キック ボクシング 女子。 リンク

喧嘩強いのはボクシング?キックボクシング?どっちですか?

キック ボクシング 女子

リンク リンク ボクシングジム等のサイト 元祖、最大、最強の三拍子そろった女子専用ボクシングジム。 日本の女子ボクシングシーンの中核を為す存在の一つです。 女子プロボクサー古賀友子選手所属のジム。 ボクシングを生涯スポーツととらえ、活動しています。 健康維持からプロボクシングまで楽しく快適に参加できるスポーツジムです。 ボクシングを取り入れ ながらのフィットネス・ダイエットを目的としたスポーツクラブ、格闘技・健康維持に興味のある方必見です。 大阪のアマチュア専門ジムです。 ひきこもり対策や、女性のフィットネスにも力を入れています。 ボクシングでしなやかな完璧ボディを手にいれよう! 安心してボクシングを楽しんでいただけるように、少人数の女性限定コースを設立。 「楽しくたくさん汗をかく」をキーワードに、ボクシングをはじめよう! 「親子ボクシング」等の新機軸満載です。 元ボクサーが強くなるためのボクシングについて解説。 ボクシングジムに通うならボクシングジム入門編「ネットでボクシングジム」 品川区北品川にある新感覚ジム。 スポーツトレーナーによるプログラムと格闘技のエッセンスで、 ジュニア世代の成長発育プログラムから女性・男性のダイエット、健康プログラムまで対応。 格闘技未経験者女性などでもフィットネス感覚で、キックボクシングやボクシングのトレーニングを 楽しめる本格ジムです。 初心者歓迎ジムですがプロライセンスも取得できます。 情報系サイト おじさん僕サー氏によるボクシング関連サイト。 200を超えるリンク集は圧巻です。 女子総合格闘技、キックボクシング、ボクシングなどで活躍する女子選手に関するニュース・ブログです。 情報の早さ、量、質、どれをとっても当サイトの比ではありません。 国内・海外の 女子キック、女子ボクシングに関する話題を取り上げているブログです。 参考資料には、往年の名選手にまつわる貴重な情報が収められています。 本邦初の女子ボクシングファンサイト。 情報量も国内一です。 管理人であるboxingfan様にはいつも頭が下がります。 謎の米国人、dan cucich氏による情報系女子キックボクシングサイト。 親日家であり、何と日本語のメニューまであります。 パンチ、キック、ディフェンス、戦術、トレーニング等の写真解説が充実しています。 Luministさんによる立ち技・打撃系格闘技情報サイト。 パワーダウンしましたが、復活を祈ってます。 キックボクシング・ムエタイを熱く語る巨大専門掲示板。 団体ごとのスレッドは圧巻です。 格闘技関連のジム、道場、個人サイト等を集めた、 格闘技好きな方にお役立ちのリンク集サイトです。 ボクシングをしている女性のサイト ワイルドハートスポーツジムに通うよしぼーさんのサイト。 ジムの裏ページを目指しているだけあり、裏話は必見です。 風神ライカ選手の公式サイト ホームページは不通となりましたが、掲示板は生きているようです。 熊谷直子選手が出没しています。 女子ボクシングファンのサイト 1103氏によるCG系女子ボクシングサイトです。 最近、移転しました。 掲示板でおなじみの横島 夢乃介氏による創作系サイト。 摩訶不思議な雰囲気です。 フィリピン出身でイタリア在住のRichard氏がついに自サイトを開きました! いつの日か日本で漫画家デビューすることを夢見ている氏の情熱あふれる作品をどうぞ。 団体等のサイト かつて女子プロボクシング団体「日本女子ボクシング協会」を運営していました。 現在は、男子キックから撤退し、JPBA加盟ジムとして活動しています。 JーNETWORK公式サイト。 興行予定、選手名鑑など、情報満載です。 その他のサイト オーダーメイドマウスピースを制作・供給しているサンテック社のサイト。 安価で良質なマウスピースを通信販売しています。 TWINS社のカスタムグローブ及びレッグガードの販売を始めた白虎屋のサイト。 良質サプリメントを激安販売!とのことです。 レスリンググッズのインターネットショップです。 近年はボクシング界でもレスリングシューズを利用されている方が多いそうです。 初心者から現役選手まで、キックボクシング用品のネット販売を行っています。 地元のスポーツ用品店、レンタルビデオ屋、本屋には置いていない商品満載だそうです。 らくあんさんに、こんな綺麗なバナーを作ってもらいました。 リンクの際は、またはでひとことご連絡下さい。

次の

リンク

キック ボクシング 女子

あ行 [ ]• (あずま さとみ)• (あずま)• (あべ もとえ)• (あゆみ)• (いいだ なお)• (いとう さや)• (おおとも りえ)• (おおはま よしみ)• (おかだ あつこ)• (おくむら ゆか) か行 [ ]• (かみかぜ きょうこ)• (かみかぜ ゆきみ)• (かみかぜ りお)• (かみむら えりか)• (くまがい なおこ)• (ぐれいしゃあ あき)• (こやがしろ まき) さ行 [ ]• (さかもと なおこ)• (さくらこ)• (ささき さとこ)• (しばた さちよ)• (しま みやこ)• (しもせき たかこ)• (じゃんぼ かおる)(北城陽子)• (じょー あすか)• (じん あきら)• (じんない まどか)• (すぎ きみこ)• (そうび)(SHIBANAMI、柴田奈美) た行 [ ]• (たじま はる)• (だっく かわい)• (たなか ゆうき)• (ちず)• (ちば かおり)• な行 [ ]• (なかざわ なつみ)• (なすかわ りり)• (なるさわ きよ)• (のりこ) は行 [ ]• (ひだり はるみ)• (ぴりか)• (べにー くれない)• (はやしだ しょうこ)• (ふじやま てるみ)• (ふるや あさみ)• (ほそだ ゆりこ) ま行 [ ]• (まさき じゅんこ)• (まつした えみ)• (みか)• (みつい あや)• (みな)• (みほ)• (みゆき)• (もみ) や行 [ ]• (やまだ さき)• (やまだ すみえ)• (やまだ まこ)• (ゆーきっど) ら行 [ ]• (りゅうこ)• (リトルタイガー) わ行 [ ]• (わたなべ ひさえ) 関連項目 [ ]• この項目は、およびその選手に関連した です。

次の

女子ボクシング階級表

キック ボクシング 女子

概要 [ ] 日本のボクシングプロモーターがムエタイの試合ルールを参考にして考案した、日本発祥の打撃格闘技である。 によっては・・・・・・・等、様々な種類の立ち技格闘家同士がをすることもあり、プロ格闘競技種目の名称となっている。 野口がにの国技ムエタイを日本に招致する興行プランを立案。 「ムエタイ対空手」、「ムエタイ対ボクシング」の異種格闘技戦のアイデアを実現させるために、試合としてのルールを編成したものである。 興行が成功した結果、キックボクシングは「アジア地区で立ち技格闘技として最強と謳うムエタイに対抗し、日本が独自で開発した格闘技の一つ」とされている。 歴史 [ ] キックボクシング成立前史 [ ] (34年)、のでサノン・ETC対ベライノ・チールムーンという、タイ人同士によるの試合がで初めて開催された。 の創始者・はの試合化を目指しており、その研究の一環としてムエタイに興味を示す。 既に山田は同年11月に「新スポーツの発足と其企業化計画草案大綱」なる企画書を発表し、新スポーツ「空手ボクシング(仮称)」を提唱した。 この企画書の中で山田は「昭和35年の新春を期して、当方競技とやや同系類に属する『タイ国拳法選士団』を招聘」すると発表した。 浅草公会堂で行なわれたムエタイ試合が、山田が招聘したものかどうかは判然としないが、山田が日本で初めてムエタイに関心を示した空手家の一人であったことは確かである。 山田はさっそく飯田橋の道場にムエタイ・前チャンピオンのカウキー(カウイとも)を招待して、息子のにの相手をさせ、ムエタイの研究を始めた。 このカウキーを山田のもとへ連れてきたのがだったのである。 (昭和36年)、山田が発行した『日本拳法空手道教本』創刊号には、すでにカウキーの写真が掲載されており、この時すでに山田は空手とムエタイを融合させた新スポーツの構想を膨らませていた。 (昭和37年)、山田は空手ボクシングを「第一回空手競技会」としてで開催した。 これは(打倒勝)、体重別階級、グローブ着用などのルールを採用して行なわれた。 のちのキックボクシングやに先駆ける画期的試みだったが、を採用する当時の空手界からは黙殺され、新聞でも「ナグるケる木戸ご免」、「正統派?うたう空手競技会」などと酷評された。 山田の早すぎた試みは結局挫折に終わった。 一方、野口修は1962年(昭和37年)に後楽園ホールで開催された日本で二度目のムエタイ試合を観戦して感激し、空手対ムエタイの興行の可能性を感じた。 早速野口は空手家にこの構想を打診するが、この時の相談相手が(当時、のちの)と山田辰雄だった。 (昭和38年)、大山道場から・・がのへ向かい、空手対ムエタイの交流戦に参加した。 当地では「日本から空手が殴り込みに来た」と大変な反響を巻き起こした。 結果は2勝1敗で大山道場勢が勝ち越したものの、敗れた黒崎は打倒・ムエタイを誓い、(昭和44年)にキックボクシングのを創設して、・・らを輩出した。 キックボクシングの成立 [ ] での成功に自信をつけたは、(昭和41年)、キックボクシングの名称を考案してを設立。 やなど異なる・のバックボーンを持つ選手を集め、にで初めての興行を開催した。 この時、直前になって突然から「都合があって、申し訳ないが、どうしても選手を出せない」と辞退の連絡を受けた。 山田辰雄の道場の選手だけでは試合に足りないことに慌てた野口が、急遽出場を依頼した一人に空手部・空手出身のがいた。 野口はボクサーである(野口進、元ボクシング日本王者で創始者)の次男であり、でボクシング業界裏方修行を積んだ、ボクシングの申し子のような人物であった。 もともと存在したツテを生かしてテレビ局に対しても積極的に売り込んでいった。 キックボクシングは全国的なブームを巻き起こし、在京の民放4局では沢村忠がエースの『』()、大沢昇がエースの『』『』()、がエースの『』()、藤原敏男がエースの『キックボクシング中継』()を独自に毎週レギュラー放映するほどの人気に至った。 日本拳法空手道は創始者・山田辰雄が亡くなった(昭和42年)以降もキックボクシングへ協力し、はのスター選手となり、日本人としては初めてタイ人現役ランカーにKO勝利。 日本拳法空手道が組織として関わったのは『ワールドキックボクシング』で、(初代バンタム級チャンピオン)らを選手として送った。 極真会館はキックボクシング成立以前からプロ空手の立ち上げを狙っていたが、キックボクシングが成立後にNETテレビから誘いを受け、極真ジムを立ち上げて山崎照朝()・・ら選手を『ワールドキックボクシング』へ送り込んだ。 (昭和44年)春には東京12チャンネルが、岡村プロモーションを通じて黒崎健時の目白ジムと提携し、同年の8月2日からテレビ中継を開始。 (昭和46年)には日本テレビで中継していた協同プロモーションの賛同も得て、がコミッショナーを務める第2の団体が設立され、日本テレビの協同プロモーションと東京12チャンネルの岡村プロモーションによる「八階級全日本統一王者決定戦」をで行うなど、日本キックボクシング協会と双璧をなす団体にまで成長した。 1969年には日本ので初の『日本大学キックボクシング同好会 』を同大学生であった山崎照朝が結成。 同好会は後に部へ昇格し、にはが発足され、山崎は同連盟の設立に尽力した。 に入ると、野口プロモーションはの興行による莫大な利権で、との賞レースに参入するなど世間を賑わせていた。 その反面、もう一つの興行の柱であるキックボクシングは凋落の道を辿っていた。 後の大不況、日本テレビやTBSの放送打ち切り、沢村忠の休業(のち)で興行成績・人気はみるみる下降した。 日本をあきらめ香港での試合出場に本腰を入れるも当地での事故発生で興行不能となる。 日本のキックボクシング界は統合に向かって進んでいったが焼け石に水であった。 分裂期 [ ] (昭和59年)に、日本のキックボクシングの7団体のうち4団体が解散し合同してを設立。 同年に、後楽園ホールで旗揚げを行なう。 (昭和60年)に、日本キックボクシング連盟の元理事長で、六本木で「朋昌」という会社を営んでいた実業家の石川勝将が「」を設立。 石川は、同団体を追放された形でMA日本を設立した。 (昭和62年)7月に、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟に所属していたジムが同連盟を離脱し、を創設した。 この際、ジムのみならず、認定していた5階級の現役王者全員が全日本キックに流出した。 (8年)に入ると、全日本キックが完全に分裂し、当時同団体の理事長を務めていたと所属していたジムの大半が離脱。 (以降、NJKF)を結成。 (平成9年)10月に「オールジャパンエンタープライズ」が倒産したため、全日本キックボクシング連盟が解散。 直後に、有力ジムにより同連盟が立ち上げられ、活動を再開した。 1997年(平成9年)に全日本キック所属のジム「アクティブJ」が新団体の(以降、J-NET)を結成した。 また、全日本キック傘下のジムとして主催興行を予定していた1997年(平成9年)をJ-NETの旗揚げ興行とし、その日に興行を行った。 (平成10年)に、八王子FSGを中心としたジムが記者会見を開き、彼らは全日本キックを離脱し、 K-U を結成すること明らかにした。 K-1の登場 [ ] になりテレビ界とのコネクションをつけての大会を催していたが、キックボクシングの亜流ルール(肘打ちを禁止する欧州ムエタイルールをアレンジしたもの)で・・など、多くの立ち技系格闘技の選手を招き、テレビ局との共催で打撃系格闘技世界最強を決めると称する大会「」を立ち上げ、人気を博す。 肘打ちを禁じて流血する度合いを減らし、首相撲によるクリンチ状態になると早めにブレイクして膠着した試合を防いだ。 見る側であるオーディエンスに配慮したルール制定と、派手な演出でブームを呼び起こした。 新団体の設立 [ ] (平成18年)5月に、所属の藤ジムが離脱を表明し、の設立を表明。 元々は興行を開催する事務局だったが、藤ジム会長のの「団体として確立させないと、試合の意義がただのジム対抗戦となり、それでは選手にとって可哀想であることと、ファンにとっても、単に試合があっただけという一過性のままで終わらせるのは良くない」という理由により団体として設立させることを決め、加藤は協会の会長に就任した。 12月に、アメリカ合衆国オクラホマ州に本部を置く(UKF)の日本進出の足がかりとして、が設立。 理事長には、かねてよりUKFと親交のあった羽田善彦が選ばれた。 (平成20年)にタイ・バンコクで、山根千抄がWBCムエタイ会長のゴーヴィット・パックディーブーム(WBC副会長兼務)と、(以下、JPMC)が日本におけるWBCムエタイが認可する唯一の組織であるという調印を交わした。 にJPMC設立(NPO法人申請中)のプレスリリースを公表し、JPMCが日本におけるWBCムエタイへの唯一の窓口とした。 同年に、JPMCの正式名称を、「コミッション」から委員会を意味する「コミッティ」に改称。 同時に、JPMCをWBCムエタイルールに基づくプロのムエタイ活動の窓口として組織を再構することを発表。 (平成21年)に、東京都でJPMC、NJKF、MA日本が共同で記者会見を開き、「WBCムエタイルール日本統一王座決定トーナメント」の開催を発表。 7月中旬に代表のが逮捕されたことにより、同団体が解散。 、「WBCムエタイルール日本統一王座決定戦」において、フライ級・バンタム級・スーパーバンタム級・フェザー級の4階級で初代日本統一王者が誕生。 (平成22年)、が中心となって JMD の発足を発表。 WPMF の日本本部としてJMDがWPMFルールを管轄する。 JMDにはムエタイの他、独自ルールのも参加していたが、2011年に離脱。 その後、WBCムエタイを離脱したMA日本が加わった。 (平成28年)11月22日、国内複数の団体と連携して統一を図る一般社団法人の発足を発表。 中継 [ ]• - でからまで放送していた中継番組• - で - に放送していた中継番組• - で - に放送していた中継番組• - 日本テレビ系で - に放送した中継番組• - で放送していた中継番組 ルール [ ] 団体分裂の影響もあり、ムエタイに近いものから危険な技を取り除き安全性を高めたものまでさまざまなルールが存在する。 特に肘や膝を用いた攻撃は流血を伴いやすく禁止されていることもある。 最も極端なスタイルでは肘打ちや膝蹴りはもちろん、団体によってはスネをつかった蹴りも禁止され、腰から上のみの攻撃が許されているというものがある。 日本のキックボクシング [ ] ムエタイとよく似ており、ローキック、肘打ち・ボディおよび顔面への膝蹴りを認めている。 ボクシング同様3分1ラウンドで1分の休憩を挟む形式が主流で、タイ国内におけるムエタイのように休憩に2分取ることは稀である。 ラウンド数は3 - 5であり、3Rは新人選手、トップ選手の場合は5Rで行ってきたが、K-1の影響もあって3Rで試合を行なうケースが増えてきている。 ムエタイルールとの差異はポイントシステムで、膝蹴りやボディへのキックが大きなポイントとなるタイと異なり、日本の場合は比較的どの打撃も公平にスコアされる。 ムエタイルール [ ] ローキック、肘打ち、ボディおよび顔面への膝蹴りを認めている。 タイのムエタイが賭けの対象であることもあって、ラウンド間のインターバルは2分である。 しかし、国際ルールなどでは、1分または1分30秒に短縮することもある。 ムエタイとキックボクシングとの違いをは「ムエタイは技の華麗さやディフェンスのうまさ、キックボクシングは相手に与えたダメージの多さで判定する」と語っている。 欧州ムエタイルール [ ] オランダで発祥したルール。 欧州でいち早くムエタイが普及したオランダであったが、安全性の考慮からか肘打ちおよび頭部への膝蹴りが禁止されている。 試合は3分5ラウンドで行なわれる。 の公式ルールはこの欧州ムエタイルールをアレンジしたものである。 フルコンタクトルール [ ] にアメリカで発祥したルール。 それまでポイント制の空手ルールに満足できなかったアメリカの空手関係者が紆余曲折を経てボクシングを導入する形で確立していった。 当初の名称はフルコンタクト空手。 後半あたりから空手のバックグラウンドが必ずしも必要でなくなったためか、フルコンタクト・キックボクシングという呼称で呼ばれるようになった。 フルコンタクト空手の名称はこちらがオリジナルで、に代表されるような、日本のとは関係は無い。 ローキック(下段蹴り)、肘打ち、膝蹴りを禁止している。 1ラウンド2分で、タイトルマッチは世界戦は12R。 選手の服装は、基本は空手衣をモデルにしたサテン製のロングパンツ着用だが、トランクス・キックパンツを選ぶ選手もいる。 脚には、脛当てとフットパッドと呼ばれる靴状のプロテクターの着用が義務づけられている。 また、ボクシングとの差異を図るため、1ラウンドにつき、対戦相手の腰より上への蹴りを8回蹴らなくてはいけない。 8回に満たない場合は、ポイントが減点される仕組みである。 このルールによる試合形式は、対ムエタイを標榜する日本では全く流行らず、現在においても行なわれていない。 しかし近年のアメリカ合衆国に於いて、このフルコンタクトスタイルを復活させる目論みとして、フルコンタクトルールをベースに膝蹴り(首相撲は不可、ムエタイでいうテンカオのみ)を有効打に加え、腰より上へ8回蹴る決まりを廃止した独自のルールで争う「 (ワールドコンバットリーグ、通称 WCL)」という団体がによって設立された。 インターナショナル・ルール [ ] 別名レッグキック(ローキック)・ルール。 1976年に世界空手協会として創設されたアメリカのが1977年よりと提携することで独自性を確立すべく提唱したルール。 ムエタイを機軸とした日本のルールとアメリカのプロ空手(フルコンタクトルール)の折衷案として、アメリカと日本や欧州の選手が同じリングで戦えるようにするために採用された。 基本は2分1ラウンドのフルコンタクトルールに大腿部の外側のみのローキックを認めたもので、膝関節や内股への打撃は禁止されていた。 1980年代前半までは、選手のフルコンタクト用ロングパンツ着用と1ラウンドにつき腰より上を8回蹴るルールが義務付けられていた。 ただし、足へのプロテクションはフットパッドのみで、脛当ては除外された。 日本でも1980年代前半の一時期、全日本マーシャルアーツ連盟の興行では頻繁に行なわれていたルール。 続く新生、の興行でもWKAのタイトルマッチなどの国際戦ではこのルールが採用されていた。 ただ、この時期より、ロングパンツの着用や8キックカウントは徐々に除外されるようになった。 アメリカ国内ではWKA以外ではKICKという団体が世界タイトル戦のみで採用していたルールだが、やがてWKAを含む多くの団体が、このルールを含む複数のルールのチャンピオンを認定するようになり、それにともない、ローキックの攻撃箇所に差異が現れるようになった。 勝敗 [ ] アマチュア [ ]• KO( Knock Out):相手がダウンしたのち、10カウント以内に立ち上がれない場合やをとれない場合、もしくはレフェリーがダメージ甚大と判断してカウントアウトした場合。 判定(英:on Point):ラウンド毎に採点をし、より多くの点をとった選手を勝者とする。 プロ [ ]• KO:プロの場合、相手がノックダウンしたあと10カウント以内に立ち上がれなかった場合。 TKO( Technical Knock Out):どちらかの選手が明らかに不利な場合や、試合続行不可能な状態になって試合を止めた場合。 判定:ラウンド毎に採点をし、より多くの点をとった選手を勝者とする。 採点方法 [ ] 採点方法は10点満点の減点方式。 ノックダウン1回で2点減点、ノックダウン2回で3点の減点。 ノックダウンがなかった場合、より的確にパンチを当てていた選手に10点が、そうでない選手に9点が与えられる。 採点は3人のジャッジで行ない、2人以上のジャッジが支持した選手を勝者とする。 ジャッジが3人とも一方の選手を支持した場合をユナニマス・デシジョン、2人が支持し、もう1人が引き分けであった場合をマジョリティ・デシジョン、1人のジャッジがもう一方の選手を支持した場合をスプリット・デシジョンと呼ぶ。 またどちらの選手も2名以上のジャッジの支持を得られなかった場合、ドローとなる。 3名が引き分けとした場合をユナニマス・ドロー、2名が引き分けとし、もう一人がいずれかの選手を支持した場合をマジョリティ・ドロー、ジャッジ2名がそれぞれ異なる選手を支持し、もう一人が引き分けであった場合をスプリット・ドローと呼ぶ。 反則 [ ] 試合中に以下の行為を行った場合、反則となり、レフェリーに注意を受ける。 注意が重なった場合、減点対象となり、悪質な場合は失格負けとなる。 バッティング:頭部で攻撃する。 :下腹部(金的)への攻撃。 ラビットパンチ:相手の後頭部を攻撃する。 相手の背中側を攻撃する(キドニーブローとされる場合がある)。 レフェリーがブレイクを命じた後に攻撃する。 ラウンド終了のゴングが鳴った後に攻撃する。 サミング:グローブの親指で相手の目を突く攻撃。 オープンブロー:グローブの内側で打つ攻撃。 投げ技で相手を地面に投げつける攻撃(団体やルールによる)。 関節技・絞め技(団体やルールによる)。 ラウンド中に規定の回数以上の蹴りを出さない(団体やルールによる)。 肘打ち(団体やルールによる)。 服装 [ ] アマチュア [ ] 海外のアマチュアキックボクシングの試合。 写真のように服やキックボクシング用の胴衣を着用することがある。 日本では見られない。 団体やルールにもよるが、通常はボクシングのトランクスやムエタイ同様のキックパンツ、またはキックボクシング用の長ズボンや空手着下衣をはき、防具としてヘッドギア、グローブを着用する。 足には靴を履かず裸足で試合を行なう場合がほとんどだが、ルールによっては脛あて(レガース・レックパット)と、足を保護する靴型のプロテクター(サポーター)を着用することもある。 また、負傷防止のためとファウルカップを着用する。 アマチュアのムエタイでは胴体部分に防具を身につける。 プロ [ ] 通常はボクシングやムエタイ同様に上半身は裸体であり、国際式ボクシングのトランクスより蹴りを出しやすく、ルーズに作られたキックパンツ、またはアメリカンカラテ・キックボクシングの影響を受けた、派手なロングパンツを着用する。 以前はムエタイブランドのパンツを使う場合が多かったが、最近はオリジナルデザイン・縫製のオーダーメイドパンツを着用する選手も多い。 グローブを着用し、足には靴を履かず裸足で試合を行なう。 しかし団体またはルールによってはプロの試合でも、足を保護する靴型のプロテクターと脛あてを着用することもある。 またの場合にはや足の保護サポーターを着用することもある。 その他、腕に パープラチアット(ムエタイ選手が腕部に付けるお守り)をつける選手もいる。 昭和40年代のブームの折りには、足首に薄いサポーターを付ける選手も多くいた。 着用されるグローブはタイ製のグローブが多いが、日本製のが採用される場合や、など薄い製の場合もあり、規格は特定されていない。 ただし、対戦者同士は同じグローブを使用する。 ブランド [ ] 主なムエタイ・キックボクシング用品のブランドとして、タイ国製のウインディ、タイサマイ、FBT、ツインズなどがある。 また日本の格闘技用品業者も製造をタイのメーカーに委託する場合が多いが、最近では自社で企画・製造する日本の業者も現れている。 タイトルと団体 [ ] 日本の王座認定団体は複数に分裂しており、また世界王座認定団体も多く乱立している。 ここではプロの日本の地区王座、主要な日本王座そして世界王座を挙げる。 世界タイトル• 世界キックボクシング協会(WKBA) が母体• トーナメント方式による大会で毎年王者を決定し、それとは別に王座認定も行なう• トーナメント方式による大会で年2回世界王者を決定し、それとは別に王座認定も行なう• MUAY THAI が2005年、ムエタイ部門の発足を表明した。 日本の国内タイトル• (、、 の三団体合同運営)• 女子王座も認定• WPMF日本支局• トーナメント方式で毎年王者を決定していたが、2008年より3階級での王座認定を開始。 東洋王座も認定• 通称「日本プロキック連盟」・「日本プロキック」等• 世界王座も認定。 トーナメント方式の世界大会も行っている。 トーナメント方式による大会で毎年王者を決定していた時期もあったが、本大会での日本人選手の不振により、最近は「K-1JAPAN王者」の称号は使用は流動的になっている。 一昔前は関西キックとして一世を風靡。 しばらく活動停止していたが復活し、関西でのキックボクシング人気の復活に貢献している。 の立ち技部門として創設。 (ノックアウト) で一定の成功を収めたによるキックボクシングイベント。 日本の地区タイトル• 全沖縄王座(主にが認定する王座)• (という会社兼ジムが認定する九州王座)• (という系のジムが認定する王座)• 認定西日本王座 アマチュア [ ] この一覧には空手の団体も含まれているが、これは競技にボクシング用のリングまたはグローブを使用し、直接打撃制のルールを採用しているからである。 また、プロのキックボクシングの王座を認定する団体がアマチュアの大会を開いたり、アマチュア王座を認定する場合もある。 地区団体• 国内団体• プロの団体だが、アマチュアの選手育成も行っている。 プロの団体だが、アマチュアのオープントーナメントも開催している。 国際団体• 公認のアマチュアキックボクシング統括団体。 プロの王座も認定。 政府・タイ国オリンピック委員会公認。 アマチュア競技のみを統括。 所属・治政館ジムのが創設した団体。 女子キックボクシング [ ] 女子キックボクシングの歴史も古く、男子でさえ黎明期であったには既に女性のキックボクサーも存在していた。 (昭和49年)に以外では日本初の女子プロ格闘技団体となるが発足され、単発で興行を行った。 しかし、これらは当時大人気だった女子プロレスに対抗するべくお色気・エンタメ色が強調されたものであった。 番組内では同協会とは別組織であるによりマーシャルアーツやなどの試合も放送していた。 日本女子キック協会はに幕を下ろし、一部の選手はや日本キックボクシング協会などに戦いの場を移す。 にはにてキックボクシングルールに近い格闘技戦を開始して王座も創設され、やがて異種格闘技対抗戦に発展し火が付いた。 その後、シュートから多くの選手がキックに転向し、そのひとりであるが世界王座を獲得。 さらに、、の「不動館三人娘」らの活躍により、競技色が強まった形で女子キックは再興された。 興行内では女子ボクシングの試合も組まれ、らが転向して活躍。 女子ボクシング部門は後にとして独立し、が女子を認定する(平成19年)まで続けられた。 には、がキック・ムエタイで合わせて8冠を獲得する活躍を見せる。 そして女子の(現・)などと合わせていわゆる「ジョシカク」としてブームを築き上げ、女子キックボクサーは増加した。 それに伴い、全日本・新日本などが女子のみの興行を開始。 は元々女子限定イベントとして旗揚げされたが、翌(平成18年)に男女団体化。 2007年(平成19年)にはがキック界として初めてとなる女子国内王座「J-GIRLS王座」を創設した。 J-GIRLSはでの中継もされている。 その後も、も女子王座を創設している。 (平成21年)にはK-1が女子部門を新設し、女子限定イベント開催に向けて動き出している。 参考文献 [ ]• 沢村忠監修『キックボクシング入門』、1969年• 小沼保『本部朝基と山田辰雄研究』壮神社、1994年• 『フルコンタクトKARATE』1994年5月号、福昌堂(雑誌)• 『キックボクシング入門』、2003年発行()• 『キックボクシング入門 増補・改定版』ベースボール・マガジン社、2008年9月15日発行(ムック) 脚注 [ ] [] 注釈• 2011年12月24日. コラム 撃戦記. 2011年12月26日閲覧。 『東京12チャンネル 運動部の情熱』120~132頁(著:布施鋼治、発売:)• 山崎照朝 2011年12月24日. コラム 撃戦記. 中日スポーツ. 2011年12月26日閲覧。 [ ]• コラム 撃戦記. 中日スポーツ. 2014年6月4日閲覧。 BoutReview: 2006-5-2. 2009年9月27日閲覧. BoutReview: 2007-1-20. 2009年9月27日閲覧. BoutReview:2008-10-3. 2009年9月27日閲覧. NJKF: 2009-6-13. 2009年9月27日閲覧. BoutReview: 2009-8-21. 2009年9月27日閲覧. BoutReview:2009-9-25. 2009年9月27日閲覧. GBR: 2010-1-25. 2010年1月26日閲覧. デイリースポーツ. 2016年11月22日. 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 キックボクサー• 王者一覧• 国内地域•

次の