ひとりじゃ何一つ気付けなかっただろう。 #10932 独りじゃないって気付けよ

SUPER BEAVERが初の無観客ライブ、ドキュメントで伝えたかった真相――「想像もしえなかった日々の真ん中で、バンドマンに何ができる!?」

ひとりじゃ何一つ気付けなかっただろう

梅雨も終わりかけた時期の日差しが比較的やわらかな午後。 吉川家の長男は自宅裏手の小高い丘でガリガリと地面に熱心に謎の図形を描いていた。 描き手はヤクモだけであり、リクや、リクと契約しているコゲンタは見物に回っている。 春先以来なんとなく付き合いが続いている飛鳥家の次男も一緒に周辺に座り込んでいた。 ヤクモのみならずリクが地流を倒したこともあるのだが、ソーマにわだかまりはないらしい。 彼はどうやら『地流』という組織そのものに反発しているようだ。 尋ねれば言葉を濁すので詳しく問い詰めたことはないけれど。 リクの頭にコゲンタが、ソーマの頭にフサノシンがしがみ付いて聞き入っている様は微笑ましいとも言えた。 取り巻くは五行、八卦、星宿………」 描いているのは所謂『太極図』なのだと陰陽道に詳しい人物であればすぐに合点が行っただろう。 何のことはない、夏の休日。 先だっての約束通り修行を行っているが、今日は実践よりも理論に話の主題を置いている。 基礎講座はモンジュが完了しているとしてもこういう類は何度復習してもいいものだ。 ゲストもいるんだし。 陰陽の術も技もよく出来たもので知れば知るほど新たな発見があり、理解が深まれば技のキレも良くなっていく。 どうもリクは以前の自分と同じく<力>に傾きすぎのようだったから、ここらでひとつ<技>に注視するのが良策と思われた。 粗方描き終えたところで地面に片膝ついた体勢で問い掛ける。 「ふたりとも、陰陽道に関してはどの程度知っている?」 「えーっと………火、水、土、木、金の五行があることとか?」 「あとは言霊を転用した『祝詞』を使っての呪術だろ。 うちの兄さんが言ってた」 リクとソーマが交互に答える。 「そうだな。 でもって、そこに相克や相生の力関係が生じる。 基本はこの太極図だ」 と、足元に描いた白黒の勾玉を指差して。 「そもそもの世界の成り立ちは陰と陽。 反発しながらも支えあう存在だ。 喩えるなら白と黒、光と闇、朝と夜といった感じだな」 白の勾玉の中央には「黒」があり、黒の勾玉の中心には「白」がある。 「区別はされているが対立するものでもない。 光と闇の境目は曖昧で勧善懲悪には程遠い。 あるいはひとつの連続した事象と言うべきか」 「って、例えば?」 膝を抱え込んだ姿勢でリクが首を傾げた。 太極図の周りに八卦図を描き足しながらヤクモは続ける。 夏と冬は正反対に位置するが、それらの間には春があり、秋がある。 完全に断絶されてる訳じゃない。 『四季』という言葉があるように結局は同じ『もの』を示してるんだしな」 「ふーん?」 分かったような分からないような………とリクがますます首を傾げた。 幼い様に自然とヤクモの頬に笑みが浮かぶ。 「焦って理解する必要はない。 ソーマ君は自宅で何か言われたかい?」 「いいえ」 赤い髪を揺らして子供は少しだけ不満そうに口を尖らせた。 曰く、「父さんに教わろうとすると兄さんが口を挟んでくるし、かといって兄さんに習おうとしても本人は全然付き合ってくれない」らしい。 父を打倒すべく日々努力している兄は自己研鑽に集中しがちなために弟の面倒が見れなくなっているようだ。 『だからこっちに来たんだな………』 『そーゆーコト』 コゲンタのぼやきにフサノシンがさもありなんと頷いた。 弟に構う精神的余裕がないのは何がしかのトラブルに巻き込まれているためかもしれないぞ、とヤクモは思ったが、ここで口にするのは控えておいた。 他家の事情にあまり首を突っ込むもんでもない。 とりあえず自分に出来るのは技の伝授だ。 のちに聞き及んだ「兄」が「他流派に教わるな!」と怒るなら、「兄さんが教えてくれないからじゃないか」と言い返すことも出来よう。 何のことはない、自分は常に「弟」の味方なのだ。 「属するのが『陰』か『陽』かによって自ずと使う言霊にも変化が生じる。 例えばオレや父さんは『陽』の気質だし、見たところリクやソーマ君は『陰』の気質が強いみたいだ」 陰陽の気質の違いなんて血液型が何なのかと同じぐらい他愛のない単なる相違だ。 闘神士でない一般人でさえいずれかに分類可能だし、「逆の気質がいい」なんて些細な理由で陰から陽へ、陽から陰へと『体質改善』を望むのはお勧めできない。 と言うか、出来ないし。 生まれ持っての性質は変えようが無い。 万が一変更可能だとしても、そんなんしたら身体に異常をきたすに決まっている。 リクとソーマが相次いで手を上げた。 「じゃあ、ボクの友達もどっちかに分けられるですか?」 「そうだな………リュージ君は陽、だな。 モモちゃんやリナちゃんは陰だろうし」 「ヤクモさんはそれを何処で見分けてるんです?」 「何となくとしか言いようがない。 まあ、技術が向上してくと自然と分かるようになるもんだよ」 曖昧な答えですまないね、と二番目の質問者たるソーマに苦笑してみせた。 でも、選択肢は割りと限られてるぞ」 八卦図の周りに五行の相克図を付け足してそれぞれに四季を割り振る。 「基本は二十四節季、星宿、五行十干、方位に六曜。 節季は言うまでもないし、主な星宿は北斗、南一、羅劫あたりが上げられるな。 しかも、同じ文献を参考にしたとしても其処から読み取る『真理』は人によって異なるから、結局のところ陰陽道を究めようとおもったら自分で学ぶしかないのだ。 「一先ず、闘神士が使う『祝詞』はただの言葉じゃないんだってことは肝に銘じといた方がいい。 てのひらに指先で文字を綴る。 「手近な例で言うと、おまじないってあるだろ?」 「いたいのいたいの飛んでけー、とか?」 ああ、それもまじないのひとつだな、とリクに笑みを返して。 「いずれも『言葉』に『意志』を篭めて『変化』を促す。 単なる言葉遊びや気休めに思えても『呪い(まじない)』は『呪い(のろい)』の一種だ。 口から零れた言葉には知らぬ間に他に干渉するための<力>が含まれることがある。 取り扱いには気をつけないとな」 まじない屋は己の言葉に責任を取らねばならない。 式神や妖怪と相対し、<力>ある言葉を唱える瞬間は、特に。 何とも面倒くさい話ではあるがそれもこれも<力>を得た代償と割り切るしかあるまい。 ソーマが感心しながら頷いた。 実際、オレもかなりの間それで乗り切ってたし」 コゲンタと契約していた頃のヤクモはどちらかというと力押しだった。 先ずは<気>を充実させて、多くの技を扱うために印を覚えて、術の発動を早めるために繰り返し特訓を重ねて。 無論、それが全ての基本なのだからやって無駄ということはないけれど。 ドライブがない状態で妖怪と出くわすことだってある。 その場合は符術を使えなければ一巻の終わりだし、『憑き物祓い』だの『結界術』だのに至っては祝詞のひとつも扱えなければ話にならない。 先だってのツクヨミの一件だって、もしヤクモが何も学んでいなかったら彼が百鬼夜行に喰い尽されるのを手を拱いて見ているしかなかったろう。 「自分の得意分野が何なのかは試行錯誤するしかないな。 こればっかりは他人が指示してやれるもんでもない」 「兄さんは結界術や浄化の術が得意なんですよね?」 リクが何処か残念そうに問い掛けた。 己には向かない領分だと何となく感じ取っているのだろう。 確かに、ヤクモから見てもリクの特技は自分と異なるように思えてならなかった。 祝詞の得手不得手はさておいて、一言で万言にも及ぶような術をして。 かつてはヤクモも詠唱なしでの術発動を得意としていた。 と言うか、それしか出来なかった。 だが、それでは<力>の微調整が効かないと気付いてからは敢えて遠回りな祝詞を用いて術を施している。 「ソーマ君は細かい術でも編み出せそうだよね」 「そうかぁ? リクこそ、そういうのに向いてるように見えるけどな」 「ボクは結構大雑把だから………」 思案深げにしているソーマに向かって少し照れたようにリクは笑った。 頭上のコゲンタに「何がいいと思う?」と無邪気に呼びかけながら、ついでのように問いを発する。 まさかそんな回答が戻ってくると思ってなかった年少者たちが虚を突かれたように眼を見開く。 困惑顔のリクにコゲンタも、ソーマも、フサノシンも揃って「さぁ?」と肩を竦めてみせた。 問われたヤクモだけが一気に降下した機嫌の行き先も分からずに地面を睨みつけている。 実を言うと、今日の集まりにはヤツも誘っていたのだ。 ………断られたけど。 用事があるから御免な、と面と向かって頭を下げられては無理は言えない。 そこまで鬼じゃない。 勝手じゃない。 子供じゃない。 誰だって都合の悪い時はある。 仕方ないことだ。 分かっている。 けれど。 以前のマサオミは本当にバカなんじゃないかと思うぐらい常にこちらの用件に忠実だった。 全ては神流から下された指令ゆえだとしても、そこまで遵守する必要があるのかと呆れるぐらいに。 確かあれは中学の頃、冬のある日、自分から修行に呼び出しておきながらヤクモは待ち合わせの時間に遅刻した。 父がいない状況で突然リクが発熱してしまい、病院に連れてったり父に連絡を取ったりイヅナに救援を頼んだりしている間にも時間はどんどん経過して。 慌てていたヤクモは符で断りの連絡をすることすら思いつけず、途中で雪までチラついてきた空を見上げながら、「流石にもう待ってはいないだろう」と時計と病床のリクを交互に見つめていた。 ようようイヅナが到着した頃には本来の待ち合わせ時刻を優に三時間は過ぎていただろう。 闘神巫子に後を任せてやっとのことでヤクモは自宅を後にした。 僅かな可能性を考慮して。 前日からの雪が降り積もった辻を駆け抜けて、裏山の細い林道を抜けた先の待ち合わせ場所まで、降りかかる粉雪を払い除けもせずひた走り。 まさかな、と打ち消していたこころはガードレールにもたれかかる姿に雲散霧消した。 頭にも、肩にも、雪が積もったままマサオミは静かに佇んでいた。 焦るヤクモに「お疲れさん」と笑ったきり、特に理由の追求すらしようとはせず、ただ、その足下に。 「………兄さん?」 重ねての呼びかけに我に返った。 いつの間にやら追憶に沈み込んでいたらしい。 慌てて周囲を見渡せばリクとソーマが気遣わしげにこちらを覗き込んでいた。 木陰以外に照りつける陽光は容赦が無い。 間違いなく、いまは夏だ。 何を不貞腐れてるんだ、らしくもないと自ら首を振ってくだらない記憶を振り払う。 特技の分類は難しいんだが………敢えて分けるとしたら<姿顕し>と<可変の術>、それに<傀儡>といったところか」 表情が何処か拗ねている点までは咄嗟に直しようがなかったが。 「<姿顕し>なら聞いたことあります。 確か、目に見えないものに名前をつけるんですよね?」 「ああ。 形なきもの、姿なきものに名を与えることで存在を<縛>る。 『憑き物落とし』でよく使う手だ」 厳密に言えば闘神機を用いての式神との契約もこれに当たる。 相互の意思の疎通がならなければ契約不履行となるのはいずれの場合も同様だが、闘神機においては術者が式神に<名づけ>を行うことで契約が成立するからだ。 神操機では式神からの問いに闘神士が応えることで契約がなされている。 よって、契約相手が用いていたドライブによっては生まれてからずっとひとつの名前を貫いている式神もいるし、コロコロと変更を余儀なくされている式神もいる。 「<可変の術>ってどんなのですか? あまり聞いたことないですけど」 字面で考えれば何かを何かに変えるんだろーけど、と地面の上に胡坐をかいたソーマが首を捻る。 その印象は間違ってない。 術名なんて要は『名は体を表す』を地でいっているのだから。 「<可変の術>はイメージとしては西洋の錬金術に近い。 まあ、あくまでもイメージは、だが」 何かを何かに変化させる。 それ自体に変わりはないとしても。 「兄さんがよく使ってる<式>とは違うんですか?」 「あれは札を自身の<気力>で動かしてるに過ぎない。 『精霊』の姿を見てる訳じゃないからな」 陰陽道ではあらゆるものに『生命』を見る。 木々や草花、道端の石ころから月に雲までも。 いずれの内にも『精霊』が宿り、見ることが叶わずとも『精霊』とて『姿』を持つと考えるのが基本だ。 それら物事の『本質』はそのままに『姿形』だけを思い通りに作り変えるのが<可変の術>。 祝詞を用い『姿』を捉え、現れた『精霊』を変化させる。 願えば静物を動物に、動物を静物にすることさえ容易い。 何でもアリなようでいて、人の手が加えられたものに対しては術をかけることは出来ないし、「一」からは「一」しか作れない、というのが面白い制限だった。 もとの材料が木の葉一枚だったなら仮令どれほどに姿を変じさせようとも「一」は「一」。 「二」に増えることは有り得ない。 興味深げに耳を傾けていたリクがハタと手を打った。 「そっか! ボク、この前みましたよ。 マサオミさんがただのペットボトルの水を浄化の水に変えてたんです。 あれも<可変の術>の一種だったってことですよね?」 「そうだな」 納得が行ったのかリクは朗らかに笑っている。 あの野郎、結界張るのに手間を省きやがったな、と笑顔の裏でヤクモは毒づく。 一度見てみたいなですね、とソーマは好奇心に目を輝かせた。 身を乗り出すようにして問い掛ける。 大地に当てた指先に少しだけ力を篭めて、振り絞るように。 仕方ないので此処は身内であるリクが口火を切る。 そうだな。 うん」 沈みかけていた意識を連れ戻されてヤクモは幾度かまばたきを繰り返した。 ダメだ。 どうしても先刻思い出された過去の映像ばかりに術の印象がリンクしてしまう。 だが、それも仕方が無いのかもしれない。 なにせ術を行使するマサオミを目撃したのはあの時が初めてだったから。 あの雪の日の光景はいまでも胸に強く焼き付いている。 「<傀儡>は………何かを己が手足として意のままに操るための術だ」 操り人形とその使い手とも言えるな。 カイライ政権とかよく聞くだろう? と答えを促して。 対象は無生物だけに留まらない。 小動物であれば言霊を篭められただけで操られてしまうだろうし、術者の力が強ければ場合によっては『精霊』や人間だって操れるだろう。 これまた陰陽師が一般に用いる<式>とは異なっていて。 <式>が敵に倒された場合、最悪、全てのダメージは術者に返ってくる。 『逆凪』と呼ばれる現象だ。 故に術者たちは『逆凪』から身を守るため常に身辺を特定の呪物や言霊でガードしている。 だが、これらの準備は<傀儡>であれば必要ない。 何故なら、幾ら<傀儡>が倒されても術者自身は『逆凪』の対象にならないからだ。 <傀儡>が受けたダメージは全て<傀儡>に返る。 術者まで戻ることはない。 故に<傀儡>を用いた場合は身辺警護の準備など必要ないのだ。 じっと聞き入っていたソーマが不満げにポツリと零した。 「なんか………ズルいな」 正義感が強い飛鳥家の血を引く男らしく、年齢不相応なしわを眉間に寄せて。 それってやっぱり、何か、ズルイ」 言い終えた後に唇を引き結んで黙り込む。 静かに年下の友人の言に耳を傾けていたリクは、しかし、思慮深げに兄へと水を向けた。 真っ直ぐ見つめられて、幾分の迷いを見せた後にヤクモは本当に微かな声音で呟いた。 違う、と。 己が嫌う理由はただ単に、思い浮かべた白い雪の中の友人の姿が。 細々と降りしきる雪の舞う中で佇んでいたその姿が、ひどく。 「………あんなに孤独な技はない」 ただそれのみを答えると。 不思議そうに目を瞬かせた彼らの更なる問い掛けには何も返さず、この話はここで打ち切りだとばかりに地面に最後の紋様を書き加えた。 「ぶぇーっくしゅん!」 前触れもなく鼻がムズムズして、連続三回くしゃみをした。 何だぁ? もしかして夏風邪かぁ? 洒落になんねーと愚痴りながらマサオミは行儀悪く鼻をすすった。 誰かが噂してるとしてもロクな噂じゃないだろう。 あるいは、単純にこの場所が夏にしては涼しすぎるのかもしれなかったが。 京の都を眼下に望む林道は閑散としている。 疾うに廃れた旧道にわざわざ訪れる酔狂な人間もおらず届くは風と鳥の声ばかり、地に差し込む日の光は僅かに過ぎず熱を持つには未だ足りない。 薄汚れた自前のバイクを道路脇に寄せて遠くの山並みに目を凝らす。 ………待ち人はまだ来ない。 はっきり言って暇だった。 ヤクモの誘いを断ってまで来たのにこれでは甲斐がない。 尤も、難癖つければ相手はすぐにでも時間調整してくれたろう。 わざわざ天流の誘いと克ち合う時間を指定したのは故意だったと言えなくもない。 微妙なバランスでガードレールに腰掛けたまま視線を落とした。 地面に積み重なる葉の数々に視線が吸い寄せられる。 しゃがみこんで拾い上げた二枚の木の葉を、風に乗せるかの如く空に放り投げた。 漂う様を目で追いながら両の手で印を組み合わせる。 唇は自然と祝詞を紡ぎ上げた。 此は物にあらず人の息吹なり、此は人にあらず神の息吹なり」 弾かれたような音を立てて木の葉は中空で動きを止めた。 やわらかな緑の光に包まれたそれらは目覚めを待つ生物の胎動を感じさせる。 印を組み替え、淡々とした口調で、半ば無意識の内に術は続けられる。 「我が事において在らしめよ。 此は物にあらず人のまなこなり、此は人にあらず神のまなこなり。 我が傍らに在する折りは汝が姿を顕したまへ。 傍らに在するものに御言葉をもちて顕さん。 二枚の木の葉は完全な緑の球体へと様相を変えた。 薄っすらとマサオミは口元に笑みを刷く。 「汝は我が手に在り、汝に我が息吹は宿る。 汝は我が眼に居り、汝に我が御霊は宿る」 次なる術への架け橋となる詠唱を絶やすことなく手元は更に印を刻む。 右手と左手で交互に対称となる動きをさせつつ、最後に指と指を組み合わせた。 球体だったはずのモノは細やかな羽根を持つつがいの蝶となる。 ひらひらと辺りを飛び交い、陽光に新緑の羽根を透かしながら。 「態を変じよ」 ぱちん. 同じ音を繰り返し。 新緑の羽根はより確かな、雌雄一対のカワセミの羽根と化す。 止まり木として術者の肩を使い、注がれた視線に一鳴きして応える。 「態を変じよ」 ぱしん. 少しだけ静かな音色を奏で。 カワセミたちは一回り大きな白鷺へと姿を変える。 手近な木々の枝へ飛び移り、互いの羽根の毛繕いを手伝いながら。 「態を………」 次はどうしようかとぼんやり考えていたマサオミは、ふと動きを止めた。 舌打ちと共にすぐに解除の言霊を唱える。 術から解放された木の葉はただの木の葉に戻り、先刻まで鳥の重さにしなっていた枝は突然に重みが失われた反動からしばしの揺らぎを残した。 どうも自分はぼんやりするとすぐに祝詞を用いがちだ。 一応、ヤクモに禁止された技だってのに。 三年ぐらい前のこと。 冬のある日、マサオミはヤクモに思いっきり待ち惚けを食わされたのだった。 向こうから呼び出しておきながら何の連絡もない。 寒いわ暗くなってくるわ雪は降り出すわで、どうして自分はこんなにまでして待ってるんだろうかと自分自身、疑問を抱きつつ。 前日から降り積もっていた雪の上に新しい雪が重なって。 寒さに震えていたはずなのにいつしか雪降る様に陶然と魅入っていた己は、自然と先の言霊を紡いでいた。 ひとりの時に『この術』を使うのはマサオミにとっての日常だった。 幼い頃よりの習慣がそう簡単に改まるはずもない。 手袋すらしていない冷え切った手で雪玉をふたつ拵えて<姿顕し>を行った、のち。 流石に触れればその冷たさから正体が知れるのだけど、少なくとも手触りだけはホンモノそっくりで、自分も大分腕が上がったもんだとほのかに笑い。 「態を変じよ」 印を組み合わせ、祝詞に力を篭め、脳裏に作り変える対象を思い描きながら。 兎のつがいから鷹のつがいへ、鷹のつがいから犬のつがいへ、犬のつがいから狼のつがいへ。 いずれも白い毛並みをしている点は変わらない。 まだ色を変えるまでには至らぬなと頷いて、やたら懐っこい性格をした狼たちの喉を撫でながら鼻先を掠める存在しないはずの彼らの吐息に苦笑する。 この術がいずれは<傀儡>に通じる。 だが、いまこうして『作り上げた』彼らにはマサオミも掌握しきれない『魂』が潜んでいる。 その『魂』は術者の意図を通り越して常にマサオミの傍らに寄り添う<彼女>の意思を携えていることが殆どだった。 だから彼らはマサオミの指示に従う。 <傀儡>にするまでもなく、彼ら自身が<彼女>の想いのもとにマサオミの身を守る。 足元でじゃれついている二匹を眺めながら深い思考に沈みこんでいた。 だから、不意の呼びかけが誰のものなのかも咄嗟には判断がつかなくて。 林道を駆け上がってくる見慣れた姿に抱いたのは怒りでも文句でもなく、そんなに急がなくてもいいのになぁというひどくのんびりした感想で。 「お疲れさん」 笑って告げたら何故かヤクモの方が怒ったように眉をしかめた。 遅ればせながら現在時刻を確認したマサオミは数時間単位で待たされていたことに、その時ようやく気が付いた。 知らぬ内に時間は過ぎてるんだなーとヘンなところで感心し、リクが熱を出したと聞いて、呆れた声を出した。 「バカだなあ、お前。 じゃあこんなトコ来てる暇ないじゃんか」 「バカとは何だ、バカとは」 折角来たのにとヤクモはムクれる。 本来なら怒るべきはオレなんじゃないかと思いながらマサオミはピッと相手を指差した。 「連絡なんて符で出来るだろ! オレら闘神士なんだからこーゆー時こそ有効利用しねぇと」 「………考えつかなかった」 少し悔しそうに相手はそっぽを向いた。 それだけ弟が心配だったのだろうと思えばマサオミには咎める理由は何もない。 ならオレも見舞いに行こうかと持ちかけて、両の手を叩いて術を解除した。 汝と我の糸は絶えたり。 束ねし宿命もひとたびは離れん」 ズサッ……… 音を立てて狼たちがもとの雪塊へと姿を返す。 ヤクモが驚きに目を見開いた。 「んじゃ、行こうぜ。 家にいるのか?」 「………術だったのか?」 どうやら真贋を計りかねていたらしい。 物凄く不機嫌そうに睨まれてマサオミは途方に暮れた。 逐一説明するとややこしいし、マサオミひとりでやっている術に見えて、そうでない部分もあるのだし。 面倒くさくなった彼は大半を端折って結論だけを告げた。 「うーん、そうだなー。 いうなれば<傀儡>の術かな?」 正確には、ああして作り上げた『姿』を『支配』して初めて<傀儡>が完成するのだが。 いまのところヤクモの前で<傀儡>の祝詞まで披露するつもりはなかった。 明らかにヤクモの機嫌が下降する。 当初こそ遅れた負い目もあってか控えめだった気の強さがここにきて復活したらしい。 軽く肩をすくめてマサオミは答える。 踏みしめる雪が靴の下で音を立てる。 「周りに誰もいないよりはいいじゃないか」 「………」 返されたのは冷たい無言だった。 声もなくヤクモはマサオミを追い越して、戸惑う相手を他所に数歩先で急に振り返った。 珍しくも怒りも露にして宣言する。 「マサオミ。 お前、二度とオレの前で<傀儡>の術を使うな!」 「………は?」 あまりに突然の要求に声が裏返った。 何だかよく分からないがあまりに勝手に過ぎやしないか。 頬に当てていたてのひらが居場所を求めて中空を彷徨う。 「ちょ、待てよ。 いきなり何? 何で禁止令? いーじゃん、別に使ったって」 「うるさいっ。 とにかくダメだと言ったらダメだ!」 「何かを勝手に操る術だからダメなのか?」 一般的に<傀儡>という単語から連想されるイメージをもとに問い掛けてみる。 少しだけこちらを振り向いたヤクモは、けれど、何処か悔しそうな口調で言い返した。 結局、あの後、吉川家につくまでふたりの間で言葉が交わされることはなかった。 どうしてヤクモがあんなに<傀儡>を嫌っているのかの理由は分からずじまいだ。 そういえばあの時、本当はヤクモがどんな特訓するつもりだったのかも聞いていなかった。 もしかしたらアイツが特訓したかったのも<傀儡>だったんじゃないかと後から思いついたが、全ては過去の出来事で今更確認のしようもなかった。 木々の合間から射し込む日はだいぶ光を弱めている。 微かなため息をついた時、すぐ近くで<道>が開かれる波動を感じた。 気を引き締めて視線を向けた先、狩衣に身を包んだ男が慌てて中空から地面に足をつけて。 「ガシン様、遅れて申し訳ございません!」 「あー、いいっていいって。 待つのには慣れてっからさ」 数時間待たされたこともある自身を省みれば数十分程度の遅れなど笑い流せるに決まってる。 それでもショウカクが改めて謝罪の言葉を述べるのに、いいから気にすんなと先を促す。 「お前も忙しいんだろ? そろそろ妖怪どもが活発化してくる時期だ」 「確かに。 <蝕>に向けて<禁域>全体が騒然としている感じです」 「なら、尚更とっととすませねーと」 伏魔殿の状態だとか<彼女>のご機嫌だとか妖怪の発生率だとかの定例報告を聞きながら現状を把握していく。 特に、簡単に動けないマサオミにとって地流の動向は重要な情報だった。 上か? 下か?」 「長男の方です」 どうやら飛鳥ユーマが<禁域>において色々と神流のことを嗅ぎ回っているらしい。 だけでなく、最近は地流の目的にも疑問を抱き始めたのか、かなり深入りしているようで。 ましてや「力の有効活用」に至っては神流ですら掲げている『正当な理由』である。 やれやれと天を仰いだ。 「あのおにーさんはかなり正義感が強いからな〜」 派閥の腐敗には耐え切れないタイプだろう。 おそらくは彼の父親も同様の理由で地流の主要グループから離れている。 そろって同じ道を辿っている辺りに血を感じずにはいられない。 「邪魔ならば始末しますが」 「やめておけショウカク、白虎のランゲツは強力だ。 下手すると返り討ちにあうぞ?」 必要とあらば神流の一個小隊か、マサオミに討伐の指令が下されるだろう。 だから敢えて「いま」手出しする必要はない。 他にも幾つかの細かな報告を受け、ショウカクが辞去の礼をする。 ゴクローサマと手を振って見送るマサオミに対して彼は思い出したように付け足した。 「そういえば、タイザン殿よりご伝言です」 「なに?」 「肩入れする対象を間違えるな。 お前の属する世界は『こっち』だ、だそうです。 余計なお世話だ。 「うるせーよボケっつっといて」 「………適当に誤魔化しておきますよ」 上司同士の仲が悪いと苦労するのは部下ばかり。 例に漏れずショウカクもやれやれと苦笑を零しながら肩をすくめて<道>に身を投じた。 <道>が閉じたことを確認してからマサオミは傍らに留めていたバイクのハンドルに手を伸ばす。 空を見れば既に夕闇も迫ろうかという頃合だ。 こうして一望している世界が、いずれ真の意味で『別世界』になるのだと思えば幾許かの郷愁を誘われないでもない。 所詮はただの感傷だと自嘲しながら彼はバイクに跨った。 駅前までソーマを見送って、電車に乗り込む姿へ階段越しに大きく手を振った。 気付けば予定の終了時間をかなりオーバーしていて随分慌てたが、「いいですよ。 楽しかったですから」とソーマが笑ってくれたことが唯一の救いかもしれないとヤクモは息を吐く。 ついでに夕食の買出しをすませようと告げればリクは楽しそうに頷いた。 「じゃあ、今日はボクが作ります! 兄さんは疲れてるでしょ?」 「別にそんなに疲れちゃいないけどな」 喋りすぎて喉がヒリヒリするけど、と笑えばリクも嬉しそうに笑みを返す。 地元の商店街の賑わいを感じながら歩いていたらそっと服の裾を引っ張られた。 「え、と。 あの………その、相談なんですけど。 境内で火を使うのに大丈夫ですか? と不安そうにリクが見上げてくる。 確かに御神体の前で焼肉パーティをするのはかなり問題かもしれないが。 でも父はあの性格だし、ウチの守護霊は亡き母だし、リクがやりたいと願うなら自分も含めて件の両親が反対するはずもないだろう。 「いいんじゃないか? 楽しそうだ」 あっさり頷けばリクが心底ほっとしたように微笑んだ。 イイコト思いついたとばかりに手を鳴らす。 「じゃあ、その時はマサオミさんも呼びましょう」 「………どうして此処でアイツの名前が出てくるんだ?」 このセリフは本日二度目だな、と考える兄を他所に弟はあっけらかんと告げる。 当日、他の用事に邪魔なんかされないよーに先にこっちの用事を入れておけばいいんですっ」 やたら朗らかに告げてくれる弟に果たして何と返せばよいのやら。 (別に、来なくたって) 何も変わりはしないだろ? と思いつつも、確かに胸が少し軽くなるのを感じていた。 見上げた空は茜色に染まりつつある。 山の端に浮かぶ雲は白く伸び上がり、吹く風は熱い気配を辺りに馴染ませる。 設定の設定による設定のためのお話。 でも幾つかは使い捨て(オイ) 前回の約束どおり、りっくんのテストが終わったので一緒に修行に出向いている吉川兄弟。 どうしよう(滝汗) ちなみに、全然書いてませんけどりっくんと地流は何度か戦ってます。 何故に書いてないかとゆーと そんなんしてたら全然話が進まないからです。 ま、ひとつそーゆーことで………!(オイ) ヤクモさんが<傀儡>を嫌っているのはひどく寂しい術だと感じてるからっす。 ヒト以外のもので周囲を埋めて 孤独を紛らわせるってのは確かにかなりサビシイですからね。 引き篭もりと大差ないですからね(オイ) 使用を禁じたのは自分の前でその技を使われた場合に「お前程度じゃオレの孤独は埋まらねーよ」と 言われてるようでひどく腹が立つからです。 三年前のヤクモさんが特訓したかったのも<傀儡>の術だったのですが、マサオミさんがやってるのを見て やる気が失せたよーです。 「お前がやってんならオレはやらねーよ!」みたいな?(分かりません) その後も一応ヤクモさんは文献などで知識だけは増やし、結果、あの時のマサオミさん曰くの<傀儡>が本来の <傀儡>とは若干異なるらしいことに気付きました。 けど、あそこでマサオミさん自らが「傀儡だ」と宣言 したのだから、ヤツは<傀儡>も使えるに違いないと勝手に思い込んでいます。 外れちゃいないんですけどネ(苦笑).

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SUPER BEAVERが初の無観客ライブ、ドキュメントで伝えたかった真相――「想像もしえなかった日々の真ん中で、バンドマンに何ができる!?」(SPICE)

ひとりじゃ何一つ気付けなかっただろう

ステージ上が薄暗くなり、その上に立つ彼女たちの姿も影に包まれていく。 それが曲の始まる合図なんだと知っている観客たちは、どんな歌が披露されるのか期待を抱いて歓声を上げた。 だが、その歓声は一瞬にして、泡沫のように消え落ちていった。 その音色を耳にした多くの観客は、湧き上がる歓声を止め、動かしていた手を止めてその曲に聞き入ってしまう。 そっと、囁くように歌いだす彼女たちの想いがこの曲と繋がり始める。 蒼くんにそう言われた時、凛はとっても嬉しかったよ……こんな私のことをそう思ってくれたことがとっても嬉しかったんだよ。 女の子らしさが足りないと、彼女自身そう呟いていた日々が幾度とあった。 それがいつしか彼女にとってのコンプレックスになってしまっていることに、引け目を感じていた。 そんな時、彼女の前に現れた人こそ、蒼一だった。 彼は、彼女が暴漢に襲われていたところを助け、女の子としてやさしく扱ってくれていたことが今でも忘れられないでいた。 それが彼女にとって、初めて女の子として扱われた瞬間だったからだ。 花陽は、蒼一にぃのことを本当のお兄ちゃんなんだってずっと想い続けているよ。 内気な私をいつも傍に寄せてくれたこと。 花陽をアイドルにしてくれたこと。 そしてなにより、花陽が蒼一にぃの彼女になれたことが、私のこれまでの人生の中で一番嬉しかったんだよ…! ありがとう…蒼一にぃ……。 花陽は、ひとりでも頑張れるくらい成長したよ……! 今度は、花陽が支える番だよね……! スポットライトに照らされた彼女の肌が、白く透明に見えた。 まるで、彼女自身が輝いているようにも見えたのだ。 両手を胸に添えた彼女は、まるで祈るように静かに瞳を閉じた。 彼と出会ったことで、彼女は大きく成長した。 みんなを笑顔にすることが出来るようなアイドルになるって、そう約束していたの……。 でも、私1人だけじゃダメだった。 何度やっても失敗ばかりで、終いには、アイドルになることさえも諦めなくちゃいけなくなるくらい追い詰められてた…… そんなにこを救ってくれたのが、蒼一、あなたなのよ……。 蒼一がもう一度、にこにアイドルになるチャンスを与えてくれた。 こうしてにこがこのステージに立っていられるのも、全部蒼一のおかげなのよ。 蒼一、にこはね、あなたに言われたことをここで果たしてみせるわ。 みんなを笑顔にさせる……そう、あなたも含めて絶対に笑顔にさせるから……! 悲しい顔なんてしないで、蒼一には笑顔がよく似合うから……! 切ない歌声を響かせるにこは、両手を広げ、夜空に輝く星を仰ぎ見ていた。 そんな彼女の顔には、うっすらと笑みと共にほろりと玉のような滴をこぼれ出していた。 彼女は笑うことで彼を励まそうとした。 彼女にとって、笑顔は魔法のようなモノだった。 彼女が笑うことで自然と周りが笑顔になる不思議な力があった。 そんな彼女の魅力に気付いていたのは、彼だった。 彼は彼女の笑顔が大好きで、その笑顔を見るために彼女を喜ばせるようなことをし続けた。 その延長上として、彼は彼女を恋人として迎え入れ、幸せという喜びに浸らせたのだった。 そして彼女はいま、そんな自分を支えてくれた彼に向けて、精一杯の気持ちをぶつけようとしている。 それなら、私と一緒にいればいいんだよ。 それを忘れたことなんて一度たりとも無いわ。 あなたと共に過ごし、あなたの肌に触れ、あなたの本当のやさしさをこの身体で知ることができた……。 私は蒼一と出会えてよかった……私の隣が蒼一で本当によかった……。 蒼一が私に、音楽の素晴らしさをもう一度教えてくれた。 私に仲間と呼べる人、親友と呼べる人……そして……愛すべき人を与えてくれた……! 好きよ……大好き……愛してるの、どんな宝物でも、この世にあるあらゆるモノとは比べものにならないほどにあなたのことを愛してるの……!! あなたがいれば、どんな困難でも乗り越えられる……どんな苦難にだって立ち向かえる……! あなたは……私のすべて……! ねぇ……聞こえてる……? この曲は、蒼一と共に過ごした最後の日に創り上げた曲なのよ……。 あなたの身にどんなことが起きようとも、あなたが挫けそうになった時に聞いてもらいたくって創ったのよ……! これを、あなたに…蒼一に捧げるわ……。 その想いが強すぎちゃったから苦しくなっちゃうんだよね。 蒼一にも…みんなにも……。 ウチはそれが耐えられなくって、身を投げ出したいとまで思うくらいやったんよ……。 でも、そんなウチを、蒼一は赦してくれた……。 ウチをギュッと抱きしめてくれた……こんなウチを救ってくれた……こんなウチのことを愛してくれた……。 涙……止まらんかったんよ……蒼一に抱かれた後ずっと、嬉しくって、嬉しくって……涙がボロボロでてきて全然止まらへんかったんよ……。 ウチの気持ち……受け取って……! 片方の腕をぐっと前に突き出し、そのまま人差し指を誰かを指すように伸ばした。 彼女は指さす先に、愛すべき彼がいることを想っていた。 彼女にとって、彼という存在はいつもヒーローのようだった。 ひとりぼっちだった彼女に手を指し伸ばしてくれたのが、紛れもない彼だった。 そんな彼に惹かれて、彼女は彼の近くに居ようと決心させるほどに、彼のことを好きでいた。 だが、その好き故に彼女の心は歪み、あの惨劇を生み出してしまった……。 彼女はその重大性に気が付くのだが、すでに遅かった。 取り返しのつかないことをしてしまったと感じた彼女は、自らの命を絶とうとした……。 だが、そんな彼女を抑えたのが紛れもない彼だった。 もう二度と交わることが出来ないだろうと思っていた縁が、それよりも増して交わったのだ。 彼女にとって、これほど嬉しかったことは生まれて初めてかもしれないほどに。 故に、彼女は歌うのだ。 もう、何も隠すこともない。 何も偽ることもない。 本当は、アナタのことが言葉に出来ないくらいに大好きだったのに、苦しめるようなことしかしなかった……。 私はアナタの気持ちを何度も踏みにじった、何度も足蹴にした。 本当なら、アナタの前に現れることさえも止めなくちゃいけないのに……なのに、アナタは……私を受け入れてくれた……! 私のことをここまで想ってくれていただなんて、全然知らなかった。 私のことをこんなに愛してくれていただなんて全然知らなかった! なのに、私は蒼一のことを………。 だからね、私はいま、蒼一のために尽くしたい。 私のこの身体で、この気持ちでアナタを取り戻せるのなら、身を尽くしてそうさせてもらうわ。 アナタがすべてを尽くして私を包んでくれたように、私もすべてを尽くしてアナタの全部を包み込むわ……! 受け取って頂戴! 私の、この想いを……! 水晶のように透明で、黄金のように輝き放つその美しき姿は、まさに聖母のようだ。 全身に受け無数の光が束となり、光輝となってすべてを照らしていた。 慈悲深く見える彼女の姿は、それまで彼女が犯してきた数々の罪から生じたモノ。 その1つひとつを赦してくれたことによる霊験あらたかな気持ちによる回心の光。 彼と共に過ごして変わることが出来たことへの感謝。 これが彼女の魅せる姿なのだ。 ことりにたくさんの勇気を与えてくれた。 抱えきれないくらいたっくさんの愛情を受け取ったよ。 それでやっと、大きな一歩を踏み出すことが出来たの。 ことりは、何にも取り柄がありません……。 とっても地味で、人に相談することが不器用で、わがままで、嫉妬深くって、すぐに誰かに頼っちゃうダメダメな女の子なんです……。 でも、蒼くんのことは好き……誰にも負けないくらい好きって言える……! けど、こんな私じゃ、蒼くんに振り向いてもらえない……だから、いつも傍でベッタリとくっ付くしかなかった。 ことりのことだけを見てほしいから、どんなことでもやってみた……! でも、どれも意味がなかった……。 私の過度な不安とは裏腹に、蒼くんは私のことをちゃんと見てくれていたんだ。 なのに、私はまったく気付けなかった。 蒼くんのやさしさに甘えすぎちゃっていたんだ。 それで、訳も分からずみんなを振り回して……ことりは、最低です……。 なのに……蒼くんは私を引き寄せてくれた。 抱きしめてくれた。 キスしてくれた…! 身体と身体を交じり合わせてくれた……! ことりを……愛してくれた……!! こんなに、こんなに嬉しいことはないよ……! 蒼くんの中に、ことりの居場所があることだけで嬉しくって泣き崩れちゃいそうなんだから……。 蒼くん。 ことりの…ことりのすべてを見せてあげる……! ことりは蒼くんと一緒にいるよ……だから、感じて……! 雛鳥のように小さくも、その気持ちは鷲よりも強く、空高く舞っていた。 美しく可憐な歌声は、ここに集う誰よりも響き、どこまでも遠くへ飛んでいくほどに力が籠っていた。 彼女の想いは、それほどにまで強くあった。 誰よりも先に彼と出会い、彼に想いを告げていたのは彼女だった。 最早、彼女は彼なしでは生きていけないほど、彼のことを溺愛していた。 だが、その反面、彼女の劣等感は凄まじかった。 周りと比べようとすると、彼女は前に進み出ることなく後ろに下がり、周りを後押しするような立ち回りをしてしまう。 彼女の気持ちは常に、矛盾と共に存在していた。 それ故に、彼女は狂気となった。 周囲を排斥することが一番の方法であると、間違った考えを起こしてしまったのだ。 そのために、彼女は彼女自身を深く傷付けることとなるのだった。 もう、自分でも抑えが利かなかった彼女に、彼は手を差し伸べた。 傷付き、血だらけになってまでも、彼女に手を伸ばすその姿に、彼女は自分の間違いに気が付いた。 彼女は何も思い悩むことなど無かったのだ。 今も昔も、何一つ変わることなく、彼は彼女と共にあったのだ。 そればかりか、彼は彼女を以前よりも深く愛した。 深海に沈んでいくよりも深く、空に飛んでいくよりも高い愛で彼女を包み込んだのだ。 そんな彼に、彼女は感謝と涙をただ流すほかなかった。 そして彼女は、そんな彼が与えてくれた愛情に見合う以上の愛で、彼を包み込もうとしていた。 そこにはもう、劣等感を抱く姿などどこにもない。 それなら、私と一緒にいればいいんだよ。 私が辛い時、寂しい時、悩んでいた時には、いつもあなたが傍にいてくれて私の背中を押してくれました。 そんなやさしいあなたに惹かれて、いつしか、お慕いするようになりました。 あなたの背中を追っていくのではなく、あなたのお傍で共に歩んでいきたいと、そう願うようになっていたのです。 蒼一……。 今、あなたはとても苦しんでいることでしょう。 それは私にも測り知ることが出来ないほどなのでしょう。 ですが、それであなたを救えないと言うことなどありえないと思っています。 私は、あなたのために強くなりました。 今度は、心身ともに強くなりました。 ただ、ひたすらにあなただけを救うだけの想いを抱くことが出来ています。 もう、迷うことはありません。 この真剣な想いを持ちまして、今度は私が蒼一の抱える闇を取り除きましょう……! 聞いて下さい……私と、私たちが作った歌を……! やんわりと微笑む姿は慈悲深く、今にも涙を流そうとする潤んだ瞳は涙腺を誘う。 あまり感情を豊かにして歌うことが無かった彼女が、この時ほど、歌に想いをこめて歌ったことはなかった。 青く透明に透き通った言霊が、聞き入る者たちの心に沁み渡っていき、湧き上がる熱情に感動を添えさせた。 詩を作りだしてきた者として、言葉を巧みに操ってきた者としての矜持がここで発揮されようとしていた。 メンバーから汲み取った数多モノ言葉たちを、彼女は繋ぎ合わせ、ひとつの歌として紡ぎだした。 その才能を余すことなく使ったこのひとつの歌は、彼女にとっても比類なきものなのだ。 いつもは学校のためだったり、みんなのためだったりって、いろいろな理由を付けて歌っていた。 でもね、今ここで蒼君のために歌えることが何よりも嬉しいんだ。 こんな気持ち…はじめて…… 蒼君、ちゃんと見てる? ちゃんと穂乃果の声、聞こえてる? 穂乃果ね、今すっごく楽しい…! この場所に立って、みんなで蒼君のために歌えることがね、とっても嬉しいの……! ほら、聞こえるでしょ……? 目の前にいっぱい広がる光の原っぱが……。 あの光全部が、蒼君のために光ってるんだよ……! 私もね、負けないくらいに歌うよ。 蒼君が、私たちのところに戻ってくることを信じて……大好きな蒼君を信じて……! 蒼君……蒼君は、もう、ひとりぼっちじゃないんだよ……。 誰もがその輝いて見える表情に、一度は目をくらましてしまうほどだ。 その光景が、あたかも祈りを捧げるかのようで、それにあわせたのか彼女は瞳を閉じた。 彼と共に歩むことが出来ることを。 形も願いもそれぞれ違っている、だが、彼を想う気持ちはみな一致しているのだ。 そんな曲も最後を迎えようとしていた。 ここまで、ステージに立ってきたグループとは異なった選曲で臨んだ彼女たち。 その表情になんの迷いもなかった。 ただ歌うだけでも無かった。 特別な想いを抱いて歌われた曲は、瞬く間に、観客たちの心に入り込んで行った。 特定の誰かのために歌われた曲である、というところまで推測しようとする者たちもいるだろうが、そこまでで終わってしまう。 聞き入ってしまうのだ……彼女たちのやさしげな声で彩られた賛歌が、心の中で共感し始めようとするのだ。 雑念など不要だ、この歌の一部始終を見届けたいと思う人々が多かったのだ。 それ故、歓声に沸き上がるであろう会場は、この歌がある中では、一度も声を上げようともしなかったのだ。 そのおかげで、会場中に集まる人々の耳に一音一句届けることが出来たのだった。 その光は、みんなそれぞれ違っていて、色があった。 色とりどりの光たちは、彼女たちの身体から湧き出て、増長していく。 すると、その光たちは一斉に彼女たちを離れ、どこかへ飛んでいくのだった。 空には、夜にも変わらず、9色の虹が掛かって見えたと言うが、それを見ることが出来たのはわずかな人だけだった。 男たちは雄叫びを上げ、女たちは感嘆の声を上げるのだった。 やりきった彼女たちは、一歩前に踏み出し、観客に向かって一礼をする。 そこに、更なる拍手喝采が重なり起こるほどであった。 『ありがとうございました!!!』 すべてを出し切り、納得のいく形を作り上げることができた彼女たちは、ステージ袖に消えていく。 なのに、観客の歓声は鳴りやむことを知らなかった。 それを聞いたメンバー全員は、湧き上がってくる感動を抑えきれず、お互いに抱きしめ泣き合ったのだった。 (次回へ続く).

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ひとりじゃ何一つ気付けなかっただろう

唯一 -ただ、ひとり- 17 17 ぼくは ずるい あなたが くるしんでいても ぼくだけのものに したかった 午前中の外来を終え、昼食を取ろうと食堂へ行った。 いつものように定食を頼み、空いている席に座る。 食事をしながら、要さんはきちんとごはんを食べているのだろうかと気になった。 要さんが、あんな風になってからどれくらいたっただろう。 随分と長いような気もするが、実はそんなに何週間もたっているわけではない。 初めて会った時、この世に一目ぼれなんてものは存在しないと思っていた。 一目見ただけで心が奪われるなんていうのは所詮うわべだけのものであって恋ではないと。 けれど「篠崎 要」という一人の人物がその考えを打ち消した。 彼を包む独特の優しい雰囲気、やわらかいものごしに一瞬で包まれた。 それは営業用の当たりの良さでは語れないほどのすごく良いオーラだった。 男とはわかっていながらも、ドキドキして。 最初はただ一緒にいるとドキドキする反面すごく和んだり、不思議な気分だった。 それがだんだんと付き合いが長くなるほどに、控えめな態度がかわいらしく思えてきて、もしかしたら恋しているかもしれないと思った。 はっきりとそれを自覚したのは彼に恋人がいると知ったとき。 そのころにはもうお互い信頼関係が出来上がっていてプライベートでも親しくさせてもらっていた。 彼は僕にカミングアウトして来たのだ。 「男の恋人がいる」ということを。 正直すごくショックだった。 そして相手に嫉妬を感じた。 けれど真剣に、顔を赤らめながらいろいろと相談してくる要さんを見ていたらなんとか力になってあげたいと思うようになって。 いや、違う。 こんなことを僕にだけ相談しているのだと思ったら、その特別なポジションがうれしくなって僕は自分の嫉妬をひた隠しにして良い相談相手に甘んじてしまったのだ。 そして僕は、それでも幸せだった。 要さんと仕事以外でもよい友人として付き合っていた間、少し疑問に思ったことがある。 彼はどうしても自分に自信を持てずにいたのだ。 僕からすれば中性的で整った顔立ちを持っていたのだが、要さんは女くさいといって自分の顔を決して好きではなかった。 それに仕事の面で、病院でも他の医師からの評判が良いと誉めた時も、自分は兄のように仕事はできないからとそれを認めなかった。 そしてさらに僕から見れば啓太という彼の恋人がすごく彼を好きなことが伺えた。 それなのに要さんは常に不安を抱えていた。 恋愛していれば不安はつきものだというけど、要さんのそれは異常とも言えるくらいだった。 そして、要さんは恋人と別れた。 そのポジションを僕が手に入れた。 始めから僕に気がないということは分かっていた。 けれど、一緒にいるうちにいつか啓太君のことを忘れて少しでも僕のことを好きになってくれればよかった。 要さんもそれに応えようと必死に努力していた。 それはやがて彼の精神的な負担となっていったのかもしれない。 啓太君のこと以外にもいろいろとあったに違いない。 ところが彼にはその心の内を相談できる相手がいなくなってしまった。 それはそうだ。 啓太君のことが忘れられずに苦しんでいるに違いないのに、僕に相談するわけにはいかないのだから。 あんなになるまで要さんの心は悲鳴をあげていたことに。 もっと早く気付けばよかった。 「天野先生、何ため息ついてんの。 」 そう声をかけて隣の席に座ったのは同じく内科の安藤という医者だった。 僕の一つ上で、要さんと同い年だ。 何かと面倒見も良く、前からお世話になっている先生だ。 「ため息なんてついていましたか、僕。 」 「ついてた。 ったく、俺のさわやかな食卓を辛気臭くするなよ。 」 「わかりました。 気をつけます。 」 「よろしい。 ・・・で、女か?」 安藤先生は味噌汁をすすりながら僕に視線を合さずに聞いてくる。 「まぁ、そんなとこですかね。 」 「まーったく、天野先生はいつも相手の気持ちばかり考えて動くから損ばかりすんの。 これは恋愛じゃなくても同じ。 少しは自分の思いどうりに動いてみれば。 」 「そうできればいいんですけどね。 」 「ま、あんま無理するなってことだ。 我慢するのはお互い良くないからな。 一度本音でぶつかりあったほうがいいんだよ。 」 「言いますねぇ、安藤先生も。 」 「そりゃまぁな、数々の経験値を積んできたからな。 」 そうだった。 この安藤という男はかなりその手の話に事欠かない人物だった。 「いいですけど、そのうち看護婦に刺されないように気をつけて下さいね。 」 僕はにっこりと笑って席を立った。 「おーっと、怖いねぇ。 優しい顔してそういうこたぁ知ってんだ。 天野先生は。 」 「聞きたくなくてもそういう話は日々聞こえてきますからね。 じゃ、僕はこれで。 」 昼食のトレーを片して俺は自分の仕事場へと歩き始めた。 安藤先生と話をして少しは楽になったような気がした。 少しでも明るい人と話せば心は救われる。 いつもより軽い足取りで階段を駆け下りた。 階段を降りきり、ロビーを通ろうとした時ふいに肩を叩かれた。 振り返ると、そこには男らしい精悍な青年が立っていた。 「啓太・・・君?」 間違いない。 要さんに以前見せてもらった写真の中にいた人物だ。 「あんた・・・天野先生っていうんですか。 ここの先生だったんですね。 」 「そうですけど。 」 「何で俺のこと知ってるんですか?要が言ってた?」 啓太君は語尾を少し荒げて僕に詰め寄ってきた。 そうだ。 要さんから話を聞いていたから僕は啓太君のことを知っていたけれども彼は僕のことは知らないはずだ。 「あなたと要さんのことは以前から知っていました。 啓太君・・・いや、西垣さんは何で僕のことを・・・?」 「見かけたことがあるんです。 あなたと要の姿を。 一度だけ。 」 「そうですか。 今日は仕事で?」 「はい。 ここの先生に用があって。 そしたら偶然見かけたものですから。 」 「それじゃあ、お仕事がんばってください。 僕は診察がありますのでこれで。 」 なんだか気まずい雰囲気になって僕はこの場を終わらせようとした。 一度上がったテンションがもう一度下がるのを感じた。 「ちょっと待ってください。 」 「何か?」 「要の・・・篠崎さんのことで。 少し話せませんか。 」 いやな汗を感じた。 要さんとのことをこの男と話したくはなかった。 啓太君と要さんをもう二度と近づけたくはない。 そういう気持ちで一杯だった。 「お願いです。 」 真剣な眼差しでそう訴えられた。 逆らうことなどできなかった。 ぼくは ずるい ほんとうは あなたを ずっと とじこめておきたいんだ.

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