大鑑 巨砲。 『日本海軍は大艦巨砲主義に固執して負けた』

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大鑑 巨砲

ご質問 「旧日本帝国海軍は大和に代表される大鑑主砲主義で有名ですが、そうなった原因はなんなのでしょうか」 は事実誤認です。 ご質問が 「全ての海軍が大鑑巨砲主義を採用したのは何故でしょうか」 なら、その答は 「航空機が発達する以前は、戦艦が海上における最大の戦力だったから」 です。 合理的な話です。 No1さんが指摘されるように、アメリカは第二次大戦開始後も多数の戦艦を完成就役させております。 多数の戦艦を建造しながら、それ以上に多数のエセックス級正規空母、インディペンデンス級軽空母、ボルチモア級巡洋艦、アトランタ級防空巡洋艦などを建造し、B29、P51、F6Fといった多数の航空機を建造する国力があってのことですが。 当時のアメリカの国力は、「アメリカ以外の全ての国の国力を合わせたもの」に匹敵するか上回っていましたので、そのような離れ業が可能でした。 アメリカが建造したアイオワ級高速戦艦は、1990年代まで戦闘力を保った状態で保管され、朝鮮戦争や1990年の湾岸戦争では艦砲射撃を行いました。 戦艦による艦砲射撃は、核兵器以外では最強の部類に属します。 アイオワ級戦艦 アメリカ以外の列強は、第二次大戦開始後は戦艦の建造を停止しています。 戦艦を建造しながら戦争を行う国力がなかったからです。 戦勝国になったイギリスやフランスは、「第二次大戦の終結後」に戦艦を完成させています。 絶版書ですが、アマゾンのマーケットプレイスで購入可能です。 「遠距離砲戦を否定」したものではありません。 イギリス海軍では、14インチ砲装備のキングジョージ5世級を「攻撃力不足」と考えており、それに続く新型戦艦として、16インチ砲搭載のライオン級4隻を建造決定し、2隻について建造を開始しましたが、第二次大戦勃発のため建造余力がなくなり、建造中止・解体しました。 ライオン級戦艦 着工したが建造中止:ライオン(Lion)、 テメレーア(Temeraire) 予定のみで着工せず:サンダラー(Thunderer)、コンカラー(Conqueror) おおむね#8さんがおっしゃっていることが正しいと思います。 個人的意見ですが、「航空機至上主義」こそ歴史的事実に対する誤認であると思います。 第二次大戦の太平洋、大西洋、インド洋、地中海、北海全ての戦役を含めても、作戦行動中の戦艦が航空機によって沈められたのはプリンス・オブ・ウェールズ、レパルス、武蔵、大和の4隻だけです(註・特殊な例としてローマがありますが)。 プリンス・オブ・ウェールズとレパルスについては大戦初期で艦艇側も対航空機戦のノウハウがなく不慣れだったことと当時の日本海軍の航空隊の練度が極めて高かったぶんを差し引く必要があります。 レイテ沖海戦では、レイテ湾を目指す栗田艦隊に米軍は猛烈な空襲をしますがそれを止めることはできませんでした。 結果として栗田艦隊はあの有名な反転をしますが、それは空襲の猛攻に耐え切れなかったゆえの撤退ではありません。 そもそも、戦艦の装甲は我々の想像以上に堅く、当時の急降下艦上爆撃機が搭載した250~500キロ爆弾では致命的な損害を与えることは不可能でした。 250キロ爆弾に至っては装甲が厚いところに当たれば損害を与えることすらできませんでした。 あとは大型爆弾を水平爆撃するしかありませんが、これで作戦行動中の戦艦に命中したという記録は私が知る限りはありません。 ドイツの誘導爆弾フリッツXがイタリア戦艦ローマを一撃で撃沈していますが、これは1. 5トンという常識ハズレの大型爆弾ですし、イタリア軍のダメージコントロール能力は極めて低いものです。 同じくフリッツXが命中したイギリス海軍のウォースパイトは沈没しませんでした。 ちなみにウォースパイトは1913年に進水したという超熟女艦です。 プリンス・オブ・ウェールズとレパルスはいうまでもなく雷撃で沈められており、大和、武蔵も直接に息の根を止めたのは雷撃でした。 つまり、戦艦は喫水線下に穴が空けられないと沈まないのです。 ひるがえって空母というのはとてつもなく脆弱なものです。 エンタープライズという不沈艦もありましたが、空母戦には特徴があり、基本的には相打ちで終わるということです。 空母は甲板は当たり前ですがフラットで装甲もほとんどありません(大鳳やイギリス空母を除く)。 おまけに航空機用燃料、爆弾、魚雷など燃えたり爆発したりするものをわんさと抱えているのです。 ミッドウェーのように、たった1発の爆弾が作戦不能になるほどの大ダメージを与えてしまうのです。 大型空母と戦艦の排水量がほぼ同じであることに注目してください。 空母はとてつもなく脆弱な存在なのです。 さらに、戦艦は基本的に戦艦にしか沈められることはありませんが(例外・意外に潜水艦にやられてますが)、空母は単独ではあまりに脆弱なので駆逐艦を始め時には戦艦までが護衛についてやらねばなりません。 さらにさらに、ずっと後のフォークランド紛争ではアルゼンチン海軍の空母は悪天候のために航空機を発艦させることができませんでした。 かように、空母の運用というのは難しくてリスクが大きいのです。 航空機至上主義というのは、現代でいえばミサイル至上主義みたいなものでしょうか。 核ミサイルがあれば通常兵力は要らないというのは暴論の極みですよね。 しかし、もしかしたら第三次世界大戦は核ミサイルのみの戦争であり、後の人から(もし人類が生き残ることができれば、ですが)「なぜ当時の人はミサイルを軽んじて通常戦力を保持したのか」といわれるかもしれません。 日本には必然的に大艦巨砲主義をとらざるを得なかった事情がありました。 1・米英に比し保有する海軍力を制限されていた。 この為質的に優秀な軍艦が必要となる。 2・当時世界的に大艦巨砲主義が海軍の主流でこれに対抗する必要から同じ思想をとらざるを得なかった。 3・それまでの海戦で戦艦の耐久力は認められていた。 4・日本の防衛には海軍は重要で、英国は40センチ砲より38センチ砲に傾いていたし、アメリカはパナマ運河による制約で艦の大きさを制限せざるを得ない為主砲の口径を制限せざるを得ない事情があった。 これに対抗するにはより大きい主砲で遠距離より砲撃出来ることがのぞましい。 この為大和級は46センチ砲を積むことになった。 5・戦艦の建造には5年以上の時日が必要でこの間の思想の変化、技術進歩は適用不能である。 これらの結果が大和級の大艦巨砲主義となった理由です。 雑多な書き方になりますが 1 真珠湾攻撃まで航空戦力が戦艦に対抗できると思われていなかった 2 信頼性のある魚雷 航空魚雷・水上艦とも が第二次大戦開戦時、日本 酸素魚雷 しかなかった 3 戦艦対戦艦が海戦の決着をつけると考えていた 4 ワシントン海軍軍縮条約により、日本は戦艦の保有数を約7割に制限されていた 5 保有数制限のため戦艦1隻が確実に勝つための戦術を考えることになりアウトレンジ攻撃、命中率の向上、発射速度の向上、砲一発あたりの威力の向上を考えるようになり、主砲口径が大きくなった 大和級戦艦 戦史・戦術を研究しているところは一般には聞きません もしかしたら防衛大学ぐらいではないでしょうか 図書館などで、潮書房の「丸」という雑誌などを参考にしたほうがいいと思われます 日本においては水雷戦隊の台頭もあるのですが、一番大きい航空兵力への転換です。 また、戦艦と空母は相反する存在ではありません。 制空権がどれだけ重要かなんて、二次大戦始まる前から世界中で研究していますし、世界中が知っています。 大勢として大鑑巨砲主義に至っていなく、大鑑巨砲主義者であっても制空権を軽視しているどころか重視しています。 つまり、敵制空権下で動くことなんて想定してないし、ナンセンスと思っているのです。 大艦巨砲主義に至ったいないので、原因も無ければ、有力な説も存在しないでしょうね。 参考となる書籍として、学習研究社「日本の航空母艦パーフェクトガイド」「帝国海軍艦上機・水上機パーフェクトガイド」などがよろしいかと思います。 蛇足ですが、日本人の自慢であるマレーの話においてチャーチルの回顧録を読んでも、「航空機で戦艦が沈んじゃった、超ショック」とは書いていませんしね。 (沈んだことがショックであり手段は何でも構わない) 何故なら、イギリスは欧州戦線で独伊空軍の空襲で艦艇の損害を蒙っており 例えばヤルタの戦いでQE級2隻が大破 、航空機が危険な存在であることはすでに 勿論WW2前から 知っています。 いろいろと原因はあります ・日露戦争の日本海海戦での戦艦の大活躍 ・東郷平八郎が長い間、海軍最高顧問(元老的位置)として君臨 ・大艦のほうが予算がたくさん取れて官軍の存在感が増す ・外国よりも大きい大砲を持つことが安心感につながる ・飛行機の攻撃力の無さと信頼性の無さ(当時の技術では) ・飛行機はガソリンなど維持費がかかり貧乏国日本には荷が重い などなどですね しかしながら、根本的な原因は「人事」です 大艦巨砲主義を叫ばなければ「出世本流」に乗れないと いうことです へたに 航空機優先 など言おうものならたちまちにして 海軍省や海軍軍令部などの中核組織からはずされてしまいます それが怖いので、「航空機有利」を気づいていた人でも それを口に出せないということです 結局は「戦艦に乗り」「航海仕官か砲術仕官」しか最高幹部に なれないわけですから、そんな軍人ばかり集まっている ところでは「大鑑巨砲主義」しか存在できないわけです さらには 海軍の顧問(退役した元将軍たち)のなかには、日露戦争を 経験した人が多いですし、将官クラスの人事はこの人たちが 決定したりしますから、この人たちにとって耳ざわりの良い ことを発言しておくことも大佐から将官へ出世するためには 大事なことであるわけです 数少ない航空機派の山本五十六大将と大西滝次郎中将は 海軍幹部ではありますが、中央組織(東京)ではなく、現場司令官 という位置です(法的には海軍大臣・軍令部長の部下) ある意味では、中央から遠ざけられて敬遠されていたと いうことになります 山本の部下で航空機派の源田実も海軍一の頭脳と言われながらも 少将になれずに大佐止まりになっています まず、大鑑巨砲主義の前提となる遠距離砲戦思想ですが、きっかけは第一次大戦のユトランド沖海戦でした。 ドイツ側が仕掛けた遠距離砲戦(当時の想定の倍、2万メートル)において、横からではなく上から飛来する大落角砲弾に対し、戦艦の側面装甲が役に立たない事実が判明しました。 その後、各国とも遠くへ飛ばせる主砲の開発に躍起となり、巨砲を乗せるための大鑑が必要になりました。 日本もその動きに乗ったわけです。 日本では「乗員に猛訓練をほどこし、精神力で当てる」という必勝の信念があったようですが、現実に太平洋戦争で発生した諸々の海戦において、異常なほどの命中率の低さを歴史に残す結果となりました。 なお、遠距離砲戦において弾着を視認するのは困難なので、必要とされたのが航空機です。 大鑑巨砲主義と空母建造は当初セットだった点も指摘しておきます。 作れない国は他に活路を見出すしかないわけですが、そういう国はまぁ空母も作れませんからたいてい雷撃に走ります。 飛行機や小型艦の雷撃 魚雷 強化が戦艦の価値低下につながります。 戦艦は、自分の砲のサイズに耐えられる装甲を持つのが基本です。 また、艦体が大きいと発射の反動も抑えやすく、大きな砲が積めます。 大きな砲は威力も大きく、反動が押さえやすいためより遠くまで飛ぶし、精度も上がる。 小型艦で大砲を撃つと揺れで精度が落ちる つまり、ライト級を相手にしたヘビー級格闘家のような戦いが可能です。 速度が遅い欠点がありますが、戦艦の制海は「沈まない最強の大物がドンと居座っていること」が重要で、 小回りは艦隊に随伴する駆逐艦などがいます。 当時、一次大戦などを受けて空母の必要性は認識されていましたが、 それは必ずしも戦艦の必要性を否定するものではまだなく。 索敵への有用性や、機動打撃自体は認識されていたものの、戦艦の優位を覆せることは二次大戦まで実証されず 他の方の回答にもありますが、軍人は保守的です。 平時は戦時にかなわないことを一番知っています。 そして戦時の失敗は敗戦につながります。 ゆえに実戦証明 Combat Proven を大きく考え、契機なしに方針を変えません。 そして次に、戦艦の価値は政治的にも重要であったこと。 戦艦は一兵器の枠を超えた国家のステータスで、外交上の発言力から違います。 艦載機を含む空母保有も評価はされていましたが、力の象徴「戦艦」は別格でした。 持てる国の自負も含め そして、政治価値のベースでもありますが、世界で数カ国しか建造運用できないほどの、その一隻の値段の高さ。 大枚叩いて買った戦艦を多数持つ国が「やっぱ戦艦は駄目です」となると過去の判断が問われかねません。 大艦巨砲が否定されるようになったのは、この撃沈劇と日本の機動艦隊運用が発端であり、 後世からみておかしいと思うことも当時は通説ということは多々あります。 それはそれとして、日本海軍が航空優勢も失い敗戦色が濃くなってからも戦艦に走った背景には、 守勢に立つと「航空機は防御力がない」いうジリ貧さもあったと思われます。 「操縦者個人の技量によるところが大きい」という点も重要で、 既に航空機の熟練操縦者が減っていましたから、どんどん飛行機は落とされるのです。 大量生産体制の弱い日本が、米国と同じ土俵での勝負になったらどうしようもありません。 活路を見出すには、速度や、質、頭脳など、数以外の部分で勝負しなければいけません。

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企業の話)大鑑巨砲時代の終焉。これからは、収益性の高い機動力のあるチーム及びチーム連携による強力な組織の時代:吉政忠志のベンチャービジネス千里眼:オルタナティブ・ブログ

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ニコンからキヤノンに乗り換えて1年半ぐらいでしょうか。 確かに軽くて、歩き回って撮るのに丁度良いです。 と言ってもレンズ単体で2. 35Kgありますけど。 京都のハヤブサを撮りに行った帰り、大砲に戻ることを決意。 8以上とのこと。 確かにサンニッパでも価格は60万近くするので、価格的には大物なんですが、取り回しに苦労する事は無いので大砲とは呼ばないんでしょう。 しいて言うなら3. 2kgの軽量化ぐらいですね。 なので600mmを購入する予定でしたが、運悪くメーカーの供給が間に合っていない様子。 確かに量産するレンズでもないし、前玉はニコン同様、職人さんの手磨きだと思われます。 結局、待つのが嫌で、ゴーヨンを暫定購入しました。 暫定ですがキヤノンのゴーヨンは軽くて写りも良いので、気に入ってたんです。 このままゴーヨンで良いかなと。 しかし、ニコンが2015年に500mmと600mmのリニューアルをかけました。 取り回しが楽になったからかフィールドには600mmが一気に増えました。 130万もするのにね(笑) いざと言うときは手持ちもOKですし。 よく野鳥の標準レンズは500mmと言いますが、質量的には標準レンズは600mmになったんじゃないでしょうか。 到着した600mm。 500mmよりも一回り大きくなる事は承知でしたが、長さ8cmの差はやはり大きいですね。 トランクケースの大きさは同じでした。 中の凹み部分が変わるだけ。 家のクローゼットのレイアウト変更も必要なく(ここ大事)、500mmのトランクケースが有った場所に突っ込むだけでOK。 ニコンのレンズバッグCL-L2は、中身のクッション材を全て取り払ってジャストフィット。 飛行機移動もこれまで通りでOKです。 後は、ゴーヨンよりシビアになったブレ対策。 アメリカに部品をオーダーしているのですが、メーカー欠品中のようでショップからの発送すらまだ。 これから鳥枯れの季節に入るので別に遅くてもいいかな。 秋になったらロクヨンでこっちだ。 robinさん、サンヨンじゃなくて、ちゃんとロクヨン持ってきてくださいよ(笑).

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