとパワーを乗りこなしてみたい、ライダーならそんな思いを一度は胸に浮かべたことがあるはず。 GSX1400は、まさにそんな思いを具現化したようなバイクだ。 国内ネイキッドモデルで最大の排気量を誇る、油冷1401ccエンジンを与えられたGSX1400は、まさにモンスタークラスのネイキッド。 遡れば1985年のレーシングマシン・GSX-R750に搭載されて以来、脈々とその伝統が受け継がれてきた名機の最後の油冷マシンだ。 最近のネイキッドマシンは、進化するスーパースポーツの影響をうけ次々と先鋭化していっている。 しかし、その中でGSX1400は古式ゆかしいともいえるスタンダードなネイキッドだ。 ビッグマシンであることを主張する大柄なボディに、スズキの伝統を体現するエンジン。 この組み合わせがどのような走りをみせてくれるのか? いやがうえにも期待が高まるというものだ。 "遅い"シャッタースピードで バイクの動きに合わせてレンズを振る方法 流し撮りと言われる手法で撮影したのがこちらです。 この写真こそ撮影したい方も多いのではないでしょうか。 しかし撮り方としては、ちょっと難しくなります。 まず、シャッターを押す位置を想定します。 次に走ってくるバイクのスピードに合わせてレンズを動かしながら、ベストポジションにバイクが来たらシャッターを押してください。 簡単に言いましたが、最初は失敗の連続だと思います。 これはシャッタースピードが相当遅いため、手ぶれはもちろん、走ってくるバイクとタイミングが合いづらいから。 お手軽でも実はかなりの実力派! 最近話題の洗車&艶出しスプレー バイクライフを快適に楽しむためには、日々のメンテナンスが欠かせない。 オイル交換やチェーンの調整、空気圧のチェックなどやることは盛りだくさん。 それに加えて「愛車を美しく保つ」ことも重要。 ちょっとしたツーリングでも、ドロドロのバイクと綺麗なバイクでは楽しさが違ってくる、というのは言い過ぎだろうか。 ただ、メンテナンスにしろ洗車にしろベストな状態をキープするのは中々に大変だ。 少しでも手軽で便利なものがあれば…というのが正直なところではないだろうか。 そんな中、耳にしたのが手軽かつ強力というスプレー剤「プレクサス」。 早速、手に入れて試してみることにした。 プレクサスはクリーナーと艶出しを兼ねたスプレータイプのケミカルで、吹きつけた後は綿100%の布でふき取るだけの作業でOKという便利なアイテム。 艶出し効果があるのに事前の洗浄も必要ないということで、まさに手軽さを象徴するようなスプレーといえる。 しかし、使ってみないことには納得できない。 そこで毎日のライディングで使い込んだヘルメットで実験を行ってみた。 もちろん事前洗浄も何も無く、ついさっきまで使用していたものだ。 スプレー自体は一般的なものと変わらず、誰でも簡単に使用できるもの。 使用するとプレクサス独特の柑橘系の匂いが広がるが、これはすぐに消えてしまうのであまり気にする必要はないだろう。 スプレー自体は全面にする必要は無く、良く伸びるので汚れているところを重点的に、全体の半分程度で十分。 少し時間をおいたら用意した布でふき取るだけだ。 その結果は写真の通り。 ブラックメタリックなのに全く風景が映りこまなかった帽体が、室内の蛍光灯が見えてしまうほどの仕上がりになった。 シールドも透明度を回復し、軽い水分ならしっかりとはじく程で、確かにこれ一本で汚れ落としとコーティングを実現している。 その後実際に街中で使用してみたが、持続力は固形ワックスには劣るものの一般的な艶出しスプレー以上の持続力だ。 用途については実験したヘルメットの他、プラスチックパーツ全般からタンクまで幅広く使えるとのことなので、手軽な洗車&艶出しアイテムとしてガレージに一本備えておけば愛車のコンディション維持に役立つのは間違いない。 最近話題の手軽なクリーナ&艶出しは、噂どおりの実力派だった。 プレクサス 作業は簡単。 まずは綺麗にしたい 部分に拭きつけよう プレクサスの作業は簡単。 汚れている場所やこれからツヤを出したい場所にまずはよく振ってからスプレー。 結構伸びるので作業面の半分程度吹き付ければ大丈夫。 ふきつけたプレクサスを伸ばしつつ、しっかりとふきあげよう。 紙・化繊の布は表面に傷をつけてしまうので使用しないように。 あっという間にツヤピカ 透明感も抜群に やれたヘルメットの外装もこの通りあっという間にツヤピカに変身。 シールドの汚れも落ちて透明度が回復した。 ただし、キズ消し効果はないのでご注意を。 51年の伝統を持つ ハーレーのスポーツモデル 昨今ハーレーの勢いがスゴイ。 どこを走ろうとハーレーを見かけない日はないくらいだ。 中でも人気が高いのが今回紹介する「XL883L」が属するスポーツスターファミリー。 スポーツスターは、まだ国産メーカーが形も無かった頃、アメリカに進出してきた英国車に対抗しハーレーが開発したスポーツモデルだ。 登場以来、空冷OHV Vツインのスタイルを崩さず進化を進めてきた。 スポーツスターは1957年に登場して以来、細かな変更はあったものの、エンジンのモデルチェンジは3度しか行われていない。 数年に1度モデルチェンジが行われるのも珍しくないバイク業界で、1つのエンジンの寿命がこれほど長いのは珍しい。 この寿命の長さこそ、ハーレーの魅力なのかもしれない。 それでもハイスペックマシンが無数にある中で、スペック的には目新しいモノがないハーレーが人気な理由は何なのか。 2008年モデルのスポーツスター「XL883L」に試乗し探ってみようと思う。 ハーレーダビッドソン XL883L スポーツスター883ロー 特徴 シンプルな装備& クラシカルなデザイン 現在のスポーツスターは2004年にエンジンのモデルチェンジが行われた3代目。 かつての、エンジンの振動がハンドルなどに直接伝わってきたモデルと比べると、エンジンをゴムで挟み込んでマウントするタイプの現行モデルは快適性が大いに向上している。 ハーレーの場合、エンジンはただ快適性を追求すればいいわけではなく、不規則に震えるVツインエンジンの鼓動が乗り手の感性を刺激しなければならない。 現行のスポーツスターのエンジンはその要求をしっかりと満たしてくれているのだ。 スタイル面は至ってシンプル、余計なモノは何一つ付いてない。 フロント19インチ、リア16インチのホイールサイズはハーレー特有のモノ。 他メーカーネイキッドモデルとは違う独特の操作感はこのホイールサイズに負うところが大きい。 至れり尽くせりのバイクに馴染んできた方には驚きかもしれないが、タコメーターはなく、風防もタンデムシートも装備されていない。 しかし、ハーレーの世界でこれは不思議なことではない。 必要なモノがあれば、後から取り付ければいいからだ。 カスタムパーツのカタログが電話帳ほどの厚みがあるこの世界では、自分好みにどうとでもカスタムできる。 当然ながら他の883シリーズと比べると、装備されているパーツは小柄な人でも不安なく楽しめる装備となっている。 前後サスペンションはスタンダードモデルより短い。 大柄な人だと窮屈なポジションに感じるかもしれないが、女性や体の小さい方にはこれほどポジションがマッチするバイクは少ないのではないか。 他メーカーのモデルに乗っていた方ならば、フットポジションが恐ろしく前に感じるだろう。 やや足を前に投げ出すポジションながら足の踏ん張りは充分で、スポーツ走行にはこのポジションでまったく問題はない。 決して高性能ではない でも、なぜか楽しいのだ スポーツスターは私にとって特別なモデルだ。 10年以上前の1200ccモデルに長年乗っており、走行距離は10万kmを突破している。 バイクの面白さ、カッコよさとは何なのか、はスポーツスターから学び、その後バイクに深く関わるきっかけになった。 それだけ思い入れの深いスポーツスターの試乗となると、楽しみでないわけがない。 躍る心を鎮めながら、冷静に試乗を行うとしよう。 XL883Lは小柄で体重の軽い人にもっともマッチするモデルだ。 それだけに大柄で規格外の体重の私には正直言って合っていない。 それは跨っただけで一目瞭然。 まず足つき性が良すぎる。 身長178cmの私だと、ひざを曲げた上体で両足がベッタリと地面につく。 身長150cm代の人でも、信号待ちなどで不安なく停車できるのではないだろうか。 それでも足つき性が不安な人はハンドル、シート、サスペンションを交換すれば、さらにオーナーにあったポジションに変更することができる。 この辺りのカスタムはハーレーでは何ら珍しくないことだ。 車両重量は260kgと重いものの、数字ほどの重量は感じないはず。 ポジションや重量については何ら心配することはない。 スタイルが気に入れば、それ以外の点についてはどうとでもなるのがスポーツスターだ。 ハーレーのラインナップの中では排気量はもっとも小さい883cc。 出力は公表されていないが、恐らく400ccのネイキッドモデルと同じくらいの出力しかないはず。 ハーレーにモリモリとしたトルクを求める人は「あれ? こんな程度?」と思ってしまうかもしれない。 しかし883ccエンジンの魅力はハーレーのビックツインモデルとは違う。 スロットルを回しきり、エンジンの持てる力をフルに使い切って走るのが、このエンジンの魅力なのだ。 最近のバイクで大排気量のエンジンならば、そのすべての力を公道で使いきれるモノはまずない。 そんな状況だからこそ883ccエンジンの魅力が注目されているのかも。 2008年モデルから価格が下がりさらに手に入れやすくなったが、ただのエントリーモデルと一言で片付けられない魅力がある。 このエンジンにこだわり10年以上乗り続けている人もいれば、大排気量のハーレーのビックツインからわざわざ乗り換える人もいる。 ただし、しっかりとしたライディングを知り、正確な操作を行ってやることで、スポーツスターのライディングは大きく変わる。 重い部品をふんだんに使用し、ブレーキは必要充分な効きしかない、出力も公道で走るには過不足ない程度、それでも何故か楽しいのだ。 ハーレーダビッドソン XL883L スポーツスター883ロー こんな方にオススメ ビックツインと比較するならば 初めからビックツインを買うべき 排気量の大きいハーレーのビックツインとスポーツスターとで悩むのであれば、価格差は大きいが最初からビックツインを購入することをオススメする。 スポーツスターはあくまでスポーツスター。 その楽しみ方はビックツインと違うところにある。 スポーツスターを存分に楽しんでいる人に話を聞くと、購入前に悩んでいたモデルはハーレー以外だった人が多い。 Triumph「Bonneville」やKawasaki 「W650」などと悩み、スポーツスターを選ぶ人、SRなど中型シングルから、より味わい深いテイストを求めスポーツスターに辿りつく人など。 スタイリッシュな車体にテイストフルなエンジンが搭載されたスポーツスターを求める人は、よくあるハーレーの選び方と違うところで悩んでいるのかもしれない。 他メーカーのライバルモデルと比較してのスポーツスターの魅力はまず「非常にわかりやすいエンジンの味わい深さ」、そして「どんな方向にも触れるカスタムパーツの豊富さ」だ。 全国各地でユーザーミーティングも多く開催されているため、同好の士と知り合うチャンスも多いはず。 装備は決して豪華ではない。 出力もスポーツスターに勝るモノはいくらでもある。 それでもスポーツスターは乗り手の心を惹き付けてやまない。 だからこそ、乗り手側も他メーカーのバイクと比較して機能の旧さを気にすることもなく、進化が遅くても喜んで受け入れてくれるのだろう。 2007年の今、こんな味わい深いバイクが販売されていることは我々ユーザーとしては喜ばしい限りだ。

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アイスクライミングフェスティバルが主流に

荒野行動メインストリートミッド登り方

いくつもの「道」を走りました。 いくつもの「橋」を越えました。 快晴の中を、雨の中を、風の日も、雪の日も。 地球という舞台に刻まれた道を、懸命に走ってきました。 「その道を走れば、夢が叶う」。 そう言って走り始めた地球街道の旅も今回で終わります。 旅人75人、訪れた国37カ国、走行距離5万キロに及ぶ壮大な旅を振り返ります。 六平直政さんは、ベトナムの世界自然遺産、ハロン湾にて・・・。 カナディアンロッキーで、八木沼純子さんが目にしたのは・・・。 オーストラリアの広大な大地を駆け抜けたのは、勝村政信さん。 憧れのマダガスカルにやってきたのは、水野美紀さん。 高嶋政宏さんは、アイスランドで、神秘の大地に感動。 アフリカの大地で、命を賭けた絶景を目にしたのは、野村真美さん。 建築も私たちに驚きを与えてくれました。 ポルトガルで、林隆三さんは・・・。 ギリシャを走る草刈正雄さんが車を停めたのは、断崖の上に建つ天空の修道院。 旅の楽しさ、旅の喜びとは?地球街道ならではの旅の醍醐味・・・それは、音楽と寄り道。 衣笠祥雄さんがアメリカで立ち寄ったのは・・・。 高橋克実さんがスペインで見つけたお気に入りの風景は・・・。 カナダ一美しい紅葉の森、ローレンシャンを目の前に床嶋佳子さんは・・・。 西村和彦さんが旅したイタリアのラッツィオ州の小さな村は、雲海の上に。 中国の広大な竹林の中で、村田雄浩さんは・・・。 「地球街道」のはじめの一歩・・・ 中村雅俊さんが少年時代に憧れたアメリカ「ルート66」 私たちの前には、また新しい道が待っています。 道は続きます。 果てしなく、どこまでも。 3月21日放送分 南太平洋、ニューカレドニア。 旅人は、山本太郎さん。 天国に一番近い島、ニューカレドニア。 そこはまだ、私たちが知らない文化と美しい風景があります。 そこにはちょっと不思議な宿があり、伝統を守り続ける暮らしがあります。 <ヌメア> ニューカレドニア本島の町、ヌメアの夕暮れ時。 海沿いの広場では、男性たちが集まって人気のスポーツ・ペタンクに興じています。 ペタンクとは、2つのチームに分かれて、鉄の球を相手チームよりもどれだけ的に近づけられるかを競うゲームです。 カーリングの手投げ版といったところ。 ペタンク歴60年の技に驚きつつ、山本さんも挑戦してみます。 きれいな夕陽が海に沈んでいきます。 <マレ島> 本島から飛行機乗って、目指すは、「天国に一番近い浜」があるマレ島。 眼下には美しい南太平洋が広がります。 本島から飛行機で30分。 東京23区ほどの大きさのマレ島は、地殻変動で珊瑚礁が隆起してできた島です。 この島にはおよそ7500が暮らしています。 マレ島は手つかずの自然が残り、独特の文化を守り続けています。 島の南部に位置するエニ村は、マレ島の中でもとりわけ美しい村。 村のメインストリートを歩くと、山本さんがくるというので村中の人が集まってきました。 この村では、外部からきた人は、「コスチューム」という酋長への挨拶の儀式をしなければなりません。 来客はタバコとお金を布でくるみ、酋長への貢物にします。 まずはそれを長老に渡します。 すると、長老と村民から歓迎の意が示されます。 そうすると、いよいよ酋長の家へ向かいます。 山本さんも少し緊張・・・。 長老の手から酋長へ貢物が献上されます。 酋長からは歓迎のことばとともに、腰に巻くパレオがプレゼントされました。 浜では、村の女性たちが山本さんのために伝統料理のおもてなし。 伝統料理のブーニャは、サツマイモ、ヤマイモ、魚の上にココナッツミルクをかけ、それをバナナの葉で包み、蒸し焼きにしたものです。 食後は、こどもたちが昔から伝わる踊りを披露してくれました。 エニ村を後にした山本さん。 今夜は、伝統的な家屋「カーズ」に泊まります。 ニューカレドニアの民宿です。 山本さんが泊まる部屋は、なんと突き出た岩場に建っている日本の庵のような佇まいです。 <天国に一番近い浜・ジャバドラン> 天国に一番近い浜を目指す山本さん。 しかし、簡単には行けません。 足場は悪くサンゴが隆起してできた岩がどこまでも続きます。 岩場だけでなく、その道なき道は森の中へと続きます。 やがて目の前に、荒削りな岩肌が立ちはだかります。 一歩一歩慎重に足場を選んで歩みを進めます。 歩くこと2時間、ついに目の前に美しいビーチが!シャバドランのビーチ。 ここが、天国に一番近い浜。 美しきシャバドランには、波と岩場が作り出した小さな滝までありました。 <ニューカレドニア本島・ブーライユ> サーファー山本さんが、念願のサーフィンを。 ニューカレドニアきってのサーフスポット・ブーライユへ。 ブーライユの海は珊瑚礁で囲まれているため、その先までボートで行かないとよい波が来ないのだそうです。 沖に出て、さあ、初乗り! 3月14日放送分 東京から飛行機で8時間半。 「天国に一番近い島」といわれるニューカレドニアは、南太平洋に浮かぶ楽園です。 俳優の山本太郎さんが、驚きの絶景を目指し、ニューカレドニアを旅します。 <ヌメア> 人口8万人、ヌメアは島一番の都市です。 ニューカレドニアの正式名称は「フランス領ニューカレドニア」。 先住民であるメラネシア系の人々と、フランス人をはじめとしたヨーロッパ系の人々が暮らしています。 太郎さんがニューカレドニアに着いたのは日曜日。 早速色とりどりの野菜や果物が並ぶ、名物の朝市をのぞいてみます。 魚屋さんでマグロを試食させてもらったり、カフェでカフェオレとクロワッサンというフランスの朝食の定番を食べたりと、いよいよフランス気分が高まってきたようです。 <レニア島> ヌメアの人々の休日の過ごし方は様々ですが、その定番の1つがクルージング。 ヨットやクルーザーでとある場所に向かい、そこで家族とともに過ごすというのです。 クルーザーを持たない観光客にとっては、タクシーボートが便利。 太郎さんも、早速「とある場所」を目指します。 タクシーボートに揺られること20分。 沖合に見えてきたのは無人島です。 そう、ヌメアの人々は「ピクニック」と称して家族とともにこの島で過ごすのです。 島に上陸し「南の島に来た実感がわいてきた!」という太郎さん、ここで休日を過ごしているご家族のお話を伺いました。 週末のたびに島を訪れ、釣りをしたりリラックスして過ごすというご家族。 何ともうらやましいお話ですね。 ということで、太郎さんも、ニューカレドニアで最初のお楽しみ、シュノーケリングです。 透明度の高い海には、かわいい魚がたくさん泳いでいました。 <ヌメア〜> 今回太郎さんは彼女と同伴です。 その彼女とは…新しいサーフボード。 一緒に寝るほど愛しい「彼女」なのだそうです。 翌日、彼女を車に載せ、いよいよヌメアを出発。 海のイメージが強いニューカレドニアですが、ヌメアから国道1号線を北上していると、なかなか海は見えてきません。 「ずっと海沿いを走ると思っていたのに」という太郎さんですが、それもそのはず、ニューカレドニア本島の中心には南北に中央山脈が走っており、1000m級の山々がそびえ立っているのです。 青い海ももちろんですが、その雄大な山の表情もまた、絶景なのです。 太郎さんは、進路を東へと変えました。 その山脈を越えてみるためです。 北上を続ける太郎さん、森を抜けると、橋の上から網を投げる漁師さんを発見しました。 お話を伺うと「日本人が伝えた投網だよ」とのお答えが。 実は19世紀末、ニューカレドニアのニッケル鉱山で働くため、およそ6千人の日本人が移住してきました。 そしてこの地に住みついた日本人が、この投網の技術を伝えたのだそうです。 …それは意外。 皆さんご存知でしたか?というわけで太郎さん、日本人代表として投網にチャレンジです。 さあ、魚はかかっているでしょうか…(結果は0匹と残念でしたが「今は干潮だから魚は釣れないんだ」とフォローしてくれました)。 すると漁師のローランさん、朝獲れた魚を見せてくれました。 「食べたいなあ」という太郎さんのお願いに、ローランさん、快く昼食に招待してくれました。 釣った魚はどうやって調理するかと見ていると…衣も何も付けずにそのまま揚げるだけ。 実にシンプル。 テーブルには、サラダやアサリのボイルなど、豪華な食事が並びます。 ローランさんは、普段食べるものは海や自分の畑で獲れたものでほとんどまかなえると言います。 つまり、自給自足。 お金を使うのは、タバコや砂糖を買うときくらいだそうです。 究極のスローライフ、ですね。 すっかりご馳走になった太郎さん、ローランさんオススメの絶景を目指し、再び東海岸を目指します。 美しい海と雄大な山々。 どこか日本の風景と似ている景色は、かつてこの地に移住した日本人にとって、心和むものだったに違いありません。 その絶景は「海も山も両方好き!」という欲張りな太郎さんの心もすっかり満たしてくれました。 3月7日放送分 それぞれの人生の中で、人には、大切に思う場所があり、忘れえぬ人がいることでしょう。 中村雅俊さんの大切な場所は、山口県の萩と仙崎。 20代、30代の雅俊さんに大きな影響を与えた出逢いがあったからでした。 萩から仙崎へ。 それは、雅俊さんの永遠の記憶を辿る旅です。 <山口県萩市> 昭和52年、雅俊さんはNHKの大河ドラマ「花神」で、幕末の長州で奇兵隊を率いた高杉晋作を演じました。 初めての時代劇。 俳優・中村雅俊にとってターニングポイントとなったドラマでした。 長州藩の中心地だった萩は、今もそこかしこに幕末の風情が漂っています。 城下町の一角には、後に維新の立役者となる木戸孝允や伊藤博文など、多くの人材が集まっていました。 そんな町を歩き、雅俊さんが向かったのは高杉晋作の誕生地。 33年前にも一度、撮影の合間に訪れているのだそうです。 しかし、家は後世建て直され、当時から残っているものはほとんどありません。 菊が浜は、夕陽の美しい浜辺。 実は雅俊さんには、ここで撮影した思い出のシーンがあるそうです。 高杉晋作登場の場面、浜辺で木刀を振り回すシーンです。 雅俊さん、浜辺に落ちていた木の棒を拾い、当時のシーンを再現します。 高杉晋作ゆかりのものが残されていないだろうか?そんな思いで訪れたのは、萩博物館。 ここには「高杉晋作資料室」があり、様々なゆかりの品が観覧できます。 室長であり、高杉晋作の研究家でもある一坂太郎さんにご案内いただき、今回、展示されていない貴重なものを特別に見せていただくことができました。 それは、高杉晋作が自分で作った木刀。 当時の息吹を感じてみたいと、思わず木刀に顔を近づけてみた雅俊さん。 晋作の匂いはもう残っていませんが、じんわりとこみ上げるものがあったようです。 萩の町の北にある岬では、この季節ならではの光景が見られます。 笠山椿群生林は、東京ドーム2個分の広さを誇る、日本最大級の椿の群生林。 2万5千本もの椿は、すべて自生です。 林の中を歩く雅俊さん、遊歩道にはまるで誰かが撒いたかのように、椿の花が落ちています。 椿は花びらではなく花ごと落ちるのですが、その花、一体どこに咲いているかと言うと、高さ10mにも及ぶ木の上の方。 落ちた花は、地元の方々の手で毎日掃除されています。 ちょっともったいない気が…と思ったら、観光客のためにきれいな花を残してくれているのでした。 <山口県長門市> 萩に隣接する長門市の海沿いの町、仙崎。 ここも、雅俊さんにとって大切な人の故郷です。 1981年に発売された「心の色」の作詞家・大津あきらさんは、雅俊さんの1つ年上。 12年前、大津さんが47歳の若さでこの世を去るまで、まるで兄弟のように本当に親しくしていたのだそうです。 雅俊さんは、大津さんのご実家へ。 現在そこにお住まいなのは、大津さんのお母様。 東京にあった大津さんの仕事部屋を仙崎に移し、12年間そのままの状態で残してあるのだそうです。 コンサートで大津さんが作ってくれた曲を歌い続けているという雅俊さん。 今でも忘れられないのが、大津さんが亡くなった時のこと。 棺の前で、大津さんと雅俊さんを結びつけてくれた思い出の曲である「心の色」を歌ったのだそうです。 お母様も、その時のことは忘れられないご様子。 2階に案内していただき、思い出話に花を咲かせていると、雅俊さんも初めて聞くという「心の色」誕生のエピソードを聞かせてくださいました。 美しい夕陽に感動してできたという「心の色」。 それは、仙崎の風景から生まれたものでした。 雅俊さん、どうしてもこの町でも特に好きな場所で歌いたくなってきました。 大津さんが亡くなった翌年、友人たちの手で建てられた「心の色」の歌碑のそばで。 大津さんはその場にいなくても、きっとどこかで聞いていてくれるはずです。 大津さんへの思いがこもった「心の色」を。 2月28日放送分 60カ国以上の国をめぐり、現在登山家としてエベレストやマナスルなど、世界の最高峰に挑み続けている、元F1レーサーの片山右京さん。 今まで冬の北海道を訪れたことがなく、冬の北海道が織りなす神秘の風景にずっと憧れ続けていたのだそうです。 そんな右京さんが目指すのは「神の湖」と呼ばれる摩周湖。 右京さんが、雪の北海道で見たものとは… <釧路湿原> 釧路湿原は、東京・山手線内の3倍ほどの面積を誇る、日本最大の湿原です。 海外ではカヌーの経験があるそうですが、冬のカヌーは初体験。 しかも川面は、シャーベット状の氷で覆われています。 釧路川をすべるように進むカヌー。 そこは時折鳥のさえずりや、カヌーが水面をこする音が聞こえてくるだけの、静寂に包まれた世界です。 そしてこの季節、ここで見られるとっておきの風景があります。 それは、霧氷。 氷点下では、水の方が暖かいため、川から上った水蒸気が樹木に当たり、昇華します。 それが木の枝や葦にくっつき、幻想的な風景を作り出すのです。 それは、冬の湿原を彩る一瞬の輝き。 霧氷は、朝日が上るまでの気温に左右されるため、厳冬期の一瞬だけ目にすることができる現象なのです。 <鶴居村> 「鶴居・伊藤サンクチュアリ」は、タンチョウの給餌場。 タンチョウは、絶滅の危機にある鳥です。 現在およそ1000羽が確認され、越冬のために餌が与えられています。 タンチョウは、春夏を湿原で過ごし、秋になると鶴居村にやってきます。 冬の間、凍りにくい川を寝床としていますが、今の釧路湿原では冬を越すだけの餌を自力で取ることができないため、昼間だけ給餌場に飛来するのだそうです。 <摩周湖> 「右京さんは、摩周湖を目指します。 展望台から見ると、そこは深い霧に覆われていました。 「神の湖」と讃えられている摩周湖は、流れ込む川も流れ出る川もないカルデラ湖です。 しかし、年間を通じてその水位がほとんど変わらないのは、ここの水が、地下を通る伏流水になっているためです。 その影響は、半径100kmにも及びます。 ですから摩周湖は「神の湖」と呼ばれているのです。 <清里町> 神の湖・摩周湖のもうひとつの神秘を見るために、右京さんは清里町にある宿へ。 お世話になったロッジの名は「旅人の宿・風景画」です。 アウトドア関連の会社に勤めていた山下さんがこの地にひかれ、北海道に移住したのは10年前のこと。 そして自ら設計建築し、旅人を迎えるための宿を始めたのだそうです。 宿の名前を「風景画」とした理由は、2階に上がるとわかります。 それは、壁一面が窓になっており、その窓がまるで額縁のように風景を切り取るから。 窓から見える斜里岳は、まさに風景画のような美しさです。 夕食作りは、山下さんご夫妻の共同作業。 素朴ながらも、できるかぎり地元の食材を使い、心がこもった手作りの料理です。 翌朝、自然ガイドでもあるご主人の案内で山の中へ。 目指すは神の湖・摩周湖の力がもたらす奇跡の場所です。 雪深い道も歩けるスノーシューを装着し、森の奥へと進みます。 木が骨組みとなって天然のかまくらができている場所、森を流れる川に氷のオブジェ。 自然の恵みを目にしながら3時間ほど歩いた2人の目の前に表れたのが、「神の子池」です。 静かに、蒼い水をたたえる「神の子池」。 その中には、朽木が横たわっています。 実はこの池の源は摩周湖。 こんこんと湧く伏流水は、1日1万2千トンもの湧水量を誇り、水温は年間を通じてほぼ8度に保たれています。 神の湖・摩周湖の子どものようだからと、ここは「神の子池」と呼ばれているのです。 それは、地球が作り出した奇跡の場所です。 右京さんは、再び北海道の大地を走り始めました。 まだ見ぬ神秘の絶景がそこに待っているから。 それは、知床の深い森です。 2月14日放送分 スペイン西部、イベリア半島を南北に走る1本の道を、人は「銀の道」と呼びます。 およそ2千年前、古代ローマ人によって作られた軍事用の道。 その名の由来は諸説ありますが、古くから人を運び、物を運び、スペインの歴史そのものが刻まれた道なのです。 冬のスペインを訪れるのは初めてだという近藤正臣さんが、「銀の道」の終着地セビーリャを目指します。 <「銀の道」旧街道沿い> 「銀の道」沿いの旧道脇に立っているのは、「ミリアリオ」と呼ばれる古代ローマ時代の道しるべ。 かつてイベリア半島の中心都市であったメリダから、1マイル(古代ローマ時代=約1.5km)おきに置かれていたものだそうです。 近藤さんが立ち寄ったのは、とある羊小屋。 羊飼いのおじさんに「いいものを見せてあげるよ」と、小屋の中へ案内されると、そこには太い石の柱が何本も。 そう、なんとあの古代ローマ時代の道しるべが、羊小屋の大黒柱に変わってしまっていたのです!近藤さんが立ち寄った羊小屋はおよそ400年前に建てられたそうですが、どうやらその時、道しるべをあちこちから持って来て柱に利用してしまったらしいのです。 近藤さん、思わず「そんなことしちゃダメなんじゃないの?」と聞きますが、おじさんは「この羊小屋が建てられたのはすごく昔のことだから、よくわからないよ」とのこと。 そりゃそうなんですけど… <カセレス> 中世の貴族の住宅群がほぼ当時のまま残る旧市街は、その街並の美しさから、世界文化遺産に登録されています。 近藤さんは、名物を求めてカセレス郊外にある「ラ・ハリージャ」へ。 ここは、伝統的な手法でチーズを作り続けている工房です。 その作り方は、乾燥させた朝鮮アザミの花から作った天然の凝固剤を使って羊のミルクを固め、1つ1つ丁寧に型に詰めて、高い湿度を保った冷蔵庫で2ヶ月熟成させるというもの。 そうしてできあがるのが、名物、トルタ・デル・カサールです。 工房の方は「世界一おいしいチーズですよ」と言うのですが、実は近藤さん、チーズが大嫌い。 口に入れるまでにちょっと時間がかかりましたが、思い切って…!さて、「世界一おいしいチーズ」は、近藤さんのチーズ嫌いを克服させることができるでしょうか? 世界遺産の町、カセレスが最も美しいのは、夜かもしれません。 そこで近藤さんは夜の町を散策。 町の中心にある広場に出てみると、教会の塔の上にコウノトリを発見しました。 通常、冬はアフリカで過ごし、春再び戻ってくるはずのコウノトリ。 今ではすっかりここに住みついているようです。 ドライブ中、巣はいくつも見たけれど、中に本物がいるのは初めて見たと言う近藤さん。 世界遺産の町での、思いもかけない出会いでした。 <メリダ> 「銀の道」を何かすること1時間。 「小さなローマ」と讃えられる町、メリダです。 まるで遺跡の中にあるかのようなその町で近藤さんが訪れたのは、およそ6千人を収容できたという、半円形のローマ劇場。 近藤さん、思わずシェイクスピア(?)のお芝居のセリフを絶叫。 ナレーションの中村雅俊さんも、思わず「その気持ち、わかる!」と言ってしまうほどのはしゃぎっぷりを見せていただきました。 <モネステリオ> 再び「銀の道」を走り出した近藤さんの目に飛び込んできたのは「デエサ」と呼ばれる樫の木林。 広大なドングリの林には、たくさんのイベリコ豚が放し飼いにされています。 冬の時期、ドングリだけを食べさせて、さらに厳しい基準をパスしたイベリコ豚のみ、最高の生ハム「ベジョータ」になるのだそうです。 たくさんのイベリコ豚に囲まれた近藤さん、何をしているかと思えば、何と豚の大事な食料であるドングリを拾っていました。 そしてそのドングリをパクリ。 どうやらこの林のドングリ、近藤さんが子どもの頃に食べた椎の実と同じ味がするのだとか。 「この豚たち、こんなにおいしいドングリ食べてるんだ…」と納得の近藤さん。 …となれば、生ハムも絶対おいしいはず!と、町にあるバル・レストランへ。 そこに、最高級の生ハムの最高の食べ方があるというのです。 最高級の生ハム「ハモン・イベリコ・ベジョータ」ができるまでには、3年という時間が費やされます。 その生ハムをおいしくいただくには、切り方がとても重要なのだそうです。 レストランテ・マジョルカのデメトリオさんは、スペインの生ハム切りコンテストで優勝した達人。 その見事な包丁さばきは、まさに職人技。 近藤さんも待ちきれません。 ところがデメトリオさん、生ハムは出してくれたものの、フォークがない。 まさか、見るだけ…?と、心配になる近藤さん。 実は生ハムは、手で食べるのがスペイン流。 最高級の生ハム、お味はいかがでしょうか? <セビーリャ> 「銀の道」の終着点、セビーリャ。 ローマ時代、大航海時代と、貿易の重要な拠点として発展しました。 シンボルの「ヒラルダの塔」がある大聖堂は、世界遺産に登録されています。 「銀の道」を走り終えた近藤さんが最後に向かったところ。 それは、夜のバル。 夜の1時過ぎだというのに、皆さんフラメンコを踊ったりお酒を飲んだりで大盛り上がり。 スペインの、長く賑やかな夜はまだまだ続きそうです。 2月7日放送分 スペイン西部、イベリア半島を南北に走る1本の道を、人は「銀の道」と呼びます。 その名の由来は諸説ありますが、古くから人を運び、物を運び、スペインの歴史そのものが刻まれた「銀の道」。 冬のスペインを訪れるのは初めてだという近藤正臣さんが、ヒホンからセビーリャまでのおよそ820kmの道のりを走ります。 <ヒホン> 「銀の道」の起点は、カンタブリア海に面した町、ヒホン。 この町の名物は、日本人にとって非常になじみ深い食べ物だということを聞き、近藤さんは一軒のバルへ向かいました。 お店の方が「名物のオリシオがあるわよ」と出してくれたのは、なんとウニ。 しかも茹でたウニです。 ヒホン流のウニの食べ方は、丸ごと海水で茹でるというもの。 「生で食べた方がおいしいのに、もったいない!」と言いつつ、近藤さん、しっかり完食です。 <ブエニョ> スペイン北西部、人口130人ほどの小さな村、ブエニョ。 村を歩く近藤さんが見つけた不思議な建物は、「オレオ」と呼ばれる高床式の倉庫。 雨が多いスペイン北西部で、穀物を湿気から守るために生まれたもので、古い物では数百年ほど経つそうですが、未だに現役。 まるで頑固なおじいさんのような佇まいです。 引き続き村を散策していた近藤さん、ようやく村人のおばさんを発見。 勇気を出して「日本から来ました」と話しかけてみると、「はいはい、よくいらっしゃいました」と、つれない態度で逃げられてしまいました。 歩き去るおばさんの足音がぽこぽこと響きます。 「木靴…?」と不思議に思った近藤さん、めげずにおばさんの後を付いて行ってみることに。 しばらくすると、そのおばさんのご主人と思われる、木靴を履いたおじさんを発見。 お話を伺ってみることにしました。 「マドレーニャ」と呼ばれる木靴は、雨の多いこの地域だからこそ生まれた生活必需品。 ぬかるみの所を歩きやすいし、足がとても暖かいのだそうです。 どうしても木靴が欲しくなってしまった近藤さん。 さて、旅の間に見つけることはできるでしょうか? <レオン> サンティアゴへと続くかの有名な「巡礼の道」と「銀の道」が交差する、古くからの要衝レオン。 旧市街は、10世紀に造られた城壁に囲まれています。 町のランドマークは、レオン大聖堂。 13世紀に建造された、ゴシック建築の傑作です。 中へ入った近藤さんが目にしたのは、壁一面に施された、700枚を越すステンドグラス。 息を飲むその美しさは、ただただ「すごい」の一言です。 マヨール広場では、市が立っていました。 冬のヨーロッパ名物、焼き栗やみかんなど、買い物に夢中の近藤さんでしたが、偶然、木靴を履いているおばあちゃんを発見!聞くと、お店の場所を案内してくださるというので、お言葉に甘えることにしました。 教えられたのは、一見普通の靴屋さん。 意を決してお店に入ってみると…ありました!たくさんの木靴です。 中には豪華な彫刻が施された木靴も。 近藤さんは「彫刻は誰に教えられたわけでもなく、自力で学んだんだよ」と教えてくれた、御年80歳のアベリーノさんが丹念に彫り上げた木靴を迷わずお買い上げです。 念願の木靴の履き心地はいかがでしょうか? <ポルトガル国境> 近藤さんは「銀の道」を外れてちょっと寄り道。 ポルトガルとの国境を目指すことにしました。 車を走らせる近藤さんが思わず通り過ぎてしまった「セグラ橋」が、スペインとポルトガルの国境。 ということで、改めて橋の上へ。 2つの国境をまたいだ近藤さん、「俺は今2つの国にいるんだぞ!」と思わずピース。 まるで子どもみたい…ですが、わかりますよね、その気持ち。 <セグラ(ポルトガル)> 橋の上からふとポルトガルの方を見ると、丘の上に小さな村が見えました。 ポルトガルに入って最初の村です。 近藤さんは、ためらうことなくその村へ。 初めて出会ったポルトガルの村、セグラです。 近藤さんは、国境から見えた教会へ。 たどり着くと、そこには日没を待つおじさんたちがいました。 「ちょっと寒いよ」と言うおじさんたちと一緒に、ベンチに座って夕陽を眺めます。 翌日、近藤さんは再び「銀の道」を走り出しました。 終着点のセビーリャまでは、およそ300kmです。 1月31日放送分 江戸時代後期、新潟の商人・鈴木牧之が1冊の本を著しました。 雪国の暮らしを記した「北越雪譜」には人々の知恵と文化が綴られ、当時「里見八犬伝」と並ぶ大ベストセラーとなりました。 それから170年。 雪国の暮らしぶりはどう変わったのでしょうか?新潟県新発田市出身の三田村邦彦さんが見た、現代の「北越雪譜」の旅の始まりです。 <新潟県十日町市> 日本有数の豪雪地帯、新潟県十日町市。 旅の始まりは、松之山温泉。 草津、有馬と並んで「日本三大薬湯」の1つに数えられる名湯です。 湯煙漂う温泉街も、今はすっかり雪の中。 雪が降っている時期にここを訪れるのは初めてだという三田村さん、街を歩いていると、騎馬に担がれた2人の男性に出会いました。 「お婿さんが投げられる」というのですが…?「婿投げ」は、この地域に300年ほど前から伝わるお祭りで、前年結婚したお婿さんが、高さ5m以上のお堂の上から放り投げられるというもの。 もともとは、よそ者に集落の娘を取られた腹いせに婿を投げたのが始まりだとされ、お嫁さんが雪の中からお婿さんを助け出すことで、2人の絆がより深くなるよう願う行事なのです。 三田村さんがお話を伺った関根さんも、放り投げられて雪まみれ。 無事旦那さまを助け出した奥様、「旦那さまが投げられていかがでしたか?」と聞かれ、「素敵でした」…お2人の絆はますます深まったようです。 いつまでもお幸せに! 松之山は、日本有数の豪雪地帯です。 特に、昭和56年と59年には、山間部で6mを超す記録的な積雪となりました。 ここで暮らす人々は、日々、雪との格闘です。 三田村さんは、雪かきをしていた方にお話を伺ってみました。 ご自宅に案内してくれた丸山さん、屋根には3mの雪が積もったこともあるのだそうです。 外装に多少手を加えてあるとはいえ、築100年の立派なお宅。 太い梁や柱が、過去の豪雪に耐えてきたのです。 ひとやすみさせていただき、奥様が作ったというおかずまでいただいてしまった三田村さん。 そろそろ今日の宿へ向かいましょう。 三田村さんの今夜の宿は、一軒まるまる借りられる古い貸し民家。 雪国の暮らしを体験してみよう、というわけです。 この日の外気は2度。 とにかく寒い!!そこで三田村さんは、囲炉裏に火を入れることにしたのですが、問題発生!杉の枝や薪が燃える煙で家の中が真っ白になってしまったのです。 暖を取ったのに窓を開けなきゃいけないなんて、雪国の暮らしは楽じゃありません。 ここでの泊まりは自炊が基本。 新潟に来たからには、魚沼産のコシヒカリでしょう!ということで、薪を割って、お釜でごはんを炊きます。 待つこと40分、ほかほか、つやつやのごはんが炊けました。 おかずは先ほど丸山さんからいただいたもの。 サトイモやニンジン、ゴボウなどを煮てとろみをつけた、この地方の郷土料理「のっぺ汁」を温め、それをごはんにかけるのが、三田村流・おいしいのっぺ汁の食べ方です。 三田村さん、思わず「うまい!」。 心も体も温まる、おいしい新潟の味です。 <新潟県津南町・長野県栄村> 新潟県から長野県へ。 三田村さんが向かうのは、豪雪地帯の秘境、秋山郷です。 秋山郷は、平成18年、記録的な豪雪に見舞われ、唯一のライフラインである国道405号線が1ヶ月にわたり通行止めになり、13の集落が雪の中に孤立しました。 今年は、例年よりだいぶ雪が少ないようです。 秋山郷には、信号が1つもありません。 三田村さんがゆっくりと車を走らせていると、牛乳パックを1本持って歩いている人に出会いました。 三田村さん、「牛乳配達をしてるんです」とおっしゃる、お仕事中の阿部さんに付いて行くことにしました。 地元出身の阿部さんの本業は、商品の卸業。 しかし一般家庭からお願いされると、配達料なしで、食料品から電化製品まで、あらゆるものをお届けしているのだとか。 「待っていてくれる人がいるから、雪が降っても、腰まで雪に埋もれても届けなきゃいけない」と語る阿部さん。 助け合って暮らす、雪国の温かさです。 旅の終わりに三田村さんは、秘境・秋山郷の中でも最も美しい場所へと向かいます。 そこには、新潟県出身の三田村さんも見たことがない絶景が広がっていました。 1月24日放送分 元フジテレビの中村江里子さんと、元TBSの雨宮塔子さん。 現在パリに住むお2人が親しくなったのは、ごく最近のことなのだそうです。 江里子さんの思い出がいっぱいつまった場所、そして塔子さんが長年憧れていた美しき礼拝堂。 愛しのコート・ダジュールで、お2人を待ち受けていたものとは…? <ニース> この日、ニースは大荒れ。 実は江里子さん、ご家族に「嵐を呼ぶ女」と言われ、ここぞという時に必ずお天気が悪くなってしまうのだとか。 「今日の雨も私のせいかも…」と落ち込む江里子さんですが、気を取り直してニースの街を散策してみましょう! 街で最もにぎやかなのが、旧市街の朝市。 品揃えも豊富です。 パリではよく市場で買い物をするというお2人ですが、この朝市には、ニースでしかお目にかかれないものもあるのです。 お2人が見つけたのは「ソッカ」という大きなお好み焼きのようなもの。 ニースの名物料理で、小麦粉ではなくエジプト原産のひよこ豆をひいた粉に、水、オリーブオイル、塩を混ぜた生地を、250度の窯で8分間焼いてできあがりです。 さて問題は、そのお味。 どうやらソッカを売る名物おばさんのテレザさんが、豪快にコショウを振りかけすぎてしまったようです。 テレザさんは「日本人は辛いのが好きでしょ?」と、涼しい顔。 とても元気なテレザさん、「日本人男性が結婚してくれたら、エネルギーの全てを捧げるわ」とのこと。 元気をもらいたい独身男性の皆さん、ニースの朝市でテレザさんにプロポーズしてみては? <ヴァンス> 今回お2人が最も楽しみにしていた場所、それは、ある画家が手がけた礼拝堂です。 色彩と構図を徹底的に追及した、20世紀を代表する画家、アンリ・マティス。 その晩年の代表作である礼拝堂は、マティスが大好きだという塔子さんが長年望んでいながら「最後の砦」として、ずっと訪れずにいた場所でした。 中世の佇まいが残る街、ヴァンスはマティスが晩年の一時期を過ごした街でもあります。 その街はずれにさりげなく建っているのが「ロザリオ礼拝堂」です。 休館中だったため、予約を入れ、管理しているお隣の修道院に開けてもらうことになっていたのですが、担当の方は「問題が起きました。 中は無理です」の一点張り。 本当は終わっているはずだった礼拝堂の中のペンキ塗りに、思いのほか時間がかかってしまっているというのです。 あきらめきれないお2人は、礼拝堂の外へ。 目の前に憧れの礼拝堂があるというのに「絶対にダメです」とつれない返事。 結局お2人は予定を変更し、2日後に出直すことにしました。 <サン・ポール・ド・ヴァンス> サン・ポール・ド・ヴァンスは、ヴァンスの隣町。 中世の家並みが保存されており、コート・ダジュールの中でもひときわ美しい町、そして江里子さんのご主人の故郷でもあるのです。 江里子さんが塔子さんを連れて来たかったのが「ラ・コロンブ・ドール」というホテル。 現在は休業中ですが、かつてピカソやブラックら、名だたる画家たちが盛んに出入りしていた宿。 その時彼らが残して行った作品がいたる所に飾られているすごいホテルなのです。 塔子さん、残念!宿泊は、またの機会ということで… 街を歩いていると、江里子さんが結婚式当日、ウエディングドレス姿でくぐり、街なかへと入っていったという門があります。 何とその門も工事中!お2人の旅はトラブル続きです。 お2人は回り道して、教会に至る坂道へ。 ここは、江里子さんがドレスを着てお父様と共に歩いた、忘れることのできない道。 父と娘、そして家族がお互いのことを想う、美しい時間が流れていた、江里子さんにとってはとても大切な場所です。 坂道を登りきると、江里子さんが式を挙げた「サン・ポール・ド・ヴァンス参事会教会」に突き当たります。 完成したのは12世紀とも言われる古い教会。 その後改修を繰り返すものの、今も中世の姿をとどめる美しい教会です。 <ヴァンス> 旅の最終日、お2人は再びあの礼拝堂へ。 ドキドキしながら待つお2人のもとに、担当の方が笑顔で現れました。 どうやら中を見せていただけるようです。 ロザリオ礼拝堂は、マティスが晩年、看護を受けた女性の依頼に応え、手がけたものです。 4年近くの歳月を費やし、まさに心血を注いですべてのデザインに取り組みました。 ステンドグラスの色は、青、緑、黄色のわずか3色。 青は空と海を、緑は植物を、そして黄色は太陽を表しています。 マティスは、この礼拝堂のためにアトリエを改修。 長い棒(筆)を使い、巨大な壁画の制作に取り組みました。 試行錯誤の末に生まれた3点のタイル画は、一切の無駄がそぎ落とされています。 キリストの受難の過程を描いた「十字架の動行」は、何度も何度も描き直し、3年以上の歳月を費やしたのです。 そしてお2人が、この礼拝堂の中で最もひかれたのが「聖母子」。 幼いイエスを抱いた、聖母マリアです。 温かい気持ちが、体の中から満ちてくるような絵、ステンドグラスを通る柔らかな光。 モノクロームの絵にほのかに映る色は、色彩の魔術師と呼ばれたマティスの真髄ともいえる美しさです。 旅を終えたお2人は、共に言いました。 「年を重ねて、また来てみたい」と。 1月17日放送分 元フジテレビの中村江里子さんと、元TBSの雨宮塔子さん。 現在パリに住むお2人が親しくなったのは、ごく最近のことなのだそうです。 南フランスは何度か訪れているというお2人ですが、それぞれがオススメの場所を案内しながらニースを目指します。 初めての二人旅、その先に待っていたものとは… <エクス・アン・プロヴァンス> 超高速鉄道TGVでおよそ3時間。 エクス・アン・プロヴァンスは、2千年以上の歴史を誇る街です。 湧き水が多いこの街は、夏には豊かな緑に包まれます。 舗道には、「C」のマークが。 ここエクス・アン・プロヴァンスは、近代絵画の父、ポール・セザンヌの故郷。 「C」のマークをたどっていくと、アトリエなど様々なセザンヌゆかりの場所に行き当たる、というわけです。 お2人がここを訪れたのは、街がクリスマス一色のころ。 街の一角に、何やら皆さんが真剣に物色している出店がありました。 ずらりと並んでいるのは「サントン人形」。 この地方で採れる粘土で焼き上げた後着色して作られ、大きさは2〜30cmほど。 フランス革命で人形を飾ることを禁止された際、隠れて行うために小さくしたのが起源なのだそうです。 クリスマスの前後に、思い思いのサントン人形を家に飾ることが、プロヴァンスの人々の楽しみ。 3年前から人形を飾り始めたという江里子さんは、早速お買い物モードに突入。 全部で10体のお買い上げです。 実際に人形を飾っているところが見たいというお2人は、お店の方にコレクターのシリルさんを紹介していただき、早速ご自宅へ。 ごく普通の農家だと聞いていたのですが、そのスケールにびっくり。 何と、立体感を出すために壁に穴まであけてしまっているのです。 幅4m。 祖父の代から70年にもわたって集め続けたという人形だけでなく、草木や土を使って、一昔前のプロヴァンスの牧歌的な暮らしを再現しています。 デザインは毎年替え、今年は3日間かけて作り上げたというシリルさん。 サントン人形は、世代を超えて受け継がれるプロヴァンスの伝統なのです。 エクス・アン・プロヴァンスから東へと伸びる道は、絶好のドライブルートです。 その名も「セザンヌの道」。 彼が愛したサント・ヴィクトワール山へと続く道です。 セザンヌは、画材を抱えて何度もこの道を通り、個性的な姿を見せるサント・ヴィクトワール山を80枚以上も描きました。 お2人は車を停め、さらに近づいてみることに。 荒々しい岩肌を見せるその姿に圧倒されます。 <コート・ダジュール> お2人の車は、プロヴァンスからコート・ダジュールの山の中へ。 向かっているのは、江里子さんが「もう一度訪れたい」とずっと思っていた村です。 グルドンは、中世の頃、異民族の侵入から逃れるために、あえて崖の上の難所に作られた村。 標高720m、堅牢な石造りの家が並びます。 江里子さんは早速思い出の場所へ。 実はここ、今から10年ほど前、現在のご主人に連れて来てもらって、とても感動した場所なのだとか。 お2人の目の前に広がるのは、恋に落ちた江里子さんが見た絶景です。 今夜の宿は、塔子さんが以前取材で訪れながら、ランチしか食べられなかった因縁の宿「オステルリー・ドゥ・ラベイ・ドゥ・ラ・セール」。 18世紀のブルジョワの邸宅を使用した、のどかでアットホームなこのホテルに、いつかゆっくり来たいとずっと思っていたという塔子さん。 その夢がかないます。 用意されたのは2部屋。 お2人はそれぞれどちらかを選ばなくてはなりません。 1つは、教会広場と市場が見える「市場に面したヒマラヤ杉の部屋」、そしてもう1つは、軍人出身の英雄ド・ゴール大統領が、回想録を書くために何度も宿泊したという「ド・ゴール将軍の部屋」。 迷いに迷ったお2人ですが、塔子さんは「かわいらしくてほっとする」という理由でヒマラヤ杉の部屋を、江里子さんは「マスキュランなものが好き」という理由でド・ゴール将軍の部屋を選びました。 原稿用紙を持って来たという江里子さん、ド・ゴールが回想録を書いた部屋で、どんな文章が生まれたのでしょうか? この宿のご自慢は、夕食。 フランス屈指の名シェフ、アラン・デュカス氏がプロデュースする、シンプルで素材の味をいかした素朴な料理が並びます。 翌日お2人は、南フランスのリゾート地、ニースへ向かいます。 しかし天気は大荒れ。 ちょっと、嫌な予感です… 1月10日放送分 今から3年前、国道1号線を北上し、パースからシャークベイまでの西海岸を旅した勝村政信さん。 その壮大な絶景に魅せられ、いつしかふくらんだ夢が「国道1号線を走り、オーストラリア大陸を1週してみたい!」。 今回は東海岸、ブリスベンからケアンズまでのおよそ2500kmを走ります。 目指すは、2つの世界遺産です。 <タウンズビルとその周辺> タウンズビル周辺は、古くから砂糖の産地です。 19世紀末、この辺りのサトウキビ畑で働くために、多くの日本人が移住してきました。 彼らのために1896年、オーストラリアで最初の日本領事館がタウンズビルに作られたのです。 1908年まで使われていたその建物が、今も残されています。 勝村さんは、旧日本領事館を訪ねました。 建物は、この地方特有の建築、クイーンズランダー様式。 木造2階建てで、1階はガレージと納屋になっており、住居は2階部分のみ。 夏の暑さをしのぐため、高床式住居になっているのです。 現在こちらにお住まいのトンノワさんご夫妻は、当時ボロボロだったこの建物を、15年以上かけて自分たちで少しずつ修理してきたのだそうです。 この辺りには、とても珍しい動物が生息しています。 オーストラリア東部とタスマニアにしかいないその動物が見たいと、勝村さんは国道1号線を外れてちょっと寄り道。 その動物が棲みついているという釣り堀で、オーナーのピーターさんに「絶対に大きな声を出さないで」と注意された勝村さん。 とても警戒心が強いというその動物とは…カモノハシです。 哺乳類でありながら卵を産む珍しい動物で、水中で餌を捕獲するため、2分に1回ほど呼吸のために水面に上がってくるのです。 その間、わずか10秒。 勝村さんは、カモノハシを見ることができたのでしょうか? <ケアンズ> ブリスベンから1700km、ケアンズの町です。 勝村さんが向かったのは、1つ目の世界遺産。 ケアンズ周辺には、90万ヘクタールにも及ぶ広大な熱帯雨林が広がっており、世界最古の熱帯雨林の1つと言われています。 そしてここは、古くから先住民アボリジニたちが暮らしてきた森。 彼らは食料や薬など、すべてのものをこの森で調達してきたのだと言います。 勝村さんは、ガイドのロバートさんと共にその森へ。 燃料や石けんとして使うという珍しい植物や、別の土地からやってきた人に情報を伝えるための壁画が描かれた洞窟、そしてアボリジニたちが「教会のような神聖な場所」と崇めるイチジクの木を見せていただきます。 そこは、神々しくさえある太古の森です。 森を抜けて海に出ると、もう1つの世界遺産が広がっています。 ケープトリビュレーションは、熱帯雨林とグレートバリアリーフの2つの世界遺産が出会う場所です。 勝村さんは、水上飛行機で世界最大の珊瑚礁、グレートバリアリーフへ。 全長2千km以上、日本列島がすっぽり入ってしまう広さに珊瑚が群生しているのです。 勝村さんが向かったのは、小さな砂の島サドブリケイ島。 この日1時間だけ、勝村さんの貸し切りとなりました。 目の前に広がるのはエメラルドグリーンの海と水平線のみ。 夢のような贅沢な時間です。 5分も泳ぐと、そこは一面の珊瑚礁。 グレートバリアリーフには、400種類以上の珊瑚が生息し、その周りには1500種類以上の魚が生息していると言われています。 そこはまさに、珊瑚の海。 ブリスベンからケアンズ、およそ2500kmもの距離を走り切った勝村さん。 果たして、晴れてオーストラリアを1周できるのはいつになるでしょうか…? 1月3日放送分 今から3年前、国道1号線を北上し、パースからシャークベイまでの西海岸を旅した勝村政信さん。 その壮大な絶景に魅せられ、いつしかふくらんだ夢は「国道1号線を走り、オーストラリア大陸を1週してみたい!」。 今回は東海岸、ブリスベンからケアンズまでのおよそ2500kmを走ります。 そのゴールに待っていたのは… <クイーンズランド州> ブリスベンの町から走り始めた勝村さん、前回の旅で唯一の心残りがありました。 それは、コアラを見なかったこと。 「なんでみんなコアラを抱っこするんだろう?」そんなことを考えながら走っていると、勝村さん、「この国を代表する動物なんだから、もうちょっと愛らしく描いていただきたい」と思ってしまうほど微妙な感じのコアラの看板を発見しました。 実はこれ、「コアラ注意」の道路標識。 クイーンズランド州は、オーストラリアの中でも最も野生のコアラの生息数が多い場所なのです。 運が良ければ「野良コアラ」を見つけられるはず!…と、頑張って探すこと30分。 勝村さん、残念ながら野生のコアラを見つけることはできませんでした。 オーストラリアでは、野生動物はとても身近な存在です。 しかし近年問題になっているのが、人間が飼っているペットに襲われる動物たちが増えていること。 その野生動物の保護活動を支えているのが、たくさんのボランティアの方々です。 勝村さんはその中の1人、マリリン・スプレッターさんを訪ねました。 マリリンさんは現在、ご自宅で2匹のコアラの赤ちゃんを育てています。 コアラは新鮮なユーカリの葉しか食べないため、2日に1度、自生しているユーカリの葉を取りに行くのだそうです。 コアラにかかる費用はすべてマリリンさんの自己負担。 ここで2.5kgになるまで育てた後に保護施設に預けられ、自分で餌を捕る訓練を受けてようやく野生に返されるのです。 勝村さん、いよいよ念願のコアラとご対面。 初めてコアラを抱っこし、ミルクをあげた感想は…? 勝村さんは国道1号線を北上します。 走ること2時間、勝村さんの目に飛び込んできたのは「Driver Reviver」(ドライバー・リバイバー)の看板。 直訳すると「運転手を生き返らせる人」…?実はここ、長期休暇の期間だけオープンする、ドライバーのための休憩所。 少しでも車の事故を減らそうと、地元の人たちがボランティアでコーヒーやお菓子の無料サービスを行っているのです。 週末の3日間で500人もの人々が利用するというこの施設でコーヒーをご馳走になり、すっかり生き返った勝村さん、再び1号線を走ります。 <フレーザー島(クイーンズランド州)> 翌日、勝村さんがフェリーで向かったのは、世界遺産の島、フレーザー島。 オーストラリア本土から流れ出た砂が、数十万年という気が遠くなるような年月をかけて堆積してできた世界最大の砂の島です。 しかも不思議なのは、不毛なはずの砂の上に亜熱帯雨林が生い茂っていること。 これは、砂の堆積の仕方や気候条件が複雑に絡み合い、植物と地面との栄養循環が徐々に形成されていったからだと考えられています。 車が走るのも当然砂の上。 悪路を走ること1時間、ようやく反対側のビーチに出ました。 75マイルビーチです。 およそ120kmにわたって砂浜が続くこの道の別名は「ザ・ハイウェイ」。 クイーンズランド州のれっきとした公道なのです。 さらにある時は、ビーチは滑走路に早変わり。 シドニーやブリスベンからのツアー客がセスナ機でやってくるのだそうです。 フレーザー島には、湖まであるのです。 マッケンジー湖は、砂丘と砂丘の間のくぼみに雨水が貯まってできた湖。 この辺りは大気汚染が少なく、雨水がきれいなため、湖の水は透明度がとても高いのです。 勝村さん、しばしリゾート気分で泳いでいると、目の前に水着美女が!「来てよかったー」って、水着美女に会えたから、じゃなくて、フレーザー島が素晴らしい場所だから、ですよね?勝村さん。 <ロックハンプトン> 20世紀初頭の建物が今なお残る町、ロックハンプトン。 この町は別名「ビーフ・キャピタル」と呼ばれ、オージービーフの産地として有名な場所です。 …と聞いて通り過ぎるわけにはいかない勝村さん、一軒のお肉屋さんへ。 お店のお兄さんオススメのTボーンステーキを1kgお買い上げ。 これで約12ドルほど。 あまりの安さにびっくりです。 お肉を買ったはいいものの、そのお肉をどうしましょう?そこで勝村さんが向かったのはとある公園。 休日によくバーベキューを楽しむオーストラリアでは、公園に無料で使える電気式グリルが備え付けられているのです。 というわけで、早速お肉を焼き始めた勝村さん、「公園でステーキを焼く」とはなかなかシュールな光景ですが、お肉が焼けたようです。 味付けはシンプルに塩と胡椒で。 さて、お味はいかがでしょうか? オーストラリア、国道1号線の旅はまだまだ続きます。 ゴールのケアンズまで、あと1200km。 12月27日放送分 ボナセーラ!イタ〜リア!! 今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集! 4週目は、女優・高島礼子さんがイタリア中部の道カッシア街道を走り、悠久の歴史が降り積もる永遠の都・ローマを目指します。 <チヴィタ・ディ・バーニョレッジョ> ローマを目指す高島さん、車はラツィオ州へと入りました。 高島さんの目に飛び込んで来たのは、雲海の中、そびえるように立つ陸の孤島という驚きの風景。 一体どうなっているのか気になった高島さんは、村に入ってみることに。 まるで絵の中に入り込んで行くかのように橋を渡り、村の入り口へ… 断崖の村、チヴィタ・ディ・バーニョレッジョは、元々は1つの大きな町でした。 しかし、17世紀に大地震が起きると、粘土質の滑りやすい地形から大規模な地滑りを起こし、陸の孤島となってしまったのです。 以来村へと渡るには、一本の橋だけが命綱。 近年は村を支える崖の崩落が続き「死に往く村」と言われていますが、この美しい村を守ろうと、イタリアの資産家たちが家を買い、村に残るおよそ20人の村人たちはお土産屋さんなどの観光収入で生計を立てています。 「ここで生まれ育ったのに、どうしてここを愛さずにいられるでしょう」と語る村の人々。 チヴィタ・ディ・バーニョレッジョは、生き続ける天空の村です。 <スートリ> スートリの街に入りました。 ローマまでは、あと50kmほど。 ここに、カッシア街道沿いに残る数少ない古代ローマの遺構があります。 スートリ円形劇場は、およそ2千年前、ローマ帝国時代に築かれました。 中へ入った高島さんが気になったのは、劇場の客席部分に継ぎ目がないこと。 ということは…?実は3千人が収容できたといわれるこの劇場、なんとこの地にあった凝灰岩の大きな山から削りだして造られたもの。 一枚岩の、希有で壮大な劇場なのです。 <ローマ> フィレンツェとローマをつなぐ道、カッシア街道。 その終点が、ミルヴィオ橋です。 古代ローマ時代から続く街道の終点ですが、記念碑も何もなく、かなりさっぱりした感じの橋、でした。 フォロ・ロマーノは、19世紀の発掘以来、ここが古代ローマ時代の民主政治の中心であったことを、現在に伝えています。 そのフォロ・ロマーノと通りを挟んだ反対側にあるのが、フォリ・インペリアーリ。 ローマ帝国時代に造られたものですが、本格的に発掘が始まったのは1995年のこと。 その半分が未だ土の中です。 高島さんは、遺跡を触ってみることに。 まさに、イタリア2000年の歴史に「触れる」旅。 ローマは街のいたる所に古代の遺跡が残り、その遺跡もまた、現在と共存しているのです。 遺跡の街は、映画の街でもあります。 スペイン階段は、あの女優がまばゆい輝きを放った場所。 「ローマ」で「あの女優」といえば…そう、「ローマの休日」ですよね。 オードリー・ヘップバーン演じるアン王女と、グレゴリー・ペック扮する新聞記者が繰り広げる、たった一日の恋のお話。 公開から50年以上経った今でも色褪せることのない不朽の名作です。 では、高島さんもその街の中へ。 ジョリッティは、老舗の大きなジェラート屋さん。 「ローマに来たら絶対に行く!」と決めていたところです。 人気の秘密は、新鮮なフルーツやミルクをたっぷり使ったなめらかな作りたてのジェラートが、すぐに店頭に並ぶこと。 高島さん、50種類以上あるジェラートからだいぶ悩んで、ピスタチオ、ダークチョコ、ストロベリーの3種類をセレクト。 生クリームをたっぷり乗せてもらって、初めての本場ジェラートをいただきます!さて、念願のそのお味はいかがでしょうか? 日本のおじさま方は敬遠しがちですが、イタリアでは老いも若きも、ちょっとした幸せを求めてお店にやってきては、ジェラートをおいしそうに食べているのです。 高島さんは、いよいよとっておきの場所へ。 コロンナ宮の大広間は、「ローマの休日」のラストシーン、アン王女の記者会見が行われた場所です。 ヨーロッパ各国を歴訪し、その印象を尋ねられた王女が「何といってもローマです」と答えた、あの場所。 高島さんも、その壇上へ。 しかし、その壇上へ至る階段に、どうしても気になる鉄の玉が…実はこれ、1849年にジャニコロの丘から発射された大砲の玉。 イタリア統一軍とフランス軍が向き合っていた時に、宮殿の窓を破って打ち込まれたものなのだそうです。 ローマの人は風変わりな物が大好きなので、あえて残しているんだとか。 それには高島さんも納得です。 過去と現在、現実と非現実とが複雑に絡み合う街、ローマ。 それこそが、永遠の都と言われるゆえんなのかもしれません。 黄昏時の美しいローマの街並に、高島さんが感じたこととは…? 12月20日放送分 ボナセーラ!イタ〜リア!! 今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集! 3・4週目は、女優・高島礼子さんがイタリア中部の美しい丘陵を走る、カッシア街道を旅します。 ルネサンスが興った花の都・フィレンツェから、悠久の歴史が降り積もる永遠の都・ローマへ。 イタリアの文化、芸術の真髄ともいえる都市を巡り、その奥深い美しさを堪能します。 <フィレンツェ> およそ500年前、ルネサンスが発祥した地フィレンツェは、中世以降、偉大な文化や芸術家を育み続ける芸術の街です。 その美しい街を歩く高島さん、向かっているのは街のシンボル、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、通称ドゥオーモ。 1296年に着工し、140年以上の歳月をかけて築かれた、ゴシック様式と初期ルネサンス建築を代表する建築です。 「ドゥオーモ」とは、イタリア語で「街を代表する教会堂」のこと。 高さはおよそ100m、ドーム型の屋根には、見晴し台が設けられています。 せっかくフィレンツェまで来たならば…登るしかありませんよね、高島さん。 というわけで、早速出発!暗くて狭い階段を、ひたすら登り続けることおよそ20分、ようやくたどりついた見晴し台からは、世界文化遺産に登録された街並が一望できます。 「バラ色の輝き」と謳われるほど美しいその風景、実は街の美観を損ねないよう、様々な条例が定められているのです。 その1つがパラボラアンテナ。 通りから見えるものは、建物の外観と同じ色に塗らなければならないのだそうです。 違反をすると500ユーロの罰金も。 美しい風景は、住民のたゆまぬ努力によって守られているのです。 高島さんは、ルネサンスの香りが未だ息づく街の中へ。 看板やお店がなければ、まるで中世の街並を車で走っているような不思議な感覚です。 ウフィッツィ美術館は、世界有数にしてイタリア最高の美術館。 そこには、ルネサンス期の名画が数多く残されています。 高島さんのお目当ては、ルネサンスの巨匠・ボッティチェリ作、「ヴィーナスの誕生」。 高島さんが「鳥肌が立つくらい美しい」と絶賛したヴィーナスは、人間の女性賛美を描いた作品であると言われています。 この美術館には、知る人ぞ知る回廊があります。 美術館の裏手から、有名なベッキオ橋の上を抜け、対岸のピッティ宮殿に至るその回廊は、かつてフィレンツェを治めたメディチ家が造らせた秘密通路。 何が秘密かと言いますと、回廊の窓。 中から街の様子を眺めることはできても、外からは見えないよう、マジックミラーになっているのです。 高島さんが一生懸命外に向かって手を振ってみると…? フィレンツェは、ルネサンス時代からの工芸が連綿と続く職人の街でもあります。 高島さんが訪れたのは、イ・モザイチ・ディ・ラストルッチ。 驚異の絵画を作り出す、フィレンツェ・モザイクの工房です。 フィレンツェ・モザイクとは、天然の石が持つ色合いだけを使って作るモザイク画。 その精巧さは、一見すると、油絵具で描かれた絵画のようにしか見えないほどです。 必要な色を持った石に型紙を付けて切り出し、その石をはめ込んで絵を作って行く、息がつまるほど緻密で、気が遠くなるような作業。 絵画と同じ質感や色合いを石で表現する究極の職人技は、1460年代、フィレンツェを支配していたメディチ家の庇護のもと、ほとんど変わらず現代まで続いているのだそうです。 高島さんが「筆では描くことのできない何かが表現されている」と語るフィレンツェ・モザイク。 それは色褪せることのない「永遠の絵画」です。 <モンタルチーノ> いよいよ街の南にあるローマ門を抜け、カッシア街道へ。 フィレンツェの街を抜けると、イタリアワインの産地トスカーナの、美しく広大な大地が広がっています。 ここは、世界有数のワインカントリーです。 高島さんは有名なキャンティ地区を抜け、モンタルチーノにある老舗ワイナリー「コルドルチャ」へ。 ここは、トスカーナの長期熟成ワインとして名をなす「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」の醸造元のひとつです。 「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」は、法律により熟成期間が50か月と定められているワイン。 そのうち最低2年はオーク樽で熟成されます。 高島さんがオーナーのフランチェスコ伯爵に案内していただいたのは、コルドルチャの歴史がつまったヒストリカルセラー。 そこには5万本ものヴィンテージワインが貯蔵されています。 一番古いワインは1960年代初め頃のものだそう。 高島さんの生まれ年のワインは、ここに眠っているのでしょうか?さあ、高島さん、バースデーイヤーワイン探しです! ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは、熟成すればするほどその本領を発揮すると讃えられています。 高島さんの生まれ年、1964年のヴィンテージとなると、市場に出回ることはほとんどありません。 伯爵の「ヴィンテージを味わうのは、唯一無二の経験なのです」という言葉からもわかるように、とても特別なワインを味わった高島さん。 一体どんなお味だったのでしょうか…? 翌日高島さんは、再びカッシア街道を走り始めました。 永遠の都・ローマを目指して。 12月13日放送分 ボナセーラ!イタ〜リア!! 今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集! 2週めは、俳優・西村和彦さんが、全長574kmのアウレリア街道を走ります。 ローマを出発し、目指すジェノヴァまで、残すところ250km。 そこには、驚きと謎と絶景が待っていました。 <ピサ> トスカーナ州、ピサ。 …と言えば、やっぱり「ピサの斜塔」。 正しくは「ピサ大聖堂・鐘楼」。 西村さんが「やっぱり傾いてる!」と驚いたピサの斜塔は、1173年の着工後、およそ100年経って傾いていることが発覚。 傾きを修正しながら建築を再開し、1360年に完成しました。 傾きは、約5度。 現在も壁のひび割れなどの修復を行っていますが、予約をすれば観光客も塔の上に登ることができるのだそうです。 というわけで西村さん、早速登ってみましょう!…ところが西村さん、なかなかスムーズに進めません。 それもそのはず、なんとピサの斜塔の階段は、1歩目から傾いているのです。 およそ300段の階段を登り、ようやくてっぺんにたどり着いた西村さんの眼前に広がるのは、あのガリレオも眺めたであろうピサの街並。 この鐘楼ができた理由、それは自分たちの街を眺めたかったからではないか?そこには、そんなことを思わせるような美しい街並が広がっています。 <カラーラ> トスカーナ州、カラーラの街並が見えてきました。 山脈を真っ白に染めているのは、雪…ではなく、大理石。 実はカラーラは、世界でも屈指の大理石の産地で、およそ500年前、ミケランジェロが作った「ピエタ」も、ここの大理石を使っているのだそうです。 西村さんは、とある石切り場へ。 見渡す限りの大理石ですが、カラーラにはそんな石切り場が200箇所以上もあるのです。 カラーラの大理石の特徴は、その透き通るような白さ。 その肌触りはまるで刃物のように冷たいのだとか。 「確かに大理石は限りある資源だけど、自分たちにはローマ帝国以前から続く伝統がある」と語る、オーナーのフランコさん。 連綿と受け継がれる大理石の文化を守るのが、カラーラに生きる男の誇りなのです。 <チンクエテッレ> ローマからおよそ450km、世界遺産チンクエテッレにやってきました。 「チンクエテッレ」とは「5つの村」という意味。 リグーリア海に望むほぼ均等に並ぶ5つの村の総称で、険しい断崖にひっそりと佇む、宝石のように美しい村々です。 観光客の車は、村には乗り入れ禁止。 車を止めた西村さんが向かったのは、リオマッジョーレという、色とりどりのブロックをつなげたようなかわいらしい村です。 港へ向かう西村さん、路地を抜けると見えてきたのは紺碧の海と、その入り江に作られた美しい家並み。 それは世界遺産の絶景です。 すっかりこの場所が気に入った西村さん、イタリア人のおじさんが「何やってるの?」と気にするほどの不穏な動き…実はご自身のブログに掲載する写真を、携帯電話で撮っていたのです。 どんな写真が撮れているかは、西村さんのブログでご確認ください。 <ジェノヴァ> 夕暮れのアウレリア街道をひた走る西村さんに、ようやくジェノヴァの灯りが見えてきました。 かつて大西洋航路の拠点として栄えたジェノヴァは、かのコロンブスの生まれ故郷。 イタリアでは「コロンボ」と呼ばれて親しまれ、両親と5人兄弟が過ごした小さな家も残されています。 西村さんが真っ先に訪れたのは、今ジェノヴァで1、2を争う人気のレストラン「トラットリア・デッタ・デル・ブルーチャヴォスキ」。 どうしても食べたいものがあったからです。 それが、ピカッジェ・マッテ・アル・ペースト。 「ジェノヴェーゼ」と呼ばれるバジリコペーストのソースでいただくパスタです。 ペーストの主役は、プラ産の最高級バジリコ。 大の料理好きでパスタをよく作るという西村さんも、ジェノヴェーゼだけは市販のものを使うのだとか。 さて西村さん、本場の味はいかがでしょうか? ジェノヴァ伝統の味を作り出すのが、シェフのマッテオさん。 1862年創業のこちらのレストランを家族で守り続け、5代目にあたるそうです。 実は西村さんのご実家も、150年以上も続くうどん屋さん。 奇しくも東西若旦那のご対面となりました。 そんなご縁で西村さん、本場生パスタの作り方を教わることに。 うどんとは勝手が違い、けっこう腕にくる重労働ですが、日本に帰ってご家族に作ってあげるため、パパは頑張るのです。 ジェノヴァには、明治時代、日本に渡った人物がいました。 画家であり、銅版印刷の権威として政府に請われて来日したエドアルド・キヨッソーネです。 キヨッソーネは、当時の大蔵省印刷局で新しい技術を指導、紙幣や郵便切手のデザインの他、明治天皇をはじめ、多くの肖像画を手がけた人物。 誰もが一度は見たことのある、西郷隆盛の肖像画もキヨッソーネが描いたものです。 エドアルド・キヨッソーネ東洋美術館には、日本を愛した彼が集めた膨大なコレクションが飾られています。 そこで西村さんが見つけたものは、何と西村さんの家紋が入った兜。 ジェノヴァと西村さんをつなぐ、不思議な縁です。 アウレリア街道は、ローマをジェノヴァを結ぶ全長574kmの古い道。 その道を走り終えた西村さん、一体何を感じたでしょうか? 12月6日放送分 ボナセーラ!イタ〜リア!! 今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集! 1・2週めは、俳優・西村和彦さんが、ローマと北部の町ジェノヴァを結ぶ全長574kmのアウレリア街道を走ります。 その道には、日本とイタリアの意外なつながりと、驚きの事実が待っていたのです。 <チヴィタヴェッキア> ローマからおよそ70km。 ラツィオ州・チヴィタヴェッキアは、人口5万人ほどの港町。 ローマに近いこともあり、地中海沿岸からたくさんの観光客が訪れます。 このチヴィタヴェッキアこそ、日本と深い関わりがある町なのです。 町を歩く西村さんの前に、サムライの銅像が…支倉常長像です。 仙台藩士・支倉常長は、1613年、通商を目的に、主君・伊達政宗の期待を一身に受け、遣欧使節団を率いて出発しました。 太平洋を渡り、途中スペインで洗礼を受けた常長は、1615年にチヴィタヴェッキアに上陸。 ローマを訪れ、教皇パウロ5世との謁見を果たします。 しかし、真の目的である通商交渉は決裂。 失意のうちに8年間の旅を終え、帰国した常長を待っていたのはキリシタン弾圧という非業の死でした。 イタリアの港町に凛と立つ二本指のサムライ、支倉常長像。 西村さんの目には、どう写ったのでしょうか? そしてこの地にもう1つ、日本と深く関わる場所があります。 日本聖殉教者教会です。 そこにはマリア様のフレスコ画が。 しかしこのマリア様、皆さんが思い浮かべるマリア様とはちょっと違うのです。 …それは、着物姿であること。 畳の上に立ち、お稚児姿のキリストを抱えるその表情は、紛れもなく日本人女性のものです。 周囲の壁に描かれているのは「日本二十六聖人」。 豊臣秀吉の命により捕らえられ、処刑された日本人20名、外国人6名のカトリック信者たちです。 描いたのは、日本におけるフレスコ画の第一人者、長谷川路可。 元々、日本の聖人を記念して建てられたこの教会が1951年に再建された際、殉教者の壁画を描いてほしいという神父のたっての願いで、路可に白羽の矢が立ちました。 路可は修道院に寝起きし、言葉もままならない中、4年の歳月をかけてたった1人で壁画を完成させたのです。 現在、その路可の絵に深刻な問題が発生しています。 専門家の赤外線調査により、ドームの裏側およそ2m四方の漆喰がはがれていることが判明。 海に近いこの教会では、潮風などの影響で壁がひび割れ、フレスコ画に大きなダメージを与えてしまうというのです。 完全修復には莫大な時間とお金が必要なのですが、現在は信者や観光客のお布施だけが頼り。 1日も早い修復が望まれます。 <グロッセート> 西村さんの車は、イタリアいちの農業地帯、トスカーナ州へ。 オリーヴ並木の先にある農園に立ち寄ります。 西村さんを迎えてくれたのは、トスカーナ原産の、大きな角の牛。 そしてその牛を追うのは「ブッテロ」。 いわば、イタリア版カウボーイです。 すると、ちょっと素敵なお兄さんから「乗馬ができるなら、俺たちとかかしゲームをしないか?」という意外な申し出が。 「かかしゲーム」とは、馬に乗って互いに反対側からスタートし、先にかかしの腕に通した布を引き抜いた方が勝ちという、仕事の合間に彼らが行うゲームです。 時代劇で乗馬の機会も多いという西村さん。 ウォーミングアップをし、馬と呼吸を合わせたら…サムライブッテロ西村と、ブッテロ歴7年のマルコの対決!結果はいかに!? 昔ながらの道具を使い、オリーヴオイルを作っているという農園ホテル、ポッジョ・オリヴェートを訪ねました。 ここでは約4千本のオリーヴを栽培しています。 良質のオリーヴオイルを作るには、完熟前に収穫し、その日のうちに加工しなければなりません。 西村さんは、農園のオーナー、エンリコさんに案内してもらい、オイル工場へ。 大きな石臼でオリーヴをすり潰し、ペースト状になったものを丸いシートに敷きつめ、幾重にも重ねていきます。 それに圧力をかけて絞り出し、遠心分離機にかけると、エクストラヴァージンオイルの完成です。 商工会議所でオリーヴオイルの官能試験を担当している奥様のヴァレリアさんに、良いオイルの見極め方を伝授していただきました。 まずオリーヴの香りを感じること。 そして味わうこと。 トスカーナのオイルは、若々しい香りに苦みと辛みが良質の証し。 西村さん、良いオイルを見極めることができたでしょうか? その夜西村さんは、エンリコさん一家のバーベキューパーティーに招待されました。 エンリコさんご夫妻と息子さんご夫妻、そしてその子どもたち。 素敵な家族に囲まれて楽しい時間を過ごした西村さん、ご自分のご家族を思い出し、ちょっとホームシックになってしまったみたいです。 翌日西村さんは再びアウレリア街道へ。 目的地ジェノヴァまでは、あと400kmの道のりです。 11月29日放送分 日本の秋の風物詩といえば、紅葉。 全国各地に紅葉スポットは数あれど、会津地方の紅葉は格別です。 今回は、紅葉を見るためだけに旅をするのは初めてだというチェリッシュのお2人が、磐梯吾妻スカイラインから磐梯吾妻レークライン、そして磐梯山ゴールドラインという3つの道を走り、知られざる絶景紅葉スポットを目指します。 その道の先に待っていたのは…。 <磐梯吾妻スカイライン> 磐梯吾妻スカイラインは、「日本の道百選」にも選ばれている美しい道です。 標高の高いところから徐々に降りてくるという紅葉ですが、お2人がつばくろ谷(標高1200m)を訪れた時には、少し葉の落ちた木が目立つ感じ。 …実はつばくろ谷の紅葉のピークは、お2人が訪れたちょうど1週間前だったのだとか。 秋はとても急ぎ足。 チェリッシュのお2人も、急ぎ足の秋を追いかけるように旅を続けます。 そして磐梯吾妻スカイラインは、作家・井上靖さんが愛した道でもあります。 荒涼とした大地が広がる浄土平や、遠くかすかに湖を望む湖見峠など、彼の命名による展望ポイントが道沿いに8カ所あり、吾妻八景と呼ばれているのです。 <猪苗代町> 磐梯吾妻スカイラインを下りたお2人は、ちょっと寄り道。 会津の秋の味覚といえば…そう、おそばです!今はちょうど新そばの季節。 その味と香りを心ゆくまで楽しもうとお2人が立ち寄ったのは、地元でも評判のお店「おおほり」さんです。 こちらのお店のご自慢は、すべてが自前であること。 そばの実の自家栽培に自家製粉、そしてそば粉100%の手打ち。 さらには天ぷらを揚げる油も、自家製の菜種油というこだわりよう。 松崎さんは天盛りそば、悦子さんはにしんそばを注文し、仲良くわけあっていただきます。 さてそのお味は? <磐梯吾妻レークライン> 磐梯吾妻レークラインは、その名の通り湖の間を縫うように走る道。 秋元湖、小野川湖、桧原湖の3つの湖を望むことができるのです。 レークラインの最初の見どころは、とある橋の上。 お2人が「きれい!」と感動したのが中津川渓谷です。 標高およそ800m、渓流沿いを鮮やかに紅葉が彩っています。 <磐梯高原> レークラインを下りると、磐梯高原。 1888年、磐梯山の噴火によってできた大小300以上の沼や湖が点在する、裏磐梯の景勝地です。 遠くに望むのは磐梯山。 民謡「会津磐梯山」にも歌われた、宝の山です。 お2人が歩くのは、五色沼自然探勝路。 五色沼とは、毘沙門沼周辺の数十個の沼や湖を総称した呼び名。 噴火による火山性物質の影響や水草によって、湖面が青、赤、緑など、様々な色合いを見せることからその名が付きました。 その散策を楽しむお2人ですが、同年代の観光客が多いためか、たちまち囲まれ、写真攻めに握手攻め。 とにかくすごい人気です。 <磐梯山ゴールドライン> 磐梯高原の先は、磐梯山ゴールドライン。 紅葉が美しい、まさに黄金ロードです。 紅葉のトンネルを抜け、お2人が目にしたのは「幻の滝」という看板。 「これは見なくちゃ!」と、車を止めて歩くこと5分。 落差18mの滝は、今も正式な名前がないため「幻の滝」と呼ばれているのだそうです。 以前はうっそうとした森に覆われていましたが、昨年遊歩道が完成したため、観光客が来られるようになったのだとか。 <会津若松市> 会津のシンボル鶴ヶ城。 お2人は、その近くにある飯盛山に向かいました。 お2人の前に、不思議な建物が…それがさざえ堂。 六角形で三層構造をしており、外観がさざえのような形をしていることからその名が付いたお堂です。 頂上まで登り、お堂を降りて来て「一体どうなってるの?」と混乱するお2人。 実はさざえ堂は上りの階段の上に下りの階段があり、二度と同じ道は通らないという二重の螺旋構造になっていたのです。 江戸時代には柱の溝に西国33カ所の観音様が祀られており、お堂を一巡りするとその地の観音堂を巡礼したのと同じご利益があるとされていました。 212年前に建立され、現在は国の重要文化財に指定されています。 <磐梯高原> お2人は再び磐梯高原へ。 どうしても行きたい場所があるからです。 曲沢沼は、紅葉写真を狙う人々にとって、聖地呼ばれている場所。 そのため、全国からカメラマンの方が集まってくるのです。 水面のもやと紅葉が映えるほんの一瞬は、とても幻想的。 しかし朝もやに煙る風景は、ほんの1時間もすれば気温が上昇し、消えてしまいます。 その美しい風景に「早起きしたかいがあった」と悦子さん。 湖を望む道、黄金に輝く紅葉を駆け抜ける道、裏磐梯、3つの道はまさに宝の山の絶景でした。 11月22日放送分 ゆっくり沖縄を旅したことがなかった父・林隆三さんと、沖縄は初めてという息子・征生さんが、沖縄の大動脈であり、あらゆる魅力にあふれる国道58号線を走ります。 離島へ赴いた隆三さんと、幻の鳥を追う征生さん。 2人の旅は、いよいよ「やんばる」の地に向かいます。 <伊平屋島> いったん別行動をとることにした2人。 隆三さんが向かったのは、運天港から北へ40キロのところにある伊平屋島です。 太平洋戦争末期、沖縄海域でさかんに敢行された、特攻。 その最後の突入現場となったのが、伊平屋島でした。 日本軍が駐屯していなかった伊平屋島の島民たちは、早々に投降していました。 占領という特殊な平穏の中で、伊平屋島は終戦の日を迎えます。 最後の特攻機が突入したのは、まさにその時でした。 最後の特攻機を操縦したのは中津留達夫大尉。 作家・城山三郎さんは、彼に特別な思いを抱き、「指揮官たちの特攻」という本を記しました。 厚い人望と、抜群の飛行技術を持っていたといわれている中津留大尉が、なぜか目標を外したからです。 隆三さんは、島の人の案内でその現場へ。 勝利に沸くアメリカ軍のキャンプ地と、突入地点との間は、わずか200mだったといいます。 最後の特攻機、中津留大尉は、なぜ目標をそれたのでしょうか?そこには今も63年前の痛切なる記憶が残ります。 <やんばるの森> 沖縄本島北部、やんばるの森。 今から27年前、この森で世紀の大発見がありました。 飛べない鳥、ヤンバルクイナです。 父・隆三さんと別行動をとる征生さんは、世界中でやんばるだけにしかいないこの鳥が見たいと、ちょっと早起き。 地元で動物の保護活動に携わる久高さんに案内していただきます。 いっこうに森の中へ入る気配のない久高さん。 すると、なんと車道にヤンバルクイナが現れました。 胸からお腹にかけての縞模様と、真っ赤なくちばしが特徴の、かわいらしい鳥です。 征生さん、どうしても見てみたかったヤンバルクイナとのご対面は、双眼鏡を持つ手が震えてしまうほどの感動だったようです。 近年、ヤンバルクイナは激減しています。 その理由の一つに考えられているのが、ハブを駆除するために移入されたマングースによる補食です。 また、道端にエサが多く、車道に出てきて事故にあってしまうこともあります。 そこで久高さんたちは、ヤンバルクイナが現れやすいエリアと時間帯を調べ、運転する人に注意を呼びかけているのです。 <謝敷> 再び、父と息子の二人旅。 やんばるに入った国道58号線は、青い海と深い森に挟まれるように北へと伸びていきます。 普段は会話の少ない父と息子ですが、美しい海を前にすると、いつもとちょっと違うようです。 その美しい海をのぞむ小さな集落が、謝敷です。 集落の、南国の村らしい雰囲気が漂う路地を歩くと、塀代わりに防風林の役割を持つ「フクギ」が植えられています。 集落に住む具志堅さんのお宅の縁側でシークワーサージュースのおもてなし。 実は具志堅さん、三線の師範。 ということで、もうひとつのおもてなし。 この集落の民謡を歌っていただきました。 <辺戸岬> やんばるの森に突然の雨。 2人は58号線を離れ、旧道を通ってみることにしました。 すると前方にそびえる岩壁が。 実はこの切り立つ岩壁は、削り取った後の姿。 険しい地形ゆえ、巨大な岩山を削り、ここに道を通すしかなかったのだそうです。 峠を越えると、沖縄本島最北端、辺戸岬に到着。 サンゴ質の絶壁からなる、絶景の岬です。 天気がいい日は与論島や沖永良部島を望むことができるのだそう。 国道58号線は、那覇の明治橋からおよそ123キロこの場所で、一度途切れます。 ところがこの先、海を越え、奄美大島、種子島を経て鹿児島市内へと続いて行くのです。 その遥かなる旅路を、また父と息子で走る日は来るのでしょうか? 11月15日放送分 通称「ゴッパチ」。 沖縄本島を縦断する国道58号線を、地元の人々は親しみを込めてそう呼んでいます。 時代を映し、暮らしを支えてきたその道を、林隆三さんと息子・征生さんが旅します。 目指すは、本島最北端の辺戸岬。 驚きと感動があふれる道で2人を待っていたものは…? <那覇> 国道58号線の南端は、那覇の明治橋。 ここから辺戸岬までは、約120キロの道のりです。 かつてこの道は、アメリカの道でした。 「軍用道路1号線」と呼ばれ、車は右側通行。 1972年の本土復帰後も、混乱を避けるため、右側通行のまま。 左側通行に戻ったのは、復帰から6年後のことでした。 <浦添> 那覇から走ること30分「お腹がすいた!」という征生さんのリクエストにお答えし、隆三さんが立ち寄ったのは1軒のドライブイン。 沖縄で最もよく見かける「A&W」です。 アメリカンスタイルのお店で、商品の受け渡し方法がとてもユニーク。 ドライブスルーではなく、わざわざ車まで運んでくれるのです。 そしてA&Wといえば、もちろんルートビア。 「ビア」という名前を聞いた隆三さん、征生さんに「ビールはダメだよ」と言うのですが…実はルートビアは、10種類以上のハーブを調合して作られるソフトドリンク。 運転する隆三さんも安心して飲めるのです。 さあ、お味はいかがでしょうか? <北谷> 国道58号線は、浦添から宜野湾を抜け、北谷へ。 隆三さんが車を止めたのは、道沿いにあるギャラリー。 隆三さんが、ぜひとも立ち寄りたかったという「ボクネンズ・アート」です。 作者の名嘉睦念さんは、沖縄の風土や暮らしを描く木版画の作者。 その版画作品は、裏手彩色と呼ばれる技法で制作されます。 綿密な下書きはせず、墨で大まかに「当たり」をつけます。 そして一気呵成に彫り進め、それが終わると墨色を摺り、その後紙を裏返して鮮やかな色彩を付けたら完成です。 そのダイナミックかつ繊細な作品に、隆三さんも征生さんも圧倒されてしまいます。 「いいものを見せてあげます」と、睦念さんが2人を連れて行ってくれたのは、ギャラリーのすぐ近く。 樹齢200年の「アコウ」の大木です。 アコウは、亜熱帯に自生する木。 他の樹木の枝から発芽し、根を伸ばして成長、最後には元の木に取って代わるという、強い生命力を持っています。 「木は登ってあげた方が喜ぶ」という睦念さんの言葉にびっくりしつつも、木に登ってみる征生さん。 睦念さんもそれに続きます。 隆三さんは、そんな征生さんを見て大喜び。 征生さんは、木が喜ぶ様子を感じることができたでしょうか? 北谷には小さな漁港があり、名人といわれる漁師さんがいます。 内間勝男さん79歳。 「タコ獲り名人」です。 今ではほとんど乗っている人がいないという「サバニ」という沖縄の伝統的な船で漁に出ます。 内間さんのタコ漁は、蛸壺ではなく銛で突いて獲るというスタイル。 「ぜひタコを獲っているところが見たい!」というお2人ですが、あいにくこの日は外海が荒れているため断念。 後日スタッフが、内間さんの漁を追いかけることになりました。 北谷の港を出港して2時間、内間さんはリーフの上で船を止め、海に飛び込みます。 タコの巣のありかを熟知する内間さんは、タコを見つけると、銛で一突き。 吸盤の力の強いタコを押したり引いたりしながら一瞬の隙を狙ってタコをしとめるのです。 その腕前は、とても79歳とは思えないほど。 80歳までは現役で、とおっしゃる内間さんですが、この船を受け継ぐ人がいないのが気がかりなのだそうです。 <嘉手納> 北谷を過ぎると、58号線沿いに嘉手納基地が見えてきます。 征生さんにとっては、初めて目にする沖縄の中のアメリカ。 町の面積の約83%に相当する敷地を持つ巨大な米軍基地です。 <今帰仁村> 隆三さんから運転を代わった征生さんは、国道58号線を離れてちょっと寄り道。 近年大人気のドライブスポットに向かうためです。 古宇利大橋は、屋我地島と古宇利島を結ぶ、長さ約2キロの橋。 通行料が無料の橋としては、日本最長の橋です。 エメラルドグリーンの海を貫く美しい橋に、隆三さん、思わず「ドライブの相手が征生じゃなかったらな…」とぽつり。 この橋は、素敵な女性を隣に乗せてドライブしたくなるほど、かっこいい橋なのです。 その帰り道、隆三さんがどうしても行きたい場所があるというので、2人は別行動をすることに。 隆三さんが向かうのは伊平屋島、征生さんが向かうのはやんばるの森です。 父と息子の二人旅は、沖縄のさらに奥へと進んで行きます。 11月8日放送分 パリ7区、堂々とそびえるアンヴァリッド廃兵院は、戦いに倒れた者たちのメモリアルです。 その中央ホール、荘厳なる棺の中にたった1人で眠るのが、希代の英雄ナポレオン・ボナパルトです。 ナポレオンの英雄伝説を物語る道が、フランス南西部の険しい山あいを走る「ナポレオン街道」。 南仏ゴルフ・ジュアンからグルノーブルへと続く、およそ340キロの道のりです。 <ディーニュ・レ・バン> コルシカ島の下級貴族の子として生まれたナポレオンは、鋭敏な決断力と軍事的才覚によって皇帝へと上り詰め、ヨーロッパ諸国を席巻しました。 しかしその栄光もつかの間、皇帝の座を追われ、エルバ島に流されたナポレオンが再起をかけてゴルフ・ジュアンに上陸したのが1815年3月1日のこと。 ナポレオンと千人の兵士たちは、パリを目指します。 行軍を始めてから4日目の3月4日正午、ナポレオンはディーニュ・レ・バンの町に到着します。 町の広場に着いて、ナポレオンが最初に見たのが市場でした。 なぜなら彼は、自らの健在と復活をアピールするために、人々が集まる市が立つ日にここにたどり着きたかったからです。 現在は公営住宅に建て替え中のホテル プチ・パリで休息を取ったナポレオン軍は、午後3時にこの町を出発します。 <マリジェ> ディーニュ・レ・バンからおよそ20キロ。 ナポレオンが現在は市役所になっているマリジェ城に着いたのは、3月4日夜のこと。 ナポレオンはここで短い仮眠をとった後、兵士たちが休んでいた城の庭で王党派の襲撃を警戒しながら夜明けまで過ごし、翌朝6時、1杯のコーヒーを飲んで出発します。 <ヴォロンヌ> マリジェを出たナポレオン軍は、デュランス川の左岸を北上し、ヴォロンヌの町で休憩を取ります。 その町外れに、ナポレオンがここを訪れたことを示すちょっと変わったプレートが。 そこに書かれているのは何と「1815年、ここでナポレオンが用を足した」。 朝の1杯のコーヒーのせいでしょうか…? <シストロン> 山道続きだったナポレオン街道は、この辺りから比較的なだらかな道へと変わっていきます。 山道続きの行軍が終わったナポレオン軍の前に新たに立ちはだかったのが、デュランス川にかかる1本の橋。 町に入るには、この橋を渡る以外に方法がなかったのです。 しかもシストロンには、12世紀からそびえる強固なシストロン要塞が建ち、ここで王党派の待ち伏せでも受ければひとたまりもない状況。 …しかしナポレオンは3月5日の昼頃、悠々と橋を渡り町に入りました。 ナポレオンは、当時ここにあったホテル・ブラ・ドールでシストロンの市長と食事をした後、早々に出発しています。 <ガップ> シストロンを過ぎた辺りから、ナポレオンに対する民衆の反応は徐々に熱狂的なものへと変わっていきます。 3月5日の夜、およそ60キロの行軍の末ガップに着き、熱烈な歓迎を受けた時のナポレオンの言葉があります。 「ついにだ!我々は確かにフランスにいるのだ!」 <モン・ドーファン> ここでナポレオン街道を外れてちょっと寄り道。 17世紀、ルイ14世に寵愛を受けた技術者ヴォーバンが手がけた、城壁に囲まれた要塞の町、モン・ドーファンです。 現在人口およそ140人の小さな町全体が、今年7月、世界文化遺産に登録されました。 町の美しさもさることながら、そこからの眺めも実に素晴らしいものです。 <コール> ガップからおよそ40キロ。 ナポレオン軍がコールの町に着いたのは、3月6日の夕方でした。 ここでもう一度寄り道。 コールから北へ15キロ、美しくなだらかな山道を20分ほど走ったところに、知る人ぞ知る巡礼地があります。 標高およそ1800m、ノートルダム・ド・ラ・サレット教会です。 羊飼いの2人の子どもの前に聖母マリアが現れたという逸話の地に、1851年、聖堂が建てられました。 ここには、世界中から毎年20万人もの人々が巡礼に訪れます。 <ラフレー> 3月7日早朝に、コールの町を出発したナポレオン。 この後最大のクライマックスが彼を待っていました。 1815年3月7日午後3時、ナポレオンは、この行軍で初めて王党派の軍隊と対峙することになります。 ナポレオン軍の兵士はおよそ千人、対する王党派は数倍の軍隊です。 戦闘が始まれば勝ち目はない中、ナポレオンは自らの兵を制し、一世一代の大芝居を打つのです。 「兵士諸君、私がわかるか。 もし諸君の皇帝を撃ちたい者がいるなら今だ。 私はここに立っている!」…すると王党派の兵士の中からあがる「皇帝万歳!」の歓声。 そう、ナポレオンは危険な賭けに勝ったのです。 そしてこの地は今「出会いの草原」と呼ばれています。 <ヴィジール> 王党派の軍隊も加わり、数倍にふくれあがったナポレオン軍は、怒濤の勢いでパリを目指します。 ヴィジールの町にある革命博物館に、ナポレオンがやって来た様子を描いた版画が残されています。 城の前にさしかかったナポレオンを、民衆は熱狂と歓呼で迎えました。 この時ナポレオンは、反乱軍ではなくなったのです。 <グルノーブル> いよいよナポレオン街道の終着地、グルノーブルです。 3月7日午後9時、ナポレオンはグルノーブルに到着しました。 町に入る為のボンヌ門は閉ざされていましたが、民衆の手によって開かれ、グルノーブルへと入っていきました。 その門はもう残っていませんが、この道をナポレオンが進むと、民衆は歌をうたって歓迎したのだそうです。 そして現在「オーベルジュ・ナポレオン」というレストランになっている当時のホテルで、3日間の休憩をとったと言われています。 希代の英雄ナポレオンは、当時としては奇跡ともいえる行軍を果たしました。 その後彼はパリへと入城し、再び皇帝に返り咲いたのです。 しかし、その絶頂もわずか100日、ワーテルローの戦いに敗れたナポレオンは、またも皇帝の座を奪われ、絶海の孤島であるセント・ヘレナへと流されてしまいます。 そしてこの島で、波乱に満ちた生涯を閉じたのです。 11月1日放送分 パリ・シャンゼリゼ大通りの先にそびえる凱旋門。 この門の建設を命じた男こそ、希代の英雄ナポレオン・ボナパルトです。 そのナポレオンの英雄伝説を物語る道が、フランス南西部の険しい山あいを走る「ナポレオン街道」。 南仏ゴルフ・ジュアンからグルノーブルへと続く、およそ340キロの道のりです。 <ゴルフ・ジュアン> ナポレオン街道の起点は、南仏コート・ダジュールにある、ゴルフ・ジュアンの海岸です。 ニースとカンヌのほぼ中間に位置する、人口1万人足らずの小さな町の海岸に、とある記念碑があります。 「1815年 ここにナポレオンが降り立った」…毎年3月、ここではナポレオンの上陸を記念した盛大な祭りが開かれます。 およそ200年経った今でも語り継がれるナポレオンの上陸とは、一体どんなものだったのでしょうか? 1814年4月、ナポレオンはヨーロッパ同盟軍の圧力によりフランス皇帝の座を追われ、地中海に浮かぶエルバ島に幽閉されます。 しかし、再起に燃えるナポレオンは、1年も経たずにエルバ島からの脱出を敢行しました。 1815年3月1日、ナポレオンはおよそ1000人の兵士を率いて、ゴルフ・ジュアンの海岸に上陸したのです。 <カンヌ> 南仏の高級リゾート地、さらに国際映画祭が開かれる場所として有名なカンヌ。 1815年3月2日の午前2時にカンヌに到着したナポレオンは、ここで3千人分の食料を調達し、ほとんど休むことなく夜明け前にはカンヌを出発します。 現在も残るその道は、国道7号線から国道85号線へ入ります。 <グラース> カンヌから車で30分ほど走ると、香水の都として知られるグラースの町です。 ナポレオンがこの町に到着したのは、3月2日の正午前。 この時、地元の住民たちは、兵士にはワインをふるまい、ナポレオンにはスミレの花を差し出した、と記録に残っています。 グラースでは、18世紀頃から盛んに香水が作られてきました。 この町で最も歴史の古い香水工房「ガリマール社」で、今回特別にナポレオンをイメージした香水を作っていただきました。 使われている香りのエッセンスは、ベルガモットやバニラ、グリーンティーなど14種類。 プロの調香師のカロリーヌさんいわく、柑橘系のフレッシュな香りに仕上げました、とのことです。

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【荒野行動】メインストリート攻略!立ち回りやおすすめ武器紹介

荒野行動メインストリートミッド登り方

いくつもの「道」を走りました。 いくつもの「橋」を越えました。 快晴の中を、雨の中を、風の日も、雪の日も。 地球という舞台に刻まれた道を、懸命に走ってきました。 「その道を走れば、夢が叶う」。 そう言って走り始めた地球街道の旅も今回で終わります。 旅人75人、訪れた国37カ国、走行距離5万キロに及ぶ壮大な旅を振り返ります。 六平直政さんは、ベトナムの世界自然遺産、ハロン湾にて・・・。 カナディアンロッキーで、八木沼純子さんが目にしたのは・・・。 オーストラリアの広大な大地を駆け抜けたのは、勝村政信さん。 憧れのマダガスカルにやってきたのは、水野美紀さん。 高嶋政宏さんは、アイスランドで、神秘の大地に感動。 アフリカの大地で、命を賭けた絶景を目にしたのは、野村真美さん。 建築も私たちに驚きを与えてくれました。 ポルトガルで、林隆三さんは・・・。 ギリシャを走る草刈正雄さんが車を停めたのは、断崖の上に建つ天空の修道院。 旅の楽しさ、旅の喜びとは?地球街道ならではの旅の醍醐味・・・それは、音楽と寄り道。 衣笠祥雄さんがアメリカで立ち寄ったのは・・・。 高橋克実さんがスペインで見つけたお気に入りの風景は・・・。 カナダ一美しい紅葉の森、ローレンシャンを目の前に床嶋佳子さんは・・・。 西村和彦さんが旅したイタリアのラッツィオ州の小さな村は、雲海の上に。 中国の広大な竹林の中で、村田雄浩さんは・・・。 「地球街道」のはじめの一歩・・・ 中村雅俊さんが少年時代に憧れたアメリカ「ルート66」 私たちの前には、また新しい道が待っています。 道は続きます。 果てしなく、どこまでも。 3月21日放送分 南太平洋、ニューカレドニア。 旅人は、山本太郎さん。 天国に一番近い島、ニューカレドニア。 そこはまだ、私たちが知らない文化と美しい風景があります。 そこにはちょっと不思議な宿があり、伝統を守り続ける暮らしがあります。 <ヌメア> ニューカレドニア本島の町、ヌメアの夕暮れ時。 海沿いの広場では、男性たちが集まって人気のスポーツ・ペタンクに興じています。 ペタンクとは、2つのチームに分かれて、鉄の球を相手チームよりもどれだけ的に近づけられるかを競うゲームです。 カーリングの手投げ版といったところ。 ペタンク歴60年の技に驚きつつ、山本さんも挑戦してみます。 きれいな夕陽が海に沈んでいきます。 <マレ島> 本島から飛行機乗って、目指すは、「天国に一番近い浜」があるマレ島。 眼下には美しい南太平洋が広がります。 本島から飛行機で30分。 東京23区ほどの大きさのマレ島は、地殻変動で珊瑚礁が隆起してできた島です。 この島にはおよそ7500が暮らしています。 マレ島は手つかずの自然が残り、独特の文化を守り続けています。 島の南部に位置するエニ村は、マレ島の中でもとりわけ美しい村。 村のメインストリートを歩くと、山本さんがくるというので村中の人が集まってきました。 この村では、外部からきた人は、「コスチューム」という酋長への挨拶の儀式をしなければなりません。 来客はタバコとお金を布でくるみ、酋長への貢物にします。 まずはそれを長老に渡します。 すると、長老と村民から歓迎の意が示されます。 そうすると、いよいよ酋長の家へ向かいます。 山本さんも少し緊張・・・。 長老の手から酋長へ貢物が献上されます。 酋長からは歓迎のことばとともに、腰に巻くパレオがプレゼントされました。 浜では、村の女性たちが山本さんのために伝統料理のおもてなし。 伝統料理のブーニャは、サツマイモ、ヤマイモ、魚の上にココナッツミルクをかけ、それをバナナの葉で包み、蒸し焼きにしたものです。 食後は、こどもたちが昔から伝わる踊りを披露してくれました。 エニ村を後にした山本さん。 今夜は、伝統的な家屋「カーズ」に泊まります。 ニューカレドニアの民宿です。 山本さんが泊まる部屋は、なんと突き出た岩場に建っている日本の庵のような佇まいです。 <天国に一番近い浜・ジャバドラン> 天国に一番近い浜を目指す山本さん。 しかし、簡単には行けません。 足場は悪くサンゴが隆起してできた岩がどこまでも続きます。 岩場だけでなく、その道なき道は森の中へと続きます。 やがて目の前に、荒削りな岩肌が立ちはだかります。 一歩一歩慎重に足場を選んで歩みを進めます。 歩くこと2時間、ついに目の前に美しいビーチが!シャバドランのビーチ。 ここが、天国に一番近い浜。 美しきシャバドランには、波と岩場が作り出した小さな滝までありました。 <ニューカレドニア本島・ブーライユ> サーファー山本さんが、念願のサーフィンを。 ニューカレドニアきってのサーフスポット・ブーライユへ。 ブーライユの海は珊瑚礁で囲まれているため、その先までボートで行かないとよい波が来ないのだそうです。 沖に出て、さあ、初乗り! 3月14日放送分 東京から飛行機で8時間半。 「天国に一番近い島」といわれるニューカレドニアは、南太平洋に浮かぶ楽園です。 俳優の山本太郎さんが、驚きの絶景を目指し、ニューカレドニアを旅します。 <ヌメア> 人口8万人、ヌメアは島一番の都市です。 ニューカレドニアの正式名称は「フランス領ニューカレドニア」。 先住民であるメラネシア系の人々と、フランス人をはじめとしたヨーロッパ系の人々が暮らしています。 太郎さんがニューカレドニアに着いたのは日曜日。 早速色とりどりの野菜や果物が並ぶ、名物の朝市をのぞいてみます。 魚屋さんでマグロを試食させてもらったり、カフェでカフェオレとクロワッサンというフランスの朝食の定番を食べたりと、いよいよフランス気分が高まってきたようです。 <レニア島> ヌメアの人々の休日の過ごし方は様々ですが、その定番の1つがクルージング。 ヨットやクルーザーでとある場所に向かい、そこで家族とともに過ごすというのです。 クルーザーを持たない観光客にとっては、タクシーボートが便利。 太郎さんも、早速「とある場所」を目指します。 タクシーボートに揺られること20分。 沖合に見えてきたのは無人島です。 そう、ヌメアの人々は「ピクニック」と称して家族とともにこの島で過ごすのです。 島に上陸し「南の島に来た実感がわいてきた!」という太郎さん、ここで休日を過ごしているご家族のお話を伺いました。 週末のたびに島を訪れ、釣りをしたりリラックスして過ごすというご家族。 何ともうらやましいお話ですね。 ということで、太郎さんも、ニューカレドニアで最初のお楽しみ、シュノーケリングです。 透明度の高い海には、かわいい魚がたくさん泳いでいました。 <ヌメア〜> 今回太郎さんは彼女と同伴です。 その彼女とは…新しいサーフボード。 一緒に寝るほど愛しい「彼女」なのだそうです。 翌日、彼女を車に載せ、いよいよヌメアを出発。 海のイメージが強いニューカレドニアですが、ヌメアから国道1号線を北上していると、なかなか海は見えてきません。 「ずっと海沿いを走ると思っていたのに」という太郎さんですが、それもそのはず、ニューカレドニア本島の中心には南北に中央山脈が走っており、1000m級の山々がそびえ立っているのです。 青い海ももちろんですが、その雄大な山の表情もまた、絶景なのです。 太郎さんは、進路を東へと変えました。 その山脈を越えてみるためです。 北上を続ける太郎さん、森を抜けると、橋の上から網を投げる漁師さんを発見しました。 お話を伺うと「日本人が伝えた投網だよ」とのお答えが。 実は19世紀末、ニューカレドニアのニッケル鉱山で働くため、およそ6千人の日本人が移住してきました。 そしてこの地に住みついた日本人が、この投網の技術を伝えたのだそうです。 …それは意外。 皆さんご存知でしたか?というわけで太郎さん、日本人代表として投網にチャレンジです。 さあ、魚はかかっているでしょうか…(結果は0匹と残念でしたが「今は干潮だから魚は釣れないんだ」とフォローしてくれました)。 すると漁師のローランさん、朝獲れた魚を見せてくれました。 「食べたいなあ」という太郎さんのお願いに、ローランさん、快く昼食に招待してくれました。 釣った魚はどうやって調理するかと見ていると…衣も何も付けずにそのまま揚げるだけ。 実にシンプル。 テーブルには、サラダやアサリのボイルなど、豪華な食事が並びます。 ローランさんは、普段食べるものは海や自分の畑で獲れたものでほとんどまかなえると言います。 つまり、自給自足。 お金を使うのは、タバコや砂糖を買うときくらいだそうです。 究極のスローライフ、ですね。 すっかりご馳走になった太郎さん、ローランさんオススメの絶景を目指し、再び東海岸を目指します。 美しい海と雄大な山々。 どこか日本の風景と似ている景色は、かつてこの地に移住した日本人にとって、心和むものだったに違いありません。 その絶景は「海も山も両方好き!」という欲張りな太郎さんの心もすっかり満たしてくれました。 3月7日放送分 それぞれの人生の中で、人には、大切に思う場所があり、忘れえぬ人がいることでしょう。 中村雅俊さんの大切な場所は、山口県の萩と仙崎。 20代、30代の雅俊さんに大きな影響を与えた出逢いがあったからでした。 萩から仙崎へ。 それは、雅俊さんの永遠の記憶を辿る旅です。 <山口県萩市> 昭和52年、雅俊さんはNHKの大河ドラマ「花神」で、幕末の長州で奇兵隊を率いた高杉晋作を演じました。 初めての時代劇。 俳優・中村雅俊にとってターニングポイントとなったドラマでした。 長州藩の中心地だった萩は、今もそこかしこに幕末の風情が漂っています。 城下町の一角には、後に維新の立役者となる木戸孝允や伊藤博文など、多くの人材が集まっていました。 そんな町を歩き、雅俊さんが向かったのは高杉晋作の誕生地。 33年前にも一度、撮影の合間に訪れているのだそうです。 しかし、家は後世建て直され、当時から残っているものはほとんどありません。 菊が浜は、夕陽の美しい浜辺。 実は雅俊さんには、ここで撮影した思い出のシーンがあるそうです。 高杉晋作登場の場面、浜辺で木刀を振り回すシーンです。 雅俊さん、浜辺に落ちていた木の棒を拾い、当時のシーンを再現します。 高杉晋作ゆかりのものが残されていないだろうか?そんな思いで訪れたのは、萩博物館。 ここには「高杉晋作資料室」があり、様々なゆかりの品が観覧できます。 室長であり、高杉晋作の研究家でもある一坂太郎さんにご案内いただき、今回、展示されていない貴重なものを特別に見せていただくことができました。 それは、高杉晋作が自分で作った木刀。 当時の息吹を感じてみたいと、思わず木刀に顔を近づけてみた雅俊さん。 晋作の匂いはもう残っていませんが、じんわりとこみ上げるものがあったようです。 萩の町の北にある岬では、この季節ならではの光景が見られます。 笠山椿群生林は、東京ドーム2個分の広さを誇る、日本最大級の椿の群生林。 2万5千本もの椿は、すべて自生です。 林の中を歩く雅俊さん、遊歩道にはまるで誰かが撒いたかのように、椿の花が落ちています。 椿は花びらではなく花ごと落ちるのですが、その花、一体どこに咲いているかと言うと、高さ10mにも及ぶ木の上の方。 落ちた花は、地元の方々の手で毎日掃除されています。 ちょっともったいない気が…と思ったら、観光客のためにきれいな花を残してくれているのでした。 <山口県長門市> 萩に隣接する長門市の海沿いの町、仙崎。 ここも、雅俊さんにとって大切な人の故郷です。 1981年に発売された「心の色」の作詞家・大津あきらさんは、雅俊さんの1つ年上。 12年前、大津さんが47歳の若さでこの世を去るまで、まるで兄弟のように本当に親しくしていたのだそうです。 雅俊さんは、大津さんのご実家へ。 現在そこにお住まいなのは、大津さんのお母様。 東京にあった大津さんの仕事部屋を仙崎に移し、12年間そのままの状態で残してあるのだそうです。 コンサートで大津さんが作ってくれた曲を歌い続けているという雅俊さん。 今でも忘れられないのが、大津さんが亡くなった時のこと。 棺の前で、大津さんと雅俊さんを結びつけてくれた思い出の曲である「心の色」を歌ったのだそうです。 お母様も、その時のことは忘れられないご様子。 2階に案内していただき、思い出話に花を咲かせていると、雅俊さんも初めて聞くという「心の色」誕生のエピソードを聞かせてくださいました。 美しい夕陽に感動してできたという「心の色」。 それは、仙崎の風景から生まれたものでした。 雅俊さん、どうしてもこの町でも特に好きな場所で歌いたくなってきました。 大津さんが亡くなった翌年、友人たちの手で建てられた「心の色」の歌碑のそばで。 大津さんはその場にいなくても、きっとどこかで聞いていてくれるはずです。 大津さんへの思いがこもった「心の色」を。 2月28日放送分 60カ国以上の国をめぐり、現在登山家としてエベレストやマナスルなど、世界の最高峰に挑み続けている、元F1レーサーの片山右京さん。 今まで冬の北海道を訪れたことがなく、冬の北海道が織りなす神秘の風景にずっと憧れ続けていたのだそうです。 そんな右京さんが目指すのは「神の湖」と呼ばれる摩周湖。 右京さんが、雪の北海道で見たものとは… <釧路湿原> 釧路湿原は、東京・山手線内の3倍ほどの面積を誇る、日本最大の湿原です。 海外ではカヌーの経験があるそうですが、冬のカヌーは初体験。 しかも川面は、シャーベット状の氷で覆われています。 釧路川をすべるように進むカヌー。 そこは時折鳥のさえずりや、カヌーが水面をこする音が聞こえてくるだけの、静寂に包まれた世界です。 そしてこの季節、ここで見られるとっておきの風景があります。 それは、霧氷。 氷点下では、水の方が暖かいため、川から上った水蒸気が樹木に当たり、昇華します。 それが木の枝や葦にくっつき、幻想的な風景を作り出すのです。 それは、冬の湿原を彩る一瞬の輝き。 霧氷は、朝日が上るまでの気温に左右されるため、厳冬期の一瞬だけ目にすることができる現象なのです。 <鶴居村> 「鶴居・伊藤サンクチュアリ」は、タンチョウの給餌場。 タンチョウは、絶滅の危機にある鳥です。 現在およそ1000羽が確認され、越冬のために餌が与えられています。 タンチョウは、春夏を湿原で過ごし、秋になると鶴居村にやってきます。 冬の間、凍りにくい川を寝床としていますが、今の釧路湿原では冬を越すだけの餌を自力で取ることができないため、昼間だけ給餌場に飛来するのだそうです。 <摩周湖> 「右京さんは、摩周湖を目指します。 展望台から見ると、そこは深い霧に覆われていました。 「神の湖」と讃えられている摩周湖は、流れ込む川も流れ出る川もないカルデラ湖です。 しかし、年間を通じてその水位がほとんど変わらないのは、ここの水が、地下を通る伏流水になっているためです。 その影響は、半径100kmにも及びます。 ですから摩周湖は「神の湖」と呼ばれているのです。 <清里町> 神の湖・摩周湖のもうひとつの神秘を見るために、右京さんは清里町にある宿へ。 お世話になったロッジの名は「旅人の宿・風景画」です。 アウトドア関連の会社に勤めていた山下さんがこの地にひかれ、北海道に移住したのは10年前のこと。 そして自ら設計建築し、旅人を迎えるための宿を始めたのだそうです。 宿の名前を「風景画」とした理由は、2階に上がるとわかります。 それは、壁一面が窓になっており、その窓がまるで額縁のように風景を切り取るから。 窓から見える斜里岳は、まさに風景画のような美しさです。 夕食作りは、山下さんご夫妻の共同作業。 素朴ながらも、できるかぎり地元の食材を使い、心がこもった手作りの料理です。 翌朝、自然ガイドでもあるご主人の案内で山の中へ。 目指すは神の湖・摩周湖の力がもたらす奇跡の場所です。 雪深い道も歩けるスノーシューを装着し、森の奥へと進みます。 木が骨組みとなって天然のかまくらができている場所、森を流れる川に氷のオブジェ。 自然の恵みを目にしながら3時間ほど歩いた2人の目の前に表れたのが、「神の子池」です。 静かに、蒼い水をたたえる「神の子池」。 その中には、朽木が横たわっています。 実はこの池の源は摩周湖。 こんこんと湧く伏流水は、1日1万2千トンもの湧水量を誇り、水温は年間を通じてほぼ8度に保たれています。 神の湖・摩周湖の子どものようだからと、ここは「神の子池」と呼ばれているのです。 それは、地球が作り出した奇跡の場所です。 右京さんは、再び北海道の大地を走り始めました。 まだ見ぬ神秘の絶景がそこに待っているから。 それは、知床の深い森です。 2月14日放送分 スペイン西部、イベリア半島を南北に走る1本の道を、人は「銀の道」と呼びます。 およそ2千年前、古代ローマ人によって作られた軍事用の道。 その名の由来は諸説ありますが、古くから人を運び、物を運び、スペインの歴史そのものが刻まれた道なのです。 冬のスペインを訪れるのは初めてだという近藤正臣さんが、「銀の道」の終着地セビーリャを目指します。 <「銀の道」旧街道沿い> 「銀の道」沿いの旧道脇に立っているのは、「ミリアリオ」と呼ばれる古代ローマ時代の道しるべ。 かつてイベリア半島の中心都市であったメリダから、1マイル(古代ローマ時代=約1.5km)おきに置かれていたものだそうです。 近藤さんが立ち寄ったのは、とある羊小屋。 羊飼いのおじさんに「いいものを見せてあげるよ」と、小屋の中へ案内されると、そこには太い石の柱が何本も。 そう、なんとあの古代ローマ時代の道しるべが、羊小屋の大黒柱に変わってしまっていたのです!近藤さんが立ち寄った羊小屋はおよそ400年前に建てられたそうですが、どうやらその時、道しるべをあちこちから持って来て柱に利用してしまったらしいのです。 近藤さん、思わず「そんなことしちゃダメなんじゃないの?」と聞きますが、おじさんは「この羊小屋が建てられたのはすごく昔のことだから、よくわからないよ」とのこと。 そりゃそうなんですけど… <カセレス> 中世の貴族の住宅群がほぼ当時のまま残る旧市街は、その街並の美しさから、世界文化遺産に登録されています。 近藤さんは、名物を求めてカセレス郊外にある「ラ・ハリージャ」へ。 ここは、伝統的な手法でチーズを作り続けている工房です。 その作り方は、乾燥させた朝鮮アザミの花から作った天然の凝固剤を使って羊のミルクを固め、1つ1つ丁寧に型に詰めて、高い湿度を保った冷蔵庫で2ヶ月熟成させるというもの。 そうしてできあがるのが、名物、トルタ・デル・カサールです。 工房の方は「世界一おいしいチーズですよ」と言うのですが、実は近藤さん、チーズが大嫌い。 口に入れるまでにちょっと時間がかかりましたが、思い切って…!さて、「世界一おいしいチーズ」は、近藤さんのチーズ嫌いを克服させることができるでしょうか? 世界遺産の町、カセレスが最も美しいのは、夜かもしれません。 そこで近藤さんは夜の町を散策。 町の中心にある広場に出てみると、教会の塔の上にコウノトリを発見しました。 通常、冬はアフリカで過ごし、春再び戻ってくるはずのコウノトリ。 今ではすっかりここに住みついているようです。 ドライブ中、巣はいくつも見たけれど、中に本物がいるのは初めて見たと言う近藤さん。 世界遺産の町での、思いもかけない出会いでした。 <メリダ> 「銀の道」を何かすること1時間。 「小さなローマ」と讃えられる町、メリダです。 まるで遺跡の中にあるかのようなその町で近藤さんが訪れたのは、およそ6千人を収容できたという、半円形のローマ劇場。 近藤さん、思わずシェイクスピア(?)のお芝居のセリフを絶叫。 ナレーションの中村雅俊さんも、思わず「その気持ち、わかる!」と言ってしまうほどのはしゃぎっぷりを見せていただきました。 <モネステリオ> 再び「銀の道」を走り出した近藤さんの目に飛び込んできたのは「デエサ」と呼ばれる樫の木林。 広大なドングリの林には、たくさんのイベリコ豚が放し飼いにされています。 冬の時期、ドングリだけを食べさせて、さらに厳しい基準をパスしたイベリコ豚のみ、最高の生ハム「ベジョータ」になるのだそうです。 たくさんのイベリコ豚に囲まれた近藤さん、何をしているかと思えば、何と豚の大事な食料であるドングリを拾っていました。 そしてそのドングリをパクリ。 どうやらこの林のドングリ、近藤さんが子どもの頃に食べた椎の実と同じ味がするのだとか。 「この豚たち、こんなにおいしいドングリ食べてるんだ…」と納得の近藤さん。 …となれば、生ハムも絶対おいしいはず!と、町にあるバル・レストランへ。 そこに、最高級の生ハムの最高の食べ方があるというのです。 最高級の生ハム「ハモン・イベリコ・ベジョータ」ができるまでには、3年という時間が費やされます。 その生ハムをおいしくいただくには、切り方がとても重要なのだそうです。 レストランテ・マジョルカのデメトリオさんは、スペインの生ハム切りコンテストで優勝した達人。 その見事な包丁さばきは、まさに職人技。 近藤さんも待ちきれません。 ところがデメトリオさん、生ハムは出してくれたものの、フォークがない。 まさか、見るだけ…?と、心配になる近藤さん。 実は生ハムは、手で食べるのがスペイン流。 最高級の生ハム、お味はいかがでしょうか? <セビーリャ> 「銀の道」の終着点、セビーリャ。 ローマ時代、大航海時代と、貿易の重要な拠点として発展しました。 シンボルの「ヒラルダの塔」がある大聖堂は、世界遺産に登録されています。 「銀の道」を走り終えた近藤さんが最後に向かったところ。 それは、夜のバル。 夜の1時過ぎだというのに、皆さんフラメンコを踊ったりお酒を飲んだりで大盛り上がり。 スペインの、長く賑やかな夜はまだまだ続きそうです。 2月7日放送分 スペイン西部、イベリア半島を南北に走る1本の道を、人は「銀の道」と呼びます。 その名の由来は諸説ありますが、古くから人を運び、物を運び、スペインの歴史そのものが刻まれた「銀の道」。 冬のスペインを訪れるのは初めてだという近藤正臣さんが、ヒホンからセビーリャまでのおよそ820kmの道のりを走ります。 <ヒホン> 「銀の道」の起点は、カンタブリア海に面した町、ヒホン。 この町の名物は、日本人にとって非常になじみ深い食べ物だということを聞き、近藤さんは一軒のバルへ向かいました。 お店の方が「名物のオリシオがあるわよ」と出してくれたのは、なんとウニ。 しかも茹でたウニです。 ヒホン流のウニの食べ方は、丸ごと海水で茹でるというもの。 「生で食べた方がおいしいのに、もったいない!」と言いつつ、近藤さん、しっかり完食です。 <ブエニョ> スペイン北西部、人口130人ほどの小さな村、ブエニョ。 村を歩く近藤さんが見つけた不思議な建物は、「オレオ」と呼ばれる高床式の倉庫。 雨が多いスペイン北西部で、穀物を湿気から守るために生まれたもので、古い物では数百年ほど経つそうですが、未だに現役。 まるで頑固なおじいさんのような佇まいです。 引き続き村を散策していた近藤さん、ようやく村人のおばさんを発見。 勇気を出して「日本から来ました」と話しかけてみると、「はいはい、よくいらっしゃいました」と、つれない態度で逃げられてしまいました。 歩き去るおばさんの足音がぽこぽこと響きます。 「木靴…?」と不思議に思った近藤さん、めげずにおばさんの後を付いて行ってみることに。 しばらくすると、そのおばさんのご主人と思われる、木靴を履いたおじさんを発見。 お話を伺ってみることにしました。 「マドレーニャ」と呼ばれる木靴は、雨の多いこの地域だからこそ生まれた生活必需品。 ぬかるみの所を歩きやすいし、足がとても暖かいのだそうです。 どうしても木靴が欲しくなってしまった近藤さん。 さて、旅の間に見つけることはできるでしょうか? <レオン> サンティアゴへと続くかの有名な「巡礼の道」と「銀の道」が交差する、古くからの要衝レオン。 旧市街は、10世紀に造られた城壁に囲まれています。 町のランドマークは、レオン大聖堂。 13世紀に建造された、ゴシック建築の傑作です。 中へ入った近藤さんが目にしたのは、壁一面に施された、700枚を越すステンドグラス。 息を飲むその美しさは、ただただ「すごい」の一言です。 マヨール広場では、市が立っていました。 冬のヨーロッパ名物、焼き栗やみかんなど、買い物に夢中の近藤さんでしたが、偶然、木靴を履いているおばあちゃんを発見!聞くと、お店の場所を案内してくださるというので、お言葉に甘えることにしました。 教えられたのは、一見普通の靴屋さん。 意を決してお店に入ってみると…ありました!たくさんの木靴です。 中には豪華な彫刻が施された木靴も。 近藤さんは「彫刻は誰に教えられたわけでもなく、自力で学んだんだよ」と教えてくれた、御年80歳のアベリーノさんが丹念に彫り上げた木靴を迷わずお買い上げです。 念願の木靴の履き心地はいかがでしょうか? <ポルトガル国境> 近藤さんは「銀の道」を外れてちょっと寄り道。 ポルトガルとの国境を目指すことにしました。 車を走らせる近藤さんが思わず通り過ぎてしまった「セグラ橋」が、スペインとポルトガルの国境。 ということで、改めて橋の上へ。 2つの国境をまたいだ近藤さん、「俺は今2つの国にいるんだぞ!」と思わずピース。 まるで子どもみたい…ですが、わかりますよね、その気持ち。 <セグラ(ポルトガル)> 橋の上からふとポルトガルの方を見ると、丘の上に小さな村が見えました。 ポルトガルに入って最初の村です。 近藤さんは、ためらうことなくその村へ。 初めて出会ったポルトガルの村、セグラです。 近藤さんは、国境から見えた教会へ。 たどり着くと、そこには日没を待つおじさんたちがいました。 「ちょっと寒いよ」と言うおじさんたちと一緒に、ベンチに座って夕陽を眺めます。 翌日、近藤さんは再び「銀の道」を走り出しました。 終着点のセビーリャまでは、およそ300kmです。 1月31日放送分 江戸時代後期、新潟の商人・鈴木牧之が1冊の本を著しました。 雪国の暮らしを記した「北越雪譜」には人々の知恵と文化が綴られ、当時「里見八犬伝」と並ぶ大ベストセラーとなりました。 それから170年。 雪国の暮らしぶりはどう変わったのでしょうか?新潟県新発田市出身の三田村邦彦さんが見た、現代の「北越雪譜」の旅の始まりです。 <新潟県十日町市> 日本有数の豪雪地帯、新潟県十日町市。 旅の始まりは、松之山温泉。 草津、有馬と並んで「日本三大薬湯」の1つに数えられる名湯です。 湯煙漂う温泉街も、今はすっかり雪の中。 雪が降っている時期にここを訪れるのは初めてだという三田村さん、街を歩いていると、騎馬に担がれた2人の男性に出会いました。 「お婿さんが投げられる」というのですが…?「婿投げ」は、この地域に300年ほど前から伝わるお祭りで、前年結婚したお婿さんが、高さ5m以上のお堂の上から放り投げられるというもの。 もともとは、よそ者に集落の娘を取られた腹いせに婿を投げたのが始まりだとされ、お嫁さんが雪の中からお婿さんを助け出すことで、2人の絆がより深くなるよう願う行事なのです。 三田村さんがお話を伺った関根さんも、放り投げられて雪まみれ。 無事旦那さまを助け出した奥様、「旦那さまが投げられていかがでしたか?」と聞かれ、「素敵でした」…お2人の絆はますます深まったようです。 いつまでもお幸せに! 松之山は、日本有数の豪雪地帯です。 特に、昭和56年と59年には、山間部で6mを超す記録的な積雪となりました。 ここで暮らす人々は、日々、雪との格闘です。 三田村さんは、雪かきをしていた方にお話を伺ってみました。 ご自宅に案内してくれた丸山さん、屋根には3mの雪が積もったこともあるのだそうです。 外装に多少手を加えてあるとはいえ、築100年の立派なお宅。 太い梁や柱が、過去の豪雪に耐えてきたのです。 ひとやすみさせていただき、奥様が作ったというおかずまでいただいてしまった三田村さん。 そろそろ今日の宿へ向かいましょう。 三田村さんの今夜の宿は、一軒まるまる借りられる古い貸し民家。 雪国の暮らしを体験してみよう、というわけです。 この日の外気は2度。 とにかく寒い!!そこで三田村さんは、囲炉裏に火を入れることにしたのですが、問題発生!杉の枝や薪が燃える煙で家の中が真っ白になってしまったのです。 暖を取ったのに窓を開けなきゃいけないなんて、雪国の暮らしは楽じゃありません。 ここでの泊まりは自炊が基本。 新潟に来たからには、魚沼産のコシヒカリでしょう!ということで、薪を割って、お釜でごはんを炊きます。 待つこと40分、ほかほか、つやつやのごはんが炊けました。 おかずは先ほど丸山さんからいただいたもの。 サトイモやニンジン、ゴボウなどを煮てとろみをつけた、この地方の郷土料理「のっぺ汁」を温め、それをごはんにかけるのが、三田村流・おいしいのっぺ汁の食べ方です。 三田村さん、思わず「うまい!」。 心も体も温まる、おいしい新潟の味です。 <新潟県津南町・長野県栄村> 新潟県から長野県へ。 三田村さんが向かうのは、豪雪地帯の秘境、秋山郷です。 秋山郷は、平成18年、記録的な豪雪に見舞われ、唯一のライフラインである国道405号線が1ヶ月にわたり通行止めになり、13の集落が雪の中に孤立しました。 今年は、例年よりだいぶ雪が少ないようです。 秋山郷には、信号が1つもありません。 三田村さんがゆっくりと車を走らせていると、牛乳パックを1本持って歩いている人に出会いました。 三田村さん、「牛乳配達をしてるんです」とおっしゃる、お仕事中の阿部さんに付いて行くことにしました。 地元出身の阿部さんの本業は、商品の卸業。 しかし一般家庭からお願いされると、配達料なしで、食料品から電化製品まで、あらゆるものをお届けしているのだとか。 「待っていてくれる人がいるから、雪が降っても、腰まで雪に埋もれても届けなきゃいけない」と語る阿部さん。 助け合って暮らす、雪国の温かさです。 旅の終わりに三田村さんは、秘境・秋山郷の中でも最も美しい場所へと向かいます。 そこには、新潟県出身の三田村さんも見たことがない絶景が広がっていました。 1月24日放送分 元フジテレビの中村江里子さんと、元TBSの雨宮塔子さん。 現在パリに住むお2人が親しくなったのは、ごく最近のことなのだそうです。 江里子さんの思い出がいっぱいつまった場所、そして塔子さんが長年憧れていた美しき礼拝堂。 愛しのコート・ダジュールで、お2人を待ち受けていたものとは…? <ニース> この日、ニースは大荒れ。 実は江里子さん、ご家族に「嵐を呼ぶ女」と言われ、ここぞという時に必ずお天気が悪くなってしまうのだとか。 「今日の雨も私のせいかも…」と落ち込む江里子さんですが、気を取り直してニースの街を散策してみましょう! 街で最もにぎやかなのが、旧市街の朝市。 品揃えも豊富です。 パリではよく市場で買い物をするというお2人ですが、この朝市には、ニースでしかお目にかかれないものもあるのです。 お2人が見つけたのは「ソッカ」という大きなお好み焼きのようなもの。 ニースの名物料理で、小麦粉ではなくエジプト原産のひよこ豆をひいた粉に、水、オリーブオイル、塩を混ぜた生地を、250度の窯で8分間焼いてできあがりです。 さて問題は、そのお味。 どうやらソッカを売る名物おばさんのテレザさんが、豪快にコショウを振りかけすぎてしまったようです。 テレザさんは「日本人は辛いのが好きでしょ?」と、涼しい顔。 とても元気なテレザさん、「日本人男性が結婚してくれたら、エネルギーの全てを捧げるわ」とのこと。 元気をもらいたい独身男性の皆さん、ニースの朝市でテレザさんにプロポーズしてみては? <ヴァンス> 今回お2人が最も楽しみにしていた場所、それは、ある画家が手がけた礼拝堂です。 色彩と構図を徹底的に追及した、20世紀を代表する画家、アンリ・マティス。 その晩年の代表作である礼拝堂は、マティスが大好きだという塔子さんが長年望んでいながら「最後の砦」として、ずっと訪れずにいた場所でした。 中世の佇まいが残る街、ヴァンスはマティスが晩年の一時期を過ごした街でもあります。 その街はずれにさりげなく建っているのが「ロザリオ礼拝堂」です。 休館中だったため、予約を入れ、管理しているお隣の修道院に開けてもらうことになっていたのですが、担当の方は「問題が起きました。 中は無理です」の一点張り。 本当は終わっているはずだった礼拝堂の中のペンキ塗りに、思いのほか時間がかかってしまっているというのです。 あきらめきれないお2人は、礼拝堂の外へ。 目の前に憧れの礼拝堂があるというのに「絶対にダメです」とつれない返事。 結局お2人は予定を変更し、2日後に出直すことにしました。 <サン・ポール・ド・ヴァンス> サン・ポール・ド・ヴァンスは、ヴァンスの隣町。 中世の家並みが保存されており、コート・ダジュールの中でもひときわ美しい町、そして江里子さんのご主人の故郷でもあるのです。 江里子さんが塔子さんを連れて来たかったのが「ラ・コロンブ・ドール」というホテル。 現在は休業中ですが、かつてピカソやブラックら、名だたる画家たちが盛んに出入りしていた宿。 その時彼らが残して行った作品がいたる所に飾られているすごいホテルなのです。 塔子さん、残念!宿泊は、またの機会ということで… 街を歩いていると、江里子さんが結婚式当日、ウエディングドレス姿でくぐり、街なかへと入っていったという門があります。 何とその門も工事中!お2人の旅はトラブル続きです。 お2人は回り道して、教会に至る坂道へ。 ここは、江里子さんがドレスを着てお父様と共に歩いた、忘れることのできない道。 父と娘、そして家族がお互いのことを想う、美しい時間が流れていた、江里子さんにとってはとても大切な場所です。 坂道を登りきると、江里子さんが式を挙げた「サン・ポール・ド・ヴァンス参事会教会」に突き当たります。 完成したのは12世紀とも言われる古い教会。 その後改修を繰り返すものの、今も中世の姿をとどめる美しい教会です。 <ヴァンス> 旅の最終日、お2人は再びあの礼拝堂へ。 ドキドキしながら待つお2人のもとに、担当の方が笑顔で現れました。 どうやら中を見せていただけるようです。 ロザリオ礼拝堂は、マティスが晩年、看護を受けた女性の依頼に応え、手がけたものです。 4年近くの歳月を費やし、まさに心血を注いですべてのデザインに取り組みました。 ステンドグラスの色は、青、緑、黄色のわずか3色。 青は空と海を、緑は植物を、そして黄色は太陽を表しています。 マティスは、この礼拝堂のためにアトリエを改修。 長い棒(筆)を使い、巨大な壁画の制作に取り組みました。 試行錯誤の末に生まれた3点のタイル画は、一切の無駄がそぎ落とされています。 キリストの受難の過程を描いた「十字架の動行」は、何度も何度も描き直し、3年以上の歳月を費やしたのです。 そしてお2人が、この礼拝堂の中で最もひかれたのが「聖母子」。 幼いイエスを抱いた、聖母マリアです。 温かい気持ちが、体の中から満ちてくるような絵、ステンドグラスを通る柔らかな光。 モノクロームの絵にほのかに映る色は、色彩の魔術師と呼ばれたマティスの真髄ともいえる美しさです。 旅を終えたお2人は、共に言いました。 「年を重ねて、また来てみたい」と。 1月17日放送分 元フジテレビの中村江里子さんと、元TBSの雨宮塔子さん。 現在パリに住むお2人が親しくなったのは、ごく最近のことなのだそうです。 南フランスは何度か訪れているというお2人ですが、それぞれがオススメの場所を案内しながらニースを目指します。 初めての二人旅、その先に待っていたものとは… <エクス・アン・プロヴァンス> 超高速鉄道TGVでおよそ3時間。 エクス・アン・プロヴァンスは、2千年以上の歴史を誇る街です。 湧き水が多いこの街は、夏には豊かな緑に包まれます。 舗道には、「C」のマークが。 ここエクス・アン・プロヴァンスは、近代絵画の父、ポール・セザンヌの故郷。 「C」のマークをたどっていくと、アトリエなど様々なセザンヌゆかりの場所に行き当たる、というわけです。 お2人がここを訪れたのは、街がクリスマス一色のころ。 街の一角に、何やら皆さんが真剣に物色している出店がありました。 ずらりと並んでいるのは「サントン人形」。 この地方で採れる粘土で焼き上げた後着色して作られ、大きさは2〜30cmほど。 フランス革命で人形を飾ることを禁止された際、隠れて行うために小さくしたのが起源なのだそうです。 クリスマスの前後に、思い思いのサントン人形を家に飾ることが、プロヴァンスの人々の楽しみ。 3年前から人形を飾り始めたという江里子さんは、早速お買い物モードに突入。 全部で10体のお買い上げです。 実際に人形を飾っているところが見たいというお2人は、お店の方にコレクターのシリルさんを紹介していただき、早速ご自宅へ。 ごく普通の農家だと聞いていたのですが、そのスケールにびっくり。 何と、立体感を出すために壁に穴まであけてしまっているのです。 幅4m。 祖父の代から70年にもわたって集め続けたという人形だけでなく、草木や土を使って、一昔前のプロヴァンスの牧歌的な暮らしを再現しています。 デザインは毎年替え、今年は3日間かけて作り上げたというシリルさん。 サントン人形は、世代を超えて受け継がれるプロヴァンスの伝統なのです。 エクス・アン・プロヴァンスから東へと伸びる道は、絶好のドライブルートです。 その名も「セザンヌの道」。 彼が愛したサント・ヴィクトワール山へと続く道です。 セザンヌは、画材を抱えて何度もこの道を通り、個性的な姿を見せるサント・ヴィクトワール山を80枚以上も描きました。 お2人は車を停め、さらに近づいてみることに。 荒々しい岩肌を見せるその姿に圧倒されます。 <コート・ダジュール> お2人の車は、プロヴァンスからコート・ダジュールの山の中へ。 向かっているのは、江里子さんが「もう一度訪れたい」とずっと思っていた村です。 グルドンは、中世の頃、異民族の侵入から逃れるために、あえて崖の上の難所に作られた村。 標高720m、堅牢な石造りの家が並びます。 江里子さんは早速思い出の場所へ。 実はここ、今から10年ほど前、現在のご主人に連れて来てもらって、とても感動した場所なのだとか。 お2人の目の前に広がるのは、恋に落ちた江里子さんが見た絶景です。 今夜の宿は、塔子さんが以前取材で訪れながら、ランチしか食べられなかった因縁の宿「オステルリー・ドゥ・ラベイ・ドゥ・ラ・セール」。 18世紀のブルジョワの邸宅を使用した、のどかでアットホームなこのホテルに、いつかゆっくり来たいとずっと思っていたという塔子さん。 その夢がかないます。 用意されたのは2部屋。 お2人はそれぞれどちらかを選ばなくてはなりません。 1つは、教会広場と市場が見える「市場に面したヒマラヤ杉の部屋」、そしてもう1つは、軍人出身の英雄ド・ゴール大統領が、回想録を書くために何度も宿泊したという「ド・ゴール将軍の部屋」。 迷いに迷ったお2人ですが、塔子さんは「かわいらしくてほっとする」という理由でヒマラヤ杉の部屋を、江里子さんは「マスキュランなものが好き」という理由でド・ゴール将軍の部屋を選びました。 原稿用紙を持って来たという江里子さん、ド・ゴールが回想録を書いた部屋で、どんな文章が生まれたのでしょうか? この宿のご自慢は、夕食。 フランス屈指の名シェフ、アラン・デュカス氏がプロデュースする、シンプルで素材の味をいかした素朴な料理が並びます。 翌日お2人は、南フランスのリゾート地、ニースへ向かいます。 しかし天気は大荒れ。 ちょっと、嫌な予感です… 1月10日放送分 今から3年前、国道1号線を北上し、パースからシャークベイまでの西海岸を旅した勝村政信さん。 その壮大な絶景に魅せられ、いつしかふくらんだ夢が「国道1号線を走り、オーストラリア大陸を1週してみたい!」。 今回は東海岸、ブリスベンからケアンズまでのおよそ2500kmを走ります。 目指すは、2つの世界遺産です。 <タウンズビルとその周辺> タウンズビル周辺は、古くから砂糖の産地です。 19世紀末、この辺りのサトウキビ畑で働くために、多くの日本人が移住してきました。 彼らのために1896年、オーストラリアで最初の日本領事館がタウンズビルに作られたのです。 1908年まで使われていたその建物が、今も残されています。 勝村さんは、旧日本領事館を訪ねました。 建物は、この地方特有の建築、クイーンズランダー様式。 木造2階建てで、1階はガレージと納屋になっており、住居は2階部分のみ。 夏の暑さをしのぐため、高床式住居になっているのです。 現在こちらにお住まいのトンノワさんご夫妻は、当時ボロボロだったこの建物を、15年以上かけて自分たちで少しずつ修理してきたのだそうです。 この辺りには、とても珍しい動物が生息しています。 オーストラリア東部とタスマニアにしかいないその動物が見たいと、勝村さんは国道1号線を外れてちょっと寄り道。 その動物が棲みついているという釣り堀で、オーナーのピーターさんに「絶対に大きな声を出さないで」と注意された勝村さん。 とても警戒心が強いというその動物とは…カモノハシです。 哺乳類でありながら卵を産む珍しい動物で、水中で餌を捕獲するため、2分に1回ほど呼吸のために水面に上がってくるのです。 その間、わずか10秒。 勝村さんは、カモノハシを見ることができたのでしょうか? <ケアンズ> ブリスベンから1700km、ケアンズの町です。 勝村さんが向かったのは、1つ目の世界遺産。 ケアンズ周辺には、90万ヘクタールにも及ぶ広大な熱帯雨林が広がっており、世界最古の熱帯雨林の1つと言われています。 そしてここは、古くから先住民アボリジニたちが暮らしてきた森。 彼らは食料や薬など、すべてのものをこの森で調達してきたのだと言います。 勝村さんは、ガイドのロバートさんと共にその森へ。 燃料や石けんとして使うという珍しい植物や、別の土地からやってきた人に情報を伝えるための壁画が描かれた洞窟、そしてアボリジニたちが「教会のような神聖な場所」と崇めるイチジクの木を見せていただきます。 そこは、神々しくさえある太古の森です。 森を抜けて海に出ると、もう1つの世界遺産が広がっています。 ケープトリビュレーションは、熱帯雨林とグレートバリアリーフの2つの世界遺産が出会う場所です。 勝村さんは、水上飛行機で世界最大の珊瑚礁、グレートバリアリーフへ。 全長2千km以上、日本列島がすっぽり入ってしまう広さに珊瑚が群生しているのです。 勝村さんが向かったのは、小さな砂の島サドブリケイ島。 この日1時間だけ、勝村さんの貸し切りとなりました。 目の前に広がるのはエメラルドグリーンの海と水平線のみ。 夢のような贅沢な時間です。 5分も泳ぐと、そこは一面の珊瑚礁。 グレートバリアリーフには、400種類以上の珊瑚が生息し、その周りには1500種類以上の魚が生息していると言われています。 そこはまさに、珊瑚の海。 ブリスベンからケアンズ、およそ2500kmもの距離を走り切った勝村さん。 果たして、晴れてオーストラリアを1周できるのはいつになるでしょうか…? 1月3日放送分 今から3年前、国道1号線を北上し、パースからシャークベイまでの西海岸を旅した勝村政信さん。 その壮大な絶景に魅せられ、いつしかふくらんだ夢は「国道1号線を走り、オーストラリア大陸を1週してみたい!」。 今回は東海岸、ブリスベンからケアンズまでのおよそ2500kmを走ります。 そのゴールに待っていたのは… <クイーンズランド州> ブリスベンの町から走り始めた勝村さん、前回の旅で唯一の心残りがありました。 それは、コアラを見なかったこと。 「なんでみんなコアラを抱っこするんだろう?」そんなことを考えながら走っていると、勝村さん、「この国を代表する動物なんだから、もうちょっと愛らしく描いていただきたい」と思ってしまうほど微妙な感じのコアラの看板を発見しました。 実はこれ、「コアラ注意」の道路標識。 クイーンズランド州は、オーストラリアの中でも最も野生のコアラの生息数が多い場所なのです。 運が良ければ「野良コアラ」を見つけられるはず!…と、頑張って探すこと30分。 勝村さん、残念ながら野生のコアラを見つけることはできませんでした。 オーストラリアでは、野生動物はとても身近な存在です。 しかし近年問題になっているのが、人間が飼っているペットに襲われる動物たちが増えていること。 その野生動物の保護活動を支えているのが、たくさんのボランティアの方々です。 勝村さんはその中の1人、マリリン・スプレッターさんを訪ねました。 マリリンさんは現在、ご自宅で2匹のコアラの赤ちゃんを育てています。 コアラは新鮮なユーカリの葉しか食べないため、2日に1度、自生しているユーカリの葉を取りに行くのだそうです。 コアラにかかる費用はすべてマリリンさんの自己負担。 ここで2.5kgになるまで育てた後に保護施設に預けられ、自分で餌を捕る訓練を受けてようやく野生に返されるのです。 勝村さん、いよいよ念願のコアラとご対面。 初めてコアラを抱っこし、ミルクをあげた感想は…? 勝村さんは国道1号線を北上します。 走ること2時間、勝村さんの目に飛び込んできたのは「Driver Reviver」(ドライバー・リバイバー)の看板。 直訳すると「運転手を生き返らせる人」…?実はここ、長期休暇の期間だけオープンする、ドライバーのための休憩所。 少しでも車の事故を減らそうと、地元の人たちがボランティアでコーヒーやお菓子の無料サービスを行っているのです。 週末の3日間で500人もの人々が利用するというこの施設でコーヒーをご馳走になり、すっかり生き返った勝村さん、再び1号線を走ります。 <フレーザー島(クイーンズランド州)> 翌日、勝村さんがフェリーで向かったのは、世界遺産の島、フレーザー島。 オーストラリア本土から流れ出た砂が、数十万年という気が遠くなるような年月をかけて堆積してできた世界最大の砂の島です。 しかも不思議なのは、不毛なはずの砂の上に亜熱帯雨林が生い茂っていること。 これは、砂の堆積の仕方や気候条件が複雑に絡み合い、植物と地面との栄養循環が徐々に形成されていったからだと考えられています。 車が走るのも当然砂の上。 悪路を走ること1時間、ようやく反対側のビーチに出ました。 75マイルビーチです。 およそ120kmにわたって砂浜が続くこの道の別名は「ザ・ハイウェイ」。 クイーンズランド州のれっきとした公道なのです。 さらにある時は、ビーチは滑走路に早変わり。 シドニーやブリスベンからのツアー客がセスナ機でやってくるのだそうです。 フレーザー島には、湖まであるのです。 マッケンジー湖は、砂丘と砂丘の間のくぼみに雨水が貯まってできた湖。 この辺りは大気汚染が少なく、雨水がきれいなため、湖の水は透明度がとても高いのです。 勝村さん、しばしリゾート気分で泳いでいると、目の前に水着美女が!「来てよかったー」って、水着美女に会えたから、じゃなくて、フレーザー島が素晴らしい場所だから、ですよね?勝村さん。 <ロックハンプトン> 20世紀初頭の建物が今なお残る町、ロックハンプトン。 この町は別名「ビーフ・キャピタル」と呼ばれ、オージービーフの産地として有名な場所です。 …と聞いて通り過ぎるわけにはいかない勝村さん、一軒のお肉屋さんへ。 お店のお兄さんオススメのTボーンステーキを1kgお買い上げ。 これで約12ドルほど。 あまりの安さにびっくりです。 お肉を買ったはいいものの、そのお肉をどうしましょう?そこで勝村さんが向かったのはとある公園。 休日によくバーベキューを楽しむオーストラリアでは、公園に無料で使える電気式グリルが備え付けられているのです。 というわけで、早速お肉を焼き始めた勝村さん、「公園でステーキを焼く」とはなかなかシュールな光景ですが、お肉が焼けたようです。 味付けはシンプルに塩と胡椒で。 さて、お味はいかがでしょうか? オーストラリア、国道1号線の旅はまだまだ続きます。 ゴールのケアンズまで、あと1200km。 12月27日放送分 ボナセーラ!イタ〜リア!! 今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集! 4週目は、女優・高島礼子さんがイタリア中部の道カッシア街道を走り、悠久の歴史が降り積もる永遠の都・ローマを目指します。 <チヴィタ・ディ・バーニョレッジョ> ローマを目指す高島さん、車はラツィオ州へと入りました。 高島さんの目に飛び込んで来たのは、雲海の中、そびえるように立つ陸の孤島という驚きの風景。 一体どうなっているのか気になった高島さんは、村に入ってみることに。 まるで絵の中に入り込んで行くかのように橋を渡り、村の入り口へ… 断崖の村、チヴィタ・ディ・バーニョレッジョは、元々は1つの大きな町でした。 しかし、17世紀に大地震が起きると、粘土質の滑りやすい地形から大規模な地滑りを起こし、陸の孤島となってしまったのです。 以来村へと渡るには、一本の橋だけが命綱。 近年は村を支える崖の崩落が続き「死に往く村」と言われていますが、この美しい村を守ろうと、イタリアの資産家たちが家を買い、村に残るおよそ20人の村人たちはお土産屋さんなどの観光収入で生計を立てています。 「ここで生まれ育ったのに、どうしてここを愛さずにいられるでしょう」と語る村の人々。 チヴィタ・ディ・バーニョレッジョは、生き続ける天空の村です。 <スートリ> スートリの街に入りました。 ローマまでは、あと50kmほど。 ここに、カッシア街道沿いに残る数少ない古代ローマの遺構があります。 スートリ円形劇場は、およそ2千年前、ローマ帝国時代に築かれました。 中へ入った高島さんが気になったのは、劇場の客席部分に継ぎ目がないこと。 ということは…?実は3千人が収容できたといわれるこの劇場、なんとこの地にあった凝灰岩の大きな山から削りだして造られたもの。 一枚岩の、希有で壮大な劇場なのです。 <ローマ> フィレンツェとローマをつなぐ道、カッシア街道。 その終点が、ミルヴィオ橋です。 古代ローマ時代から続く街道の終点ですが、記念碑も何もなく、かなりさっぱりした感じの橋、でした。 フォロ・ロマーノは、19世紀の発掘以来、ここが古代ローマ時代の民主政治の中心であったことを、現在に伝えています。 そのフォロ・ロマーノと通りを挟んだ反対側にあるのが、フォリ・インペリアーリ。 ローマ帝国時代に造られたものですが、本格的に発掘が始まったのは1995年のこと。 その半分が未だ土の中です。 高島さんは、遺跡を触ってみることに。 まさに、イタリア2000年の歴史に「触れる」旅。 ローマは街のいたる所に古代の遺跡が残り、その遺跡もまた、現在と共存しているのです。 遺跡の街は、映画の街でもあります。 スペイン階段は、あの女優がまばゆい輝きを放った場所。 「ローマ」で「あの女優」といえば…そう、「ローマの休日」ですよね。 オードリー・ヘップバーン演じるアン王女と、グレゴリー・ペック扮する新聞記者が繰り広げる、たった一日の恋のお話。 公開から50年以上経った今でも色褪せることのない不朽の名作です。 では、高島さんもその街の中へ。 ジョリッティは、老舗の大きなジェラート屋さん。 「ローマに来たら絶対に行く!」と決めていたところです。 人気の秘密は、新鮮なフルーツやミルクをたっぷり使ったなめらかな作りたてのジェラートが、すぐに店頭に並ぶこと。 高島さん、50種類以上あるジェラートからだいぶ悩んで、ピスタチオ、ダークチョコ、ストロベリーの3種類をセレクト。 生クリームをたっぷり乗せてもらって、初めての本場ジェラートをいただきます!さて、念願のそのお味はいかがでしょうか? 日本のおじさま方は敬遠しがちですが、イタリアでは老いも若きも、ちょっとした幸せを求めてお店にやってきては、ジェラートをおいしそうに食べているのです。 高島さんは、いよいよとっておきの場所へ。 コロンナ宮の大広間は、「ローマの休日」のラストシーン、アン王女の記者会見が行われた場所です。 ヨーロッパ各国を歴訪し、その印象を尋ねられた王女が「何といってもローマです」と答えた、あの場所。 高島さんも、その壇上へ。 しかし、その壇上へ至る階段に、どうしても気になる鉄の玉が…実はこれ、1849年にジャニコロの丘から発射された大砲の玉。 イタリア統一軍とフランス軍が向き合っていた時に、宮殿の窓を破って打ち込まれたものなのだそうです。 ローマの人は風変わりな物が大好きなので、あえて残しているんだとか。 それには高島さんも納得です。 過去と現在、現実と非現実とが複雑に絡み合う街、ローマ。 それこそが、永遠の都と言われるゆえんなのかもしれません。 黄昏時の美しいローマの街並に、高島さんが感じたこととは…? 12月20日放送分 ボナセーラ!イタ〜リア!! 今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集! 3・4週目は、女優・高島礼子さんがイタリア中部の美しい丘陵を走る、カッシア街道を旅します。 ルネサンスが興った花の都・フィレンツェから、悠久の歴史が降り積もる永遠の都・ローマへ。 イタリアの文化、芸術の真髄ともいえる都市を巡り、その奥深い美しさを堪能します。 <フィレンツェ> およそ500年前、ルネサンスが発祥した地フィレンツェは、中世以降、偉大な文化や芸術家を育み続ける芸術の街です。 その美しい街を歩く高島さん、向かっているのは街のシンボル、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、通称ドゥオーモ。 1296年に着工し、140年以上の歳月をかけて築かれた、ゴシック様式と初期ルネサンス建築を代表する建築です。 「ドゥオーモ」とは、イタリア語で「街を代表する教会堂」のこと。 高さはおよそ100m、ドーム型の屋根には、見晴し台が設けられています。 せっかくフィレンツェまで来たならば…登るしかありませんよね、高島さん。 というわけで、早速出発!暗くて狭い階段を、ひたすら登り続けることおよそ20分、ようやくたどりついた見晴し台からは、世界文化遺産に登録された街並が一望できます。 「バラ色の輝き」と謳われるほど美しいその風景、実は街の美観を損ねないよう、様々な条例が定められているのです。 その1つがパラボラアンテナ。 通りから見えるものは、建物の外観と同じ色に塗らなければならないのだそうです。 違反をすると500ユーロの罰金も。 美しい風景は、住民のたゆまぬ努力によって守られているのです。 高島さんは、ルネサンスの香りが未だ息づく街の中へ。 看板やお店がなければ、まるで中世の街並を車で走っているような不思議な感覚です。 ウフィッツィ美術館は、世界有数にしてイタリア最高の美術館。 そこには、ルネサンス期の名画が数多く残されています。 高島さんのお目当ては、ルネサンスの巨匠・ボッティチェリ作、「ヴィーナスの誕生」。 高島さんが「鳥肌が立つくらい美しい」と絶賛したヴィーナスは、人間の女性賛美を描いた作品であると言われています。 この美術館には、知る人ぞ知る回廊があります。 美術館の裏手から、有名なベッキオ橋の上を抜け、対岸のピッティ宮殿に至るその回廊は、かつてフィレンツェを治めたメディチ家が造らせた秘密通路。 何が秘密かと言いますと、回廊の窓。 中から街の様子を眺めることはできても、外からは見えないよう、マジックミラーになっているのです。 高島さんが一生懸命外に向かって手を振ってみると…? フィレンツェは、ルネサンス時代からの工芸が連綿と続く職人の街でもあります。 高島さんが訪れたのは、イ・モザイチ・ディ・ラストルッチ。 驚異の絵画を作り出す、フィレンツェ・モザイクの工房です。 フィレンツェ・モザイクとは、天然の石が持つ色合いだけを使って作るモザイク画。 その精巧さは、一見すると、油絵具で描かれた絵画のようにしか見えないほどです。 必要な色を持った石に型紙を付けて切り出し、その石をはめ込んで絵を作って行く、息がつまるほど緻密で、気が遠くなるような作業。 絵画と同じ質感や色合いを石で表現する究極の職人技は、1460年代、フィレンツェを支配していたメディチ家の庇護のもと、ほとんど変わらず現代まで続いているのだそうです。 高島さんが「筆では描くことのできない何かが表現されている」と語るフィレンツェ・モザイク。 それは色褪せることのない「永遠の絵画」です。 <モンタルチーノ> いよいよ街の南にあるローマ門を抜け、カッシア街道へ。 フィレンツェの街を抜けると、イタリアワインの産地トスカーナの、美しく広大な大地が広がっています。 ここは、世界有数のワインカントリーです。 高島さんは有名なキャンティ地区を抜け、モンタルチーノにある老舗ワイナリー「コルドルチャ」へ。 ここは、トスカーナの長期熟成ワインとして名をなす「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」の醸造元のひとつです。 「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」は、法律により熟成期間が50か月と定められているワイン。 そのうち最低2年はオーク樽で熟成されます。 高島さんがオーナーのフランチェスコ伯爵に案内していただいたのは、コルドルチャの歴史がつまったヒストリカルセラー。 そこには5万本ものヴィンテージワインが貯蔵されています。 一番古いワインは1960年代初め頃のものだそう。 高島さんの生まれ年のワインは、ここに眠っているのでしょうか?さあ、高島さん、バースデーイヤーワイン探しです! ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは、熟成すればするほどその本領を発揮すると讃えられています。 高島さんの生まれ年、1964年のヴィンテージとなると、市場に出回ることはほとんどありません。 伯爵の「ヴィンテージを味わうのは、唯一無二の経験なのです」という言葉からもわかるように、とても特別なワインを味わった高島さん。 一体どんなお味だったのでしょうか…? 翌日高島さんは、再びカッシア街道を走り始めました。 永遠の都・ローマを目指して。 12月13日放送分 ボナセーラ!イタ〜リア!! 今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集! 2週めは、俳優・西村和彦さんが、全長574kmのアウレリア街道を走ります。 ローマを出発し、目指すジェノヴァまで、残すところ250km。 そこには、驚きと謎と絶景が待っていました。 <ピサ> トスカーナ州、ピサ。 …と言えば、やっぱり「ピサの斜塔」。 正しくは「ピサ大聖堂・鐘楼」。 西村さんが「やっぱり傾いてる!」と驚いたピサの斜塔は、1173年の着工後、およそ100年経って傾いていることが発覚。 傾きを修正しながら建築を再開し、1360年に完成しました。 傾きは、約5度。 現在も壁のひび割れなどの修復を行っていますが、予約をすれば観光客も塔の上に登ることができるのだそうです。 というわけで西村さん、早速登ってみましょう!…ところが西村さん、なかなかスムーズに進めません。 それもそのはず、なんとピサの斜塔の階段は、1歩目から傾いているのです。 およそ300段の階段を登り、ようやくてっぺんにたどり着いた西村さんの眼前に広がるのは、あのガリレオも眺めたであろうピサの街並。 この鐘楼ができた理由、それは自分たちの街を眺めたかったからではないか?そこには、そんなことを思わせるような美しい街並が広がっています。 <カラーラ> トスカーナ州、カラーラの街並が見えてきました。 山脈を真っ白に染めているのは、雪…ではなく、大理石。 実はカラーラは、世界でも屈指の大理石の産地で、およそ500年前、ミケランジェロが作った「ピエタ」も、ここの大理石を使っているのだそうです。 西村さんは、とある石切り場へ。 見渡す限りの大理石ですが、カラーラにはそんな石切り場が200箇所以上もあるのです。 カラーラの大理石の特徴は、その透き通るような白さ。 その肌触りはまるで刃物のように冷たいのだとか。 「確かに大理石は限りある資源だけど、自分たちにはローマ帝国以前から続く伝統がある」と語る、オーナーのフランコさん。 連綿と受け継がれる大理石の文化を守るのが、カラーラに生きる男の誇りなのです。 <チンクエテッレ> ローマからおよそ450km、世界遺産チンクエテッレにやってきました。 「チンクエテッレ」とは「5つの村」という意味。 リグーリア海に望むほぼ均等に並ぶ5つの村の総称で、険しい断崖にひっそりと佇む、宝石のように美しい村々です。 観光客の車は、村には乗り入れ禁止。 車を止めた西村さんが向かったのは、リオマッジョーレという、色とりどりのブロックをつなげたようなかわいらしい村です。 港へ向かう西村さん、路地を抜けると見えてきたのは紺碧の海と、その入り江に作られた美しい家並み。 それは世界遺産の絶景です。 すっかりこの場所が気に入った西村さん、イタリア人のおじさんが「何やってるの?」と気にするほどの不穏な動き…実はご自身のブログに掲載する写真を、携帯電話で撮っていたのです。 どんな写真が撮れているかは、西村さんのブログでご確認ください。 <ジェノヴァ> 夕暮れのアウレリア街道をひた走る西村さんに、ようやくジェノヴァの灯りが見えてきました。 かつて大西洋航路の拠点として栄えたジェノヴァは、かのコロンブスの生まれ故郷。 イタリアでは「コロンボ」と呼ばれて親しまれ、両親と5人兄弟が過ごした小さな家も残されています。 西村さんが真っ先に訪れたのは、今ジェノヴァで1、2を争う人気のレストラン「トラットリア・デッタ・デル・ブルーチャヴォスキ」。 どうしても食べたいものがあったからです。 それが、ピカッジェ・マッテ・アル・ペースト。 「ジェノヴェーゼ」と呼ばれるバジリコペーストのソースでいただくパスタです。 ペーストの主役は、プラ産の最高級バジリコ。 大の料理好きでパスタをよく作るという西村さんも、ジェノヴェーゼだけは市販のものを使うのだとか。 さて西村さん、本場の味はいかがでしょうか? ジェノヴァ伝統の味を作り出すのが、シェフのマッテオさん。 1862年創業のこちらのレストランを家族で守り続け、5代目にあたるそうです。 実は西村さんのご実家も、150年以上も続くうどん屋さん。 奇しくも東西若旦那のご対面となりました。 そんなご縁で西村さん、本場生パスタの作り方を教わることに。 うどんとは勝手が違い、けっこう腕にくる重労働ですが、日本に帰ってご家族に作ってあげるため、パパは頑張るのです。 ジェノヴァには、明治時代、日本に渡った人物がいました。 画家であり、銅版印刷の権威として政府に請われて来日したエドアルド・キヨッソーネです。 キヨッソーネは、当時の大蔵省印刷局で新しい技術を指導、紙幣や郵便切手のデザインの他、明治天皇をはじめ、多くの肖像画を手がけた人物。 誰もが一度は見たことのある、西郷隆盛の肖像画もキヨッソーネが描いたものです。 エドアルド・キヨッソーネ東洋美術館には、日本を愛した彼が集めた膨大なコレクションが飾られています。 そこで西村さんが見つけたものは、何と西村さんの家紋が入った兜。 ジェノヴァと西村さんをつなぐ、不思議な縁です。 アウレリア街道は、ローマをジェノヴァを結ぶ全長574kmの古い道。 その道を走り終えた西村さん、一体何を感じたでしょうか? 12月6日放送分 ボナセーラ!イタ〜リア!! 今月の地球街道は、4週にわたりイタリアを大特集! 1・2週めは、俳優・西村和彦さんが、ローマと北部の町ジェノヴァを結ぶ全長574kmのアウレリア街道を走ります。 その道には、日本とイタリアの意外なつながりと、驚きの事実が待っていたのです。 <チヴィタヴェッキア> ローマからおよそ70km。 ラツィオ州・チヴィタヴェッキアは、人口5万人ほどの港町。 ローマに近いこともあり、地中海沿岸からたくさんの観光客が訪れます。 このチヴィタヴェッキアこそ、日本と深い関わりがある町なのです。 町を歩く西村さんの前に、サムライの銅像が…支倉常長像です。 仙台藩士・支倉常長は、1613年、通商を目的に、主君・伊達政宗の期待を一身に受け、遣欧使節団を率いて出発しました。 太平洋を渡り、途中スペインで洗礼を受けた常長は、1615年にチヴィタヴェッキアに上陸。 ローマを訪れ、教皇パウロ5世との謁見を果たします。 しかし、真の目的である通商交渉は決裂。 失意のうちに8年間の旅を終え、帰国した常長を待っていたのはキリシタン弾圧という非業の死でした。 イタリアの港町に凛と立つ二本指のサムライ、支倉常長像。 西村さんの目には、どう写ったのでしょうか? そしてこの地にもう1つ、日本と深く関わる場所があります。 日本聖殉教者教会です。 そこにはマリア様のフレスコ画が。 しかしこのマリア様、皆さんが思い浮かべるマリア様とはちょっと違うのです。 …それは、着物姿であること。 畳の上に立ち、お稚児姿のキリストを抱えるその表情は、紛れもなく日本人女性のものです。 周囲の壁に描かれているのは「日本二十六聖人」。 豊臣秀吉の命により捕らえられ、処刑された日本人20名、外国人6名のカトリック信者たちです。 描いたのは、日本におけるフレスコ画の第一人者、長谷川路可。 元々、日本の聖人を記念して建てられたこの教会が1951年に再建された際、殉教者の壁画を描いてほしいという神父のたっての願いで、路可に白羽の矢が立ちました。 路可は修道院に寝起きし、言葉もままならない中、4年の歳月をかけてたった1人で壁画を完成させたのです。 現在、その路可の絵に深刻な問題が発生しています。 専門家の赤外線調査により、ドームの裏側およそ2m四方の漆喰がはがれていることが判明。 海に近いこの教会では、潮風などの影響で壁がひび割れ、フレスコ画に大きなダメージを与えてしまうというのです。 完全修復には莫大な時間とお金が必要なのですが、現在は信者や観光客のお布施だけが頼り。 1日も早い修復が望まれます。 <グロッセート> 西村さんの車は、イタリアいちの農業地帯、トスカーナ州へ。 オリーヴ並木の先にある農園に立ち寄ります。 西村さんを迎えてくれたのは、トスカーナ原産の、大きな角の牛。 そしてその牛を追うのは「ブッテロ」。 いわば、イタリア版カウボーイです。 すると、ちょっと素敵なお兄さんから「乗馬ができるなら、俺たちとかかしゲームをしないか?」という意外な申し出が。 「かかしゲーム」とは、馬に乗って互いに反対側からスタートし、先にかかしの腕に通した布を引き抜いた方が勝ちという、仕事の合間に彼らが行うゲームです。 時代劇で乗馬の機会も多いという西村さん。 ウォーミングアップをし、馬と呼吸を合わせたら…サムライブッテロ西村と、ブッテロ歴7年のマルコの対決!結果はいかに!? 昔ながらの道具を使い、オリーヴオイルを作っているという農園ホテル、ポッジョ・オリヴェートを訪ねました。 ここでは約4千本のオリーヴを栽培しています。 良質のオリーヴオイルを作るには、完熟前に収穫し、その日のうちに加工しなければなりません。 西村さんは、農園のオーナー、エンリコさんに案内してもらい、オイル工場へ。 大きな石臼でオリーヴをすり潰し、ペースト状になったものを丸いシートに敷きつめ、幾重にも重ねていきます。 それに圧力をかけて絞り出し、遠心分離機にかけると、エクストラヴァージンオイルの完成です。 商工会議所でオリーヴオイルの官能試験を担当している奥様のヴァレリアさんに、良いオイルの見極め方を伝授していただきました。 まずオリーヴの香りを感じること。 そして味わうこと。 トスカーナのオイルは、若々しい香りに苦みと辛みが良質の証し。 西村さん、良いオイルを見極めることができたでしょうか? その夜西村さんは、エンリコさん一家のバーベキューパーティーに招待されました。 エンリコさんご夫妻と息子さんご夫妻、そしてその子どもたち。 素敵な家族に囲まれて楽しい時間を過ごした西村さん、ご自分のご家族を思い出し、ちょっとホームシックになってしまったみたいです。 翌日西村さんは再びアウレリア街道へ。 目的地ジェノヴァまでは、あと400kmの道のりです。 11月29日放送分 日本の秋の風物詩といえば、紅葉。 全国各地に紅葉スポットは数あれど、会津地方の紅葉は格別です。 今回は、紅葉を見るためだけに旅をするのは初めてだというチェリッシュのお2人が、磐梯吾妻スカイラインから磐梯吾妻レークライン、そして磐梯山ゴールドラインという3つの道を走り、知られざる絶景紅葉スポットを目指します。 その道の先に待っていたのは…。 <磐梯吾妻スカイライン> 磐梯吾妻スカイラインは、「日本の道百選」にも選ばれている美しい道です。 標高の高いところから徐々に降りてくるという紅葉ですが、お2人がつばくろ谷(標高1200m)を訪れた時には、少し葉の落ちた木が目立つ感じ。 …実はつばくろ谷の紅葉のピークは、お2人が訪れたちょうど1週間前だったのだとか。 秋はとても急ぎ足。 チェリッシュのお2人も、急ぎ足の秋を追いかけるように旅を続けます。 そして磐梯吾妻スカイラインは、作家・井上靖さんが愛した道でもあります。 荒涼とした大地が広がる浄土平や、遠くかすかに湖を望む湖見峠など、彼の命名による展望ポイントが道沿いに8カ所あり、吾妻八景と呼ばれているのです。 <猪苗代町> 磐梯吾妻スカイラインを下りたお2人は、ちょっと寄り道。 会津の秋の味覚といえば…そう、おそばです!今はちょうど新そばの季節。 その味と香りを心ゆくまで楽しもうとお2人が立ち寄ったのは、地元でも評判のお店「おおほり」さんです。 こちらのお店のご自慢は、すべてが自前であること。 そばの実の自家栽培に自家製粉、そしてそば粉100%の手打ち。 さらには天ぷらを揚げる油も、自家製の菜種油というこだわりよう。 松崎さんは天盛りそば、悦子さんはにしんそばを注文し、仲良くわけあっていただきます。 さてそのお味は? <磐梯吾妻レークライン> 磐梯吾妻レークラインは、その名の通り湖の間を縫うように走る道。 秋元湖、小野川湖、桧原湖の3つの湖を望むことができるのです。 レークラインの最初の見どころは、とある橋の上。 お2人が「きれい!」と感動したのが中津川渓谷です。 標高およそ800m、渓流沿いを鮮やかに紅葉が彩っています。 <磐梯高原> レークラインを下りると、磐梯高原。 1888年、磐梯山の噴火によってできた大小300以上の沼や湖が点在する、裏磐梯の景勝地です。 遠くに望むのは磐梯山。 民謡「会津磐梯山」にも歌われた、宝の山です。 お2人が歩くのは、五色沼自然探勝路。 五色沼とは、毘沙門沼周辺の数十個の沼や湖を総称した呼び名。 噴火による火山性物質の影響や水草によって、湖面が青、赤、緑など、様々な色合いを見せることからその名が付きました。 その散策を楽しむお2人ですが、同年代の観光客が多いためか、たちまち囲まれ、写真攻めに握手攻め。 とにかくすごい人気です。 <磐梯山ゴールドライン> 磐梯高原の先は、磐梯山ゴールドライン。 紅葉が美しい、まさに黄金ロードです。 紅葉のトンネルを抜け、お2人が目にしたのは「幻の滝」という看板。 「これは見なくちゃ!」と、車を止めて歩くこと5分。 落差18mの滝は、今も正式な名前がないため「幻の滝」と呼ばれているのだそうです。 以前はうっそうとした森に覆われていましたが、昨年遊歩道が完成したため、観光客が来られるようになったのだとか。 <会津若松市> 会津のシンボル鶴ヶ城。 お2人は、その近くにある飯盛山に向かいました。 お2人の前に、不思議な建物が…それがさざえ堂。 六角形で三層構造をしており、外観がさざえのような形をしていることからその名が付いたお堂です。 頂上まで登り、お堂を降りて来て「一体どうなってるの?」と混乱するお2人。 実はさざえ堂は上りの階段の上に下りの階段があり、二度と同じ道は通らないという二重の螺旋構造になっていたのです。 江戸時代には柱の溝に西国33カ所の観音様が祀られており、お堂を一巡りするとその地の観音堂を巡礼したのと同じご利益があるとされていました。 212年前に建立され、現在は国の重要文化財に指定されています。 <磐梯高原> お2人は再び磐梯高原へ。 どうしても行きたい場所があるからです。 曲沢沼は、紅葉写真を狙う人々にとって、聖地呼ばれている場所。 そのため、全国からカメラマンの方が集まってくるのです。 水面のもやと紅葉が映えるほんの一瞬は、とても幻想的。 しかし朝もやに煙る風景は、ほんの1時間もすれば気温が上昇し、消えてしまいます。 その美しい風景に「早起きしたかいがあった」と悦子さん。 湖を望む道、黄金に輝く紅葉を駆け抜ける道、裏磐梯、3つの道はまさに宝の山の絶景でした。 11月22日放送分 ゆっくり沖縄を旅したことがなかった父・林隆三さんと、沖縄は初めてという息子・征生さんが、沖縄の大動脈であり、あらゆる魅力にあふれる国道58号線を走ります。 離島へ赴いた隆三さんと、幻の鳥を追う征生さん。 2人の旅は、いよいよ「やんばる」の地に向かいます。 <伊平屋島> いったん別行動をとることにした2人。 隆三さんが向かったのは、運天港から北へ40キロのところにある伊平屋島です。 太平洋戦争末期、沖縄海域でさかんに敢行された、特攻。 その最後の突入現場となったのが、伊平屋島でした。 日本軍が駐屯していなかった伊平屋島の島民たちは、早々に投降していました。 占領という特殊な平穏の中で、伊平屋島は終戦の日を迎えます。 最後の特攻機が突入したのは、まさにその時でした。 最後の特攻機を操縦したのは中津留達夫大尉。 作家・城山三郎さんは、彼に特別な思いを抱き、「指揮官たちの特攻」という本を記しました。 厚い人望と、抜群の飛行技術を持っていたといわれている中津留大尉が、なぜか目標を外したからです。 隆三さんは、島の人の案内でその現場へ。 勝利に沸くアメリカ軍のキャンプ地と、突入地点との間は、わずか200mだったといいます。 最後の特攻機、中津留大尉は、なぜ目標をそれたのでしょうか?そこには今も63年前の痛切なる記憶が残ります。 <やんばるの森> 沖縄本島北部、やんばるの森。 今から27年前、この森で世紀の大発見がありました。 飛べない鳥、ヤンバルクイナです。 父・隆三さんと別行動をとる征生さんは、世界中でやんばるだけにしかいないこの鳥が見たいと、ちょっと早起き。 地元で動物の保護活動に携わる久高さんに案内していただきます。 いっこうに森の中へ入る気配のない久高さん。 すると、なんと車道にヤンバルクイナが現れました。 胸からお腹にかけての縞模様と、真っ赤なくちばしが特徴の、かわいらしい鳥です。 征生さん、どうしても見てみたかったヤンバルクイナとのご対面は、双眼鏡を持つ手が震えてしまうほどの感動だったようです。 近年、ヤンバルクイナは激減しています。 その理由の一つに考えられているのが、ハブを駆除するために移入されたマングースによる補食です。 また、道端にエサが多く、車道に出てきて事故にあってしまうこともあります。 そこで久高さんたちは、ヤンバルクイナが現れやすいエリアと時間帯を調べ、運転する人に注意を呼びかけているのです。 <謝敷> 再び、父と息子の二人旅。 やんばるに入った国道58号線は、青い海と深い森に挟まれるように北へと伸びていきます。 普段は会話の少ない父と息子ですが、美しい海を前にすると、いつもとちょっと違うようです。 その美しい海をのぞむ小さな集落が、謝敷です。 集落の、南国の村らしい雰囲気が漂う路地を歩くと、塀代わりに防風林の役割を持つ「フクギ」が植えられています。 集落に住む具志堅さんのお宅の縁側でシークワーサージュースのおもてなし。 実は具志堅さん、三線の師範。 ということで、もうひとつのおもてなし。 この集落の民謡を歌っていただきました。 <辺戸岬> やんばるの森に突然の雨。 2人は58号線を離れ、旧道を通ってみることにしました。 すると前方にそびえる岩壁が。 実はこの切り立つ岩壁は、削り取った後の姿。 険しい地形ゆえ、巨大な岩山を削り、ここに道を通すしかなかったのだそうです。 峠を越えると、沖縄本島最北端、辺戸岬に到着。 サンゴ質の絶壁からなる、絶景の岬です。 天気がいい日は与論島や沖永良部島を望むことができるのだそう。 国道58号線は、那覇の明治橋からおよそ123キロこの場所で、一度途切れます。 ところがこの先、海を越え、奄美大島、種子島を経て鹿児島市内へと続いて行くのです。 その遥かなる旅路を、また父と息子で走る日は来るのでしょうか? 11月15日放送分 通称「ゴッパチ」。 沖縄本島を縦断する国道58号線を、地元の人々は親しみを込めてそう呼んでいます。 時代を映し、暮らしを支えてきたその道を、林隆三さんと息子・征生さんが旅します。 目指すは、本島最北端の辺戸岬。 驚きと感動があふれる道で2人を待っていたものは…? <那覇> 国道58号線の南端は、那覇の明治橋。 ここから辺戸岬までは、約120キロの道のりです。 かつてこの道は、アメリカの道でした。 「軍用道路1号線」と呼ばれ、車は右側通行。 1972年の本土復帰後も、混乱を避けるため、右側通行のまま。 左側通行に戻ったのは、復帰から6年後のことでした。 <浦添> 那覇から走ること30分「お腹がすいた!」という征生さんのリクエストにお答えし、隆三さんが立ち寄ったのは1軒のドライブイン。 沖縄で最もよく見かける「A&W」です。 アメリカンスタイルのお店で、商品の受け渡し方法がとてもユニーク。 ドライブスルーではなく、わざわざ車まで運んでくれるのです。 そしてA&Wといえば、もちろんルートビア。 「ビア」という名前を聞いた隆三さん、征生さんに「ビールはダメだよ」と言うのですが…実はルートビアは、10種類以上のハーブを調合して作られるソフトドリンク。 運転する隆三さんも安心して飲めるのです。 さあ、お味はいかがでしょうか? <北谷> 国道58号線は、浦添から宜野湾を抜け、北谷へ。 隆三さんが車を止めたのは、道沿いにあるギャラリー。 隆三さんが、ぜひとも立ち寄りたかったという「ボクネンズ・アート」です。 作者の名嘉睦念さんは、沖縄の風土や暮らしを描く木版画の作者。 その版画作品は、裏手彩色と呼ばれる技法で制作されます。 綿密な下書きはせず、墨で大まかに「当たり」をつけます。 そして一気呵成に彫り進め、それが終わると墨色を摺り、その後紙を裏返して鮮やかな色彩を付けたら完成です。 そのダイナミックかつ繊細な作品に、隆三さんも征生さんも圧倒されてしまいます。 「いいものを見せてあげます」と、睦念さんが2人を連れて行ってくれたのは、ギャラリーのすぐ近く。 樹齢200年の「アコウ」の大木です。 アコウは、亜熱帯に自生する木。 他の樹木の枝から発芽し、根を伸ばして成長、最後には元の木に取って代わるという、強い生命力を持っています。 「木は登ってあげた方が喜ぶ」という睦念さんの言葉にびっくりしつつも、木に登ってみる征生さん。 睦念さんもそれに続きます。 隆三さんは、そんな征生さんを見て大喜び。 征生さんは、木が喜ぶ様子を感じることができたでしょうか? 北谷には小さな漁港があり、名人といわれる漁師さんがいます。 内間勝男さん79歳。 「タコ獲り名人」です。 今ではほとんど乗っている人がいないという「サバニ」という沖縄の伝統的な船で漁に出ます。 内間さんのタコ漁は、蛸壺ではなく銛で突いて獲るというスタイル。 「ぜひタコを獲っているところが見たい!」というお2人ですが、あいにくこの日は外海が荒れているため断念。 後日スタッフが、内間さんの漁を追いかけることになりました。 北谷の港を出港して2時間、内間さんはリーフの上で船を止め、海に飛び込みます。 タコの巣のありかを熟知する内間さんは、タコを見つけると、銛で一突き。 吸盤の力の強いタコを押したり引いたりしながら一瞬の隙を狙ってタコをしとめるのです。 その腕前は、とても79歳とは思えないほど。 80歳までは現役で、とおっしゃる内間さんですが、この船を受け継ぐ人がいないのが気がかりなのだそうです。 <嘉手納> 北谷を過ぎると、58号線沿いに嘉手納基地が見えてきます。 征生さんにとっては、初めて目にする沖縄の中のアメリカ。 町の面積の約83%に相当する敷地を持つ巨大な米軍基地です。 <今帰仁村> 隆三さんから運転を代わった征生さんは、国道58号線を離れてちょっと寄り道。 近年大人気のドライブスポットに向かうためです。 古宇利大橋は、屋我地島と古宇利島を結ぶ、長さ約2キロの橋。 通行料が無料の橋としては、日本最長の橋です。 エメラルドグリーンの海を貫く美しい橋に、隆三さん、思わず「ドライブの相手が征生じゃなかったらな…」とぽつり。 この橋は、素敵な女性を隣に乗せてドライブしたくなるほど、かっこいい橋なのです。 その帰り道、隆三さんがどうしても行きたい場所があるというので、2人は別行動をすることに。 隆三さんが向かうのは伊平屋島、征生さんが向かうのはやんばるの森です。 父と息子の二人旅は、沖縄のさらに奥へと進んで行きます。 11月8日放送分 パリ7区、堂々とそびえるアンヴァリッド廃兵院は、戦いに倒れた者たちのメモリアルです。 その中央ホール、荘厳なる棺の中にたった1人で眠るのが、希代の英雄ナポレオン・ボナパルトです。 ナポレオンの英雄伝説を物語る道が、フランス南西部の険しい山あいを走る「ナポレオン街道」。 南仏ゴルフ・ジュアンからグルノーブルへと続く、およそ340キロの道のりです。 <ディーニュ・レ・バン> コルシカ島の下級貴族の子として生まれたナポレオンは、鋭敏な決断力と軍事的才覚によって皇帝へと上り詰め、ヨーロッパ諸国を席巻しました。 しかしその栄光もつかの間、皇帝の座を追われ、エルバ島に流されたナポレオンが再起をかけてゴルフ・ジュアンに上陸したのが1815年3月1日のこと。 ナポレオンと千人の兵士たちは、パリを目指します。 行軍を始めてから4日目の3月4日正午、ナポレオンはディーニュ・レ・バンの町に到着します。 町の広場に着いて、ナポレオンが最初に見たのが市場でした。 なぜなら彼は、自らの健在と復活をアピールするために、人々が集まる市が立つ日にここにたどり着きたかったからです。 現在は公営住宅に建て替え中のホテル プチ・パリで休息を取ったナポレオン軍は、午後3時にこの町を出発します。 <マリジェ> ディーニュ・レ・バンからおよそ20キロ。 ナポレオンが現在は市役所になっているマリジェ城に着いたのは、3月4日夜のこと。 ナポレオンはここで短い仮眠をとった後、兵士たちが休んでいた城の庭で王党派の襲撃を警戒しながら夜明けまで過ごし、翌朝6時、1杯のコーヒーを飲んで出発します。 <ヴォロンヌ> マリジェを出たナポレオン軍は、デュランス川の左岸を北上し、ヴォロンヌの町で休憩を取ります。 その町外れに、ナポレオンがここを訪れたことを示すちょっと変わったプレートが。 そこに書かれているのは何と「1815年、ここでナポレオンが用を足した」。 朝の1杯のコーヒーのせいでしょうか…? <シストロン> 山道続きだったナポレオン街道は、この辺りから比較的なだらかな道へと変わっていきます。 山道続きの行軍が終わったナポレオン軍の前に新たに立ちはだかったのが、デュランス川にかかる1本の橋。 町に入るには、この橋を渡る以外に方法がなかったのです。 しかもシストロンには、12世紀からそびえる強固なシストロン要塞が建ち、ここで王党派の待ち伏せでも受ければひとたまりもない状況。 …しかしナポレオンは3月5日の昼頃、悠々と橋を渡り町に入りました。 ナポレオンは、当時ここにあったホテル・ブラ・ドールでシストロンの市長と食事をした後、早々に出発しています。 <ガップ> シストロンを過ぎた辺りから、ナポレオンに対する民衆の反応は徐々に熱狂的なものへと変わっていきます。 3月5日の夜、およそ60キロの行軍の末ガップに着き、熱烈な歓迎を受けた時のナポレオンの言葉があります。 「ついにだ!我々は確かにフランスにいるのだ!」 <モン・ドーファン> ここでナポレオン街道を外れてちょっと寄り道。 17世紀、ルイ14世に寵愛を受けた技術者ヴォーバンが手がけた、城壁に囲まれた要塞の町、モン・ドーファンです。 現在人口およそ140人の小さな町全体が、今年7月、世界文化遺産に登録されました。 町の美しさもさることながら、そこからの眺めも実に素晴らしいものです。 <コール> ガップからおよそ40キロ。 ナポレオン軍がコールの町に着いたのは、3月6日の夕方でした。 ここでもう一度寄り道。 コールから北へ15キロ、美しくなだらかな山道を20分ほど走ったところに、知る人ぞ知る巡礼地があります。 標高およそ1800m、ノートルダム・ド・ラ・サレット教会です。 羊飼いの2人の子どもの前に聖母マリアが現れたという逸話の地に、1851年、聖堂が建てられました。 ここには、世界中から毎年20万人もの人々が巡礼に訪れます。 <ラフレー> 3月7日早朝に、コールの町を出発したナポレオン。 この後最大のクライマックスが彼を待っていました。 1815年3月7日午後3時、ナポレオンは、この行軍で初めて王党派の軍隊と対峙することになります。 ナポレオン軍の兵士はおよそ千人、対する王党派は数倍の軍隊です。 戦闘が始まれば勝ち目はない中、ナポレオンは自らの兵を制し、一世一代の大芝居を打つのです。 「兵士諸君、私がわかるか。 もし諸君の皇帝を撃ちたい者がいるなら今だ。 私はここに立っている!」…すると王党派の兵士の中からあがる「皇帝万歳!」の歓声。 そう、ナポレオンは危険な賭けに勝ったのです。 そしてこの地は今「出会いの草原」と呼ばれています。 <ヴィジール> 王党派の軍隊も加わり、数倍にふくれあがったナポレオン軍は、怒濤の勢いでパリを目指します。 ヴィジールの町にある革命博物館に、ナポレオンがやって来た様子を描いた版画が残されています。 城の前にさしかかったナポレオンを、民衆は熱狂と歓呼で迎えました。 この時ナポレオンは、反乱軍ではなくなったのです。 <グルノーブル> いよいよナポレオン街道の終着地、グルノーブルです。 3月7日午後9時、ナポレオンはグルノーブルに到着しました。 町に入る為のボンヌ門は閉ざされていましたが、民衆の手によって開かれ、グルノーブルへと入っていきました。 その門はもう残っていませんが、この道をナポレオンが進むと、民衆は歌をうたって歓迎したのだそうです。 そして現在「オーベルジュ・ナポレオン」というレストランになっている当時のホテルで、3日間の休憩をとったと言われています。 希代の英雄ナポレオンは、当時としては奇跡ともいえる行軍を果たしました。 その後彼はパリへと入城し、再び皇帝に返り咲いたのです。 しかし、その絶頂もわずか100日、ワーテルローの戦いに敗れたナポレオンは、またも皇帝の座を奪われ、絶海の孤島であるセント・ヘレナへと流されてしまいます。 そしてこの島で、波乱に満ちた生涯を閉じたのです。 11月1日放送分 パリ・シャンゼリゼ大通りの先にそびえる凱旋門。 この門の建設を命じた男こそ、希代の英雄ナポレオン・ボナパルトです。 そのナポレオンの英雄伝説を物語る道が、フランス南西部の険しい山あいを走る「ナポレオン街道」。 南仏ゴルフ・ジュアンからグルノーブルへと続く、およそ340キロの道のりです。 <ゴルフ・ジュアン> ナポレオン街道の起点は、南仏コート・ダジュールにある、ゴルフ・ジュアンの海岸です。 ニースとカンヌのほぼ中間に位置する、人口1万人足らずの小さな町の海岸に、とある記念碑があります。 「1815年 ここにナポレオンが降り立った」…毎年3月、ここではナポレオンの上陸を記念した盛大な祭りが開かれます。 およそ200年経った今でも語り継がれるナポレオンの上陸とは、一体どんなものだったのでしょうか? 1814年4月、ナポレオンはヨーロッパ同盟軍の圧力によりフランス皇帝の座を追われ、地中海に浮かぶエルバ島に幽閉されます。 しかし、再起に燃えるナポレオンは、1年も経たずにエルバ島からの脱出を敢行しました。 1815年3月1日、ナポレオンはおよそ1000人の兵士を率いて、ゴルフ・ジュアンの海岸に上陸したのです。 <カンヌ> 南仏の高級リゾート地、さらに国際映画祭が開かれる場所として有名なカンヌ。 1815年3月2日の午前2時にカンヌに到着したナポレオンは、ここで3千人分の食料を調達し、ほとんど休むことなく夜明け前にはカンヌを出発します。 現在も残るその道は、国道7号線から国道85号線へ入ります。 <グラース> カンヌから車で30分ほど走ると、香水の都として知られるグラースの町です。 ナポレオンがこの町に到着したのは、3月2日の正午前。 この時、地元の住民たちは、兵士にはワインをふるまい、ナポレオンにはスミレの花を差し出した、と記録に残っています。 グラースでは、18世紀頃から盛んに香水が作られてきました。 この町で最も歴史の古い香水工房「ガリマール社」で、今回特別にナポレオンをイメージした香水を作っていただきました。 使われている香りのエッセンスは、ベルガモットやバニラ、グリーンティーなど14種類。 プロの調香師のカロリーヌさんいわく、柑橘系のフレッシュな香りに仕上げました、とのことです。

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