イチ キシマ ヒメ ノミコト。 カタカムナ: 0∞ 響 ミナのまほろば日記2020 (∞UGCE∞) ∞0

大和坐大国魂神社(大和神社・天理市)

イチ キシマ ヒメ ノミコト

参考 を参考にしてください。 オキツシマヒメはの本家、の宮の「沖津宮」「中津宮」「辺津宮」の沖津宮の姫神を表しているのでしょう。 を信仰する海洋民族である宗像の民は、沖津宮を特別視した。 それは一番沖にあって、目印として頼りにしていたからです。 沖津宮が見えれば、どこに陸があるかは分かる。 だから沖津宮が大事だった。 オキツシマヒメという名前は特別な意味合いを持った。 その後、宗像の民は、水耕稲作を日本の各地に伝えた。 その水耕稲作を伝えた民は、「辺津宮」周辺の住民で、辺津宮の神である「カミ」がそこでは特別視された。 それがの名前の順番や異名がゴチャゴチャとなっている理由であり、オキツシマヒメがの異名だったり、オキツシマヒメの異名がイチキシマヒメだったり、オキツシマヒメが単体で出たりしている理由だと思います。

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市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)とは

イチ キシマ ヒメ ノミコト

解説 [ ] とが、天眞名井で行った ()の際に、アマテラスがスサノオの剣を噛んで吹き出した霧から生まれた三女神の三女。 「イチキ(斎き)」は神霊を斎き祭るという意味があるという。 なお、この誓約からは五男三女神が生まれており、うち、(多岐津姫命(たぎつひめのみこと))・(多紀理姫命(たぎりひめのみこと))・イチキシマヒメの三女神を特に宗像三女神という。 『古事記』では2番目に生まれた神である。 『日本書紀』においては、本文では3番目に、第二の一書では最初に生まれたとしており、第三の一書では、最初に生まれた瀛津嶋姫(おきつしまびめ)の別名が市杵嶋姫であるとしている。 イチキシマヒメを祭神として祀るでは、「市杵島姫命は天照大神の子で、皇孫邇邇芸命が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されている」という説明板がある。 イチキシマヒメを祭神とする神社 [ ] 宗像三女神を祭神とするのでは、総社(福岡県)の辺津宮(へつみや)に祀られている。 のでは、多岐津姫命・多紀理姫命とともに として、二之御殿(3つ並んだ御殿の真ん中)で祀られている。 のでも同様に、比咩大神として、左御前に祀られている。 また、京都府のでは、中津島姫命の別名で、主祭神二柱の一柱として祀られている。 として知られる京都府のでは、主祭神であると夫婦であるとされ 、 になっている。 [ ] 後の時代のにおいてはでは に比定され、同神とされた。 とされるの・ 、の 、の(竹生島神社)・ ではいずれもイチキシマヒメと弁才天の習合がみられる。 脚注 [ ] [].

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大和坐大国魂神社(大和神社・天理市)

イチ キシマ ヒメ ノミコト

の女神と宮 田心姫神(沖津宮) 湍津姫神(中津宮) 市杵島姫神(辺津宮) これを出生順と考えると、順番と名前が完全に一致するのは「日本書紀本文」なのです。 しかし、おかしいですよね。 日本書紀では「イチキシマヒメ=オキツシマヒメ」という描かれ方が多いのに、実際の宗像大社ではイチキシマヒメは辺津宮は陸地の宮なんです。 こういうことじゃないでしょうか そもそも宗像の女神はそもそもは海の神でした。 海運の神で、海の航行の安全を願う神でした。 ところが、どうも宗像の人たちは、その後、海を伝い、「水耕稲作」の技法を日本の各地に伝えたようなのです。 そうなると、その農業技術が伝わった土地では宗像の神は海運の神ではなく、「農業の神」となります。 この宗像の人たちが住んでいたのが現在の辺津宮の近辺の人だった。 そこで「イチキシマヒメ」が特別視されるようになった。 宗像大社の沖津宮は現在でも、関係者以外は上陸禁止の禁足地です。 この沖津宮には縄文時代からの遺物がゴロゴロと転がっていて、大昔からの神の特別な島だった。 だから本来は「田心姫神」が最も神聖な特別な神だった。 それが農業伝播の経緯から、ひっくり返って「イチキシマヒメ」が格上になったんじゃないかと思います。 ところで古事記では第二子がイチキシマヒメと成っているのは、「真ん中が偉い」という感覚が勝ったからじゃないかと。 宗像の世界観の本来は「一番遠い神が偉い」というだったのでしょうね。 その違いが出たと。 どうしてこの世界観の違いが生まれたのかというと…。 海の民が島を特別視するのは座標になるからです。 島が見えれば、今、自分がどの位置がわかる。 安心しますよね。 だから、陸地に近い島ではなく、多少離れていて、目印にした時に頼れる島の方が助かる。 だから「オキツシマヒメ(沖の島という意味)」は特別だった。 離れていることが神聖な条件になるわけです。 海運の目線では遠いところの島が神聖なんです。 しかし農業はそんな考えは一切はありません。 日本人は海の向こうや山から神がやってきて、それが稲を育てると考えていました。 だけど「遠いほど良い」などという考えはありません。 そうなると王様と家来の配置から考えても「真ん中が偉い」という感覚が勝つ。 それが古事記と日本書紀の順番の違いの一つじゃないかと考えています。 その証拠となるかは分かりませんが、古事記ではイチキシマヒメの別名に「サヨリヒメ」とあります。 「サ」は稲霊のことで、「サヨリ」で稲の霊が憑依するという意味になります。 日本人の農業は神が畑に宿って生育するというものですから、その稲霊として「イチキシマヒメ」を特別視するのは完全に「農業の目線」なんですね。 「海運の目線」じゃないんです。 そういう海運の神と農業の神での目線がごっちゃに混じり合った結果が記紀の順番の違いでしょうね。

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