子守 唄 日本。 民謡編<296>子守唄(3)|【西日本新聞ニュース】

日本の子守唄 歌詞の意味

子守 唄 日本

百万回のメールより一度でいいから、抱きしめて。 唄いたい、伝えたい、ふるさとの唄、母の唄。 思い出やふるさとが甦ります。 全国47都道府県を網羅。 概ね2曲ずつ選んでいます。 NPO法人日本子守唄協会が提供し、ご案内は女優の藤村志保さんが務めています。 収録曲は次の25曲です。 ・ねろじゃねろじゃ / 青森 ・おらえの太郎ちゃんは / 山形 ・沼宮内の子守唄 / 岩手 ・ホラねろねんねろ / 福島 ・お月のんのん / 埼玉 ・江戸の子守唄 / 東京 ・信濃の子守唄 / 長野 ・甲斐の子守唄 / 山梨 ・七つ八つから / 石川 ・ねぶの木の子守唄 / 福井 ・岡崎地方の子守唄 / 愛知 ・麦ついて / 滋賀 ・三重の子守唄 / 三重 ・泣くなよう / 奈良 ・樫井の子守唄 / 大阪 ・ねんねんころりや(鳥取) / 鳥取 ・ねんねんころりや(島根) / 島根 ・母さん上手な子守唄 / 岡山 ・鞭の子守唄 / 高知 ・小倉の子守唄 / 福岡 ・三月桜の咲く頃で / 宮崎 ・肥前の子守唄 / 長崎 ・唐津の子守唄 / 佐賀 ・福連木の子守唄 / 熊本 ・よーかいよーかい / 鹿児島 このアルバムはAppleMusicでも聴くことが出来ます。 itunes. apple.

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寝かしつけに歌うおすすめの子守唄10選|世界の子守唄やオルゴールCDも

子守 唄 日本

日本の子守歌 もっと「ララバイ」参考 日本の子守歌 以下は、代表的な日本の子守歌です。 普段はあまり意識することはありませんが、それぞれの歌には深い由来があります。 江戸子守唄 日本古謡 竹田の子守歌 京都地方民謡 ねんねんころりよ おころりよ ぼうやはよい子だ ねんねしな ぼうやのおもりは どこへいった あの山越えて 里へいった 里のみやげに なにもろた でんでんたいこに しょうの笛 守りもいやがる 盆からさきにゃ 雪もちらつくし 子も泣くし 盆がきたとて なにうれしかろ かたびらはなし 帯はなし この子よう泣く 守りをばいじる 守りもいちにち やせるやら はよも行きたや この在所こえて むこうに見えるは 親のうち 五木の子守唄 熊本県民謡 中国地方の子守唄 中国地方民謡 作曲:山田耕筰 おどま盆ぎり盆ぎり 盆からさきゃおらんど 盆が早よくりゃ 早よ戻る おどま勧進勧進 あんひとたちゃよか衆 よか衆よか帯 よか着物(きもん) おどんが打死だちゅうて 誰が泣てくりゅきゃ 裏ん松山 蝉が鳴く おどんが打死ちゅうたば 道端いけろ 通る人ごち 花あぎゅう 花はなんの花 つんつん椿 水は天から 貰い水 ねんねこしゃっしゃりませ 寝た子のかわいさ おきて泣く子の ねんころろ 面にくさ ねんころろん ねんころろん ねんねこしゃっしゃりませ 今日は二十五日さ 明日はこの子の ねんころろ 宮詣り ねんころろん ねんころろん 宮へ詣ったとき なんというて拝むさ 一生この子の ねんころろ まめなよに ねんころろん ねんころろん 島原の子守歌 島原地方俗謡 作詞:宮崎康平 以下: 「島原の子守歌」の歌詞の意味 おどみゃ 島原の おどみゃ 島原の なしの木 育ちよ 何のなしやら 何のなしやら 色気なしばよ ショーカイナ はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ 鬼の池ん 久助どんの 連れんこらるるばい 帰りにゃ 寄っちょくれんか 帰りにゃ 寄っちょくれんか あばら家 じゃけんど 唐芋飯や 粟ん飯 唐芋飯や 粟ん飯 唐芋飯や 黄金飯ばよ ショーカイナ 嫁ごん 紅な誰がくれた 唇つけたなら 暖かろ あん人たちゃ 二つも あん人たちゃ 二つも 金の指輪 はめとらす 金はどこん金 金はどこん金 唐金げなばい ショーカイナ オロロン オロロン オロロンバイ オロロン オロロン オロロンバイ 山ん中は かん火事げなばい 山ん中は かん火事げなばい サイパン船はよろん人 姉しゃんな にぎん飯で 姉しゃんな にぎん飯で 船ん底ばよ ショーカイナ オロロン オロロン オロロンバイ オロロン オロロン オロロンバイ 姉しゃんな 何処行たろかい 姉しゃんな 何処行たろかい 青煙突のバッタンフール 唐は 何処ん在所 唐は 何処ん在所 海の涯ばよ ショーカイナ 泣くもんな蟹(がね)かむ オロロンバイ あめ型買うて 引っ張らしょ 沖の不知火 沖の不知火 消えては 燃える バテレン祭りの バテレン祭りの 笛や太鼓も 鳴りやんだ はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ 鬼池の 久助どんの 連れんこらるるばい 歌詞注1): 鬼池の久助どんの連れんこらるるばい 言うことを聞かない子は、 鬼池の久助さんが連れにくるぞ という意味。 鬼池の久助とは 女衒(ぜげん)である。 女衒とは、人身売買を生業とする者の事。 主に 貧しい農村から少女達を買い取って遊郭に売り渡していた。 需要に応じ男児を売ることもある。 鬼池の久助は実在の人物ではないが、モデルとなった人物はいるらしい。 女衒という商売は、農村の不幸の上に成り立っていた、皮肉なことに農村部が困窮するほどに、都市部の遊郭は栄えた。 その遊郭の客のほとんどが、相場や高利貸しで財を成した者達だった。 彼らの投機がさらに食料の高騰と飢饉を呼び、ますます農村部では身売りが増えるという、悪循環を繰り返していた。 近年の グローバル経済は、世界規模で同様なことを起こしている。 歌詞注2): あん人たちゃ二つも金の指輪はめとらす あの人達は、二つも金の指輪をはめてるよという意味。 貧しい農村ならば本来、金の指輪など持てるはずがない。 つまりこの指輪の意味するところは、子供を売った代償である。 それを知る村人は「金はどこん金(あの金は、どうして手に入れた金なのか?)」と噂しているのだ。 なお財産を金で蓄えるのは、身分が安定しない者達の常套手段である。 歌詞注3): 山ん中は かん火事げなばい 山の中が、火事だよという意味。 島原地方では、しばしば密貿易が行われた。 もちろん表向きは御法度である。 なので密輸船の船積みが行われる日は、決まって島の山林に火災が起きた。 それは密輸商が、島民の注意をそらすために仕組んだと言われる。 なおこうした密貿易では、船員の駄賃代わりに、しばしば児童の誘拐が行われていた。 密貿易船に積み込まれた物資の中には、にぎりめし一つでだまされ買い取られた島の少女達も少なくなかった。 歌詞注4): 青煙突のバッタンフール 青煙突のバッタッンフールとは、香港の船会社 バター・フィルのことと言われている。 しかしここでは、特定の船会社を指すわけではなく、海外貿易を行う貨物船全般を指す。 北九州の炭坑から積み出された石炭は、アジア各地に盛んに輸出されていた。 そうした貨物船には石炭ばかりでなく、様々な物資や人間も運んでいた。 その中には売買された からゆきさん達もいた。 逃亡防止の意図から劣悪な船底に押し込められた少女達は中国大陸、東南アジア、遠くはインド、ロシアまで売られて行った。 歌詞注5): バテレン祭 バテレン祭と言うものが実在するか不明だが、島原地方が 隠れキリシタンの里であることはよく知られている。 それ故にこの地方の人々は、明治になっても官憲の厳しい監視の下にあり、出入りは長崎のみに制限されていた。 このことは島民の慢性的な、窮状を招いていた。 <参考書籍> 童謡の謎 合田道人:著 詳伝社:刊 童謡に隠された秘密に迫る、興味深い本です。 童謡の謎シリーズは、2001年〜2003年にかけてのベストセラー。 続編も出されました。 その中にはCD付きもありますので、興味のある方は調べてみて下さい。 著者はもとフォークシンガーで、音楽プロデューサーをされている方です。 当時は、様々な媒体で取り上げられていた記憶があります。 右画像をクリックすると、熱帯雨林にリンクしています。 「ララバイ」 目次に戻る もっと 「ララバイ」に戻る.

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民謡編<296>子守唄(3)|【西日本新聞ニュース】

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「歌は旅する」と言われるように、マスメディアのなかった江戸時代は人の口によって民謡は運ばれ、地方に根付いていった。 歌は「荷物にならないお土産」であった。 例えば大旅行ブームになったお伊勢参りの旅人は、現地の伊勢音頭を覚えて故郷に持ち帰った。 北九州市八幡西区木屋瀬の「宿場踊り」や「博多祝い節」(祝い目出度)など伊勢音頭を元にした民謡は全国各地に20以上も定着している。 伊勢音頭と同じように子守唄(うた)も旅した。 〈ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな〉 これは子守唄のルーツといわれる江戸の子守唄のさわりの部分である。 ねんねんは寝るという意味の赤ちゃんことばだ。 さわりは「坊やはいい子だから静かに寝なさい」との意味になる。 また、〈ねんねんころりよ〉は調子を整えるまじないめいたはやし言葉の要素も持っている。 福岡県八女市の矢部の子守唄を連載の中で紹介した。 歌詞の中には〈ねんねん ねんねん ねんねんばい〉とある。 〈ばい〉と九州弁になっているが、これも江戸の子守唄のバリエーションだ。 江戸の子守唄は、方言など各地の土着性が加味され、その土地に広がっていく。 NPO法人「日本子守唄協会」の理事長、西舘好子は自著「『子守唄』の謎」の中で江戸子守唄の類歌は「全国で3000近くもみられます」と記している。 そこに共通するキーワードは〈ねんねん〉である。 西舘は日本だけでなく、世界の子守唄の調査もしている。 西舘は次のよう語る。 「参勤交代の制度が子守唄の普及に一役買ったと思います」 各藩の江戸に向かう参勤交代はまさに大移動だった。 参勤交代に参列した藩士は江戸で滞在中に流行していた子守唄を耳にした。 それを郷里に持ち帰った。 伊勢音頭と同じように、ご当地ソングだった江戸の子守唄は武士のお土産になった。 それがさらに庶民の間に拡大していった。 〈ねんねんの子守は どこへ行った あの山こえて 里に行った〉 江戸の子守唄には子守女性が里帰りしたことも盛り込まれている。 すでにこの時代から商家などに奉公して子守をする労働者も生まれていたことを示している。 歌う主体は母親だけでなく、子守女性もいたことも子守唄の類歌の多さにつながっていた。

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