いとも た やすく 行 われる 十 三 歳 が 生きる 為 の お 仕事。 熊本弁一覧表(熊本の方言)

読書短評「か」行

いとも た やすく 行 われる 十 三 歳 が 生きる 為 の お 仕事

読書短評「か」行 か カーター・ディクスン カーター・ディクスンは、ディクスン・カーの別名義。 密室トリック推理小説の巨匠の名作。 たまには古典も面白い。 〔2001・9・23(日)〕 カーター・ディクスン、別名義は、ジョン・ディクスン・カー。 密室不可能犯罪小説の巨匠。 このトリックは、なるほどと納得。 分かってみれば、謎でもなんでもなく、理路整然としている。 読んでいて謎を解こうとするならば、事態をよく把握して、よーく考えなければ無理だ。 どういう結末なのか知りたくてガンガン読み進んでいると、自分で考えるヒマなんかない。 もっとも、考えても分からないと思うけど。 〔2002・8・21(水)〕 海道龍一朗 真田信繁(幸村)、九度山脱出から、大坂の陣までを描く。 ちょうどNHKの大河ドラマも同じ物語だったので、お話が同じところ、違うところ、よくわかった点も面白かった。 〔2016・12・12(月)〕 垣根涼介 垣根涼介は初めて読んだが、おもしろかった。 4月から9月は、テレビドラマ「あまちゃん」にハマって、本来の読書タイムである電車通勤帰りはツイッターで「あまちゃん」関連の情報を見ていたことが多く、読書なんざ、するひまがなかった! そろそろ読書もやるべ!ってことでがす。 Amazonにある紹介文。 「私はもう用済みってことですか!?」リストラ請負会社に勤める村上真介の仕事はクビ切り面接官。 どんなに恨まれ、なじられ、泣かれても、なぜかこの仕事にはやりがいを感じている。 建材メーカーの課長代理、陽子の面接を担当した真介は、気の強い八つ年上の彼女に好意をおぼえるのだが……。 恋に仕事に奮闘するすべての社会人に捧げる、勇気沸きたつ人間ドラマ。 山本周五郎賞受賞作。 真介の仕事を通して、リストラ対象になった人たちの、それぞれの人生も描いていく。 新しい世界に飛び込むか、それまでの会社にしがみつくか、リストラは人生の転機だよね…。 自分自身も、リストラとは言わないが、似たようなことはあって、やはり仕事が変わるというのは大きなこと。 その転換点で、人がどう考えて、どう行動するのか、いろんな場合があると思うけど、この物語は、そのいくつかの例を見せてくれる。 でも、重たくなくて、読みやすいのがいい。 真介にしても、ちょっと軽そうに見えながら、他人の人生を左右するポイントに立ち会う仕事を、まじめに考えているのが好感がもてる主人公。 この著者の作品としては軽めなものらしいが、ほかの著書もチェックしてみてもいいなと思えた。 〔2013・10・30(水)〕 確率の問題は、わかったような気に一瞬なったが、よくわからない。 数学的な頭がない私である。 坊主と武芸者と、真面目な光秀のトリオで描いたのも面白い。 〔2016・5・31(火)〕 角田光代 映画を観たあとに原作を読む。 これが逆だと、あとから観る映画が物足りなく感じられることが多い。 「空中庭園」も、観てから、読む。 で攻めてみた。 婦人公論文芸賞を受賞した原作。 映画を観てから原作を読むと、どうしても映画の出演者のイメージが読んでいるうちにも頭に浮かぶが、それも良し。 隠し事のない幸せ家族を演じる、ひとりひとりの心のうちを、えぐり出す。 1章ごとに語り手が変わり、娘、夫、妻、おばあちゃん(妻の母)、夫の浮気相手、息子の順で、語られていく。 映画では、おばあちゃん、夫の浮気相手、息子については、原作ほど詳しくは描かれていなかった。 おばあちゃんや浮気相手の過去のことは、映画にする際には省いても支障はないだろう。 ただ、原作では、息子はこういうふうに考えていたんだなあ、と知ったのは面白かった。 映画では、彼の考え方はよく分からない。 映画は原作とは別物として見るほうがいい点が多いが、このように、映画と原作で違っているところを知るのも楽しいものだ。 こちらの原作を読んでみると、映画のほうは、道の先に救いを、光明を示しているのが、はっきりと分かる。 映画の脚本を書いた監督でもある豊田利晃の、もしかして心のうちが見えるようなラストだったんだなあと改めて思う。 妻とその母親の関係は、怖くて悲しいところがあるが、その他は、実際にあっても全然不思議じゃないと感じた。 家族といっても、それぞれ違う人間なのだから、考えることだってバラバラなのは当たり前。 みんなが何かに迷っているけれど、それほど、ひどいものではないように思えるのだが。 〔2005・10・21(金)〕 フリーター生活。 図書館で見かけて借りた。 角田さんは、小泉今日子さん主演の「空中庭園」を書いた人で、私には(こちらから勝手に)親しみがもてる作家なのだった。 「雑文書き」で生計をたてている34歳の女性。 同棲相手は仕事を選り好みして現在失業中。 エアコンも壊れて、税金も滞納、公共料金の支払いも苦しい。 彼女ひとりに生活費の負担が、のしかかる。 そんなある日、ケータイに入った、知らない男からの電話に彼女は応えてしまう。 エアコン、あるだけ、いいじゃん。 うちは、ないぞ。 壊れたら買い換えてるんだから、ぜいたくじゃないか?(笑) お金がないと先行き不安で、閉塞感が生まれてきがち。 でも、明るく生きたいよね。 ぐだぐだ言わずに、なんとかしてみようよ。 はい、がんばろっと。 〔2011・1・12(水)〕 角田光代、三好銀 いただきものの本。 1本の映画からインスピレーションを得て、角田さんは文章を、三好さんはマンガを。 映画の本数は23。 マンガのほうは、どこが映画とつながってるのかわからないのもあったな。 〔2015・6・16(火)〕 カズオ・イシグロ 「わたしを離さないで」「日の名残り」の作者、デビュー作にして王立文学協会賞受賞作。 訳者あとがきによると「理想などとは無縁のまま薄闇のなかで手探りでうごいている」「薄明」などと表現されていて、雰囲気としては、そんな感じ。 日本の戦後、ある女性たちの生き方を描いていて、原文は英語なのに、うまく訳してあるとも思った。 〔2018・10・10(水)〕 ガストン・ルルー 最初は、長ったらしくて分かりにくい文章に閉口した。 昔の海外文学に、たまにあるような(といっても、それほど読んでいるわけではないので、断定はできないが)、やたらに修飾的な文をくっつけて、ややこしくする感じ。 読んでいて、何がいいたいのかわからなくなって、頭に入ってこなかった。 たとえば、こんな文章がある。 「幽霊はまったく姿を見られない場合でも、滑稽な、または不吉な出来事によってそれがいることや通りすぎたことを知らせており、ほぼ全員の心をとらえていた迷信がそうした出来事を幽霊のせいにしていた。 」 どうも、向こうの人(海外の人)って、こういう点で見るとどこか、思考の働く経路が違うような気がしないこともない。 日本人なら、絶対に言わないような言葉使いとか、出てくるでしょ。 訳の問題なのかもしれないが。 たぶん、原文にかなり忠実に訳しているのだろうとは思う。 でもまあ、こんな文章でも、だんだん慣れてくるけれど。 ルルーは昔「黄色い部屋の謎」を読んでいるが、どんな文章だったのか覚えていないな…。 映画を観たあとに原作を読む場合、話が分かっているので、ストーリーに、あまり新鮮味はない。 どうしても、映画と、どこがどう違うのかが興味の中心になってきてしまう。 映画のクライマックスはシャンデリアの落下場面だが、ルルーの原作では、その場面は、真ん中へんよりも前にある。 本では、後半は、ペルシア人とラウルの地下での冒険なのだ。 ペルシア人…映画には出てこなかったね。 それに支配人たちが、現金の入った封筒が消える謎を解き明かそうとするところ。 あとずさって歩いたりして、この2人は、まるでピエロ役。 映画では、こんなに目だってなかった。 怪人が起こす不思議な現象は、原作ではすべて説明がついている…のかな。 私が買ったのは、創元推理文庫版だが、角川版あたりのほうが、読みやすい訳になっているのかも?〔2005・3・17(木)〕 風野真知雄 もらった本。 信長が本能寺に泊まった理由、光秀が軍勢を起こした理由の解釈に「なるほど」と思っていたら、後半は、びっくり!? 先に紹介文などを読んでしまったら、そのへんの面白さが前もって分かってしまうので、目に入れないほうがいいし、本の帯でも、中身をバラしすぎ。 (私は本編読後に帯を読んだ。 )〔2017・5・18(木)〕 門井慶喜 NHKで1月2日、3日に放送する。 テレビでは原作の中から、上水づくりと金貨づくりを取り上げるらしい。 読みやすくて、さくさく進む。 江戸、ひいては東京はこのように整備されていったんだなあと、関係者には敬意を表したくなる。 ただし、原著のほうは野獣の正体がわかったあと、ものすごく説明的で長々と続く。 ディズニー版とは違うのだろうと思う。 〔2017・3・9(木)〕 亀井俊介 岩波新書である! 岩波にマリリンである! まあ、岩波がなんぼのもんじゃいとも思うが、やはり、すごいことかもしれない。 亀井氏はアメリカ文学の教授である。 著書も多い。 先日お会いできるかというチャンスがあったが、残念ながら、であった。 本書は、マリリンの生涯、マリリンの言葉、ノーマン・メイラーとマリリンについて、日本人とマリリン、の4つの章から成る。 第2章では、有名な「シャネルの5番」などなどの彼女の言葉から分かるマリリンの頭の良さ、機知に富んだ受け答えを実証して面白い。 また、セックス・シンボルといわれた彼女だが、その考えかたは、まるでいやらしいところはなく、じつに自然に、人間らしく、「愛情」というものを信じ、欲し、愛しているのだと読み取れる。 第3章はマリリンの伝記も書いたノーマン・メイラーを、マリリンと並べて論じているが、著者がアメリカ文学研究者ということもあるのだろう。 普通の人からすれば、メイラーがどうだって、どうでもいいのであって、少々、文学論ぽくて、あまり面白くない。 (すいませんです。 でも率直な感想) 読んでみて、いちばん心に残ったのは、マリリンは、人間の「生」の美しさを見せてくれた人なのだなあ(これには、もちろん、いろんな意味を含む)ということだ。 〔2003・8・12(火)〕 タイトルは、ノーマン・メイラーがマリリンとヘミングウェイのことを、「2人のアメリカでいちばん美しい人だった」と述べたことによる。 亀井さんは、アメリカ文学・文化を研究している著名な大学教授。 岩波新書から、以前私も読んだ「マリリン・モンロー」という本を出している。 マリリンが好きな人なら、たとえ教授といえども、タメ口でお話ししたいような親しみが湧く(笑)。 カバー写真が綺麗。 赤いドレスを着てジャンプする写真(1959年)。 立てかけて飾っておきたいくらい美しい。 白黒だが、本文にも写真が多くて、興味深く見た。 内容は、まずマリリンの人生を振り返ってから、アメリカでの雑誌、小説、アートで、どう取り上げられたか、そして日本ではどうだったか、を書いている。 日本でのマリリンの章では、スズキシン一さん、まつもとよしお先生、前澤さん、そして某喫茶店のことまで載っていて、読んでいて嬉しくなる。 心あるファンは、マリリンが頭がよかったことを知っている。 自分を高めるために努力したことを知っている。 「…フェミニストたちは男性支配の時代に女の『自立』を目指した先達の姿を、彼女に見出したはずである。 」と著者は書く。 1950年代に自立に苦闘したマリリンが、フェミニズム、女性解放の先駆だったというのは、そうか、なるほど、である。 人間として、いっしょうけんめいに生きた、ひとりの女性の姿を、文化の面から考察した、素敵な本。 〔2005・1・28(金)〕 今年初の読書。 スタートを飾るにふさわしいマリリン本! 著者は、亀井俊介・保坂治夫・桐ヶ谷まり・小川剛史・松本良夫・前澤ヨシコ・渡邊真由美。 トップ記事に置いたりして、以前にも紹介した本。 知っている方々が文章を書いている部分もあるので、読んでいて興味を引かれて楽しい。 小川さんの文では、とくに、アンディ・ウォーホルについて書かれたところが、さすが美術関係を勉強されただけあるなあと感じた。 私はウォーホルのマリリンは、それほど好きではないが、芸術的な価値や位置づけを知ることができた。 そして、知らない方のマリリン論だから新鮮、という意味でも、桐ヶ谷さんという方の文章が印象的だった。 「セルフ・プロデュースの天才」という項なども、おもしろかった。 『マリリン・モンローの生き方は、そのままラブレターだった。 』なんていう一文も素敵。 執筆者紹介を見ると、エッセイストとある。 じゃあ、文章がうまいはずだよ、と納得。 マリリンを語る本を執筆中、ともあるので、それは楽しみだ。 多面的なアプローチをしているので、出演映画については、6作品しか語るスペースがなかったのが、多少惜しいような気がする。 とはいえ、年譜や出演映画一覧もあるし、読みやすく、マリリン入門編としてもいいのではないかと思う。 〔2010・1・24(日)〕 川上未映子 ウェブページの「純粋悲性批判」のプロフィール写真を見て、なにまじこれ作家なん、なんかええ女やんと、どぎまぎした結果、本借りて読んだのです。 まあ、その写真が色っぽく撮れまくりやないかという話でもあるわけでして、しかしそこで、純真な男子の心わしづかみ戦略の成功は目も当てられないほどの鮮やかさをもって遂行されておりました。 読んでみたら、なんやわけわからん女の妄想頭誇大症のような思考が、ずらんずらんと並んどって、どうなっとるんか訳がわからんようになりつつも、すっかりスピード読書しはったのが電車の中ですやろから速いのは当たり前のことですよ。 ところが、どんどんどんどん読んでいったゆき止まりには、ああ、そうか、そういうことやってん、なんと悲しき。 と合点がいったとともに意外なことに、まさかの泣き態勢と化してしまったのでした。 ただのいいかげんな文章がつながってきたんやなかった。 著者の考えがわかった気がしたのです。 あくまで気ですが。 歌手から作家へと華麗な展開、本作は芥川賞候補にもなり、才能なんかどうなんかは、もっと読んでみんことにはわからへんかもしらん。 「歯ー」はher(彼女)に掛けてあるんやと、あとから気づいたのでした。 〔2010・11・15(月)〕 川瀬七緒 タイトルでそそるではないですか。 読んではいけないという書には何が記されているのか。 行方不明人捜索の依頼。 続編あり?〔2019・7・29(月)〕 川名澄(翻訳)、アーサー・ラッカム(絵) アリとキリギリス、街のネズミと田舎のネズミ、ウサギとカメ、北風と太陽、金の斧、1本の薪は折れるが3本の薪は折れない、狐とコウノトリと細長い水差し…。 これもイソップにあるのか! と思いましたよ。 〔2018・6・12(火)〕 川原みなみ Jリーグ在籍の韓国選手へのインタビュー、韓国のお友達との座談会、韓国のグルメガイドなど、みなみちん大活躍。 〔2002・4・9(火)〕 川本三郎 取り上げているのは、エリザベス・テイラー、ヴィヴィアン・リー、デボラ・カー、フランソワーズ・アルヌール、アリダ・ヴァリ、ジーナ・ロロブリジタ、ヴァージニア・メイヨ、ローレン・バコール、シルヴァ・コシナ、ドリス・デイ、ドロシー・ダンドリッジ、パイパー・ローリー、ミレーユ・ドモンジョ、ナタリー・ウッド、キャロル・ベイカー、マリア・シェル、エリナー・パーカー、ジェニファー・ジョーンズ、ジーン・セパーグ、レスリー・キャロン、スーザン・ヘイワード、ジェーン・マンスフィールド、アニタ・エクバーグ、スーザン・ストラスバーグ、ジャンヌ・モロー、グロリア・グレアム、キム・ノヴァク、シャーリー・マクレーン、ジョーン・コリンズ、キャサリン・ヘプバーン、テレサ・ライト、ヒルデガルト・ネフ、クリスティーネ・カウフマン。 マリリン・モンローさんは数回、話の引き合いには出されるけれど、取り上げてくれていない。 女優のきれいな写真を見るだけでも楽しい。 〔2017・9・7(木)〕 北野圭介 以前よりも日本映画に興味をもつようになって、さて、外国では日本映画が、どんな目で見られてきたのか、それを知りたい気持ちが出てきた。 そんな今、図書館で見つけた本。 著者は、現在、新潟大学助教授。 本書は、タイトル通り、アメリカで大きく話題になってきた日本映画、監督を紹介している。 1952年にアメリカで公開された「羅生門」。 言わずと知れた黒澤明監督の作品が、アメリカにおける日本映画の始まりといえる、という。 「羅生門」がヴェネチア映画祭で受賞した作品だというのも、映画自体に、一種の格のようなものを与えたのかもしれない。 さらに話は、ルース・ベネディクトが書いた有名な、日本文化の研究書「菊と刀」にも触れたりする。 その後、溝口健二の「雨月物語」や、ふたたび黒澤明の「用心棒」「天国と地獄」、小津安二郎の「東京物語」、大島渚の「愛のコリーダ」、伊丹十三の「タンポポ」、そして、宮崎駿の「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」、大友克洋の「アキラ」といったアニメ映画までを語っていく。 「羅生門」や「雨月物語」などのときは、アメリカの映画評は、この目新しい日本映画を、どのように捉(とら)えていいのか戸惑っていたようで、アート系劇場にぴったりの作品、などとも言われていた。 読んでみれば、なるほど有名どころの映画や監督が多く並んでいるなあ、という印象。 面白そうな作品が、どんどん出てきている現在の日本映画界。 外国にも、たくさん紹介できるといいと思う。 〔2006・12・25(月)〕 北原尚彦(翻訳) 全24編の、シャーロック・ホームズ・パロディ&パスティーシュ集。 パスティーシュというのは、模倣することだそうで、パロディではないんですね。 ミルン、マクドナルド、バークリー、ベントリーなど、著名な作家の作品も。 みんな、ホームズが好きなんですねえ。 〔2015・8・1(土)〕 北村薫 北村薫さんの「謎物語 あるいは物語の謎」のなかに、読書論、また評論家論といえるような文章があった。 引用させていただく。 「作品はそこにあっても、それを読むのは個々の読者なのである。 名探偵は《あなた》なのだ。 実りは読者の内にある。 」 「読む」を「観る」に、「読者」を「観客」に替えたら、映画の話ではないか。 「たとえば、太宰の《トカトントン》を読んで、何も見えない人に向かい、『トカトントンはハラホロヒレである』といってしまうのが評論家ではないか。 そのおかげで何かが見え、『ああ、そうか』という人が出て来る。 すると、別の評論家が『いや、あれは断じてハラホロヒレではない。 ガチョーンである』と演出するのである。 」 こちらも、映画の評論家と読み替えても通るだろう。 読む人に新鮮な視点を提供できる、映画の感想が書ければ、すごいことだけれど。 〔2001・6・9(土)〕 北村 薫さんの「リセット」を読んだ。 戦前のドイツ映画「会議は踊る」でリリアン・ハーヴェイが歌った名曲「ただ一度だけ」が重要な意味を持って登場する。 この映画、高校のときに観たが、また観たくなった。 〔2001・7・16(月)〕 ひさしぶりに北村さんの本。 図書館で見つけて、さっそく読了。 中編3本が収められているが、本のタイトルになった話の中には、やっぱりチャップリンの「街の灯」が登場しているのでした。 舞台が昭和7年(1932年)だから、チャップリンとか「モロッコ」とか「巴里の屋根の下」とか、トーキー全盛、とか話題に出てくる。 本作は、女子学生が主人公なので、著者がデビューした「空飛ぶ馬」に始まる「円紫さんと私」シリーズと、なんとなく手応えが似ている。 主人公の花村英子は、社長の娘。 女子学習院に通っている。 華族のお嬢様が大勢通う学校ですね。 庶民とは違う立場にいる。 英子の運転手として新しく採用されるのが、別宮(べっく)みつ子さん。 英子がちょうどサッカレーの「虚栄の市」を読んでいて、その本に出てくる人物ベッキーと別宮さんがシンクロしてしまう。 英子は別宮さんを「ベッキーさん」と呼んじゃうのであった。 北村さんの小説でお馴染みのパターンで、登場人物たちの日常のお話を語る中で、ちょっとした謎を解決する趣向。 銀座の時計塔のことも出てきた。 当時は服部時計店だったんだね。 夜になると道沿いに屋台がずらっと並んだとは知らなかった。 銀座は、よく歩く場所なので、興味深かった。 さて、ベッキーさんだが、ただの運転手じゃない。 ただ者でないところを、ちらっと見せるけど、続編では、もっと正体が分かってくるんだろうなあ。 巻末に著者インタビューが載っていて、なるほどと思った部分。 北村さんの作品の主人公は、凛とした女の子が多いが、設定にこだわりがあるのですか、と聞かれて… 「やっぱり抽象性を持つんじゃないかな…女性っていうのは。 兄弟も男でしたし、男子校に通いました。 ですから女性というのは、私にとっては、なにか遠い存在なんですよ。 わりと私の書くものは寓話的なところが多いと思います。 ほとんどの作品が寓話と言ってもいい。 何々の女神とかいう言いまわしがあるけれど、そういう象徴としてのなにものかを託して書いているんですね。 」 北村さんの作品のヒロインは、そういう感じ。 うん、分かるような気がする。 〔2005・4・2(土)〕 この本はサイン本である!(自慢) 八重洲ブックセンターで、北村薫さんのサイン会があった。 それで行った… わけではなく、行けなかったのだが。 北村薫とサインされた下には、本のタイトルをもじって、硬貨の形に「ニッポン硬貨の謎」と書かれた朱印が押されている。 …凝ってる。 エラリー・クイーンは、著名な推理小説家。 本格ミステリの雄である。 作家と同名の探偵が活躍する作品には「ローマ帽子の謎」(1929年)に始まる国名シリーズがある。 北村さんはミステリ好きで、クイーンの大ファンだった。 本作は、クイーンの未発表の原稿が見つかり、それを北村さんが自分で訳した、という形をとる。 もちろん、ウソである。 そこまで創作しているのだ。 ストーリーは、探偵クイーンが日本に招待されたとき、ある事件に出くわして、それを解決するというもの。 北村さんは、たとえば、外国の小説を翻訳したときの、少し、たどたどしい感じを、わざと出す。 そしてこれが、いかにも、クイーンの文章を翻訳したときの訳文っぽいのだ! そして、たとえば、絵本の説明をする場面で、本文では、「桃源郷から流れてきた果実の中から生まれた、超能力を持った少年となる。 何者をも倒す魔法の武器を持ち…」などと書き、脚注のところで、「『桃太郎』のことだろう。 」と、やらかす。 面白い。 内容は本格ミステリ風の謎であるうえ、形式にも凝っているのだ。 「シャム双子の謎」の作品論を展開するところなどは、その作品を読んでいないと、じゅうぶんには分からないし、ネタばれ注意にもなるのだが、とにかく読む。 クイーンのミステリにおいては脚注も仕掛けのうちなのだ、という論は、その論が書かれている、まさに、この本作にも通じているのだ。 すべてが作り事の世界…。 クイーンへの愛情を込めたパスティーシュ(パロディとは違う意味での模倣作品)の名に偽りはない。 ミステリファンなら、より楽しめるマニアックさ。 そのへんが唯一、この作品の弱みといえば弱みだろうか。 クイーンと一緒に行動するのは、北村作品らしく、今回も、うら若き女性。 女子大生の小町奈々子だ。 そのモデルは、戸川安宣さんのあとがきによれば、若竹七海さん(やはりミステリ作家系です)なのだそうだ。 「かたりめたち」と読みます。 物語を語る女たち、ですね。 さまざまな女の語る話17編。 読んでいて、去年の12月から今年の1月にかけて読んでいた、岡本綺堂の怪談コレクション3冊(「影を踏まれた女」、「白髪鬼」、「鷲」)を思い起こした。 綺堂の上記3冊は、怪談という名前がついてはいるが、「不思議な話」程度のものも多く、そうした小品を集めた構成と「語り女たち」は似ていると思ったのだ。 辞書から消えた文字、ストーリーが違う「走れメロス」、ラクダが描かれたビンの不思議、眠れる森、河童の子孫の話、などなど。 「夏の日々」という父と子の話は泣けるし、ある細工を好きな人の本にしてしまう話は着眼点の見事さに感心する。 変わったプレゼントをくれる彼氏の話では、かつての北村さんの「円紫さんとわたし」シリーズにあったような、ふと微笑んでしまう、ちょっとした機転のきいた出来事といった印象も。 ラストの、梅の木と少年の話も、なんともいえず美しい夢物語。 北村さんの優しさや透明感などの持ち味が出た、文学作品。 この作家の特徴を知る手段としても、おすすめ。 〔2007・7・5(木)〕 なにげない日常、さりげない友情、人のつながり、去ってゆく(去らざるをえない)者、見送る(見送らざるをえない)者…。 久々に読んだ北村さんの小説だが、あたたかい視線が懐かしく心を温めてくれた。 悲しくもあるのだけど。 読んでいて、女性アナウンサーが「がん」(?)になることと、彼女の友人2人との友情、というところで、以前NHKでドラマになってるな、と気づいた。 見なかったけれど、予告は見た覚えがある。 調べてみると、2007年12月に3回連続のドラマになっている。 資料的な意味で載せておくと、 石川千波:沢口靖子 水沢牧子:松田美由紀 日高美々:高木美保 鴨足屋(いちょうや)良秋:瀬川亮 日高玲:森田彩華 水沢さき:寺島咲 日高類:佐野史郎 といったキャスト。 そうか、沢口さんか。 もっと、おばちゃんっぽいのを想像していたけど、アナウンサーだから、美形であって、もっともだ。 男に友人へのプロポーズをけしかけるなど、行動力を発揮することもある女性で、高木美保さんというのもイメージに合う感じ。 けっこう重要な娘役で、森田彩華さん、寺島咲さん。 彼女たちの演技は見たことないけど、やはりイメージ的にはよさそう。 原作は、朝日新聞夕刊で2005年から2006年にかけて約半年、連載された。 泣かせるけれど、ただ、泣かせようというのではなくて、哀しいだけではなくて、なんだか前向きな感動もある。 人って、誰かとの関係、友情で、どうってことない出来事を覚えているもの。 そういうことを実感させられた。 何が記憶に残るのかなんてわからない。 くだらないことが、ずっと頭の奥に残るのかもしれない。 でも、ささいなことでも、それが、その人にとっては、宝物のように大切な思い出になる。 忘れられない誰かとの思い出になる。 だから。 生きていることに無駄なことなどないのか。 それが楽しくても悲しくても、どこで、どんな思い出が生まれるのか、わからないのだから。 〔2010・7・18(日)〕 2005年に読んだ「街の灯」の女子学生と運転手コンビの続編。 それぞれに、ちょっとした推理を含む3編。 最後の転落事件は少し大がかり。 〔2016・1・3・(日)〕 直木賞受賞って、正直驚き。 6回目のノミネートだったというから、そろそろいいかな、というのもあるのかもしれない。 失踪事件、獅子事件(?)、不思議写真事件の3編で、最後には歴史上の大事件で終わる。 シリーズを通して兆候は見せていたが、戦争の時代がひたひたと忍び寄り大きくなっていく怖さの余韻。 〔2016・1・19(火)〕 キャロル・ネルソン・ダグラス 黒猫ミッドナイト・ルーイが探偵ということだが、ほとんどは広報担当の女史テンプル・バーのお話。 コージーミステリ・シリーズの第1弾。 次作は図書館で見かけたら借りてもいいかな程度。 〔2016・4・21(木)〕 京極夏彦 「続巷説百物語」を読み終わりました。 相変わらず面白かった。 WOWOWで何回か放送したことがあるせいで、読みながら、そのときのキャストが頭の中で行動していた。 でも、このシリーズ、最後がこれで完結したように終わってるので、ちょっと寂しい。 〔2001・10・9(火)〕 そう、あたしも見ましたよ、テレビで放送した「七人みさき」。 この「続」の後半には、そのお話の原作、北林藩にまつわる事件が書かれてまさァね。 他と比べると、ずいぶんと長い話ですな。 前の話の「飛縁魔」の登場人物が引き続いて出てきますし、これは大作ですよ。 ひとつの藩に対しての大仕掛け。 前のほうにある、ふたつの話は、治平さん、おぎんさん、それぞれの過去とかかわる事件を見せてくれて、興味を引きます。 あたしゃ貸本屋ですが、これだけの本の厚みを、ものともしない面白さ。 これは、見過ごせませんね。 同じ京極夏彦さんの作でも、京極堂シリーズのほうは、ペダンチック(学問・知識をひけらかすようなさま)なところが難しい点もありますが、こちらは読みやすいこと、このうえないわけで。 又市、治平、おぎん…愛着がわいてくるってもんです。 あたしは、うらやましいですよ。 あの方たちとお知り合いだなんて。 それも、ご一緒に仕掛けをなさったんだからねえ。 たとえ住む世界が違うといっても、悪をこらしめる働きぶりは、なんとも魅力的でさァ。 ええ、そのうち、次の御本も読ませていただきますよ。 「新巷説百物語」、直木賞をとったものですね。 貸本屋のあたしが、どうして読んでないかって…それは言いっこなしにしておきましょうや。 ね、百介先生。 〔2007・9・14(金)〕 で連載されていた、多々良先生シリーズに、書き下ろし1本を加えたもの。 妖怪好きの凸凹コンビが、行く先々で、妙な事件に遭遇する。 ちっとも名探偵じゃないのに、なぜか事件が解決してる。 書き下ろし編では、なんと、憑物落としの拝み屋、京極堂こと中禅寺秋彦まで登場するじゃないかッ! そういえば、京極堂シリーズの「陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)」は、いったい、いつでるんだッ! 何年、次作予定に載ってることかッ!〔2002・3・12(火)〕 うぶめのなつ、と読む。 読んだのは2回目。 1994年に発表された、京極氏のデビュー作。 事件の展開を妖怪話になぞらえた、おどろおどろしさの魅力と、薀蓄(うんちく)か詭弁(きべん)かも分からなくなってくるような怒涛の弁舌。 古本屋&陰陽師の京極堂こと中禅寺秋彦や、超能力探偵の榎木津、頑固でこわもての木場刑事、売れない作家で欝傾向のある関口など、キャラクターも面白い。 心と脳の関係、命とは何か、どこに存在するものなのか、時間とは何か、などの論は、ほんとにそうなんじゃないかと思うほどの説得力あり。 謎の中心にあるトリックも驚くべきもの。 すごく心理的。 ほんとに面白い。 〔2003・6・25(水)〕 デビュー作「姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)」に続いて読んだのは、順番通りに第2作。 これも読んだのは2回目。 文庫で1060ページもあるから、もう大変。 分厚いし。 帰りの電車の中でしか読んでなくて、1回50〜60ページ程度しか進まないから、そりゃあ、20日くらいかかるわな。 乱歩か夢野久作か、なんて風もあるか。 しかし、陰陽師・京極堂の謎解きは、妖怪のごとき情念の世界だけでなく、科学の領域もしっかり持ちこみ、論理的でもある。 魅力的なキャラクターも揃って、やはり、たいそう面白い。 実際、こんなに長いのに詰まらなかったら、耐えられんぞ。 〔2003・7・15(火)〕 京極堂のシリーズの読みなおしで、これが3作目。 最初に読んだことを、ちっとも覚えていないのは情けないが、覚えてないから謎解きがもう1回味わえる。 複雑な気分じゃ。 最近やっと新作「陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)」が発売されたが、ひととおり読みなおしてから新作へ行くか。 2作目の「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」でも思ったが、とても論理的で、パズルがカチッ、カチッとはまっていくような解決。 今回は、それほどややこしくない(ように思えるけど)。 ダブルのトリック。 宗教から、フロイトやユングの精神分析にまで話は及び、髑髏(どくろ)をめぐって人間が振り回されて、右往左往する。 登場人物が相変わらず個性的で面白いのが、このシリーズのよさ。 〔2003・9・8(月)〕 むうう、すごい。 禅宗のことについては、この本をじっくり読めば分かるのではないのだろうか。 一読しただけでも、なんとなく分かった部分もある気になっている。 やたら難しい本を読まなくても、ミステリを読んで「禅」が分かるなんて、お得だろう。 文庫では解説に似たようなことも書いてあるが、まさにそう思う。 「数ある宗教の形の中で、殆ど唯一、生き乍(なが)らにして脳の呪縛から解き放たれようとする法が禅なのだ。 」 これには唸りましたね。 京極堂のシリーズは、これまでに、「脳」の仕事のことについても触れてきている。 そうしたところに、脳の呪縛なんていう言葉が来たものだから、おお!と思うのも無理はないかも。 迷いや悩み、頭に生じたものを何でも、ただ受け流す。 「無」というのは、そうした境地なのかもしれない。 脳の呪縛に囚われずに受け流すのだ。 この著者の頭の中は、いったい、どんな作りになっているのか。 何年も、こうしたことを考えているのかな。 文庫で1360ページ。 帰りの電車でしか読まなかったから、ほぼ1ヵ月もかかったわい。 〔2003・10・13(月)〕 前作は禅の世界が舞台だった。 今度はキリスト教、しかも女学院だ。 しかも私の田舎、房総が舞台だ! 女学院だから、女学生の学園生活も垣間見えて、青春ものの趣も、ほんのちょっとだけ、うかがえる。 その学園で事件が連続する。 一方では、猟奇的な目潰し殺人魔の一連の事件を、前作は管轄外で登場の機会がなかった、おなじみコワモテの、東京警視庁・木場刑事が追う。 この2つの事件が絡むが、すべての登場人物は、見えない真犯人に踊らされている。 誰が何をしようと、たとえ京極堂が出張っても、犯人がめぐらせた罠は間違いなく進行する。 途中の変化はあっても、たどりつく結果は変わらないのだ。 自分は直接手を下さない。 安全な場所にいる。 からくり、の面白さ。 今回はフェミニズムの問題も取り上げて、あいかわらず、壮大に、綿密に、構築された世界を繰り広げる。 この「からくり」、なんとなく分かったが、まだ、あやふやだ。 結論を知ったうえで、あらためて読みながら、図表でも書かないと、すっきりと分からないかもしれない。 〔2003・11・12(水)〕 これは「塗仏の宴 宴の始末」へ続くもので、まるで「マトリックス リローデッド」のような存在。 (違うか) 6編の話から成り、いかがわしげなインチキ宗教もどきには気をつけろ、みたいな話が連続する。 善良な人間を、惑わせ、操るところが、いってみれば、妖怪じみているかもしれない。 各話は、京極堂の妹・敦子が主人公だったり、「狂骨の夢」で印象的だった朱美が主人公だったり、「絡新婦の理」の茜が主人公だったりで、バラエティに富む。 宴の仕度は整った。 さて、これから、どう始末をつけますか。 〔2003・11・28(金)〕 これだけ多くの登場人物を巧みに操り、大きな絵図を仕上げていく、京極夏彦。 まったくもって脱帽である(帽子はかぶってないけど)。 自分は何者なのか。 自分というものが、いかに、もろいものであるか。 だから逆に、それぞれの人間というものは、大切で、いとおしいのではないか。 〔2003・12・13(土)〕 ネタばれになるので書けないが、どうして犯人がそう考えるか納得がいかない。 状況が極端だからOKにしたのかもしれないが、やっぱり、そんなのは変だと思う。 (読んでないと、意味がさっぱり分からないと思うけど。 )〔2003・12・31(水)〕 調査も捜査も推理もしない。 ただ真相あるのみ! 眉目秀麗、腕力最強、天下無敵の薔薇十字探偵・榎木津礼二郎が関わる事件は、必ず即解決するという。 探偵を陥れようと。 「下僕」の益田や本島らに仕掛けられた巧妙な罠。 榎木津は完全粉砕できるのか? 天才の行動力が炸裂する『五徳猫』『雲外鏡』『面霊気』の3編。 以上は、本のカバー解説そのものだが、紹介のために引用させてもらいました。 京極堂シリーズでも異彩を放つ探偵、榎木津が主役の中編集。 この人、他人を見れば、その人の記憶が視覚的に見えちゃうという異能の持ち主。 だから、真実が一発で分かってしまうことが多いのだ。 傲慢不遜、普通の人間は、下僕扱いの、メチャクチャなキャラクター。 けっきょく、京極堂も、榎木津の関わる事件の渦中に引っ張り出されてしまうという、腐れ縁とも言えそうな、いいコンビ。 笑えるところも、いっぱい。 (ばかばかしくて?) なにしろ、キャラクターが最高、トリック、薀蓄(うんちく)もあり、相変わらず、楽しませてくれます。 招き猫の由来が興味ある話だった。 右手を挙げてるのが金運じゃないかという感じだが…宝くじ売り場の猫は左手を挙げてるなあ…。 うちのキリ番猫も。 〔2004・7・22(木)〕 ルー=ガルーとはフランス語で、夜間、狼に化けてさまよい、悪事を働く伝説上の怪物。 ユニークなのは、近未来の設定のアイデアを、ネットや雑誌で読者から募集して、それを物語に盛り込んだということ。 14〜15歳の少女が連続して殺される事件が起きる。 21世紀半ばの世界は、週に1度のコミュニケーション研修の他は、ほとんど他人と接触しなくてもいいような暮らし。 モニタや端末などが必須のアイテムの、バーチャルな世界だ。 殺人事件に巻き込まれて活躍する4人の少女が、生き生きと描かれていて面白い。 カウンセラーの女性と、体制(警察)側から弾き出されそうになっている警察官も味方だが、2人は事件解決の点においては脇役に過ぎない。 前半は、近未来のさまざまな様相が語られたりして寄り道しているが、まさしく半分ほど進んだ後半から、話は急展開、がぜんアクションづいてくる。 どんどん読んでしまう。 京極さんらしく、この本も分厚いが、思ったよりは読みやすい。 たまには短くてビシッとしたのも書いてほしいけど。 〔2004・8・16(月)〕 「嗤う伊右衛門(わらういえもん)」につづく、京極風の怪談。 面白い!! 本作は、山本周五郎賞を取っている。 幽霊の役をやらせると絶品という役者、小平次。 だが、他の役はまるで駄目、あげくに破門されてしまっている。 存在感が薄く、普段は押し入れにこもって、ふすまの隙間から世間を覗くばかり、という何とも変な人物。 そんな男に、奥州での芝居興行の話が持ち込まれる。 しかし、その話には何か裏があるらしい…。 元ネタは、山東京伝の「復讐奇談安積沼(ふくしゅうきだんあさかのぬま)」であるらしい。 巻末の「関連文献」を見ると、鶴屋南北、式亭三馬、河竹黙阿弥、といった有名な名前が並んでいて驚いた。 じゃあ、けっこう有名な話なんだ? 関連文献リストには、鈴木泉三郎「生きている小平次」というのもあって、このタイトルは聞いたことがあるなあ、と気がついた。 映画にもなっていたのだ。 登場人物たちの多くは、反応を示さない、感情を表さない、この幽霊みたいな存在の男が理解できず、不安になり、自分の心を覘かれているような気にもなるのだろう。 果ては、まるでそこに自分の弱さの鏡を見るように、恐れ、おののき、怒る。 物語の中に、他の京極作品の、「あの面々」が登場してくるのも面白い。 なるほど、そういうふうに使えるか。 小平次の妻、お塚が、なんとも格好いい女である。 彼女もやはり、小平次に覘かれていることに苛立ちながら暮らしている。 (一応は夫婦の形だが、覘き覘かれ暮らしているだけ、これはなんという異常な状態なのだろう。 ) 小平次のことが嫌いだ嫌だ、憎いのだと言いながらも、どこかで、そうでもない空気が窺える。 それにしても、お塚の啖呵は痛快だ。 一例をあげると… 「さっきから聞いていりゃぐだぐだと、己勝手なことばかり。 少しは気骨があるかと思うた妾(あたし)の見込み違い、安達多九郎、小平次に勝るとも劣らない痴れ者だよ」 「荒神棚が聞いて呆れる。 お前なんざ吊っちゃ落ち吊っちゃ落ちの役立たず、荒神様も落っこちて竈(かまど)の灰被りだわえ。 …」 かっこいい…。 惚れるぜ。 他にも、この文章などは、どうだ。 ヤレ芝居道楽の色狂い、舞台の立役に横恋慕、金に飽かして搦め捕り、躰に飽かして溺れさせ、終に寝取ったのじゃという噂。 …(もっと続きます) まるで芝居か歌舞伎か、というような、ぽんぽんとしたテンポのいいセリフのやりとりも素晴らしく、(単行本だというのに、)場が変わるところで、幕までも降りるのである! 小平次の周囲の野郎どもは、じたばたするばかり。 それも悲しく読者の心に沁みる生き方なのだが。 くらべてみれば、最後には、お塚は、生きる覚悟が違ったのだ。 もしもそんなふうに彼女に言ってみたところで、たぶん、「そんな小難しいこと、妾にゃわかりゃしないよゥ」と言われそうだ。 変わっちゃいるが、大層、見事なラブストーリーである。 〔2005・2・13(日)〕 四角い本でございます。 しかも分厚いですな。 この厚さ、さすがに京極本だけあります。 読み終わるのに、どれだけかかるかと読む前には多少構えてしまいます。 ところが、読んでみると、これが大層面白うございます。 まるで落語かなにかのような語り口調でございます。 この文章も、ほんの少しばかり真似しているのでございますが。 そこへもってきて会話文が多いのでございます。 とくれば、これはもう、すいすいと読めますな。 お話は、愛嬌いっぱい、その姿を見れば思わず笑ってしまうような妖怪、豆腐小僧が、行く先先で、様様な妖怪に出会います。 鳴屋(やなり)、達磨(だるま)、化け猫、狸、狐、轆轤首(ろくろくび)に見越し入道。 まるで妖怪バラエティでございますな。 みんな、キャラクターにぴったりの大活躍で、にやにや笑ってしまうユーモラスなところも多多ございます。 消えてしまう妖怪なのか消えない妖怪なのか。 豆腐小僧は自分が消えるのを怖がっております。 はたまた、自分には家族はいるのだろうか。 知りたがっております。 そういう、いわば自己存在、アイデンティティに悩む豆腐小僧でございますな。 妖怪は人間が作り上げたもの、というのが本書の根本思想と言えましょうか。 人間が「感得」しなければ、妖怪は出てこないのでございます。 ああ、怖い、ここにお化けがいるんじゃないか、と人間が想像して初めて、お化けが出るのでございますな。 とにもかくにも、妖怪、お化けに興味が少しでもあろうというお方なら、なおさら楽しく読めること請け合いの1冊でございます。 題名に「ふりだし」とありますが、どうやら続編もあり得るようで。 」とありますな。 分厚い本を、ようやく読み終わったと思えば、これが道中の始まりだったのでございます。 〔2006.1.27(金)〕 「じゃみのしずく」と読みます。 ドラマ「トリック」で大家さんとワケありのジャミー君とは違いますね。 あ、ジャミー君をご存知なければ問題ありませんので。 京極堂(中禅寺)の憑き物落とし、さて今回は、どんな活躍を? 探偵・榎木津の縁談相手の家から次々に断りの返事が来る。 しかも、ある家では娘が亡くなっている。 探偵助手の益田と、どういう因果か知らないが巻き込まれ型の典型である、作家の関口が、この事態を探りはじめる。 一方、前回の事件で降格人事を受けて交番勤務の青木は、ある事件に関わり疑問を抱き、突っ込んだ捜査を開始する。 印象としては、この青木や益田が今回の主役に近い。 ただ、終盤に京極堂が出てきて事件の解説に入ると、どうしても彼が中心になるが。 途中までは、どういう話になっているか、つかみにくいこともあったのか、あまり乗り気でなかったが、中盤からは、俄然面白く読めるようになっていた。 しかしながら、怪しい人物たちの精神構造が、馬鹿すぎる。 人を殺すということの意味について、よく分かっていなかったりするのは、そういう人間もいるかもしれないが、読んでいて腹立たしい。 加えて、常人には理解しがたい行動をとる、頭が弱いような男も出てくるしねえ。 そういう奴らがいなければ、話が成り立たないのだろうけれど…。 事件の構成としては面白い。 犯人、動機。 手段としては、少し無理があるかもしれないが、悪魔的な力を得たときに、人間がどうなるのか、に思いを馳せたときに、これは恐ろしい。 京極堂の「うんちく」、今回は「書評」についてが面白かった。 関口が自分の小説に対する評価を気にするのだが、京極堂は一蹴する。 ちょっと引用してみる。 『読書に上手いも下手もない。 読む意志を持って読んだなら、読んだ者は必ず感想を持つ。 その感想の価値は皆等しく尊いものなのだ。 書評家だから読むのが巧みだとか、評論家だから読み方が間違っていないとか、そんなことは絶対にない。 良い評論と云うのは慥(たし)かにあるんだが、それは論ずるのが上手というだけだ。 …(後略)』 つまり、こうして書いている、この文章だって、論ずるのは下手だが、尊いものなのだ。 (と自分で安心してみる。 ) そして、著者の京極夏彦さんが気にする必要はない。 読んだ私が思ったことを書いているだけなのだから。 ましてや、この文章の読者は、『ああ、なる程ねと思えばいいだけのこと』である。 この考え方は、映画の感想の場合にも、そっくり当てはまる。 面白キャラである、木場と榎木津の出番が少ないのは、ちょっと残念。 捜査一課の山下さんが再登場で、以前と比べて、しっかり頑張っていて好感が持てた。 事件の主な舞台となる大磯・平塚地区では、特別版カバーで限定販売されているとのこと。 御行とは、行者のような格好で鈴を振り、魔除けの護符を売り歩く者。 小股潜りとは、甘言を弄(ろう)して他人を謀(たばか)る、というような意味。 御行の又市、事触れの治平(ことぶれのじへい)、山猫廻しのおぎん(やまねこまわしのおぎん)による大仕掛け。 事触れとは、鹿島神宮のご託宣を触れ回ること。 山猫廻しとは、義太夫節を語りながら片手で人形を操る女傀儡師。 傀儡(かいらい)とは操り人形のことである。 依頼を受けて、悪党をこらしめる彼らの活躍は、異種の「必殺仕掛人」? はたまた、「スパイ大作戦」のようなチームプレーをも思わせる。 彼ら3人も、元はといえば悪党だが、なんの因果か人助けに転じているのだ。 この3人に、諸国の怪異譚を聞き集めるのが趣味という物書き、考物の百介(かんがえもののももすけ)が絡んで、物語は進む。 考物とは、子どもたちがする謎々のようなもの。 それを考えるのが百介の今現在の本業だ。 「絵本百物語」の妖怪をテーマにして物語が作られている。 中禅寺(京極堂)たちの活躍するシリーズとは、また違った魅力が一杯の、江戸時代を舞台にしたエンタテインメント小説である。 京極夏彦の、ストーリー展開の上手さには、感心するほかない。 衛星放送のWOWOWでドラマになり、2000年は4話を放送。 又市に田辺誠一、治平に谷啓、おぎんに遠山景織子、百介に佐野史郎という配役だった。 私はこのシリーズを2話ほど観ている。 2005年と2006年には、それぞれ1話。 堤幸彦の監督で、又市に渡部篤郎、治平に大杉漣、おぎんに小池栄子、百介に吹越満。 2003年、中部日本放送などで13話のアニメにもなっているようだが、これは関東では観るチャンスがあったのだろうか。 〔2007・8・29(水)〕 以前、岡本綺堂が書いた「影を踏まれた女」、「白髪鬼」、「鷲」の感想を書いたが、本作もそれに似た感触。 怖いというよりも、不思議な話。 前書きにもあるが、これは江戸時代に書かれた「耳嚢(みみぶくろ)」の中から怪しい話、奇妙な話を京極さんが書き改めたもの。 原文もついている。 たとえば最初の話は、ある人が、夜道で何かがうずくまっているのを見る。 戻ってみても何もない。 だが、彼は熱を出して、しばらく伏せってしまった。 というもの。 また、「小さな指」という話は、頭痛に悩む男のために、知人が頭痛に効くという霊験あらたかな神社に代参する。 男は激しい痛みで気を失うが、小猿が2匹現われて彼の頭を、もんだりさすったりする。 気持ちがよくて頭痛は止まり、そのとたん目が覚めた。 代参に行った男にその話をすると、その神社には猿の描かれた額がたくさん飾ってあった、という。 私もけっこう頭痛があるので印象に残った。 お参りして、猿に治してほしいものである。 (笑) そんな、ちょっとした話が、たくさん入っている。 原文だと面倒な「耳嚢」を、分かりやすく読ませてくれるのは意義があるだろう。 〔2008・10・30(木)〕 ちょっとした怖い系の想像力や、夢的なものに影響された心象風景みたいな? 京極さんでは、先日「旧怪談(ふるいかいだん)」という本を読んだが、その現代版のような印象も。 妙に記憶に残っているのは、ベッドの下に何かがいる話。 ただ、いるだけで悪さをしない。 なにこれ? けど、なんだか嫌でしょ。 怖いんだか何だか、よく分からない気分なのも、あとを引く。 …そして、手首を拾ったからといって、だから何というのでもないのです。 ただ、そうなのです。 淡い夢の狭間なのかもしれません。 怪談専門誌「幽」の連載に、書き下ろしを加えて単行本化。 八つの幽(かそけき)談(はなし)。 怪談というほど、はっきりしたものではないもの。 人間の精神って、不思議だなあ。 〔2009・5・6(水)〕 こっ、これは! くだらない。 くだらなさすぎる!(笑) という、ほめ言葉が似合うであろうか。 カバーと扉のイラストは、しりあがり寿である! カバーに描かれている、さえないオヤジが、主人公の南極夏彦である。 著者の名前に激似である。 ギャグである。 この本の中の一編、赤塚不二夫のイラスト入りで書かれた「巷説ギャグ物語」によれば、著者が『ギャグ漫画があってギャグ小説がないのは納得いかん』というので、生まれた作品のようだ。 各編のタイトルもパロディで、「宍道湖鮫」「ガスノート」「探偵がリレーを」などと、ふざけている。 「こち亀」30周年を記念したコラボレーション企画で、秋本治がイラストを描いた一編もあり、ばかばかしいながらも豪華な一面も。 (笑) また、古屋兎丸の描く女の子には、まったく萌えそうである。 (爆) 本の装丁が、ものすごい。 各編ごとに、本文が一段組になったり、二段組、三段組になったり。 同じ二段組でも微妙にレイアウトが違ったりする。 書体も変わる。 太字もある。 用紙も変わる。 一冊の本の中で、数種類の紙が使われている。 漫画まである。 もっとも注目すべきは、「しおりひも」。 これが4本もある。 黒3本に白1本。 これは、主人公の「簾禿げ(すだれはげ)」のイメージに違いない! 残り少ない頭髪を、すだれのように頭の前に垂らしている、その様子を、ほうふつさせるではないか! しかも、1本は、白髪(しらが)だ! なんと、ばかばかしく豪華な仕様! だいたい、4本も使うか? 一冊を4か所同時に並行して読み進めるヤツがいるだろうか! ことほどさように、凝りに凝って、凝りすぎなのである。 京極さんは、こんな馬鹿馬鹿しい話も書くのである。 みじんも真面目に構えてはならない。 ばっかでー。 と、ゆるく笑いながら読もう。 〔2009・7・8(水)〕 「番町皿屋敷」の怪談を、京極さんの解釈で、小説に! 「嗤う伊右衛門」「覘き小平次」に次ぐ、日本の有名怪談のアレンジ再生小説の第3弾。 おもしろかった。 京極堂のシリーズのように「うんちく」がないから、ストレートにグイグイ読める。 (いや、うんちくがつまらないというわけではない。 ) 毎度の分厚い本も、なんのその、もっと厚くたって、すいすい読めるのである。 番町更屋敷について、発行元の中央公論新社の特設サイトの説明をひくと… お菊は、「四谷怪談」のお岩と並んで知られる「女ゆうれい」。 岡本綺堂による戯曲「番町皿屋敷」で有名になった皿屋敷伝説は、実は全国に伝わっています。 バリエーションは多々ありますが、十枚揃いの家宝の一枚を割った罪で惨殺された「菊」という名の女中が、投げ込まれた屋敷の井戸の縁に夜な夜な化けて出て、「一枚、二枚...... 」と九枚まで皿を数え、「一枚足りない」と恨めしげに呟く...... という怪談を、なんとなく知っている方は少なくないでしょう。 『数えずの井戸』も、それらの伝承と同様、彼女が井戸端で皿を数えるようになるまでを描いています。 京極さんの話からも少々。 「…井戸の周りを二人の男女がぐるぐる回っていて、回っているうちに分身の術を使って数が増えちゃって(笑)、いったい何人いるんだと数を数えるんだけど数え切れない、そういう話ですからね…」 「…登場人物のほとんどが同じ人物の複写…」 物語は、主な登場人物を「数えること」をどう感じているのかを交えながら紹介していき、(上記の京極さんのコメントを考えれば、)欲と無欲、憎しみと無垢、狂気と正気など、表裏一体の人間の多面性を描きつつ、最後の怒涛の終末へとなだれ込む。 〔2012・12・18(火)〕 ちょっと難しげな学術的な話も出てくるが、妖怪好きの熱気充満。 民俗学者の柳田國男にも時々触れていて、でも本人の著作を読んでみないと実際にはどんなものかわからないなあと思う。 わが地元の物語である「里見八犬伝」をほめてくれているのは、うれしいです。 〔2015・3・26(木)〕 1作目の事件がどんなものだったか、まったく思いださないが、支障はなかった…。 女の子たちの個性がくっきり。 しかし、長い。 でも、おしゃべり部分などを削ったら、つまらないのかも。 〔2016・2・20(土)〕 本屋の主人が、あなたには、この本がよろしいでしょうと、本をすすめる相手が有名人なのがオチというか。 連作シリーズ化。 〔2016・11・6(日)〕 清田予紀 清田さんの本は、とにかく何か読んでみたかった。 なぜなら、ネット上での知り合い、ブロガー友だから。 著書のなかで、映画に関するものがあったので、それをチェック。 1995年の本ですね。 心理学の目を通して、いろんな映画を語っている。 映画というものは、人間を描くことがほとんどだから、これすべて心理学といってもいいわけで、清田さんが書かれているように「心理学が理論書なら、映画は心理学の実践書」みたいなことになる。 映画「スピード」で、「異常な状況で結ばれた2人の恋は長続きしない」というのは、映画のなかでサンドラ・ブロックとキアヌ・リーブスの間で交わされていた会話なので、私も覚えていた。 たとえば、会社で同じプロジェクトにかかわって、ともに頑張った、という場合なども、男女仲良くなりがちだよね。 客観的に、頭を冷やしてみたら、どうなのか、が肝心か。 「人をほめる場合は曖昧な表現を使うこと」なんて言葉もあった。 あいまいな表現をされると、人は自分に都合のいいように解釈することが多い、というもの。 そうか! 覚えておこう!(笑) などなど、「ヤマアラシのジレンマ」という面白い用語があったり、聞いたことがある「ピグマリオン効果」「PTSD」、もちろん「プロファイリング」といった言葉も出てきた。 心理学といっても、まったく難しげではなく、そのうえ、映画が好きな人には、そちらの興味でも気軽に楽しめる本。 〔2009・3・4(水)〕 相手の腕を触りながら話をする (…うん、彼女または彼に対しての効果はあると思う!) …などなど。 ブロガー友だちで、ときどきお会いする清田さんの著書。 いろんな場面での心理術を、ふわ〜りふわりと気軽に読ませて教えてくれる。 あなたは、どう使い分けますか?〔2013・10・11(木)〕 ネットで知り合って、たまにお会いもしている著者自身から新作をいただきました。 いろんなネタが大量につまっていて、さすがによくご存じだなあと。 ひとつだけ挙げておくと、手を洗うと決断に自信が持てる、というのは何となくわかる。 洗ううちに気持ちが落ち着くんじゃないかなあ。 〔2017・1・24(火)〕 知り合いですので、いただきものの本です! いつも、ただ読み申し訳ございません。 豆知識が満載です。 〔2017・7・6(木)〕 桐ヶ谷まり 本書のカバー絵は著者によるもの。 著者の桐ヶ谷さんは、お会いしたことはないが、日本マリリン・モンロー クラブの会員さんでもある。 本の発行日がマリリンの誕生日の6月1日で、私の手元に届いたのも6月1日だった。 なんだか、すごい。 マリリンに人生を影響される実際の例を、これほどはっきりと読むのは初めてかもしれない。 桐ヶ谷さんは、16歳の夏に、映画雑誌のマリリン没後十年特集号に出会う。 そのなかの、(マリリンが)睡眠薬のビンを片手に死んでいるところを発見される、といったタイプの女の子だった、という記述に、自分と同じだと思い、そのマリリンが後に大統領の式典に出席するほどになったことに驚く。 『出発点が同じなのだから、それなら、私もがんばれば、何者かにはなれるのかもしれない』(『 』内は本文引用。 以下同じ) 自分の人生に強く関連づいた人物なのだから、それはもう、特別な存在になるのは納得。 『マリリンが今でもこれほど多くの人に愛されているのは、この人の世の、淋しさと温もりの両方を、あの体をいっぱいに使って教えてくれたからではないだろうか』 というところは、感覚的に大いに共感した。 そういう表現はいいなあと。 淋しさと温もり。 マリリンは本当にそれを感じさせる人。 マリリン90歳のときを想像して描写したシーンは、私もそうあってほしいなあと思うような理想。 世界中のファンの夢かもしれない。 「バス停留所」の話は長く書かれていて、マリリン演じるシェリーの相手役「ボー」(私のハンドルネーム)の名前もたくさん出てくるので、なんとなくうれしい。 桐ヶ谷さんは、児童学を学んでいて、「田口理論」というものを紹介している。 それによると、2歳ごろまでに重要なのが密着型の育児。 マリリンの場合、その時期には里親のアイダ・ボレンダーにかわいがられていたと推測している。 『見られて、見つめ返して、とりこにする』 『目を閉じた顔がこれほど雄弁な女優も珍しい』 なども印象的なので書き留めておく。 〔2016・6・6(月)〕 桐野夏生 タイトルからすると、中国の歴史物かと思ってた。 ちょっと違った。 読みは、「たまらん」じゃなくて「ぎょくらん」です。 え、分かってるって? 時は1920年代から現代まで、場所は中国の上海、広東と日本を舞台にして、いくつかの男女の愛のゆくえを描く。 夢か幻のような、伯父の幽霊との邂逅。 残された玉蘭。 現実ではない、夢の世界の場面がぴりりと効いている。 人が生きていく限り直面する、異性との関係。 自我を持った者同士が対するから、関係が破綻することもある。 ほんのちょっとした出逢いが、それからうまく運ぶこともある。 ひとつの出逢いがあれば、ひとつの終わりがある。 大事なのは終わりに至るまでの過程だ。 桐野夏生さんの、クールで冷徹とも思える人間観察は好きだな。 ある意味では、北村薫さんのあったかさとは対極のイメージかもしれない。 どっちも好きな私は、いったい何?〔2001・11・6(火)〕 桐野さんの小説の登場人物は、なにかしら、物事に心をとらわれながら生きている人が多い。 (つまり屈託があるということ) すっきりしたハッピーエンドは思い当たらない。 とてもクールな印象。 他に私が好きな作家に、北村薫さんがいるが、この2人、かなり対極に置かれるような気がする。 かたや、心の底では人を信じていて、あったかい。 かたや、心の底では人を信じたくて葛藤していて、クール。 まあ、たんなる印象だけど。 「光源」は、低予算の日本映画製作にたずさわる人々の人間模様。 自分が映画の中心でなければプライドが許さない主演男優、 最近ヌード写真集を出し、この映画で女優のきっかけをつかみたい元アイドル、 自分の脚本と実際の映画進行とのギャップに悩む新人監督、 寝たきりになった有名監督の夫を抱える女性プロデューサー、 以前は女性プロデューサーの恋人だった撮影監督、などなど。 中盤、男優が撮影にヘソをまげるあたりから、がぜん面白くなった。 読了する。 が、この物語は完了していない。 それぞれの人生は続くのである。 〔2002・6・6(金)〕 図書館で見つけた。 ラッキー! 速攻で借りた。 奥付を見ると2000年6月の発行。 当時、図書館では借りようとする待ち人数が多かったから、予約もしていなかった。 女性探偵・村野ミロのシリーズで、中短編が4本入っている。 冒頭は書き下ろしで、ミロが高校生のときから付き合っていた恋人の回想。 彼女が高校生のときは、こんな娘だったんだ、という話。 いまに続く「魂の孤独感」のようなものは、この頃からすでに始まっていたと分かる。 他に、マンションの幽霊騒ぎ、新宿の中国人クラブの女の話、SMクラブの女の話。 桐野さんは「OUT」で好きになった。 人の悪意や狡(ずる)さの裏側に、悲しみや寂しさにもがいている普通の人間の姿を浮き出させる視点が好きだ。 冷たくて鋭くて締まっている。 満たされなさ。 そんな感じがいいのさ。 〔2003・8・9(土)〕 ううううん!ハードボイルド!! 村野ミロが主人公のシリーズ4冊目(のはず)だ。 桐野さんの小説は好きだが、ミロ・シリーズは、あまり覚えていない。 「ローズガーデン」は多少印象的だったが、おおむねピンとこない話が多かったのか。 だが、今回は、まさにダークである。 ハードといってもいいか。 ミロがキレて起こした出来事が、どんどん彼女を抜け出せない深みに追い込んでいく。 先のことなど知ったことか、という強烈な勢い。 周りの人間も、クセの強いヤツばかり、しかも、ぎらぎらとワルな部分が剥き出しになっている。 いい人間など出てこない。 というか、いい人間だって何かあれば、卑怯で意地悪で暗くて、なにやらべったりと濃い部分(ダーク)が出てくるよ、ということなのかもしれない。 殺し、逃亡、追跡、レイプ。 悪意、憎しみ、したたかさ。 寂しさ、悲しみ、弱さ。 そんななかでも、ミロはやはり、愛を求めている。 生き延びる戦いの日々であっても、この純愛模様は、どうだ。 ハードな人生だからこそ、安らぎを求めたいという、逆の振り幅も大きいに違いない。 ミロの男、ジンホが、また、いいのである。 「…お前を嫌いには絶対にならへん。 大丈夫や、安心し。 お前が俺に愛想尽かして逃げても、俺はお前を好きや。 万が一、離れ離れになっても待っている」 どんなシチュエーションか分からずに書いてみても、意味が完璧には伝わらないと思うが。 ジンホ、いいなあ。 こういう純な恋愛をしたい。 この終わり方だと続編が出るはずだが、これから、どうなっていくのか、すごく興味が持たれる。 しかし、ミロって変な名前。 ほんとは漢字の名前じゃないのかなあ。 美路とか?〔2004・11・2(火)〕 昼間は一流会社の社員として働きながら、夜は売春婦に変貌する生活。 あげくの果てに娼婦として殺されてしまったといわれている、いわゆる「東電OL殺人事件」を題材にして書かれた小説。 桐野さんの徹底的に冷徹な視線が、女たちの悲しく恐ろしい精神を、えぐり出していく。 百合子は性格的に、生まれついての娼婦。 売春婦の仕事中に彼女は37歳で殺される。 後日、同じく売春婦だった佐藤和恵(39歳)が殺される。 加害者は百合子を殺した男と思われた。 百合子の姉であり、佐藤和恵の女子高時代の友人だった女性が、これまでの人生を、妹のこと、和恵のことを交えて語るのが、この物語。 まず、語り手の姉からして、ひどいコンプレックスの持ち主で、美人の妹に対して敵意とあこがれを抑えることができない。 結果として、意地悪で、悪意に満ちた性格になっている。 こういう人間を描かせたら、桐野さんは冴える。 姉の語り口に、ときどき登場する「違いますか。 」という言葉の裏に隠れる、「押しつけがましさ」と「弱さ」は印象的。 いやはや、堪能しました。 また、会社員と娼婦の二重生活を送る佐藤和恵の日記の章は圧巻。 壊れていく精神が赤裸々に、ここまで書くかというほどに描かれる。 まっすぐに、素直すぎるほどに愚直に生きることしかできなかったのだろうか、彼女の生き方は、ひたすら、悲しい。 泣きたい気持ちも忘れてしまうほどに悲惨だ。 周りから彼女を見る視線を、彼女自身は得ることはできない。 自分が分からなくなってしまっているのだ。 会社では、いくら頑張っても「勝ち組」になれない。 目標にしてきたエリートの父は死に、父に依存して生きていたような母と、仲のよくない学生の妹を養わなければならない。 「何か嫌になったのね。 復讐してやりたくなったというか」 (中略)…あたしは復讐してやる。 会社の面子(メンツ)を潰し、母親の見栄を嘲笑し、妹の名誉を汚し、あたし自身を損ねてやるのだ。 女として生まれてきた自分を。 女としてうまく生きられないあたしを。 あたしの頂点はQ女子高に入った時だけだった。 あとは凋落の一途。 あたしは自分が身を売っていることの芯にようやく行き当たった気がして声を出して笑った。 (本文より引用) 限りなく落ちる。 たった3000円でも、男とやる。 街角に立ち、男を待つことの意味は何なのか。 「優しくされたい」 あたしはつぶやいてから、あれ、本当にそうだっけ、と考えている。 あたしは商売しているんじゃなかったの。 何のために、立ちんぼしているの、と。 …(後略)(本文より引用) 悲しい。 百合子の息子である百合男が言う。 僕は娼婦たちが偉い人たちに思えてならない、と。 その理由は、彼女たちが世の中とディープに関わったから。 私自身も、その意見には同意する部分がある。 娼婦を差別はしない。 なぜ、その仕事をしているのかには、さまざまな動機があるはずだが、百合男の言うように、結果的には彼女たちが体を張って厳しい世界で生きているのは事実だろうと思う。 彼女たち自身の、しっかりした責任で、そのように生きているものならば、差別することなどできない。 (百合子と和恵の違いは、この点にあるが、和恵の場合は可哀想で、これも責めたくはない。 ) 言葉が足りているかどうか分からないが、いい、悪いは別として、ただ侮蔑するべき存在とは思わないのだ。 東電OL事件が起きたとき、昼間は会社員、夜は娼婦として殺されたことを、ことさらセンセーショナルに取り上げる必要など、私は感じていなかった。 そんなことがあっても、少しも不思議じゃないと思っていたから。 ラストは、思いもよらない皮肉な展開になる。 最大限に効いた「ひねり」かもしれない。 こう来るか、桐野さん。 とことん、行っちゃうね。 素晴らしい。 事件を起こしたある宗教団体に関係した友人や、あっさりと女にいれあげてしまう祖父、百合子の売春のマネージャーになる同級生など、語り手の周囲の脇役たちも、色とりどり。 さらに、無駄に増えたページとも思えそうな、殺人犯の手記により、彼の心の中も少し窺うことができ、重層的な構成が楽しめる。 面白かったです!〔2006・8・31(金)〕 悪い心に染まった中年女アイ子の物語。 桐野さん得意の暗黒小説ですね。 娼館で育てられた少女。 娼婦たちにも虐められ、愛を知らずに育った人間の典型という感じか。 アイ子は、ホテルに勤めていたときに、事故に見せかけてお客を何人も殺しているらしい。 そして、金目のものを盗る。 全部はとらずにおくところが狡(ずる)賢い。 自分が生きるために邪魔になった者は排除する。 または、ヤバイことになったら何とか逃げようとする。 殺人鬼のようなイメージではなく、そのへんにいるオバチャンだから、一見あんまり怖くない。 自分が何をやっているのか、その罪を、意味を分かっていないのだ。 行き当たりばったりな生き方ゆえに、展開も先を読めない。 作者自身も、あ、このあと、どうしようかな、と、いろいろ考えたんじゃなかろうか。 最後のほうになって「ごめんね、ママ」というタイトルの意味が分かり、アイ子の心に後悔だか疑問だかが生まれているようで、救いはある。 さあ、その後は、どうなったのか。 「グロテスク」などのように内面描写が際立っていなくて(アイ子があまり考えていないから、とも言える)、行為を中心にストレートに描いていくので、さらりと読めてしまう。 こういう犯罪者のタイプも多いのかもしれない。 ただ、アイ子が悪い女になったのが、親の血が影響しているとされているようだが、それは少し安直ではないだろうか、とは思った。 〔2006・10・30(月)〕 図書館で見っけ! 即レンタル! のパターン。 テレビドラマや映画にもなっている小説ですね。 タイトルから想像していたのは、ちょっと飛んでる系の話かと。 だって、「萌え」だもんねえ。 ところが、まともな話だった。 いままで主婦として、たぶん平凡に過ごしてきた59歳の女性が、夫の急死によって、いきなり生活が変わる。 子どもとの相続の問題や、夫の秘密に直面していく。 男性との関係にときめいたり、友人や息子の嫁や夫の知人たちと新たな関係を築いたりするのが、魂の「萌え」といえるだろうか。 さまざまな出来事を経験していくうちに、精神的に強くなっていく59歳のヒロイン。 ラストの彼女の反応は意外で、それゆえに印象に残る終わり方だ。 普通は、そこまで大らかになれないと思うけど、それほどまでに、物事にとらわれなくなった、という表現なのだろう。 解放されたんだなあと、爽やかさを感じた。 この小説では、魂の萌え=心の成長、と受け取ってもいいのかも。 最終章は「燃えよ魂、風よ吹け」だもんね! 困難を乗り越えてきたヒロイン、どーんとこい! 行け行け! です。 新聞の連載だったようで、だから、そんなに過激なストーリーは書けなかったというか、選ばなかったのかな、と思った。 これまで読んできた桐野作品、「グロテスク」、「I'm sorry,mama アイム ソーリー、ママ」、「ダーク」などに比べたら、普通っぽい。 とはいえ、面白さは変わらず! ハードだから、ということで桐野さんの小説を敬遠している人にとっても、読みやすいはず。 いちばんスゴイ読みどころは、妻が夫の愛人を訪ねていって対決するシーン。 単行本にして17ページに及ぶ。 迫力満点! 対決といっても決闘するわけではなく(当たり前か)、話し合うんだけど、火花がバチバチ散るんですねー。 でも、相手に対する単なる憎しみではなくて、同じ男と関わった仲間意識というのか、その男を失った仲間としての同情のようなものさえ見え隠れする心理。 人の心というのは複雑ですよね。 桐野夏生さんらしく、いい人らしい登場人物に見えても、簡単には、ただの善人に、しない。 立派な人と思ったら夜逃げしたり、好意をもった男性がちょっとしたウソを言っていたり。 人間、そんなものでしょう。 まるで隠すことや引け目などのない聖人君子は、かえって気持ち悪いよね。 映画のキャストは、ほとんど知らないけど、そのうち観てみたい。 小説のイメージを引きずらないように。 〔2007・3・16(金)〕 桐野さんの小説は、やはり、その重みが止められない魅惑かも。 受験が近い高校生たちのお話。 男子高校生が母親をバットで殴り殺して逃げる。 その際、隣家の女子高生の自転車を盗み、そこに置き忘れた彼女のケータイがあったことから、その女子高生と彼女の友人3人も、彼の逃走の様子を知る。 女子高生の一人などは、彼の顔を見てみたいと、行動まで起こす。 親殺しの男子高校生の行動と行方を知ったら、警察に届けるのが普通だと思うが、彼女たちは、そうしなかった。 これは何なんだろうね。 彼女たちは、逃走を応援する気配すらある。 面白がって? 自分たちからは遠い現実で、実感がない? 大人への無意識な反抗心か。 この5人の高校生が各章で、それぞれ語り手になり、各自の性格が分かってくる仕組み。 物語は、どんな結末を迎えるのか。 桐野さんのことだから…ね。 思春期? 自意識過剰? 感受性の強さ? 未熟で軽率な行動。 大人の不適当な対処。 この話に出てくるような感情は、私が高校生当時の環境では、思いもしなかった。 受験なんて、のんきにしてたし。 住んでたのが大都会じゃなかったのも関係あるのかな。 時代も違うということか。 もちろん当時はケータイも存在しなかった。 ケータイなんて、便利だけど、持っていなければ持っていないで、ちっとも困らないはず。 みんなが共通に持ってなければいいんだよね。 とにもかくにも、若者たちは悩める存在なのかなあと。 〔2009・10・22(木)〕 著者初のエッセイ集。 ふだんの暮らしがどうなのか垣間見られたし、作家としての葛藤が予想以上に大きいのが人間的で親しみをおぼえられる。 〔2016・10・12(水)〕 桐生 操 この本、流行ったような記憶がある。 奥付を見ると、98年に出版されていて、5ヵ月の間に21刷もしている。 すげー。 前書きによれば、「…グリム童話初版の残酷で荒々しい表現法を残しながら、その奥に隠された深層心理や、隠された意味を徹底的にえぐり出して、もっと生き生きして生々しいグリム童話を、自分なりの解釈と表現法で形作ってみた」という。 白雪姫を殺そうとしたのは、継母ではなく実の母。 夫である王の愛を一身に受けた姫を見て、自分の王妃としての地位が危ういとばかりに、娘を殺そうとする。 これは父と娘の近親相姦だ。 しかも姫は7歳とある! 森の7人の小人とも、姫は夜伽の相手をする。 極めつけは、母の手にかかって死んだ姫を譲り受けた王子が「病的な死体愛好症」ときた! こうなると、本当に本当のグリム童話の初版を読みたくなる。 他には「シンデレラ」「カエルの王子さま」「青髭」「眠り姫」「ネズの木」の話がある。 フロイトみたいな性的暗示や、残酷描写がいっぱいだ。 「ネズの木」は、ビョークの映画で観ていたので、ああ、こんな話だった、と思い出した。 残酷な話で、これが「童話」かと思ってしまう。 まあ、こどもってのは残酷好きだけどね。 〔2003・2・25(火)〕 クラウディア・ネクロ タイトルに引かれて読んだものの。 つまらなかった…。 途中から、読み飛ばし。 ななめ読み。 なので、あまり語る資格もないのだが。 ノーマ・ジーンとは、マリリン・モンローさんの本名。 なぜ本のタイトルが「さよなら」なのかというと、マリリンが映画界で売れていくために、権力をもつ男どもに、肉体を提供せざるをえなかった、そういう女性搾取、被害者的な女性の象徴として彼女を見ているわけだ。 私は、もうそんな生き方はしない、男に従属なんかしないのよん、というところか。 マリリンが男に隷属していたか、そうでないかは、フェミニズムの視点などからの意見も多々あるし、決めつけるのは問題があるだろうが、少なくとも、タイトルに使うインパクトはある。 (でなければ私も手にしなかったし。 ) 即物的な男の性の欲望を、かろやかにあしらっていく女性ヒロイン、といったふうなイメージ。 ちょっと面白いなと記憶に残ったのは、男が不完全な生き物で、頭に血が集まるか、股間に血が集まるかの、どちらかしかない、みたいなフレーズ。 よくご存知で。 そういう男もいるでしょうね。 まあ、しかし、あまりノーマ・ジーンの名前を使ってほしくはなかった、つまらなさでした。 〔2008・7・16(水)〕 倉阪鬼一郎 怪奇小説家を名乗る作者は、以前は私と同じような仕事をしていた人。 小説だけではなく翻訳や俳句も、ものするという。 最初の2話は、かなりクラシックな怪奇話で、それほど怖い、というものではない。 ほんのちょっと、じわりとする感じか。 3話目が、少し派手で、たたみかけてくる迫力がある。 作者が後書きで、「よし、ここからはダリオ・アルジェントだ!」というとおり。 (ダリオ・アルジェントは、「サスペリア」などの恐怖映画で有名な監督) 最終話では、ちょっと意外な結末に。 ここまで張ってきた伏線というか疑問も解決する。 おとなしめの、正統派怪奇小説かな?〔2003・5・14(水)〕 グレアム・グリーン グレアム・グリーンといえば私には、まず、映画「第三の男」の原作者及び脚本家だ。 最近では、1999年にジュリアン・ムーア主演の「ことの終わり」が映画化されているし、2002年にはマイケル・ケイン主演の「愛の落日」があった。 後者は原題が「静かなアメリカ人」なので、去年の秋に日本公開されたのに気づかなかった…。 映画に関係する作家ということでグリーンには親しみをもち、大学でも、英語の購読でグリーンを読んだりしたものだ。 グリーンはカトリックの作家だが、それほど難しいこともなく、宗教に関することをテーマにした小説も読ませる。 この短篇集では「説明のヒント」という話が、それに当たる。 少年が、ある男に聖別されたパンを盗んできてほしい、と誘われる話だ。 その行為に及ぶかどうかという、それだけの話に焦点を当てて信仰を語るところが、うまい短篇たる所以(ゆえん)だろう。 「地下室」という一篇があって、これを原作にして映画「落ちた偶像」が作られた。 そのDVDを先日ゲットして、原作を読みなおしてみようかな(以前に英語の授業で読んだことがある)と思ったのが、この本を読んだ直接の動機なのだった。 これも少年が主役で、汚い(少年には、そう見える)大人の世界への反発、人が無垢なるものを失くしていく悲しみ、憐憫のようなものがある。 憐憫、同情といったものは、多くの作品に通じて流れていると思える。 他の作品は、戦時中に書かれたものは、戦争の色が濃かったり、怪奇的な話(奇妙な味の作品、といわれる)があったり。 短篇というのは、こう書くんだ、というお手本のひとつなのかもしれない。 〔2005.7.28(木)〕 小泉今日子 小泉さんの誕生日2月4日に発売された本。 その日に買って、でも、読んだのは9月とは! 1800円は高いなあと思ったけど、小泉さんが撮った写真がいっぱい載ってるし、ま、いいか。 エッセイと写真で構成された内容というのは、以前読んだ、こぐれひでこさんとの共著「往復書簡」と同じような感じだが、今度は「In Red」2003年3月号から3年間の連載を中心にしたもの。 (宝島社のHPを見ると、いま発売中の11月号も彼女が表紙で、「小泉今日子の半径100m」後のそれから、と目次にある。 ちょっと覗いてみたい。 ) 読んでいると、この頃の彼女がどんな仕事をしていたかが分かる。 ドラマ「私立探偵 濱マイク」、ドラマ「すいか」、ドラマ「マンハッタンラブストーリー」、舞台「シブヤから遠く離れて」、映画「空中庭園」、映画「雪に願うこと」(彼女が書いた時点では「輓馬(ばんば)」というタイトル)、舞台「エドモンド」、舞台「労働者M」。 あと、読売新聞の読書委員になった話などもある。 「空中庭園」の舞台挨拶の話が書いてあったのは嬉しかった。 その場にいたんだから、私は。 彼女は、こう書いている。 『初日に映画館まで足を運んでくれた人達に(しかも雨降ってた)一言お礼が言いたかったの』 彼女の住まいが、小さな庭付きの部屋、というのが何だか印象的だった。 一軒家でなくても、庭付きなのかあ。 いいな。 「往復書簡」でも書かれていた飼い猫、ロシアンブルーの小雨ちゃんの写真が、たくさん。 飼い始めたときから、だんだん育って、デブちゃんになってるよ! 歌番組「ザ・ベストテン」で「木枯しに抱かれて」を歌う前に、「あなたは今、幸せですか」なんていう質問に「はい」と答えて、考えたら頭が真っ白になって歌詞が出てこなかった、という話は印象的だった。 だいたい、そんな質問をするほうも、するほうだし、TBSもね。 あとねえ、お酒を飲んで酔っ払う、正体不明まで飲む、なんていう話題が目につくので、彼女が、すごい「酒飲み」みたいな印象。 「往復書簡」でも、そういうイメージがあったしね。 ほどほどに。 小泉さんの30代最後の3年間が、彼女自身の気取らない、ふだん着の言葉で垣間見られて、ファンには(もちろん)楽しい1冊。 〔2006・9・7(木)〕 小泉さんの愛猫、小雨の日記。 猫が日記を書いているのは、つまり、小泉さんが猫の小雨の気持ちになって代筆しているのである。 小雨が小泉さんに飼われた日から綴られる文章と写真。 雑誌『レタスクラブ』での連載をまとめた。 「小雨は私との暮らしをどう感じているのだろう? こんな風だったら嬉しいなぁ、という私の願望」を込めて書いた小泉さん。 ふたりの暮らしぶり、小泉さんの「普段の様子」が垣間見られて、興味深い。 女ふたり暮らし(ただし、人間と猫)。 訪問してくる友人たち。 住んでいる家も面白い。 二階なのに庭があったり、次には、海や夕日が目の前に見えるところに移ったり。 小雨さんは、ロシアンブルー。 ちょっぴり、メタボ…? わが家も猫を飼いたいにょよ。 〔2011・7・22(金)〕 小泉今日子書評集、とは、また、なんと直球な。 しかし、受けて立つ(?)、その中身は負けてはいない。 「書評」というと、偉そうに批評するイメージがあるが、小泉さんのものはそうではない。 読書感想文というのか、本の内容から喚起されて、まず自分が何を思うのか、自分のこと、自分の周囲のことに思いをめぐらせていくことが多い。 本の帯には自ら「読み返すとその時々の悩みや不安や関心を露呈してしまっているようで少し恥ずかしい」と書いている。 この本についてのトークショーでは、書くにあたって、自分が小泉今日子であることを利用することを多少は意識した、みたいな話もあった。 つまりは、なぜ自分が書評を書くのに選ばれたのかを考えると、評論家や教授が本を客観的に批評するようなことを期待されているのではないだろう、小泉今日子という人間がその本をどう感じるのか、それに小泉今日子という人間についても少し知りたいなあ、と読者は思っている、とわかったうえで書いていたのだろうと思うのだ。 私自身は読売新聞をとっていなかったこともあり、時々どこかで記事を目にしただけだったが、まとめて本にしてくれて、ありがたい。 10年も続いていたとは改めて驚く。 10年で97本の書評。 書評それぞれに、自分自身の今現在のコメントがついているのがいい。 過去に書いたことを読んでみて、何を思うのか。 それがあるとないとでは、読む楽しさが大違い。 巻末インタビューも興味深かった。 読書委員みんなで話し合っているんだ〜、みんなで飲みに行ってたんだ〜、などと初めて知った。 装丁はシンプルで綺麗。 白くて薄いカバーから、表紙に印刷されている本のイラストが透けて見える。 (これはトークショーで、小泉さんがうれしそうに言っていました。 ) 取り上げたほとんどが日本の作家の本。 いくつかは、これから自分も読んでみたい、かもしれない。 〔2015・11・5(木)〕 くっつきがちになったり離れがちになったりしながらも1982年からのファンである私だが、あのときの16歳の少女が経験してきていたことや、その後経験する一部を知った。 アイドルとして歌番組やライヴやドラマに出る忙しさのなか、えっ、ボーイフレンドいたの!? と驚いたよ。 しかも、向こうが去ったの!? 私だったら…去るわけない! 彼女が忙しすぎるから、オトコとしては付き合う時間が持てずに、別れてしまうのかな。 学校をさぼったりするのは、自分だったら、ほぼ考えられないことだったし、周囲のほかの誰もそんなことはしていなかったから、それも驚き。 オトコのクルマに乗ってドライブしてラーメン食べて帰ってくる…などなど、映画やドラマでは観るかもしれないような学生時代、ほんとにしてたんだ、というのと、何も隠さない潔さ(昔からだけど)。 家族のことだって正直に書く。 父、母、姉…。 家族や愛猫の死に直面した結果に得たのかもしれない、死への透徹した思い。 私自身のことを書くとしたら、ほとんど何も思い浮かばない。 ドラマティックなことがないなあと、小泉さんの文章を読みながら比べてみて実感する。 いや、きっと小泉さんの感性や見方で振り返ってみたら、私の過去もいろんなことがあったふうになるのではないか? 読み物になるのではないか? その可能性はある!? かな? 2007年〜2016年までの、SWITCH連載「原宿百景」。 33篇+特別書き下ろし1篇。 彼女が十代の頃に住んでいたこともある原宿の町を歩き、その街並に彼女の思い出を重ねつつ書き綴った自伝的エッセイ集。 〔2016・6・18(土)〕 「黄色いマンション 黒い猫」を読んだあと、こっちも。 ちゃんと、最初から最後まで読んでみた。 同じ、SWITCH連載「原宿百景」からの本なので。 字が小さい! 百景だけど、本書に収録されたのは33景? 続き、出るかな?〔2016・8・6(土)〕 雑誌「GLOW」で25回にわたって連載した対談をまとめたもの。 雑誌のときは写真もあって話し手のイメージがわくけど、文字だけだとそれがない。 短めのエッセイを追加収録。 彼女が50代になるにあたり、50歳以上の人生の諸先輩の女性たちに生き方を聞くような対談。 タイトルの「小泉放談」の「放談」には、本来、傍点がついているが、ブログ記事では表記できないので、そのままになっている。 初回ゲストのYOUと一緒に小泉さんがタイトルを決めたときに、「時事放談」の話から、じゃあ「小泉対談」じゃなくて、小泉「放談」にしよう、となった経緯があるのだ。 ゲストの25名は、YOU、浜田真理子、江國香織、吉本ばなな、熊谷真実、中野明海、樹木希林、浅田美代子、平松洋子、上野千鶴子、美輪明宏、高橋惠子、槇村さとる、芳村真理、渡辺えり、いくえみ綾、増田令子、甲田益也子、淀川美代子、伊藤蘭、片桐はいり、湯山玲子、中野翠、広田レオナ、小池百合子。 雑誌連載時に、あるツテを頼って毎号入手していたので、本にまとめられた時点では再読している感じ。 親交のあるゲストのときには、ああ、こういう知り合いがいるんだなあ(はじめて交友関係を知った場合)と思ったり。 キョンキョンが聞き手のようなものだから、彼女のことは、それほど語られない印象があった。 ゲストの話が中心になるのは当然か。 更年期を過ぎると楽になる、なんて複数の方の話があったような。 …男性はどうなんだろうね? それにしても、対談のホストをつとめるのは、誰にでもできるというものではないのでは、と思う。 相手がちゃんと来てくれるような「人徳」は必要ではないか? 仕事だからといっても、嫌な人と話はしたくないでしょう。 次は、別のテーマで対談を、また期待。 テレビでやってもいいな。 〔2018・1・30(火)〕 小泉今日子&こぐれひでこ 小泉さんと、こぐれさんが、あるテーマについてメールでやりとりをする、という形で、雑誌「レタスクラブ」に連載されたもの。 メールには、お互いに写真も添付。 こぐれひでこさんは、既製服の会社をやったり、いろいろと本を書いている人らしい。 2人の年齢差は20歳ほどもあるのだが、それを感じさせない、タメ口の仲良しぶり。 メールという形だし、友人なんだし、これくらい、くだけているほうが、それらしくていい。 小泉ファンにしてみれば、彼女の暮らしぶりとか考え方とか、ふとしたことが分かって興味深い。 たとえば、「小雨」というロシアンブルーの猫を飼いはじめたことや、寝るときはTシャツとパンツだとか。 (私と同じだ!ぐふふ) 彼女が楽屋で和服姿でパソコンを打ってる写真(時代劇の服装と現代の機器がごっちゃになって、ヘンな図です)を見て、私と同じノートのVAIOを使ってる!と喜んだり。 ぐふふ。 食べかけの、うな重の写真が載っていて、ああ、彼女って、こんな食べ方するのかと、面白がったり。 (別にヘンな食べ方ではないよ。 )(食べ始める前に写真を撮っていないというのも、肩の力が入っていないというのか、彼女らしくていいと思うのは、ファンの欲目だろうか。 ) 小泉さんって、照れ屋さんで、あんまり欲がない人。 いい意味で、自然に流れるままに生きている人。 根本的に、根性がすわっている人。 のように思える。 ひとりでは飲まないけど、誰かと一緒だと酒飲みになる、らしい。 酒量には気をつけてね。 それから、タバコを吸うのは、やめてほしいな。 やめられないというけれど、百害あって一利なしと知っているだろうけれど。 副流煙で周囲の生き物の健康を害するよ。 歯が汚れるよ。 肺が汚れるよ。 口が臭くなるよ。 ガンになるかもよ。 趣味はなに?というメールで、困って、仕事が趣味、なんて言っているのも、なんというか、「ふんわり」と人生、生きているなあという印象を生むのだった。 〔2005・11・16(水)〕 こうの史代、宮部みゆき 絵が中心で読みやすいと借りてみたら、9月に読んだ「荒神」の新聞連載時の挿絵だった! 絵物語のようになって別角度からの味わいが。 〔2016・10・21(金)〕 古処誠二 第14回メフィスト賞受賞作。 作者は1970年生まれで、このデビュー作は2000年に出版された。 若いなあ。

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いとも た やすく 行 われる 十 三 歳 が 生きる 為 の お 仕事

然し、一度壊れた バランスを立て直すのは容易ではなく、年齢的余裕のある中であればまだしも、それが加齢によるものであれば、生活の 質を落としたままの不本意な人生に終始する事になりかねません。 人体は良くも悪くも互いの相乗効果によって成り立っており、意識の不都合が肉体と生命に危険を及ぼし、肉体の損傷 がそのまま生命と意識の危機に直結し、旺盛な生命力が肉体と意識を救うなど、互いが足を引っ張り合ったり助け合いな がら一連托生の関係を築き上げていますが、他方で「精神力堅固」・「生命力旺盛」・「身体丈夫」など意識・生命体・ 肉体の何れかが強烈なリーダーシップを発揮する事によってもバランスを保つ事ができます。 然し、残念ながら中国の秦始皇帝が「不老不死」の妙薬を求めてこの方、「生命体」を単一で鍛え上げる方法は未だに 発見されておらす、人間が意図的に旺盛な生命力だけを養って生きる事は現時点では不可能です。 「意識」においても、 精神面を鍛えると云う類の宗教や書籍が氾濫していますが、一過的に鍛えるのならまだしも一生涯に亘って精神面を鍛え る事は、人間が人間としての生活をしている限り非常に難しいもので、お金と地位と人間関係に恵まれた人が精神修行を して悟った気持ちになっても、その根底が覆れば精神も自ずと荒廃してしまいますし、そもそも人間の精神力が鍛えられ ると云うのは単なる錯覚でしかありません。 お寺の本堂で如何にも精神面を鍛えて悟りましたと云う風貌で鎮座する仏様 の顔も、生活の苦労が無いからこそ出来るのであり、人間界で普通の生活をしていればあんな顔が出来るものではありま せん。 我々が精神を鍛える唯一の方法は、執着を一つ一つ捨てていく事で、それによって生活の不安や病気の恐れも確実 に克服する事ができますし、最終的には死ぬと云う恐怖をも克服する事が出来ますが、結果的に生きる意義を見失うのは 見え透いており、そんな状態の人間が社会で行き抜く事など檻の中で飼育されない限り不可能です。 人間が唯一継続して鍛える事が出来るのは「肉体」だけですが、残念ながら科学を駆使する事によって筋肉の仕組みは 徹底解明しながらも、その筋肉を鍛える領域に於いては全くの手探り状態であり、筋肉トレーニングに活路を求めて切磋 琢磨しているスポーツ関係者や医療関係者でさえも、人類に貢献するほどの筋肉トレーニングには程遠いレベルで模索し ているのが現状です。 当、筋肉レバレッジ・トレーニング研究所が開発した筋肉トレーニングは、現在行なわれている一般的筋肉トレーニン グの根底を覆すものであり、このトレーニング方法が市民権を得る事によって、スポーツ関係や医療関係に及ぼす影響に 止まらず、老人の生活の質改善から精神の育成や病気の予防など、その影響力は計り知れません。 現在一般的に行なわれている筋肉トレーニングには思いの外危険が潜んでおり、専門家の指導の下で適正に行なわなけ れば、鍛えていた積もりが怪我に泣くと云う事にもなりますし、病人や老人が良かれと想って始めたトレーニングが逆効 果と云う結果を招く事も多々あります。 また、スポーツ選手が専門家の指導の下で適正に鍛えたはずの筋肉が故障の原因 となって引退に追い込まれる事も珍しくはなく、専門家の間でもトータル的な見地に立ったトレーニング方法が確立され ているわけではありません。 この筋肉レバレッジ・トレーニングは、これまで行なわれてきたものとは全く異質のものであり、マシーンやダンベル などの器具を一切使用する事もなく、腕立て伏せや腹筋を強化させる運動なども行ないませんから病人や老人にも無理な く出来ますし、日常生活で使う筋肉を鍛える事をモットーとしている為に、新聞を読みながら、テレビを観ながら、歩き ながら、立ちながら、座りながら、寝転びながら、車を運転しながら、その時その状況による日常生活の活動範囲の中で 十分に鍛えられるので、青年期をすぎて筋肉が萎縮し始める年代になれば、この筋肉トレーニングを日常的に行なう事が 不可欠です。 本稿では、筋肉レバレッジ・トレーニングの仕組みを説明するに当たり、寿命、重力、脳、成長ホルモンなど筋肉トレ ーニングとは無縁と想われる事柄にも言及していますが、筋肉トレーニングに限らず、総ての事象は必ず何某かの脈略や 連帯の上に成り立っており、直面する問題だけに解決策を求めてしまうと、意に反して本質から遠ざかる傾向が多々見受 けられます。 現在行なわれている一般的トレーニングは、そう云った意味に於いて筋肉を肥大させると云う局面に囚われ る余りに、それがシステムとして機能するものであると云う根本的な発想に欠けています。 人体に不可欠である筋肉に限らず、心臓が如何に重要で脳が全能であろうと、人体を構成する総てのものは歯車の一つ に過ぎませんが、筋肉と云う基本的な歯車が萎縮してしまう事によって総ての歯車が狂い出します。 逆に言えば、筋肉と 云う中心的歯車が力強く機能する事によって、人体の健康バロメーターとも云うべき新陳代謝が正常に機能し、免疫力も 自然治癒力も高まり、全体的歯車が正常に機能し出すと云う事でもあります。 尚、筋肉には種類や役割など様々ですが、レバレッジ・トレーニングで云うところの筋肉とは骨格筋の事であり、脳が 操る事の出来る骨格筋を積極的に鍛える事が、その支配の及ばない不随筋にも想わぬ相乗効果をもたらす事は大いに期待 の持てるところです。 ・・「人体と骨格筋」・・ 人体は、脳・脊髄・心臓・肝臓・肺・腎臓・脾臓・すい臓・胃・十二指腸・小腸・大腸・直腸など様々な役割を担う臓器 と骨、その骨を動かす骨格筋と全身に張り巡らされた血管、そして無数の酵素や脳の重さに匹敵する大腸菌の働きによって 動く、言わば自家発電型総合循環器であり、その主導権を握っている骨格筋は人体のエンジン機能そのものである。 骨格筋 が萎縮し、その働きが衰退した人体はエンジン機能の低下した車と同じであり、折角備わった性能を活かす事はおろか自在 に動く事もままならないのである。 一般的に老化とは加齢によって必然的に起こる現象と考えられ、死と共にどうする事も出来ない現象と云う観念があるが、 死ぬ事と老化には根本的な相違がある。 元気と病気に関わらず、老若男女を問わず、死は生まれてきた時からの約束事であ り、寿命の長短はあるとしても避けることの出来ない決定事項であるが、老化に関する個人差は歴然として存在する。 七十 歳そこらでヨボヨボになり、歩く事もままならない老人が介護施設の世話になっているかと思えば、方や現役として日夜農 作業に励み、豚カツを肴に晩酌を楽しむ百歳の老人がテレビで紹介されている現実は、年齢の差によるものでも性別に由来 するものでもなく、ただ単に骨格筋が萎縮しているか健全に稼動しているかの違いでしかない。 人間は年老いたからヨボヨ ボになるのではなく、骨格筋が萎縮するからヨボヨボになると云う現実を直視した上で加齢に対応していかなければ、人類 が老いる事に喜びを感じる日は永遠にやって来ない。 健康被害が懸念されるメタボリックは、今や社会的関心事であるが、これも骨格筋が衰える事によって引き起こされる弊 害であり、適正な骨格筋が維持されていれば無闇に太ったりはしない。 人体は、活動に必要なエネルギーを食事によって摂 取し、余ったエネルギーは脂肪などの形で貯蓄しており、「体は銀行、脂肪は貯金」「皮下脂肪は定期貯金、内臓脂肪は普 通貯金」「筋肉は、貯金の浪費家」と云う構図になっているが、骨格筋が萎縮し始める中年ごろから、徐々に需要と供給の バランスが崩れてくる。 若い間は殊更筋肉トレーニングなどしなくても、それなりの骨格筋が維持されている為に新陳代謝 も旺盛であり、余ったエネルギーが脂肪として貯蓄される事も少ないが、中年頃になると骨格筋の萎縮が始まり、肉体は徐 々に省エネ型体質へと移行して行くのであり、若い頃と同じ食生活を続けていけば需要よりも供給の比重が高くなって貯蓄 高が上がるのは必然的である。 飢餓との戦いに明け暮れた歴史を持つ人体が、これ幸いに余ったエネルギーを脂肪として蓄 え始める事によって、メタボリック・シンドロームへの幕は切って落とされるのであり、それはまた確実に忍び寄る人体の 滅びへの序章でもある。 食糧事情の整った社会の中で人体が陥る先は肥満であり、それは如何にして痩せるかを競うダイエット関係の書籍が、入 れ替わり立ち代り書店の棚を賑わしている事が物語っている。 然し、ただ単に痩せるだけを目的とするならば手段を選ぶ必 要はないが、健全な肉体を保つと云う前提であれば、安易なダイエットはすべきではない。 人体に於ける体重の増減に関わ る要因は、「筋肉に因る摂取エネルギーの需要と供給のバランス」「脳に因るストレスなど精神のバランス」「姿勢の歪み に因る肉体のバランス」に大別する事が出来るが、取り分け脳にとってエネルギーの貯金である脂肪は非常に重要なもので、 過剰な食事制限によるダイエットは、苦痛であるばかりか生命の危機に直面する問題であり、バナナやキャベツだけを食べ て人生を送るなど、脳に科せられた拷問以外の何ものでもなく、一時的に痩せても必ず脳は元に戻る努力を怠らないのであ る。 ダイエットの本来は、「骨格筋の維持」「精神の安定」「姿勢の矯正」「食事の節度」を護ることであるが、これはま た人体が健全さを保つための必須条件でもある。 現代人が常に懸念するところである、健康、老化、病、肥満、のキーワードは筋肉であり、骨格筋を重点的に鍛えるので れば、人体は老化する事さえ容易ではなく、安易に太る事も易々と病の虜になる事も無いのである。 人間が生まれ以て与え られた最大の武器は骨格筋であり、その筋肉の恩恵を享ける事も忘れて、老いて後に人体の不都合を嘆くのは何としても避 けたいものであるが、如何に骨格筋が重要とは云え、闇雲に筋肉を鍛えても功を奏すると云うものではない。 手当たり次第 に筋肉トレーニングを行なえば、筋肉が身に付く前に故障し、更に故障する前に挫折するのが現在行なわれている筋肉トレ ーニングのレベルなのである。 筋肉には、「負荷を逃がす仕組みを持つ」「日常生活に適応する筋肉は容易に肥大しないが、適応しない筋肉は肥大し易 い」「連動する事によって力を発揮する」、と云う基本的な資質があり、日常生活はそれが機能する事によって支障なくお くれるのである。 仮に骨格筋に負荷を逃がす仕組みが無ければ、人間が歩き続ける事は不可能になるだろうし、日常生活で 使う筋肉が日常的負荷によって簡単に肥大していくのであれば、いずれ筋肉仕事で生計を立てる事は困難になる。 また、骨 格筋が連動する事がなければ人体は効率よく筋力を発揮する事は難しく、スポーツがこれほど発展する事も人類が万物の霊 長を標榜するに違わない筋肉運動を手にする事も適わなかったのである。 本来骨格筋は、正しい姿勢を維持しながら負荷を掛け、使う事と休む事を適正に続けるのであれば殊更に鍛える必要はな いが、文明の恩恵に浸りきって肉体労働から遠ざかった現代人は、スポーツか筋肉トレーニングにでも頼らない限り、使わ ない事によって起こる不活性萎縮から筋肉を護る事は難しいのが実情である。 然し、腹筋などは殊更に鍛える必要はなく、 に乗じる生活に馴染んだ人体は、不活性萎縮と云う筋肉の原理によって、どんどん弱体化しています。 殊に腹筋などは正し 正しい姿勢さえ保っていれば易々と衰える事はないし、むしろ背筋などは必要だからと重点的に鍛えれば、筋肉間のバラン スを欠いて返って不都合が生じることになる。 筋肉トレーニングによって筋肉を鍛えるに於いて忘れてはならない事は、日 常生活に使わない筋肉は維持できない事と、パーツ単位で鍛えた筋肉は連動しにくいと云う筋肉の仕組みであり、これを留 意して行なわない限り折角肥大した筋肉も、トレーニングの中止と共に無残にも脂肪へと置き換わり始めるのである。 ・・「筋肉の仕組み」・・ 人体は二百六個の骨によって形成され、その骨を動かす筋肉は五百とも六百ともいわれているが、それらの筋肉は大きく 分けて二種類に分類する事が出来る。 一つは大脳の指令によって動くことを特徴とする骨格筋で、その形状から黄紋筋と呼 ばれており、仕事、スポーツ、日常生活等などの総ての動作はこの筋肉に支配されており、この筋肉が動かなければ人体は 指一本動かす事も眉一つ動かす事も出来ない。 もう一つは平滑筋と呼ばれるもので、この筋肉は内臓全般を形成し、大脳の 支配を全く受ける事はないが、唯一心臓を形成する心筋だけは、骨格筋でありながら大脳の支配を受ける事は無い。 筋肉の仕組みを探る上において留意しなければならないのは、脊髄反射や内臓の活動のように筋肉が脳の支配だけを受け て動いているわけではないと云う事情であり、筋肉の活動には脳以外の第三の意思も秘められていると云う実態である。 人 間を単体として捉えた場合、脳の存在は絶対的なものであり、人体の総ては脳によって支配されていると言っても過言では 無く、現実問題として我々もそう認識して生きているが、医療現場では脳が死んでも内蔵は元気に働いている事例は何等珍 しい事ではない。 我々は、一個の人間としての存在の前に人類の種としての役割を担っており、如何にして優良な種を次世 代に残すかの仕事は我々の存在以前のところから無意識にインプットされている使命であるが、生命体とも呼ぶべき種の支 配は、それだけに止まらず人体の中核である脳でさえも、その支配下にある事を避けられないのである。 人体は、「肉体を司る筋肉」と「意識を司る脳」、そして「種の存続を司る生命体」からなる化合物であり、どれ一つ失 っても人間として存在する事は適わないが、これらが共存共栄を図れるか共倒れをするかの命運は脳と筋肉の働き次第であ る。 然し、心筋が骨格筋でありながら直接的に大脳の指令を受けず、脳が創りだす苦悩によって治外法権である胃袋が病み、 意識力が衰える事によって生命力が脅かされるように、其々の間に明確な間仕切りがあるわけではなく、筋力が支配する肉 体と脳が支配する意識が共存共鳴し、生命力はそれらの状況に応じて随行すると云う運命共同体なのである。 脳の中には、種を存続させる為の様々なデーターが組み込まれているが、それは如何にして強靭で優秀な種を連綿と存続 させるかの一点に絞られており、思考力や筋力の衰退した人体には、その状態を不要と看做す生命体レベルの作用が働き、 自滅とも云える廃用スイッチのようなものが作動すると考えられる。 筋肉の不活性萎縮も、引き篭もりも、うつ病も、自殺 も、ある意味で生命体に見放された人体に起こる廃用の一環とすれば、筋肉を鍛える事によって、そう云った状況を回避す る事は我々に出来る唯一の手段である。 人体は、様々な筋肉によって形成されているが、自分の意思によって自在に動かす事の出来る筋肉は主要な骨を動かす随 意筋だけであり、筋肉トレーニングとはこの筋肉を鍛える事を目的としたものである。 この筋肉を鍛える事によって筋力が 高まり、それに応じて代謝が正常に働き、免疫や治癒力と云った人体の防衛機能が正しく作動し、結果として体力と気力を 手中にして病気の予防にも役立つのである。 脳で考える人間である前に、筋力を発揮する哺乳類である事が、ひ弱な現代人 に与えられた生命体の啓示なのである。 ・・「筋肉レバレッジ・トレーニング」・・ 筋肉レバレッジ・トレーニングとは、梃子の原理によって筋肉を鍛えるもので、現在行なわれている筋肉トレーニング とは、グローバルな意味に於いて全く一線を画したもので、いわば人類史上初めて登場した画期的な夢のトレーニングで あり、このトレーニングは、幹線筋肉を強化して生活の質を向上させる事によって老後に希望を与え、スポーツ界に新風 を起こし、医学に風穴を開ける可能性を秘めたものである。 現在、マシーンやダンベルなどの器具を使うものから、腕立て伏せなどに至るまで様々な筋肉トレーニングが考案され ており、中には腕の付け根を縛って血流を遮る事によって筋肉トレーニングの効率を図る加圧式などもあるが、何れのト レーニングにも決定的な欠点が潜んでおり、その欠点をクリアーしない限り本当の意味の筋肉トレーニングは出来ない。 その欠点とは、それらの筋肉トレーニングによって筋肉肥大を図り続ける限り、その先には筋肉の故障と云う現実が待ち 構えている点であり、負荷を掛け続けられる筋肉は何時の日か必ず臨界点に達し、それを境として破壊への方向へと進ん で行くのである。 スポーツに於ける選手寿命は、年齢的な限界によって訪れるのではなく、これ以上筋肉を鍛える事が出 来ない事情によって決定されるのである。 多くの筋肉トレーニングは、力点と作用点によって筋肉肥大を図る直線的な鍛え方であるが、それが効率の悪い筋肉を 造り上げる元凶となっている。 例えば、ダンベルトレーニングで大胸筋を鍛える場合などは、ダンベルを握る手を力点と し大胸筋を意識する事によって、そこに作用点を作り出して筋肥大を図り、上腕二頭筋を鍛える場合は、上腕二頭筋を意 識して作用点とし、ダンベルを持つ手を力点とするのである。 然し、これらのトレーニングで鍛えられた筋肉は押し並べ て硬くて融通性の無い筋肉に仕上がってしまい、何れトレーニングと筋肥大の臨界点を迎えるが、その筋肉をスポーツな どに使う事によって一層寿命が縮むのである。 力点と作用点によって行なわれる筋肉トレーニングは、力点に掛かる負荷を徐々に上げ続けていかなければ筋肥大を起 こす事は出来ないが、筋肉には負荷を掛け続ければ壊れる方向に向かうと云う筋肉負荷の原理があり、何れ筋肉に負荷を 掛け続ける事の限界を迎えるのである。 一般的筋肉トレーニングの行き着く先は、挫折して事なきを得るか、とことんや って故障するかの何れかであり、加圧式と呼ばれる方法も単にそれを早めるだけの事に過ぎない。 こう云ったトレーニン グは、筋肉に鞭を打って鍛え続けるようなもので、それによってスポーツのレベルが飛躍する事も、筋肉トレーニングを アンチエージングの武器とする事も叶わないのである。 筋肉には、「筋肥大のメカニズム」・「筋肉の連動システム」と云った基本的な仕組みがあるが、一般的筋肉トレーニ ングの多くは、それらに対する誤解あるいは無理解によって行なわれており、こう云ったトレーニングと決別しない限り、 本当の筋肉を造り上げる事は出来ない。 筋肉は連動する事によって効力を発揮するメカニズムの中で稼動しており、当然 トレーニングはそれを視野に於いて行なわれなければならないが、力点と作用点からなる直線的運動によって鍛えられた 幹線筋肉の未熟な筋肉は、鍛えるほどに使えなくなると云う皮肉な筋肉として肥大してしまう。 本来筋肉は、力点と支点と作用点からなる梃子の原理によって鍛えられるべきであり、それによって僅かな負荷を大き な負荷として作用点に伝える事が出来、しかもマシーンやバーベルなどの器具による負荷を必要としない為に、病人でも 年寄りでも簡単に行なえる。 更に、このトレーニングは、自分の体を組み合わせる事によって、あらゆる場所に力点と支 点と作用点を創り出す為に、ベッドの上でも散歩中でもテレビや新聞を観ている時でも行なえ、寿命の尽きるまで一生続 けられると云う利点がある。 筋肉レバレッジ・トレーニングと一般的トレーニングの相違は、重たい負荷を使わない為に、誰でも・何処でも・何時 でも筋肉を鍛えられる点と、一般的筋肉トレーニングに希薄な概念である幹線筋肉の強化を最重要視している点などがあ るが、中でも筋肥大が破壊に至らない事に於いて、このトレーニングを一生涯に亘って鍛え続けられる点が、老人やスポ ーツ選手に与える恩恵は計り知れないものがある。 ・・「幹線筋肉」・・ 腕相撲をする場合、指先で感じた相手の力が手掌腱膜を通して、屈筋支帯・伸筋・屈筋・上腕二頭筋・上腕三頭筋・三 角筋・大胸筋へと伝わり、其々の筋肉が一斉に縮む事によって応戦し、それを僧帽筋や広頚筋が手助けをする。 これが腕 相撲をした時に出来る筋肉の連動であり、その連動によって指先から大胸筋に繋がる一本の筋肉の流れが出来上がるが、 個々の筋肉が連動し協力し合って作り出させるマッスルパワーの流れる一本の線を幹線筋肉と称する。 医学書にもスポーツ関係書にも幹線筋肉と云う名称は明らかにされていないが、この幹線筋肉に着目しない事によって、 様々な筋肉トレーニングの間違いが引き起こされてしまうのである。 筋肉トレーニングをする場合、筋肉を肥大させる手 段としてダンベルやバーベル及びマシーンを用いるのが一般的であるが、こう云った器具を用いた運動では、力点と作用 点だけの直線的運動によって筋肉が鍛えられる為に、一つ一つの筋肉がパーツ単位で肥大してしまう。 これは、筋肉肥大 のメリハリを競うボディビルダーなどには適しているが、個々の筋肉が自己主張してしまう為に連動による幹線筋肉が不 完全になりがちで、マッスルパワーを必要とするスポーツには不向きな筋肉である。 こう云った筋肉は押し並べて見掛け 倒しである事が多く、持久力にも乏しいのが普通であると共に、こう云った筋肉を酷使すると怪我に発展するのが自然で あり、怪我に泣かされる選手の殆どは間違った筋肉トレーニングに因って筋肉を肥大させた事が原因である。 一般的にマッスルパワーと肥大した筋肉を同一視する傾向があるが、一つ一つの筋肉が如何に肥大していても、関係す る其々の筋肉が連動してより大きな幹線筋肉を造りだせない限り、その筋肉に見合ったパワーを引き出す事は出来ない。 筋肉運動に於いて幹線筋肉が重要となるのは、スポーツや日常生活に限らず人間の筋肉運動が直線的運動ではなく捻りの 加わった曲線運動によって成り立っている事に由来し、力点と作用点だけの直線運動によってパーツ単位で肥大させた上 腕二頭筋や大胸筋は、如何に見かけが立派であっても捻りの加わった筋肉運動には力を発揮出来ない。 現在行なわれている筋肉トレーニングは、縮むと云う筋肉の特質を衝いたものであるが、その鍛えられた筋肉が捻りの 加わった運動に使われると云う核心部分には全く言及していない事が、筋肉トレーニングに夜明けが訪れない原因である。 筋肉トレーニングの殆どは、縮む働きをする筋肉に抵抗を与えることによって成立させており、筋肉をパーツ単位で肥大 させる事に於いても全く問題を提起する様子は無いが、鍛えるには何の問題も無いとしても、その筋肉を使うには由々し き問題が生じるのである。 人間のしなやかな所作や重たい荷物を持ち運びするパワーは、ただ単に縮むだけの筋肉に捻りと云う動作が加わって初 めて成立する事実を認識していながら、その事実が筋肉トレーニングに於いて全く考慮されていない現実には、インスト ラクターなどに筋肉を幹線筋肉レベルで鍛える知識と技術が無い以前に、その発想さえも無いと云う如何ともし難い事情 がある。 実際問題として格闘技に限らず、およその一流スポーツ選手でボディビルダーのようなメリハリの利いた筋肉を 身に付けている選手を見受ける事はないが、これはそういった筋肉が殆どのスポーツに不向きであると共に、其々の運動 に適した幹線筋肉を開発しない限り一流選手には成れない事を物語るものでもある。 ・・「寿命と筋肉」・・ 五千年を生きるジャイアント・セコイアの樹から産卵後数時間で死ぬ蜉蝣まで、総ての生命には寿命と呼ばれる地球環 境での限られた存在期間があり、個々の生命はその限定された時間を消費して死を迎える。 人間の寿命は約百二十歳代で あると云われるが、それに四十歳前後及ばない平均寿命八十歳代の我々に何が立ちはだかっているのか・・・。 個々の生 命体が持つ寿命が、それぞれの種の存続を意図して設定されている事は想像に難くないが、人間のその寿命を支えるべき エネルギーは代謝によって生まれ、その代謝を作り出すのは筋肉であり、その筋肉を十分に支配できない事が約百二十歳 の寿命に四十歳ばかり届かない原因である。 人間の死は代謝の終わりと共に訪れるが、その代謝を作り出す筋肉の衰えは即ち代謝の衰えとなって人体に現れ、それ がその人間の状態を如実に物語るのである。 仮に、人間の筋肉が全く衰えることを知らず、老若男女が寿命を全うするま で画一的な筋肉を維持し続ける事が出来るのであれば寿命は限りなく百二十歳に近づき、死は電池切れを髣髴とさせるも のとなる。 我々は何年生きたかと云う寿命よりも、生活の質を維持した年数を重要視するのであり、ヨボヨボ・寝たきり込みの八 十年の生涯よりも、筋力を維持した七十年の生涯を願うのであり、筋力を維持した九十年の生涯であるならば無条件にそ れを望むのが人間の本来である。 老人の老人たる所以は筋肉の萎縮であり、これを宿命として甘受するか、改善の余地が あると見るかによって我々の老後は激変する。 老人・高齢者・年寄り、に共通するのは単に「筋力の低下した人」でしか ないのであり、老いて尚、若者と遜色のない筋力を有す老人が当たり前のように存在する社会が来るのであれば、老人は 社会のお荷物どころか貴重な存在として社会に貢献できるのである。 ・・「筋肉トレーニング」・・ 人体には、使わない筋肉は萎縮すると云う「不活性萎縮」の原理があり、その原理を証明するかのように老人の筋肉は 一様に萎縮するのであるが、この原理の裏を返せば使う筋肉は萎縮しないと云う事でもある。 然し、使い続ける限り萎縮 しないと云う筋肉の性質は、筋力の恩恵によって生活を維持する者にとって何ものにも代えがたい利益であるが、その利 益の前に立ちはだかるのは、同レベルで使い続ければ磨耗し、加減して使えば加減した分だけ萎縮すると云う筋肉の性質 である。 筋肉は鍛えれば鍛えるほど強固になるが、更に鍛え続ければ壊れると云う性質があり、スポーツマンの引退時期はそれ によって訪れるのである。 鍛え続ける事の限界に至った筋肉は様々な箇所に故障と云う形で現れ、一生懸命筋肉トレーニ ングに励む選手ほど故障に泣かされるのはその為である。 筋肉トレーニングは、鍛え続ければ壊れ、鍛えなければ萎縮す ると云うジレンマの中で行われるが、それを継続させる事は並大抵ではない。 然し、それ以上に時間と金銭の消費も相当 なものがあり、本格的になれば筋肉を肥大させる為にプロテインなどのサプリメントの摂取や食事制限もかなりの負担と なる。 筋肉トレーニングの難しさは、その内容の問題よりも其れを継続出来るかどうかの問題が重要であり、スポーツ選手は 引退が契機となって本格的トレーニングから退き、一般人は暇と金と根気の何れか一つの切れ目によって遠のくのが普通 である。 この事から導き出されるのは、結局のところ普通の人間が生涯に亘って筋肉トレーニングを続けることは無理で あると云う現実であり、それを物語るように普通の老人が日常生活の一環として筋肉トレーニングに励んでいる姿にお目 にかかる事はない。 それによって老人は成るべくしてヨボヨボになり、楽しいはずの老後は病院通いに費やされ、国家は その経費削減に躍起となる。 然し、これらの事は総て筋肉に対する誤解によって生じているものであり、筋肉に対する無理解とそれに纏わる筋肉ト レーニング方法の間違いによって引き起こされているのである。 筋肉は的確に鍛えるのであれば年齢を問題にする事はな く、八十歳になっても筋肉トレーニングは可能であり、それによって筋力を維持する事にも何の問題も生じては来ない。 筋肉は人体のエンジンであり、その性能が消費期限ギリギリまで維持できるのであれば、人間の寿命に対する考え方にも 積極性が出る筈である。 ・・「重力と筋力」・・ 宇宙区間では秒単位で決められたスケジュールの中で、毎日二時間の筋肉トレーニングをこなしても筋肉の減少を止め る事は不可能だったという報告がある。 確かに筋肉が宇宙空間に於いて、地球上よりも早い速度で萎縮するのは周知の事 実であるが、これは宇宙空間と云う重力の存在しない環境の中で、筋肉がその必要性を改める事が原因である。 然し、そ れは無重力状態の宇宙空間の中でより顕著に現れるだけの事であり、常に一Gの重力に支配されている環境の地球上に於 いても同様の事態は起こっているのである。 筋肉の基本原理となっている不活性萎縮とは、「使わない筋肉は萎縮する」 という原理であるが、正しくは「圧力の掛からない筋肉は萎縮する」と定義すべきである。 無重力空間での筋肉萎縮は圧 力から解放される事が原因であり、筋肉に圧力を掛け続ける事が出来るのであれば、それが宇宙空間であっても筋肉の萎 縮を避ける事は当然可能である。 人体の構造に於いて特筆すべきは、地球上を支配する重力を逃す仕組みをもっていると云う事であり、この仕組みを手 に入れた事によって人類の二足歩行は可能になったのである。 千四百グラムにも上る脳と其れを取り巻く器官、そしてそ れを護る頭蓋骨、重量しめて四キログラムを細い頚椎と僅かな筋肉で支える事が出来るのも、重力を逃す仕組みがあれば こそ、その仕組み無くして支え続けられるものではない。 然し、人体は骨格構造によって重力を逃す一方で、挙動によっ ても重力を逃す仕組みを作っており、「直立不動」の姿勢が重力も諸に受けるのに対して、「休め」の姿勢が重力を逃す 挙動である。 重力を逃す構造が骨格の領域に対して、挙動によって重力を逃すのは筋肉の領域であるが、いずれの場合も、先ず重力 を受けて後に逃すと云う経過を辿らなければ、その仕組みによって形成された形状を維持する事は出来ない。 いわば人体 の構成は先ず重力ありきで、その重力を如何に利用し、かつ、逃すかと云う事が筋肉に於ける最大のテーマであるが、こ れらの事は筋肉トレーニングに於いても非常に大きな意味を持って居り、この仕組みを理解しない限り一生涯に亘る筋肉 トレーニングを実施する事は出来ない。 一般に行われている筋肉トレーニングとは、負荷に対する抵抗によって筋肥大を促すものが殆どであるが、この場合の 負荷とは飽くまでも重力に沿ったものなのである。 重力を負荷としないマシーンも研究されているが、人体が重力を受け ながら逃すという根本的なシステムを内蔵している限り、如何なる負荷を作り出す仕組みを持ったマシーンであっても結 局のところ大した違いを生じさせることは出来ない。 筋肉トレーニングに於いて様々な発想と見解によって、マシーンやトレーニング方法が考案されているが、これらの総 ては筋肉が受ける負荷を前提にしているもので、その負荷を逃すと云うもう一方の仕組みについて全く関知してはいない。 負荷は筋肉にとって栄養と同じであり、どんな負荷であっても掛けた負荷に相応して筋線維は肥大するが、その肥大した 筋繊維を維持する事の難しさは、負荷を受ける事と逃すことの狭間に生じてくる。 負荷を受ける事によって肥大する筋線 維は、許容量を超えれば破壊によってそれから逃れ、トレーニングの中止と共に負荷を逃す作用によって萎縮が始まるの である。 仕事の合間を縫ってトレーニングジムに通い、首尾よく筋肉隆々の肉体を手にしても、度を超えれば故障し、其 れを止めてしまえば何ヶ月も経たない内に、遅筋は萎縮し速筋は僅かな筋肉を残して脂肪に取り換わるのである。 老衰状態の爺ちゃんの筋肉が隆々としている事は有り得ないし、筋肉トレーニングを止めても尚、当時の筋肉を維持し ている人もいない。 頑張らないと筋肉は付かないし、頑張りすぎれば故障すると、これは誰もが認める筋肉の実態である が、これは筋肉の持つ基本的特徴に過ぎず、筋肉の肥大と萎縮を担っているのは飽くまでも負荷の掛け方なのである。 筋 肉に掛かる負荷は大きいほど筋肥大を起こすと考えられているが、そこに筋肉トレーニングの最大の危険性が潜んでいる のである。 宇宙に存在する総ての固体には重力があり、その重力は常に重心に向かって働いているが、人体は地球の核に向かう重 力を逃しながらも、その重力を利用する事によって、人体が持つ独自の重心と重力をより強固なものにしているのである。 その事によって筋肉は、地球の重力に対応する役割を持つ筋肉と、体内を重心とする重力に対応する筋肉の二つの役割を 担うのであるが、地球の重力に対応する筋肉は飽くまでも骨格がバランスを得る事を主としたものであり、この筋肉は正 しい姿勢を保つ事さえ心がけていれば、殊更筋肉トレーニングなどする必要も無い。 筋肉トレーニングを行う上で忘れてならない事は、人体に重心を持つもう一つの重力に対応する筋肉の存在であり、そ のもう一つの重力を無視して筋肉トレーニングを行う事が、折角造り上げた筋肉を不活性萎縮の犠牲にさせる要因なので ある。 総ての物質には重力があり、人間もまた地球の重力に支えられながらも独自の重力を有し、人体を覆う筋肉はその 星の大気圏の役割を成しおり、それによって体内は独自の重力を働かせて体内を護っているのである。 卵の殻がその役割 を果たせなくなったとき、中の卵黄は地球の重力の影響によって、その形状を護ることが出来ないように、筋肉が萎縮し て大気圏の役割が脆弱になった時から、人体は徐々に地球の重力の影響に蝕まれていく事になる。 人体にとって本当に必要な筋肉は、腕立て伏せやダンベル・バーベル及びマシーントレーニングと云った、第三者的な 力を負荷にしたトレーニングによって育てるのではなく、自分の筋力を組み合わせる事によって本来自分の中にあるべき 重力の核に対して負荷を作り出し、その負荷によって筋肉を肥大させるのである。 それによって肥大した筋肉はマシーン やダンベル等で肥大した筋肉と違い、日常生活で使う筋肉であり、易々と不活性萎縮の対象になる事は無い。 しかも非常 に小さな負荷で、器具を使うことも場所を選ぶことも無く、効率よく究極の筋肉を作り出す事が出来る。 ・・「遅筋と速筋」・・ 骨を動かす骨格筋線維は神経を通して収縮運動をしており、発揮される筋力、収縮する速度、収縮の持続力によって遅 筋、速筋、中間筋線維の三つのタイプに分類される。 白筋線維からなる速筋は、発揮する筋力が大きく速く収縮するが、 疲労しやすく持続力が無いと云う特徴があり、陸上の百メートル走、野球やテニスのスイング、バレーボールやバスケッ トのジャンプなど持久力を必要としないバージョンに向いている。 ボディビルダーなどマッチョマンと呼ばれる筋肉隆々 タイプは、この筋肉をパーツ単位に鍛えて肥大させたものであるが、持久力がない事と個々の筋肉が連動しないことに於 いて、見た目の逞しさとは裏腹に実用性に乏しいと云う欠点を持つ。 この筋線維の収縮エネルギーは主としてアデノシン 三リン酸やグリコーゲンの分解によって得られ、無酸素機構と呼ばれる。 遅筋と呼ばれる赤筋線維は発揮する筋力が小さく、収縮速度が遅いが持久力に優れており、マラソン選手などには不可 欠の筋線維であり、筋収縮エネルギーは直接的にはアデノシン三リン酸であるが、酸素を補給しながら運動を持続させる 有酸素機構である。 この筋線維は職人などの継続的作業には欠かせないもので、職人技と呼ばれるものは凡そこの筋肉に よって支えられているが、素人が一朝一夕に付けられるようなものではなく、その職業に応じた弛まぬ持続力によって培 われるものである。 一方、遅筋と速筋の両方の性質を持ち合わせている中間筋線維は、筋収縮速度も速く、速筋よりも持 久力にも優れているが、筋線維の特徴と筋収縮エネルギー機構により速筋タイプに分類され、スピードスケートや水泳の 短距離や四百メートルくらいまでのランニング競技に向いている。 古来より農耕民族として生活し、春夏秋冬の季節ごとに決められた職務を規則正しく遂行しなければならない農作業の 性質上、速筋の持つ瞬発力よりも遅筋の持つ持続力によって生活を支えてきた歴史を持つ日本人は、遺伝的に遅筋の発達 をみるのが一般的である。 本来、日本人は速筋と呼ばれる白筋線維の発達による瞬発力やウエート・パワーによって生活 を支えてきた開拓民や狩猟民族のような筋肉隆々型の容姿とは異なり、一見華奢ではあってもマラソン選手のような粘り 強い筋力を備えているはずであるが、何代にも亘る農耕とは無縁の生活は遺伝の力を希薄にしてしまい、速筋は元より遅 筋さえも育っていない非力な若者の老後の悲惨さは察して余りある。 筋肉の構成は基本的に遺伝がベースになっており、それによって速筋が発達し易い人や遅筋の発達し易い人に自ずと別 れている。 しかし、人体に様々な遺伝の関与がある中でも、筋肉への遺伝的関与は常に暫定的なものであり、それを軽減 する事や変更する事はさほど難しい事ではない。 農耕民族の末裔であっても開拓民や狩猟民族と同じように速筋線維を意 図的に鍛えれば当然、そのような筋肉と骨格になっていくのであり、それはボディビルダーの容姿が国民性を表さないの と同じである。 身体には、古い細胞が新しい細胞に交代する、「ターンオーバー」と云う新陳代謝の原理があって、筋肉に限らず内臓 や血管から血液や骨に至るまで、常に古い細胞が壊れて新しい細胞に生まれ変わっており、それぞれの筋肉に継続的に相 応の負荷を掛け続けることによって、遺伝とは関係なく希望通りの筋肉を創り出すことが出来る。 典型的な日本人体型の 者でも身長はともかく肉体を意図的に西洋人体型に変更する事は可能なのであり、その筋肉が生み出す筋力も亦西洋人の の持つ筋力と何等変わりは無い。 速筋と遅筋は、その性質上発揮する筋力も用途も様々であり、トータル的に見てそれに優劣を付ける事は出来ないが、 不活性萎縮の観点から見ればその格差は歴然である。 速筋が不活性の対象となった場合、その筋線維は脂肪に変換されて 肉体に止まるので、筋肉ほどでは無いにしても骨格を支えることに於いて大した支障は無く、筋力的にもあまり不自由を 感じないが、遅筋の場合は脂肪に替わる間も無く萎縮してしまうので筋力的には相当な衰えを感じてしまう。 ・・「日常生活と筋力」・・ 筋肉トレーニングで真っ先に思い浮かぶのはダンベルやバーベルを使った運動やマシーンによる運動であり、手ごろな ところでは腕立て伏せなどがあるが、こう云った運動によって鍛えられる筋肉は直線的筋肉であり、およそ日常生活で使 うものとは異なる。 人体は二百六の骨とそれを動かす五百とも六百とも数えられる筋肉によって形成されているが、どの 筋肉一つとっても単一で動いているものはなく、常に幾つかの筋肉が連動する事によって稼動しているのであり、単一の 筋肉を意識してパーツ単位で鍛えるような筋トレで培われた筋肉は、見た目には立派であっても日常生活の動作では使わ ない状態で肥大しており、そのトレーニングから遠ざかれば、その筋肉が維持される事は無い。 相撲・柔道・空手・ボクシング・卓球・テニスなど、およそスポーツと呼ばれるものは筋肉のひねりと連動によって成 立しており、直線的筋肉運動によってパーツ単位で肥大させたものはスポーツには向かないが、これは日常生活に於いて も同様である、日常生活で使う筋力を如何にアップするかと云う事が、一般人が行う筋肉トレーニングの最大のテーマで あるが、実は其れが一番難しいところであり、スポーツ選手のように特定の筋肉を目的に応じて重点的に肥大させる方が 遥かに簡単な事である。 仕事や趣味で特定の筋肉を超負荷の状態で長時間使用する場合を除いて、日常生活で使う筋肉が肥大する事は殆ど無い が、これは幾つかの筋肉が効率よく連動することによって負荷を分散させると云う人体の仕組みによるもので、ツルハシ やスコップを使う肉体労働者も達人ほど筋肉隆々にはならず、その分疲れも少ない。 肉体労働者をイメージする場合筋肉 隆々の容姿を想像する事が多いが、生活の一環として長年そう云った仕事に従事している人の筋肉は、想像に反して無駄 な筋肉は殆ど無く必要な筋肉が必要な場所についているだけで、むしろ華奢な印象さえ受ける。 これは農作業に長年従事 している人も同じであり、筋肉隆々の肉体労働者が居るとすれば、それは食べ過ぎによって摂取カロリーが消費カロリー を上回っている事と、効率の悪い無駄な動作によって余分な負担を筋肉に掛けている事が原因であり、こう云った人は体 がガタガタになるのも早く定年までその仕事に従事するのは殆ど無理。 日常生活に使う筋肉を鍛える上で留意しなければならない事は、飽くまでも日常生活の運動に使われる範囲で筋肉を鍛 えるべきであり、腕立て伏せやバーベルやダンベルを上げ下げするような運動やマシーンを使ったトレーニングでは到底 日常生活で使われないような筋肉を肥大させない事である。 蓄えられた筋力の維持は日常的にその筋肉を使う事が前提で あり、日常的に使われない筋肉を肥大させる事は簡単でも、その筋肉を維持する事は容易ではなく、生涯に亘ってそれを 維持する事は不可能に近い。 一見して筋肉の運動稼動域は広くその動きは複雑であると見られやすいが、これは飽くまでも筋肉間の連動によっても たらされたのであり、個々の筋肉はただ単に「縮む」と云う仕組み以外は持ち合わせていない。 人体は骨と関節と筋肉の の関係によって成り立つが、それぞれの各部分は、非常に単純な動きをしているだけであり、「単調な骨格」「連動する 筋肉」「応用する脳」、この三大要素によって我々の日常生活は支えられているのである。 骸骨踊りを想像すれば分かる ように本来単調な動きしかしない骨格は、それを支える筋肉が連動し、更に脳が一つ一つの動きを応用する事によって複 雑な動きを表現しているのである。 手先の器用な人と不器用な人は、筋肉の違いと考えられ易いが、実際はその人の脳の 応用力の違いであり、筋肉により器用な働きを求めるのならば、筋肉の動きを訓練するよりもその動作に対するよりもそ の動作に対する脳の応用力の訓練から入った方が望ましい。 日常生活に於いて最も重要な筋力は、「脚力」と「握力」と「腹筋力」であり、この三つの筋力が備わっていれば日常 生活は磐石である。 この三つの筋力は人体に於ける総ての筋力を統合していると云っても過言ではなく、これらの筋力の 弱体化は即ち人体の弱体化そのもので、脚力と握力の弱体化は自活への最大の妨げとなり、殊に人体の要である腹筋力の 弱体化は、腰痛の原因となって背骨の歪みを促進するだけに止まらず、脚力や握力へと波及して人体のあらゆるバランス を損なう。 ・・「脚力」・・ 脚力は、その人間の生活の状況に相応しく備わるものであり、険しい山間部を上り下りする生活を日常とする人間には、 当然の如くそれに相応しい脚力が備わり、平地を生活の拠点とする者には、それに適した脚力が備わるのでり、その日常 生活条件を満たさない者が、トレーニングによって脚力だけそれに適応する仕様に改良するのは全く意味を持たない。 平 地での生活に適した脚力を持つ人間が、筋肉トレーニングに依って山間部を上り下りに適した脚力に改造したところで、 平地での生活の中でその脚力を維持する事は出来ないし、その脚力が平地での生活に役立つ事もない。 その殆どを脚力に依存するスポーツの代表は競輪であり、競輪選手の脚力は当然ながら大腿四頭筋から外側広筋や内側 広筋、ヒラメ筋や前ケイ骨筋から長ヒ骨筋や長指伸筋まで、その肥大の仕方は芸術品と云ってもよい程の見事さであるが、 如何せん平地での二足歩行には適さない。 競輪選手にとって、その総ては競技での勝利であり、現役選手は万難を排して 脚力トレーニングに励む事によって、筋力の維持と向上に勤める事が出来るが、引退して相応の期間が過ぎれば、その生 活環境に相応しい脚力に生まれ変わるのである。 脚力は歩いたり走ったりする事によって鍛えられると云う誤解が少なからずあるが、ウォーキングやジョギングによっ て脚力が鍛えられると云う事は本来無い。 日常生活に於いて歩く事が少なくなった人間は当然の如く、それに相応しい脚 力になっていくのであり、その状態が長期化すれば歩行に適した脚力は萎縮していくが、活発に歩行を開始した場合、萎 縮した筋力にとっては歩行自体が負荷となって脚力は復活する。 然し、脚力とは正常範囲に復活した脚力が、歩行する事 によってそれ以上に鍛えられるという性質のものではなく、一般の人間が脚力を鍛えるべくそれ以上に懸命にウォーキン グやジョギングに励めば、次に訪れるのは磨耗による関節や筋肉の故障である。 脚力をただ単に歩く力と解釈するのであれば、通常の場合鍛える云々の問題ではなく、歩く事が減った人は通常の範囲 で歩く事を習慣にし、通常の範囲を超えて歩き続けている人は筋肉を休ませる習慣を身に付けるだけで事は足りるのであ る。 我々の二足歩行に於いて骨格と筋肉の重要性を如何に力説しても、それらは飽くまでも基本的要素に過ぎず、その歩 行運動を支えているのはバランスと惰力であり、骨格と筋肉が相応に備わっていてもバランスと惰力を欠いた状態ではス ムーズな歩行は行えない。 平衡感覚を司る内耳に障害が起こればスムーズに歩くことが困難になるし、長期間臥せってい た病み上がりの人が急に歩けないのは、筋肉の衰えよりも平衡感覚の衰えであり、平衡感覚が戻ってくれば普通に歩ける ようになる。 然し、脳卒中の後遺症や関節部の損傷による歩行困難を、歩行によって改善しようとする行為は全く無駄や危険な事で 慎まなければならない。 脳卒中の後遺症である半身筋肉の萎縮によってバランスと惰力を欠いた状態で脚力を得ようと しても、それは決して得られるものではない。 骨や骨の関節部や筋肉の損傷及び、その後遺症は先ず歩く以外の方法を用 いて、正しく歩ける状態に筋肉を矯正した上で歩くべきであり、殊に高齢者のように筋力の衰えた状態でウォーキングな どを始めた場合、脚力が戻る前に骨や関節に負担がダイレクトに掛かって故障をするのである。 理想的な脚力トレーニングは、仰向けに寝て片方の足を浮かして親指同士を重ねて、浮かした方の足を引いて親指をこ すり合わせる方法を左右相互に回数を増やしていく。 これは寝る前や起きる前に布団の上でやる事で相当な効果がある。 ・・「握力」・・ 握力は、人間にとって不可欠の力ではあるが、通常の社会生活の中で必要以上にそれを求められる事もなく、スポーツ に於いても重要な力でありながら潜在的な力と云う思い込みが強く、その力に対する関心を持たれる事も、積極的にそれ を高めるトレーニングが行われる事も、他の筋肉トレーニングに比較して極端に少ない。 然し、握力は実質的な筋肉運動 を優位にするだけに止まらず高齢者の場合などは精神面に作用する働きも強く、極端な握力の衰えは消極的思考や否定的 な発想の元にもなり易いが、これは握力が他の筋肉と違い遺伝子の中に組み込まれた人類としての本能的な力である事に 由来する。 人間は、握力に依存して生活をする習慣から遠ざかって久しく、握力の低下も相当なものがあるが、日常生活を樹の上 で暮らすオランウータンや生活に必要な総てのものを握力に頼って処理するゴリラなどの霊長類は四百ー五百の握力を有 するのも珍しくはなく、これらにとって握力の衰えは即生活レベルに及ぶ重大事なのである。 然し、如何に器物が現代人 の握力を補うとは云え、嘗て他の霊長類と同様に生活手段の多くは握力に依存した記憶は人間の脳に残されており、握力 の低下がもたらす心身への影響は計り知れない。 効果的なトレーニングにはロッククライミングなどがあるが場所を選ぶ欠点があり、壁の桟など手近な出っ張りに指を 引っ掛けて懸垂をするのも効果があるが、これは握力が付く前に故障の危険がある。 左右の指を交差して互いに負荷を掛 け合うのが、簡単でありながら即効性と場所を必要としない理想的なトレーニングであり、この方法を越える有効且つ手 軽な握力トレーニングは存在しない。 握力トレーニングの代表は、バネを利用したグリップハンドであるが、その器具の 仕組みと握力の育成される関係に於いて、「遣らないよりは良い」程度のものでしかなく、テニスの軟式ボールを握った り、拳を握ったり開いたりする運動を繰り返すのも同様で、このようなトレーニングで握力の向上を目指すのは全くのナ ンセンス以外の何ものでもない。 ・・「腹筋力」・・ 腹筋力は、人体に於ける根幹的なもので、総ての筋肉の要である事は云うに及ばず、骨格の歪みに関わるなど、これが 衰える事によって人体には様々な不都合が引き起こされるが、中でも腰の痛みに関わる大部分はこれであり、農作業など 前屈姿勢での作業は腹筋力なくして出来るものではない。 一見して前屈姿勢と腹筋の間に相互作用は見受けられないが、 腰椎は腹筋力に支えられることによって自然に前屈姿勢をとれるのであり、腹筋が衰えた状態で農作業などをすれば腰椎 に直接負担が掛かってしまい腰痛は必至である。 二足歩行をする肉体にとって背骨と呼ばれる数々の脊柱は最も重要な部分であると共に、人間の生命線である脊髄を護 る絶対不可欠の存在であるが、人体を形成する総ての骨がそうであるように脊柱もその例外ではなく、其々の筋肉の働き を無くして動く事も支えることも出来ないのである。 中でも腹筋は内臓を護って筋肉連動の中核となるだけでなく、人間 の生活運動の要である前倒姿勢と前屈姿勢を支えるメインの筋肉であり、この筋肉が衰える事は即ち人間としての健全な 容姿と運動を保てないと云う事なのである。 我々は二足歩行が人間の原点であると考えられるが、人類の種にとってそれは単に生き抜く手段に過ぎない。 人類の総 ては脳と脊髄に凝縮され、脊柱はその脳と脳髄を繋ぐ幹線道路であるが、骨格としては非常に脆弱で、その支えは圧倒的 に腹筋に依存されており、腹筋が柱とは名ばかりの脊柱を支える堅固な壁の役割を果たさなくなったとき、人体と云う構 造建築物は崩壊の一途を辿り始めるのである。 然し、腹筋の重要性は誰もが認めながらも、それを鍛えるトレーニングは総じて強引であり、それによって腰痛を招く 事も少なくないが、本来、普通の日常生活の範囲であれば、スポーツ選手でもない限り一般人が腹筋を鍛える必要は全く 無く、正しい姿勢と下腹を常に意識して腹筋の緊張を保っていれば腹筋が衰えて生活に支障が出るような事態は起こらな い。 加齢による腹筋の衰えは偏に姿勢の悪さであり、人体の重力を逃す仕組みに依存しすぎる事によって腹筋が本来の形 状を保てなくなる事がその原因である。 腹筋は人体の矯正機能を司っており、その腹筋を正常に保っている限り骨格の歪 みやそれに纏わる支障は起こらないのが普通である。 腹筋は直立時には極力緊張させておくべきであるが、他の姿勢の時でも意識的に緊張状態にしておく事が望ましく、そ の緊張によって正常な容姿は保たれるのである。 緩んだ状態が日常化しだすと内臓や皮下に脂肪が蓄積し中年太りの容姿 になるのであり、既に中年太りの体型で、其れをスリムに矯正したいのであれば、先ず根気良く下腹を引っ込める練習か から始め、其れを習慣的にして容易に引っ込める事が出来だしたら、腹を引っ込めた状態で笑うのである。 笑いすぎて腹 筋が痛くなった経験は誰にでも一度はあると思うが、この場合本当に笑う必要は無く、息を吐き出して下腹を思いっ切り 凹ませた状態で、更に残った息を小刻みに吐き出しながら腹筋を揺さぶるのである。 腹筋は息を吸い込むときに緩み、吐 き出すときに緊張する仕組みになっているので、それを利用して腹筋を鍛えるのが理想的である。 因みに咳のし過ぎや笑 笑いすぎて腹が痛いのは、緊張した腹筋に息を吐き出す事によって追い討ちを掛けるからで、シャックリを何度しても痛 くならないのはシャックリが息を吐く行為によって起こっているからである。 ・・「筋肉と脳」・・ 動物の中で筋肉トレーニングと称して筋肉の肥大を目論むのは人間だけであり、普通の人間の十倍前後の握力を誇るオ ランウータンでさえ握力の筋肉トレーニングをする事も無ければ、比類の腕力を誇るマウンテンゴリラが腕立て伏せによ って筋力アップを図る事も、哺乳類最速のチーターが脚力を鍛える事も無い。 総ては遺伝による筋肉形成のたまものであ るが、これは亦筋肉を形成するのが脳である事の証明でもある。 総ての筋肉トレーニングは、筋肉線維は負荷運動によって肥大すると云う事実に則って行われ、如何に筋肉に合理的な 負荷を掛けて筋力を高めるかが筋肉トレーニングのテーマであるが、現実には筋肉に対する負荷の問題よりも、負荷に対 する脳の認識の問題の方がより重大である。 脳は人体の中で唯一意識を持った臓器であり、その意識は人体の随所に働き かけられているが、総ての意識は脳の嗜好を優先する事を前提として仕組まれており、筋肉トレーニングに伴う「苦痛」 「我慢」と云った事態は脳にとって最も嫌悪するところで、こう云った負荷を肉体に掛け続ければ、脳はその負荷に対す る苦痛から逃れようとして故障や挫折の方向に動き出してしまう。 そう云った意味に於いて、楽しく心地良いと云う認識 を如何にして脳に持たせるかと云う事が筋肉トレーニングには優先されるのである。 本来、人体に於ける筋力のアップは人体を支配する脳にとって大きな利益であり、それを目的とした筋肉トレーニング は歓迎すべき事ではあるが、如何せん目先の状況に左右され易い脳にとっては、筋肉トレーニングによって得られる筋力 よりも、それによって被る苦痛や我慢の回避を優先させるのである。 苦痛は嫌い、快楽は好きと云う脳の本質的な意識を 如何に諌めて改善し、筋力アップと云う人体の最大利益を得るかが筋肉トレーニングに於ける本当のテーマなのである。 人体に於ける総ての退化と進化は脳に委ねられており、脳が率先して進化に関与していくのであれば、意図的に一定の 箇所を進化させる事は難しい事ではなく、筋肉の進化もその例外ではない。 結局のところ筋肉トレーニングとは云いなが ら、如何にして脳を騙し、思い込ませて筋肥大を起こさせるかと云う事であるが、脳は非常に自分本位の臓器であると共 に相当な気紛れであり、メンタル面の教育を抜きにして筋肉トレーニングを語るわけにはいかない。 筋肉トレーニングは、 その方法や手段よりも寧ろ、それに取り組む姿勢と継続させる意識を如何にして脳に植え付ける事が出来るかに掛かって いるのである。 脳にとって最大の敵である苦痛を与えず、飽きっぽいと云う性質を継続に向かわせる事が出来れば筋肉トレーニングは 半ば成功したのも同然であり、それを好ましいと脳が感知すれば率先してそれに取り組み、延々とそれを継続させるので ある。 脳が納得し、喜んで取り組み、率先して継続するように仕向ける為には、そのトレーニングに掛かる筋肉への負荷 が軽微で尚且つ際立った成果を現す事が重要である。 我々は筋肉の肥大に於いて、如何にして大きな負荷を筋肉に掛けるかを問題にするが、脳と筋肉の関係に於いて筋肥大 を求めるのであれば、筋線維を肥大させる為にその筋肉に過剰な負荷を掛ける必要は何処にも無い。 軽微な負荷であって も脳が其れを過剰な負荷と認識すれば、その筋肉は肥大を起こすのであり、「重負荷による筋線維の断裂と超回復が筋肥 大のメカニズム」であると考えるのは、脳と筋肉の関係に於いて全く理不尽な見解である。 脳と筋肉の関係に於いて最も重大なことは、「結果的」に重たいものを持つ事によって筋肉が肥大するのであって、重 たいものを持つから筋肉が肥大するわけではないと云う仕組みの存在である。 筋肉に負荷が掛かった場合、一過性であれ ば筋肉痛や故障によってその負荷は消費されて筋肥大を起こす事はないが、その負荷が継続的に掛かった場合、脳はその 箇所の筋肉を増強させることによって強度を増す体制に入る。 その場合に脳は実際に筋肉に働いた負荷の重量ではなく、 飽くまでも脳が感知した負荷の重量に見合った補強をするのであり、其れが実際には軽微な負荷であっても脳がそれを大 きな負荷と認知すれば、その箇所は実際の負荷が掛かったと同じように肥大するのである。 筋肥大は脳が重たいものを継続的に持ったと認識する事を前提にして起こるのであり、如何にして重たいものを持って いると脳に認識させるかが、本来の筋肉トレーニングのポイントである。 然し、十キロの石を脳が五十キロの重量と認識 すれば五十キロの負荷運動に相当する筋肥大が起こるのが脳と筋肉の仕組みであるが、一方で脳には慣れると云う基本的 な性質があり、五十キロの負荷にも慣れてしまえば更なる負荷を必要としなければ筋肥大は起こらない。 軽微な負荷を大 きな負荷と脳に認識させて、その負荷を掛け続けるかが鍵となる。 ・・「成長ホルモンと筋肉」・・ 脳と筋肉の関係を取り持つのは成長ホルモンであり、詰まるところ筋肉トレーニングとは筋肥大の媒体となる成長ホル モンを如何にして誘導するかと云う処であり、汗水たらして重たいものを持たなくても、脳に重たいものを持ったと認識 させることさえ出来れば筋肉トレーニングは成立するのである。 一キロの鉄を十キロの重さであると脳に認知させて、毎 日百回上げ下ろしして肥大した筋肉と、実際に十キロの鉄を毎日百回上げ下ろしして肥大した筋肉の力は同じであるが、 現実には右手に左手を被せただけの負荷であっても筋肥大は起こり、それによって造られた筋肉の力も実際の鉄の塊を上 げ下ろしして出来た筋肥大と全く同じものなのである。 一般的に筋肉トレーニングに励む人達は、目的を持って種目に応じた筋肉を鍛えるスポーツ選手と違い、多くの場合速 筋を手っ取り早く鍛えたがる傾向がある。 速筋は無酸素機構と呼ばれ、グリコーゲンなどを分解して収縮エネルギーとす る白筋線維は瞬間的に強い力を発揮する筋線維であり、腕力とはこの筋肉の代名詞であるが、筋肉トレーニングに於いて 常に物議を醸し出すのはこの筋肉の育成方法である。 この筋線維を肥大させるためには、七割から八割以上の重い負荷を 掛ける必要があると云うのが一般論であり、その為にはより大きな負荷を如何にして継続的に筋線維に掛けることが出来 るかがポイントとなっている。 確かに、それによって筋線維が肥大する事は疑う余地も無いが、それが総てであるという 錯覚を未だに拭い去れない事が怪我の誘発や効率の悪い筋肉トレーニングに終始する要因となっている。 成長ホルモンと筋肉の関係に於いて重要な事は、脳が認知したどの時点の負荷に対して成長ホルモンが誘導されるのか と云うところである。 ホルモンは「刺激」と云う言葉に要約できるが、脳が筋肉トレーニングによる負荷に対して刺激を 受けるのは掛かった負荷が解放される瞬間であり、解放される瞬間にマックスの負荷が掛かったと脳に認知するように仕 向けておけば、脳はその認知した時点の負荷に相応しい量の成長ホルモンを下垂体から送り出して来るのである。 筋肉の 肥大が掛かった負荷を解放することによって起こるのであれば、八割以上もの重い負荷を掛ける事に意味は無い。 筋肉ト レーニングに於いて負荷を掛ける意味合いは、脳にその重量を認知させて成長ホルモンを促す事にあるのであれば、掛け る負荷に対する固定観念も大きく揺らぎ、端的に言えば人間の筋肉はマシーンやダンベルと云った器具での負荷を全く掛 けることも無く、筋線維の肥大を起こす事が出来ると云う事なのである。 筋肉トレーニングとは如何に重たいものを持つかではなく、如何に脳に負荷が掛かっている事を認識させるかと云うこ とであり、脳が負荷を認識すれば、必ずその負荷に見合った成長ホルモンが筋肉に導入されて筋肥大が起こるのである。 人体が秘める偉大な仕組みは随所に隠されているが、筋肉とその肥大の鍵が成長ホルモンと云う刺激である事実は、日常 生活の支えを筋肉に委ねている人類にとって膨大な利益をもたらすものであり、この説に則って筋肉トレーニングが行わ れるのであれば、スーパーマンのような老人も当たり前に存在する事になる。 ・・「筋肉とダイエット」・・ 人体に於いては、「体は銀行、脂肪は貯金」であり、見た目の悪さや動きにくさを問題にしなければ、体に脂肪が蓄積 している状態は決して悪いことではないが、問題は蓄積された脂肪の量と、それが体内に蓄積される原因である。 体内に脂肪が蓄積される原因は、「需要と供給のバランス」に於いて供給が需要に勝る事にあり、需要に供給が追いつ かなければ脂肪が蓄積する事はない。 それ故にダイエットのターゲットにされるのは常に供給の側であり、何をどうやっ て摂取するかがダイエットの大筋を占めているが、こう云った観点に立ったダイエットは人生に於いて非常に無味なもの で、脳にとっても痩せる為に「生きる醍醐味」である食を我慢するのは耐えられない事態であり、必ずリバウンドと云う 形で脳は自分の要求を突きつけてくる。 様々な観点から多種多様なダイエット方法が紹介されているが、これらの多くの問題点は、意識の支配する領域である 食べると云う問題に言及する余りに、肉体の支配にある需要の問題を疎かにしている点である。 そもそも人間の多くが至 る中年太りとは、食べる側の問題によって起こるのではなく、食べる事によって得たエネルギーの消費側の問題が大きく 関与しており、省エネ年代の中年に差し掛かっても尚、若い頃と替わらない食生活によって余ったカロリーが繰越に因っ て体内に蓄積されて起こるのである。 中年が省エネ型になるのは、過去の長きに亘って食糧危機と向かい合ってきた生命体の知恵ではあろうが、グルメ情報 真っ盛りの現代社会に於いて病人でもない人間が食に対してストイックに生きるのは、脳の一番の欲求を無視する事であ り、これは脳にとってプチ拷問である。 中年に差し掛かって消費エネルギーが少なくなるのは、筋肉量の減少による代謝 力の低下であり、新陳代謝の低下をダイエットのレベルで軽々しく扱う現代社会の傾向には恐れ入るばかりであるが、こ れは最早人体の根幹レベルの低下を意味するもので、食事の摂取量を制限して済む問題ではない。 加齢による生活の質の低下を防ぎ、病気を予防する方法が食事制限によって根本的に解決する事は有得ない。 総ては筋 肉量の低下によって起こる連鎖であり、適正な筋肉量を維持することが新陳代謝を適正にし、それによって病気は予防さ れて生活の質が維持され、結果的にダイエットとは関係なく適正な体型を維持できるのである。 懸命に食事制限をして理 想の体型を造り上げても、骨はカスカス、筋肉は萎縮では到底人間力を発揮して人生を謳歌することは叶わない。 筋肉が 骨を造り、その骨が体を支え、その体が生活の質を向上させるシステムは、決してダイエットで創り出す事は出来ない。 ・・付け加え・・ 文体及び説明に於ける力不足故、理解に於いて意に沿えない部分が多々あるとは想いますが、其処のところは読み手の 努力を以て補って頂きたい。 然しながら、筋肉トレーニングに於いて梃子入れ効果を用いる発想を何故、これまで人類が 見出して来る事が出来なかったのか不思議でもあるが、この筋肉トレーニングが市民権を得た時に、現在行なわれている 筋肉トレーニングが否定される事を考えれば、この筋肉トレーニング方法を開発した事は、筋肉トレーニング界のパンド ラの箱を開けたのかもしれない。

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吉川英治 新書太閤記 第六分冊

いとも た やすく 行 われる 十 三 歳 が 生きる 為 の お 仕事

2010年09月30日 21世紀は価値観のパラダイムシフトが起こるのはもちろんのこと、経済が不安定になるのは目に見えています。 資本主義の崩壊を叫ぶ学者やアナリストは多いですが、次の時代はどのような価値が重んじらると思いますか?年金問題や預金封鎖など煽られるとどうしても不安になってしまいます。 (秋田県・会社員・Dさん・男性・53歳) 石器時代は、いかに獲物を獲得するかが 決定打でした。 戦国時代は、武術や何万石のリーダーか、 といった腕力、勢力が決定打でした。 20世紀は、どれだけお金持ちか、という のが決定打でした。 もちろん、間には元禄文化や化政文化と いった文化が栄えて、その時代は藝術的 なセンスが評価されたこともあったでしょう。 それぞれ決定打はコロコロ変わってきた わけですが、ベースは同じです。 それは、 「性欲をいかに満たすことができるか」 です。 人類が始まって以来、常にこのベースは、 揺るぎないものです。 あらゆるものは、もとを辿れば性欲を満 たすためにつながっているのです。 男性は女性に何で評価されるかによって、 磨くものが変わってきます。 お金の力であれば、その国の経済力は 見る見る発展していきます。 イケメンだったら、眉のテンプレートやプチ 整形が流行ります。 ちなみに、香港に行ったときに若い女性 たちに直接インタビューしてみたら、 「美味しいものを食べさせてくれる人」 「エリート」 と口を揃えてお洒落な回答が返ってきま した。 露骨にお金持ちと言わないところがミソ です。 中国もインドも欧米も日本以外は全部露 骨にいい学校を出た人をストレートに尊敬 します。 あと、米国の男性は、全員筋トレをしてい ます。 デブとガリは絶対にモテないからです。 マッチョがモテるのではありません。 マッチョはほんのスタートラインなのです。 日本人一般男性のほとんどがフリーウエイ トでベンチプレスをやると60kgなんて絶対 に正式なフォームで上下できません。 米国では100kgオーバーなんてザラです。 女性がそれを求めているからです。 米国でヘナチョコは子孫を残せる可能性す ら減ってしまうのです。 これからの日本がどうなるのかは、女性た ちが何を求めるのかにかかっているのは、 何も経営に限らず、日本経済も政治経済も 同じなのです。 残念ながら性欲を満たせない人は、お酒 に溺れたり、ドラッグに溺れたりするのは 世界共通です。 お酒やドラッグ以外でハイになれるもの を仕事にできる人は成功します。 性の衝動を仕事に変換できる人のこと を、人は天才と呼びます。 膨大な作品を生み出す画家や作家は性 衝動を変換できたからです。 偉大な組織のリーダーも同じです。 もちろん、モテますしお金持ちになって幸 せになる可能性が高いです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月29日 うちの会社の数々の矛盾に苛立っています。 転職も考えたのですが、すでに私は2度の転職を経験しており、人に使われるようなサラリーマンは向いてないな、と自分でも気づいてきました。 矛盾を一つひとつ正していくことは難しいし、現実的ではありません。 転職するか独立するかあるいは別の方法があるか模索中です。 甘ったれた質問であることは重々承知ですが、矛盾を受け入れる方法、あるいは、解決する方法があれば教えてください。 (兵庫県・会社員・Tさん・女性・28歳) 会社はもともと矛盾だらけのものです。 矛盾だらけでも、給料が出続けるという ところが実に美味しいのです。 矛盾のない会社で働く方法は1つしか ありません。 自分で会社をつくることです。 自分で会社をつくると、好き勝手にでき ますが、今度は別の不満が出てきます。 サラリーマンのときには、成果が出なく ても上司の厭味に堪えさえすれば、毎 月指定口座に同じ額の給料が振り込ま れていました。 でも、独立したらそれはありません。 働いた分だけ振り込まれないのです。 成果を出した分だけが振り込まれます。 矛盾がないというのは、本来そういうこと です。 汗をかいたか否か、残業したか否か、が んばったか否か、はまったく意味があり ません。 会社に対して売上総利益(売上-原価) で、1000万円納めたら300万円もらう 資格があります。 年収1000万円欲しかったら、売上総利 益で3000万円納めるだけの話です。 様々な会社を見てきましたが、それに匹 敵するビジネスパーソンは20%いれば、 その会社は優秀なほうでした。 独立してやっていくためには、この感覚が 大切です。 自分は3000万円の売上総利益を 納めているから独立したら1000万円 は確保できる、と考えるのはまだ早 合点です。 それは今いるお客さんが全員自分につい てきてくれたら、という希望的な話です。 部下の人件費、間接部門スタッフの人件 費を忘れてはいけません。 特にセールスの方に多いのは、自分の 会社の看板と自分の力を間違っているこ とです。 大企業から独立した人も同じです。 自分が人として見ていなかったような、 取引先の弱小零細企業の社員たちに さえ、軽くあしらわれてしまいます。 人は鏡です。 大企業に在籍していた頃の自分の姿が そのまま反射してるに過ぎません。 「あの人だけは大丈夫」と確信していた お客さんはすべて皮算用であることを知 ることでしょう。 それは、自分が相手をそうした目で見て いた事実をそのまま教わっているのです。 結局、独立して矛盾がなくなったほうが、 大半の人たちにとっては辛くなってしまう のです。 矛盾していたほうが、甘えることができて 幸せです。 怒鳴られたり、軽くあしらわれたり、窓際 に寄せられるのを我慢するだけで、毎月 給料が振り込まれていること自体が矛盾 しているのです。 矛盾から卒業すると、厳しい現実が待っ ています。 それでも矛盾から卒業したいという人だけ が独立してやっていけるのです。 仮に収入が10分の1になってもやりたい ことがあれば生きていけるでしょう。 お金儲けのためだけに独立するのであれ ば、精神が続きません。 高々1億円稼いだところで、サラリーマンに は勝ったことにはならないのです。 矛盾のありがたさを感じられないようで は、独立してはいけません。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月28日 これから研修・セミナーの講師をしていくことになりました。 人前で話をすることは比較的好きだったのですが、それはあくまでも挨拶や数分間のスピーチレベルでの話です。 今までお金をもらいながら1時間とか2時間の話を初対面の人前で話し続けた経験などありません。 しかし、仕事だからそんな呑気なことも言っていられなくりました。 講師としてこれから活躍していくためにアドバイス、注意点等ございましたらよろしくお願いします。 (東京都・会社員・Tさん・男性・29歳) 講演をしていて勉強になるのは、まず人 に説明できないことは自分もわかってい ないと気づかされることです。 知っていることと、伝えることではまった く違います。 これは、愛していることと愛していること を伝えることはまったく違うのとまさに同 じです。 伝えることができて、はじめてわかっ たことになります。 講演をすると、自分が話したいな、と感 じていたことの、たった1割くらいしか話 せません。 あれも話したい、これも話したい、と思っ ていたのに時間が足りなくなってしまっ て終了です。 そして、自己嫌悪に陥ります。 理由は簡単です。 準備不足につきます。 どんなにベテランでも、準備してきたこと の1割しか話せません。 これはこれから先もずっと変わりません。 100%話したい人は、1000%の準 備をするしかないということです。 いたってシンプルです。 どうせ1割しか話せないのだから、同じ なのではありません。 どうせ1割しか話せないからこそ、その 1割の密度を上げていくのです。 1割の密度を上げていくと、捨てた9 割がオーラになります。 捨てた9割が「奥の深さ」「魅力」に直結 するのです。 ついでに講演が巧い人は、自分が聴く 側に回ったときに、質問の仕方も巧い です。 講演会場にはたいてい1人は混ざって いる、 質問のための質問。 これだけ自分は知っているぞ君。 は、いずれも講演できない人たちです。 会社の会議でも私語が多いタイプです。 私語が多い人に当てると、質問のため の質問やあまり関係のない知識を披露 するスピーチが始まってしまいます。 そういう人たちへの対応の仕方も講演 には含まれています。 だからこそ、講師は聴く側に回った際に どちらの気持ちもわかるのです。 先生の経験と、生徒の関係のどちらも 必須です。 どちらか片方だけでは、魅力が半減して しまいます。 否、どちらか片方だけだと、消化不良を 起こしてしまうのは人体と同じです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月27日 プロジェクトが次から次へと成功し、社内でもその成果が急激に認められてきました。 一見申し分ない人生のようですが、社内の一部の先輩社員や仲間だったはずの同期たちから明らかな嫌がらせを受けるようになりました。 あの手この手で巧みに私の足を引っ張ってくるのです。 余りに露骨だと極端な話、殺意さえ抱いてしまうくらいにこの人たちが憎くなるときもあります。 私は行動力には自信があるのですが、口下手なためにこんなことでもクヨクヨ悩んでいます。 考えすぎでしょうか。 (東京都・会社員・Iさん・男性・36歳) 大丈夫です。 ちゃんと自分としてはがんばっている つもりなのに、次から次に嫌がらせを されてしまう。 邪魔をする人が出てくる。 これは、間もなく成功する証拠です。 間もなく成功する人に対して、世間 は厳しくなります。 もちろん、原因は嫉妬です。 でも、嫉妬されることは実はありがた いことです。 成功しても人間性が貧弱なためにすぐ に落ちぶれてしまわないように、神様 が嫉妬する人を次から次へと目の前に 連れて来てくれているのです。 その人たちは、今回の人生は成功 者に嫉妬するためだけに生まれて きたのです。 がんばって成功しようとしている人 に対して、傲慢になってはいけない よ、と気づかせるためだけに生まれ てきたのです。 お気の毒ですが、事実としてそういう 人生もあります。 でも、Iさんは別の人生を歩むために 生まれてきたわけです。 たいていの場合、同性との会話がギク シャクし始めるのが成功の前兆です。 正確にいうと、成功というよりも成長し ている証拠です。 次のステップへと進化しているのです。 成功者が同性よりも異性と二人で話を することが多いのは、浮気をしているわ けでも、遊んでいるわけでもありません。 同性からは嫉妬されるから会話が 噛み合わないことを経験上熟知して いるから、それだったら異性から学 ぼうという考えからです。 男性でまだ若いのに、収入も多くて影響 力を持ってきたら、必ず同性の補欠の先 輩たちから激しく嫉妬されます。 女性で若くて、美人で、学歴があって、 お金持ちの彼氏がいたら、同性からは 100%嫉妬されます。 それらのいずれも持ち合わせていない 人たちから厳しい目でチェックされるの です。 世の中にはチェックされながら人間 性を高めていって成功する人と、人 のチェックをし続けながら心身ともに おかしくなって死んでいく人のいずれ かしかありません。 どちらのコースを選ぶのかは、早いうち に自分で決めておくことです。 どちらのコースも一長一短です。 なぜなら、チェックする人のほうが割 合からいくと圧倒的多数だからです。 きっと、そちらのコースのほうが楽しい のでしょう。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月26日 千田さんの本を読んで、どうせ一度の人生なのだから自分も好きなことをして人生を生きていきたいと強く思うようになりました。 ただ、現実問題としてサラリーマンには「好きなこと」と「会社の仕事」を両立させるのは難しいです。 どうしても会社の仕事が忙しくて好きなことが疎かになってしまいます。 独立してやっていくしかないのでしょうが、好きなことだけで食べていけるほど実力もないし、世の中甘くはないと思います。 好きなことで生計を立てていくことができる基準のようなものってあるのでしょうか?(奈良県・会社員・Kさん・男性・40歳) 好きなことというのは、 継続できるという ことです。 成功して儲かることが好きなことではありま せん。 その人は成功してお金が儲かることが好き なことであって、本当に好きなことをしないま ま死んでしまいます。 たとえば、私はこのブログで返事を書いてい る間にまた別のブログを書きたくなります。 1つのブログを書いていると、勉強したり、 気づいたりして5つくらいネタが見つかります。 だから、永遠にネタが尽きません。 この 継続力が好きなことです。 上手くいくか否かは人が評価することであっ て、好き嫌いとは無関係です。 本の原稿を書いていても、その原稿を書いて いる最中に次の本のテーマが生まれます。 今月私はTSUTAYAビジネスカレッジで講師 を務めてきましたが、話している最中にどん どんネタが生まれてきました。 講演の内容は主催者に事前に渡したレジュ メとは当日ガラリと変えました。 当日の参加者の顔を見て、 「あ、この人が来てくれているから、こんな 話をしよう」 「あ、この人も忙しいのに来てくれたから、 とっておきの話をしよう」 「この美人を笑わせよう」 と思って話します。 講演終了後には、新しい本が生まれるの です。 本を出すことが好きなのではなくて、 文章を書くことが好きだから続けられる のです。 大学に合格することが好きだという人は、 合格した途端に勉強しなくなります。 でも、勉強が好きだという人は一生勉強し 続けます。 継続することがその人が本当に好きなこと なのです。 「遊んでいないで、やりなさい!」 と強制されることは嫌いなことです。 「そんなことばかりやって、ダメな子にな りますよ!」 と言われることが好きなことです。 でも、実際には 「そんなこと」を24時間 365日やり続けていたら、 ダメな子には なりません。 中途半端に 「そんなこと」をやっているから、 迷ってしまってダメになるのです。 本気で10年継続したら、親も周囲も諦める ようになります。 そこからが 本当の誕生日なのです。 10年というのはあっという間です。 でも、継続している人にとっては意外に長く 感じます。 正確には、あっという間なのですが、圧縮さ れていろんなことがあったということがわか ります。 一度これを味わうと、好きなことを継続する 生き甲斐が忘れられなくなります。 だから慣性の法則で、一生好きなことを継続 して結果として成功しているように見えるの です。 毎日子どものような顔をして、イキイキとしな がら人生を生きていくことができるのです。 継続できないことをしているうちは、他人の ための人生を歩んでいるのであって、自分の 人生を歩んでいるわけではないのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月25日 「携帯電話が人体を破壊していく」といった内容の記事を読みました。 話半分に聴くにしても、ちゃんとした学位を持った人がコメントしていたのです。 確かに、世の中は便利になったには違いありませんが、何か大切なものを失っているような気がします。 便利で豊かになっているはずなのに、イライラしている人や心ない人が増えているように思えて仕方がありません。 とはいっても、携帯やパソコンを使わずにはいられない世の中ですが。 (徳島県・会社経営・Aさん・男性・35歳) 以下、すべて仮説です。 不妊治療をする夫婦が非常に多くなってきて います。 特に先進国にいえることです。 理由は1つではないでしょう。 ただ、科学技術が進化すればするほどに、 不妊が増えていくと思います。 それは、携帯やパソコン、ipad、ipod、iphone といったものによる電磁波です。 電磁波というのは学術的に認められており、 実在するものです。 人体に影響を及ぼすか否か、という点において 意見が分かれているというだけの話です。 数年前まで私は地方のホテルに宿泊していた ときに、 「これは怖いな」 と、感じていたことがあります。 2メートルは離れた場所に充電してある携帯に メール受信があると、古い型のテレビですが、 画面がビビッと音を発して上下揺れ始めたの です。 液晶ではない、古い型のテレビです。 これだけでも、凄まじい電磁波が部屋中に 発生していることが明らかです。 いろんな学術書を読んでも、専門家の中でも 意見が分かれているようです。 確定できない、というのが現在の結論らしい のですが、自分の身は自分で守るしかありま せん。 我々の人体はもちろん、地球上のものす べてが究極は電子で構成されています。 電子で構成されている以上、強烈な電磁波に 反応しないとは考えにくいです。 もし、人体に悪影響を与えることを公言し たら、世界経済に響くからしばらく伏せて いくのかもしれません。 携帯をウエストポーチやハンドバッグに入れて おくと、男性は睾丸、女性は子宮に電磁波が 直撃します。 いずれも細胞分裂が激しい部位ですから、 癌になるきっかけをつくらないとは断言でき ません。 うつ病をはじめ、精神に関する病気が先進国 で増えているのも、携帯で脳に電磁波を直撃 しているからなのかもしれません。 高校物理の簡単な公式ですが、電磁波の影 響力は距離の2乗に反比例しますから、たとえ 10cmでも身体と離すことによって、差が出て きます。 IT技術を駆使しているようなビジネスエリート たちは男女共に裕福でも子を授からない人が 多いのには、ひょっとしたら理由があるのかも しれません。 先進国の男性の精子の数が激減しているのと 無関係であればいいのですが。 地球上の人口がこれ以上増えないようにする ための自然の摂理だとすれば、恐ろしいです。 もっとも、栄養過多で肥満の人は一般に精子 が少ないと言われていますが。 追伸. 世界の要人たちの間では、 使用者が増えているのはなぜでしょうか?... 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月24日 世の中って、法律上は犯罪でなくともそれに匹敵することって多いように思います。 周囲を不快にして、不快になった人たちを逆に犯罪者に仕立ててしまう人っています。 私は今、損害保険会社に勤務しており、査定調査の仕事をしていますが、どう考えてもこの事故って当事者ではなくてその周囲にいたドン臭い、空気の読めない車が真の犯人だっていうことが多いのです。 でもその真の犯人はブーッとそのまま通過して家族団欒の中、夕飯でも食べているのでしょう。 ちょっと愚痴っぽくなってしまいましたが、世の中ってこういうの多くないですか?(北海道・会社員・Iさん・女性・43歳) 犯罪にはならないにしても、犯罪以上に罪 が重いことはあります。 たとえば、こんな人はかなり致命的な犯罪 者です。 1.食事中にテンションを下げる人 2.出張中に訪問した人に荷物になる手 土産を持ち帰らせる人 3.朝っぱらからテンションを下げる人 これらはついついやってしまいます。 でも、たとえ「ついつい」やってしまっても、 本来極刑に匹敵する罪の重さです。 言い訳無用です。 本人に悪気がないところが、これまた重症 なのです。 この人たちの質が悪いのは、本人ではなく、 周囲の人たちを犯罪者に育ててしまうという ことです。 こうした環境で育てられた子どもは犯罪者 になります。 でも、犯罪者をつくった環境こそが、本当 の犯人なのです。 率直に申し上げて、これらの犯罪は病気な ので、いくら言って聞かせても相手には理解 不可能です。 だから、そっと自分から距離を置くしかありま せん。 高速道路で、暴走車が乱暴な運転をして、 グイグイごぼう抜きしているのに対抗しては いけないのと同じです。 暴走車からは自分からそっと距離を置くのが 一番です。 もらい事故を避ける方法は、これしかありま せん。 中学校の国語の教師で、やたら本音が多い けど、人望があった教師がいました。 その教師が言っていたことの中で、印象に残っ たことが1つあります。 40人いたら、最低1人は完璧におかしい人間 が混ざっている。 これはもう努力して矯正することは不可能だか ら気をつけなさい、と。 藝術的な国語の授業をする教師でした。 でも、きっとこんなに本音ばかり言っていては、 出世できないんだろうな、と余計な心配をして いましたが、その後最短コースで校長先生に なったようです。 この教師からは、本当に大切なことを教わり ました。 万引きと痴漢と放火も矯正できません。 繰り返します。 矯正できないことを嘆くのではなくて、矯正 できない人からいかにして距離を置くのか、 という考え方も大切なのです。 距離を置くことは、消極的な生き方ではあり ません。 人生において、より大切なことをするために、 必ず習得しておかなくてはならないことです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月23日 私は今ブログやツイッターに力を入れており、サイドビジネスをしています。 結果は鳴かず飛ばずですが、やっている時間はすっかり没頭しています。 本当は本業を辞めてしまって、サイドビジネスを主にしていきたいのですが、周囲からは猛反対されています。 やっぱり現実逃避なのでしょうか?パソコンに関しては中学生の頃から熱狂的でハマってました。 サイドビジネスはサイドビジネスだかこそ、楽しいのでしょうか?でも、現実にはごく一部とはいえ、生計を立てている人もいるわけです。 一度の人生を充実させたものにしたいのですが・・・(福岡県・会社員・Sさん・男性・34歳) 考えてみれば、最初にサインの練習をしたのは 高校生の頃でした。 今でもたまにそのサインを使います。 私はサインを二つ持っていますが、そのうち一 つは高校生の頃に考えたサインです。 高校の授業中はサインの練習にハマっていた こともありました。 明らかに現実逃避でした。 でも、青春時代に現実逃避していたことが今で は一番好きなことだったと気づきました。 現実逃避の中にこそ、その人の才能がある ということです。 現実逃避は好きなことをします。 だったら、その現実逃避だけを仕事にすればい いのです。 現実逃避に絵を描いた人は、それを貫くとマン ガ家になるかもしれません。 現実逃避に運動ばかりいた人は、それを貫くと スポーツ選手になるかもしれません。 現実逃避にカラオケ通いをしていた人は、それ を貫くと歌手になるかもしれません。 中途半端な現実逃避だと親や学校の先生 に説得されています。 親や学校の先生に説得されているようでは、 世の中に出てからその現実逃避の才能で勝負 していけるはずがありません。 だから、親や学校の先生の説得に乗らないか 否かは、その才能で食べていくことができるか 否かのテストなのです。 「今どき、大学くらいは行っておかないと」 「何だかんだいっても、公務員が一番安心」 「そんな夢みたいなこと言ってないで」 というのは、すべてテストなのです。 放っておいても、周囲が寄ってたかってテストを してくれているので、ラクチンです。 もし、あなたが、 「それもそうだよな・・・」 と説得されたら、それはそれで正解です。 説得を払い除けて、抜きんでる実力をつけて、 はじめて周囲は応援してくれます。 間もなくすると、 「アイツはオレが育てたんだ」 という自称 「師匠さん」が必ず現れます。 実は、自称 「師匠さん」は一番邪魔していた 人たちばかりです。 また、 「何かあったら力になるよ」 という人たちも複数現れます。 その人たちは、本当は失敗するのを笑いたかっ た人たちです。 みんな嫌なことを我慢しながらやって生きている 人たちばかりですから、好きなことを仕事にして いる人を見るとムカついて仕方がありません。 自分も現実逃避していたことを、仕事にしている のだから、嫉妬するのは当たり前です。 嫉妬する側と、嫉妬される側 この差は大きいです。 間もなくブレイクする人の共通点があります。 自称業界通の人たちから、 「アイツはもうすぐ終わるよ」 と言われる人です。 現実逃避をするなら、中途半端にではなくて、 本気で現実逃避しましょう。 それができないのであれば、説得されて我慢 の人生を送るのが無難です。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月22日 デジタル化がこれから進化していくに伴って、アナログも見直されています。 アナログだけでもダメ、デジタルだけでもダメ、ということで以前千田さんがおっしゃっていたことが思い出されます。 これから活かすべきアナログ力とは、たとえば具体的にどのようなものなのでしょうか?(神奈川県・会社員・Kさん・男性・37歳) デジタルで確認してアナログで決断する ということは人類が続く限り永遠です。 たとえば、インターネットでホテルの予約 をしたとしましょう。 そこには最高の映像が掲載されていて、 たいていは騙されます。 もうできてから20年以上も経って老朽化 著しいにもかかわらず、オープン当初の 写真を使っています。 ホテルに限りません。 レストランでもサービス業であればすべ て同じと考えてください。 アナログで決断する方法を言います。 必ず電話してみることです。 「予約したいのですが・・・」 と伝えてみて、感じが悪かったらすぐに その場でキャンセルしましょう。 もっと国民全体でキャンセルを積極的に していかないとサービスのレベルはいつ まで経っても向上しません。 電話対応はどのサービス業も厳しく教育 されています。 にもかかわらず、感じが悪いということは、 それ以外のサービスはもっと感じ悪いと いうことなのです。 インターネット上では、絶対にそこまでわ かりません。 ありとあらゆる手段を使って実態を隠ぺい しているからです。 一巡するまで騙し続けて最後の最後まで 田舎者からお金をむしり取ります。 そしてオーナーは売却して逃げるというの が典型的なパターンです。 最初からサービスになんて興味がないの がアナログであれば簡単にわかるのに、 デジタルに依存しきっていると騙されてし まうのです。 これは仕事でも同じです。 インターネット情報を収集するだけでなく、 必ずアナログ情報を掴んでおくことです。 「・・・らしい」 ではなくて、 「・・・だった」 と言えなくてはなりません。 「・・・らしい」という人の話は、いかにも いつも優等生的で抽象的です。 理路整然と説明されても、つまらないも のはやっぱりつまらないのです。 「・・・だった」という人の話は、いつも具 体的です。 まったく的を外していてもいいのです。 超具体的な支離滅裂の情報のほうが、 遥かに役立ちます。 香港に行ったことがない人が、いくら香 港ビジネスや香港の歴史をレクチャーし てもみんな眠くなってしまいます。 本人もきっとキツイはずなのに可哀想 です。 それよりは、実際に香港に行ったことが ある人の、 「香港の商店街はラードの腐った匂い がした」 という話を本当に辛そうな顔をしながら 話をされたほうが説得力があります。 説得力とは具体性です。 具体性はいつもアナログからしか得られ ないのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月21日 私は行動力がありません。 正確には継続力がありません。 そのため、仕事能力が今日に至るまでとても中途半端で悩んでいます。 20代の頃は30代になればどうにかなると思い込んでいました。 でもどうにもならないのです。 恥ずかしながら、口だけはやたら達者になったのですが・・・。 当然ながら上司からのウケは悪く、このままではリストラも免れません。 現状打破する方法はあるでしょうか?(群馬県・会社員・Mさん・男性・39歳) 反論したくなったときに、グッと飲み込むこと です。 議論に強い人は、実践に弱いです。 議論に勝つことによって満足して、行動が鈍っ てしまうからです。 これは、カッコ悪いです。 やっぱり人生は、実践してナンボです。 あーでもない、こーでもない、とやり合って、 議論で勝ったとしても、その人が何もやり遂 げていなかったら、結局その人は軽蔑され ます。 議論で勝つというのは、それくらい損なこと です。 口喧嘩の強い人は、大成できない人が多い のです。 朝まで生テレビを見ていると、口下手な人 でコテンパンにやっつけられている人のほう が実績があることに気づかされます。 理路整然とまくしたてる人は、実戦には弱い 人が多いのです。 本当に口の達者さと実践は反比例している のではないかと驚かされるくらいです。 議論で打ち勝つと、次の2つを失くします。 1.仲間 2.行動力 議論に負かされて気持ちのよい人はいま せんから、応援してくれる人が周囲にいな くなります。 でも、それより怖いのは自分の行動力 が鈍ってしまうことです。 顎(あご)の筋肉だけ発達してもまったくの 無意味です。 議論に強いのは必ずしも長所ではないこと を知っておきましょう。 議論に弱いことによって、それを行動力に 変換すればいいのです。 私が朝まで生テレビで興味があるのは1点 のみです。 出演した人たちのその後です。 議論に強い人が必ずしも実績を挙げている わけではありません。 議論に弱い人のほうが実績を挙げていること に注目すると面白い発見があります。 追伸. 人生で本当に議論で勝たなくてはならないの は、せいぜい数回でしょうね。 その数回は少なくとも逃げてはいけません。 普段議論ばかりしている人は、いざとなった ときは弱いものです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月20日 謙虚になる方法ってありますか?私は小さな成功ですぐにはしゃいでしまい、人を見下してしまう悪癖があります。 もちろん、年齢とともに表面上はごまかせるようになってきましたが、内面では何の変化もありません。 そんな自分がとても嫌いです。 本当は傲慢無礼な人間なのに、嘘をついて謙虚になっても意味がないのはわかっているのですが・・・(大阪府・会社員・Tさん・女性・30歳) できるだけ感受性の高い若いうちに才能の 塊である天才と出逢って、打ちのめされて おくことです。 さんというSF作家がいます。 1995年にで日本ホラー 小説大賞を受賞されました。 『パラサイト・イブ』は大反響を呼んでその後 映画化されました。 瀬名さんは当時大学院生で博士課程に通っ ていました。 私はまだ学部生でした。 ある日、いつもどおりに仙台の一番町どおり にある丸善に行ったら、ものすごい人だかり ができていました。 仙台名物七夕祭りでもないのに不思議です。 誰か芸能人でも来ているのかな、と思って、 行列の先を覗くと、とても地味な格好をした 若者がいました。 2002年にノーベル化学賞を受賞された、 さんをテレビで見たとき、すぐに 瀬名さんを彷彿させました。 「いったい、この人は何者だろう・・・」 行列に並んでいる人たちの手に持っている 本を見て合点がいきました。 自分とたいして歳が変わらないというのに、 世の中には凄い人がいるものだな、と焦り ました。 『深重の海』で直木賞を受賞したさん ならまだ納得がいきます。 津本さんは私の祖父の世代であり、かけ 離れ過ぎてピンとこないからです。 でも、瀬名秀明さんを間近で見たときには、 不思議な衝動に駆られました。 すぐにその行列の最後尾に並んだのでは ありません。 ヤバイ、と思って勉強しようと思ったのです。 もちろん、私はすでにその本を読んでいま したが、サインしてもらう気にはならなかっ たのです。 上手く表現できませんが、 「自分はその行列に並ぶ側になっては いけない」 と本能的に思ったのかもしれません。 『パラサイト・イブ』は単なるホラー映画 ではありません。 ミトコンドリアが地球外生物であるという仮説 がなぜ成立するのかを理解できていないと、 この映画の本当の意味はわかりません。 単に、葉月理緒菜がかわいい・・・とか、CG が怖い映画だった、で終わってしまいます。 手もとに瀬名さんの本『ミトコンドリアのちから』 があって、今でも何度も読み返しています。 瀬名さんは、やはりとんでもない天才でした。 20代半ばであの小説を書くことができるとい うのは、私の中ではどう贔屓目に見てもあり えませんでした。 とんでもない天才の、まだあどけない地味 な学生の頃の姿を生で見ることができて 本当に幸せでした。 いつもあの光景を思い出す度に、謙虚になる ことができます。 思い出す度に、ゾッとします。 悪夢で目が覚めます。 学生時代にとてつもない才能の塊、天才に出 逢っておくと、謙虚になることができるのです。 追伸. 通称「貧食」というカレーライス専門食堂があ りました。 学内で1番人気の食堂でした。 カレーライスが1杯160円で食べられた、貧 乏学生の強い味方だったからです。 そこでさんともすれ違っていた はずです。 なぜなら・・・、... 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月19日 うちの会社の従業員は、学歴的には優秀な人材を採用しているはずなのですが、なぜか年々新入社員たちのやる気がなくなっているように思えます。 そうした世の中の風潮なのかもしれませんが、徐々に業績が落ちているだけに将来が不吉です。 何というか、古い表現で文字どおり「指示待ち族」が急増しているのです。 指示されるまでボーっと待っているのですが、私にしてみれば信じられません。 採用ミスなのでしょうか?(東京都・会社管理職・Tさん・男性・41歳) リー・アイアコッカというクライスラー元会長、 フォード社元社長が言ったとされる有名な セリフがあります。 「ただぼうっとしていないで、どんなつま らないことでもとにかく何かを始めろ」 これは悲惨な会社の状況を目のあたりに してアイアコッカが従業員に言った言葉で した。 デキル人に暇を与えると、必ず何かを始め ます。 ぼうっとしないで、何かを考えたり、新しい 仕事を始めるのです。 業績の悪い会社、からきし成果を出せない 人たちというのは、決まってぼうっとしてい ます。 私のコンサルティング経験においても、 これにはもう例外がありませんでした。 「ほら、ぼうっとしていないで!」 と言っても効き目なんてありません。 人はもともと考えることが嫌いです。 放っておくと考えなくなるのです。 やる気のないぼうっとした人に火をつける のは非常に難しいのです。 採用や育成の際も、やる気のないぼうっと した人を採用してしまうことほど苦労させら れることはありません。 ぼうっとした人は意外なことにプライドが高 い人も多いのが事実です。 親や先生に言われるがままにしてきただ けで、心身ともに疲労困憊しているのです。 だから、ぼうっとした人に注意をすると、逆 切れされることも珍しくありません。 やる気というのは、一種の才能ですから、 もともとないやる気を叩き直すことは本質的 にはできません。 採用の際には、やる気を見抜くことが一番 大切なのです。 やる気を見抜く簡単なヒントをいくつか提示 しておきます。 1.面接の時間に遅刻しないか否か 2.お辞儀の仕方(深さ) 3.履歴書がびっしり埋まっているか否か やる気のある人は、丁寧さが必ず行動に 出ます。 細部に至るまで丁寧な人はやる気のある 人である可能性が高いです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月18日 世界の人口は増え続けていくのに、日本の人口は情けないことに減少傾向にあります。 これは市場が縮小してくことであり、海外戦略以外にもはや生き残る道はないのでしょうか?自分の業界においては、既に国内市場は頭打ちでM&Aがあちこちで起こっています。 海外戦略以外に何か方法はあるのでしょうか?社会保険制度や年金は大丈夫なのでしょうか?これからの日本の将来が不安です。 (東京都・会社経営・Mさん・男性・39歳) 人口減少は、このままいくと2050年頃には 1億人を切り、2100年頃には4080万人に なるというデータがあります。 当然そのとおりになれば市場は縮小し、今 までのように拡大志向で企業戦略を練るの は無理です。 「だったら海外戦略を練るしかない!」 と声を荒げる人もいますが、私はそれはあま り現実的ではないと思っています。 逆に、人口が減っても別に困らない世の中 にすることが大切だということです。 逆の発想で、人口がこのまま増え続けると いうことが、人類にとって幸せかといえばそ うではありません。 たとえば、現在の世界人口は約68億人です が、100億人、200億人・・・1000億人に なることが果たして幸せだと言えるでしょうか。 私はそうは思いません。 限られた資源の奪い合いになるのは目に見 えています。 そもそも日本の人口密度は高すぎます。 ただでさえ狭い上に山だらけの日本で、 1億2700万人いること自体が不自然かも しれません。 いろんなデータを照合して見ると、日本の 人口というのは、約6000万人くらいから 8000万人くらいが一番住みやすくて平和 なのではないかと思えます。 韓国や香港に行くとわかりますが、狭くて 人口密度が高いとみんな殺気立って言葉 が乱暴に聞こえます。 常に怒っている状態です。 あまり幸せだとは思えません。 人口密度が高くては、どんなにがんばって お金を稼いでも、広い家に住むことができな くなりますし、環境にも悪いです。 ここから、資本主義の限界が見えてくるという わけです。 ちなみに第2次世界大戦前がちょうど人口が 6000万人~8000万人くらいでした。 今より随分住みやすかったはずです。 経済力がなかったとしても、豊かな生活ができ るということです。 「人口が減ったら年金がもらえなくなるから 困るじゃないか!?」 という人は洗脳されています。 そもそも今の若者やこれからの若者は自分 たちのためだけに年金を払えばよいのであっ て、今のお年寄りのために支払うわけでは ありません。 つまり、今のお年寄りたちがもらっている年 金というのは、お年寄りたちが若い頃に支払っ た分から国が運用して返しているだけという のが本来のベースになる考え方です。 それを、 「ちゃんと若者が年金払わないと、困る!」 と発破をかけながら、今のお年寄りへ年金を 支払っているとしたら、おかしな話です。 自分たちが支払った分は、自分たちの分に 対して支払われるのですから。 国の運用さえ失敗していなければ、人口が減っ ても年金にはまったく影響がないわけです。 人口が減ってもほとんど困ることはないのです。 ベンツに乗ったり、大豪邸に住んだり、自家用 ジェットに乗れなくなる人が減ったとして、それ のいったい何が困るというのでしょうか? 何も困りません。 経済においては飢餓にならないレベルにまで すでにいるわけですから。 少子化は正しい流れであって、新しい社会 構造が一変するイノベーションが起こってい る証拠なのです。 拡大戦略というのは、実はダサいのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月17日 最近の哲学ブームの延長で今、宗教学にハマっています。 別に特定の宗教にハマっているわけではなくて、宗教の歴史を原点から勉強すると非常に面白いのです。 私はれっきとした民間人ですが、宗教と名だたる大企業を一代で成し遂げた創業社長とは紙一重だな、とつくづく感心させられます。 といっても100%鵜呑みにしてそれがすべて正しいと思っているわけではなく、ちょっと冷やかに見ているのですが・・・搾取する側と搾取される側の定めというのでしょうか?(広島県・会社員・Mさん・男性・35歳) 宗教の面白いところは、教祖がたいてい金持 ちだということです。 更に、取り巻きの幹部も小金持ちです。 そして末端の信者は「儲」かるという字にもか かわらず、たいていは貧乏だということです。 これが世界中の宗教で不思議なところです。 ひょっとしたら人間は貧乏で従うことに快感に なる本能があるのではないか、と思えるほど です。 無意識の奴隷願望です。 ちょっと考えたら、 「やってられるか!」 と言いたくなるようなことにも平気で従ってい るからです。 しかも教祖に感謝しながらです。 そもそも宗教を立ち上げた人というのは、もと もとすごく平等で差別はいけないという考え 方の人がほとんどです。 階級制度も反対の人が多いです。 お釈迦様はもともとすべてにおいて平等 主義だったのに、なぜか儒教は男尊女卑 です。 哲学者ニーチェはもともとキリストを評価して いましたが、キリスト教は批判しました。 だから、ニーチェはキリストを批判したと 勘違いしている人がたまにいます。 でも、ニーチェはキリスト教を批判したの です。 宗教を立ち上げた人と、それを伝える人とで は、時差を経てまったく別のものになってしま うこともあるということです。 これは伝言ゲームを考えてもわかります。 高々5人程度の伝言ゲームでも怪しいのに、 それが10人にもなると、もはやまともに伝言 が伝わることを誰も期待しません。 情報というのは、必ずそれを伝える人の意志 が込められるわけです。 つまり、情報を発する人の都合がいいよう に大なり小なり捏造されるのです。 これが、すべての宗教で教えの原点はすば らしいはずなのに、いつの間にかズレてしまっ て教祖とごく一部の幹部がぶくぶく太っていく パターンなのです。 会社経営もこれと同じことが言えます。 いつの間にか創業当初の理念を曲解して、 一部の幹部だけが甘い汁を吸うような仕組 みにしてしまいます。 民間企業はもっと宗教法人から学ばなくて はなりません。 民間企業は営利を追求するもので、宗 教法人は徳を追求するものだというのは、 みんな嘘だと知っています。 宗教法人もお金が大切です。 並の銀行や商社顔負けの財力を持っている 宗教法人もあります。 民間企業は宗教法人から学んで、宗教法人 は民間企業から学ぶのです。 結局、一代で1兆円以上の巨大企業を創 業した人物は、みんな宗教法人を立ち上 げたとしても成功した人たちばかりです。 民間企業を立ち上げたふりをしながら、実は 宗教法人を立ち上げているのです。 宗教法人を立ち上げるふりをしながら、実は 民間企業を立ち上げているのです。 追伸. 教祖がぽっちゃり型の宗教はちょっと・・・ 教祖がフェラーリやポルシェ乗ってる宗教も ちょっと・・・ もともとは我欲をなくして財産は実家にすべ て置くようにと教えたお釈迦様の教えと、明 らかに矛盾していませんか?... 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月16日 今、筋トレにハマってます。 1年間続けてきて、記録も伸びて楽しい時期です。 ところが、もともと弱点であった腰の故障が目立つようになってきました。 生来の負けん気からなのか、やるからには常に成長したいと思って、より重い重量でトレーニングしたいと思うのですが、どうやら骨までは鍛えることができないようです。 ほどほどが一番なのでしょうか?パワーリフティングをされていたという話を以前読んだことがあったので、質問させていただきました。 (埼玉県・会社員・Yさん・男性・27歳) 今私がいる部屋の目の前の青山通りでは、 夕方になるとジョギングしている人たちがた くさんいます。 また住人専用のトレーニングジムでもガシガ シ音を立てながら筋トレしている人もいます。 一度、ジョギングを楽しみ始めると麻薬のよう にそれが辞められなくなります。 これは筋トレもまったく同じです。 勝つためのスポーツやプロとしてお金をもらう 場合は仕方がありません。 本人たちもその価値があると判断しているわ けですから。 命を削ってでもお金を稼いでいるのです。 ただし、健康維持のためにジョギングをして いたり、激しい筋トレをしているのはまったく のナンセンスです。 ジョギング後にたくさんご飯を食べたり、お酒 を飲んでいる人は、単に命を削っているだけ なのです。 プロスポーツ選手は、ほとんどが短命なこと はご存じだと思います。 スポーツというのは、本格的にやると寿命を 縮めることは間違いありません。 その意味で私が命を削りながらスポーツに 打ち込んだのは、中学生の頃と大学生の頃 でした。 特に大学生の頃は限界を超えてまでやり切っ て、それを痛感しました。 運動のし過ぎは、運動不足よりもはるかに 体に悪いのです。 過剰なジョギングや筋トレは、骨をボロボロ にします。 後悔するのは40代後半から50代半ばに かけてです。 60代以降は一生の持病になります。 厳しいトレーニングをした人たちが、過酷な肉 体労働を積み重ねてきた人たちと似たように 老け込んでいくのは同じ理由からです。 私も痛いほどよくわかるのは、一度ハマると、 抜け出せないくらいのハイな気分に浸ること ができるのです。 でも、これは一種の現実逃避です。 50代半ば以降になって、本当に心身ともに 健康的に幸せそうになる人を見てください。 知的な人は、過酷な運動などしていません。 一番健康なのは、ちょっと早めに5分ほど 毎日歩くことです。 これはもはや間違いないようです。 しかも、ちょっと意識して手を大きく振りなが ら歩くといいでしょう。 自転車に乗るのでも構いません。 ただし、毎日継続することです。 携帯電話で話しながら運動しても、息が上 がって相手にバレてしまわないくらいの、 ギリギリの状態の運動です。 究極、歩く時には常に早歩きにする習慣 にしておけば運動不足とは無縁なのです。 学術書、専門書を読んでいて私がギクリとし た決定打は、激しくアスファルトを叩きつけ るような運動は、脳にダメージを与え続ける ということでした。 自分も含めて周囲の人たちを思い浮かべて、 私の運動に対する価値観を一変させた出 来事でした。 運動にハマってみることによって、単純に、 「運動は体にいいものだ」 といった常識を疑ってみることを学びました。 追伸. どうしても筋トレをしたいのならば、アルバイト などではない、ちゃんとしたプロの専門トレー ナーに個別指導してもらいながら、「加圧式」 がおススメです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月15日 以前、千田さんの講演で「支払期日を守れない人は、遅刻の常習犯である」という話を聴いて、度肝を抜かれました。 確かに、ただの一人の例外もなく見事に当てはまるからです。 加えてそうした会社は一時的に派手な利益を上げることはあっても、その後急速に衰退していきます。 まさにその姿は無残としか言いようがありません。 異常なほどに礼儀正しくて(単に卑屈?)笑顔が最高な人には、ドケチで継続的な成功者はいないな、と思うようになってきましたが、何故なのでしょう?(福島県・会社員・Sさん・男性・41歳) まず、貪欲に無料サンプルに飛びついた り、何でも聞いて質問していくのだけど、 お金を払わない人というのがどこにでもい ます。 凄く礼儀正しくて、笑顔も素敵なんだけど、 何に対してもお金は絶対に払わない人。 こうした人は何十年経っても成長せずに、 同じレベルをウロチョロしているだけです。 否、正確には現状維持せずに関わる人 たちすべてを巻き込みながらアリ地獄に 引きずり込んでいくのです。 食べることと着るものに対してだけは、お 金を払います。 それはそれでその人が選んだ人生です から、正しいのです。 なぜ、積極的にタダで聞いているのに吸 収力がないのでしょうか。 礼儀正しさも笑顔もあるのに、成長しない のでしょうか。 なぜなら、その礼儀正しさや笑顔はす べてが嘘だからです。 偽物の礼儀正しさや笑顔は必ず卑屈 になります。 無償でサービスを受けようとするために身 につけた武器だからです。 私は全国でいろんな会社の顧客インタビ ューをしてきました。 その中で人間の行動特性とその人の将来 をたくさん見てきました。 何千人と会って話をしているうちに、別に 望んでいなくても、その人の背中に映像の ように将来像が見えてくるようになりました。 私には霊感がないので、背後霊はもちろん 見えません。 でも、後天的に圧倒的な経験でその人の 特性や将来がわかりたくなくてもわかって しまうようになったのです。 最初の頃は、何か適当に思ったことがよく 当たるなぁ・・・と思っていました。 年々その頻度が等比級数的にアップして きて、そのうち確信に変わっていきます。 「この会社は必ず上場するだろうな」 「この人は将来必ずのし上がってくる」 「この人は社長になる」 「あぁ、この会社は業界では持て囃され ているけど、もうダメだな」 「この人、身内に絶対不幸が起きるな、 しかも1年以内に」 「この人、奥さんが鬱になって子どもが 登校拒否になるな」 というのが全部当たっていくのです。 きっかけはすべて小さなしぐさや発言から です。 何気ないしぐさや発言からパパパッと一瞬 で仮説構築されていくのです。 その中の1つに、お金の払い方、使い方と いうのが確実に決定打にありました。 ああ、そんなケチったら必ずしっぺ返しが 来るのに・・・ ああ、そんな醜くごまかしては自慢の長生 きお父さんが亡くなってしまうのに・・・ というのが見事に当たります。 買うと言ったのに買わない人。 支払期日を1日以上遅れる人。 例外なくその後不幸になっています。 正確に言うと不幸になるのではありません。 気づかされるために、何度でも不幸が 巡ってきて教わっているのです。 この恐ろしさを痛いほど教わったので、私は 遅刻と共にお金の振り込み期限は厳守しよ うと過剰反応するようになりました。 支払期日に1日遅れる会社は必ず業績が 傾きます。 これには、理由も全部あるのです。 世の中は非常に論理的にできており、つく づく平等だと感謝するようになりました。 金払いの悪さ、支払い方の醜さは、立派な 病気だったのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月14日 相手に断るのが苦手です。 新人社員研修の際に習った「Yes,・・・but・・・」方式で断る方法が通用しない場面もリアルビジネスでは非常に多いです。 デキル人を見ていると、いきなりストレートに断ってきますし、模範解答とはかけ離れた本音やテクニックを駆使しています。 どうしたら上手に断ることができるでしょうか。 性格以外のことで変えていけるのであれば、ぜひ変えていきたいと思っています。 (兵庫県・会社員・Kさん・男性・33歳) Yes,・・・but・・・ 方式で断るというのは、模範解答では あります。 模範解答だから、知っておく必要はあ りますが、それがすべてに通用しない ことも同時に知っておく必要があります。 模範解答の特徴は、それがばれた 瞬間に相手にウンザリされるという ことです。 Yes,・・・but・・・方式で断ろうとしてい るな、と相手に伝わると、相手はがっ かりします。 つまり、もう飽きられており、but以下し か聞いてもらえないから、Yes以下は、 時間泥棒に思われてしまう可能性が あります。 特にデキル人にとってはそうです。 ただでさえ忙しい人に社交辞令や遠回 しな言い方は嫌われます。 人生を変えたかったら、言葉や口癖を 変えてみると面白いです。 たとえば、断る際にいきなり本音を言っ てみるのです。 ストレートに、 「ごめん、興味ない」 と言って断ると、確かに相手は少し驚 くかもしれません。 少し驚くけれども、思ったより嫌われな いことにも同時に驚くのです。 今まで自分があんなにビクビクしていた、 断るという行為は、こんなに簡単だった のか・・・ と、驚くのです。 「行きたいのは山々だけど・・・」 「面白そうだけど・・・」 とやってしまうと、相手は勘違いして永遠 に誘ってきます。 嫌がらせで誘っているわけではなくて、 いい人であればあるほどに、 「本当は参加したいのにかわいそうだから」 「面白そうだと言っていたから」 と断れないように事前に誘ってくるように なります。 相手が悪いのではありません。 原因は自分が作っているのです。 種は自分が撒いているのです。 ビシッと断ってみて、相手から離れて 行ってもいいけど、自分から関係は切 らない、とだけ決めておくのです。 そうしたら、必ず関係は続きます。 必ずチャンスはやってきます。 逆に相手に断ってもらうことも平気で 受け止めることができます。 立場なんてコロコロ変わるからです。 もし、それで相手が離れて行ってしまっ ても、気にする必要なんてありません。 どんなにがまんして気を遣っても、いず れプツンと切れてしまう瞬間がきます。 その前に相手に切ってもらうのですから、 むしろラッキーだったのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月13日 いつもメルマガ・書籍で刺激を与えていただき感謝です。 一つだけ教えてください。 10年以上勤務したベテラン事務員が退職することになりました。 社内の雰囲気を初め仕組みも改革しようと思い、それに伴って新人女性事務員を2名採用予定です。 で学習した千田式面接と適性テスト(ペーパー)を実施予定です。 女性同士の組合せ(年齢差・相性・既婚・独身???)で気をつけることが有ればご教授お願いします。 (福岡県・会社経営・Yさん・男性・56歳) 細かいテクニックやトークについてはCDで 対応できると思いますので、ここではCDで の情報をベースにした上で話を進めます。 気づきの種にしてもらえたらと思います。 1.必ずしも女性である必要があるだろうか 2.女性は年齢差はあまり関係ない 3.女性は「愛情が満たされているか否か」 が仕事に直結する 4.王様と奴隷、主人と召使の関係が長続 きする 5.ピッチャーとキャッチャーの関係 1.必ずしも女性である必要があるだろうか については、現在様々な会社では男女の 職種の垣根が取り払われてきています。 業種業界問わずに、伸びている会社という のは、男性もお茶汲みをしていたり、女性 が営業をバリバリこなしていたりと、従来の 偏見がないのです。 男性の事務員など珍しくも何ともありません。 そもそも前提自体が絶対とは限らない、と 疑ってみることは、変革期には特に有効だ と思います。 新しく採用せずに、今いる社員の中で営業 成績が不振の社員を事務員として育成した ら大きく成長して、営業として給料泥棒だっ たのとは対極に、会社の業績アップに直結 させた、という例もたくさんあります。 2.女性は年齢差はあまり関係ない については、男性と違って女性は年齢を気 にしません。 男性の世界では考えられないかもしれませ んが、お婆ちゃんと孫が本気で喧嘩するの が女の世界です。 女性の基本的価値観は、平等なのです。 これを踏まえた上で、容姿に関することで、 男性社員が差別をするような言動をすること 自体のほうが遥かに問題なのです。 男性が「どっちが強いか」「どっちが偉いか」 を価値基準とするのに対して、女性の判断 は「好きか嫌いか」だけです。 片方が美人で片方が不美人だとトラブルの もとになることも憶えておくといいでしょう。 これは本能の問題ですが、どうしても男性の 言動に差が出てしまうことが要因です。 3.女性は「愛情が満たされているか否か」 が仕事に直結する については、家庭があるなしにかかわらず、 好きな男性からたっぷり愛情を受けているか、 というのは女性は仕事能力にそのまま反映 されます。 男性には理解しがたいことでしょうが、女性 にとっては仕事は2の次3の次です。 愛されているという安心感こそが、絶対的に 必要な要素であって、それさえあれば、仕事 で多少辛いことがあっても乗り越えることが できます。 逆に、異常なほど仕事に打ち込んでいる人 というのは、一番大切な愛情を享受できてい ない偽キャリアウーマンの可能性が高いです。 偽キャリアウーマンは、本人以外すべてを不 幸にしますから、要注意です。 本人の仕事ができるからと言って、周囲を幸 せにして会社の業績が上がるわけではあり ません。 4.王様と奴隷、主人と召使の関係が長続 きする については、どんなに小さな部署においても、 あるいは従業員と会社の関係においても、 長続きする関係は、実は対等な関係ではあ りません。 どちらかが王様でどちらかが奴隷の関係が、 組織が上手くいくコツです。 だから、昔から文明は長期間にわたって栄 えてきたのです。 動物も昆虫も対等な関係で群れや組織を 存続させることができません。 対等な関係だと人間は必ず張り合ってしまい ますから、ケンカになって決裂します。 真に対等な関係は、王様と奴隷の関係です。 王様は奴隷がいなければ生きていけない。 奴隷もそれがわかっていて、王様がいないと 組織は成り立たないから奴隷を演じます。 SMの世界もそれぞれが女王様と僕を演じて いるのであって、どちらかが欠けても成立し ないことをお互いが熟知しているのです。 お客さんが逆ギレして、 「お金払っているのに、ムチで叩いて痛いな!」 とやってしまったらSMは成立しません。 そこで次の、 5.ピッチャーとキャッチャーの関係 が大切になってきます。 ご主人役と女房役を素で演じることができる ペアこそが大切です。 二人ともピッチャーでも二人ともキャッチャー でも仕事になりません。 カップルや夫婦と同じで、必ず片方がピッチャー、 片方がキャッチャーでなければ関係は続かな いのです。 以上踏まえた上で以下おまけのアドバイスです。 まずは一人をちゃんと採用し、中核メンバーとし て活躍して欲しい人を確保しておきます。 その一人の従業員を同席させながら、次の一人 を面接すると、ちょっとした壁にぶつかっても言い 逃れできません。 これは事務員に限らず、すべての職種に対応で きる方法です。 採用にかかわらせることによって、言い訳できな いようになり、経営に参加するようになるのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月12日 最近業績悪化のためか、主商品の値段を下げておきながら、オプションで稼ごうという魂胆が見え見えの商売が増えてきて憤りを感じます。 肝心のサービスが低下しているのに、押し付け営業されるのは不快です。 千田さんはサービスに厳しそうですが、いい店の目利きの仕方とかご自身で決めているノウハウがあればご教授ください。 (兵庫県・会社員・Kさん・男性・44歳) 私はイケてない店のリピーターになることが 好きです。 決して、マゾではありません。 もの凄く勉強になるからです。 もちろんイケている店にも行くことがあります が、イケてない店のリピーターになって、経 営が悪化してどのように復活していくのか、 あるいは消滅していくのかを生で感じるので す。 だから、クレームなんて言いません。 いつも、お金を支払う側の私が心底感謝を 込めて、 「ありがとうございました」 と言います。 私はどんなにドンマイなコンビニの店員さん に対しても必ずお礼を言います。 たとえば、今私が散髪に行っている店は、 あるクライアント先のすぐ傍です。 毎月1回訪問していますから、毎月1回は その散髪屋さんに行きます。 ちょうど1年くらい前からサービスが劣化し てきました。 案の定、その2ヶ月後には店長が変わりま した。 でも、その店長のやり方もドンマイだな、と 感じていたら、案の定オプションのサービス の押しつけがしつこくなってきました。 また、プライベートのことを根掘り葉掘り聞く ことによってコミュニケーションが大切だと勘 違いする教育を従業員にも浸透させてしま いました。 私もつい先日、店員さんの一人に、 「いい就職先見つかるといいですね」 と励ましていただきました。 中にはゆっくりと目を瞑ってリラックスしたい サラリーマンも多いはずなのに、プライベー トのことを根掘り葉掘り聞いてくるのです。 当然客離れしていきます。 最近はラーメンを売りつけるようになってき ました。 なんと、レジで支払いの際に、ラーメンを買 わせようとするのです。 これはドンマイです。 そんなもの買っても、持って帰るのが恥ず かしいだけです。 でも、店員さんは店長のマニュアル通りに、 相変わらず沖縄そばセットを売りつけようと してしまいます。 気の弱い人が断られずに買って行きます。 これが、実に勉強になるのです。 売上が下がれば下がるほどに、しつこいコ ミュニケーションをお客さんに要求してしま い、オプションを売りつけようとする。 その結果、売上が低下するのは必至です。 本人たちは、みんながんばっているつもり です。 でも、がんばればがんばるほどに、売上 が低下していくのです。 日本軍が、がんばればがんばるほどに、 劣勢になっていったのと同じです。 そもそも戦略が間違っていたら、ますます 負ける方向へ導かれていくのです。 これも、勉強です。 振り返ってみて、自分も無意識のうちに こうしたことをしていないだろうか、と気 づくことができます。 欠点を探すのではありません。 逆に、自分に欠けている部分を教わって いるのです。 だから、お金を払っているのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月11日 子会社出向の話がありました。 まだ30代半ばなのにすでに絶望的になりました。 同期の中では真ん中より上に位置していたつもりだったのが、甘かったです。 という本の中の「伸びる人」に該当していたのは45/70項目ほどでした。 ちょっと出逢うのが遅かったようですが、転職したほうがいいでしょうか?これから行く子会社はすでに人生の墓場であって、過去に親会社に戻ってきた社員はほとんどいないようで憂鬱です。 (東京都・会社員・Iさん・男性・34歳) 今月末に、 『30代で伸びる人は、20代の頃より叱られる』 という本がから出ます。 その中にも書いたのですが、若いうちの子会社 出向は絶好のチャンスです。 冗談抜きで、出向は買ってでもすべきです。 子会社になると、普通は会社の規模は2桁くら い小さくなります。 だからこそ、チャンスなのです。 出向先では役職が1ランクないし2ランク上がっ て、部下を持たせてもらえる可能性も高いです。 親会社でコースに乗っかっている人と、若くし て子会社で経営のトレーニングをした人とでは、 将来の底力が大きく違ってきます。 まず、規模の小さな組織でいったい経営という ものがどのように行われているのかがよく見え るはずです。 どんなに財務・会計をいじったところで、経営全 体から見たらその重要性は10%もない。 だったら節税なんて専門家に任せておいて、全 エネルギーを本業で稼ぐことを考えるのが第一 だ、と気づかされます。 また、親会社では会社のブランド力が桁違いに 大きいため、営業力ではなく、マーケティング力 によって商品が売れてしまいます。 子会社はブランド力がありませんから、営業力 がとても重要になります。 素の力と向き合わざるを得なくなるのです。 経営コンサルティング会社というのは小規模の 中小企業が大半です。 コンサルティング会社で100名を超えるところ は、業界内でかなり大手に含まれるといって いいでしょう。 綺麗事は抜きにして、コンサルティング会社の 入社には経歴が重んじられることが多いです。 その中で中途採用組は名だたる大企業出身 者がメインとなります。 ところが、大企業出身者が小世帯のコンサル ティング会社に入ってきても、からきし使い物 にならないパターンも枚挙に暇がありません。 理由は、子会社出向とまったく同じです。 大企業では仕事のできなさが埋もれてしまい ますから、見えにくくなります。 そのくらい大企業はすばらしい仕組みが構築 されているわけです。 子会社出向するというのは、コンサルティン グ会社に転職してキャリアアップするチャン スを得たようなものです。 仮に親会社に戻れなくてもそんなことは気に しなくてもいいのです。 独立するために勉強するチャンスをいただけた と解釈することもできます。 子会社を成長させて、親会社を抜くという経営 の醍醐味を味わうことも可能です。 富士通という世界的企業は、富士電機の子 会社だったことを思い出しましょう。 子会社の時価総額が親会社のそれを抜く例 も珍しくありません。 時代は潮目です。 下剋上もどんでん返しも珍しくもなんともない時 代が今、まさに、到来しているのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月10日 一流コンサルタントのセミナーに参加して衝撃を受けました。 何と、経営で一番大切なことは、「運をよくすることである」というのです。 経営はどこまでいってもギャンブルのようなものだから、最終的には運が強い人間が勝つということでした。 確かに振り返ってみると、自分は運に救われたとしかいいようのないエピソードがいくつもありました。 でも、ギャンブルとはちょっと違うような気がするし、たとえ運が悪くても成長し続けるのが経営だと思うのですが・・・(三重県・会社経営・0さん・男性・36歳) 人生においてギャンブルをするのが必要な 瞬間もあります。 でも、それは 生涯に1回だけのほうがいい のです。 加えて、 常に圧倒的な準備をしていること が条件です。 ギャンブルといってもパチンコや競馬や麻雀 や株のことではありません。 それらはゲームであって真のギャンブルでは ありません。 真のギャンブルというのは、自分の人生を 賭けるようなことです。 戦国武将で一番人気のある織田信長を例 に考えてみましょう。 織田信長は戦国武将の中で荒くれ者で、 怖いもの知らずでイケイケだったと勘違いさ れていることが多いです。 確かに見方によってはそういった面もあった でしょうが、すべてにおいてそんなことはあ りませんでした。 今川義元という、約10倍の競合に立ち向 かった桶狭間の戦以外にはとてつもない 大勝負には後にも先にも臨んでいません。 それどころか、非常にち密な戦略を練って、 斬新なアイデアを取り入れていたことがわか ります。 そして情報収集能力がとてつもなく高かった。 情報収集能力は、身分や家柄を気にしてい ては決して身につけることはできません。 楽市楽座は市場を解放して経済を活性化さ せると同時に、現場の生情報を得るための ものだったのです。 信長が商人からの情報を非常に大切にした のは、実は祖父の影響です。 祖父の信定という人は、信長そっくりで既成 の枠組みにとらわれない斬新な発想をする人 でした。 武力がすべてだという戦国時代の真っただ 中で、商人を大切にして、情報とお金を制す る者がこれからの世の中を制すると洞察して いました。 慧眼の至りでした。 だから既成の枠組みにおいては文武両道で 戦国時代のスーパースターであった、 武田信玄と上杉謙信のいずれも天下統一に かすりもしませんでした。 先見性のあった祖父・信定は、当時では非 常に常識外れであった、自分の愛娘を商人 と結婚させるということをやってのけます。 祖父のおかげで織田家は大金持ちになって、 力をつけていったといっても過言ではありま せん。 信長は母親からの愛情不足もあってか、年 上の女性や子連れの女性を好む傾向もあり、 人間観察眼も磨かれていきました。 人間観察眼、情報収集力、斬新なアイデア、 既成の枠に閉じこもらない、・・・これは、20 世紀の世界的経営者とまったく同じです。 盛田昭夫さん、松下幸之助さん、本田宗一郎 さん、・・・みなさん同じです。 そして大きなことを成し遂げる人の共通点は、 一世一代の大勝負は本当に人生で1回きりだ ということです。 それ以外は非常に慎重で、常にじっくり考えて いたからこそ、即断即決できるように見えるだ けだったのです。 運が良くて勝ったことは、本人が一番よくわかっ ています。 運も実力のうち と人は言います。 でも、 運は運であって実力ではないのです。 少なくとも長期的に見たら、運良く勝ったことは、 相当気をつけないとヤバイのです。 成功する人は、運で勝った時こそ、脂汗をかい てヒヤリとします。 そして、二度とこんなことを繰り返してはいけな いと猛省するのです。 これ以外に継続的に成功し続ける方法はありま せん。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月09日 もうすぐ30代です。 今まで各種勉強会、異業種交流会、書籍、オーディオブック、セミナー、映画、ミュージカル、美術館・・・と、自己研鑽はそれなりにしてきたつもりですが、30代でこれをしておくといいという自分への投資はありますか?このまま引き続き、自分が興味を持ったことを深掘りしていくのがいいのでしょうか?子どももできて徐々に苦しくなってくる兆しがありますが・・・(神奈川県・会社員・Sさん・男性・29歳) 30代以降の男性で一番欲しいのは、 書斎です。 30代40代になると子ども部屋が優先 されて居場所がなくなってきます。 それでダイニングでゴロンと寝ころびな がら缶ビール片手に野球中継を見る人 生で幕を閉じます。 一方、いつまでも輝き続けてステップア ップしていく男性は、子供部屋よりも書 斎を優先します。 ここで大切なのは、書斎そのものよりも、 自分の書斎を持つことができる力です。 すっかり数ポンドのぜい肉を身につけた 奥さんに、 「な~に、バカなこと言ってんのよ、 少ない稼ぎで」 「そんな夢みたいなこと言ってないで」 「子どもが第一!あなた父親でしょ?」 と言われてしまわないようにしなくては なりません。 また、子どもの教育にも最高です。 「将来自分も大人になったら書斎を 持つことができるようになるんだ」 と夢を与えることができます。 家庭内のポジションが、母親1番、父親 2番という子どもの犯罪率が高いのはご 存知でしょうか。 過去の未成年犯罪を分析してみると、 母親が最も権力を握っている家庭が圧倒 的に多いのに気づかされます。 「牝鶏(ひんけい)晨(あした)すれば、 家危うし」 という格言もあります。 犯罪者にはマザコン度の極端に高い人 が圧倒的に多いです。 父親が書斎を持つということは、あらゆる 意味で効果的なのです。 勉強できる子どもを育てるには、勉強部 屋と立派な学習机を与えることではあり ません。 まずは親が机にむかって勉強する姿を毎 日見せ続けることです。 楽しそうに本を読む姿を見せ続けること です。 友だちと遊ぶことは大切です。 でも、大人も子供も共通点は 一人の時 間を確保しなければ絶対に成長しない ということです。 書斎を持つと年収も増えます。 理由は2つあります。 1つは、書斎を持つためにがんばって働 こうとするからです。 もう1つは、書斎を持つことによって頭が よくなって知的生産性が高まるからです。 善のスパイラルになります。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月08日 メールの処理の仕方が苦手です。 仕事上で毎日30件ほどのメールのやり取りをしているのですが、たいした量でなくても気を遣ってしまい、処理のスピードが鈍ってしまいます。 結局ペンディングにしているうちに相手から催促されてしまい、催促されればされるほどに気を遣って時間がかかってしまうという悪循環です。 あるいは逆に、何度も催促しているのに返事のない典型的なドン臭い人も苦手です。 表現の仕方を気にしている間にあっという間に時間が過ぎていきます。 メールの処理の仕方にコツってあるのでしょうか?(静岡県・会社員・Kさん・女性・34歳) 締め切りを守らない人への催促、ドンマイ な人へのネガティブメールは、すべての仕 事が終わったその日の最後にします。 相手には翌朝一番で見てもらうようにする わけです。 こちらが配信した時間は前の晩になってい るわけです。 あるいは逆に、ドンマイな人からの的外れな メールや、ネガティブメールに対する返事は どうすればいいのでしょうか? もちろん、これもその日の最後にしておくの です。 疫病神のようなもので、自宅までそれを 持ちこんでしまったら大変だからです。 メールが出現したからといって、相手の 時間に土足で入り込んでいい訳ではな いのは、電話と同じです。 催促したかったら、自分から淡々と発信し続 けることです。 返事がなくても文句を言ってはいけません。 返事がない理由は1つです。 あなたのことが嫌いだということです。 嫌いという表現がキツイのであれば、重要で はない、返事をするまでもないと思われてい ると考えて間違いありません。 期待するから腹が立つのです。 ビジネスメールの期限は世界共通です。 営業日中の24時間以内です。 24時間以内に返事が来なければ、欠席裁 判でいいのです。 だから、受信したらまず 「拝受しました」 と返しておかなければなりません。 それに加えて、 「今週金曜日18時までには回答差し上 げます」 と書いておけば相手も金曜日まで待つこと ができます。 でも、何も返事をしないまま2日以上待 たせるということは相手と縁を切りたい という意思表示だと思われても仕方が ありません。 換言すれば、そういう意思表示もテクニック として知っておくのです。 お日様が照っているうちは、ポジティブメー ルだけにかかわっておけばいいのです。 ネガティブメールはできる限り短時間で、 最後にパパパッと片づけてゴミ箱に捨てる 気持ちでちょうどいいのです。 1年経てば人脈が一変します。 お試しください。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月07日 お客さんから「あんた、プロやないな」と言われてすごくショックを受けました。 自分としては全力を尽くしたつもりだし、社内での評価も高いのに、です。 単に嫌われているだけかと思ったのですが、上司にこっそり聞いてもらったところ、ストレートにクオリティ(質)の問題だというのです。 プロとプロじゃない人の違いって何でしょうか?ここまでプライドを傷つけられたら必ずプロと認められるようになりたいです。 (大阪府・会社員・Iさん・男性・31歳) 「今回の仕事はイマイチだったな」 と反省して落ちこんでいる時に、お客様からは、 「さすがに、すごくよかったです」 と言われてその後もリピートしてもらえるように なったらプロになった証拠です。 つまり、アマチュアの最高の状態をコンス タントに維持できるのがプロなのです。 アマチュアは所詮、アマチュアです。 プロのように歌が上手い。 プロのように田舎のゴルフ大会で連続優勝 していた。 でも、「プロのように上手い」という表現は間違っ ています。 本当に上手いなら、プロで勝負すべきなのです。 その程度だから、所詮アマチュアなのです。 田舎に行くと必ず自己最高記録で自慢大会が 始まります。 たいていは、嘘です。 すべて自称です。 「最後は怖くて手が震えちゃってさ~」 というのが決まり文句です。 プロになるには最悪の状態でもアマチュアの 自称最高記録をコンスタントに出し続けなくて はなりません。 自称世界記録を出してもプロにはなれません。 緊張して最悪の環境にもかかわらず、アマチ ュアがリラックスして最高のコンディションで、 ちょっとサバ読みしたような記録を出さなくては ならないのです。 同じ歌をうたっているのでも、まったく違う競技 をやっているのです。 同じゴルフをやっているのでも、まったく違う競 技をやっているのです。 ただし、冒頭で述べた、 「今回の仕事はイマイチだったな」 というのは、プロ同士なら完璧に見抜かれて います。 経営コンサルタントの世界でも同じです。 歌手の世界でも同じです。 スポーツの世界でも同じです。 漫才の世界でも同じです。 作家の世界でも同じです。 お客様には死ぬまでばれないけれども、プロ同 士でならわかってしまうような仕事をした瞬間に 差がつくのです。 「バレなくて、よかった」 という人は必ず5年後には完全に姿を消してい ます。 「このままでは、相当ヤバイ!」 という人は必ず5年後には次のステージへと進 化しています。 プロはお客様のために仕事をしているなんて 嘘をつきません。 プロは自分のために仕事をしているとハッキリ と言うことができます。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月06日 私は公私ともに主導権を握られやすくて、自分の人生を歩めていないような気がしています。 いつも人に従えられてしまい、窮屈な人生を歩んでいます。 千田さんの過去のブログを拝読して、「主導権の握り方」については非常に自分の中でヒットしました。 実際に試してみて本当に成果もありました。 ただしばらくするとすぐに元に戻ってしまうのです。 何が欠けているのでしょうか?(埼玉県・会社員・Kさん・男性・28歳) これは男女限らずにいえることですが、相手 に嫌われるために自分から先に嫌っておけ、 という人をたまに見かけます。 これは実に受け身でネガティブな発想です。 こういう人は自分が相手に受け入れられる 自信がないので、いつもそっけない態度を取 ります。 相手にそっけない態度を取ることによって、 「どうして嫌われるのだろう」 と思わせることが作戦なのです。 そうすることによって力のない自分が主導権 を取ろうとしているわけです。 これが逆にその人の主導権を弱めてしまうの です。 主導権というのは、テクニックでは必ず化 けの皮がはがれます。 たった1回の関係であれば猫騙しが通用して も2回目以降の付き合いでは通用しません。 回数を重ねれば重ねるほどに、必ず主導権 は力のある方に傾いていきます。 だから力のある人はいつも謙虚に見えるの です。 年齢に関係なく「さん」づけで呼ぶのは、媚 びているわけではありません。 外資系企業では社長も新入社員も「さん」で 呼ぶ会社が多いです。 これは、いつ立場が逆転するのか分からな いし、お互いをそれぞれの仕事のプロフェッ ショナルとして尊重しているからです。 コンサルティング業界においても、1年もしな いうちに上司と部下の関係が一瞬で入れ替 わってしまうこともあります。 そして分担された役割においては、例え新 入社員でもプロフェッショナルとして責任を負 わされます。 だから「さん」づけで呼ぶのです。 最近はテクニック論に走り過ぎる傾向が強く て肝心な実力をつける大切さが置き去りに されているような気がします。 若い人に不足しているのは実力です。 ひたすら実力不足です。 出る杭が打たれるのは嫉妬されて打た れるのではありません。 単に実力不足だから打たれるのです。 その程度の実力なのに分をわきまえないか ら打たれるだけなのです。 正面から実力をつけたいものです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月05日 私はキャバクラが大好きです。 現実逃避と言われればそれまでですが、それを生きがいにして仕事をしているという感じです。 店では女性が真剣に私の話に耳を傾けてくれて、本当に私に気があるのではないかと思わせるような眼差しなので、何度も騙されて痛い目に遭いました。 女性の眼差しってすごくミステリアスですよね。 私は女性とじっと目を合わせることなどとてもできません。 この悪循環をでもどうしても断ち切れません。 現実を直視してまっとうな人生を歩まなければならないのですが・・・(福岡県・会社員・Gさん・男性・41歳) 一般に女性は好かれたい男性に話しかけて いるときには、相手の男性の目を見ます。 これはプライベートだけでなく、サービス業な どでも応用されており、嫌われてはいけない お客さんに対してしっかり目線を合わせて話 しかけます。 少なくとも嫌われたくない、できれば好か れたい、という顕れです。 一方、男性は小心者が多くて熱心に女性か ら話しかけられると、たいていは目線を逸ら します。 女性はますます熱心に目を合わせて話しか けてきますから、一層男性は目を逸らしなが ら話を聴くようになります。 これが 行き違いというヤツです。 男性は好きな女性で安心できる相手が 話しかけている場合のみ、目線を合わ せます。 初対面の女性に対して堂々と目線を合わせ 続けてくる男性は、相当自信があると言って いいでしょう。 それ以外は、好きな女性の普段の何気ない 行動を追いかけているのが男性です。 さっと振り返った時に、目が合うことが 多ければその男性は好意を寄せている 可能性が高いです。 もちろん、人間には思い込みや願望という やっかいなものがありますので、すべてが このパターンに当てはまるわけではありま せん。 むしろ自意識過剰の人のほうが多いので、 パターンから外れる場合のほうが多いかも しれません。 でも客観的に見ればたいていは当たります。 初めてのデートで別れ際に握手を求めてく る男性は、勇気がなくて一歩踏み出せな かった証です。 勇気がない人の特徴は悪あがきをするこ とです。 男性に勇気が求められるのは、もともと男 性は勇気がないからです。 「男だったら・・・」 「男らしくしなさいよ!」 というのは、弱い男性に無理強いさせて楽 しようとする女性の戦略なのです。 究極の女性の本質は、子どもと自分が美味 しいものを食べて一生、平和に暮らしていく ことです。 男性はそのために寿命を縮めながらこき使 われることに生き甲斐を感じるのです。 「すごい!」 「さすが!」 とたいして思ってもいないことを口にされると ついついその気になってしまうところも、男性 らしいといえば、男性らしいのです。 トップレベルのホステスは口数が少ないです。 「なるほど」「へぇ~」 「素敵」「すごいじゃないですか」 「あらら・・・」「でも大丈夫」 を連発しておきながら自分の得意分野に関 する意見を求められた時に、初めて口を開き いて1回だけ的を射た意見を述べます。 話題は大きく分けて3つです。 1.会社での評価の愚痴 2.家庭の愚痴 3.自分の大物ぶりを披露 コツはあまり話し過ぎないところです。 すべてにおいて寸止めでいいのす。 男性は、自分の話をすべてわかってくれる のはこの女性だけだ、となってリピーターに なります。 もちろんホステスは目薬を注してでも目を ウルウルさせながらあなたの話を一生懸命 に頷きながら聴いてくれます。 これを好意を寄せていると思ってしまうのは、 もちろん 勘違いです。 勘違いビジネスにも、立派な市場があると いうヒントです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月04日 私はパーティーが苦手です。 この世からパーティーなんてなくなってしまえばいいのに・・・と真剣に思っています。 すぐに独りぼっちなるし、話も続きません。 緊張して何を話しているか分からなくなってしまい、ますます自信をなくしてしまうからです。 ただ、現在の仕事上パーティーが欠かせないので苦痛以外の何でもありません。 パーティーから脱出したいです。 (東京都・出版社勤務・Tさん・女性・34歳) パーティーが好きな人は少ないです。 私もパーティーは苦手です。 でもみんな親密になってから本音を打ち明け ると、実はパーティー嫌いが多いことに驚か されます。 パーティーが好きな人というのは、たいてい 本人の自己満足に過ぎません。 それでもやはりパーティーに出る経験は 必要なのです。 パーティーは勉強の場として最高の環境です。 パーティーは生まれてから今日までを試す 模擬試験のようなものです。 お金を払って模擬試験を受けるのです。 99%の人たちが思っていることは、壁の花に なってしまうとカッコ悪いな、ということです。 誰も話相手がいなくて孤独になってしまった 時はみんな気まずいです。 こんな時は同じく孤独な人が必ずいますから 話しかけてみるのです。 話術なんて必要ありません。 「誰も話相手がいなくなってしまって・・・」 でいいのです。 運命の出会いになるかもしれません。 あるいは一人で人間観察をしているのも 退屈しません。 盛り上げるのが上手い人、紹介の仕方が卓 越している人からその技を盗むのです。 こうしていると、たとえ独りぼっちでも孤独に 見えません。 凛としてかっこよく見えるのです。 オロオロして周囲をチラチラ見ているのはカッ コ悪いです。 パーティーでカッコ悪いのは、後日商談 をするためにあちこちで名刺交換しまくっ ている人です。 明らかにお金儲けをするための手段として、 名刺を見た瞬間に相手の値踏みをします。 それがマナー研修の講師や話し方教室の 経営者だというから笑わせます。 断言できるのは、100人と名刺交換して その後アクションを起こさない人よりも、 たった一人としっかり話せてその後アクシ ョンを起こした人が成功するということです。 中にはせっかく話が盛り上がっていたり、 沈黙しているけれどもいい感じになってい る人たちを引き裂いてまで、 「ちょっと、こんなところでボーっとしてい ないで、こっちいらっしゃいよ。 いい人紹 介してあげるから」 とやってしまう人もいます。 これらもすべて勉強です。 逆に自分の知り合いがたまたま多い場で、 調子に乗って同じことをやってしまっていない かと振り返ってみることができます。 カッコいいのはさっきまで一人でいたのに、 いつの間にか親くなっていた人と一緒に いなくなってしまう人です。 合コンではいつも一番の美人は行動力ある 男性といつの間にか消えてしまっています。 モタモタしている男女でカラオケに行って、 もう日付が変わっているのにラーメンを食べ てお互いにぶくぶく太っていくのです。 モタモタしているとチャンスはなくなります。 早く来て早く消える人は仕事ができます。 ドタキャンしたり、遅刻してきた割にはダラ ダラといつまでも残っている人は仕事がで きない人です。 パーティーは最高の勉強の場です。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月03日 毎月2回の部署別の月会議があって、責任者として私が社の方針や新企画のプレゼンテーションをしなければならないことになっています。 ところが、部下たちの集中力は30分も持続せずに、居眠りし始める始末です。 もちろんカチンとくるので厳しく叱責するのですが、正直こちらもその繰り返しで疲れてきました。 決して社の状態はよいとはいえずにとても大切なことを伝えているにもかかわらず、いい加減なものです。 私に危機感がまだ欠けているから伝わらないのでしょうが、部下を積極的に振り向かせるためには何が一番欠けているのでしょうか。 (千葉県・会社員・Oさん・男性・45歳) 話す内容ではなくて、話し方が大切です。 話す内容は、相手が解釈します。 聴き手が解釈した内容がすべてです。 愛していることと、愛していることを伝 えることはまったく別です。 感謝していることと、感謝を伝えること はまったく別です。 つまり1回の話を聴いても、10人いたら、 10通りの解釈の仕方があるのです。 仮に大筋さえ外さなければ勘違いでもい いのです。 なるべくたくさん勘違いして、勝手に感動 して気づきを帰ってもらえるのが成功です。 一番ダメなのは、正しいことを言っている のにつまらない話です。 会議室を出た瞬間にすべて忘れます。 これこそ、時間の無駄です。 優等生で教科書通りの話をし続けている のにみんな居眠りしているのは話し手に 責任があるのです。 面白い話をする必要はありません。 聴き手が面白いと感じるように話すこと が大切なのです。 すごくプレゼンテーションが上手な人が話 している内容をそのまま書面にすると、 すごく当たり前で退屈だったということが あります。 これがプロのプレゼンテーションです。 結局、画期的なことをするためには当 たり前のことを尋常ではないくらいに 継続することです。 尋常でないことを尋常でないくらいにやる ことなど誰にもできません。 人間の体力など高々知れていますから、 必ず限界が来て休むようにできています。 話し方を鍛えるコツは簡単です。 参加者の中で一番好きなタイプ、熱心 なタイプの人を見つけて、その人だけ にメッセージを送り続けて感動して泣 かせるつもりで話しかけるだけです。 書き方を鍛えるコツも簡単です。 世界中で一番好きな人、一番伝え たい一人に向けて書けばいのです。 上手なプレゼンの仕方、上手な書類の 書き方を100冊くらい読むとそういった ことに気づかされます。 内容は当たり前のことでいいのです。 面白いことを話すのではなくて、面白そ うに話しましょう。 面白いことを書くのではなくて、面白そう に書きましょう。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月02日 今年からリーダーになりました。 同期最年少出世ともてはやされたのも束の間。 早くも地獄の日々が襲ってきました。 同期最年少ということは、年上や同期の部下もいるということです。 私自身の問題ですが、どうしても動いてもらえないのです。 いかにして人を動かすのか、というセミナーに参加したり、本も貪るように読み尽したのですが、解決策はまだ見えてきません。 正直、こんなにつらいのであれば、トッププレーヤーとして成績を上げていたほうが遥かに幸せでした。 (千葉県・会社員・Mさん・男性・33歳) リーダーにとって一番大切なことは、 まず自分が動くということです。 リーダーになると、どうしてもいかに して部下に動いてもらうか、ばかりを 考えるようになります。 「部下に動いてもらえないんです」 というのがリーダーに最も多い悩み です。 動かない悩みの種の部下は、リーダ ーに対してあの手この手で不足して いる部分、サボっていた部分を教え てくれているのです。 自分に満たされている部分につい ては問題を起こしてくれません。 自分が逃げ回ってきた部分、隠し続 けてきた部分を困った部下が教えて くれているのです。 だから、困った部下は困った部下で はありません。 困った部下は、先生なのです。 部下のふりをした先生なのです。 何か問題を起こした部下がいたら、 自分の過去を振り返ってみるのです。 必ず思い当たる節があるはずです。 まずは自分が動くということは、まず は自分が改めるということです。 休みの日に、テレビを見ながら部屋 でゴロンとしているお父さんが、 「勉強しなさい」 「外で遊んできなさい」 と言っても説得力がありません。 子どももテレビを見たりゲームをする ようになります。 そして、 「あんな大人になりたくないな」 というイメージが強烈に残ります。 これがニートやフリーターの急増の 原因です。 「大人になったらなんてつまらなさ そうなんだろう・・・」 「まるで奴隷の様だ」 と思わせてしまっているのです。 家庭でいうと、部下は子どもです。 子どもはあの手この手で自分が逃 げて隠蔽してきた部分を教えてくれ ている先生だったのです。 叩こうとしているその手で、自分の ほっぺを叩かなくてはならなかった のです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月01日 先日うちの会社から本を出しました。 今までお世話になった人たちに対してお礼のメールをしたのですが、思ったより返事がきません。 「おめでとう」くらい言ってもらえるかな、と思った人たちから何も返事がないのです。 正直、これにはショックを受けました。 出版を武器にしてこれから会社のブランディング向上を戦略として考えていたのですが・・・このまま当初の予定通り突っ走っていいものでしょうか?(神奈川県・会社経営・Uさん・男性・43歳) 調子に乗りすぎたら、周囲がどんどん バッシングしてくれますから大丈夫です。 とりあえず突っ走ればいいです。 世の中には二通りの人間がいます。 どんどん突っ走ってバッシングされな がら人間性を高めて最終的に成功し ていく人。 嫌なことを嫌々やりながら、突破して いる人を見つけて死ぬまでバッシング し続ける人。 どちらを選ぶのかは自分が決めればいい のです。 一見、バッシングされている人は孤独で 苦しい人生に思えます。 一見、バッシングしてニヤニヤ笑っている 人は、友だちもたくさんいて楽しそうな人 生に思えます。 ところが、逆なのです。 バッシングしてニヤニヤしている人たちは、 同じ仲間内から成功して突っ走ろうとした 人が出現すると、寄ってたかって芽を摘も うと必死になります。 仲間を失うことへの恐れです。 同時に、仲間への激しい嫉妬です。 「突き抜けたら無視するぞ」 「突き抜けたら陰口を言うぞ」 「突き抜けたら嫌いになるぞ」 というのが弱者の発想です。 弱者は弱者であるがゆえに、群がって抜き ん出ようとがんばろうとする人を必死で叩き ます。 弱者の必殺技は、ヒソヒソ話なのです。 これは縄文時代から変わりません。 抜きん出て突っ走ろうとした人たちは、実 力を蓄えていくと、同じような経験をした人 に必ず出会います。 これが、絆です。 自立した人同士でなければ、コラボレ ーションしても意味がないのです。 意味がないのではありません。 むしろ依存しきっている人同士が手を組む と大きなマイナスになります。 いかにして相手を引き摺り下ろして自分と 並べるかを考えている人たちの集団だか らです。 自立した人たちのコラボレーションは違い ます。 いかにしてお互いが高め合って、自分が 上に登っていくのか、と考える人たちです。 バッシングにはきちんと感謝して耳を傾け ておくと、ますます勝ち組になります。 一度の人生です。 どうせなら、バッシングされる側になりまし ょう。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年08月31日 陰口を言ってはいけないのは正論としてよくわかります。 ただ、私は陰口をついつい言ってしまいます。 陰口を言ってはいけないのはみんな頭ではわかっているはずですが、では実際にどうすればいいのか、原因は何なのかを考えなければいつまで経っても解決できないと思います。 陰口を言わない人生が歩めたら最高だと思います。 (兵庫県・会社員・Nさん・男性・37歳) 陰口を言ったことのない人はいないでしょう。 人間はみんな陰口が大好きです。 放っておくと陰口をたくさん言ってしまいます。 人の会話からすべての陰口や噂話を取り 除いたら、ほとんど会話できなくなってしま うくらいです。 どういうときに、人は陰口を言ってしまうので しょうか。

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